まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2024.02.05
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片言の子の猫舌と鱈の鍋 無事願いかかあと待ってる三平汁 牛鍋の〆のおうどん捜索隊 鍋囲う笑顔思いて出汁選び よーいドンおしくらまんじゅう鍋の夜 商談の中華テーブル窓凍てる ちゃぶ台に干支の過ぎたる祝箸 日脚伸ぶポン酢はあるかと問ふ電話
2月1日のプレバト俳句。
お題は「鍋つゆ売り場」。




高橋真麻。
片言の子の猫舌と鱈の鍋
片言の子の猫舌と鱈鍋と
(添削後)

句材は面白いけどね。

下五「鱈鍋」を「鱈の鍋」と書いたところは、
いかにも音数合わせだなと感じてしまいます。

また、幼い子供の描写として、
「片言」で「猫舌」と2つの特徴を並べるのは、
やや材料が多すぎる気がしなくもない。

あるいは、すこし脚色をして、
片言の子は猫舌で鱈鍋を
猫舌の子が片言で鱈鍋と

のように季語に絡める手もあるかな。



勝俣州和。
無事願いかかあと待ってる三平汁
無事帰港願うかかあの三平汁
(添削後)

字面だけを見ると、
「息子の無事を妻と一緒に願う夫」の句に見える。
しかし、実際は、
「夫の無事を願うその妻と一緒にいる作者」の句らしい。

失礼にも、
他人の妻を「かかあ」などと呼んでるので誤読を招きます。



ナダル。
鍋囲う笑顔思いて出汁選び
鍋の出汁選ぶ売り場や 冬の夕
(添削後)

鍋の出汁を選んでる…というだけの凡庸な場面。
そこに自分の心象を添えてしまう初心者の失策。

なお、
調理器の「鍋」は季語ではないけれど、
「鍋物」「鍋料理」の意味なら季語と見なすべき、
との考え方もあるようです。



加藤ローサ。
よーいドンおしくらまんじゅう鍋の夜
おしくらまんじゅうみたいに寄せ鍋を囲む
(添削後)

兄弟家族で鍋を囲んでる…というだけの凡庸な場面。
そして季語「押し競饅頭」を比喩にしてしまう初心者の失策。

ちなみに、
作者は一句一章のつもりで詠んでるのだけれど、
字面だけを見ると、
「かけっこ」「押し競饅頭」「夜の鍋」
という三段切れの三句一章に見えてしまいます。



キスマイ宮田。
牛鍋の〆のおうどん捜索隊
牛鍋の〆のうどんをさぐる箸
(添削後)

ベタな比喩で「捜索隊」と書いてしまう初心者の失策。
ぜんぜん初心者じゃないけどねw

鍋の底のうどんを探ってる場面だそうですが、
台所の奥にしまってある乾麺を探してるのかな?と誤読されます。



森迫永依。
商談の中華テーブル 窓凍てる
窓凍つや 商談中の中華卓
(添削後)

原句にあきらかな欠点があるとは思えない。
「窓凍つ/凍てる」を上五に置くか下五に置くかは、
もはや好みの問題かなあ…って気がします。

たしかに、
添削のように上五に置くほうが安定するけれど、
逆にいうと、原句のほうは、
最後の窓の印象が心もとなげな余韻を残します。

しかも「凍てる窓」より「窓凍てる」のほうが、
いっそう心もとない余韻を残すので、
そこは好みの分かれるところかもしれません。

なお、
添削句のほうは「商談中」としたことで、
当事者視点から第三者視点に変わってる気がする。
それから「中」と「中」が重なるのも、
押韻という感じではなく、むしろ鬱陶しい印象。

原句の当事者視点を維持するなら、
凍つる窓 中華テーブルの商談

のような破調でもいいかなと思います。

ちなみに、
「凍つ」と「凍てる」は同義の古語だけど、
「凍つ」は文語で「凍てる」は口語です。
つい安易に《古語=文語》と同一視しがちですが、
正確にいえば、
現代語に《書き言葉》と《話し言葉》があるように、
古語にも《文語》と《口語》があるわけですね。

凍つ:自動詞下二段活用
活用{て/て/つ/つる/つれ/てよ}
凍てる:自動詞下一段活用
活用{て/て/てる/てる/てれ/てよ}




清水アナ。
日脚伸ぶ ポン酢はあるかと問ふ電話


先週につづいて動詞の季語。
しかも、上五を終止形で切る形ですね。

古語なので、
連体形で「日脚伸ぶるポン酢」と誤読される惧れはないけど、
時効の季語だけが映像化されないまま浮いてる感じがして、
いまいち収まりが悪い。

内容的にも、
ちょっと状況が見えにくいですよね。

近所に住む実家の親から、
「ポン酢を貸してくれ」と頼まれたのか。
遠方に住む実家の親から、
「ポン酢がないなら送るよ」と言ってもらったのか。

兼題写真を見れば、
鍋の季節の状況だと想像できるけど、
兼題写真がなければ、
「醤油切れ」とか「味噌切れ」みたいな、
ごく日常的な調味料切れの場面とも読めます。

ちなみに「日脚伸ぶ」は、
大寒と同じく1月下旬の時候の季語ですが、
春の近さを感じさせる季語でもあります。

もう鍋の季節も終わりに近づいて、
日常で使うポン酢も切れてしまった状況なら、
「日脚伸ぶ」という季語は妥当かもしれないけど、
大寒のころで鍋真っ盛りという状況を詠んだなら、
この季語はあまりふさわしくありません。
そこは解釈の仕方によって判断が分かれる。

なお、中八は助詞「は」を省けば解決します。




梅沢富美男。
ちゃぶ台に干支の過ぎたる祝箸
かしましや 干支の過ぎたる祝箸
(添削後)

中七・下五の、
「干支の過ぎたる祝い箸」はとても面白いけど、

作者の話をよく聞くと、
じつは「年を越した」という意味ではなく、
たんに「正月を過ぎた」という意味らしいので、
正確性を欠いた記述なのですよね。

つまり、作者は、
正月を過ぎてしまって、
ハレの日に用いられるはずの祝い箸が、
日常のちゃぶ台に置かれてしまっている、
…という滑稽味を詠んでるわけです。

ところが、
先生は「年を越した」と誤読してるので、
去年の干支違いの祝い箸が使われてることに、
面白みと詩情を見出してしまっている。
そうすると「ちゃぶ台」との取り合わせは、
蛇足かつ不釣り合いにしか見えないのです。

これは先生の誤読のせいではなく、
作者の不正確な記述のせいとしか言いようがない。

まあ、わたしとしては、
「去年の祝箸がちゃぶ台に置かれてる」との解釈でも、
それはそれで面白いかなって気もしますが。


両端を細めてあるのは神様と共用するためだそうです!



▽過去の記事はこちら
https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12




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最終更新日  2024.04.14 00:45:41


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