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583系:団体列車 特急「ひばり」リバイバル運転53・10改正まで運用されていた583系による特急「ひばり」。583系が激減する中、最後の力を振り絞って運転されたリバイバル運転で、地元を特急「ひばり」として走った記録があります。正しい企画名・列車名は不明です。平成14年9月22日 583系青森車 団体列車「リバイバルひばり」当時辛うじて残存していた青森車の9連で運転されたリバイバル列車です。既に定期運用は無かったと思いますが、臨時の「はつかり」や「はくつる」の運用が細々と残っていた頃と記憶しています。この時点においても殆どの583系は廃車され、既に希少な存在となっていました。国鉄時代の姿に近づけるため、JNRマークを復活させ、クハネのJRマークを青いステッカーで隠すなど、ファンに配慮した対策が取られました。愛称幕は国鉄時代のものが残っていたらしく、本物のようです。平成19年12月16日 583系仙台車 団体列車「リバイバルひばり」秋田車がまだ仙台でN-1+N-2編成としてバリバリ活躍していた頃。青森運転所での運用から全面撤退してしまった583系は、波動用として転属した仙台運転所の6両と、南秋田運転所へ転出した9両のみとなり、これらを使用したリバイバル運転が何度か設定されました。仙台車はその地域柄からか、「ひばり」については字幕とイラストマークの両方が設備されていましたが、リバイバル運転は思ったより設定されませんでした。平成19年12月15日 東大宮操車場にて上りの運転後、東大宮操車場に留置された583系。仙台車はディズニー臨として上京することは多いものの、上野口に姿を現すことは殆どありませんでした。上野方にはイラストマーク、仙台方には文字マークが設定され、懐かしい姿を見ることができました。
2022.09.30
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キハ130併結:室蘭本線 普通列車キハ130は、JR化後の昭和63年、日高本線用に導入した16m級の気動車。ローカル線での過剰な供給を抑えるために導入した気動車です。コンセプトとしては良かったのでしょうが、実際には塩害や二重窓になっていない点など、不都合が多かったようで、平成11年度から廃車が始まり、平成14年度を最後に全廃となってしまいました。平成2年9月5日 室蘭本線 追分~安平間にて キハ130+キハ22+キハ40室蘭本線のローカル区間です。日高本線では撮影したことが無かったのですが、何故か室蘭本線の普通に併結されているところを写真に捉えています。定期運用だったのか、詳しいところは分かりません。あまり興味がある分野の車両ではなかったので、わざわざ撮りに行く気もありませんでした。しかし、廃車が早まった情報を雑誌から得ていましたので、場所が違えど、この写真を撮っていたことに安心感がありました。
2022.09.29
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185系:特急「おはようとちぎ」東北新幹線開業後、新幹線が停車しない駅の速達利便性の確保から新たな特急列車が誕生します。それが185系を使用した新特急「なすの」でした。しかし、実際は急行「なすの」を特急化しただけのような存在の列車であり、所要時間の短縮も無く実質料金が値上げされたようなものでした。そのため利用率は極端に低く、後に増発される快速列車へとシフトしていくことになります。平成2年3月の改正において、新特急「なすの」は新宿~黒磯間を残して快速列車へシフト、たった1往復のみの存続となってしまいました。平成4年3月改正では、上り1往復が宇都宮~新宿間に増発され、1.5往復体制となります。平成7年12月の改正において、新幹線の列車名が整理され、那須塩原発着の各駅停車タイプを「なすの」とすることになり、名称を奪われた新特急「なすの」は上りを「おはようとちぎ」、下りを「ホームタウンとちぎ」改称します。また、平成14年12月の改正において、新特急の種別が廃止となり、特急列車となっています。今回は、上り列車の「おはようとちぎ」の写真を総括いたします。平成19年10月7日 特急「おはようとちぎ2号」平成20年1月14日 特急「おはようとちぎ4号」まだ上り2本が健在だった頃のものです。2号は「カシオペア」よりも前、4号は「北斗星」より後の通過となっていました。平成21年1月12日 特急「おはようとちぎ」平成20年3月15日の改正で宇都宮始発の「おはようとちぎ2号」が廃止となり、上り1本のみの列車となっていまいます。平成22年10月16日 特急「おはようとちぎ」湘南新宿ラインの増発や利便性の向上から、とうとう特急「おはようとちぎ」の廃止がアナウンスされました。平成22年10月17日 特急「おはようとちぎ」&183系団臨団体列車に追越しを掛けてきた185系「おはようとちぎ」。国鉄型特急車両の競演となりました。平成22年12月3日、本改正を最後に、東北本線の役割となる185系特急が消滅しました。
2022.09.28
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481系 ボンネット型:特急「みどり」現在は主に博多~佐世保を結ぶ特急列車として運転されている「みどり」ですが、現在の運転区間は昭和51年の長崎本線・佐世保線の電化開業に合わせて誕生したもので、485系による「かもめ」との併結で運転され、当時としては珍しい運転形態として注目されていました。それ以前、昭和50年3月の新幹線博多開業までは、新大阪・岡山と大分を結ぶ特急として運転されていました。それ以前についても遍歴が長い列車なのですが、詳細は省略いたします。昭和49年8月 大阪駅にて大阪へ撮影に行った際、帰りの「銀河2号」を待っていたときに偶然隣のホームに到着したので撮影したものです。ポケットカメラでの写真なので、かなり画像が悪いのが勿体無いですね。当時、赤スカートのクハ481は憧れの車両であり、フィルム枚数の制限の中で唯一撮ることが出来た1枚として、非常に思い出深い写真です。その後、まさか復活するとは思ってもみませんでしたが、その後2度ほど九州に行く機会があったにもかかわらず、行程の都合で逢うことができなかった列車です。昭和52年頃 上野駅にてこれはウソ写真です。「白山」から「そよかぜ」に幕が変わるときに現れる現象として、当時は結構有名でした。イラスト化による幕交換で、このような現象もなくなってしまいました。新幹線博多開業前は、山陽本線が最も賑わっていた時代。こんな華やかな時代は二度と戻ってはこないでしょう。-101527 485系初期形 6両基本セット[KATO]【送料無料】《01月予約》送料無料◆10-1527 KATO カトー 485系初期形 6両基本セット Nゲージ 鉄道模型 【1月予約】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1527 485系初期形 6両基本セット送料無料◆セット販売 10-1527/10-1129/10-1130/4556/4570 KATO カトー 485系初期形 6両基本セット+後期形 2両増結セット+初期形 2両増結セット+サハ481 初期形+サロ481 後期形 Nゲージ 鉄道模型 【1月予約】
2022.09.27
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185系B6編成:185系に乗る 上野⇔黒磯 日帰りの旅185系 上野~黒磯間(ツアー)クラブツーリズム「185系に乗る 上野⇔黒磯 日帰りの旅」が運転されました。※撮影は、令和4年9月25日です。185系 B6編成 9523M 185系に乗る 上野⇔黒磯 日帰りの旅リレー色が使われるのかと期待しましたが、ここはやはり出し惜しみでしょうか?ヘッドマークは「団体」・・・お色気無しでした。しかし、185系も今年度いっぱいくらいでしょうか?9523M 上野 9:15~黒磯 12:349526M 黒磯 14:50~上野 18:23
2022.09.26
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185系200番台+165系:高崎線 普通列車185系 新幹線リレー号塗装 復活撮影会(ツアー)185系200番台は、昭和56年末に上野口の165系の置き換え及び「新幹線リレー号」の運転に備えたものとして0番台をベースに誕生しています。全車両が出揃い、昭和60年3月に東北・上越新幹線が上野開業となるまでの間、急行「ゆけむり」「草津」「あかぎ」「なすの」などと共通運用となっていました。さらに、東海道本線ほどではありませんが、115系の不足から夕方の普通列車にも運用されていました。昭和57年5月 西川口~蕨間にて2ドア車による混雑は激しく、高校時代にアルバイトで「急行利用調査」をしていた際も、これらの列車が来る際は乗客整理を手伝わされました。特に上野口の165系による普通列車は、昭和50年3月以降のグリーン車乗務員廃止により、料金を払わずに乗車することができるようになったので、これを狙って早くからホームに並ぶ乗客も見られたようです。写真の普通列車は165系と185系の混成で、列車番号に910Mという表示が出ています。もちろん下り列車に有り得ない番号なので調べてみますと、上りの列車が急行「ゆけむり6号」「草津6号」で、折り返し上野駅17:09発879Mであるということが判りました。私の記憶ではこれ以外に同様の普通列車がもう1本、さらに東北本線の小金井行き(455系)が1本ありました。東海道線では平成25年まで普通列車に運用されていたのとは対照的ですが、極短い期間、上野口でも185系による普通列車が存在していました。なお、信越本線では横軽が廃止となるまで、185系による普通列車が運転されていました。
2022.09.25
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485系新ニイ車:快速「一村一山」平成24年度までは長らく183系OM車で運転されていた快速「一村一山」ですが、大宮総合車両センターから183系が撤退したことに伴い、平成25年度の設定から485系新潟車が運用されました。185系化されるものとばかり思っていましたが、何故か485系が運用されるようになり、謎でありました。さらに平成26年、夏臨の発表において、7月の運転は続けて新潟車の登板となりましたが、9月の運転については185系が運用される予定となりました。おそらく、新潟車による485系の運用縮小に伴うものと考えられます。平成25年7月13日 485系K2編成 9729M 快速「一村一山」平成25年9月14日 485系K2編成 9729M 快速「一村一山」平成25年9月14日 485系K2編成 9738M 快速「一村一山」485系新潟車にはヘッドマークは用意されていないため、前サボ・横サボともに「快速」のみの寂しい設定となり、写欲をそそられることはありませんでした。平成26年7月12日 485系K1編成 9729M 快速「一村一山」前日に特急「いなほ」の定期運用から485系が撤退することになったためか、回送時に「いなほ」のヘッドマークを掲げて運転されてちょっとした騒ぎになりました。これを撮り逃したためにガッカリしましたが、なんと本運転でもしっかりと「いなほ」のヘッドマークを掲げており、大きなサプライズに拍手を送りたくなりました。ちなみに、東十条までは「快速」幕であったことは他の方のブログで確認し、大宮駅の時点で「快速」幕へ戻されたとの情報が入っていましたので、赤羽~大宮間限定で掲出したようです。平成26年7月12日 485系K1編成 9738M 快速「一村一山」平成26年7月12日 485系K1編成 回9749M返しと回送も何かを期待しましたが、残念ながら本来あるべき姿での運転となりました。最終の運転日は、いつにもなく大勢のギャラリーでにぎわいました。もしかしたら、485系そのものの上京が最後になるかもしれない予感があったためでしょうか?最期に粋な計らい(おそらくは車掌個人のサービス精神?)でサプライズを演出してくれたことに感謝したいと思います。
2022.09.24
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EF8181+EF5889牽引旧型客車:団体列車「機関車撮影列車の旅」鉄道博物館 EF58形61号機 展示ということが正式に発表されたようで、やっと安住の地で休むことができるようです。今回の記事は、そんなお召機が主役では無くて、ゲストとして出演した撮影会の出来事です。国鉄時代末期、増収策として様々なジョイフルトレインが誕生するとともに、旧型の世代交代に伴うイベントも結構実施されていたように思います。基本的には有料イベントの参加を好みませんが、昭和60年、与野駅に勤務していた時に募集があり、増収策への寄与として友人と共に参加を申し込んだような記憶があります。運転日は昭和60年7月7日、クーポンがあったかどうか全く記憶にないのですが、ワッペンが配布されています。裏側はシール式になっており、かなり大きめのものでした。※当時は国鉄職員なので管内パスを持っており、身近な移動では切符を意識していなかった。運転区間は上野~常磐線~武蔵野線を経由し、大宮駅~東大宮操車場へと向かう路線でした。当時は団体列車でもこのような経路を辿る列車は珍しく、鉄道ファンの心をくすぐる企画でした。EF8181とEF5889の重連で、旧型客車7両を牽引しました。保存車として人気絶頂であったEF5889と、科学技術博覧会(つくば万博)で御召指定機として一躍ヒーローとなったEF8181、さらに、全国から淘汰され姿を消しつつあった旧型客車と、誰もが納得する組み合わせでした。現地では、東京機関区から別に回送されてきたEF5861が参加し、人気の茶ガマ重連を連結した編成が仕立てられました。返しの準備をしながらの段取りが見え見えなセッティング。EF5889に何故か「北陸」のヘッドマーク、EF8181にはお召列車を彷彿させる日章旗の掲出が行われました。せめて幻の「北星」や「つばさ」のヘッドマークなんていう方が喜ばれたのでは?と思います。そして前後は変わりますが、来た時と同様のシチュエーションが組まれました。残念なのは、乗車したこの編成での撮影がメインであり、他にも583系などの車両も居た筈なのですが、それらは一切参加せず、近くに居た廃車待ちのような車両を自由に撮ってくださいみたいな感じで、殆どの参加者が消化不良であったと思います。乗車距離も非常に短く、まだまだ企画としては十分なものではなかったと思いますが、今のように何かを売りつけて参加費を吊り上げるような悪どさはなく、ある意味まだ素朴な時代だったかもしれません。
2022.09.23
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485系1500番台:特急「ひばり」上野~仙台間を結んでいた特急「ひばり」。主に485系仙台車が使用車両となりますが、仙台車に混じって青森運転所の車両も多く運用されていました。北海道に781系が登場し、その任を解かれた485系1500番台が青森運転所に集中配置されたため、4つ目のクハ485-1500も「ひばり」に使用されるようになりました。昭和56年 上野駅にて と583系「はつかり」と並ぶクハ481-1500「ひばり」上野駅での1コマ。東北・上越新幹線が開業するまで、極日常的な風景でした。昭和57年5月頃 300番台だとばかり思っていた写真なのですが、良く見たら北海道用の1500番台でした。蕨駅の貨物取扱いも健在で、田端~川口間の折り返し中継となる蕨駅では、DD13や旧型電機日常的に見ることができました。1500番台が青森へやって来たのが昭和55年半ばですから、「ひばり」に充当されたのは実質僅か2年程と言うことになります。本数はそれなりにあった筈ですが、ただでさえ運用の長い青森運転所の車両であり、出逢う確率はかなり少なかったようです。98795 国鉄 485-1500系特急電車(はつかり)基本セット(6両)[TOMIX]【送料無料】《発売済・在庫品》10-1479 485系200番台 6両基本セット(再販)[KATO]【送料無料】《発売済・在庫品》【予約 2022年9月予定】 Nゲージ TOMIX No:98796 485-1500系特急電車(はつかり)増結セット(3両)
2022.09.22
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EF5861牽引:14客車「サロンエクスプレス東京」EF5861が鉄道博物館に収蔵されることを記念して、現役時代に良く牽引していた「サロンエクスプレス東京」とのコンビ写真をご紹介したいと思います。鉄道博物館 EF58形61号機 展示昭和60年11月4日 岡部~深谷間にて昭和61年2月12日 栗橋~東鷲宮間にて「サロンエクスプレス東京」は、昭和58年に14系客車からの改造により誕生しました。また、当時は国鉄から絶滅してしまった展望車を備えるものであり、関西の「サロンカーなにわ」とともに大きな話題となりました。時は好景気、贅沢な旅を演出するジョイフルトレインが続々と誕生し、ジョイフルトレインという名前が出てきたのもこの辺りだと思います。牽引機を選ばない車両のため様々な機関車に牽引されましたが、その出で立ちや豪華さからEF5861が先頭に立つことが多かったように思います。
2022.09.21
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EF5861牽引12系お座敷客車「江戸」:団体列車「ジパング倶楽部」東京総合車両センターで保管されていたロイヤルエンジンEF5861ですが、令和4年9月18日未明に鉄道博物館に隣接した大宮総合車両センターまで陸送されたそうです。走り装置に故障があった筈で、本線での回送はできなかったようです。本来なら真っ先に鉄道博物館に収蔵されるような車両でしたが、まだ活躍の機会を狙っていたのか、入り損ねたという感じがします。さて、そんなロイヤルエンジンの現役時代の記事です。国鉄時代の最末期、増収策の一環と思われますが、「ジパング倶楽部」という会員制の割引制度が設定されました。それまでは駅ごとに高齢者(老人会等)を対象とした団体募集を渉外により獲得していましたが、そうした渉外によらずに固定客を獲得しようと目論んだものではないでしょうか?私も当時はまだ国鉄職員でしたが、そのような制度が考案されていたことなど全く知ることはなく、無駄な増収策(余剰人員を対象とした無意味な渉外等)に駆り出されたこともありました。そんな制度が走り出した頃、当時、各地で増殖しだした数多くのジョイフルトレインが日本全国を走り回り、この「ジパング倶楽部」を銘打った団体列車が走りました。昭和61年9月頃? 蕨駅にて EF5861+12系「江戸」 団体列車「ジパング倶楽部」詳細な撮影記録がないのですが、前後のコマから推定される時期です。人気のEF5861が牽引し、「ジパング倶楽部」のヘッドマークまで誂えています。事前の情報でもヘッドマークの掲出の情報があったかどうかは記憶がありませんが、それほど執着のなかったこの時代にわざわざ撮りに行ったのですから、事前の情報があったのかもしれません。客車は、南シナのスロ81系お座敷客車の後継として誕生した12系「江戸」が使用されています。「サロンエクスプレス東京」や「なにわ」で導入された展望室は普通のお座敷客車にも採用されるようになり、旅心をくすぐったと思われますが、若い年齢にはまだ手の届かないまだシチュエーションでした。65歳以上という高齢者向けの制度であった「ジパング倶楽部」は、対象があまりにも遠い話であり、全く縁のないものと考えていました。JR東日本でその後に設定された「大人の休日俱楽部」は既に対象となってしまい、いつの間にか40年近いの歳月が流れてしまったことに、ただため息が出るばかりです。
2022.09.20
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国鉄 豊肥本線:キハ55豊肥本線は、熊本~大分を結ぶ現存の路線です。観光地である阿蘇山を擁した観光路線といえるでしょう。阿蘇の外輪山が非常に険しく、途中の立野ではスイッチバックが見られます。昭和54年3月26日 豊肥本線 立野駅にて キハ55138中学の卒業旅行で九州に行ったとき、高千穂線から高森線にバスで抜けて、豊肥本線の立野駅で撮った写真です。当時もキハ55系の存在は知っておりましたが、首都圏では既に常磐線くらいでしか見ることが出来なくなっていたと思います。高校生時代に上野駅でアルバイトをしていたとき、臨時にの「ときわ」「奥久慈」の中間に連結されていたのを見たことがあります。しかし、中学時代は水郡線のようなローカル線には行ったことがなかったので、初めて間近で見るキハ55に感動した記憶があります。98111 TOMIX トミックス 国鉄 キハ55形ディーゼルカー (急行色・一段窓) セット(2両) Nゲージ 鉄道模型 【9月予約】[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) 98111 国鉄 キハ55形ディーゼルカー(急行色・一段窓)セット(2両)2469 国鉄 キユニ26形 ディーゼルカー(急行色)(再販)[TOMIX]《09月予約》
2022.09.19
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八高線:キハ35系・キハ20系現在は、高麗川を境にして八王子方面が電化されてしまった八高線。旅客需要の少ない高崎方面は非電化のまま残っていますが、車両はキハ110系に統一されています。そんな八高線も、平成8年3月までは全線が非電化で、キハ30系が我が物顔で走っていました。昭和61年2月4日3両編成。キハ35+キハ35+キハ30です。昭和61年2月4日これもほぼ同じ場所で撮った写真だったと思いますが、当時は撮影区間を記録していなかったので、どの辺りか判りません。手前からキハ35+キハ30+キハ35900番台+キハ30ですね。900番台は好きな形式でしたが、なかなか先頭に立っている写真を撮ることが出来ませんでした。銀色時代に走行写真を撮りたかったんですけどね。昭和52年くらいから塗装化が始まってしまったようです。昭和61年10月9日 東飯能~高麗川間にて現在は電化区間となってしまった区間です。正面からの写真なので形式は判りませんが、手前はキハ30のようです。3両目はベンチレーターが押し込み形になっているので、寒冷地仕様の500番台であることが判ります。この500番台、まともに撮れた写真が無いようです。もっとも、当時はそのような形態差を知らなかったと思います。DD51を撮りに行っただけであり、キハ30系はあくまでもついででしかありませんでした。昭和63年12月6日 高崎線 倉賀野~新町間にて民営化後、高崎線への乗り入れ区間で、もちろん架線下を行く気動車となります。「オリエント急行」を撮影に行った際についでで撮影したもので、特に気にせずアルバムに貼ってあった写真なんですが、良く見たら2両目はキハ20でしたね。全然気が付いていませんでした。この時代は全国的にも北海道を除きキハ20系は絶滅状態にあったと思いますので、まさか首都圏に現役でいるとは思っていませんでした。三脚に据え付けていたので後追いを撮っていなかったのが悔やまれます。平成6年4月30日 丹荘駅にて平成6年4月30日 竹沢駅にて八高線の高麗川駅以南の電化開業及び高麗川駅以北のCTC自動閉塞化により、非電化区間におけるタブレットが廃止になることになりました。また、同時にキハ30系の撤退も発表されたため、それまでDD51牽引の貨物列車を撮影するついでにくらいしか撮ったことのないキハ30系の写真を撮りに出掛けました。以下は組み写真です。平成6年4月30日、明覚駅で定点で撮影したものです。まずは上り列車(画面右側)が到着して退避。そこへ下り列車(画面左側)が到着します。対向の先頭車は500番台ですね。上り列車から受け取ったタブレット(通票)を下り列車にもって行きます。上り列車からタブレットを受け取った下り列車はさっさと出発していなくなっています。そして、下り列車から受け取ったタブレットが、上り列車運転士へ手渡されます。タブレットを受け取った上り列車がやっと発車していきました。今となってはこんな非合理的な方法も、正面衝突を防止する画期的な列車防護方式でした。平成6年5月29日 越生~明覚間にて 4連で、先頭のキハ35は押し込み型ベンチレーターを装備した500番台となっています。八高線にD51が走った日。この場所の奥で線路内にジジィが乱入。大変な騒ぎとなり、永らくイベント列車の運転が無くなりました。当時はまだ電化の話など無く、相模線や八高線、房総ローカルなど、まだまだキハ35系の活躍の場があり、また、西日本のローカル線でも当たり前に使用されていた形式でした。全く珍しいと言う感覚がなく、あくまでもついででしか撮っていませんでした。もう少し形式写真も撮っておけば良かったと思います。
2022.09.18
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国鉄 163系:サロ163ー1国鉄の急行形において交直流型で言うところ、451系・471系(MT46)が453系・473系(MT54)に出力アップされ、さらに455系・475系により勾配抑速ブレーキブレーキを設けて形式が発展していきます。これを直流の急行形にこれになぞれば、母体となる153系(MT46)が出力アップにより163系(MT54)となり、さらに勾配抑速ブレーキブレーキを搭載して165系と発展していくことはお分かりいただけると思います。そしてその計画は実際のものとなり、当時、非冷房の1等車(グリーン車)であったサロ152の冷房化を目的として、サロ163が新製されることになります。※交直流型と153系の時点で時代差があるため、TR59形→TR69形と足回りに違いがあります。しかし、既に勾配抑速ブレーキブレーキを搭載した165系も計画されている段階において平坦線区用の出力アップ車を用意することについては、車両保守や運用管理、さらに広域配転における制約を招くことになるため、形式を165系に絞って増備されることになりました。このような経緯により、163系においてはサロ163が7両製造されたのみに留まり、電動車が存在しないという極めて異質な幻の形式となったわけです。昭和54年頃 東京駅にて サロ163-1 急行「東海」サロ163は、昭和39年に製造され、宮原電車区に配置となります。153系のサロ152を置き換え、153系と共に使用されています。昭和45年には全車が大垣に転属となり、やはり153系と共に急行「東海」などの優等列車に使用されました。その後、サロ163-7は113系化によりサロ112-51となっています。本来ならば165系自体も誕生している時代ですが、サロ163には勾配抑速ブレーキ関係の引通しなどが設備されていないことから、もっぱら153系としか運用できなかった訳です。改造工事を行えば、サロ165としても活用できたのではないかと思われますが、何ら手を加えられることも無く、昭和58年までに全車が廃車されています。写真は、東京駅に停車中のサロ163トップナンバーを見つけ、喜び勇んで撮ったものです。当時はまだ詳しい知識は持っていなかったのですが、サロ163という車両が存在していることは知っていましたし、163系という形式が空きになっていることも知っていましたので、非常に特殊な存在であったことは自覚していました。同時に計画された165系は東北・上越新幹線の開業後までも残るものが存在しましたが、同じ時代に誕生した経緯を持ちながら、たった20年弱で生涯を終えてしまった163系は、幻かつ不運な形式だった思います。
2022.09.17
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185系0番台:東海道本線 普通列車185系 新幹線リレー号塗装 復活撮影会(ツアー)185系0番台は、昭和56年に東海道本線の153系急行列車を置き換えるために誕生した車両で、その後特急「踊り子」として運用されますが、車両が出揃うまでは急行「伊豆」はもちろん、当時は多数あった普通列車にも運用されていました。元々2ドア車による混雑は不評であり、時代とともに3ドア車が増備され、185系による普通列車は姿を消しました。東海道本線では、朝の1本のみ185系による普通列車が存置されていました。普通列車でありながら全車リクライニングシートの訳ですから、タダでグリーン車に乗れるようなものです。早朝にもかかわらず人気がありました。平成20年1月26日 早川駅にて平成20年8月16日 早川駅にていずれも「富士」「はやぶさ」の写真を撮るために陣取った場所ですので、後追いでしか撮っていません。次の根府川駅では後発の特急「踊り子」に抜かれるため、185系の種別違いの並びを見ることができました。昭和56年5月 田町駅にて 829M185系が登場してまだ間もない頃です。もちろん///のストライプ塗装です。829Mは朝方の小田原行きのようです。この時代は「普通」の幕が白地でした。平成25年3月の改正では、185系による普通列車運用が解かれたことにより、東海道線東京口の普通列車はすべて4ドア車化されることになりました。
2022.09.16
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183系1000番台:特急「あまぎ」全国で唯一の157系を使用していた定期特急「あまぎ」でしたが、1段下降窓からなる雨による腐食が激しく、新製当初のデザインの良さが仇となって、引退を早めてしまいました。昭和51年のことでした。ちょうどその頃、耐寒・耐雪装備を施し上越線で使用実績を挙げていた183系1000番台が増備に次ぐ増備で増殖し始め、ついにはこの157系を引退に追い遣ることになりました。183系1000番台となった「あまぎ」は、定期2往復、季節・臨時2往復の計4往復体制を堅持していましたが、老朽化した153系「伊豆」の置換えを念頭に誕生した当時斬新なデザインの185系導入とともに、急行「伊豆」を全部格上げして特急大増発への道を歩むことになります。しかし、ここで疑問となったのが愛称名。「あまぎ」をそのまま引き継ぐこと無く、「踊り子」という名前が採用されることになりました。「伊豆の踊り子」と言ってしまえば誰もが頭に浮かぶ単純明快な語呂ですが、当時特急の愛称にそのような発想で付ける例は無く、非常に違和感を覚えました。「しおさい(潮騒)」に次ぐ百恵ちゃんシリーズ第2弾といった感じで、なんか拍子抜けな感じがした記憶があります。そんなわけで、157系を追い遣った憎き183系ではありますが、157系を押えられなかった悔しさもあり、伝統ある特急「あまぎ」を撮影したわけです。昭和51年 東京駅11番機回し線にて 文字マーク時代の「あまぎ」まだ183系が導入されたばかりの頃ですね。中1の年齢でカメラも使いづらいオートハーフ。当時はこんな写真でもブレていないだけマシな方でした。この頃、9・10番線は主に横須賀線に使用されていました。昭和54年頃 東京駅11番機回し線にて イラストマークとなった「あまぎ」53・10改正より「あまぎ」もイラストマークになっています。ブルトレの撮影の際についでに撮ったもので、157系でなくなってしまってからはまず撮る気になれない列車でした。昭和56年5月頃 戸塚~保土ヶ谷間にてこれは、東戸塚駅の戸塚寄りの線路脇から撮影したものです。現在では駅周辺環境もかなり変わってしまいましたので、同じように撮影できるかどうか分かりません。このときは、「あまぎ」を撮影するというより185系に置換えが始まった153系を中心に撮影するつもりで立ち寄りました。現実にはEF58などを撮っていたような気がしますが・・・。昭和56年9月頃 品川駅にて (2枚とも)185系が昭和56年前半に誕生し、153系急行「伊豆」や間合いの普通列車に使用されるようになり、増備の完了を待って「踊り子」に移行することが発表されました。それでようやく重い腰を上げて「あまぎ」を撮影するようになりました。昭和56年9月28日 東海道本線 戸塚~保土ヶ谷間にて(2枚とも)「踊り子」号への以降直前、この「あまぎ」の撮影をメインとした初めての撮影。このときは結構気合いが入っていた覚えがあります。高校3年の頃で、機材も充実し、腕もかなり上がってきた頃なので、手応えを感じながら撮影したものでした。先々週も撮影に訪れた同区間。基本的な景色は変わりませんが、余分なものが映らずスッキリしていて好感のもてる画です。周りのビルやマンション、保安設備に至るまで、現在では鬱陶しくなってしまいました。この後、計画通り急行「伊豆」は185系化のうえ特急列車に格上げとなり、特急「あまぎ」の愛称は消滅してしまいました。183系1000番台は、しばらくの間「踊り子」として活躍していましたが、後に新幹線上野開業に伴い運転解除された新幹線リレー号から185系200番台が流入し、長野など本来活躍すべき地域へと旅立っていきました。
2022.09.15
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旧型国電 モハ62系:身延線 アコモ改造車モハ62系は、モハ73系(旧63系)の下回りに、無理矢理113系のボディーを載せたアコモ改造車で、昭和49年に誕生しています。外観では塗装こそ113系スカ色となっていますが、ベースは115系になります。113系と一見区別が付きませんが、厚い旧型国電の台枠に無理矢理接合する関係で、車体裾が絞られて、さらに直線部分があることが特徴です。アコモ改造は経費節減のために取られた措置でしたが、思ったよりコストがかさみ、4両×3編成のたった12両の改造で終わりました。同類には仙石線で活躍し、最後には103系新性能化されたモハ72970番代があります。103系のボディーを載せたモハ72は、4ドア車だったせいか970番代と73系を名乗ったのに対し、身延線で活躍していた3ドア近郊型に形態が変わったためか62系という新形式を名乗っています。※制御車はクハ66、電動車はモハ62。昭和56年7月2日 鰍沢口~落居間にて昭和56年8月21日 柚木駅にて昭和56年8月21日 西富士宮駅にて旧型国電が終盤を迎えており、貴重なクモハユニ44や低屋根クモハ、2ドア車のオリジナルクハ47など、魅力的は車両が活躍していましたので、戦前型廃車後も残ると言われた62系にはまず興味がありませんでした。なぜこれらの写真が残っていたかといえば、編成数が少なかったなりにも115系が導入されつつある中で最後まで生き残ったため、この車両に当たる確率が高かったのでしょう。今となっては、サイドから台車の特徴を生かした写真を撮っていなかったのが非常に悔やまれます。読者の方から写真提供の依頼があったためにお貸ししたところ、大変面白い動画を作っていただきました。佐久間レールパークで第二の人生を歩んでいたとは知りませんでした。張りぼてに興味が無かったので写真すら撮ってこなかったのですが、記録はやはりもれなくしておきたいですね。
2022.09.14
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485系 ボンネット型:特急「やまばと」「やまばと」は、上野~山形間を結んでいた特急列車です。登場当初はキハ82系が使用され、上野~会津若松間を結ぶ編成を併結していました、電化の進捗とともに会津編成は独立して特急「あいづ」となり、上野~山形間が「やまばと」として存続しています。電化後、しばらくは仙台運転所持ちの485系が使用されており、クロ481を含む12連でしたが、昭和50年頃からクロ481の撤退が始まり、サロの組み込みとともに貫通型や非貫通型が使用されるようになっています。また、一部には青森運転所持ちの編成も運用に入っています。クロ481はもちろんですが、仙台持ちの車両は仙台方にボンネット型を組成したものが多くあったため、日常的にボンネット型の「やまばと」も多く見られました。53・10改正からは「つばさ」とともに運用が秋田運転所持ちとなり、すべて1000番台による運用となります。そのため、ボンネット型のイラストマークは誕生することはありませんでした。また、53・10改正からは「つばさ」とともに運用が秋田運転所持ちとなり、すべて1000番台による運用となりました。昭和48年頃 蕨~西川口間にて クロ481 ※トリミング処理483系登場当初は、481系と同様にタイフォンがスカート部に取り付けられていました。そして、東北特急にはクロ481が登場し、上野方に連結されるようになり、「やまばと」は12連になってもこのような編成が見られました。しかし、東北地方を走行するためにスカート部への雪の付着が問題となり、タイフォンのボディー側への移設工事が行われます。その後の増備車は全てボディー部への取り付けとなって新製されています。この写真を撮った頃には既にボディー側にタイフォンを設置された車両を見た記憶がありますので、写真の旧タイプも最期の頃であったと推測されます。昭和51年頃 上野駅にて クハ481この頃は既にタイフォンの移設工事も終っており、前出のような旧タイプの車両を見ることはありませんでした。仙台運転所持ちの仙台方はボンネット型のクハ481が多く見られました。昭和52年頃 大宮駅にて クハ481陽の向きと座席の向きから見て、午後の上り「やまばと」でしょうか。この頃から既にボンネット車が好きだったようで、クロの外れた上野方の車両は撮らず、仙台方のボンネット車ばかり撮っていたようです。昭和52年頃 大宮駅にて クハ481この列車も、陽の加減の感じからして上の写真と同じ運用のようですね。プリントすると先頭が切れてしまうほどギリギリのフレーミングなので、プリントにしていなかったようです。昭和52年頃 上野駅にて上野駅地平ホームでの1コマ。16番線にクハ481-200番台の「ひばり」。そして、15番線にはボンネット型の「やまばと」が停車しています。東北・上越新幹線の開業前、上野駅の特急黄金時代とも言える頃ですね。「やまばと」は昭和53年10月のダイヤ改正から秋田運転所持ちとなってしまった関係ですべて1000番台に移行、ボンネット型が使用されることが無くなってしまい、魅力が大幅にダウンしてしまいました。当時から3往復しかなく、やや地味な存在であった気がしますが、東北ボンネット車としては唯一残っていた4文字列車でもあり、トータルバランスの整った列車として思い出深い特急です。485系 貫通型・非貫通型:特急「やまばと」485系:団体列車「特急やまばと」-101527 485系初期形 6両基本セット[KATO]【送料無料】《01月予約》送料無料◆10-1527 KATO カトー 485系初期形 6両基本セット Nゲージ 鉄道模型 【1月予約】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1527 485系初期形 6両基本セット送料無料◆セット販売 10-1527/10-1129/10-1130/4556/4570 KATO カトー 485系初期形 6両基本セット+後期形 2両増結セット+初期形 2両増結セット+サハ481 初期形+サロ481 後期形 Nゲージ 鉄道模型 【1月予約】
2022.09.13
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115系スカ色:団体臨時列車「もくせい」国鉄時代、地元で一風変わった臨時列車が走りました。東北本線の蕨付近、3複線区間の山側(西側)は貨物線で、この時代では臨時列車以外の旅客列車が貨物線を通ることはまずありませんでした。※3複線化直後は、東北本線と高崎線に振り分けられていたようですが・・・。線路際で写真をとっていると、背後から聞こえてきたスピードの遅い電車のモーター音。振り返ると、なんとスカ色の115系でした。同車は中央線専用みたいなもので、東北本線ではまず見掛けることのない車両でした。昭和55年10月頃? 西川口~蕨間にて 9531M? 115系「もくせい」?通過中の同列車の中は、どうも幼稚園の団体のようにでした。車両も編成ごと全検上がりのようで、足回りまでピッカピカでした。珍しいので、後追いで写真を撮ってみました。「ん?何か書いてあったな・・・。」現像から上がってきた写真を見てビックリ!・・・「もくせい」???ひらがななので、何を意味する「もくせい」か判断が付きません。木星のことですかね?でも、夜行列車ではないし、意図がわかりません。当時は、やっと特急列車にイラストマークが付き始めた頃で、団体列車、しかも普通列車用の電車にヘッドマークを付けるなんて、房総地区ぐらいしか考えられないことでした。編成は、かつて中央東線の普通列車で一般的だったクモハ+モハ+クハ+サハ+サハ+クモハ+モハ+クハの8両固定編成。しかも全車冷房の300番台です。東北線沿線で目撃した、非常に珍しい団体列車でした。
2022.09.12
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特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2009年夏臨185系 新幹線リレー号塗装 復活撮影会(ツアー)平成19年の秋臨で初めて設定され、平成20年初冬臨まで2シーズンにわたって運転された「あがつま草津」ですが、平成20年の春は設定無し、同夏シーズンに再び姿を現します。平成20年夏に「新宿あがつま草津」として再スタートを切り、同年の秋臨、平成21年度も初冬~春臨と多く設定されました。今回は、平成21年夏臨の記録です。平成21年9月20日 185系 下り「新宿あがつま草津」平成21年9月20日 185系 上り「新宿あがつま草津」平成21年9月20日 入庫回送平成21年9月21日 送り込み回送平成21年9月21日 185系 下り「新宿あがつま草津」平成21年9月23日 185系 返却回送下り 9月19~22日上り 9月20~23日運転区間 下り 9003M 新 宿 9:17 ~ 長野原草津口 11:55及び時間 上り 9004M 長野原草津口 12:40 ~ 新 宿 15:55使用車両 185系7連マーク 専用ステッカー式掲示季節的には秋臨となる筈ですが夏臨として発表されています。祝日法改正以来初の5連休となるシルバーウィーク期間中に上下列車とも設定された関係もあるかもしれません。連日運用ということもあり、専用のステッカー式ヘッドマークが復活しています。だるまるは相変わらず逃走中?その後、平成22年冬~春休みの間、まったく同列車の設定が無くなり、「新宿あがつま草津」の運転は終焉を迎えてしまうことになります。特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2009年初冬~春臨特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年秋特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年夏特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2007年秋・2008年初冬送料無料◆10-1764 KATO カトー クモハ52 (1次車) 飯田線 4両セット Nゲージ 鉄道模型 【12月予約】10-1764 クモハ52(1次車) 飯田線 4両セット[KATO]《12月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1764 クモハ52(1次車) 飯田線 4両セット【中古】Nゲージ KATO(カトー) 10-1288 クモハ52-004 + クモハ54-100 飯田線 4両セット 【A】
2022.09.11
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JR東日本 蕨駅:みどりの窓口が廃止JR東日本では、440駅に設置されていたみどりの窓口を70駅程度を残して廃止してしまうそうです。現在は指定席を発売できる券売機も設置され、モバイルによる指定も普及していることから、人件費の掛かる窓口を廃止したいという方針への流れは仕方ないことだが、まだまだ機械に不慣れ・不案内な年代の利用者も居るので、こんなことで本当に大丈夫なのか?と思っている方も多いと思います。むしろ、「機械を操作できないような方は利用しなくても結構」くらいのスタンスになっているのかもしれません。先日、通勤で蕨駅を通ったとき、みどりの窓口が無くなっていることに初めて気が付きました。令和4年8月31日をもって廃止されたそうで、数日間は気が付きませんでした。近年は旅行も全くしていないし、定期券の更新も混雑している窓口ではなく、券売機しか利用していませんので、不便は感じていません。しかし、継続ならまだしも、数年前のように期限を残したままの区間変更など、機械で対応できるのかどうか、そうしたイレギュラーの際には戸惑ってしまいそう。今後はそうした情報の収集などにもテクニックが必要となりそうです。令和4年2月5日 蕨駅にて 在りし日の「みどりの窓口」撮影の合間に撮影しておいた蕨駅のみどりの窓口です。いつまであるか分からないのでと撮影しておいたものですが、まさかこんなに早くなくなるとは思っていませんでした。かつてはここに国鉄時代の同期も勤務しており、フリーきっぷと寝台特急「北陸」の指定券を入手するために窓口で購入した時、偶然に出会いました。突如決行が決まったため、出発当日の勤務終了後に駆け込みで購入したのですが、指定券の交付は指定券発売機では取り扱えないらしく、窓口の開いているギリギリの時間となり、同期から「ラッキーだったね」と言われたことを今でも鮮明に覚えています。普段は殆ど利用することがありませんが、退職して旅行へ行く機会も出てくるかもしれません。指定券の交付を受けるためにわざわざ別の駅まで行くというのも不便だし、利用しづらくなってしまうのではないかと不安になります。かつては「びゅう」も設置されていた蕨駅。窓口がすべてなくなり、駅業務もいつの間にか委託されているらしいことをここに来て初めて知りました。国鉄時代からの残党も残りわずか。国鉄も間もなく完全消滅します。送料無料◆10-1764 KATO カトー クモハ52 (1次車) 飯田線 4両セット Nゲージ 鉄道模型 【12月予約】10-1764 クモハ52(1次車) 飯田線 4両セット[KATO]《12月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1764 クモハ52(1次車) 飯田線 4両セット【中古】Nゲージ KATO(カトー) 10-1288 クモハ52-004 + クモハ54-100 飯田線 4両セット 【A】
2022.09.10
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特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2009年初冬~春臨185系 新幹線リレー号塗装 復活撮影会(ツアー)平成19年の秋臨で初めて設定され、平成20年初冬臨まで2シーズンにわたって運転された「あがつま草津」ですが、平成20年の春は設定無し、同夏シーズンに再び姿を現します。平成20年夏に「新宿あがつま草津」として再スタートを切り、同年の秋臨でも再び設定されました。今回は、平成21年初冬臨の記録です。平成21年2月14日 185系 下り「新宿あがつま草津」平成21年2月1日 183系OM101編成 下り「新宿あがつま草津」下り 1月31日・2月 7・14・21・28日・3月 7・14・20・21・28日上り 2月 1・ 8・15・22日・3月 1・ 8・15・22・29日運転区間 下り 9003M 新 宿 9:17 ~ 長野原草津口 11:55及び時間 上り 9004M 長野原草津口 12:40 ~ 新 宿 15:55使用車両 185系7連(運転日赤字のみ183系充当)マーク 専用ヘッドマークは作成されず、185系は定期「草津」、183系は臨時用 「草津」を掲示。今シーズンは、初冬臨~春臨まで2ヶ月にも及ぶ長期間運転となりました。そのためか、専用のヘッドマークが用意されなくなり、185系については定期「草津」、183系については臨時用「草津」の常備マークの掲出となりました。特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年秋特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年夏特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2007年秋・2008年初冬
2022.09.09
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特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年秋185系 新幹線リレー号塗装 復活撮影会(ツアー)平成19年の秋臨で初めて設定され、平成20年初冬臨まで2シーズンにわたって運転された「あがつま草津」ですが、平成20年の春は設定無し、同夏シーズンに再び姿を現します。平成20年夏に「新宿あがつま草津」として再スタートを切り、同年の秋臨でも再び設定されました。今回は、平成20年秋臨の記録です。平成20年11月1日 185系 下り「新宿あがつま草津」平成20年11月3日 大宮駅にて 183系 上り「新宿あがつま草津」送り込み回送平成20年11月9日 183系 上り「新宿あがつま草津」下り 11月 1・ 2・ 8・22・23・29日上り 11月 3・ 9・16・24・30日運転区間 下り 9003M 新 宿 9:17 ~ 長野原草津口 11:55及び時間 上り 9004M 長野原草津口 12:40 ~ 新 宿 15:55使用車両 185系7連(運転日赤字のみ183系充当)マーク 183系のみ専用ステッカー式掲示、185系は定期「草津」のヘッドマークを使用。8月中の毎週土曜日下りと日曜日上りという週末パターン運転で設定されました。前シーズンまでは折り返しが利かないダイヤでしたが、今回は折り返し可能な時刻になっています。しかし、土曜日の下りと日曜日の上りで片道設定となったため、あまり意味はありませんでした。185系200番台では専用のヘッドマークが用意されず、定期列車のものが使用されたため、殆ど写真は撮りませんでした。逆に、今回初登場となった183系では専用マークが用意され、横サボもステッカー式のものが掲示されました。ヘッドマークは山が緑色の夏仕様に。さらに「新宿」がデザインされています。だるまるが戻ってきました。特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年秋特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年夏特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2007年秋・2008年初冬
2022.09.08
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特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年夏185系 新幹線リレー号塗装 復活撮影会(ツアー)平成19年の秋臨で初めて設定され、平成20年初冬臨まで2シーズンにわたって運転された「あがつま草津」ですが、平成20年の春は設定無し、同夏シーズンに再び姿を現します。運転形態は全く同じでしたが、名称が「新宿あがつま草津」と、「新宿」の名が冠されることになりました。今回は、平成20年夏臨の記録です。平成20年8月23日 下り「新宿あがつま草津」送り込み回送平成20年8月23日 下り「新宿あがつま草津」平成20年8月31日 185系 上り「新宿あがつま草津」下り 8月 2・ 9・16・23・30日上り 8月 3・10・17・24・31日運転区間 下り 9003M 新 宿 9:17 ~ 長野原草津口 11:55及び時間 上り 9004M 長野原草津口 12:41 ~ 新 宿 15:55使用車両 全て185系7連マーク 専用ステッカー式掲示8月中の毎週土曜日下りと日曜日上りという週末パターン運転で設定されました。前シーズンまでは折り返しが利かないダイヤでしたが、今回は折り返し可能な時刻になっています。しかし、土曜日の下りと日曜日の上りで片道設定となったため、あまり意味はありませんでした。ヘッドマークは山が緑色の夏仕様に。さらに「新宿」がデザインされています。だるまるが戻ってきました。特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年秋特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年夏特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2007年秋・2008年初冬
2022.09.07
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特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2007年秋・2008年初冬185系 新幹線リレー号塗装 復活撮影会(ツアー)「あがつま草津」は、新宿~長野原草津口間に設定された臨時特急列車です。平成19年の秋臨で初めて設定されています。新宿発着となる草津温泉行の特急列車ですが、この後愛称の変化と共に、ステッカー式のヘッドマークが用意されたりされなかったり、シーズンの都度ヘッドマークのデザインが変わったりと複雑な変遷を辿ることになります。今回は初回で、1~2シーズンで運転された特急「あがつま草津」としてのデータをまとめました。まずは平成19年の秋臨です。平成19年11月24日 下り「あがつま草津」下り 11月23・24日上り 11月24・25日運転区間 下り 9003M 新 宿 9:18 ~ 長野原草津口 11:55及び時間 上り 9004M 長野原草津口 11:38 ~ 新 宿 14:55使用車両 全て185系7連マーク 専用ステッカー式掲示初回の運転では、ステッカー式のヘッドマークが用意され、にわかに注目を集めました。続いて平成20年初冬臨です。平成20年2月10日 上り列車の送り込み回送平成20年2月10日 下り「あがつま草津」下り 2月 9・10日上り 2月10・11日運転区間 下り 9003M 新 宿 9:18 ~ 長野原草津口 11:55及び時間 上り 9004M 長野原草津口 11:38 ~ 新 宿 14:55使用車両 全て185系7連マーク 専用ステッカー式掲示翌年の冬臨でも専用のヘッドマークが用意されました。ヘッドマークは前回と同じ配色でしたが、「だるまる」が居なくなってしまいました。この時点では「あがつま草津」を名乗っており、乗車率も良くなさそうでいつまで運転されるか注目していましたが、次のシーズンからは「新宿あがつま草津」に名称が変更されてしまったため、特急「あがつま草津」としてはたった2シーズンのみの運転で終了となりました。特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年秋特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年夏特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2007年秋・2008年初冬
2022.09.06
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103系:赤羽線赤羽線は、東北本線赤羽駅と山手線池袋駅を短絡する路線を指します。元々は赤羽~池袋~新宿~品川間において「山手線」として開業した経緯があり、のちに池袋~田端間が開業したことで池袋~赤羽間が支線のようなかたちで残りました。赤羽線は営業規則上の正式な名称ではなく、山手線として定められていましたが、昭和47年に正式に「赤羽線」という独立した路線名になりました。前記事で赤羽線の101系をご紹介いたしましたが、今回は103系化後の写真をご紹介したいと思います。昭和54年8月頃 赤羽駅にて 103系 カナリヤイエロー編成赤羽線は比較的早くに103系化されました。編成が少なかったこともあったのでしょう。101系時代にも103系ウグイス色車が代走されたのを見たことがありますが、オールウグイス色が普通であり、このようなオールカナリヤイエローの編成はこの時代以降くらいでした。昭和54年8月頃 赤羽駅にて 103系 混色編成むしろこんな混色編成の方が一般的だったような記憶があります。中間車は全部非冷房車。埼京線と直通運転が始まるまでは8両編成でした。違和感がありますが、フツーに走っていました。昭和56年 赤羽駅にてこの頃になると、新幹線関連の工事が始まって来たようです。赤羽線は5番線のみの1本折り返し使用であり、反対側の6番線は、赤羽線を経由して大宮方面に抜ける下り貨物列車の専用通過線として使用されていました。しかし、この写真を見る限り、昭和54年には既に貨物通過線は撤去されているため、おそらく昭和53年10月ダイヤ改正辺りで貨物の通過扱いは解消されてしまったものと思われます。この後、東北新幹線の工事と共に、埼京線としての直通運転を行うため、赤羽駅として最初の高架工事が行われることになります。
2022.09.05
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185系:臨時特急「なつかしの新特急なすの」185系 新幹線リレー号塗装 復活撮影会(ツアー)「踊り子」からの撤退が発表され終焉迫る国鉄型185系電車。様々なリバイバル列車が企画されましたが、何故か東北本線の代表新特急であった「なすの」が設定されることはありませんでした。この終焉が間近になって、令和元年に突然臨時列車として「なすの」が設定されました。※撮影は、令和元年5月26日です。185系OM8編成 5006M 「なつかしの新特急なすの」185系OM8編成 回5007M残念ながら「新特急カラー」にはなりませんでしたが、現役当時と同じデザインのヘッドマークシールが前後に用意されました。本来なら下りの送り込み回送を狙って準備を整えていたのですが、気が付いたら9時を回っており、ガッカリな1日でした。全国的に記録的な猛暑となった5月、天気の良い中で回送を含む1往復をカブリなしで記録できたのは幸いでした。
2022.09.04
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157系:特急「白根」吾妻線初の特急列車として運転を開始した特急「白根」。昭和46年4月20日が初日だったそうです。運転開始当初は長野原行きだったようですが、後に万座・鹿沢口まで延長されました。車両は特急「あまぎ」の基本編成と同じ157系7両編成で、グリーン車も2両連結された豪華編成でした。昭和48年頃 西川口~蕨間にて 157系 臨時特急「白根」もしかしたら昭和49年になっているかもしれません。小学4・5年生頃に撮った写真なので、この構図でご勘弁ください。当時はサクラパックの素通しファインダーだったので、こんなのが多くありました。157系は準急用として非冷房で落成したため、1段下降窓となっています。この構造が仇となって車体腐食が激しく、昭和50年には新鋭の183系1000番台に置き換えられることになり、157系での活躍は運転はわずか4年半程度しかありませんでした。しかもオンシーズンの週末のみですから、撮影したくてもなかなか運転日が少なくて、当時小学生だった私には非常に捉え難い列車でした。185系 新幹線リレー号塗装 復活撮影会(ツアー)【中古】(未使用品) KATO カトー Nゲージ 157系 あまぎ 増結 2両セット 10-394 鉄道模型 電車KATO Nゲージ 157系 あまぎ 基本 7両セット 10-393 鉄道模型 電車【中古】【輸入・日本仕様】KATO Nゲージ 157系 お召電車 5両セット 10-456 鉄道模型 電車KATOから発売された157系はまったく再生産がされておらず、中古市場でも目玉が飛び出るほどの値段で売られています。業界TOPのKATOも最近の企画力の無さにはガッカリするばかり。こうした車両の再生産も視野に入れればいいのに・・・と思うのは私だけ?
2022.09.03
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183系OM車:快速「一村一山」快速「一村一山」(いっそんいちやま)は、ウォーキングイベント「駅からハイキング」にタイアップで設定された臨時快速列車です。平成13年より運転を開始、当初は165系により運転されていたようですが、平成15年からは183系OMが運用されていました。ちなみに、165系時代は地元での写真を撮っていませんでしたので、まったく存在自体の記憶がありません。長らく183系OM車で運用されていましたが、平成25年度の設定より新潟の485系が充当されることになり、事実上183系OM車での設定は終焉を迎えました。設定本数が少なく、あまり良い写真が撮れていないのですが、撮っただけご紹介いたします。平成19年9月29日 OM103平成20年7月19日 OM102平成23年9月17日 OM103平成23年10月22日 OM101 川越車セにて年2回の設定ながら、OMの183系には専用マークが設定されていてうれしかった列車でした。平成25年から新潟のK編成となりましたが、「快速」表示で残念なスタイルになってしまいました。
2022.09.02
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453系・455系:急行「ときわ」常磐線の急行と言えば、やはり「ときわ」が代表と言えるでしょうね。特急「ひたち」が季節運転で1往復しか設定されていない時代から、常磐線の昼間の優等列車として活躍してきたわけですから。私の年代で言うと、この他にも「もりおか」「そうま」といった列車も設定されていましたが、特にヘッドマークも付いていた訳ではなし、必然的にカメラを向ける回数は極端に少なかったと思います。それでも、気動車急行以外に撮った写真が2枚ほどありましたので、写真を大~きくしてご紹介したいと思います。昭和56年5月 新松戸駅にて列車番号の札が無くて、列車名が特定できません。急行列車はこれが困るんですよね。特に常磐急行は、殆どの列車が全く同じ編成なんですから。まあ、多分、本数比からして「ときわ」でしょうけどね。2両目のM’車の屋根肩ルーバーが小さく、先頭車の雨どいが乗務員ドア上まできていることから、クモハ453+モハ452であることが判ります。昭和57年10月12日 荒川沖~土浦国鉄に入社した年ですね。同じく仕事の不規則な東武社員の友人と平日でも良く撮影に行ったものです。この頃の常磐線は、583系「ゆうづる」「みちのく」、気動車急行、気動車荷物、EF80客レ・貨物と、まだバラエティーに富んでいて面白みはありましたね。ただ、ロケーションを良く知らない地域だったので、余り足が向かなかったのも否定できません。この写真も遠くて列車番号が判りません。これも多分「ときわ」でしょうけどね。この写真、スキャニングするまで判らなかったのですが、画面左側のカーブ立ち上がりから対向の急行列車が来ているんですよね。逆タイミングで撮っていればすれ違い写真も望めたんでしょうけど。こちらは、最後部クハの形式は判別付きませんが、電動車ユニットはルーバーの形状から455系のようです。常磐線への撮影回数は少なかったですが、時代的にネタが沢山ありましたので薄まってしまっても仕方なかったですね。そんな中でもこうして急行列車の当たり前の時代を撮っておくことが出来て良かったです。欲を言えば、カラー写真が1枚も無かったのは残念です。キハ58系:急行「奥久慈」「ときわ」マル鉄コレクション館『時刻表ネタ 昭和55年 水郡線を走った急行「ときわ7号」』
2022.09.01
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