全29件 (29件中 1-29件目)
1
581系・14系:特急「しおじ」特急「しおじ」は、新大阪~広島・下関を結ぶ電車特急列車で、直流区間の特急として181系を主に使用しましたが、後に485系や581系も使用されました。また、多客期には臨時特急として14系を使用した「しおじ51号」もほぼ通年で設定されており、「つばさ51号」と並んで運転期間の長い14系臨時特急としても有名でした。小学生の時に大阪に行った際、581系のみ撮影することが出来ました。ポケットカメラですので画像が悪い点についてご了承ください。昭和49年8月 大阪駅にて 581系 特急「しおじ」当時、1往復のみが581系を使用して運転されていました。当時は運転本数の多かった寝台特急「明星」の間合い使用と思われます。昭和49年8月 大阪駅にて 14系客車 臨時特急「しおじ51号」この写真も見られたものではありませんが、下りの「しおじ51号」です。隣のホームで撮影していて、慌てて撮影したもの。当時の大阪駅は目玉の特急列車の本数が多く、頻繁に発着する列車を押さえるのは上野駅よりも大変でした。昭和51年か52年頃 上野駅にて489系の幕には、関西特急のヘッドマークが網羅されていました。上野駅でもこのような幕回しに出逢うことが出来ればラッキーでした。本数があった割には、当時のフィルムの使用数量制限が邪魔して、満足な写真を撮ることが出来なかったのが非常に残念です。本来なら、ボンネット型の485系やもしかしたら最後の181系が居た頃だったかもしれません。583系特急電車(クハネ581)基本セット(6両)【TOMIX・98770】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」583系特急電車(クハネ583)基本セット(7両)【TOMIX・98771】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」583系特急電車増結セットB(2両)【TOMIX・98773】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」98772 国鉄 583系特急電車増結セットA(4両)[TOMIX]【送料無料】《04月予約》
2022.04.30
コメント(0)
旧型国電 牽引車:クモヤ90102+381系先般、『旧型国電 牽引車:クモヤ90』で首都圏のクモヤ90形牽引車をご紹介いたしました。クモヤ90は登場(改造)当初こそバリエーションの無い車両でしたが、その地方に合った仕様に再改造が施されるようになると、2灯化したもの、2パンタ化されたもの、低屋根化されたものなど、大変多くのバリエーションに発展しています。首都圏では殆ど差異が見られず、その点においてはあまり興味深いところはありませんでした。そんなクモヤ90ですが、最終増備されたものについては、クモヤ145並みの車体を新製し、載せ変えたものが存在しました。当時、このような改造は、廃車期にあった101系を利用したものが多く存在し、牽引車の性格上、何故この時代に旧型国電を使用したのか、いささか疑問を感じます。ただ、当時の時代背景として、まだ旧型国電が全廃されていたわけではありませんので、新性能車ですと旧型国電を牽引することが出来なくなることから、あえて旧型国電から改造したのではないかと推測されます。この末期の改造車には100番代及び200番代の区分が与えられますが、101号のみが0番代と同様の車体で、102号以降の番号が新製車体となっています。そんな100番代に1度だけ遭遇したことがあります。飯田線の旧型国電の撮影を終え、浜松へ向かう前に豊橋駅でチョット駅撮りをしていたとき、思わぬ珍編成がやって参りました。昭和58年6月28日 豊橋駅にて クモヤ90102+381系偶然来たとなっては放っておくわけには行きませんので、短い編成に追いつくように、ホームを走って撮ってきました。なんとも「珍」な編成です。381系は、その特殊な性能から他の系列と手をつないで走ることはありませんので、このような編成は工場の入出場ならではのシーンと言いえるでしょう。また、このアコモ改造の「クモヤ90100番台」も初めて見ましたので、大変感激いたしました。同車の消息を調べましたところ、終始「神領電車区」から離れることなく、平成13年6月29日付けで廃車になったということです。JR西日本クモヤ90形100番台 1両単品(動力無し)【グリーンマックス・30397】「鉄道模型 Nゲージ」4866 KATO カトー クモヤ90 0 (T) Nゲージ 再生産 鉄道模型 【4月予約】[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 4866 クモヤ90 0番台(T)[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 4865 クモヤ90 0番台(M)
2022.04.29
コメント(0)
EF6019牽引:12系お座敷客車「くつろぎ」国鉄時代末期に運用から撤退して以来、永きにわたって高崎で動態保存され、令和元年7月3日付をもって除籍されてしまったEF6019。2年以上にわたり秋田に留置されていたようですが、先日、とうとう解体されてしまったそうです。平成6年5月31日 上牧~水上間にて EF6019牽引 「くつろぎ」「やすらぎ」のデビュー後、動態保存車であったEF6019が「やすらぎ」に合わせた塗装に変更され、ジョイフルトレインの牽引に優先されるような状態で活躍を始めました。国鉄色に復活し、さらにはシールドビームを原形復活させるなど、国鉄色を色濃く残したカマでしたが、その姿は保存されることもなく、呆気ない最後になってしまいました。【中古】Nゲージ/KATO 3025-4 ラウンドハウス EF60-19タイプ【A】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3094-4 EF60 500番台 特急色
2022.04.28
コメント(0)
東京メトロ 7000系:東武東上線及び西武池袋線帝都高速度交通営団(現東京メトロ)の有楽町線用として誕生した7000系。登場以来、路線の延長及び需要増で増備を重ね、副都心線の開業により私鉄各線編も乗り入れる活躍を続けてきましたが、老朽化による車種更新のため数を減らし、令和4年4月、残っていた最後の1編成が廃車になり、形式消滅になったようです。3回目は、乗り入れ先である東武東上線及び西武池袋線内で撮影したものです。地下鉄区間ではどうしても撮影が難しくなってしまうため、地上区間である乗り入れ先の私鉄での撮影枚数が多くあります。平成21年5月3日 東武東上線 朝霞台付近にて 第3編成平成21年5月3日 東武東上線 朝霞台付近にて 第3編成平成21年5月3日 東武東上線 朝霞台付近にて 第20編成平成22年5月10日 西武池袋線 富士見台駅にて 第32編成平成22年6月16日 西武池袋線 東久留米~清瀬間にて 第34編成平成22年6月16日 西武池袋線 東久留米~清瀬間にて 第20編成令和2年2月8日 西武池袋線 秋津駅にて 第5編成令和2年2月8日 西武池袋線 石神井公園駅にて 第9編成令和2年2月8日 西武池袋線 石神井公園駅にて 第9編成&第31編成7000系も6000系と同様に昔から好きな車両なのですが、どうもこの副都心線カラーに好感が持てません。デジカメを使用するようになった時には既にオリジナルのイエローカラーがなくなっており、仕事や他の撮影のついでとは言え、それなりに記録してきました。鉄道コレクション 東京メトロ7000系 副都心線7116編成8両セット[トミーテック]《発売済・在庫品》【中古】Nゲージ/マイクロエース A3592 東京メトロ7000系 副都心線 後期型更新車 ベビーカーマーク付 8両セット【A’】取扱説明書収納袋、別の袋で代用
2022.04.27
コメント(0)
東京メトロ 7000系:東急東横線試運転帝都高速度交通営団(現東京メトロ)の有楽町線用として誕生した7000系。登場以来、路線の延長及び需要増で増備を重ね、副都心線の開業により私鉄各線編も乗り入れる活躍を続けてきましたが、老朽化による車種更新のため数を減らし、令和4年4月、残っていた最後の1編成が廃車になり、形式消滅になったようです。枚数はそれほど多く撮影したわけではありませんが、やや多めなこともあり分割してご紹介して思います。2回目は東京メトロ7000系による東急東横線内での試運転を捉えたものです。※撮影は、平成25年2月10日、多摩川駅にて第20編成による上り試運転列車第20編成による下り試運転列車いずれも通過扱いですが、一旦停止し、ドアは開けずとも通常の客扱いと同様の指差称呼が行われていました。悲しいのは、こちらもLEDなので「試運転」の表示が切れてしまうこと。これだけは渋谷駅に停車しているところを撮りたかったですね。ちなみに、多摩川駅時点ですが、上りは12:58頃、下りは13:50分頃でした。鉄道コレクション 東京メトロ7000系 副都心線7116編成8両セット[トミーテック]《発売済・在庫品》【中古】Nゲージ/マイクロエース A3592 東京メトロ7000系 副都心線 後期型更新車 ベビーカーマーク付 8両セット【A’】取扱説明書収納袋、別の袋で代用
2022.04.26
コメント(0)
東京メトロ 7000系:副都心線(東急乗り入れ前)帝都高速度交通営団(現東京メトロ)の有楽町線用として誕生した7000系。登場以来、路線の延長及び需要増で増備を重ね、副都心線の開業により私鉄各線編も乗り入れる活躍を続けてきましたが、老朽化による車種更新のため数を減らし、令和4年4月、残っていた最後の1編成が廃車になり、形式消滅になったようです。枚数はそれほど多く撮影したわけではありませんが、やや多めなこともあり分割してご紹介したいと思います。1回目は副都心線渋谷駅でのシーンですが、まだ東急東横線の切換え・乗り入れが始まる前で、本線を使用していない暫定的な開業を行っていた時のものです。2面のホームの中2線が使用されておらず、仮設の橋で往来できるとてつもなく幅のあるホームになっていました。そのため、本来なら線路上である場所から副都心線の写真を撮影できるという、乗り入れ開業には不可能になってしまう構図で写真を撮ることができ、これはニュースでも紹介されていました。※撮影は、平成23年11月13日、東京メトロ副都心線渋谷駅にて。第9編成第30編成地下鉄トンネル内で条件が良くありません。そこそこ時間を粘ったような記憶ですが、既に10000系も台頭しており、7000系の本数があまりありませんでした。動画もちょこっとだけ。鉄道コレクション 東京メトロ7000系 副都心線7116編成8両セット[トミーテック]《発売済・在庫品》【中古】Nゲージ/マイクロエース A3592 東京メトロ7000系 副都心線 後期型更新車 ベビーカーマーク付 8両セット【A’】取扱説明書収納袋、別の袋で代用
2022.04.25
コメント(0)
185系OM車:臨時快速「あしかが大藤まつり」あしかがフラワーパークの大藤まつりに合わせ、毎年GWを中心に運転されるJR東日本の臨時快速列車。2020年も例年どおり予定されていましたが、新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、やむなく中止(臨時休園)に追い込まれる事態となってしまいました。このことにより、JR東日本高崎支社からも臨時快速の全面運休が発表されています。平成25年までは、永らく183系OM車による快速「足利藤まつり」として運転されてきましたが、183系の全廃により、平成26年度から185系による快速「足利藤まつり」へとバトンタッチされています。185系による快速列車の設定はその後も続くことになりますが、平成31年度(令和元年度)の設定から名称が快速「あしかが大藤まつり」と変更されています。名称が変更されてからまだ間もないですが、185系が令和3年度中に撤退することになったため、今般の運転を最後にその姿を見ることはできなくなりました。平成31年4月29日 185系B6編成 快速「あしかが大藤まつり1号」愛称が変更されたために記念として撮影したものです。しかし、愛称は変更されたものの特にヘッドマークが用意されることはなく、「臨時快速」のままの運転となっていました。そして、令和2年度も設定されることになりますが、新型コロナによる緊急事態宣言の発令により、すべての運転が中止されてしまいました。令和3年4月25日 185系B5編成 快速「あしかが大藤まつり3号」令和3年5月2日 185系B5編成 快速「あしかが大藤まつり3号」令和3年5月3日 185系B6編成 快速「あしかが大藤まつり1号」令和3年5月5日 185系B5編成 快速「あしかが大藤まつり3号」そして、185系が全ての定期列車から撤退した令和3年度。これほど長く続くとは予想していなかったコロナ禍は再び緊急事態宣言を呼ぶことになりましたが、設定どおり運転が実施されました。最期2回は連続でカブられちゃいました。この正確さはやはり日本ならでは。平成31年の設定当初は1往復にE257系が運用されましたが、令和3年では2往復とも185系で設定されました。おそらくはE257系が改造により入場していたための措置と思われます。185系最後の活躍も、ヘッドマークが用意されることはなく、大変残念な終焉になってしまいました。185系特急電車(踊り子 新塗装 強化型スカート)増結セット(5両)【TOMIX・98397】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」【2022年6月】 TOMIX|トミックス 【Nゲージ】98454 JR キハ185系特急ディーゼルカー(アラウンド・ザ・九州)セット(4両) TOMIX【発売日以降のお届け】185系特急電車(踊り子 新塗装 強化型スカート)基本セットA(5両)【TOMIX・98395】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」
2022.04.24
コメント(0)
E257系500番台:臨時快速「あしかが大藤まつり」あしかがフラワーパークの大藤まつりに合わせ、毎年GWを中心に運転されるJR東日本の臨時快速列車。2020年も例年どおり予定されていましたが、新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、やむなく中止(臨時休園)に追い込まれる事態となってしまいました。このことにより、JR東日本高崎支社からも臨時快速の全面運休が発表されています。平成31年の設定当初は1往復にE257系が運用されましたが、令和3年では2往復とも185系で設定されました。おそらくはE257系が改造により入場していたための措置と思われます。平成31年4月29日 E257系500番台 臨時快速「あしかが大藤まつり3号」185系廃車により運用が厳しくなりましたが、E257系500番台の定期運用減による余剰が発生。同系の臨時運用が拡大しました。その殆どは臨時快速運用となっていましたが、2022年(令和4年)度は特急列車として運用されることとなったため、快速「あしかが大藤まつり」として運転されたのは平成31年(令和元年)のみとなり、3500番台化により装いも変わってしまうため、貴重なワンシーズンとなってしまいました。185系特急電車(踊り子 新塗装 強化型スカート)増結セット(5両)【TOMIX・98397】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」【2022年6月】 TOMIX|トミックス 【Nゲージ】98454 JR キハ185系特急ディーゼルカー(アラウンド・ザ・九州)セット(4両) TOMIX【発売日以降のお届け】185系特急電車(踊り子 新塗装 強化型スカート)基本セットA(5両)【TOMIX・98395】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」
2022.04.23
コメント(0)
169系:急行「信州」「信州」は、上野~長野間を結ぶ急行列車。碓氷峠を通過するため、169系による協調運転が行われていました。列車によっては長野~軽井沢間で普通列車による運転が行われていたり、上野~湯田中間(長野電鉄乗り入れ)の急行「志賀」を併結していたものもあります。昭和57年1月頃 南浦和~蕨間にて 「信州6号」?このような急行列車、編成である程度の区別は出来ますが、ヘッドマークがないため特定が困難なものが多々あります。今はスキャニングで拡大が出来ますので、列車番号からその種別を推測・判断することも出来るようになりましたが、この写真のように、まじめに列車番号を示していないものもあります。今回は推測になりますが、おおよその撮影時期は判明しており、この場所の光線状態からして14時前後くらいと見ました。ここに時刻表を当ててみると、確かに14時過ぎ、上り「信州6号」が通過いたします。編成もご覧のとおり、サロ2両を含む169系編成ですので、ほぼ間違いないかと思います。昭和52年頃 大宮駅にて サハシ169-7写真の列車は、大宮駅の急行の発着は殆どなかった思われる折り返しホームの7番線に入っている状況が???なところですが、写真を撮った時間と行き先サボに青帯が表示されているところから推測すると、長野~軽井沢間が普通列車となっていた上り「信州2号」であると思われます。ビュッフェに関する記述は、過去ログ『169系:サハシ169』をご覧下さい。新幹線の開業により急行列車の廃止が危惧されましたので、このように撮影記録が残っていますが、それ以前は165系急行なんてゴロゴロ走っていましたので、まず撮る機会はなかったんです。故に、撮った写真の枚数が非常に少ないです。
2022.04.22
コメント(0)
旧型国電 牽引車:クモヤ90国鉄時代、電車は現在のように編成を固定とする概念がありませんでしたので、検査の際は編成から中間車を抜いて入場するというのが当たり前でした。回送の際に運転台がなくなってしまうこともあるので、各電車区には運転台付き電動車の配置が必須となっていました。関西では17m車、交直流対応車などバラエティな牽引車が存在しましたが、首都圏ではクモヤ90しか見当たらなかったように思います。今回は首都圏で撮影したクモヤ90を並べてみます。中学生時代の写真もありますので、写りについてはご勘弁を。昭和51年 錦糸町駅にて クモヤ90+101系中央総武緩行線写りも色も最悪な写真ですが、101系を牽くシーンとしてはこの1枚しかありませんでした。前後でサンドイッチしていますが、津田沼電車区にクモヤ90が2両配置になっていたのかは分りません。昭和51年 西川口~蕨間にて クモヤ90+103系京浜東北線こちらも写り最悪といったところ。やはり、京浜東北線を牽くクモヤ90はこの1枚しか見当たらないようです。おそらく、浦和電車区配置のクモヤ90でしょうね。昭和52年 上野駅にて クモヤ90+103系常磐線上野駅5番線で折返し待機中の配給列車。常磐線の低窓103系が連結されていました。大井工場への入出場だったようです。昭和52年 品川駅にて過去ログでアップいたしました、クモヤ90000と90001の重連回送です。どちらが000で001だか忘れました。昭和55年8月 品川駅にてこちらも田町電車区の確かクモヤ90000だったと記憶しているんですがね。153系・165系を連結しており、おそらく大船工場での検査から戻ってきたものでしょう。昭和56年12月頃? 田町電車区 留置線にて留置線に留っているクモヤ90000。もちろん同形式のトップナンバーになります。当時、お金の無い身分なので、良く高輪にある中古カメラ屋に通っていました。10分以上は歩く距離でしたが、坂道を歩いて良く通ったものです。途中、線路際から一番品川駅寄りの電留線を覗くことができ、運が良いとこのような写真を撮ることができました。昭和52年8月 クモヤ90+クハ165の回送車両はおそらく新前橋電車区のクモヤ90とクハ165で、新前橋区から大井工場への検査入場のための回送と思われます。昭和53年 下十条電車区にて クモヤ90005下十条電車区配置のクモヤ90005で、東十条駅のホームから撮ることが出来ました。当時はまだ横浜線や南武線、鶴見線などでも73系を見ることが出来たので、ツリカケ式のクモヤ90は特に目立つ存在ではありませんでした。それでも、昭和56年の山手・京浜のATC化によりクモヤ143が誕生すると、クモヤ90も急速に淘汰されてしまったようです。4866 KATO カトー クモヤ90 0 (T) Nゲージ 再生産 鉄道模型 【4月予約】[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 4866 クモヤ90 0番台(T)[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 4865 クモヤ90 0番台(M)
2022.04.21
コメント(0)
169系:サハシ169食堂車には、純然たる供食設備をもつ食堂車と軽食だけを提供するビュフェ車があり、記号では同じ「シ」を使いますが、ビュフェ車は座席車と合造となるのが一般的です。(戦前・戦中型の客車で、食堂車で合造の車両も一部存在します。)ビュフェ車の起源は、ビジネス特急の151系「こだま」の誕生を機に製造された「モハシ150」と思われますが、正式な食堂車も連結することになった同系からは、比較的早く姿を消すこととなります。一方、食堂車を連結しない長距離昼行電車急行では、その需要も考慮してのことでしょうか、153系の登場(サハシ153)から、その後登場する451・471系列(サハシ451・455)、165系(サハシ165)と、ビュフェの連結のスタイルを確立していくことになります。誕生当時は盛況を極めたらしいビュフェ車でしたが、食堂乗務員確保の困難や物価高騰によると思われる食堂利用の低迷など、ビュフェ車を連結しているとはいうものの、営業は殆どされていない状況が続き、全国的に運用から離脱していくことになります。そんな末期の状況の頃、私自身は小学生~中学生時代に営業していないビュフェ車を見る機会がありましたが、中間車ということで写真を撮るという概念も無く、偶然撮ってあったのがこれと言う写真がありましたのでご紹介いたします。昭和52年頃 大宮駅にて サハシ169-7写真はサハシ169-7で、サハシ153-9から改造された車両です。横軽通過対策車として製造された169系では、東海道新幹線の開業により職を失いつつあったサハシ153を改造して編入することとなり、サハシ169としての新製車は1両も存在しません。台車も含めて153系時代の面影を色濃く残しています。しかし、調理室側の明り取り窓が153系時代は同じ高さに開けられていたのに対し、改造時において中央側が1段低く開け直されており、若干バランスを崩したようなスタイルになっているのが特徴です。写真の列車は、大宮駅の急行の発着は殆どなかった思われる折り返しホームの7番線に入っている状況が???なところですが、写真を撮った時間と行き先サボに青帯が表示されているところから推測すると、長野~軽井沢間が普通列車となっていた上り「信州2号」であると思われます。
2022.04.20
コメント(2)
長野電鉄:3500系長野電鉄で平成4年から活躍してきた元営団3000系の3500系が、令和4年4月以降、運用から外れてしまったようです。このことについては、今後も運用の見込みはないと同社からアナウンスされているそうで、東京メトロ03系の導入を待って完全に引退となりそうです。長野電鉄は、以前何度か近くを通ったことがあるにもかかわらず、1度も撮影に訪れたことはありませんでした。平成23年5月、急行「きたぐに」の撮影の帰り道、信越本線経由でクルマを走らせた際、急遽思い出して立ち寄ったのが最初で最後となりました。※撮影は、平成23年5月4日、須坂駅にて。N7編成 モハ3507+モハ3517O1編成 3517+3527O編成がワンマン対応車で、2両編成のN編成と3両編成のL編成がノーマル編成らしいです。この撮影時点でL編成3編成のうち2編成は廃車になっていたそうで、残っていた編成もちょっと分からなかったですね。もしかして、1枚目の横に停まっている編成がそうだったのかも。元営団3000系のトップナンバーであったN1編成は里帰りを果たし、綾瀬に居ます。これにはイベントの際に対面済み。営団3000系初期車は私よりも年上の60歳になりますので、今まで頑張って来ただけでも凄いことです。
2022.04.19
コメント(0)
長野電鉄:屋代線※2012/3/30投稿の記事で、当時の表現になっています。この年、また一つのローカル路線が姿を消します。長野県、屋代駅と須坂駅を結ぶ長野電鉄の屋代線です。長野電鉄は、以前何度か近くを通ったことがあるにもかかわらず、1度も撮影に訪れたことはありませんでした。平成23年5月、急行「きたぐに」の撮影の帰り道、信越本線経由でクルマを走らせた際、急遽思い出して立ち寄ったのが最初で最後となりました。※撮影は、平成23年5月4日です。須坂駅の隣となる井上駅です。こちらは駅舎。というよりは、待合室になっており、トイレが併設されています。最近の無人駅は、せいぜい待合室となる屋根が付いているくらいで、トイレなんて無いのが普通です。サービスとしては非常に助かりますね。O6編成 モハ3616+モハ3626駅に着いたら直ぐに電車が来ることになっていたので、慌てて進入の写真を撮りました。1時間半に1本ということで、見ることができただけでもラッキーです。さらにその隣の綿内駅です。こちらは有人風の駅舎だったのですが、残念ながら無人駅です。そして、各駅に寄って帰ろうと思ったのですが、時間は既に14時を回りました。駅数が思ったより沢山あるため、とても各駅に寄るほど時間はありません。各駅停車の旅もここで断念。始点のしなの鉄道屋代駅へ向かいます。屋代駅ではしなの鉄道に業務が委託されているため、残念ながら切符類は買いませんでした。券売機券でも買っておけば良かったかな・・・失敗しました。窓口でタバコを売っているのが驚き。ちょうど屋代線の電車が到着したので、駅舎から反対に回り込み、なんとか駅名板と列車を入れて撮ることができました。徒歩だと厳しい距離ですが、クルマだと早く行動ができて助かりました。昭和57年11月の改正までは、急行「信州」に併結した「志賀」を屋代駅で切り離し、長野電鉄の終点湯田中駅までの直通列車がありました。それでも、モーターリゼーションの影響は大きく、経営は良くなかったようです。このようなローカル線、一度なくなってしまったら戻ることはできません。
2022.04.18
コメント(0)
EF81138牽引 24系寝台客車:団体列車「鳥海」※2015/7/1投稿の記事で、当時の表現になっています。平成25年4月27日、上り「ニコニコ超会議号」の返却回送を兼ねた団体列車、寝台特急「鳥海」が運転されました。上野を夜発でしたので、関東では非常に条件が悪かったのですが、現役時代にこの列車を撮ることが出来なかったので、是非と思い夜間撮影に挑戦しました。※撮影は、平成25年4月27日です。EF81138牽引 9011レ 団体列車「鳥海」そのまま機関車ごと折り返しとなりましたので、青森区の138号機が牽引しています。前日の撮影で、高校の後輩に当たる人に逢った際、この列車の情報を教えてもらったことにより撮影が実現したものです。ISO10000、SS 1/125です。スピードは結構出ていましたが、あまりブレなかったので運が良かったです。無理だと思いましたが後部も覗きついでにパチリ。自動車橋の反対側からで欄干やトラスなどの障害物が沢山あり、まさか写るとは思っていませんでした。しかも、元々のテールマークが残っていたのか、ステッカーでは無かったようです。良く見ると柵が写っており、良くこの隙間を抜けたものです。青森車は全撤退となってしまったようで、もうこのような団体列車を見ることはできないでしょうね。
2022.04.17
コメント(0)
芝山鉄道3600形(京成リース車)芝山鉄道は、第一種鉄道事業者として日本最短の路線を保有する第三セクター方式の鉄道会社です。京成電鉄との乗り入れから、車両持ち分として8両編成の3600形1編成をリースしていましたが、平成25年3月をもって3500形4両編成へと交代しました。後任の3500形は京成カラーのまま運用されていたようですが、2022年4月に模様替えし、9年振りに芝山カラーが復活したそうです。元芝山鉄道の3600形3618編成が2017年初頭に運用から外れてしまったようです。平成21年10月11日 京成高砂駅にて 芝山鉄道3618編成 快速 佐倉行きホームの立ち食いでうどんを食べ終わり、店を出た途端に目の前に入線してきました。同カラーは1編成しかなく、それまで撮影や現場仕事での移動で見る機会はあっても、なかなか捕獲できませんでした。慌てて撮影したのがこの1枚で、その後も撮影する機会には恵まれませんでした。9455 TOMIX トミックス 国鉄ディーゼルカー キハ27-200形 Nゲージ 鉄道模型(ZN85837)TOMIX トミックス 9455 キハ27-200形(T)TOMIX (トミックス) 98435 [N] 国鉄 キハ56-200系急行ディーゼルカーセット 4両
2022.04.16
コメント(0)
私有貨車 タキ6550形:タキ6560(日本ゼオン株式会社)2021/4/5に投稿した記事で、投稿当時の表現になっています。大宮操車場勤務時代に撮影した写真でずっと気になっていたものがあります。タンク車でありながら奇妙なデザインで、ちょっとコワい印象を持っていました。その風体から大柄な感じにも見えて、ちょっと近寄りがたいような。いつも単車で運用されており、ほぼ毎日見ていたような気がします。もちろん、添乗したこともあります。昭和59年1月? 大宮操車場 上りハンプにてたまたま積雪の光景を撮った写真の中に写っていたタンク車の写真です。非常にインパクトの強い貨車でしたが、小さめに写っているためナンバーが読み取れず、その実態が判らないままでした。拡大画像から見えるナンバーの印象から何度が調査し、今回、形式が初めて掴めました。ヒントとなったのは微かに見える会社名。聞き覚えのある「日本ゼオン株式会社」。ここからの方が意外と見つかるのが早かったですね。形式は、タキ6550を名乗ります。塩化ビニール専用の30t積みで、日本ゼオン株式会社のみが所有し、常備は富山県の能町駅だったそうです。昭和42年に8両が製造されたそうですが、その先がちょっと厄介で、ホキ5600形から3両、ホキ6000形から2両が改造により増備されたらしいです。で、写真を拡大してナンバーの印象を推測すると、どうも6560っぽいな、ということになります。タキ6560は、オリジナルのタキ6550形の8両ではなく、昭和43年に改造によりホキ5600形から編入された3両のうちの1両ということになりそうです。ちなみに、このホキ5600が同類の貨車なのかと思いましたが、画像を検索してみるとまったく似つかない奇妙なスタイルの貨車でした。大規模な改造により編入されたようですね。写真では足元から向こうが見えるため、スポーク車輪を装着しているのが判ります。種車は昭和36年くらいみたいなので、そのまま使用されていたようです。今回の調査でほぼ全容が掴めたようで、安心してアーカイブできました。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3093-1 EF61[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3093-3 EF61(茶)
2022.04.15
コメント(0)
国鉄 455系:サハシ455かつて長距離用の急行として交直流区間をまたがって運転されていた455系列の電車。登場当初は、直流型の153系や165系急行と同様に、軽食を提供するビュッフェ車(今ではビュフェやブッフェとも言われる)が連結されていました。しかし、東海道山陽新幹線が延伸されるとともに食堂従業員がシフトし、食堂車の連結が当たり前であった特急列車ですら供給が追い付かなくなり、特に急行列車における食堂営業はかなり早いうちに立ち回らなくなったようです。東海道山陽新幹線と並行する路線では急行列車そのものがなくなりましたが、東日本では中央本線や上越・信越本線、そして東北本線で昭和40年代末くらいまでビュッフェの営業が続いていました。昭和50年代前半くらいまでは非営業のまま急行列車にサハシが組み込まれましたが、これも昭和52年から56年くらいに掛けてすべての連結を廃し、淘汰された車両は殆どが廃車・解体となっています。昭和47年頃 サハシ455-14 西川口~蕨間にてお見せするような写真ではないのですが、その姿が映っている写真が全然無いため、やむを得ずご紹介いたします。子供の時に初めて買ったカメラがサクラパック。インスタマチックというホルダー式のフィルムをセットする安いカメラです。そして、そのセットに付いていたお試し用のモノクロフィルムで撮影したのがこの写真で、正に撮り鉄人生最初の鉄道写真です。上越や中央東線のビュッフェは昭和50年代半ばくらいまで連結されており、その希少性を認識したときにまだ残存車がありました。そのたその姿を捉える機会もありましたが、一番身近で何回も乗ったことのあるサハシ451やサハシ455は、昭和52年くらいの早いうちに外されてしまったため、気が付いた時には既に無くなってしまいました。好きは車両でありながらも、たったこれしか記録することができなかったの大変残念な形式でした。13連の東北急行の写真をもっと撮っておくべきでした。
2022.04.14
コメント(0)
キハ58系:快速「あがの」2022年3月ダイヤ改正において、磐越西線の会津若松~喜多方間が非電化区間化されてしまいました。確かに、急行列車が走っていた時代からせいぜい3往復くらいの電車列車しか走っておらず、普通列車は客車列車か気動車のみでした。また、同じダイヤ改正において、永らく設定されて来た快速「あがの」も廃止になっています。快速「あがの」は、仙台から東北本線・磐越西線を経由して新潟を結ぶ気動車列車です。元々は仙台発新潟行きの急行列車として走っていたものですが、東北新幹線開業後は磐越西線の急行列車も次々と格下げされ、メジャーであった「ばんだい」「いなわしろ」「いいで」といった全ての急行列車は快速列車に格下げ又は廃止になっています。昭和62年6月14日 下り 快速「あがの」撮影区間は定かではありませんが、会津若松~喜多方の電化区間で撮影したものです。急行「あがの」もご多聞にもれず快速化されてしまったわけですが、写真のとおり急行列車としても遜色が無いほどの編成で走っていました。グリーン車が付いていないのは止むを得ないところですが、それでも新津方の非電化路線を走る7両編成は圧巻だったと言えます。昭和63年4月10日 上り 快速「あがの」スキャンしていないプリントがあったのでスキャンして拡大したところ、種別表示に「快速」が表示されていましたので、間違いなく快速「あがの」であることが判明しました。この時代は景色を重視して撮影した写真が多く、この時代としては珍しくヘッドマークシールが掲示されていたのですが、遠目に撮影してしまったために結局何が表示されていたのか全く判らない写真になってしまったのは残念です。5300 オハフ45 ブルー[KATO]《08月予約》5300 KATO カトー オハフ45 ブルー Nゲージ 鉄道模型 【8月予約】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5300 オハフ45 ブルー[鉄道模型]ホビーセンターカトー (Nゲージ) 5228A オハ46 ブルー ボディレボリューションファクトリー Nゲージ オハ46インレタ 尾久 7203
2022.04.13
コメント(0)
キハ27+キハ40:快速「マリンライナー」北海道新幹線の札幌延伸により、函館本線の長万部~小樽間(いわゆる山線)の存続について議論されてきましたが、長万部~余市間は早々に廃止が決まり、余市~小樽間は存続で検討を続けたものの、地元負担などの大きさから断念に至ったようです。この山線区間での撮影は1度きりでしたが、C623復活に伴う「SLニセコ」をきっかけにその後4回訪問しており、俱知安~小樽間は相当な回数を行ったり来たりしました。しかし、撮影のためにほぼクルマ移動で、この路線を鉄道で通過したのは4~5回くらいしかないかもしれません。かつては特急「北海」や急行「ニセコ」、「宗谷」といった優等列車も走っていた時代は既に思い出の彼方へと消えていきました。山線で撮影した写真はいくつかありますので、列車別に分けて追々ご紹介していきたいと思います。まずはこれ。平成元年7月3日 塩谷~小樽間にて キハ27207+キハ40 快速「マリンライナー」山線を行くキハ27207+キハ40の2連。C623「ニセコ」を撮りに行ったときのものです。山線からは既に急行も特急も消え、完全にローカル線となってしまいました。この区間は、気動車2連の普通列車が多かったようです。写真の車両は、屋上の水タンクが無いことからキハ27と判別できます。スカート付きの後期型で、屋上には冷房改造準備車の特徴であるフタが沢山並んでします。結局は最後まで冷房化されることなく廃車になってしまいました。日本海側の海水浴ができる場所を結んでいたせいか、こうしたネーミングになっているようですが、北海道では海水浴ができる期間は極めて短く、海水浴のイメージは厳しい気がします。この区間では各駅停車となり、快速区間は小樽~札幌間のみ。おそらくですが、普通列車が高速で走る同区間を電車列車から逃げるため、山線直通の気動車列車をこのような設定にしていたものと思われます。9455 TOMIX トミックス 国鉄ディーゼルカー キハ27-200形 Nゲージ 鉄道模型(ZN85837)TOMIX トミックス 9455 キハ27-200形(T)TOMIX (トミックス) 98435 [N] 国鉄 キハ56-200系急行ディーゼルカーセット 4両
2022.04.12
コメント(0)
115系後期冷房車:東北本線・高崎線昭和40年代から地元の本線普通列車と言えば115系というくらい台頭していた車両でしたが、国鉄時代末期から211系が誕生すると、115系も地方に追いやられることとなりました。115系初期車については過去ログ『115系初期非冷房車:東北本線・高崎線』で既にご紹介しておりますので、今回は300番代の冷房車や、末期の1000番台の写真を集めてみます。昭和54年頃昭和40年末頃になると、通勤列車への冷房搭載が実施されるようになります。新製から冷房を搭載した115系は300番台となり、前照灯がシールドビーム化され、顔つきがかなり変わりました。さらに、昭和52年頃からは旧型国電の淘汰が活発となり、東北・高崎地区のみならず、新潟地区や長野地区、さらには身延線や岡山地区などの115系も新製車が投入されます。これらについてはシートピッチの改善や耐寒耐雪構造などが施された1000番台等に派生し、勾配線区を中心に活躍しました。昭和60年11月4日 高崎線 岡部~深谷 115系同士のすれ違い東北本線及び高崎線ではごく一部の普通列車が客車又は急行型車両による運用が残りましたが、殆どの普通列車は115系となり、7+4の11連又は7+4+4の15連で運転されていました。左側は下り列車で、非冷房の7連と短いようです。昭和60年6月2日 蕨駅にて 115系混色15連東北・上越新幹線が開業すると、昼間の特急・急行列車が居なくなってダイヤに余裕ができ、普通列車の増発が図られます。しかし、当時の国鉄は在来線の新製投入まではさすがに財力がなく、短編成化により本数を確保する方法を採りました。これは普通列車に限らず、特急列車も同様でした。ここで不都合が発生します。先頭車の不足です。元々都市圏の長大編成を前提に制作された近郊型電車でしたので、モハの比率が高くなります。それでも、将来の短編成化を見込んでいたようで、7両編成の中間T車にクハを挟んだ編成も多く見られました。昭和60年7月28日 栗橋~古河間にて 115系混色7連全国的に実施された短編成化により先頭車が不足し、一部は中間車サハやモハを電装解除してクハ化したものもあります。しかし、東北・高崎線では7両編成も存置されたため、中間封じ込めされていたクハを地方へ供出し、代わりに中央東線の115系で使用されていたTT車の一部が転属してきました。このクハ→サハの置き換えに際し塗装変更せずに検査まで使用したため、上の2枚の写真のように、混色編成が一時期存在しました。昭和62年3月19日 栗橋~東鷲宮間にて 115系7連それまで11連又は15連で運転された115系普通列車でしたが、日中の本数確保のために短編成化され、それまで見ることのなかった7連や4+4の8連が走るようになりました。しかし、本数が増加したとはいえ利用者数も向上したため、日中の閑散時間帯においても大混雑する列車が見られるようになります。昭和62年12月29日 栗橋~東鷲宮間にて 4連普通列車さらに、日中には大宮折り返しの普通列車が増発されますが、これらには7連や写真のように4両編成まで設定され、混雑に輪を掛けることになります。ちなみに、これら大宮折り返しの列車は、その後の湘南新宿ライン乗り入れ列車の布石となるものです。平成14年8月11日 東大宮~蓮田間にて 115系11連平成14年8月17日 東大宮~蓮田間にて 115系11連昭和60年後半くらいになると、これら車両不足を解消するためか、211系が投入されるようになります。また、湘南新宿ラインの奔りとなる大宮~池袋、さらに新宿間へと乗り入れも始まり、4連や7連といった短編成の運用も解消されることになりました。平成16年8月14日 西川口~蕨間にて 115系 快速運用が改善された115系でしたが、初期車の老朽化や後期車の地方転出などにより運用が激減。さらにE231系も導入されるようになり、この写真を撮った平成16年10月をもって、上野口の運用から撤退となりました。※小山電車区の115系の変遷について、非常に詳しく調査し、紹介した動画を作成していただき、本ブログでご紹介しております写真も使用していただきました。115系に興味ある方は必見です。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3093-1 EF61[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3093-3 EF61(茶)
2022.04.11
コメント(0)
115系初期非冷房車:東北本線・高崎線近郊型電車の決定版となった113系に勾配抑速ブレーキの機能を付加して誕生した115系電車。導入当初は、関東では東北・高崎線、そして中央東線。西でも広島地区などに範囲を広げ、旧型国電の撤退とともに、東海道、関西圏、房総地区を除く各地域へと活躍の場を広げてい行きました。私が物心ついたころには、地元である東北・高崎線もごく一部の客車列車を除き、普通列車は115系化されていました。(さらに一部では165系や455系の間合い運用もありましたけど。)私が小学生の頃は非冷房車のいわゆるデカ目が当たり前であり、高学年の頃に冷房車の300番代が目立つようになった程度でした。今回は、スキャニング済みのものの中から、地元で撮影した115系デカ目非冷房車(冷房改造後)の写真をご紹介いたします。昭和55年頃 川口駅にて先頭の1両だけ非冷房車。当時でもこのような不揃いは珍しかったかもしれません。この時代はまだ冷房化率も50%まであったかどうか。並んだ位置で明暗が分かれることもしばしばでした。昭和55年頃 西川口~蕨間にてこの頃になると冷房化の需要が高まってきており、非冷房で誕生した115系でもデカ目のまま冷房改造されるものが出てきました。しかし、車両数が多いだけに、4両編成の非冷房車はまだまだ健在でした。昭和56年11月頃 西川口~川口間にてこちらも非冷房車の編成ですが、この頃になると、運転席側のテールランプの下に何やら銀箱を付けた車両が目につくようになりました。どうもウォッシャー液の噴射装置らしく、運転席ガラスにこびり付く虫の死骸を除去するためのもののようです。昭和59年1月 大宮操車場から大宮操車時代勤務時代にハンプヤード構内から撮影したもの。ハンプヤード廃止を直前に雪景色の構内を撮影していたものに偶然写っていた非冷房編成。まだ非冷房車が居たんですね。昭和60年11月4日 深谷~岡部間にてこちらもデカ目ですが、さすがにこの頃になると殆ど非冷房車は消滅していたように記憶しています。昭和52年くらいから増備された1000番代の生産も完了し、改造されていない非冷房車は山陽本線方面に移動したものが多かったのではないでしょうか。※小山電車区の115系の変遷について、非常に詳しく調査し、紹介した動画を作成していただき、本ブログでご紹介しております写真も使用していただきました。115系に興味ある方は必見です。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3093-1 EF61[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3093-3 EF61(茶)
2022.04.09
コメント(2)
国鉄 485系:サロ481+サシ481特急列車には当たり前に食堂車が連結されていた時代。特急列車の発展と共に全国に特急列車が走るようになりますが、新幹線の延伸でアクセス特急化されるようになると短距離化・短編成化が行われるように。食堂車を連結しない特急列車が増えてきます。183系電車やキハ183系のように、登場時から食堂車が存在しない形式も誕生するようになりました。昭和57年 上野駅にて 特急「ひばり」東北・上越新幹線開業前は、東北本線を走る昼行特急列車はすべて食堂車が連結され、営業されていました。共通運用のため常磐特急「ひたち」にも連結されましたが、距離が短いため一部列車が非営業。金沢行き「白山」は時代により食堂車を連結しない時期もありました。食堂車は長距離旅客への供食サービスをするほか、編成中の電源エリアを前後で分割するために境界としての役割も果たしていたため、編成の真ん中に連結するのがセオリーでした。ちなみに、ブルトレの食堂車にはこのような役割はなく、気動車特急では空気側と電気側を編成中で交錯させるという電車とは違う役割も持っていました。新幹線の開業・延伸で食堂車の従業員確保が困難となり、食堂車の営業を廃止する列車が増えましたが、別の役割もあったためそのまま連結されるケースも多く存在しました。しかし、その電源エリアの境界をグリーン車サロに持たせることによりサシの連結を必要としなくなったため、すべての電車特急から食堂車が消滅しました。食堂車の連結は私が高校を終わるぐらいだったため、貧乏旅行を強いられた身としては利用する機会もなく、1度も利用したことはありませんでした。10-1129 485系後期形 2両増結セット(再販)[KATO]《発売済・在庫品》10-1479 485系200番台 6両基本セット(再販)[KATO]【送料無料】《発売済・在庫品》
2022.04.08
コメント(2)
EF57牽引 旧型客車:急行「八甲田」「八甲田」は上野~青森を結ぶ急行列車。前記事のEF58牽引急行「八甲田」に続き、今回はEF57が牽引の急行「八甲田」をご紹介いたします。小学生時代の写真なので愚作であることはご勘弁。昭和51年 EF57(機番不明))牽引昭和51年 EF571牽引いずれも上り列車。編成は旧型客車時代末期ですが、昭和51年ではオユ10が冷房化されていないようです。前記事のEF58ではこの頃でも冷房化されたものがあったようですので、ちょうど急ピッチで改造が行われていたのかもしれません。同級生の影響でEF57を追った時代ですが、折しも老朽廃車で急激に数を減らし始めた頃でもあり、多客期のために休車にして延命するなど、捉えるのが大変難しくなっていました。さらに、買ってもらったばかりのカメラを盗まれてしまったことで、親戚から貰っていたリコーオートハーフを多用していたため、ブレブレや指カブリと、遺恨が残る写真ばかりになってしまったのが非常に悔しいです。EF58牽引 旧型客車:急行「八甲田」EF65牽引 12系客車:急行「八甲田」ED75牽引 12系客車:急行「八甲田」5147 ワサフ8000[KATO]《04月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5147 ワサフ8000
2022.04.07
コメント(0)
EF58牽引 旧型客車:急行「八甲田」「八甲田」は上野~青森を結ぶ急行列車。特急列車が高価な寝台列車であった時代、安価に北海道との連絡を行うために大変重宝された列車でした。上野駅を19時台の早いうちに発車し、仙台以北を夜行で早朝に青森着。上りは青森駅を日付が変わった深夜に発車し、仙台以南は昼行列車のように走って11時台に上野に到着します。昭和50年3月ダイヤ改正までは、仙台~青森間でB寝台を増結しており、古くは全区間にB寝台を連結していた時代もあり、さらに気動車による昼行設定されていたこともありました。私が接していたのは旧型客車でグリーン車を1両連結していた時代からで、特に上り列車は遅い時間だけあって、写真に撮る機会もそこそこありました。今回はこの中からEF58が旧型客車を牽引していた時代のものを集めてみます。昭和51年頃 EF58152牽引昭和52年頃 EF58153牽引昭和53年頃 EF5858牽引いずれも上り列車で、11時近い時間なので撮影はしやすい列車でした。グリーン車以外は普通車のみ。上野方に郵便車のオユ10、ワサフ80000を連結しています。写真ではオユ10は既に冷房改造完了後のようです。ワサフ8000は客荷両用として誕生した貨車ですが、ほぼ荷物車用として使用されており、主に荷物列車に連結されました。中でも、西日本の急行「音戸」と東日本の急行「八甲田」には定期で連結された花形運用でした。ちなみに、昭和53年の時刻表によると、オユ10は下りが上野~郡山間、上りが全区間、ワサフ8000が往復とも全区間とやや変則的な運用だったようで、下りの青森口のみワサフ8000を最後尾に走る姿を見られたようです。EF65牽引 12系客車:急行「八甲田」EF57牽引 旧型客車:急行「八甲田」ED75牽引 12系客車:急行「八甲田」5147 ワサフ8000[KATO]《04月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5147 ワサフ8000
2022.04.06
コメント(0)
EF615牽引 荷物列車EF61が牽引する急行「阿蘇」との出会いから数年が経過。東海道方面へは瀬野八や山口線、飯田線と何回も撮影に行きましたが、EF61との再会はありませんでした。そして、久しぶりに出会ったEF61。飯田線の撮影に行った帰り道のことでした。昭和58年4月16日 豊橋駅にて EF615牽引 荷38レEF61は両数が少なく、運用もごく限られていたようで、まして関東ではキャッチすることが出来ませんでした。このとき、偶然にも待避中だったらしく、しばらく停まっていてくれたので何とか撮影することができました。瀬野八や山口線の撮影に行くたびにEF61を見たかったのですが、運が悪いのかEF58ばかりで全く捉えることができず、私にとっては貴重なワンショットとなりました。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3093-1 EF61[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3093-3 EF61(茶)
2022.04.05
コメント(2)
EF6118牽引:急行「阿蘇」名古屋~熊本を結んでいた急行「阿蘇」。新幹線博多開業(昭和50年3月)以前は、寝台車・自由席車を旧型客車で編成した列車でした。昭和49年8月 大阪駅にて EF6118牽引 上り急行「阿蘇」私が初めて大阪に行ったとき、山陽方面の客車列車は、特急列車も含めてEF58又はEF65500番台が牽引しており、EF61を見たのはこの「阿蘇」だけでした。実は、この「阿蘇」を牽引していたEF61は私が見た初めてのEF61形であり、同車に興味を持つきっかけとなった列車でした。新幹線博多開業後は運転区間が新大阪~熊本に短縮され、客車も14系化されてしまいます。この時点において、10系寝台車を含む旧型客車やEF61の牽引もなくなってしまいました。さらに、日豊本線の「くにさき」と併結によりさらに地味な存在となり、旅客需要の低迷から廃止となりました。昭和54年3月、九州旅行からの帰り道に乗車した14系「阿蘇」も遠い思い出となってしまいました。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3093-1 EF61[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3093-3 EF61(茶)
2022.04.04
コメント(0)
E257系2000番台:特急「踊り子」(池袋・新宿発着)定期スジで設定されていた池袋・新宿発着の特急「踊り子」ですが、令和4年3月のダイヤ改正において消滅してしまいました。他にも大きな出来事があったために気が付かず。帰宅の際、いつもの時間にそれまでいなかった「成田エクスプレス」が5番線に停車していたため、初めて知った次第。仕事が忙しくなって、状況を調べるのに時間が掛かってしまいました。直近の状況確認では、平日・休日の定期的な設定で朝に設定されていた新宿発の「踊り子1号」や夕刻に到着する池袋行きは消滅。4月に1本の臨時が設定されたもののGW期間中には一切設定されていないなど、ほぼ壊滅的な状況に追い込まれたようです。※撮影は、すべて新宿駅にて、特急「踊り子18号」です。令和2年6月26日コロナ禍で時差通勤を余儀なくされた結果、1時間遅い時間に新宿駅へ。この年の3月ダイヤ改正から初投入されたE257系を使用した「踊り子」でしたが、ほぼ毎日残業だったためにこの日初めてのご対面でした。令和2年7月8日令和2年7月21日令和2年11月13日令和2年11月20日令和3年2月1日新宿駅は18:59発。夕刻ラッシュ時間帯のため遅れに巻き込まれることも多く。普通の退勤時だと間に合わないのですが、いずれも少し遅れたために撮影できたものです。令和3年7月9日人身事故で見合わせる前に逃げ切って来たらしく、少し遅れ目で到着したようです。1~4番線の列車が5・6番線に逃げてくることは良くありますが、5番線定発着の特急列車が4番線に入るのは珍しい。5番線に入る湘南新宿ラインが遅れているため、「踊り子」もしばらく発車できずに停まっていました。令和4年2月10日いつも同じ写真にしか撮れないので、遅れで出会う機会は多かったですが、あまり撮りませんでした。この日は雪が降ったために撮影したものの、雪が目立たず残念な結果に。改正前には見落としていたために特に掲示類などの記録は撮っていませんでした。まさか消滅まで追いやられるとは思いませんでしたが、平日の利用率は編成単位でも2桁乗っているかどうか程度でしたので、この決断は間違えとは言えないと思いました。5228 オハ46 ブルー[KATO]《08月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5228 オハ46 ブルー5300 オハフ45 ブルー[KATO]《08月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5300 オハフ45 ブルー
2022.04.03
コメント(0)
EF58牽引 荷物列車:東海道・山陽編(その3完)かつては日本全国に走っていた荷物列車。その2からの続きで、昭和58年に撮影したものから。あまり記録を取っていない時代なので、撮影時期が曖昧なものがあります。また、牽引機であるEF58の撮影がメインのため、荷物車があまり写っていないものも多くありますのでご了承を。昭和58年12月1日 早川~根府川間にて EF58112牽引昭和58年12月1日 早川~根府川間にて EF58155牽引昭和58年12月1日 早川~根府川間にて EF58163牽引昭和58年12月1日 根府川駅にて EF58171牽引EF58が次々と倒れ、終焉が近付いてきた頃、それまで撮ったことのなかったEF66牽引のブルトレと合わせて荷物列車の撮影へ出掛けました。列車によっては銀色のスニやワキが多く連結されているものもありますが、マニ44やマニ50率が非常に高くなっています。ほんの少しだけ茶色の荷物車が見られたようです。昭和59年 東戸塚駅付近にて EF5891牽引昭和59年 東戸塚駅付近にて EF58150牽引珍しく雪が降った日、わざわざ撮影に行ったようです。線路際でひたすらその時間を待った挙句、直前に線路内へ乱入したクソテツのお蔭で記録が台無しになってしまいました。最高に腹が立ったらしく、当時はマメに取っていた撮影の記録も残されていません。昭和59年3月23日 保土ヶ谷~東戸塚間にて EF58158牽引昭和59年3月23日 東戸塚駅付近にて EF58118牽引当時の記憶は既にありませんが、調べてみると昭和59年3月29日がEF58牽引荷物列車の最終運用だったようで、そこを境にEF62牽引に代わったようです。EF62牽引は不自然極まりなく、荷物車も新しい客車ばかりとなって興味もなく無り、2度と撮影に行くことはありませんでした。しかし、その2年後には荷物列車そのものまで廃止されてしまうとは夢にも思わず、結果、終末期のEF62牽引荷物車を撮らなかったことには今更ながら悔いが残る結果となりました。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1724 郵便・荷物列車「東海道・山陽」 6両セットB[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-899 郵便・荷物列車「東海道・山陽」 6両セットA
2022.04.02
コメント(0)
EF58牽引 荷物列車:東海道・山陽編(その2)かつては日本全国に走っていた荷物列車。その1からの続きで、昭和55年くらいに撮影したものから。あまり記録を取っていない時代なので、撮影時期が曖昧なものがあります。また、牽引機であるEF58の撮影がメインのため、荷物車があまり写っていないものも多くありますのでご了承を。昭和55年頃 田町駅にて EF5856牽引ブルトレ撮影の合間でしょうか。終点汐留を目前にして徐行で通過する上りの荷物列車。残念ながら次位のマニ60と思われる1両分しか写っていません。昭和55年8月 木曽川~岐阜間にて EF58112牽引逆カーブで編成がちょっとしか見えませんが、次位がマニ50で茶色が続きます。昭和55年8月 神足~山崎間にて EF58113牽引次位がちょっと見えませんが、2両目から銀、オユ、茶、茶、スユ、オユ、銀、茶のようです。郵便車の混入率が高い編成ですね。昭和56年5月 東戸塚付近にて EF58160牽引下りの荷物列車。背後から急襲されてどアップになってしまいました。次位には未だ茶色の荷物車が使用されています。昭和57年10月4日 八本松~瀬野間にて EF58146牽引正面からなので編成が判らないですが、まだ茶色が連結されていますね。同区間では、編成重量と機関車の牽引定数により補機連結の有無が決まり、同列車には補機にEF61200番台が連結されています。4回くらい訪問していますが、荷物列車の補機付を撮れたのはこの1枚だけ。昭和57年10月6日 八本松~瀬野間にて EF5846牽引前の写真を撮った帰り道で撮影したもののようです。こちらの列車は一転してマニ50とマニ44のオールブルー。銀色すら見当たりません。まるで時代が違っているようです。昭和58年5月17日 八本松~瀬野間にて EF58101牽引2つ前の写真と全く同じ場所・時間のようで、おそらく同じ列車でしょう。列車長も同じくらいに見えますが、積み荷が少ないのか、補機は連結されていません。こちらも編成状態は分かりませんが、後部は2両ともマニ44になってしまっているようです。昭和57年11月ダイヤ改正辺りで締めようと思ったのですが、瀬野八での写真を比較したかったので、昭和58年まで混ぜてご紹介いたしました。マニ50に加えパレット車の後継であるマニ44が登場したことにより、急速に茶色率が低くなると共に、銀色のワキ8000やスニ40も急速に淘汰されて行ったようです。(その3につづく)[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1724 郵便・荷物列車「東海道・山陽」 6両セットB[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-899 郵便・荷物列車「東海道・山陽」 6両セットA
2022.04.01
コメント(0)
全29件 (29件中 1-29件目)
1