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ご近所から頂いた蕾が開きました。花びらが膨らみ始めた時には、サボテンのようでしたが、咲いてみるとチューリップでした。にしても茎が超短い!こういう種類なのかな?
2008.03.31
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父が死去した晩から、親戚が差し入れを持ってきてくれて、とても助かりました。と同時に捨ててはもったいないと食べ続け、重くなってしまいました。坊さんの都合で「死んだら、あさっての葬式」にならなかったのが運の月。火葬するまでの4日間は、拷問かいじめだと一番下の弟は言っていた。直ぐ下の弟は最も遠慮せずに食べまくっていたので、礼服のズボンのアジャスターが「これ以上伸びない」というところまで広げてはいていました。夕べはタレントのダイエット奮闘期みたいな番組があって、食べたものを記録してダイエットしようと頑張っているみたい。私もやばいから、がんばってみようっと。
2008.03.29
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24日朝に父が亡くなりました。本日納骨を済ませ、明日から仕事に復帰します。 お昼は兄弟たちとココスに来ました。ホッとしていますが、実はまだまだ作業が残っていますがとりあえず一息ついて…。
2008.03.28
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私が結婚する時、父は「嫁に行ったら実家にはしょっちゅう帰るもんじゃない」と言った。なにしろ私の嫁いだ先は、歩いて5分奥に入ったところだったので、出勤する時や買い物に町へ出掛ける時など、必ずと言って良いほど実家の前を通る。里心がついてはいけないという気持ちからの一言だったのでしょう。素直に言い付けを守ったおかげで嫁ぎさきにすっかり馴染んで、平気で家の前を通過するようになった。長女を産む頃、母は日本舞踊にこっていて産後の病室にワインカラーの派手な着物で現れた。(私のでしたが…爆)今から思えば、親を頼っていつまでも面倒をかけていれば、親らしい意識を持っていてくれたのかなぁ~などと思います。忙しそうに保険の外交員をして走り回る母と時間が合わなくなり、嫁ぎ先の愚痴は聞きたくないだろうと話しを選んでいるうちに親子の会話もなくなり、孫を逢わせる事も減った。それでも母が生きているうちはよかったが、父一人になると「どうしてる?」なんて電話をしてくるわけもなく、何かイベントがあって誘っても出て来ない。遊び に行けばよかったのでしょうけれど、それをしなかった。次女が小学校に入る年に母が亡くなり、その頃からますます実家に寄り付かなくなったのだから、次女のなかに父の存在は薄いようだ。 今こうして意識が無くなった父をみると、元気なうちにたくさん逢わせておけばよかったなぁ~って思う。
2008.03.22
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昨日は甘い物お休みdayにしようと思ったのに、おはぎを近所から頂いて、つい食べちゃいました。それで止めとけばいいのに、私の場合は勢いがついてしまうから困る。結局、クッキーやらプリンやら煎餅やら食べました。
2008.03.18
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父が隣町の病院から転院して、一月が経った。相変わらず発熱を繰り返し、意識が戻らない日もあった。今入院している病院は、毎週派遣医師が変わる。その度に呼び出されて、状態が悪い事を告げられた。急変した時はどうしますか?と確認する。TVドラマみたいに手を握ってお別れするなんて、現実的には難しい事だと…。 数日前から苦しい状態になり、いよいよ覚悟しなければならないようです。そんな状態でも意識が戻った時には、「お前は帰れ。直ぐ帰れ」と言った。俺は大丈夫だから…。と言わんばかりに。どんな心境なのか、本当のところはわからないが、プライドの高い人だったから、見せたくないのかな?
2008.03.13
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「ぶすのこぶ」ってあんこ菓子を食べました
2008.03.12
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訪問販売パン屋さんから、あんことサワークリームのパンを食べました
2008.03.11
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数日前に公立高校の入試合格発表があり、友人の御子息が合格したと携帯にメールが来ました。娘の通っている中学校は現在とても落ち着いているので、高校うけがとても良かったらしいと、先生が言っていました。うちの子が受験する時も、是非そうであってほしいわ~と思う母でした。^^;そんなお祝いムードのせいだろうか?!何だか街が賑わっていていました。上の子がバイトしているファミレスまで送る道路が混んじゃって、びっくり。遅刻しちゃうじゃん!!と時計と睨めっこ。間に合いましたが、ハラハラしました。そして、そのファミレスも忙しいようで、バイト時間延長してます。疲れて帰ってくるんだろうな~。バイトは自分からやりたいと言い出し、すべてお小遣いにしているので、送迎料請求しようかしら?!爆
2008.03.09
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今日は、中学校の卒業式でした。来賓として出席した私。長女がこの学校を卒業したのは3年前。小学校の卒業式とは違って、入場の拍手は無く厳かに始まったのに戸惑ったことを思い出した。その頃にも卒業生は別れの歌を合唱し、その後、全校生徒で合唱する。長女の時には泣けなかったのに、今日はぼろぼろ泣けた。一緒に台湾訪問へ行った男子生徒」の凛々しい姿。いつも通勤途中にすれ違っていた女子生徒の涙をぬぐう姿。感慨深いものがあった。がんばれ!!と素直に涙がこぼれた。
2008.03.05
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年度も締めの月になりました。忙しくなりますよ~。そして、次年度の計画もしていかなくては・・・。ということで、慰安旅行の話がぼちぼち出始めます。やはり、ディズニーですか?!今すぐにでも行きたいのですが、実父の様態が落ち着きません。一日おきに変化します。それでは計画も立てられず、言い出せず・・・。でも、新年度がスタートしたら、きっと早めに計画立てると思います。
2008.03.03
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長女の卒業式でした。私たち夫婦も同じ高校だったが、校舎も体育館も建て替えて窓からの風景も変わっていました。自分たちの時より生徒数がかなり減り、何だか寂しく感じました。在校生の席には男の子しか座ってなくて不思議がっていた旦那さん。女子は合唱と吹奏楽に取られた?にしても、ほんとに少ない。式の終わりに卒業生が退場する時に、やっとその訳がわかった。出入り口の上に位置するギャラリーから垂れ幕が何本も下がって、女子生徒がきゃーと悲鳴にも似た声を出して、先輩の名前を呼び、思い思いのエールを送る。そして、紙ふぶき。たんたんと進んだ式の終わりに、なかなか感激的だった。謝恩会は子ども抜きだったので、夫婦ともに不参加でした。だって、二人目からは5千円追加徴収だったんだもーーーーーん。それに旦那が、「あの担任に感謝することはない」なんて言っちゃって・・・。「それは、子どもの言い分だけ聞いてるから・・・」そういっても、一度決めると結構頑固だから・・・。その晩長女に聞いたら、かえりのHRで涙見せてたって感激してた。「そうだろぅ、いい先生だったろぅ。こんな人間も社会に入るんだって勉強させてもらっただろぅ?!」って、私。それでも、追加徴収の5千円は払いたくなかったけどね。^^爆
2008.03.01
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