PR
フリーページ
カテゴリ
カレンダー
昨日の安彦良和「天の血脈」の「日韓同祖論」 が、なぜ気になっていたかというと、最近私のFacebook仲間の間で、韓国の従軍慰安婦のバスでの設置報道を受けて、またぞろAさんの嫌韓意見投稿が、ながいことコメント続出でタイムラインに出没していたのですが、ある日それを受けて韓国人のFacebook仲間のBさんの反論コメントがあり、それに対してAさんが、Bさんとはずっと友達だけど、やっぱり韓国の反日教育は許せない、という趣旨のコメントを出していました。
それに対して、私も黙っていられなくなり、ついAさんに反論するコメントを書いたのですが、投稿する直前になって止めました。こういうのは、いくら書いても「嫌韓のひとたちの意見を変えることはできない」というのは、この間の教訓だからです。
ただ、AさんBさんとは離れて一般論としてはこの眠らせたコメントも有効かなと思い、彼らのコメントは載せずに、私のコメントだけを載せます。まあ、結論は「いたずらに報道に踊らされるな」ということです。
Aさん、黙っておくつもりでしたが、Bさんが勇気を出して拙い表現で自分の思いを表明したので、私も2回ほど一ヶ月韓国旅行をした経験で思うところを述べたいと思います。
Aさんも知っているはずです。Bさんだけが例外なのではない。韓国の人たちは、みんな日本人に対して親切で、情深かったことを。
韓国の人たちは「過去の歴史」と「領土問題」にすごく神経を尖らせるけれども、それを目の前の日本人と結びつける発想は無いのではないか。私の仮説だけど、儒教の伝統に「名分を明らかにする」というのがある。要はそれだけの話なのではないか。
Aさんは知っているはずです。道端や、商店街で、韓国の人たちは突然人前でも大きな声で喧嘩を始めるけれども、犬も食わないなんとかで、後で2人ともけろっとしていることを。そもそもハングルの発音自体が、日本語よりも喧嘩ゴシに聞こえることを。
韓国の人たちと日本人は、顔はよく似ているけれども、空気を読む程度では絶対分かり合えない、膝を付き合わせて話し合わないと分かり合えない「隣人」だと思います。
Bさんは「過去にも現在でも… 韓国の人が怒っている部分は、政治家の謝罪の表現です。」と言いました。「謝罪する言葉は全然ありません」というのは、Aさんから見れば日本の報道を見たら違うというかもしれません。でも、私は当たっていると思います。「政治家」の言葉は「アスリート」の言葉とは重さが、比較にならないほど違うのです。たとえ、建前でも、曖昧な表現でも、正式な場で、謝るに近い表現をしたとしても、すぐにその舌の根が乾かないうちに、政府要人がそれを否定する言葉を発したならば、それは「政府の本音」と思うでしょう。
問題は、「政治家の言葉」なのです。
朴政権は、確かに従軍慰安婦問題の解決を約束しました。しかし、その政権が途中で国民の意思で、退陣させられた今は、もう一度再考の場に立っていると考える方が自然だと、私は考えます。
民間のバスの慰安婦像や、強制労働像に関しては、是非直接見て判断したい。それを見る韓国の人たちの反応を見ながら判断したい。私は前の前の大統領が竹島に上陸した時、ちょうどその時に韓国にいた私は、それよりも遥かにテレビの時間はオリンピックの日韓戦で韓国が勝利したのを繰り返し報道していたことをいつも思い出します。竹島上陸なんて、それぐらいのニュースバリューだったのです。日本に帰国した時、みんな一様に「大丈夫だった?」と聞いてくるのが、意味わかりませんでした。私は日本の報道に踊らされたくない。だいたいいつもそういうスタンスです。
若い方へ 2021年10月31日
小池書記長街頭演説会 2021年10月29日 コメント(2)
キーワードサーチ
コメント新着