マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2009.09.24
XML
 3人の女性ランナー 

9月19日土曜日の朝。駅の東口にある新潟行きのバス停へ行くと、待合室に宮城UMC仲間のO川さんとK藤さんが既に到着していた。まずK藤さんに「立山登山マラニック」の際の借金を返済。彼女はすっかりそのことを忘れていたようだ。「Aさんの帰宅ランって何km?」と問う彼女に「7kmだよ」と平然と答える。そして逆に質問。「去年の佐渡は何時間で走ったの?」。

答えは42時間台だった。私が2年前に走った時の40時間台に比べても遜色ない。道理でT田さんが送ってくれた写真に彼女の姿がたくさん映っていたわけだ。今なら多分実力は逆転しているだろう。そのT田さんは前日のうちに新潟へ向かった。新潟から佐渡への出航時間が連休に絡んで変更されたためだ。我々3人は初めてジェットフォイルに乗ることにした。

O川さんに言う。「きっとO川さんは35時間台で、そして俺は45時間台でゴールすると思うよ」。その根拠は彼が今回の「佐渡島一周」へ向けて、かなりの長距離練習をこなしているのを知っていたからだ。9月も既に200km以上走ったようだ。それに比べて7kmの帰宅ランが中心の私は、今月はわずか40km程度を走ったに過ぎない。

仲間とたわいもない話をしているうちに、私の胸の中にあった鬱屈した思いは、いつの間にか霧散していた。バスの車中から見えた磐梯山。そして県境の長いトンネルを抜けると、目の前に黄色く色づいた越後平野が展開する。さらに特徴のあるサッカー場が見え出すと間もなく終点の新潟だ。

万代のバスターミナルで乗り換え、佐渡行きのフェリー乗り場へ。そして到着後に昼食。私は麺類だけだったが、O川さんとK藤さんの2人は麺類とカレーのセットを注文。さすが力のあるランナーは食事内容から違うと感心。でも私の目はベビーカーを押した女性の姿を捉えていた。ひょっとしてあれはA子さんかも。

彼女は第1回の「佐渡」を走った仲間。だがその後妊娠と出産のため、暫くウルトラマラソンを休んでいた。まだお子さんが小さいため今回も出場は出来ないのだが、出航の時間だけは連絡していた。実に2年ぶりの再会だ。彼女が「銀のねこ」と名乗ってブログを開設してると知ったのはレース後のこと。それ以来お互いのブログを行き来している。

急いで探すと、やはり彼女だった。長男の悠理ちゃんも一緒で、2年ぶりの再会を喜ぶ。ご主人に7割ほど似てると言う悠理ちゃんは人見知りをしない凄い子だ。最近彼女が遭遇した事故の話を聞くと、携帯に保存していた写真を見せてくれた。車が1回転する大事故だったのに、3人とも全くの無傷だった由。とても強運の一家のようだ。

T田さんとも会ってずいぶん色んなことを話したと彼女。亡くなったR子さんの話をすると、彼女も大層驚いたようだ。T田さんはR子さんの小さな写真を持って走ると言っていたそうだ。第1回の佐渡島には若い女性が3人参加した。亡くなったR子さん。そして今回見送りに来てくれたA子さんと、新潟のYちゃんだ。

この中でレース中にランスカで走り、人目を引いたのがA子さんだった。R子さんは年齢の割りにウルトラの経験が豊富なことで注目を浴びた。地味な存在だったのが一番若いYちゃん。ウルトラ暦もほとんどない。ところが神様は、ウルトラマラソンの申し子とも言えるR子さんを天国に迎えたのだ。

出航時間が迫り、私達はジェットフェリー乗り場へと向かった。なるべく早くウルトラマラソンに復帰したいと話していたA子さんだが、私達が走るレースのスタート時間に合わせて、彼女も約1時間ほど追悼ランをしたことを知ったのは後日のことだった。かつての仲間達は、皆同じ想いだったようだ。

ジェットフォイルの座席で、偶然仙台のランナーに会った。名前はT橋さん。こちらは気づかなかったのだが、新潟までのバスも一緒だった由。体格が良い屈強な若者がウルトラマラソンを志すとはまた頼もしい。彼が最初のレースとして選んだのがウルトラマラソンだったとか。へえ~っと驚く。やはり世の中には不思議な人物がいるものだ。<続く>





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2009.09.24 17:11:16
コメント(6) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: