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誕生日を迎えた。23歳界から24歳界に配置換え(笑)29日、職場で上司の祝賀会があった。3時から始まり、8時半終了。2次会に参加し、10時半くらい?終了。その後、兄貴のような人と2人で隣の県のよく行く飲み屋街へ。今日は「フィリピンパブ」を紹介してくれるという。ナニをするところなんだよー(/>_<)/かなりドキドキしつつ、ヤバそうなビルへ入る。お店に入る。狭い入り口に女の人が待機。喫茶店のような低いテーブルに向かい合ってソファがあるような場所がいつくか。僕と兄貴は向かい合って座る。男性店員が来て「指名なし」を確認すると、女の人が僕らにそれぞれ一人ずつ、恐ろしく近い位置に座る。(おいおい汗。太ももがあたってるよぉ)お酒を勧められるけど、緊張して飲めない。向かいの兄貴は思いきり談笑中。しかもコロコロと女の子をかえる。兄いわく「あわない」そうだ。そんなのわかんねーよ(大汗)僕の横に座ったのは中国から来ている「蘭」ちゃん(21)。年齢よりもずっと大人びて見えた。とりあえず話をする。蘭ちゃんは中国に家族の部屋と自分だけの部屋を持ちたくて働きに来てるらしい。彼女の夢は中国の幼稚園の先生。なんとなく、一生懸命がんばっている蘭ちゃんを応援したくて、かましょー18番を作って贈った。赤い羽根を持つ緑の天使。それとハート型のフォトスタンド。とっても喜んでくれた。って、そんなにくっつくな(滝汗)頭までもたせかけてくるなよぅ(半べそ)コイビトみたい???ドキドキですよ。結局、作り終えるのに時間がかかり、30分だけ延長した(←お馬鹿?)帰りのタクシーのなかで、汗だくのTシャツが恐ろしく冷たかったのを覚えている。そうそう。お店に入ったのが11時ごろで、蘭ちゃんと向かい側に座っていた女の子が二人でHappy Birthday Songを歌ってくれて、嬉しかったけど、なんか、照れくさかった。それにしても、緊張で酔いが一気に覚めたっちゅー話ですよ。まったく。
2004年04月30日
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ウチの近所のスーパーが、先月閉店した。24時間営業のその店には、本当にお世話になった。一人で深夜にぶらっと寄って、翌日の準備の不足をおぎない、遊びに来てくれるだれかのために…。そのほかにも、公私ともどもいろいろとお世話になった。とつぜんの閉店。明かりが消えてから、となりの衣料品店も淋しそうに見えた。駐車スペースのほとんどが、空白のまま、およそひと月がすぎた。そこへ、新しいスーパーが入ることになった。以前のスーパーで働いていた従業員の約半数が、新しいスーパーに勤めるという。新しいスーパーに勤める人たちは、別のフランチャイズ店で研修を受けたと聞いた。そうして先週金曜日、いよいよ開店した。初日、レジは1時間待ちだったそうだ。売り出しの効果もあるだろうが、盛況でよかったと思う。僕はそれから本日まで3日間、一度も訪れていない。ま、いろいろあってね。あたらしいそのスーパーは午後10時閉店だ。ようやくだだっぴろい駐車場に車たちが帰ってきた。24時間でなくてもいい。そこに「なんでもある」という安心感があれば。
2004年04月24日
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久しぶりに、一人だ。ここ数日、青年団のみんなが泊り込んでいた。みんなで飯を作って、わいわい語って、ごちゃごちゃと眠った。「いってきます」「いってらっしゃい」実家では当たり前だったこのやりとりが、一人暮らしをするようになって初めて「ありがたいもの」であったことを僕に教えてくれた。団のみんなが僕のうちにいて、職場、学校、帰宅する誰かに対して「いってらっしゃい」と笑顔を投げる。「いってきます」と笑顔で返すものの、なんだか照れくさい。そうして今日、本当に久しぶりに、自分のうちに一人でいる。1年前は当たり前だったその日常は、今、僕にとって少しだけ変化した気がする。誰かがいてくれることが、こんなにもあたたかいものであることに、いまさらながら気づかせられた。一人のときの時間はもちろん大切だ。しかし、誰かがいて、気を使わないように気を遣い合えることの気持ちよさ。家族とは違う、まったくの他人同士だからこその、心の距離感。あいまいな表現を連発しているので、読みにくいかもしれませんね。ごめんなさい。とにかく、信じてくれる仲間、同じ目的を持って練磨しあえる仲間が身近にできたことを、感謝させていただきたいと思う。つらいことも和らぐ気がする。
2004年04月21日
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いろいろウーマンさんの日記に感化され、筆を執りました。中学の頃、僕は生徒会長だった。その頃、鹿児島市では市内にある中学校生徒会が集まって姉妹都市と1年交代で研修視察しあうと言う企画があった。(僕は参勤交代と呼んでいた)その年、僕らは姉妹都市である山形県鶴岡市へと電車を乗り継いで向かった。往復4泊5日ぐらいだったと思う。いろんな感動があった。今でも覚えている。それはまた、別のおはなし。僕の住む町の隣の中学校の生徒会長とは、その企画で知り合った。ビートルズや吉田拓郎の好きな彼と僕は意気投合した。便宜上、彼を吉田君としておきます。それからしばらくして、僕らは二人でヒッチハイクをしようということになった。理由は簡単。寿退職した僕の恩師に会いたい(僕が)。1人ではどんな危険に巻き込まれるかわからない。3人だと車に乗せてもらえない確立が高くなる。よって、ふたり旅。スケッチブックとサインペンと着替えを持って、中学生2人組が向かった先は高速道路入り口。一般道だといつ着くか見当もつかない。どうせ行くなら、方向の同じ人に乗せていただこうという算段である。予感的中。鹿児島から福岡まで、およそ半日で到着。福岡では一緒に行った吉田君の友達の家に泊まらせていただいた。そこで10メートルはある竹ざおをたくさんの人が振り回す祭りを見たり、金印を見たりした。3日ほど居座った後、再び高速道路で一路、鳥取へ。ここでもサラリーマンのおじちゃんや若いカップルの車に乗せていただいて、おまけにいろいろご馳走になったりして、18時間ほどで鳥取駅に着いた。それから恩師のうちへ滞在し、鳥取砂丘を見に連れて行っていただいた。帰り道、ふとしたことで「厳島を見に行こう」となった。というのも、疲れがたまっていた僕らは青春18切符の力を借りることにしたのだ。どこからだったか覚えていないが、とにかく広島について早速、お好み焼きを食べた。感動。鹿児島のそれとはまったく異質なご馳走。上品な薄焼き卵の中に細いながらもきちんと自己主張する焼きそばが、いまにも飛び出さんとするかのようにそのときを待っていた。鹿児島で食べる広島風とはまた異なる、地元の味。それから18切符のもうひとつの顔。厳島へのフェリーに乗った。18切符はJR以外にもいくつか利用可能な交通手段があるのでした。厳島について驚いたのは、鹿が普通に生活してること。松林も宮島の鳥居も感動したが、それ以上に鹿のフンにおどろいた。コロコロしてるじゃん。チョコ?みたいな。とりあえずレンタル自転車で宮島を見て回り、おっきなしゃもじに肝を抜かれ、帰途に着いたのでした。そうそう。福岡で道に迷ったとき、吉田君と口論(議論?)した。ポイ捨ては「悪」なのか。お菓子のくずを投げ捨てた吉田君に注意したことがきっかけ。僕は地域美化のためにも、マナーの点からも、ポイ捨てはよくないことだと思っていた。吉田君もそのことに賛成しつつ、それでも、紙を漂白するために使われた薬品の行方、道路をつくるために使われたさまざまな薬品類はポイ捨てよりも有害ではないか、大きな目的に到達するために、小さなことを気にしても始まらないのでは、と彼なりの持論を聞かせてくれた。今考えると、子どもだったなと思えるが、ポイ捨てが絶対悪だと思っていた僕に、吉田君は考え方の視点を変えてみることを教えてくれた。旅行を通して、僕の一番の収穫だった気がする。それからもうひとつ。鳥取砂丘にいたラクダについて。記念撮影が1枚500円でラクダに乗って散歩すると1回2000円(15分くらい?)。当時のお値段です。
2004年04月15日
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このまま 歩こう あの空の果てに続く道は いつか見える広がる景色に心を映して微笑みながら ただ あしたへ日が沈んで 霧が立ち込めて雨が降れば ずぶ濡れだけれど朝は来ると 信じてるこの歌 旭化成のCMに使われていました。歌の題名も、歌手も知らないけれど、僕が高校の頃から今まで10年近くも歌い続けている歌です。落ち込んだとき、元気なとき、夜空がきらめいているとき、朝もやの中で…自分の道を足元からずっと遠くまで見渡すことができるこの歌、ある意味で僕のバイブルです。
2004年04月13日
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自分の年齢をかえりみてみる。裸同然で渡米するにはいささか年をとりすぎたようだ。かといって、安定した人生を歩みたくもない。
2004年04月12日
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自分の町で生まれたばかりの青年団。その子たちの話し合いの場として自分の家を貸した。土曜に連絡が入ったけれど、僕は実家に帰るところだったのでウチの使い方を説明して鍵を渡した。日曜日。僕が帰りついたのは午後10時をまわっていた。部屋へ入って驚嘆。散らかし放題に散らかしていたことすらわからないくらい、きれいに片付けられていた。床に掃除機があてられ、洗濯物はたたまれ、ワイシャツにアイロンまでかかってた。みんなにありがとうメールを送ったら、しばらくして副会長と会計がウチへきた。それからみっちり2時間半。翌日、つまり月曜に話し合うことをまとめた。ホント、部屋が恐ろしく汚れていたから、きっとみんな大変だったんじゃないだろうか。みんなには言わなかったけれど、この子たちは「きたときよりも美しく」をきちんと実践できる子たちだ。一緒に活動できることが、本当にうれしい。ありがとう。
2004年04月11日
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トモダチがどうしようもなく落ち込んでる。感情の波が激しい。彼氏と話す、彼氏に触れるのを死ぬほど嫌がるのに、僕とは話したがる。僕と話すと元気が出ると言う。その昔、僕らはつきあっていた。でも、僕がこの先5年を目安に動いていることを、彼女はひきとめようと努力した。気持ちはわかる。僕が逆の立場なら、きっと僕も留めようとするから。ずっとそばにいてほしいその気持ちが痛いくらいわかって、でも、僕とともに歩んでくれるわけではなくて、そのあたりからかな。僕の中の冷たいトビラが開き始めたの。ある日、彼氏から電話があってた「君と話がしたい」僕にはどうしても片付けなければならない仕事があったから「1日だけ待ってほしい」と言った。次の日、彼氏は電話でうちへ来る時間帯を律儀にも確認して、ウチへ来た。彼氏が来る前、僕は彼女に付き合えないと告げたつもりだった。あやふやだったらしい彼氏が帰ってしばらくして、今度は電話できちんと告げた。「つきあえない」と。それからすぐに、彼女がウチへ来た。考え直してほしい自分勝手うそつきいろいろいわれたけど、言い返せなかった。・・・続きはまた。
2004年04月09日
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最近、トモダチから「針金でジャックをつくってよ」と頼まれた。ジャックとは映画Nightmare Before Christmasの主人公で、サンタクロースに憧れるハロウィン村の青年である。手足が長く口が耳まで裂けていて一見すると怖そうなイメージだが、とてもやさしいハートを持っている。そのジャックをつくってほしいと言うのだ。個人的にもつくってみたい。ちょこっと資料集めをして、イメージが固まったら製作に入ろう。日常に楽しみがあるって、いいですね。そうそう。HPの針金アートを追加しました。よかったらお立ち寄りの上、筆をいただけたらとおもいます。
2004年04月05日
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本日15時よりここより75キロ離れた伯父の寺にて祖母の四十九日に参加する。その後、ここへ戻り、翌日(日曜)朝10時より行われるピアノとエレクトーンの発表会に出演する。それから帰宅し、仕事を整理しつつ部屋を整理しつつ、いろいろ行う。まじでいそがしい。かましょーは運転がもっとも苦手。ハンドルを持って30分で睡魔が憑依する。高速でもめったに制限を越えない。後ろから車が来たら道を譲らないと落ち着かない。隣に誰か乗っていてくれると助かるが、それでも眠くなるものは仕方がない。さて、法事だ。
2004年04月03日
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僕がアルバイトで今の職場に飛び込んだばかりの頃、月に1度来られる元保育士の先生に、こんなことを教わった。「子どもを叱るとき、キンキン響く高い声でわめいたり、子ども相手にまくし立てたりする人がいる。これはただ自分の感情を子どもたちにぶつけてるだけで、子どもの将来を常に見据えた導き方とはいえないのではないか。それよりも、その子ども(たち)のあやまちの原因と、次に似たような状況におかれたらどうしたらよいかを簡潔に伝えられる、感情を表に出しながら、かつ、その感情を意識的にコントロールできる人こそが、子どもたちによりよい影響を与えられる保育士ではないだろうか」怒ることはだれにでもできる。自分のなかに湧き上がってきた怒りの感情を、それこそ怒髪天を突く勢いで放散させればよいのだから。もちろん怒りをおもてに出すことも必要だ。けれど、それを発達途上の子どもたちにぶつけても、負にこそなれ、プラスには絶対ならない。子どもたちには、怒りの感情と「善悪の判断のきちんとできる大人になってほしい」という愛情とを織り交ぜながら叱ることができれば、その子も自分も、きっともっと成長できるはずだ。僕自身、まだまだだけど。それと、叱ったあと、ほうっておくのではなく、抱きしめるなり手をつなぐなり、言葉かけでもかまわない。きちんと「私はあなたを愛してます」と子どもへの思いを伝えることが大切だ。抱きしめることはもっともシンプルでもっとも深い愛情表現だと思う。親子でも、教師と生徒でも。あ、誤解しないでね。これは低学年だからできるものかもしれない。大きくなったら、それなりのコミュニケーションの仕方があるから。いつでも抱きしめていたら、日本ではお縄を頂戴する羽目になるかもしれないので。
2004年04月02日
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