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2011年05月22日
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「日本と朝鮮半島の2000年(上)」NHK出版
2009年に放映された同名のETV特集は私も欠かさず見ていた。この本はその番組のブック化である。本になると、そこから零れ落ちた話題も入っている。また、本を読んで改めてなるほど、と思ったことも多い。あまり専門的ではないが、一方では最新の知見が得られるという利点もある。ということで、読んでみた。いか、なるほど、と思ったところ(ちなみに私の興味を持っているのは古代のほうなので、一章二章の感想しかありません)。

●勒島には水平な縁取りを持つ弥生土器、抜歯の人骨が出るなど、北九州在来の人の骨があった。一方、壱岐の島には朝鮮半島系の遺物が多く存在する。この頃は、日本とか韓国とかの違いはない。東亜大学のイ・トンジュ助教授が解説する。
●全羅南道の栄山江流域には13もの前方後円墳が存在する。すべて5-6世紀のものである。
●前方後円墳の存在は何を語るか。
広開土王は四世紀末に金官加耶国を一時蹂躙する。このあと、金海は衰える。そうなると、五世紀になって栄山江流域から須恵器や鉄を導入したのかもしれない。大和政権だけでなく、北部九州や西日本も行った。王権レベルとは違う交流があった。この頃はまだ大和王権は全国支配をしていなかった。
●和歌山県の隅田八幡宮には継体天皇と百済の交流を裏付ける「人物画像鏡」がある。
●咸安は安羅加耶があった国。此処の高台に安羅高堂会議が開かれた遺跡がある。任那復興会議の場所である。日本からやってきたのは、的臣(いくはのおみ)、吉備臣、河内直(かわちあたい)、移那し(えなし)、麻都(まつ)など現地在住と加耶人との間に生まれた人物(父親は渡来系氏族、母親は百済人か加耶人)も参加している。彼等は安羅に一時的に滞在していた倭人なのか。彼等は役人というよりか、ひとつの集団。しかし540年ごろ、任那復興会議は失敗する。それまでは独自の外交が出来ていた吉備などの地方豪族は、562年に加耶が新羅によって滅ぼされ、次第にそういう自由がなくなっていく。吉備の衰退はこの頃から始まっていたのかもしれない。





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最終更新日  2011年05月22日 22時10分28秒
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