前様日記

前様日記

2009.05.05
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テーマ: メッセージ(262)
カテゴリ: メッセージ
「怖れ」が、我慢や無理を作り出します。

ですから、恐れが無くなれば、我慢や無理はしなくなります。

恐れが無くなれば、行動の動機は愛そのものになります。


自分のことよりも、親や恋人、パートナー、兄弟など自分以外の人のために、いつも何かをしている人は、
「自分以外の人のために何もしない自分」を、役に立たない駄目なやつと思い込んでいます。

役に立たない駄目なやつと思い込んでいると、自分以外の人のために何もしない自分は、周囲の人に必要とされない不要な人間なのではと、恐れや不安がでてきます。

自分以外の人のために何もしない自分を感じると、自動的に、親や恋人、パートナー、兄弟など自分以外の人のために何かをして役に立たなければと思うのです。

「何もしない自分は価値がない」という無価値感が、常に思考と行動のパターン化されています。

自分は価値のない人間だと常に思っているので、どんな立派な職業に付いていても、自分はさて置き、誰かのために何かをしてしまうのです。
「存在していて申し訳ない。」という思考パターンに振り回される人生になります。

そして、自分には価値がない、駄目なやつだという、とても不快で嫌な感情を感じるのが怖くて、自分を犠牲にして、親や恋人、パートナー、兄弟など自分以外の人のため何かを懸命にしてしまうのです。


子供のころ、誰かに対して酷いことをしてしまったという思い込みがあると、「申し訳ない。」という思考パターンが根付きます。
例えば、親や兄弟姉妹に「あんたさえいなければ、私は不幸にならなかった。」とか、「お前さえ産まれなければ・・・・・」などと物心つく前から言われ続けると「私さえ産まれなければ、いなければ、周囲は幸せなんだ。申し訳ないことをした。」というような思考パターンをつくります。
この申し訳ないという気持ちが、意味不明な生存に対する罪悪感となり、この罪悪感を感じるのが辛いので、自分を犠牲にして、周囲の人々に懇切丁寧に親切にして、良い人を演じるのです。


そして、自分には価値がないという無価値感や
私は悪い人、罪深い人という罪悪感を感じることが怖くて、
これらの嫌な感情を感じないようにするために、行動をおこす際の動機を間違ってしまうのです。

無価値感を感じている人は、親や兄弟姉妹に「愛されなかった痛み」「大切にされなかった痛み」が、潜在意識に沢山あります。
罪悪感を感じている人は、「愛してあげられなかった痛み」「やってあげられなかった痛み」「やってしまった痛み」が、潜在意識に沢山あるのです。

無価値感を癒すには、自分に価値を与える必要があります。

出来なかったこと、駄目だったことに意識を置くのではなく、
今日一日の中で、自分が出来たことに意識をあわせて、自分で自分を褒めるのです。
人から価値を与えてもらうのではなく、
人に褒めてもらうのではなく、
自分で自分に価値を与えてあげる事が、癒していく上でのポイントですね。
自分で自分を大切に扱ってあげるのです、
我慢するのではなく、嫌なことは嫌と表現して、
自分の思っていることが表現できたら、言葉に出来たら「良く言えたね。」と自分にご褒美をあげましょう。
今まで嫌だと思っても言ったことがないのですから、最初は周囲が戸惑うかもしれませんが、その内周囲が慣れてきます。
心から喜んでやれることはやれば良いし、嫌なことは嫌だと言ってやらなくても良いのです。


罪悪感を癒すには、「許し」を学ぶ必要があります。
「愛してあげられなかった自分」「やってあげられなかった自分」「やってしまった自分」を許すのです。
自分を自分が許しましょう。

愛せなかったのには、理由があったはずなのです。
やってあげられなかったのにも、理由があるはずなのです。
どうにもならなかったのです。
しかたなかったのです。
そんな、いたらなくて、未熟で、アホで、バカな自分を許すのです。

自分を責めるのが罪悪感ですからね。
自分を責めるのではなく、許すのです。

無価値感や罪悪感を癒していけば、犠牲を払うことがなくなり、
我慢や無理をしなくなり、怖れや不安も心から消えていきます。

犠牲をやめると、心と体や時間の自由が手に入ります。

我慢や無理、怖れが犠牲を生み出し、怖れを作り出しているのは無価値感や罪悪感でしたからね。
無価値感や罪悪感を癒せば、犠牲は当然やめることができるのです。

犠牲をやめると自由が手に入り、自分の人生の選択が自分で選べるのです。
あるがままの人生に入っていきます。

犠牲を自分に強いて生きていると、「やらなければならない。」「やらないと仕方がない。」「他に方法がない。」と思い込んでいますから、
人生の選択権が、自分にありません。
犠牲者を演じていると、あなたの人生の選択権が、親や恋人、パートナー、兄弟など自分以外の人に握られています。

あなたの進む道が、AとBに別れているとすると、
犠牲者を演じていると「Aを選ばなくちゃ仕方ない」「Aを選ぶしか方法がない」になります。

犠牲者を演じるのをやめると、Aの道を選ぶのもBの道を選ぶのも、あなたの心のおもむくまま、自由になります。

誰かに何かをしてあげようとした時、犠牲者を演じるのをやめると、「やってあげるか」「やってあげないか」を、自分で選択できます。

仕事を、住む場所を、どうしようかと悩んでいる時に、犠牲者を演じるのをやめると、「やめるか」「やめないか」「Cに住むか」「Dに住むか」を、自分で選らべるのです。

自由が手に入るのですが、あなたは、「わがままになるのでは?」と心配して行動できずにいます。
自由とわがままは、根本的に違います。

わがままは、相手や周りの人、かかわる人たちの気持ちを考慮せずに、やりたい放題にやる事です。
自由は、相手や周りの人、かかわる人たちの気持ちを考えて、どう行動するかを自分が選ぶことなのです。

あなたがいつもやっている犠牲者は、相手や周りの人、かかわる人たちの気持ちばかりを考慮し優先して、自分の気持ちを考慮せず、粗末にあつかっている状態ですから、この状態では病むのは当然です。

自分の人生を自分に取り戻す為に、犠牲者を演じるのは、そろそろやめにしませんか。

自由になると言うのは、自分の人生を自分の意思で選べるということです。

「あれをやりたい。」
「こうなりたい。」
「ここに住みたい。」
「こうしてみたい。」
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
これら全てを、自分で選ぶことができるのです。

もしも今この瞬間、このメッセージを読んでいるあなたが
「自由がないなぁ~」
「窮屈だなぁ~」
「しんどいなぁ~」と感じておられるなら、犠牲者を演じていないか、心の中を点検してみてください。


我慢していること、
無理をしていること、
怖れや不安から選んでいることはありませんか?

恐れに向き合わないと、何度も何度も体験はやってきます。
体験が来るたび、犠牲を選ぶか、自由を選ぶか問われるのです。

犠牲は、頑張っても頑張っても報われません。
自由は頑張らなくても、欲しい物を選ぶだけです。

あるがままの自由へ、パターンを書き換える時期ですよ。





前様の天界からのお告げを、携帯電話で見られるように「 ざぶとんねこぼんぼ 」の店長様ご夫妻がしてくださいましたので、ご紹介しますね。

携帯用ブログ
http://maesama.jugem.jp/


前様の メッセージ用のブログ ↓は下記です。応援ヨロシク!

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最終更新日  2009.05.05 23:10:57
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