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一昨年の「釣りバカ日誌17あとは能登なれ、ハマとなれ」もうやめてしまえ! は見事な石川県観光映画になっていて、思わず「もうシリーズやめてしまえ」と叫んだのであるが、その次の舞台側が郷土岡山に決まり、「釣りバカ日誌18」日本のエーゲ海にいらっしゃい 予想以上にうまく作られていて、三国御大も思いのほか元気で、満足の一作になった。そして今回は、あまりにも筋たてが喜劇映画のワンパターンを踏襲しているという点はあるけれども、その笑いのつぼが近年にない傑作だった。監督 : 朝原雄三 出演 : 西田敏行 、 三國連太郎 、 浅田美代子 、 常盤貴子 、 竹内力 、 山本太郎 特に前半は胃カメラ場面で大いに笑い、後半はその場面を生かして、まさかああなるとは、と言う意外な展開で大いに笑わせた。(サプライズ特別出演あり)今回は人情喜劇の面は薄かったが、派遣の問題、セキュリティー重視で人と人とのつながりが希薄になっている社会を風刺する風刺映画の面で切れ味を持っていたといえる。「築地魚河岸三代目」が松竹喜劇の三代目として名乗りを上げてはいるが、まだまだそんなものに負けてはおられぬ、と言う意気込みが見える。
2008年10月31日
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反貧困運動への弾圧だけではなくて、表現の自由に対する挑戦でもある今回の事件について、もう少し述べてみたい。「麻生出てこい」救援会ブログに此の間の状況がまとまっているので、そこに紹介されているyoutubeの動画を手がかりに今回の事件を若干検証してみたい。渋谷署警察官との事前打ち合わせ@ハチ公前主催者「麻生さんところに行こう、というもんなんです。」警察「それだけだったらいいけど」※ほら「政治目的」で持って「デモ」だとはこの警察の人は判断していないじゃん警察「ただ、今日は持ってきていないだろうけど、大きい声出してガンガンやるのは」主催者「サウンドデモみたいなやつ」警察「うんそんなんだったら駄目だけど」主催者「そんなことはしないですよ」※拡声器はダメと言っていることに注意。肉声でぞろぞろついて来ている人に注意喚起するのやめろといっているわけではない。あれがダメならば、旅行の注意喚起の大声はすべてだめと言うことになる。警察「今日はでも申請出していないから、車道はだめだから」主催者「車道は歩かないですよ」警察「だから歩道だよな。それで行くなんならいいです。」※ここで明確にこの警察官はデモ申請していなくても、行っていい、と言いました。警察「(麻生邸の)外周のところから規制しているところから5-6名づつ行くには、いいです。」 ※麻生邸の規制線に近づいたならば、5-6人のまとまりになってください、と言っているわけでそこに近づくまでの約15分間の行進の仕方について注意しているわけではない、と言う点に注意。反対に言えば、そこまでは歩いていっていいですよ、とこの警察官は言ってくれたというわけである。麻生邸についたときに主催者がどのような行動を取るのかは、とうとう行なわれなかったのだから、かりに麻生さんが迷惑だといって逮捕するというようなこともありえないということである。そういうことができるのは、共謀罪が成立したあとであろう。しかし、この映像よく見ると、後ろの方にこの弾圧を指揮したはげ頭の公安がじっと見ている。怖いですね。10/26 渋谷、逮捕前に打ち合わせするデカそのはげ頭の、まさに逮捕前の打ち合わせ映像が今日youtubeにアップされました。「警告を事前にさせないとですね」とセコンドが囁く。ところがその(なんの警告かさっぱりわからんが)警告さえなしに「行っちゃうね」とあせったらしく、いきなり逮捕に向かっちゃったということがよくわかる映像です。これだけの映像があっても、これはまだ「転び逮捕」ではないとしらを切るのでしょうか。記者会見で、テレビ映像が何度も流れる。そのなかで、どこかのテレビ局がこんなことを言っている。「無届でデモ行進を行っていたグループのうちの三人が警察官に暴力をふるうなどして現行犯逮捕されました」私は思う。こんかいの事件は、テレビでのこの一言が大事だったのである。ようは反貧困とか言っている最近の流行の運動団体は違法なデモ行進をするような不穏な団体であるということを世間に印象つければそれでよかったのである。また、新聞報道の警察発表鵜呑みの「公安部によると、1人の男は同日午後3時50分ごろ、事前に警察署に届けを出さず、渋谷駅ハチ公口の広場で集会し、デモをした疑いがある。同庁は主催者の1人とみている。また、ほかの2人は、この男の逮捕を阻止しようとして警察官に抵抗し、暴れるなどした疑いがある。 」という言葉がほしかったのである。今回は新聞記者たちはまるで新人記者に戻ったかのように警察発表をそのまま書き写したのみだ。主催者の言い分を取材しなかったはずはない。非常に意図的である。さらに言えば、次の日に行われたこの記者会見にはマスコミが40人近く来たそうだが、私の検索技術がないのか、未だに一つも記事になっていない。たぶん検察は起訴しないだろう。目的はもう達しているのだから。かえって裁判になれば、真実が明るみになってまずいかもしれない。けれども一方では、刑事裁判は検察側か99.9%勝利しているという苦い数字もあるので楽観はできないのではあるが。これは古いタイプのエリート公安辺りが、仕組んだシナリオのような気がしている。要はちょっと前までの学校でのイジメのパターンである。じわじわと世論を操作してデモなどをするやからを孤立させるというわけだ。しかし、重松清の小説などを読んでいると、イジメはさらに高度に発達していることを私は知っている。いじめる主体だった側は時々一夜にして苛められる側に変わるのである。理由は些細なことでいいのだ。幾分「運」も関係してくるが、いじめる側に不利な印象操作が少しあればいいのである。彼らは、マスコミさえ動かせればそれでいいと思っている。しかし、ブログの力はこんなときに発揮するのではないか。youtubeの動画はこんなときに力を発揮するのではないか。繋がる力に期待したい。
2008年10月29日
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朝久し振りにテレビを見ていて、驚いた。(どこの局か忘れてしまった)あそーの秋葉原パフォーマンスでいかにもすべてのおたくどもが麻生を支持しているかのような印象を受ける映像を作っているなあと漫然と見ていたら、突然次の場面では「一方渋谷では、麻生首相の豪華邸宅を観にいこうとデモ行進をしていた団体が、無許可デモのために逮捕されました」と言って警察に逮捕される瞬間を映していた。最初の感想は、「あれは単なる見学ツアーだったはず。誰かのぼせがデモ形態を取ったのだろうか。車道を歩いたのだろうか。しかしそれぐらいで逮捕するのはあまりにも不当だ。警察は逮捕するために集まってきて、言いがかりで逮捕したに違いない」国家権力がいかに彼らの動きに神経を使っているかの証拠だ、と一応思いました。果たして、朝日新聞記事ではこうなっている。「麻生首相宅見に行こう」 ネットで募り無届けデモ容疑ところが、この容疑はどうやら完全に無実無根のようです。万が一シュプレヒコール挙げても、車道を組織だって行進しない限りはデモではないのに、本当にのどかに歩いて15分くらいで行ける麻生宅に行こうとしていただけのようです。案の定、雨宮処凛さんの「すごい生き方ブログ」では全面的に否定している。歩いただけで逮捕!! マガジン9条 でも告知した「リアリティツアー 62億ってどんなだよ。麻生首相のお宅拝見!」が今日開催されたのだが、 トンデモないことに歩いてただけで突然警官が襲いかかってきて、なんと3人が不当逮捕されてしまった。 一部報道では「デモ隊が警察を殴った」などと報道されているが、トンデモない事実誤認だ。 またしても目の前で逮捕の瞬間を目撃したが、歩いてただけで突然参加者に襲いかかり、 暴力を振るいまくって拉致したのだ。 また、「無届けデモ」などとも報じられているが、ただ歩いて麻生の家に行こうとしただけだ。 当然車道など使ってはいないし、横断幕なども「しまえ」と言われて掲げていなかった。 ただ、貧乏な人たちがぞろぞろ渋谷を歩いて麻生の家に行こうとした、というそれだけで逮捕されたのだ。 貧乏人は道を歩くことも許されないのか? 詳しいことはのちほど報告したい。 また、報道関係の方は、私のところまで連絡頂ければ対応します。 さらに詳しい状況は生きてゆく派遣社員のBlogでも紹介されています。非常に客観的かつ具体的な文章で信頼できるものだと思います。貧乏人は道を歩くことも許されないのか? 本当にこんなことを許してはいけない。まさに民主主義の根幹に直結する問題である。
2008年10月27日
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そっと贈り物 あしながおばさん、寄贈の絵本500冊(10月26日朝日朝刊)(略)贈り先は大きな図書館がない過疎地に限り、これまでに和歌山県の新宮市や北山村、三重県紀宝町などの50カ所に届けた。 名前を伏せるのには理由がある。 学生時代、電車の中でワンピースの背中のファスナーが壊れていることに気づいて困っていたら、60歳くらいの女性が直すのを手伝ってくれた。お礼をしようと名前や住所を尋ねたが、「その気持ちを私以外の人にあげてください」。あの女性と同じような生き方をしようと思い続けてきた。子どもたちがイメージしやすいようにと、本に張るシールを知人らがつくってくれた。 (略)このネット記事には載っていないが、今朝見た朝日新聞には、小説のあしながおじさんに似せた黒いシルエットの細長のおばさんの絵があった。自分の人生を工夫すれば、何かいろんな可能性があるかもしれない。そんな気にさせる記事でした。
2008年10月26日
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原作を読んでしまったならば、やっぱりそれがどのように映画になっているのか、気になるのが人情というもので、監督も不器用な男女の交流を描いた「ヴァイブレータ」の廣木隆一だし、少しだけ期待して観にいきました。監督 : 廣木隆一 原作 : 重松清 出演 : 石橋杏奈 、 北浦愛 、 吉高由里子 、 福士誠治 、 森田直幸 原作の幾つかのエピソードを削りながら、うまいこと脚本を作っているとは思う。引きのショットを多用して甲府の町で一生懸命生きている少年少女たちを一生懸命撮ろうとしているように思える。けれども不器用な人間を演じるのは、よっぽどの才能か、よっぽどの演技力が必要で、それをあの少年少女たちに要求するのは無理だったようだ。唯一存在感を自然と見せたのは、「誰も知らない」から大きく成長した少女になった北浦愛のみ。もこもこ雲の絵はイメージ通りだったし、成長した恵美を詳しく描いているのは嬉しかったし、最後はやはり泣いてしまったけれども、ひとつひとつのエピソードにはのめりこめなかった。この調子だと「その日のまえに」の映画化も、大林監督だけど、心配です。
2008年10月26日
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女なんてああいえばこういう「女はいったい何を望んでいるんだ?」「これは、あなただけに教えるのよ‥‥‥実は‥‥‥何を望んでいるか女にもわからないの!」最愛の夫ジェリーを脳腫瘍で亡くしたばかりのホリーは、失意で電話にも出られず自宅に引きこもっていた。やがてホリーの30歳の誕生日がやってきた。届いた贈物の箱を開けてみると、テープレコーダーに入ったジェリーからのメッセージが。思わぬプレゼントに喜びと驚きを隠せないホリー。翌日、メッセージの通りジェリーからの手紙が届けられた。それから、次々と消印のない手紙がホリーのもとに届くようになる…。(goo映画より)監督・脚本 : リチャード・ラグラヴェネーズ 出演 : ヒラリー・スワンク 、 ジェラルド・バトラー 、 ハリー・コニックJr. 、 ジーナ・ガーション 、 キャシー・ベイツ この粗筋だけを読むと、死んだ夫の手紙で癒されていく未亡人がやがて新しい恋を見つけるまでの物語だ、と思うかもしれない。予告編を見る限り、私はそう思っていた。けれどもその様な予定調和を絶妙の脚本が微妙に裏切っていく。センスのいいセリフが続き、それを見事に存在感もって喋っていくヒラリースワンクがいる。大人な映画である。気持ちのいいラブスーリーである。一番最初はジェリーとホリーの犬も食わない夫婦喧嘩から始まる。最初はホリーと言う妻のわがまま振りが目立つ。夫が辛抱強く相手にしているからいいものの、これじゃあ疲れちゃうよなあ。と思ってしまう。ところが、だんだんとヒラリースワンクが魅力的に見えて、美しくなってくるから不思議である。実に素直でいい娘に思えてくる。彼女の演技力の賜物であろう。夫のジェラルド・バトラーがかっこいい。男としてはかく在りたいという典型である。少しかっこよすぎる。キャシー・ベイツがあんなにかわいらしく笑ったのをはじめて見た。
2008年10月25日
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最近見たDVD。シコふんじゃった。(DVD) ◆20%OFF!「とうとうあたしもシコふんじゃった!」監督:周防正行(92年作品)キャスト:本木雅弘 清水美砂 柄本明 竹中直人 田口浩正 もっくんの「おくりびと」を見て、久しぶりにこの映画を見たくなった。普段注目されていない職業やスポーツをまじめに描くと見事なエンターテイメントになるという好例を伊丹十三監督の「お葬式」とともに周防正行監督が示した嚆矢である。やはり面白かった。大学相撲部の世界を通じて、思いと技術と努力のミックスの大切さを伝える。きちんと今でも笑える。丁寧に作られているから、彼らが一生懸命に相撲に取り組みだせば出すほど可笑しくなる。周防監督の次の新作情報はないのか!柄本明 、竹中直人、田口浩正がなんとも若い。本木雅弘は今と変わらない。作品とは関係ない感想だけれども、映画の最後でもっくんは大手商社の就職が親のコネで決まっていたのを蹴って相撲部のために留年してしまう。ところが、92年のこのこのときからバブルがはじけ、超氷河期にはいり、この時期大学を卒業した人たちから就職できずにフリーター、派遣と流れてロスジェネ世代が始まるのではある。この主人公、山本秋平くんは今はどのような人生を送っているのだろうか。なんか気になってしまった。
2008年10月25日
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粗はありまくりの「巻き込まれ型」映画ではあるが、このような映画ができた背景を考えると、傑作としてではなく記録として残すべき映画だと思う。 監督 : D・J・カルーソー 製作総指揮・原案 : スティーヴン・スピルバーグ 出演 : シャイア・ラブーフ 、 ミシェル・モナハン 、 ロザリオ・ドーソン 、 ビリー・ボブ・ソーントン 、 イーサン・エンブリー 衛星画像から延々と個人の行動を監視する「エネミー・オブ・アメリカ」(1998)から、「ボーン・アルティメイタム」(2007)の手作業的全世界監視カメラ誘導システムへそしてこの「イーグル・アイ」(2008)では、ついにコンピューターによる全自動監視ネットワークをが作動されて、遠隔監視によって携帯は使い放題、作業機械も地下鉄も作動自由自在になってしまっている。 もちろん、これは映画的想像力で作られてはいるのであるが、今現在でも、たとえばgoogleのストリートビューではいろんな地域の静止画像が見放題、そこの地図では数年前の衛星画像ではあるが、場所によっては自宅まで特定できるまで近い写真が、「一般市民」でも自由に見られるまでになっている。当然上の人たちは「エネミー・オブ・アメリカ」程度のことは自由にできるのではないか、と想像できる。 9.11以降の「愛国者法」によってアメリカではFBIが認めれば監視カメラの二次利用は原則自由になった。そろそろ、次の大統領はあの法律の撤廃を考えるべきだろう。一度手に入れた権力は捨てないだろうとは思いつつ。
2008年10月23日
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東京・明治公園で十九日に開かれた「反貧困世直しイッキ! 大集会」での大集会宣言を載せます。、二千人の参加者で成功したようです。写真速報:反貧困イッキ!大集会に2000人(レイバーネット)反貧困ネットワーク, 報道一千万人を超える収入200万以下の人々が団結できる「要求」があるとしたら、この宣言がきれいなたたき台になることだろう。予想される総選挙において以下のような単純な言葉を求めるべきだと思う。私たちが求めているのは単なる政権交代ではない。日本社会に広がる貧困を直視し、貧困の削減目標を立て、それに向けて政策を総動員する政治こそ、私たちは求める。 そのためにはまず、労働者派遣法の抜本的改正が必要である。また、社会保障費2200億円削減の撤廃が必要である。以下宣言文反貧困世直しイッキ! 大集会宣言 私たちは、今日ここに「世直し」のために集まりました。 どんな世を直すのか。 それは、人が人らしく生きられない、人間がモノ扱いされる、命よりもお金や効率が優先される、貧困が広がる、そんな世を直すためです。 どうやって直すのか。 それは、一人一人が声を上げ、場所を作り、それによって仲間を増やし、守られる空間をつくり、一人じゃないことを確認し、そして相互に垣根を越えてつながっていくことで直します。 私たちの社会は今、間違った方向に進んでいます。私たちはそれを直したい。それが、私たちの責任です。「自己責任」などは、決して私たちが取るべき責任ではない。私たちには私たちの、市民には市民の責任の取り方がある。 いま、日本社会は大きな岐路に立っています。 労働者をいじめ続けるのか、人間らしい労働を可能にしていくのか、 社会保障を削り続けるのか、人々の命と暮らしを支える社会にするのか、 お金持ちを優遇し続けるのか、経済的に苦しい人たちへの再分配を図るのか、 生存権を壊すのか、守るのか。 私たちの選択は決まっている。私たちは、人間らしい生活と労働の実現を求める。 選挙が近い、と言われています。 政権選択の選挙だと、言われています。 しかし、私たちが求めているのは単なる政権交代ではない。日本社会に広がる貧困を直視し、貧困の削減目標を立て、それに向けて政策を総動員する政治こそ、私たちは求める。 そのためにはまず、労働者派遣法の抜本的改正が必要である。また、社会保障費2200億円削減の撤廃が必要である。 しかし、それだけでは足りない。雇用保険、職業訓練、年金、医療・介護、障害者支援、児童手当・児童扶養手当、教育費・住宅費・子ども支援、生活保護、あらゆる施策の充実が必要である。この国ではそれらが、貧しすぎた。政治は、政策の貧困という自己責任こそ、自覚すべきだ。道路を作るだけでは、人々の暮らしは豊かにはならない。 そしてその上で、国内の貧困の削減目標を立てるべきだ。貧困を解消させる第一の責任は、政治にある。 私たちが「もうガマンできない!」と声を上げてから一年半。私たちは着実に、仲間を増やしてきました。私たちの仲間はすでに全国各地に存在し、分野を越え、立場を越え、垣根を越えたつながりを作り始めている。 小さな違いにこだわって、負け続けるのはもうたくさんだ。敷居を下げ、弱さを認め、弱さの自覚の上に、強い絆(きずな)を作る。それが、私たちの運動であり、私たちの世直しだ。 声をあげよう。 居場所を作ろう。 仲間を増やそう。 一人一人が、もう一歩を踏み出そう。 そして、社会を変えよう。政治を変えよう。 もう一度言う。 私たちは、垣根を越えたつながりを作ろう。 労働者派遣法を抜本的に改正させ、社会保障費2200億円削減を撤回させよう。 貧困の削減目標を立てさせよう。 そして、誰もが生きやすい社会を作ろう。 それが、私たちの権利であり責任だ。 以上、宣言する。
2008年10月22日
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10月18日(土)の朝日別刷りの「be」が面白い、土曜日に書いたが、そのとき紹介した三つの記事のうち一つ「小泉改革路線の功罪をアンケート 」はすでに紹介した。「be report」は、やっと今日アスパラ倶楽部に記事が掲載されたので、そのままコピーしたいと思う。(アスパラ会員でないと記事を見ることが出来ないため)世界金融危機について、非常にわかりやすい解説であるのと同時に、財界にとっての解決策ではなく、庶民にとっての解決策をきちんと提示しているという点で画期的である。記者の山田厚史はこれから注目していきたい。(文字が太字のところは私にとっての強調点です)世界金融危機、何が起きた ■「吸い込み装置」壊れ、総決算の様相 対岸の火事かと思われていた米国のサブプライム危機が「世界恐慌の始まり」のように言われています。引き金は住宅バブル崩壊でした。証券会社や銀行が連鎖して倒れ、ついにドルの金融市場がマヒしました。繁栄を誇った金融資本主義が「市場による自己否定」にぶち当たったように見えます。世界経済の構造や価値観にまで変化が及ぶかもしれません。 「帝国循環」という言葉がある。政治力も軍事力もず抜けた国家に世界からカネが集まり、繁栄が続くという構造だ。流れ込むカネで消費が活気づき、外国から物資や製品を買いまくり、代金がまた流れ込む。米国は「黄金の循環」の結果、世界最大の借金国になった。 日銀統計によると、国家間の債権(貸金)から債務(借金)を差し引いた対外純資産で米国は302兆円の債務超過。最大の債権国・日本をはじめ、アジアや欧州から巨額な借金をして繁栄してきたことがわかる。 製造業は競争力を失い、クルマや家電製品、衣料品などを外国に頼っている。イラク派兵で政府の出費もかさみ国際収支は大赤字、借金は膨らむ一方だ。 借金は返済するのがルールだが、過大な債権は回収できないのが通例。「米国が借金を重ねて世界経済を引っ張るゆがんだ構造はいつか破綻(はたん)する」と指摘する専門家は少なくなかった。今回の事態はそれが現実のものとなる第一歩ではないか。 世界からマネーを吸い込む装置はニューヨークにある。ウォール街だ。29年の世界恐慌もこの街から始まった。米国は金融立国として繁栄を続け、グローバル化は金融自由化を世界に広めた。冷戦が終わり軍需産業からも転じた理系の人材が複雑な金融商品を開発し、マネー経済を開花させた。潤沢な資金が利益の源泉であり、世界中が低金利政策に協調し、増殖したマネーが金融資本を潤した。 米国に集まった資金がバブルをあおり、向かった先に住宅市場があった。ローンやクレジットに慣れた消費者は住宅を担保にクルマや家具を買う。住宅の値段が上がると、担保価値が膨らんで借金の枠が広がる。一役買ったのが低所得者向けのサブプライムローンだ。住宅は活発に売れ、00年ごろから価格が急上昇した。GDPの70%を占める個人消費を住宅バブルが押し上げたのだ。日本にも似たそのバブルは06年、頂点に達した。 ■汚染米と同じ 住宅価格が下落すると、米国経済は「逆回転」を始めた。売りに出る住宅が下落のスピードを加速させ、担保価値を下げ、クレジット消費にブレーキをかけた。自動車販売が激減するなど世界を牽引(けんいん)してきた米国の個人消費は冷えている。 もう一つの逆回転は金融界で起こった。金融工学を駆使した証券化でサブプライムローンが世界にばらまかれた。汚染米が和菓子や焼酎になったように、悪質なローンが優良に見える金融商品に化けていたのだ。焼酎業者が損害を受けたように、サブプライムが混ざった金融商品は投資家に打撃を与えた。破綻する銀行や証券会社が将棋倒しのように金融不安を世界に広げた。住宅ローンを買い取る住宅金融公社や保険会社にも飛び火している。世界的株安が傷口を広げ、日本でも大和生命が破綻するなど世界的連鎖が始まった。 米国政府が不良資産の買い上げに7千億ドルを用意しても市場の不安は収まらない。損失がどこまで拡大するか見当がつかないからだ。不良債権を政府が買い取れば損害は確定するが、銀行が耐えられるか。場合によっては債務超過になる。資本が小さくなれば貸しはがしが横行する。大手は日本などに増資を求め、切り抜けることができても、多くの金融機関は日本のように政府から公的資金の注入を受けることになるだろう。 ドルを扱う金融市場は凍りつき、疑心暗鬼から銀行間取引は機能不全に陥った。世界的規模で貸し渋りが始まり、中断されるプロジェクトや企業倒産が起こりそうだ。住宅バブルの崩壊とウォール街の破綻は、カネを世界から吸い込む装置が壊れてしまったことを意味する。 ■FXそっくり 日本で話題の外国為替証拠金取引(FX取引)。10万円の証拠金で1千万円の取引もでき、当たれば大もうけだが、失敗すると大損する。投資銀行が金融工学を駆使してやったことはやはり100倍、200倍にリスクを膨らませた取引だった。「こんなことは続かない」と言われた金融が「市場の自己崩壊」で強制着陸させられた。 米国に依存する経済は限界を迎え、世界は総決算を迫られている。欧州では金融破綻が始まった。中国も深刻だ。上海などで住宅バブルが崩壊し、株価が急落している。輸出に頼る国有企業も打撃を受ける。日本も中国にまで米国向けの生産設備を設けてきた。過剰設備がまた問題になるだろう。 ■日本で使おう 日本も大波をかぶるだろうが、悪いことばかりではない。これまで日本は貯金通帳の数字だけ大きくなり、そのカネを使っているのは米国人という構造だった。これでは日本の内需は湿るばかり。米国の集金装置が壊れ、日本人のカネを日本で使う時代になった。カネを国内で使って豊かになる仕組みを考えること、それが課題だ。 常識を逆転させる発想が必要だ。給料を抑え、自国通貨を安くして輸出に頼る「貧乏輸出」をやめる。上場企業は6年続け増収増益だが、国内経済はパッとせず、消費は冷え込んだままだ。ゼロ金利で企業は助かったが、預金者は大打撃を受けた。 カネを回すべき先はたくさんある。医療・介護など手厚い社会保障は雇用吸収力がある。高齢社会での安心確保という切実な需要がある。石油に変わる新エネルギーや環境に負荷のかからない循環システムなど21世紀の課題に国を挙げて取り組めば、新しい需要が創造される。 29年の世界恐慌が行き着いた先は第2次大戦だった。戦争という巨大な需要で米国は不況を克服し、世界の中心に躍り出た。歴史の繰り返しがないとは限らない。戦争による乱費か、石油文明に代わる環境・新エネルギーで新たな需要を創造するか。「世界不況」は人類を試すことになるかもしれない。(山田厚史) 〈参考情報〉 日本の対外資産負債残高及び地域別残高計数は日銀ホームページ(http://www.boj.or.jp/)で公表している。 (2008年10月18日付 朝日新聞土曜「be」から)
2008年10月21日
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いつからこんなに涙もろくなったのだろうか。人が死ぬ話の「その日のまえに」を読んだときには、死ぬ話だから当たり前だと思っていた。けれどもこの短編集では、ひとは一人しか死なない。けれども、やっぱり喫茶店や食堂でずいぶんとごまかすのに苦労した。私は家で本を読む習慣を持っていない。もう20数年間、食べる時間が読書の時間であり、ふとした待ち時間が読書の時間だった。だからどうしても人前で読んでしまう。小学生から、中学生にかけて、いじめや、誇りや、不安や、後悔、そしてぱっと世界が開けたときの感動、そんなことに触れて涙がでて止まらない。きみの友だち新潮文庫 重松清重松清は本当にずるい文章を書く。ピュアな彼女や彼らたちが、試練に会う。そして克服していく。押し付けでない感動にやられてしまう。私が子供の頃には「いじめ」という高度に洗練された社会的なパワハラはなかった。と私には思える。だから彼ら彼女たちが極度に「一人ぼっち」を恐れる心情をイマイチ理解しきれていないと思う。でも、「小さい者たち」が必死に頑張る姿にはやはり世代を超えて訴えるものがあるだろう。これは、映画化されているという。この群像劇をどのように処理しているのか、何とか時間を見つけてみて観たい。
2008年10月20日
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「密陽って、どんな街ですか?」チョン・ドヨンが07年カンヌで最優秀主演女優賞を取った「シークレット・サンシャイン」をやっと見ることが出来た。高い瀬戸大橋を越えた。なぜならば、岡山ではついには公開しないということが分った為と、高松では今週限りと言うことがわかったためである。初めて高松の小さな映画館「ソレイユ」にいく。観客は4人だけだった。監督・脚本:イ・チャンドン出演:チョン・ドヨン、ソン・ガンホ、ソン・ジョンヨプ、チョ・ヨンジン、キム・ヨンジェ去年韓国を旅したときに、偶然にもこの映画のロケ地ツアーをしてしまった密陽のオールロケである。密陽(ミリャン)は典型的な田舎町である。去年記事に載せきれていない写真を一部紹介する。30分ほど商店街を歩くとほぼすべての道を歩けるぐらいの小さい町だし、映画を見てもわかるが、何の変哲もない商店街ではある。(しかしシャッター街ではない)店の裏側は民家があって、コミュニティーを形成している。隣にどんな人が住んでいるのか、みんな把握しているのだろう。女子中学生は帰りにはファーストフードや甘いもの店に群がる。映画の中の女子中学生もこのような白いなんのへんてつも無い制服を着ていた。100m歩けば、必ず教会か寺院が見つかる。そして、神はいるのか。赦すということはどういうことなのか、静かに緊張感を持って映画は語りかける。冒頭、ソウルから少し垢抜けた子持ちの女性が引っ越してくる。やがて彼女の息子が理不尽にも殺される。女性はどのように気持を整理していけばいいのか‥‥‥。最初のチョン・ドヨンは、普通の人として登場する。ちょっと若めの女優ならば誰でも演じることが出来るのではないか、と言うような存在感。ところが、息子が死んだ辺りから彼女の表情から一時たりとも目が離せなくなってしまう。まるきり表情をなくす顔、一挙に溢れて泣き崩れる顔、殺人犯との面接のときのなんともすごい表情、しだいに狂って行く表情、ラストの表情。これだけ表情だけで雄弁に語る現代女優を私は知らない。韓国はキリスト教社会である。熱心なキリスト信徒の日常をここまで描いて、そして最期は突き放す、さすがイ・チャンドン監督。一筋縄ではいかない。なんのへんてつもない街で、なんのへんてつもない一人の女性が、事件とはなんのか変わりもない自分の父親を天空に睨みながら「まけるものか」と呟く。思えば、彼女と父とは何10年間の戦いだったのだろう。右往左往しながら、狂気に逃げ切ることもできない彼女の戦いはこれからも続く。監督にとって、決して特別でない女性と言うことが何よりも大切なことだったのだろう。傍らにいるジョンチャンのことはすでに気がついていると思う。彼を赦す(愛する)ことが出来るのはいったいいつのことになるのだろう。香川に来た以上は当然昼も夜も讃岐うどんでした。三軒梯子をしましたが、うどん市場天神店の温玉ひやかけうどん(小)270円のうどんのコシが絶品でした。
2008年10月19日
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朝ちらりと書いたが、朝日新聞の別刷り「be」のbetweenと言う企画で毎週アスパラ倶楽部8000人からアンケートを取って結果を公表している。今回のテーマは「小泉改革路線は「功」「罪」どちらが大きい?」と言うものでした。結果は功罪相半ばするどころか、「罪」の方が大きかったとする回答が51%で、「功」が26%のほぼ倍というものでした。そう判じる最大の理由は「格差を助長した」が圧倒的でした。(1085人)次に「非正規雇用が増えた」(185人)「政治が劇場型になった」(177人)「社会保障改革が中途半端」(158人)等々と言うものでした。一方「功」の人の根拠は「郵政改革を断行」(309人)「国の借金体質に歯止めをかけた」(162人)「リーダーシップを発揮」(161人)「自民党を変えた」(137人)というものでした。こうやって見ると、功の人たちも「まだ夢覚め已まない」人たちばかりのようです。こういうアンケートもいい。けれども、郵政改革とはなんだったのか、きちんと総括して欲しい、と切に思います。過疎地の郵便局がなくなってどれだけの地域で年金がもらえなくて困っている人たちがいるのか、郵便局の国民の巨大な貯金がマネーゲームに使われ始めていることにどれだけの人が気がついているのか、きちんと総括して欲しい。リーダーシップとは何か、もっと考えて欲しい。自民党は変わったのか、その上で判断して欲しい。それは新聞の役割です。蛇足ですが、とかいてこの記事の終わりに載っています。元首相が後継に二男を指名したことについては「すべきではなかった」「らしくない」が4分の3以上にのぼりました。
2008年10月18日
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今チョンドヨンさまの「シークレットサンシャイン」を観に瀬戸大橋を渡っている途中なので手短に書きます。 今日の朝日別刷りのBeは面白い。「金融危機を読み解く」「アンケート小泉改革の功罪」では明快な結果が一面の映画バイヤーの話も非常に興味深い。先ずはお知らせまで。
2008年10月18日
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最初著者の半自伝「在日」の中で自分はうつ病にかかっていたと告白していたのでてっきりその体験を詳しく論じた本かと思っていた。ところが、それはほとんど書かれていない。あくまでウェーバーと漱石の著作を借りて一般論としてすすめる。そのストイックで頑固な書き方がいかにも著者らしいと感じた。悩む力この本は「悩み相談ハウツー本」としてよりは「夏目漱石読本」として読んだほうが、案外期待に応えることが出来るように思う。「三四郎」「門」「心」「それから」「行人」「明暗」等々漱石の「悩む力」をうまく引き出しながら論じている。この本は著者の誠実な生き方を反映してお勧めの本なのだが、この文章が素晴らしいと特別抜き書きするのが難しい。(私の理解力不足?)一方でこの本が売れているという。そのことに現代の深刻な状況があるのだと思う。答えは見つからないけれども、どうも不安だ。自分はダメな人間だ。本当にダメなのか?そんなときにはこの本は役に立つだろう。あなたの不安は実は漱石の不安でもあり、私の不安でもあると。例えば「精神医学者で思想家のV.E.フランクルは、人は相当の苦悩にも耐える力を持っているが、意味の喪失には耐えられないといった趣旨のことを述べています。」といいながら、アウシュビッツの強制収用所で、年齢の上でも体力でも劣る自分が生き残り、強健で若い人が死んでいったりした例を述べます。「命を粗末にしてはいけない」という素朴な「慣習」で自殺を食い止めていた昔とは違い、「自由」が進んだのと引き換えに個人は「寄る辺のなさ」を味をなくてはならなくなっている、著者は論じます。「心」のなかで先生は同じようなことをいいます。それでも最期には先生は「私」に手紙で打ち明けてくれた。そこに著者は「人と人とのつながり」の中に希望を見るのです。単純に「死んではいけない」とは、私には言えません。でも、「人との繋がり方を考えて欲しい」とは言いたいのです。繋がるためにはどうしたらいいかを考えて、その意味を確信できたとき、たぶん「生」も「死」も両方、同時に重みを取り戻すのではないかと思うのです。そう信じたいのです。閑話休題終章では著者の夢について語っている。なんと前に私が紹介した「アリランの歌」を映画化したいというのである。「南北統一の暁に日中韓米ロ共同で制作するのです。シリアスに作ると当たり前になってしまうので、ミュージカル仕立てにします。映画のオープニングシーンは、満州の原野のロングショットで、ひとりの男が歩いています。彼はアリランの歌を口ずさんでいて、そこにカメラが次第にズームアップしていきます。男と言うのは、もちろん私です。」著者はずいぶん鬱屈した人生を送っているので、開放された暁にはこれくらいのことはやりかねないと、私は思った。確かに「アリランの歌」で書かれていることは、歴史的な事実であるのと同時にキム・サンの波乱万丈のドラマでもあるので、映画化は私も夢想した。けれどもミュージカルはちょっとやりすぎだろうと思う。確かにシリアスになると、マイナー作品になる畏れはあります。それは避けなくてはいけないけど、南北統一と言う世界的事件がもし実現できたならば、そのとき日中韓米ロ共同が実現できて、有名監督が作り、そこそこ有名俳優が出演すれば、十分世界配給が出来る大作にすることが出来る。そのとき主人公はもちろん著者ではない。著者にはキム・サンの生涯の同志、金一教授をしてもらおう。
2008年10月17日
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この前の日曜、映画サークルでのこと。私がナタリー・ポートマンのファンだということは周知の事実で「この映画は見た?」と聞かれた。「えっ知りませんよ」「岡山市のシネコンだけでやっているから見落としたのね」「知りませんでした。情報ありがとうございます、必ず見に行きます」「ナタリーのファンだからねえ。でも行ったら後悔するかも……」ということで見に行きました。ちょっと遠い映画館。22:05上映。家に帰ったころは01:00を過ぎていました。監督 : ミロス・フォアマン 出演 : ハビエル・バルデム 、 ナタリー・ポートマン 、 ステラン・スカルスガルド 、 ランディ・クエイド 、 ホセ・ルイス・ゴメス 、 ミシェル・ロンズデール 、 マベル・リベラ 18世紀末のスペイン。宮廷画家に任命されながら、権力批判と社会風刺に富んだ作品も精力的に制作し続けるゴヤ。彼が手がけた2枚の肖像画の人物―裕福な商人の娘で天使のように美しいイネスと、異端審問を強硬するカトリック教会の神父ロレンソ―が運命的に出会う。異教徒の疑いで捕えられたイネスを救ってほしいとゴヤに頼まれたロレンソは、拷問を受け牢に繋がれたイネスに面会し、思わず抱きしめるのだった。(goo映画より)映画の中では、ゴヤは単なる傍観者になっている。主人公は「ノーカントリー」で強烈な「悪」を演じたハビエル・バルデム(神父ロレンソ―) 、そして居酒屋でたまたま好き嫌いで豚肉を食べなかっただけで異端尋問にかけられユダヤ教だと告白させられて15年牢に閉じ込められるポートマン(イネス)である。彼女がナポレオンのスペイン侵攻で釈放された時の姿は確かに「見たら後悔する」ほどにボロボロになっていました。いやあ、役者魂です。私はこんなのは大好きです。口がひん曲がってしゃべるさまは最高です。バルデムを食っていました。実はこの映画の見所は時代の波にのまれる三人の人物ではない。幾枚も幾枚も映画の大画面で示されるゴヤの「絵」である。実にしっかりとしたデッサン。そしてそれを超えて心の醜さを見事にキャンパスに描き切る。一方では、宮廷の細かい装飾類も忠実に写し取る。天使のような女と微妙に醜い女を描く、ゴヤの「天性」。心情的に常に庶民に寄り添う絵を描くことで偶然にも、動乱のスペインをも描くことになった。ということがよく分かる映画でした。映画の中で、ゴヤは右往左往しているだけのように思えるけれども、あの時代、いったい何が虐げられていて、何が醜くて、何が美しかったのか、一番知っていたのではないでしょうか。堀田善衛の「ゴヤ」を読んでみたくなった。
2008年10月16日
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9月に千葉に行ったときに、NPO法人自立生活サポートセンターもやい事務局長/反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんの話を聞く機会がありました。ずいぶんと遅くなりましたが、その講演の内容と若干の感想を書きたいと思います。話の大半すでに湯浅氏の著書「反貧困」の紹介のときに述べられていることとダブるので、そこと重ならないところをできるだけ書きたいと思います。今「もやい」では、様々な人からメール等がやってくる。昔とは違い、今は高齢者、若い人、家族持ち多種多様です。この「もやい」の存在を知って連絡してくる人はまだいい。普通の人は知らない。連絡してきた人も、そもそも困ったら役所に行くということを思わない。110番、119番の電話番号の意味は知っている。でも食って行けなくなったときにどうすればいいのか、誰も知らないのだ。(韓国では希望の電話129番というのが広く知られている)わたしたちのことを知っている人はラッキーである。ラッキーじゃないと生き残れない社会とは何なんだ。社会保障がしっかりしていないと労働の質は保たれない。おれたちは生活に困っている。けれども、おれたちは労働の質の安売りはしない。社会保障と賃金のバランスは議論しなくてはならない。フランスは低コスト生活ができるから、すべてフラット型(年功序列型ではない)である。日本は中コスト生活をめざしながら、なだらかな賃金カーブを描くのがいいのではないか。写真を見てもらいたい。(私の汚い字のメモがあるけれどもそれは無視してください。)黒い太い横線は貧困ラインである。昔の日本はまる型だった。中間層に分厚かった。今の日本は縦長のだ円形です。貧困層は154万と拡大し、中間層は先細りし、富裕層は非常に増えた。年収1憶円以上の層はなんと150万人。やがては、中間層がさらに細っていき、アメリカのようなひょうたん型になるだろう。これでいいのか!反貧困ネットワークのシンボルは「ヒンキー」という。あれはオタマジャクシじゃないですよ。あれは幽霊なんです。つまり見えにくい、世の中が関心持たないと大きくなる。関心を持つと、安心して成仏するんです。いま全国を回って「反貧困全国2008キャラバン」をしています。10月19日(日)に東京明治公園でゴール地点で大集会をします。ぜひ皆さん来てください!この人がいなかったならば、この急激に増大した貧困層のどのくらいの人が路頭に迷ったままでいたのだろうか。この人がいなかったならば、ネットカフェ難民の発見はずいぶんと遅れていただろう。この人がいなかったならば、この幅広い反貧困の連帯は実現していただろうか。実に実践的なところから議論が始まるので、非常に説得力がある。それと同時に、将来展望についても明確なビジョンがある。つまりこのような人を「思想家」というのだろうと思う。
2008年10月15日
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今日、14日、17:34:20にめでたく50万アクセス突破しました\(^o^)/この前後にアクセスくださった方、ぜひとも自主申告してきてください。素敵なプレゼントが(^_^;)待っています。特に、 *.nttpc.ne.jpさんと*.sapporo-u.ac.jpさんには自主申告してきていただきたい。ちなみにYahoo!ケータイは私です。自爆しなくて良かった(^^)明日まで待ちます。出てこなかったならば、一番近い楽天ユーザーのabi.abiさんにお伺いを立てようかと。ちなみにアクセス記録はこうです。500004 2008-10-14 17:40:13 ***.secureserver.net 500003 2008-10-14 17:37:04 ***.yahoo.net 500002 2008-10-14 17:36:38 *.eonet.ne.jp 500001 2008-10-14 17:35:16 *.sapporo-u.ac.jp 500000 2008-10-14 17:34:20 *.nttpc.ne.jp 499999 2008-10-14 17:33:54 Yahoo!ケータイ 499998 2008-10-14 17:31:32 *.sapporo-u.ac.jp 499997 2008-10-14 17:31:23 65.55.*.* 499996 2008-10-14 17:30:47 abi.abiさん プレゼントは「読書感想文」です。お好きな本を選んでいただいたら、私が誠心誠意を持って読ませていただき、読書感想文を書かせていただき、TBさせていただきます。。えっ、いらない?まあ、それはそれ(^_^;)これを機に少し模様替えをします。結局「くま」つながりです。また、せっかくお気に入りに登録してくださっているのに、こちらから登録していなかった方の幾人かをこの機に登録します。よろしくお願いします。
2008年10月14日
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いまサンクスで買った「謎の白いパン」というものを食べながら書いているのですが、白パンにホイップクリームと甘醤油ソースをサンドしたのだそうです。いったいどこが「その謎を、愛そう。」なのやら……。(普通の白パンでした)。フジテレビがタイアップして、このようにコンビニもタイアップして、そうして観客は若い女性とそれに連れられてやってきた男どもばかり。かくいう私も結局そんな宣伝に連れられて、一応は見ておくかと観たわけです。監督 : 西谷弘 原作 : 東野圭吾 出演 : 福山雅治 、 堤真一 、 松雪泰子 、 金澤美穂 、 柴咲コウ もしも、原作を読んでいなかったらならば、それなりに感動しただろうか……。よくわからない。確かにあのトリックは秀逸ではあるのだが……。堤真一は頑張っていたと思う。しかし、原作とおりにするのだとしたら、原作の弱点であるラストの後味の悪さをもっとわかりやすくするべきだった。ほかにも原作での弱点がいくつかあったのだが、それも全く手つかずに映画化になってしまった。いったいどこが「その謎を、愛そう。」なのやら……。(普通の映画でした)。
2008年10月13日
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6月ごろから完全復帰して以降、順調にアクセスが進み、どうやらこの14日前後で50万アクセスを達成しそうです。今まで最短です。本当にありがとうございます。さて、恒例の記念行事(^_^;)ですが、今までの記念記事を捜してみました。1万アクセス記念記事 碧落さんに捧げる2006年03月02日宿題提出します「23分間の奇跡」 10アクセス記念記事 ももたろうサブライさんに捧げる2006年06月27日二題話あるいは「嫌われ松子の一生」幻の脚本 20万アクセス記念記事 abi.abiさんに捧げる2007年01月28日三題話「愛情物語」 30万アクセス記念記事 ribon5235さんに捧げる2007年08月15日わたしの歴史、影響を受けた本、趣味 40万アクセス記念記事 abi.abiさんに捧げる2008年06月19日1873年モンマルトルの丘 今回読み直してみて、すべて思い出深い記事なのですが、特に最初の一万達成記念記事の碧落さんに捧げた「読書感想文」が感慨深くしかも、後悔の残る記事でした。提出が遅れたということもあるのですが、結局「この本は何が云いたいのか、わからない」ということが結論になっているのです。なんかもう一回やり直したくなってしまいました。と言うことで、今回は読書感想文にします。50万アクセスをふんでいただいた方はぜひ自主申告してください。もし自主申告がなかった場合には、一番近い楽天ユーザーにお伺いを立てます。プレゼントは「あなたが希望する本を私が読んで読書感想文を書く」と言う、人によってはあまり嬉しくない(^_^;)プレゼントです。本はたとえ「資本論」でも「大菩薩峠」でも「源氏物語」原文でも指定された本を誠実に読む覚悟です。書いてて、だんだん冷や汗がでてきた(^_^;)
2008年10月12日
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株安円高である。去年の今頃韓国ウォンが100W=12.6円だったのに、今は7.1円。今こそ韓国だ!!と興奮してばかりはいられない。理屈ではこの金融危機は回りまわって我々の生活に直撃するということはわかっても、いかんせん、経済おんちなものだ゛からピンと来なかったのたが、先日わかりやすいたとえを聞いた。「例えばうちの所では、退職金積み立てが、すでに含み損で十数億円失っている。この株価で固定するとして、健全経営に戻そうとしたら、毎年一億以上の特別損失を中間決算で計上しなくてはならない。そうなると当然給料やいろんな所にしわ寄せが行くだろう」と耳学問で聞きました。今年のボーナス相場は厳しそうです。それはすなわち、景気の悪化に直結します。金融危機回避のために、各国ともに税金を投入するらしい。日本の過去のやり方が評価されています。けれども、本当にそうだったのか。金融危機を回避するという目的は良かっただろう。けれども、バブルの泡は結局庶民には戻ってこなかった。あのお金はどこに行ったのか。日本じゃないかもしれないが、どこかで金持ちが吸い取って行ったのではないか。内橋克人の「悪夢のサイクル」の紹介でネオリベラリズム循環のことを書きました。「つまり自由化によって、海外からの資金が集まりバブルが起こるのです。このバブル経済が、くせもので、企業だけでなく自治体も借金をしまくるわけです。経済が膨張していますから、借金をしても、すぐに返せると考え、財政規律が緩みます。そしてバブルがはじけます。そのとき、資本はいっせいに海外に逃避し、国、自治体、銀行、企業は一挙に不良債権を抱えます。そしてリストラを始めるのです。このとき、さまざまな規制緩和などの「改革」がまたなされます。そして国や自治体、その国の企業の価値が、安く評価されているときを狙って一気に海外資本がなだれ込む、この繰り返しが果てしもなく続くということなのです。」あの循環の表の通りになっているような気がします。思ったよりも早く、一国だけではなく、世界のバブルがはじけたようです。資本は今いったいどこに逃げているのだろうか。今まで散々溜め込んだお金はいったい何処にプールしているのだろうか。もういいかげん、こんな馬鹿なことを許してはいけない。世の中には、私より経済のことがよくわかってカシコイ人ばかりなのに、シカゴの変な教授たちの説(新自由主義)にしがみついてばかりいないで、そろそろこの循環をとめるべきなのではないか。経済のことはよくわかりません。誰か、その意見は違うよ、と言う方はいますか?
2008年10月11日
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天国に行って、天使ガブリエルに出会ったとき、彼はなんといったか知っている?「あのよー」「風のガーデン」を見た。連続ドラマの初回を見たのは、5、6年ぶりかもしれない。緒方拳の遺作と言うこともある。「北の国から」以降はじめて見た倉本聰のドラマということもある。どうやら、ガンで死ぬ男の話と言うことが、最近の経験と重なるということもある。びっくりした。倉本聰が「ER」ばりの情報量の多い脚本を書いている。【脚本】 倉本 聰 【統括プロデュース】 中村敏夫(FCC) 【プロデュース】 若松央樹(フジテレビ)浅野澄美(FCC) 【演出】 宮本理江子(フジテレビ) <出演>中井貴一 (白鳥貞美) 黒木メイサ (白鳥ルイ) 神木隆之介 (白鳥 岳) 伊藤 蘭 (内山妙子) 奥田瑛二 (二神達也) 緒形 拳 (白鳥貞三) 富良野で在宅医療を中心に医者をやっている老先生は14歳の孫息子とイギリス留学から帰ってきたばかりの孫娘と暮らしている。孫息子は知的障害があるが、記憶力と音感は抜群にいい。孫娘はおばあさんとお母さんの残した「風のガーデン」を受け継いでガーデニングをしている。父親は東京の医大病院で麻酔医をしているバリバリの現役。孫の母親は6-7年前に亡くなっている。老先生と息子はどうやら絶縁状態にあるらしい。東京で片時も暇が無い忙しい仕事をしている傍ら、二人の恋人を持っている若先生にガンの兆候が見える。緊張感のある画面がずっと続く。おやおや、日本のテレビドラマってこんなにすごかったんだ。ただ、長い間韓国ドラマを見ているものにとって違いも見える。韓国ドラマは最初の3-4回が怒涛の展開で、そこで提示された「恨」の解決がすべてになる。しかし、日本の場合は「起承転結」ゆっくりと始まるのである。登場人物は出てくるが、それぞれが何に拘っているのか、まだ全然わからない。すい臓がんが今回頻繁に出てくるようだ。このガンは見つかったときにはすでに手遅れであることが多い。レントゲンにもなかなか映らないので、痛みが出たときには進行しているのである。急に血糖値が上がり、私の父親は気になって医者にかかったのに、最初は糖尿病が悪くなったと診断された。半年後痛みがずっと続くので初めてCTを撮ってわかったのである。だから主人公がもし手遅れのガンになったとしても、それはそれで仕方ないだろう。「人は必ず死ぬ。」緒方拳は次回その様に呟くようだ。ちっょと目が離せないドラマが出来た。困ったものだ。
2008年10月09日
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大阪の個室ビデオ店の火災事故では、さすがに犯人の男は格差社会の犠牲者であるという声はあまり聞こえてこない。広義ではそうなのだろうが、生活保護を受けてギャンブルでお金を使い果たして自暴自棄になったと聞かされたら、やはり何をかいわんや、と言うことになる。けれども、可哀相なのは、15人の犠牲者と多数の負傷者である。そのなかの多くがあそこで寝起きしていたのではないか、それこそ格差社会の犠牲者が犠牲になったのではないか、と想像していたのたが、やはりそうだった。それを裏付けるリアルな実態を「親不孝日記」のじゅん2550さんがレポートしてくれている。なんで、怪我人を休ませてあげれない?! ミナミの深夜の個室ビデオ店の火災。ここで寝起きしていた人のひとり、九死に一生を得て、搬送された。両眼角膜上皮剥離。痛くて痛くてたまらない。しかし、彼は、「今から仕事にいく」と言ってきかない。なぜならば、「どうしても、自分で行って話をしなければならない、でないと、仕事を失う。」ということなのだそうだ。(詳しくはじゅんさんのブログを見てください)話の内容から、彼が正規社員である可能性は少ない。すぐに仕事がなくなる危険をはらんでいるのならば、日雇派遣の可能性が高いと思う。イヤ、日雇でなくてもこのような派遣や委託の会社は多い。しかしまともな会社ならば、緊急の休みを認めるはずだ。こんな会社は例外なのではないか。と思うような人は現代の委託派遣の実態を知らないのだろう。私の知っている配達を委託されている会社の社員などは、「骨折をしても、労災を認めるどころか配達に無理やり行かせた」「風邪をひいて朝病院に行き、医者から休めといわれて上司に電話したらすぐに出てきて配達に行けといわれた」「配送中の事故は自己責任で処理しなくてはならない。無事故無違反手当てがなくなったならば、給料がごっそりと減る。」等々と理不尽なことが山ほどある。経営者は、弱いところから金を搾り取る、ということをこの10数年間に学んだ。いや、はじめから知っていたのだが、それを指摘する労組は18%に落ち込んでいるから無いに等しい、法律すれすれ、あるいは少々法律を破っても何とかなるということを学んだのである。ひとりでは、点眼もできないはず。公園で寝てるんとちやうやろか。だいじょぶか!と、じゅんさんは心配する。
2008年10月07日
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緒方拳が亡くなった。あまりにも突然の死にしばし呆然とする。日本映画界は後もうしばらくしてやっとこの名優の喪失の意味を知ることになるのかもしれない。最近の映画では、なんといっても去年マイ邦画ベストワンだった「長い散歩」が思い出される。誠実だけど、コミニュケーション下手だった男が人生の落とし前をつけるように一人の女の子に相対する。ほかには「蝉しぐれ」で、主人公の一生を決めた「父親の最期」を静かに強く演じ、「隠し剣鬼の爪」では飄々とした悪役をふらふらと演じた。「ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌 」が映画の遺作になるのだろうか。こんなことなら映画館で見ておくべきだった。名優のぬらりひょんと言う悪役を。過去の作品では「大誘拐 RAINBOW KIDS(1991) 」「女衒(1987) 」「北斎漫画(1981) 」などが思い出される。そしてなんといっても「復讐するは我にあり(1979) 」だ。大学一年生のとき、映画館で見た。なんの話なのかは実はよくわからなかった。ただ男の「実存」に圧倒されたような気がする。連続殺人鬼なのだが、一方では(当たり前だが)「人間」なのだ。そういう映画を若いときに見ることが出来たのは幸せだった。ご冥福を祈ります。
2008年10月07日
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本当は長い長い前ふりを書こうと思っていた。例によって、本の内容とは直接関係ないことで、私の経験のことを書こうと思っていた。けれども、書こうとして書けなくなった。覚えていないということではない。もう2年半前になるけど、はっきりとあのときの会話や気持や風景は覚えていて、決して忘れない10分間ほどの時間だった。きっちり書けば軽く制限の5,000字を越える。書くことで、この本の本質も伝えることが出来るかもしれないし、私にも防備録になるし、父親が生きていた証にもなるかもしれない‥‥‥。父から病気のことを教えてもらったときのことである。でも書けなくなった。不遜だと思った。馬鹿なことを考えていたと後悔した。よってこの本のこの一節を書き写して、この本の紹介としたい。この本は、ガンで死んでいく人々のことを扱った連作短編集である。その日のまえに 精密検査の結果が出るまでの一週間で、最悪の事態の想像は、塗り絵を仕上げるようにあらかた済ませていた。毎晩、会社帰りに一人でカラオケボックスに入った。マイクがハウリングを起こすほどの大声で叫び、ソファーのクッションを壁に何度もぶつけ、タンバリンで頭をめちゃくちゃに叩いた。運命としか名づけられないものにありったけの罵詈雑言を浴びせたあと、子供のように泣きじゃくった夜もある。自ら望んだ告知も断ろうかと携帯電話を何度も開いたが、そのたびに、妻に重荷を背負わせるのはずるいだろうと思いなおした。自分が死んでしまうことよりも、父親を喪ってしまう子供たちの悲しみのほうが胸に迫る。子供たちの寝顔を見た後はトイレに入って涙ぐみ、朝になって「おはよう」の挨拶を交わしたあとは洗面所で顔を洗いながら、やはり涙ぐんだ。 そんな一週間を過ごしたせいか、実際に告知を受けてみると、自分でも驚くほど感情は平坦だった。冷静に事態を理解して受け止めているというより、感情のどこに爪立てればいいのかわからない。「胸にぽっかりと穴が開く」と言うのは、ただ言葉だけのものではないのだと初めて知った。例えば、「潮騒」の主人公の男はこのように反応した。ひとりひとりに不幸は違う色でやってくる。小説だからこそ書けることがある。重松清以上に私にそのことが表現できるはずもない。不遜だったというのはそのことだ。「電車のかなでは決して読んではいけない小説」と言うことで、テレビで紹介されたらしい。その通りだと思う。それに付け足していう。イオンショッピングセンターのフードコーナーのような人前では決して読んではいけない本である。
2008年10月06日
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このような映画が作られるようになったのは、一つの危機意識の現われなのだろう。けれども、出来ることならリアルな話にして欲しかった。監督 : 瀧本智行 原作 : 間瀬元朗 出演 : 松田翔太 、 塚本高史 、 成海璃子 、 山田孝之 、 柄本明 、 劇団ひとり 、 金井勇太 、 佐野和真 、 井川遥 、 笹野高史 、 風吹ジュン 「国家繁栄維持法」が施行された日本。子供たちは小学校入学時にナノ・カプセルが注射され、その中の誰かが18歳から24歳の間に、国家のために24時間後に死ぬという設定。確率は1/1000。松田翔太がイキガミを公務員として配達する。彼の仕事は本人か家族に確実に配達するだけ。「過度の本人への干渉」は違法ということになっているらしい。24時間の間に自暴自棄になって犯罪を起こそうものなら、残されたものには大きな補償が課される。一方、国家のために死ねば、家族には遺族年金が払われる。そうやって、ありがちな犯罪(国家破壊活動)への防止措置は出来ているという事らしい。とつぜん24時間と言うのがなんとも過酷だ。一応感動話は作っている。けれども、やっぱり漫画原作らしく、どうも薄っぺらと言う感じがしてならない。このような法律が出来ているわりには、社会のありようがそれ以外は全く変わらないというのはリアルじゃない。普通の人々の会話の端々にもっと管理社会としての「恐ろしさ」が見えてもよかった。常に街頭カメラによって主人公を監視している映像は映るのだが、それも現代でもすでに実現していることではある。イキガミが来たときの本人や家族の反応、本人が死を迎えるときの細かな表情の変化、そんなことをもっと演出して欲しかった。当然このような社会になっているとしたら、反対政党や団体はすべて非合法化されているはずである。だから反対運動は地下にもぐっていて、この映画には一切出てこない。ある人間の一つの言葉意外には。ともかくこのような映画ができたことが、この10年間の日本の変化なのだろう。後世日本映画歴史研究者が、たった一行、「この時代を反映して、このような映画も一本作られた」と記述するだけの日本に将来なって欲しいと思う。
2008年10月05日
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韓国ドラマ「ファッション70's」(28話)を見終えました。「光州5.18」で主演女優のイ・ヨウォンの主演だということだったので見たのです。彼女は映画「子猫をお願い」でペ・ドゥナの向こうを張り、上昇志向の強いキャリアウーマンを演じて実質デビューを飾り、李朝時代の商人を描いた「大望」で主人公の恋人の女医者を演じて存在感を示していたのですが、そのあとすぐに結婚したらしくいったんは芸能界を引退、そしてこのドラマで復帰したというのです。イ・ヨウォン、なかなかいいんですが、チョン・ドヨンのような演技派のオーラは感じません。後しばらく様子を見ようと思います。ポニーキャニオン ファッション70’s BOX-I製作: 2005年 韓国監督: イ・ジェギュ出演: イ・ヨウォン(ドミ) / キム・ミンジョン(ジェニ) / チュ・ジンモ(ドンヨン) / チョン・ジョンミョン(ビン)ファッション界に身を投じる女2人とそれを見守る男二人との四角関係という韓国ドラマの王道なのですが、いくつか違うところがあります。ひとつは始まりが朝鮮戦争だということ。韓国ドラマとしては珍しい時代設定です。朝鮮戦争が勃発、親とはぐれてしまったガンヒとジェニの女の子仲良し二人組は二人だけで軍隊のズボンを盗んで売りながら生きていた。将軍の息子ドンヨンとデザイナーの息子ビンとジェニの父親、ガンヒの母親は二人を捜していたのだが、あともう一歩のところで、2人は軍隊の哨兵に撃たれて行方不明になる。ジェニは死んでしまったと思い込んだジェニの父親はガンヒをジェニとして育てることにする。ガンヒの母親は養生所で記憶喪失になったジェニを見つけ、貧しいながらも養女ドミとして島で暮らす。それから17年後の1970年、繊維会社の社長の娘として育ったガンヒことジェニは努力して美しく聡明なデザイナーの卵に。島の娘として育ったジェニことドミはたまたま訪れた大統領補佐官のドンヨンと再会するがお互いまったく気がつかず。二人は恋に落ちるが、政変に巻き込まれて秘密裏に帰ったドンヨンを追ってドミもソウルへ。その途中で会った有名デザイナーの不良息子ビンはドミに一目ぼれ。そしてソウルではなんとドンヨンとピンとジェニ(ガンヒ)は友人関係。しかもジェニはドンヨンにべたぼれ。……とまあ、こんな展開です。北朝鮮の戦線が突然動くことで、多くの住民が大移動を余儀なくされ、その過程で離ればなれになったり死んでしまった家族も多いことだろう。そのあたりがかなりリアルに描かれています。注目すべきは、典型的な四角関係なのですが、どろどろの恨み関係ではないのです。ドミはジェニにとってはドンヨンをめぐる恋敵、またドンヨンはビンにとってはドミをめぐる恋敵のはずなのですが、一方では、ドミとジェニは別れ別れになった昔の友人、ドンヨンとピンは兄弟ともいえる友人関係。……わかりますか?この関係。20話ほどまでにドミの記憶が戻るまで、思った以上にどろどろの関係にはならないのです。ジェニは早くからすべてに気がつくのですが、だからこそドミを恨みきれないのです。本当は「生きていてうれしい」と言いたいのにいえない。ドミとジェニは70年大阪万博に出品するデザインをめぐるライバル関係にもあります。このあたりが案外さわやかな対決になっていて興味を続けさせます。一方では、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が割と「いい役」で出演になっていて、現代韓国国民にとっての朴正煕像の一端が分かるというおまけもあります。ところが、最後の最後になってまるで今までの設定をかなぐり捨てるように一気に悲劇モードになってしまうのです。これには全く驚きました。以下はネタばれ。それでもいいという人は文字を反転してみてください。ジェニはドンヨンがドミを選んだこと、父親がドミを娘として迎えジェニを養子として迎える決定をしたことで捨てられたと思ったこと、母親が自分にもとを去ったことで捨てられたと思ったことで、自暴自棄になり睡眠薬を飲んで死のうとしたところ誤って父親が飲み、死んでしまう。ジェニはショックを受けてそのまま父親殺人犯人として死刑を受けてしまうのである。もとは朝鮮戦争が生んだ親子の離別の悲劇でした。その悲劇の交差した糸をとき解すのに途中まで成功するのに、最後のところで失敗するのである。最後はドミのデザイナーとしての成功ドンヨンとの恋の成立で終わるのですが、私にはとってつけたようなラストとしか思えませんでした。(ところがこのドラマラストのあたりで視聴率が急上昇、最初15%から始まったのに、30%を越えたようです)視聴率に困ったプロデューサーが突然悲劇に切り替えたのではないかと推測します。韓国には「恨(ハン)」という言葉があります。よく「恨を解く」というようです。この韓国ドラマも子ども時代はすべて「恨」の発生物語です。それを24話くらいかけて解いていく。死んでいたと思っていた友人や親子が生きていた、けれどもそれに気がついた時には素直に喜べない状態になっている。私なんかは時々、どうしてそんなにこだわるのだ、水に流せはいいじゃないか、と本気で思います。だって不幸になるのが見ていられない。けれども不幸になってもいい、解くということ事態が彼らの生きがいなのだ、とふと思いました。つまり韓国の人たちは、物事が「流れる」「なる」ことに耐えられないのでしょう。戦争は庶民にとっては「なる」物語です。だから「恨」が生まれる。それを解くためには行動を起こさなければならないのでしょう。そのために新たな「恨」が生まれたとしても。(だから大規模なデモが起こる)実際、このドラマもいくつかの「恨」は生れて終わったはずです。けれどもそれは次の時代が解決する問題ではあるのです。
2008年10月04日
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私はおろち。人の運命を見守る。少年サンデーを毎週欠かさず立ち読みで読んでいたにもかかわらず、楳図かずおのこの作品(1969年25号~1970年35号に連載された)に関しては、恐ろしいほどに記憶がない。絶対に読み飛ばしていたに違いない。そういえば、「猫目小僧」にしても「漂流教室」にしても、あまりまともに読んだ覚えがない。私はあの絵柄が嫌いだった。何よりも恐ろしかった。と言うわけで、あまり食指は動かなかったのだが、悪い噂は聞こえてこないので、念のために見ることにした。代々続く名門一族、門前家の女主人、門前葵は自信に溢れた銀幕の大女優で、いつも自宅の試写室に篭り、自分が出演した場面を繰り返し見ては満足そうに笑っていた。ある日、葵は試写室のスクリーンに映る自分の顔を見て青ざめる。そして、階上にある“決して開けてはいけない部屋”に駆け込んだ。代々門前家の女は、29歳になると美しい顔が醜く崩れ落ちる運命にあるのだ。美しい女の悲しい運命を、おろちが見つめていた…。(goo映画より)監督 : 鶴田法男 脚本 : 高橋洋 原作 : 楳図かずお 出演 : 木村佳乃 、 中越典子 、 谷村美月 、 山本太郎 、 嶋田久作 出演者はほぼこの五人に絞られ、舞台劇を観るかのように進んでいく。怖くなかった。古い洋館のなかの心理劇。ラストに向かって畳み掛ける悲劇。脚本はうまいし、木村佳乃 と中越典子は頑張っていたと思う。中越典子はいままで甘えべた恋愛べたの弱い女の子の役が多かったのであるが、その印象をうまく生かして見事に脱皮したと思う。姉妹バトルは迫力はあった。けれども監督の意図なのだろうか、バトルの部分、本当はもっと恐ろしく、どろどろしたものにすることは出来たと思うのであるが、どうも乾いたバトルになってしまい、恐怖がなかった。良かったのか、悪かったのか。「美」に対する女性の執着を描いているのだろうか。見る人にとっては恐ろしいのだろうか。私はピンと来なかった。谷村美月、勉学の方は一段落ついたのだろうか、だんだんと映画出演が多くなってきた。「カナリア」で衝撃的なデビューを果たし、そろそろ代表作を手に入れて欲しいものである。
2008年10月03日
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今さっき、やっと麻生太郎の「所信表明演説」なるもの聞いた。帰ってメールを開くと「麻生内閣メールマガジン創刊準備号」なるものが来ていた。小泉のときにメルマガを取っていて、勝手に終了、かってに差出人が変わって始まることこれで三回目。まあ配信停止手続きをしてこなかった私が悪いのです。そこにはこんな文章があった。[総理の使命] 麻生太郎です。平成20年9月24日、第92代内閣総理大臣に就任しました。メルマガ読者の皆さん、よろしくお願いいたします。 総理としての重責をになうこととなり、その責任の重さを改めて感じています。特に、景気への不安、国民の生活と将来への不安、そしてそれらに対して手を打てない政治への不満の危機にあることを厳しく受け止めています。 日本の元気を取り戻す、強くて明るい日本をつくることこそが、私の使命であると思っています。 緊急な上にも緊急の課題は、日本経済を立て直し、生活を少しでも豊かにすることです。すぐさま景気対策、物価高対策に着手します。日本経済は全治3年。3年で日本は脱皮せねばなりません。 私は、日本の底力を信じています。 勤勉な国民であり、優れた技術をもっています。日本経済は、幾度となく厳しい試練に果敢に応じ、その都度、強くなってきました。悲観しなければならない理由など一つもありません。 私は、逃げない政治、責任をもって実行する政治の実現に一身を賭します。そして、強くて明るい日本、私たちが国民として誇りをもてる日本をつくりあげていきます。(以下略)何か違和感がある。それは何か。「景気への不安、国民の生活と将来への不安」この原因が何からくるのか、ひとっことも書いていないと言うことである。この短い文章の中では書けなかったのか。と思い、そのあと□第170回国会における麻生内閣総理大臣所信表明演説(08/09/29) (政府インターネットテレビ) http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2166.htmlと、あったので約21分のビデオを今まで見ていたのである。やはり「不安」があるという。年金、「長寿」医療制度、雇用制度の見直し、「質」の高い教育、「事故」米、(「」は私が付けました)‥‥‥確かに今ある「不安」を羅列はしている。けれどもその不安が何故生じたのか、露の毛ほども述べていない。私も長い人生のなかで何回か「まとめ」の文章を書いたことがある。(其の他「反省書」も書いたことがある)そのとき、一番重要視されるのは、「これから何をなすか」ではない。「何故こうなったか」である。大きい声を張り上げて、野次が飛ぶのを面白そうに受け止めて、それなりにパフォーマーを考えているのだと思うのだが、原因の総括なくして方針はありえない。「わたしは、その実現のため、現場も含め、公務員諸君に粉骨砕身、働いてもらいます。国家、国民のために働くことを喜びとしてほしい。官僚とは、わたしとわたしの内閣にとって、敵ではありません。しかし、信賞必罰で臨みます。 わたしが先頭に立って、彼らを率います。彼らは、国民に奉仕する政府の経営資源であります。その活用をできぬものは、およそ政府経営の任に耐えぬのであります」まるで大会社の社長気取りであるが、あなたの経営方針は穴だらけだ。「この度、国権の最高機関による指名、かしこくも、御名御璽をいただき、」この現代憲法を無視した「彼の正直な言葉」に最大限の怒りを持ち、必ずこの内閣を倒そうと決意を新たにした次第です。
2008年10月02日
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今日は世間一般では衣替えである。台風が近づいて来ているというのに、ビルの切れ目は雲ひとつない高い空。夏が去り、秋が来た。少し長いけれども、夏の終わりに紹介しようと思っていた詩を書き写す。1950年18歳の少年の詩である。ネロ 愛された小さな犬にネロもうじき又夏がやってくるお前の舌お前の眼お前の寝姿が今はっきりと僕の前によみがえるお前はたった二回ほど夏を知っただけだった僕はもう十八回の夏を知っているそして今僕は自分のや又自分のでないいろいろの夏を思い出しているメゾンラフィットの夏淀の夏ウィリアムスバーグの夏オランの夏そして僕は考える人間はもう何回位の夏を知っているのだろうとネロもうじき又夏がやってくるしかしそれはお前のいた夏ではない又別の夏全く別の夏なのだ新しい夏がやってくるそして新しいいろいろのことを僕は知ってゆく美しいこと みにくいこと 僕を元気付けてくれるようなこと 僕をかなしくするようなことそして僕は質問するいったい何だろういったい何故だろういったいどうすべきなのだろうとネロお前は死んだ誰にも知られないようにひとりで遠くへ行ってお前の声お前の感触お前の気持までもが今はっきりと僕の前によみがえるしかしネロもうじき又夏がやってくる新しい無限に広い夏がやってくるそして僕はやっぱり歩いてゆくだろう新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ春をむかえ さらに新しい夏に期待してすべての新しいことを知るためにそしてすべての僕の質問に自ら答えるために1950年、不登校の息子に業を煮やした評論家の谷川徹三が「お前はどうする気なんだ、大学にも行かないで」と問い詰めた。息子はやむえず「僕はこういうものを書いています」と二冊のノートを差し出す。それを読んだ徹三は友人の三好達治に相談し、その年「文学界」という雑誌に息子の詩が六篇載る。そのうちの一編がこの詩であり、そのノートはやがて詩人谷川俊太郎の処女詩集になる。二十億光年の孤独ここにあるのは、みずみずしい感性を持った若者が人生の朱夏の入り口で畏れそして決意しているさまである。そして僕は質問するいったい何だろういったい何故だろういったいどうすべきなのだろうと若者はそうして戦後の荒波の中に入っていき、58年が過ぎた。私なんかは夏が終わり、人生の白秋をむかえつつある現在、資本主義の矛盾が何度も何度も新しい段階を迎え改憲さえ叫ばれ、先が見えないこの世の中はなんなのだろう、何故なんだろう、どうしたらよいのだろう、と未だに彷徨している。世の中に新しい谷川少年はいるだろうか。
2008年10月01日
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