マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2009.01.24
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カテゴリ: ブログ
 表現する喜びと苦しみ 

私が初めて詩を書いたのは小学生の時、そして小説らしいものを書き短歌を詠んだのが中学生の時だった。退職間際に石川県の山中で勤務したことがあるが、この時は足の故障で走ることが出来なかったため散歩をしながら俳句を作っていた。その数1年間で約2千句。季語の知識も無く全く自己流のものではあったが、十分心の慰めになってくれた。考えてみるとずいぶん長い間、言葉を借りて様々な表現方法を試みて来たことが分かる。

さて、インターネットの楽しさを知ってから早14年になる。最初は掲示板に投稿するだけだったのだが、友人が私のために作ってくれたHPへ日記、エッセー、俳句、評論などを書いていた。前職を退職して以降は日記だけになり、やがてブログへと形を変えた。現在ではほぼ毎日約3千文字ほどの文章を書き、ブログで公開している。

書いたものをブログで公開する意味は何だろう。第一はやはり自分が何かを表現したいからだし、それを他の人にも見てもらいたいからだと思う。公開すれば当然恥を書くことも承知の上だ。自分の年齢を言い訳にしたくはないが、やはり加齢による衰えは隠せない。字を忘れる、言い回しを忘れる、事実を忘れる、毎日がそんなことの連続。

それに教養がないこともバレバレ。それでも毎日文章を書いて公開するのは、第一には楽しいからだし、第二には恥をかく以上に得られることがあると考えるからだ。だが文章を書く楽しみと同時に苦しみもある。何を書くか、どう表現するかと悩みは尽きない。文章を書くことを日課としているのだが、能力の限界を感じることも多い。

私にとって文章を書きそれを人目に曝すと言う行為は、自分の能力への挑戦であり、同時に忍び寄る老化への挑戦でもある。自分が楽しいと感じる事柄、面白いと感じる事柄、関心のある事柄を書いているが、内容が面白くなければいつか読者は去って行くのが道理。だが他人の評価をあまり気にせずに、飽くまでも自分の信念を貫く気持ちが大切だと思っている。

自分が楽しかったことや感動したことがそのまま読者に伝われば嬉しい。そのためにはどんな内容をどう表現すれば良いかと思いを巡らす。呆けて行く頭を何とか振り絞り、どんな構成でどんな言葉を用いるか格闘する日々だ。また公表した文章の中に間違いを後日発見し、慌てて訂正することも良くある。それが舞台裏の姿だ。

日々の暮らしを伝える単なる日記のこともあれば、エッセー風になることも評論風になることもある。また、ひょっこり着想が浮かんでたまには詩を書くこともある。それをブログと言う舞台の上で不特定多数の読者に見てもらう連日の作業。言ってみれば同人誌を一人で発行しているようなものか。

ネタ探しに苦労し、「失語症」やボケと戦いながらも自分なりに表現に心血を注いでいるこの趣味だが、何とか頑張ってこれからも出来るだけ長く継続して行きたいと願っている。内容の乏しい私のブログだが、この機会をお借りして読者の皆様に心からの感謝の意を表したい。これからもどうぞよろしくね~。

ランニング、散歩、自転車、園芸、家庭菜園、プロ野球(東北楽天)観戦、美術鑑賞、歴史研究、詩や文章の作成とブログ。5回にまたがって披露した趣味だが、例え中身は貧相でも私にとってはとても大切な生き甲斐。まだ健康で仕事をし、報酬でそれらの趣味を継続出来るのはとても幸せなことと感謝している。「芸は身を助く」でもないが、豊かな老後を過ごすためにも趣味は大事。まさに一生の友と言えよう。 <完>





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Last updated  2009.01.24 17:37:06
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