ほとほと疲れて、ほんとならブログなんて書いているエネルギーはないはずなのですが、久しくほったらかしにしていたので、久しぶりに書きます。
↓この本の読書メモを書いていた途中でした。
『
負ける力』
(藤原和博、ポプラ新書、2013/12、780縁)
前回、
「この本には、教育者もビックリの、非常に具体的な、
学校教育に対する新しい角度からの提言が載っていた」
と書きました。
今日はその内容について、ふれたいと思います。
p194からp195までの見開き2ページに載っている内容についてです。
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『負ける力』
(p194-195より。 ・
以下の太字が、本書からの引用。
顔の後
は僕の個人的コメントです。)
p194より
・「授業技術のある先生の理解しやすいビデオ授業は
ヘボな先生のナマの授業に優る」
かなりクチが悪いです。(^^;)
いろいろと誤解を招きそうですが、意図はわかります。
僕の経験で言うと、いわゆる「名人」と言われるような教師のビデオや
授業の録音テープ、こういったものにふれると、
「すごい!!」とうなることが何度もありました。
授業のつかみから子どもの興味を引き、授業内容に無理なく引きつけ、
子どもが分かりやすい例示を出し、段階を経て無理なく理解できるようにしながら、
「おもしろかった。もっと学びたい!」と子どもに思わせて、終わるのです。
まさに名人芸です。一つのショーを見ているようです。
実際に模擬授業をしていただいたり、
子どもたちへの実際の授業を見せていただいたときにも、
同じことを思いました。
「こういう授業をすれば、子どもは伸びるだろう。
どの子にも、力がつくだろう」と。
実際には代わりに授業をしていただくわけにはいかないので、
何万円もする授業の録音テープやCD、ビデオやDVDを買うわけです。
子どもたちに自分がする授業が、少しでも「名人」に近づくように。
そういうわけで、「授業技術のある先生」の授業は確かに素晴らしいし、
その授業ビデオを見せられるなら、子どもたちに直接見せてもいいんじゃないか、
とは思います。
というか、自分が学習者だったら、見たい。(^^;)
もちろん、ビデオというのは一方通行でしかない。
子どもと教師のやりとり、子ども同士のやりとりができない、というデメリットがある。
だから本当はビデオでなくて、ナマの授業が一番です。
また、「先生」というのは、授業技術だけが大事なのではない。
たとえば新任で、授業技術がない先生であっても、
子どもたちは大好きな先生から学びたいと思っている、ということは、あります。
なので、藤原和博さんの提言は、提言の意図はよくわかるものの、
完全に賛成、というわけでもありません。
ただ、完全に却下、というほど、反対でもありません。
こういう発想を実際にやってみる、という実験も、大事なことだと思います。
この「ビデオ授業」案については、あとでまた出てきますので、
あとでもう一度ふれます。
・「同じ教材を同じ教師が同じスピードで学ばせる一斉授業は、
できない子、理解が遅い普通の子にとって、
もはや『虐待』以外のなにものでもない」
これまたクチが悪いですが、やはり趣旨はわかります。
というか、僕は基本的に、画一的な一斉授業には反対ですので、
気持ちとしては、非常に共感できます。
いわゆる、昔ながらの一斉授業の形式では、
教師と「できる子」とのやりとりで授業が進行してしまい、
教師には「できない子」の存在が見えていないまま、ということが
起こりやすいように感じています。
昨今広まりつつある「授業のユニバーサルデザイン化」も、
画一的な一斉授業についていけない子どもたちに目を向けることの大事さを
うたっているように思います。
「できる」「できない」というとらえ方も一面的なとらえ方にすぎないので
どうなのか、と思いますが、
いわゆる「できない子」の視点に立って授業を作る、ということは、
今後の授業の基本になるだろう、と思います。
・計算や漢字などの反復学習をなるべくIT化して、
教員の負担を軽くする
これは賛成です。
ただ、公立校だと、予算がないですね。(^^;)
私立の小学校などでは、DSとかタブレットとか、
けっこう活用しているんじゃないでしょうか。
数年前、京都の立命館小学校の見学に行きました。
ミニテストみたいなものを全員がDSで受けていて、びっくりしました。
しかも、各自がDSでやっているその結果が、
ワイヤレスで教師のもとにデータ送信されていました。
とにかく今のデジタル技術は、かなりすごいです。
人手をかけずにデジタル機器で代用した方がいいもの、というのは、確実にありそうです。
・公文のような個別学習的色彩を濃く
公文式のシステムは、僕は、教師になる前から、
よく考えられているな、と思っていました。
ひとりひとりが違うプリントをする。
教室にいる子どもたちは、ひとりひとり違うのだから、
学習課題も、場合によっては、ひとりひとり違っていて、いいと思います。
公教育の現場では、これはなかなか受け入れがたいようなのですが。
ただ、少しずつ、変わってきているのではないでしょうか。
もちろん、完全にそうするとか極端なことではなく、
同じ学習をみんなでする意味も、もちろんある。
同じ学習課題について、いろんな人が、いろいろ違う角度から、意見を言う。
それはとても意味のあることだと思います。
集団で学ぶ意義。子どもたち同士で、かかわり合いながら学ぶ意味。
それが授業では最も大事なことだと思いつつ、
ただ、時間によっては、個別学習的な時間にするというのは、アリかな。
授業はこうでないといけない、という固定観念を崩して、
柔軟に考えていきたい、と思います。
同様に、宿題についても、こうでないといけない、
みんな同じでないといけない、
という固定観念は、崩していきたいですね。
・一斉授業から個別習熟度別学習への大胆な転換に
ITを利用する
この戦略は、うまい。
全部の授業をそうする、という極論ではなく、
こういうことを部分的にでもやっていく、というのは、
非常におもしろいと思います。
p195より
・ある単元を教えるのに、一番教え方が上手な先生を探し出し、
その授業をビデオで撮らせてもらってカリキュラムのベースを作り、
この学校の児童だけでなく、広く日本中の不登校児や
世界中の日本語で教育を受ける権利のある在外子女を、
この学校のバーチャルな児童生徒としてサポートしていきます。
教え方の上手な先生は、世界中から探し出すそうです。
非常に、夢がある、と思います。
発展途上国など、日本以外の国では、子どもたちの教育を受ける権利が
満足に保障できていません。
藤原和博さんはすごいなあ、と思うのは、
視野が広いこと。
アイデアのスケールがでかい。
実際にこういうことを実践した若者がいました。
その本を読みましたが、おもしろかったです。
『
「最高の授業」を、世界の果てまで届けよう』
(税所篤快
、 飛鳥新社、2013/6/11、約1400縁)
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まだつづくのですが、ブログの文字数制限にひっかかりました。
次回に続く!!(>。<)
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