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第三回アンカラジャズフェスティバルに行って来ました!って、学校の文化センターでやってるんだけど。こちらは日本みたいに民間の設備が整ってないので、こういう催し物は公立か大学の施設を使うようです。さて、肝心のコンサートですが非常によかった。まず値段が安くて600円しません。おまけにメインのトランペッターのおっさんも上手かったし。CDも買っちゃいました。いろいろと安上がりな娯楽を楽しめるのはトルコならではです。
2004/11/26
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夕ご飯にかぼちゃを炊いて、ネギと鶏肉で中華炒めを作りました。例のドイツ人とその友達のトルコ人を招待しての夕食会です。結構おいしくできたので彼らも喜んでくれたようです。こっち来て日本人以外にご飯を作ってあげるのは初めてでした。うーん料理は楽しいね。なによりトルコ料理じゃないものが食べられるのがいいです。
2004/11/25
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ここODTUでは毎日大講堂で映画をやってます、有料で。学校の企画した教養講座みたいなものでは全然なくて、切符切りからポップコーン売りまでいる本格的な「事業」なのです。お値段も200円しないくらいで、最新のちょっと遅れくらいの映画を見られるのでとってもお得。そんなわけでこの日は「着信アリ」を見てきました。着信アリといえば柴咲コウが主演したホラーで、日本でも話題になっていたと思うのですが、ホラーはちょっと敬遠気味なので見てませんでした。アジア大好きのドイツ人ウービーに誘われていってみると、待ち受けていたのは大量の三国人!ここでいう「三国人」とは石原慎太郎チックな意味ではなくて日中韓国人のことです。なぜかトルコにまで勉強しに来ている中国人韓国人は結構多くて、友達になってます。やっぱ文化が近いと意思疎通はしやすいし、漢字は使えるし楽ですよねー。ちょろっとかじった韓国語を駆使!もいたします。おっとけーとか。(韓国語といえば日本語トルコ語と共にアルタイ語系言語で彼らにとってトルコ語はむっちゃ簡単らしいです。まあ英語に比べてだろうけど。私はトルコ語と韓国語やってみて韓国語の方が日本語的なニュアンスを出しやすいかなーと思います。だよねー、みたいな表現はトルコ語でできるのかな?)こっちで映画をみる上で、私たち留学生にとって困ることは字幕が「トルコ語」だということです。そんなわけで今回は映画の途中で解説及び同時通訳を挟みながら、の鑑賞になりました。映画自体は非常によかった!いままでホラーを馬鹿にしててごめんなさいです。心理的な要因を絡めながらの最後のシーンはいろいろと解釈できるもので、見た後にみんなで話し合いましたが結局よくわからないところもまたグッドです。リングとかもみてみたいなー。
2004/11/22
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午前中はニコシア観光しました。大統領官邸の横に巨大なマカリオス像が立っていたのが印象的。マカリオスはギリシア系の初代キプロス大統領です。結局やってることトルコとかわらんなー。お昼にバスに乗って更に南の海岸リゾートラルナカに向かいました。途中の農村風景がトルコや北に比べるとあまりに豊かで愕然としました。家にしてもきちんと施工してるなあって感じでした。ラルナカはとにかく短パンのイギリス人集団であふれかえるリゾートで、なんだか変なところです。ただ9世紀(だったかな)の興味深いギリシア正教会があります。それにしてもギリシア正教会の特徴が未だにつかめない気がします。もっとものを見ないとなあ。夕食は思いっきりリッチにシーフード。トルコなんかでもそうだけどシーフードは基本的に観光客向けの高級食材で、港町でも庶民の口には入りません。ここら辺は魚食文化の日本との違いでしょうか。海辺の民宿とか言ったら絶対日本では肉は出てこないもんね。結局ひとり頭3000円くらい払ったけど満足な夜でした。食後はちょっとトルコでは見あたらないようなおしゃれなアートっぽい喫茶店兼レストランでお茶して、EU満喫しました。
2004/11/17
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半分廃墟のようなギルネの町にうんざりした我々一行は、午前中に中世の城塞を見学した後、南北に分断された町レフコシアに向かい「国境」を越えてギリシア系の南側に向かうことにしました。ベンツのでっかい乗り合いタクシーでわずか30分も走らないうちにキプロス島の中心部に位置するかつての首都レフコシアにつくと、とりあえず北側で宿を見て回りましたが、これがそろいもそろってろくでもない宿ばかりで、普段泊まるような安宿はどこもかしこも出稼ぎと思われる外国人(アラブ系が多い)であふれかえり、お世辞にもきれいで快適とはいえません。そこで国境を越えて南側で宿を探すことに。現在レフコシアにあるチェックポイントは一カ所、中世の城壁の外側にあります。ここに向かう途中、ひとつも案内標識は見あたらず、かつては出入り禁止だった様子をうかがわせます。行ってみるとチェックポイントは何とものどかな雰囲気で、思っていたような物々しさはないものの、EU圏外からやって来た我々日本人は、確認のために30分以上待たされました。EUっていいね。さて南に入ってまず思ったのが「街がきれい」完全にヨーロッパです。ただでさえきれいではないトルコを更に2回ぐらい爆撃して放ってあるような北に比べると雲泥の差です。おまけに空気がきれい。トルコの大気汚染はおそらく排ガス規制の甘さのせいで相当なもんで、北キプロスも同様ですが、一歩南にはいるとEU基準なのでしょうか、クリーンです。線を一本挟んでこうも違いがあると、一体国家とかEUってなんなんだって気がします。さて、南でまず宿を探すことにした我々は、一番安い、と聞いたところに行ってみました。安いというなかれ、北側の高級ホテルなんかよりよっぽどいい部屋とベッドで3人部屋たったの4000円です。なんかねー、とりあえず楽しもう、お湯も出るし、みたいな。北側はたいていお湯は出ません。ただ朝になると南でもお湯は出なくなりました。キプロスでは「お湯」の概念が違うんじゃないかって話も出ました。さて遅い昼食を取ることになった私たちの目当ては当然「豚」2ヶ月以上豚肉を食べていないという異常事態に、特に私たち日本人ふたりは悶絶しておりました。近くのロカンタ、じゃなくてタベルナに駆け込んだ我々は、当然のように「豚の焼いたやつ」を注文します。でも名前がやっぱりケバブなのは勘弁してほしいです。思い出しちまうんだよー、アレを。確かにたまにドネルケバブを食べる分にはいいけど、最近ではちょっと羊の匂いに食傷気味。ギリシア名の「ギロ」の代わりに「ドネルケバブ」なんてトルコ語を南側でも使っているのはいささか驚きではありますが。ただ「トルココーヒー」は「キプロスコーヒー」です。アメリカで「フレンチフライ」が「フリーダムフライ」になったようなもんですね。で、豚を食べたのですが、ああ、感動!あのジューシーな脂身!豚肉を食べて感動できたのは後にも先にもこの時くらいでしょう。豚を満喫した後は博物館に向かいました。キプロスは古代から文明の栄えた地で、展示品も素晴らしく、ひょっとしたらアンカラのアナト●ア考古学博物館より内容がいいんじゃないかな。アンカラのは確かにヒッタイトメインで潜在的にはものすごいんだろうけど、何せ展示の方法があまりよくないし、解説もいまいち。それに比べキプロスの方はおそらくイギリスの植民地だった影響で、分類といい、見せ方といい、見事でした。やっぱり大英博物館を作った国はすごいねってことです。
2004/11/16
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ラマダンあけのバイラム休みをもてあました我々留学生集団は(なんだかうさんくさい響きですね)、三々五々各地に散っていきます。イスタンブルに行くものアリ、アテネに行くものあり、ドイツに帰る人もいます。そんななか私ともうひとりの日本人てっちゃん、そしてアジア大好き25才にしてすでにバーコード頭のドイツ人ウービーは、愛の島キプロスに行くことにしました。キプロスは現在トルコ系住民の住む北側とギリシャ系の南側で分断されている国家です。国際的には北側はトルコの占領下と見なされているため、本当なら入ってはいけません。外務省のホームページにも「はいったらダメよ」って書いてあります。でも、ビザのはんこさえパスポートに押されなければ、現在では問題ないようです。南北の国境、南側の人間に言わせれば分断ラインも今では越えられます。前日の10時半発夜行バスに乗って対岸のタシュジュまでやって来た我々は、高速フェリーに乗り込んで出発を待ちます。さすがはトルコ、1時間遅れで出発し東地中海の大海原に乗り出しました。折悪しくも、途中から強風が吹き始め船はローリングを始めるは、しぶきが吹き付けるわで乗客はみんなグロッキー。係員がげろ袋を配る始末です。高速でぶっ飛ばすだけあって、2時間くらいでキプロスには着くんですが、とにかく揺れはきつい!ありゃ冬の日本海でフェリーに乗ったときの揺れ以上かも知れません。さて、昼過ぎについた我々は「税関」を通るわけですが、ここでは先程述べたように、「はんこを別紙にもらう」必要があります。係のおっさんにそう頼んだら、「なんで?」「おまえギリシアが怖いのか?」「びびんなよ」「パスポートに押すぞ」ってなぐあいでそーとー焦りました。押されれば実質南側の宗主国のギリシアでは入国拒否されてしまいます。おっさん結局冗談だったみたいだけど、まじで心臓に悪いです。旧キレニア、現在はギルネと呼ばれる町から北キプロスに入ったわけですが、とにかく町が汚い!おそらく1974年のギリシア系住民のクーデターに対抗した、トルコ軍の軍事介入と空爆以来北では社会基盤整備が行われていません。はっきり言ってアナトリア東部の状況よりも悲惨でした。まあ、この「国」を支援してくれる唯一の国家のトルコが借金まみれな訳だから、しかたないといえばしかたないです。それでも町の所々にはギリシア系の町並みが残り、トルコの町並とは大きなちがいを見せています。特に広場に教会を配して、パースペクティヴを創り出す手法は、イタリアの町造りにも通じるもので大いに感銘を受けました。逆にトルコの町並みの原理ってなんなんだろうっていう疑問をわいてきました。未だによくわかりません。
2004/11/15
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晩ご飯にカレーを作りました。先日日本から大量に食料品の補給を受けたのでルーはたくさんあります。でもカレー5箱とかあっても帰国までにそんなにカレーするのかって気がします。日本でも結構妹を養うためにご飯作ってたので、こちらでもがしがし自炊するつもりだったんですが、部屋にキッチンがついてなかったり、外食の方がかえって安かったりであんまり料理してません。冷蔵庫の上にむりやり電磁調理器を置いてミニキッチンにしてるけどやっぱり不便。ちゃんとしたキッチンがついたとこに引っ越したいなー。あと微妙にタマネギとかにしても日本のものと違う気がします。炒めてるときの匂いが違うんですよねー。生姜がなかったり、もちろん豚肉がなかったりいろいろ苦労しております。
2004/11/08
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アンカラ大日本語学科の子に誘われたのでペイパザルへの日帰り旅行に行ってきました。集合場所に行ってみると10人中8人が日本人で、アンカラにこんなに日本人留学生がいたのねってかんじでした。ベイパザルにいっても注目浴びまくりで、たぶんベイパザル始まって以来の日本人集団だったんでしょう。ベイパザルはオスマン朝末期の民家が残る町で、いってみればミニサフランボルのようなところ。ただ修復の手が入りすぎていていささか趣に欠けるきらいはあります。
2004/11/06
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今日は午前中から授業。でも18世紀のオスマン史とかよくわからんてー。込み入ったことになると皆さんトルコ語にスイッチしてしまうので目が点状態です。簡単なことならわかるんだけど、抽象的な語彙はアラビア語起源のものが多いからよくわかりません。こりゃ如何と思ったので、授業後に一緒に授業取ってる子と晩ご飯をご一緒して、2時間ほどトルコ語でおしゃべり。やっぱり相手が英語できるとわからなきゃ英語で聞けるから断然楽ですね。東部旅行中より練習になるかしらん。寮に帰ったら日本に留学したいという建築学科のやつに捕まってここでもおしゃべりしました。とにかくトルコ語で話して早くぺらぺらになりたいもんです。のりとか食わせてやりました。味付きのりだったから「鰯みたいな味だ」とか言ってたけど。彼らにとってアミノ酸のうまみは鰯味なんですかね。
2004/11/05
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この日はタクシーをチャーターして50キロ先のアルメニア国境付近にあるアニ遺跡に行きました。アニは10世紀から11世紀にかけて栄えたアルメニア王国の首都で、現在は完全な廃墟です。19世紀末から20世紀初めにかけてのアルメニア人虐殺を巡って未だに仲の悪いアルメニアとトルコのこと、トルコ側のパンフにはこの遺跡がアルメニアの首都であったことは、アルメニアの「あ」の字も出ていません。うーん、難しいもんです。ただ学問の世界にはできるだけ政治を持ち込まないでほしいなー。歴史学なんて政治に直結してしまうわけだけど、研究する側としては不便です。例えばトルコはアルメニアと国交がないから、アルメニア教会を見に行こうと思えば、イランだかグルジアを経由してアルメニアに入るほかないわけです。せめてトルコとギリシアの関係が今日友好的なだけでよしとしますか。大枚65ミリオンはたいただけあってアニは感動的。ぺんぺん草しか生えていない荒野の中にぽつりぽつりと教会の廃墟が残る様は鳥肌ものです。しかも谷の向こうにはアルメニア。いってみなければあの雰囲気は伝わってきません。最近まで国境付近ということもあり、訪問には許可が必要だったようですが、今では完全に自由化されています。みなさんもぜひ。
2004/11/01
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