まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2019.02.20
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二週連続で放送されたNHKの日曜美術館「シリーズ北斎」。

1週目は、永田生慈氏の仕事と、六本木での「新・北斎展」を紹介。
2週目は、滝沢馬琴と組んだ読本挿絵の世界を掘り下げていました。



1週目で大きく取り上げられていたのは、
最晩年の対幅「雨中虎図 & 雲龍図」と、
同じく最晩年の大作「弘法大師修法図」なんだけど、

どっちも応為っぽいよねえ(笑)。

「向日葵図」も「西瓜図」に似て、やっぱり応為っぽい。

こんどの宮本亜門の舞台「画狂人北斎」にも、
いちおう応為(お栄)は登場するわけだけど、
あえて応為の代筆の謎には触れなかったようです。

しかし、やはり晩年の北斎の作品を語るときには、
弟子の存在については触れるべきではないかと思います。

晩年の作品に「北斎の生きざま」まで見てとったあげく、
あとになって「 やっぱり弟子の作品でした 」なんてことになったら、
赤っ恥だしねえ。

そもそも脳出血で倒れた90近い老人に描ける絵か?って疑問は消えない。
またぞろ欧米の研究の後追いにならないよう気をつけてほしいものです。



今回のシリーズ企画で興味深かったのは、
むしろ2週目の「読本挿絵」の回でした。

「椿説弓張月」の存在が知れたことは、今回の大きな収穫!

北斎が、
滝沢馬琴のファンタジーをとおして画力を高めていったさまは、
いわば現代のミュージシャンが、
映画のサントラ制作をとおして音楽の幅を広げていくのに近い。

そこには、
北斎特有の「波頭」の表現が「龍の鈎爪」に姿を変えていく現場もある。
それから、
番組では「動的エネルギーの具現化」と言われていたけれど、
「波」や「雲」や「風」がフラクタルな円の表現に収斂する現場もある。

その後の「北斎漫画」などの絵手本も、
一見すると多様な画題に取り組んでいるようだけど、
やはり、すべての事物を大小の円の組み合わせで描いてるし、
むしろ多様な事物のなかに「共通の本質」を見出していたというほうが正しい。



北斎は、
あらゆる事物を「円」で描くのであって、けっして「直線」では描きません。
たぶん、そこが応為との最大の違いだと思います。

北斎が「直線」を用いるのは、
あくまで背景として空間(奥行き)の表現をするときだけです。
読本挿絵のなかでは、
爆発的な閃光が放射状の直線で描かれていましたが、
これも一種の空間的な表現(あるいは非日常性の強調)だといえます。

ところが、応為の筆と疑われる作品では、
しばしば事物そのものが「直線」で描かれてしまう。
そして「直線」が前面に出ることによって、
画面全体は、やや平板になってしまう。

まさに「弘法大師修法図」なんかは、そういうふうに見えます。

さらにいうならば、
北斎の描く人物は、下半身に踏んばりと躍動があるけれど、
応為の描く人物は、やや下半身が棒立ちのように見えるんですね。






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最終更新日  2020.09.27 05:56:58


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