マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2011.10.07
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カテゴリ: ウルトラマラソン
9回目の「秋田内陸」から10日ほどが経った。ひょっとしたら「秋田」を走るのは、今回が最後になるかも知れない。そんな想いを込めて、書き忘れたことを若干付け足してみたい。

あれは25、6km地点辺りだと思うが、後から近づいて来た車が急停車し、降りて来た男の人が私の名を呼んだ。ウルトラ仲間のI本さんだった。きっと私が「宮城UMC」のTシャツを着ていたため気づいたのだと思う。強烈なオレンジ色のTシャツは、遠く離れていても良く目立つのだ。

後で彼に会ったKさんの話によれば、彼は体調を崩したために参加できなかった由。それでも「秋田」に対する気持ちが高まり、遥々仲間の応援に駆けつけたのだと思う。助手席には奥さまが乗っていた。そして小さな愛犬も。その犬の頭を撫でて、私は再び走り出した。

左の股関節周辺が痛み出したのはそれから間もなくのことだった。夏以来体調が悪く、長い距離の練習をしていなかった私には、きっとその辺が限界だったのだろう。それでも暫く先の峠道では、すっかり痛みは消えていた。

45kmでのリタイヤは、これまで出た100kmレースで最短記録になった。直前に出来た練習での最長が23km。常々私は練習で走れる2倍の距離はレースで走れると考えているが、まさしくそれが証明出来たと思う。そして時間さえ許せば、きっと60kmは走れたと思うのだが。

整形外科のドクターには、足底筋保護の観点から底の堅いシューズを履くよう指示されていたが、今回はその指示どおりのシューズを履いて走った。スピードが遅かったためにその堅さにも耐えられたが、もっと長い距離だったらどうだったか。底の堅いシューズにシリコン製の医療用インソールを装着すると、さらに足には負担がかかる。インソールは歩行用で、ランニングのことまでは考慮していないのだ。

100kmの前日と翌日に秋田の山に登ったS村さんが、読書中の本を私に見せてくれた。鷹巣からスタート地点の角館まで「秋田内陸鉄道」に乗った際に読んだ由。本は漢字学者の白川静に関するものだった。彼の名前は宮城谷昌光の歴史小説にも時々出て来る。宮城谷が尊敬する学者のようだ。S村さんによれば、この本に宮城谷の名が出て来るそうで、彼の文章を誉めていた由。

漢字学者で私が知っていたのは諸橋轍次や藤堂明保。今回のことがきっかけで調べてみたら、藤堂と白川は、どうも学問的な敵対関係にあったようだ。原因は白川の学説には直観的なひらめきが多過ぎることみたい。漢字の起源が甲骨文字であることを考えれば、白川が唱えるように漢字に呪術性が潜んでいるのは当然のようにも思う。

帰路、東北道の長者ケ原SAで休憩した際、直ぐ裏にある「化女沼」(けじょぬま)を遠望することが出来た。私が見たのは、多分沼の一部なのだろう。古川グループの仲間達は、白鳥の飛来で有名なこの沼の周囲を走って練習していると聞いていた。ここが彼らの練習場所だったかと、胸に感慨が過った。






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Last updated  2011.10.07 17:21:46
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