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<宮城UMC新年会のことなど> 2月1日(土)宮城UMC新年会へ出席するため街に出る。まだ誰も来ておらず、私が一番乗りだった。何せ2週間近く連続で断捨離の重労働中だったため、アルコールを飲んでも大丈夫かと心配だったが、何とか最後まで持った。だが不覚にも帰路の車中で眠ってしまい。かなり遠くのバス停で、ようやく降りて家に戻った。まずは怪我しないで良かった。肝臓も何とか持ちこたえてくれたみたいだ。 「宮城UMC」とは宮城県内のウルトラマラソン愛好者の集いで、2年ほど前に結成20周年を迎えたところだ。かつての鉄人もやはり齢には勝てず、衰えが目立つのが普通。だが80歳を過ぎてもまだ現役でウルトラマラソンに挑戦し続けている「万年青年」も中にはいるんだよねえ。 席は長年の走友T田さんの隣。kazuさんが初孫ちゃんのお宮参りのため欠席だったのが残念。とも角T田さんとはかつて一緒に走ったレースの思い出話に花が咲き、走友たちのチェレンジ精神に強い刺激を受けたのだった、80歳のF田さんが昨年「伊奈川」の100kmを完走したこと。81歳のM仙人が昨年3度の100kmレースに挑戦したことなどを聞くと、ウルトラマラソン道の奥深さをしみじみ感じさせられたのだ。 73歳のK藤さんが今年は親戚の結婚式のため連続10回完走記録を持つ「佐渡島一周」(206km)に参加出来なかったのが残念。同じく三婆の1人76歳のK村さんが昨年100kmを完走したこと。64歳の名幹事のKさんが今年も520kmの「川の道」に3度目の完走を目指して挑戦することなど。やはり鍛えている人は違う。まさに「継続は力なり」だ。 そんな中、今年の9月5日(土)の開催を目指して頑張っている仲間もいる。第4回目の今年は、最短60kmから最長115kmの部までコースを5つに増やした由。アップダウンの激しいコース設定だが、コース途中の温泉3か所にも自由に入れるのが「売り」だ。この体調ではスタッフとして手伝うのも無理だが、気持ちだけでも大勢のウルトラランナーを応援したい。集え、そしてガンバレ、全国の走友たちよ。 この日、会に新たな仲間3名が加わった。顔ぶれも昔とはまるきり変わったが、それも時代の流れ。こうして顔を合わせ、話せるのは嬉しくかつ楽しいひと時であった。最後に私とH多さんがハグするのをビックリした顔で見ている若い会員。厳しいコースのレースを共に走り、共に苦しんだ仲間だからこそ、男女など関係ないんだよ。そして年齢も。チャレンジする気持ちがあるうちはまだランナーなのだ。<思い出のレースから> 今ではヨボヨボの爺だが、私かつてはランナーだった「証拠写真」を探した。ご笑覧あれ。 「NAHAマラソン」フル=沖縄県 {愛媛マラソン」フル 1994年 「小豆島オリーブマラソン」ハーフ=香川 1996年 「しまなみ海道」100km 広島県福山市~愛媛県今治市 2005年 「秋田内陸ウルトラ」100km 2004年 「えちごくびき野ウルトラ」100km 2006年 「立山登山マラニック」 富山県 距離65km 標高差3003m 2007年 神戸マラソン(フル)2013年 浜名湖一周(70kmをワープ)2013年 久米島マラソン(フル=沖縄県)2014年 これが「小豆島オリーブマラソン」(ハーフ=香川県)です。 疲労のため途中で操作ミスしたみたいで、全部載らなかったのが残念。
2020.02.04
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~ウルトラマラソン仲間の会合へ~ 2月初旬の土曜日。県内ウルトラマラソン愛好者の団体「宮城UMC」20周年記念式典へ行って来ました。私がランニングを始めて40年。ウルトラマラソンを始めてから24年になりますが、その間に体を壊してランナーではなくなりました。おまけに一人暮らしで体調も悪い上に風邪まで引いていて大いに迷ったのですが、お世話になった方々にお別れするつもりで出かけた次第です。 <感謝状を受け取るM会長> 記念式典はM会長の挨拶と乾杯で始まり、Kさんから初代事務局長Uさんの近況報告、創立20周年に寄せての思い出をF事務局長、A副会長、K女性代表からそれぞれ述べられました。最高年齢は79歳ですが、会員のほとんどがまだ現役のランナーです。私のようにレースどころかランニングもしてない者には場違いの感もありますが、久しぶりに仲間の活躍ぶりを見て感じるものがありました。 メールで行事の案内をくれるKさん(左)。いつも親切にありがとうね。 私と同学年ながらまだ走っているKさん(右)苦労話、身に沁みました。 身長が4cm縮んだと言いながらもお元気で何より。Aさん(左) 1520kmのレースを完走したOさんは謙虚で誠実な人柄(右) こんなテーブルが4つあり、それぞれ大いに盛り上がりました。私はまさかここでもアルコールが出るとは思ってなかったのでビックリ。風邪のこともあって心配したのですが、案外最後まで持ってくれて良かったです。 元スピードランナーのCさん。(左)アルバイト中の彼に偶然会ったのは何年前だったかな? 百戦錬磨のTさん(右)はどこへ行っても人気者。いつも心配してくれてありがとうね。 宮城UMCの通称「三婆」のKさんとKさん。どちらもまだ現役とはすごいなあ。 この後、M会長の詩吟なども飛び出して大盛り上がりでした。で、最後は記念写真撮影です。 どさくさ紛れの1枚です。私は写っていません。なにせシャッターを切ってたもので。 創立当時の写真をTさんが持っていましたのでそれをパチリ。みんな若いですねえ。なにせ20年前ですから元気そのものです。私は最後列の左から3番目。自分でも探せないほど若かったなあ。(;^_^A 古川グループ 阿佐ヶ谷姉妹(?) 懇親会のスナップ写真です。場所を移して実施された懇親会。ここでも2時間をほどを過ごし、実に良く飲みました。Kさんと1時間以上も歴史談義をしていました。彼は立山「雷鳥荘」の風呂での深夜の歴史談義が印象深かったそうです。相当酔いながらも、無事帰宅出来ました。幹事の皆さん、そして仲間の皆さん、本当にお世話になりました。久しぶりにお会い出来て幸いでした。嬉しかったです。 さて本日早朝より、秋田方面へ2泊3日のバスツアーに出かけます。このため皆様からいただいたコメントへの返事や、皆様のブログにお邪魔することが出来ません。悪しからずお許しを。なお、その間のブログは、写真中心のものを予約機能で書いておりますのでご笑覧くださいませ。では。
2019.02.09
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<7 戦い済んで> 実行委員会から交通費を受け取る。封筒には金千円也と委員長からの丁寧な感謝のメッセージが入っていた。車を提供した人は3千円。ボランティアなので何も受け取る理由はないのだが、「気持ち」を有難くいただいた。A沼さんとレンタカーのバンをホテルまで返しに行き、フロントにキーを預けた。ここからはM仙人の車で作並温泉に戻る。A沼さんの車はスタート地点に置いたままなのだ。 大変お世話になったM仙人からは、往復の車中で色んなお話を聞いた。喜寿ランナーで今も100kmを完走出来る実力者。9月も4つのレースに出場予定とのこと。家庭の話、走友会の話も伺った。名前だけの会員でほとんど行事に参加してない私には、貴重な情報だった。相棒のA沼さんも素晴らしかった。2人1組で良いサポートが出来たと思う。私はウルトラ初心者の彼に、色んな経験を話した。 帰路ゴール地点を通ったが、灯りはすっかり消えて誰もいなかった。第1回の今大会、参加した選手たちはどんな感想を持ったのだろう。宮城県で初めて開催された100kmレース。主催者の深い想いが、レース運営に反映されていたと思う。変化に富んだコース。温泉に入れると言う意外性。エイドの美味しい食べ物。そして県の内外から集まったサポーターが、選手たちの力走を支えたと信じたい。 中にはコースミスをした選手もいた由。詳細なコース図は受付時に手渡され、それで初めてコースを知った選手も多かったと思う。暗く細い道では、矢印も見え難かったかも知れない。そんな体験も、来年への反省点になれば良い。何せコースの壮大さは国内でも屈指のはず。第1回にしてこれだけの充実ぶりは、運営に携わった者がウルトラマラソンの経験者揃いだったことが大きい。 若手スタッフの実力が素晴らしかった。彼らは豊富な知識と最新の技術を駆使して、企画力を発揮した。だが、実務においてはベテランのスタッフがカバーした部分も大きかった。全体の指揮を執る者からトイレ掃除に当たった者まで、様々な形でレースを支え、全国から集まった選手たちを宮城の風土とフードが歓迎した。それにしても台風が直撃しなくて良かった。まさに奇跡だったと思う。 車中から見えた走友たちには、正直言って衰えを感じた。それぞれ歳を取り、かつての勢いは影を潜めていた。私は既にランニングを止め、生命の限界すら感じることもある。走友たちもいずれ走れなくなる時が来るだろう。その時どんな気持ちで立ち向かうのか。何人かの選手に名前を呼ばれた。私がマックス爺であることを知っていたのだ。次回もサポートを依頼されたが、果たして体が着いて行けるかどうか。 帰宅後、疲労困憊のため何も片づけず、リンゴとオレンジを食べて寝た。前夜眠ったのはわずか30分程度。そして極度の緊張のせいか、レース当日は血圧降下剤など4種類の薬を飲むことも忘れていた。疲労は暫く取れず、サポートの過酷さを身に沁みて味わった。良くあんな体調で倒れなかったものだ。運営に支障を来すので、絶対倒れないと言う気合いで臨んでいた私だったが。 翌日、参加賞としてもらったTシャツを着て買い物に行った。1人の女性ランナーが私のシャツに気づいて手を上げた。なんと彼女も昨日サポートした仲間だったそうだ。今日は18km走ると言う。サポーターからランナーへと変身した彼女。私は普通の爺さんに戻った。愉快なりランニング。素晴らしきかなウルトラマラソン。走れなくなった私だが、心だけはまだランナーのままだ。<完>
2017.09.09
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<6 リタイヤランナーの収拾とゴール> 神の湯 遠刈田温泉の神の湯。ここは蔵王町が経営する公共の湯で、確か料金は300円だったはず。今回参加したランナー達は無料で入れる。私達は関門ギリギリで到着したが、入浴したランナーは多かったはず。それにここで力尽き、リタイヤしたランナーはなおさらだ。予めここまで自分の荷物を送れていたので、着替えも出来るだろう。至れり尽くせりの関門とASだ。 すずらん峠 さて、私達の使命はここで変わる。リタイヤしたランナーを順次ゴールまで送るのだ。レースのコースとは直ぐに別れて、すずらん峠を通る。蔵王町から川崎町に抜ける峠道は、高低差300mはあろうか。私も自宅から山形の蔵王温泉まで走った時に通ったことがある。距離は77kmだった。車中は賑やかだ。「今日のコースはクレージーね」と関東のランナー達。「奥武蔵の方が楽」とも。 釜房湖 朝の事故現場に出る。どうやら酒酔い運転での自滅らしい。ランナーが無事で良かった。釜房ダム湖横の道路に出る。ここも私は初めて通った。湖畔公園入口を過ぎて県道160号線に入る。分岐点に誘導係がいないことが気になった。暫く行くと最後の登り坂を何人かのランナーが走っていた。女子のトップもいた。白髪のお婆さんの足は軽く、リズムが全く乱れていない。 みちのく杜の湖畔公園 ゴールの「秋保ワイナリー」にリタイヤした選手を送る。ここにはゴール用の荷物が届いている。トイレを済ませ、次の指令を待った。指令は90.3km地点の最終(第3)関門、みちのく杜の公園入口でリタイヤ選手を拾うこと。ランナーは遠刈田温泉から大回りに迂回し、村田町を経由し川崎町支倉の山中を通ってここに至る。関門は17時ジャスト。もし通過出来ればゴールまで残り10km。2時間はある。 湖畔公園風景 関門に着いた。何やら論議してる様子。制限時間と同時にASを畳むとのこと。私は担当ではないが意見を言った。ランナーはここまで必死に走って来る。それが関門に引っかかるだけでなく、食べ物や飲み物が一切無かったら困るだろう。それで皆は黙った。ゴミなど不要なものを車に積み、公園から借用したデスクや椅子などを返却。その間も何人かが関門を通過して行った。ギリギリのランナーを声を嗄らして応援。 関門閉鎖後30分だけ待って、再び車でゴールへと向かう。リタイヤランナーは3名とスタッフ3名だ。途中にランナーの姿はなく、見えたのは県道160号線に入ってから。残り5km足らず。登りではすべてのランナーが歩いていた。時間はまだある。余力を残しているのだ。黙々と歩くランナーも、下り坂に入ると再び走り出す。最後の最後まで坂に苦しめられる難コース。多分完走率は50%程度ではないか。 ゴール<秋保ワイナリー> ゴール手前も最後の坂道。時刻は18時を回り、闇が迫っている。選手を下ろし、私達は積んでいた荷物を運んだ。膨大な備品類とゴミ。そして余った大量の飲み物など。草臥れ果て喉を嗄らして声も出ない。それでも黙々と働く。 選手たちが帰って来る。最後の力走だ。拍手、拍手、また拍手。正確には100.5kmの難コース。そして累積の高低差は1500mは楽に超えたはず。名誉ある第1回の完走者。記念撮影を済ませ、仲間と握手やハグする姿がそちこちで観られた。 夕闇が迫っている。朝の4時にスタートして、既に14時間近くは走った。あの連続する激坂をよくも最後まで走り抜いたものだ。苦しみは走ったランナーにしか分からない。そして喜びもまた然りだ。共に苦しんだ仲間だからこそ、今手を取り合ってこの地にある。ウルトラマラソン万歳だ。<続く>
2017.09.08
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<5山道~温泉~山道> ASにて 国道286号線に出る。ここは通称笹谷街道。江戸時代は山形から伊達領を経て福島に抜ける街道。県境の峠には六地蔵が立っている。川崎にはかつて伊達の一族が住まい、今も見事な松並木が見られる。私も一度峠を越えて山形市まで走ったことがあった。ランナーが見えて来る。速いランナー達が集団で走っている。彼らは楽に完走出来るペースだ。 走友T氏 国道を左折し、青根温泉への山道に入る。私は初めて通る道。O川さんが道端で立っていた。距離520kmの「川の道」を2度完走し、1520kmの「本州縦断フットレース」を完走した勇者が、きっと走友の応援のために待っていたのだろう。坂道が次第にきつくなり、ランナーの姿が疎らになる。小雨が降って来た。これは台風の余波か。 44.8km地点青根温泉「じゃっぽの湯」。ここが第1関門でスタート後7時間が制限時間。標高は500mほどもあろうか。温泉までの坂は急傾斜で、よほど力のあるランナーじゃないと走って登れないだろう。私達が着いた時はまだ数名のランナーしか通過してなかった。車で追い抜いたランナーもトップグループだったのだろう。ここにASがあり、チェックの装置がある。 じゃっぽの湯 青根温泉はあの古賀政男が戦後籠って作曲を手掛けた地。「じゃっぽの湯」は公共の温泉で、ランナーも入れるようタオルを用意してある。女子のトップは入らずに行った。遊び心のあるランナーが温泉へ行った。よほどの余裕がある人だ。道路でM仙人がチェックポイントへの立ち寄りを誘導し、K宝さん達がASを担当していた。彼は日本人初のトランスアメリカフットレース完走者だ。 <コース図 スタートもゴールも温泉。レースの途中でも2か所の温泉に入れる> これまで国内で幾つものウルトラレースを主催されて来た第一人者。その彼が自分の車で移動し、ASで黙々と選手のお世話をしている。本当に偉い人とはこう言うもの。頭が下がる行為だ。いつの間にかM仙人は姿を消した。これでは選手たちがチェックポイント(CP)を探せない。急遽雨の中ビニール合羽を着て誘導。1時間以上声を嗄らして選手たちにCPを教え、関門に間に合うよう励ます。 コース高低図 11時の制限時間のチェックを見届けて、第2関門の遠刈田温泉に向かう。ここで弁当を受け取り、近道を通って青根温泉に戻り昼食。制限に間に合わなかった選手が「じゃっぽの湯」に入る。それもまた楽しみのうち。結局ここのトイレは町の施設で、委託された方がトイレットペーパーを補充していた。ここで待機せよとの使命を無視し、A沼さんと本来のコースに向かう。 <青根温泉から峩々温泉へ向かう山道> 青根温泉から峩々温泉へと向かう山道は表現出来ないほどの急坂。トップランナーは走れるだろうが、普通の人間は歩くのがやっと。一旦登って今度は急な下り。渓谷沿いに峩々温泉はあった。昔は秘湯だが、今は高級温泉なのだとか。ランナーは疎ら。最終ランナーの後に、スイーパーが張り付く。最高地点通過。標高は904m。第10ASで最終ランナーを確認し、蔵王エコーラインをゆっくり下る。 第2関門にて 車中から「いつでも乗って良いよ」と選手たちに声掛け。だが誰1人乗ろうと言うランナーはいない。ギリギリの時間しか残っていないが、必死で遠刈田温泉を目指す。途中でコースを間違ったグループもあった。61.4km地点第2関門の遠刈田温泉神の湯。ここでレースを諦める人。さらに次の第3関門を目指す人。ここは自らの実力と疲労度と相談しての決断だ。13時30分関門を閉じる。<続く>
2017.09.07
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<4スタート > 2時20分。前日の受付会場へ行くと、AS行きの物品はすべて空になっていた。各担当者の車に積み込まれたようだ。相棒のA沼氏と遭遇。彼は当日参加組。8月6日の最初の会合でお会いしたランナーで、私より5歳ほど若い。ゴール地点行きの荷物はM仙人の車に載せてもらい、レース中移動しながら使う荷物はA沼さんの車に積んだ。朝食のお握り弁当はいずれ車中でゆっくりと食べる予定。 3時半には選手たちがスタート地点に集まって来る。頭にはヘッドライト。背中やシューズには反射材が光る。どれも緊張した面持ちだが、中には仮装ランナーも数人混じっていた。「バドワイザー娘」、「サメ男」、「一反木綿男」などだ。皆完走の自信があるランナーなのだろう。県内の走友、他県の走友に声を掛ける。記念撮影に続いてレースの注意、来賓の挨拶があり、いよいよカウントダウンが始まる。 チェック装置の関係で、10人くらいずつのウエーブスタートとなった。走力のあるランナーは前に集まっている。装置に腕のベルトをかざし、勢いよく飛び出して行った。中には一番後からゆっくりスタートするランナーも。制限の15時間をどう使うかはランナーの判断。全部で141名の選手がいた。欠場者が少しいたようだ。台風15号の接近中だもの。無理もない。 中には速いランナーがいると聞いた。100kmを7時間台で走ると言う。そしてコースの研究もしていたと聞く。全てのランナーが走り出した後、A沼さんのバンで追いかける。暗い夜道を前進するランナーの群れ。4.6km地点ニッカウィスキー工場入口への分岐点にM仙人が立っていた。そこからランナー達は山道に入るのだが、私達はそこからさらに直進。細い山道はランナー専用なのだ。 <マッサンとエリー 実物> 車中でむせながら早めの朝食を摂った。時々お茶を飲んで喉の奥に流す。興奮していたのか、毎朝服用している4種類の薬を飲むのを忘れてしまった。私達が最初に向かうのは13.1km地点にある秋保神社。ここのトイレをお借りしており、使用後に掃除をするのが第一の仕事。5時過ぎ、空が白んで来た。トップランナーがようやく見え出した。予想と異なり中年のランナー。それも必死の形相で走り抜けて行った。 遠くから次々にランナーが見えて来る。女性のトップは白髪の方だった。ひょっとして70代だろうか。練習十分で鍛えられた筋肉。表情にも余裕があった。結局彼女はそのまま女子の1位でゴールした。仮装ランナーも来た。走友も走り抜けた。その1人1人に声援。トイレの在処を叫ぶ。次のトイレまで4km以上あるからだ。全てのランナーが走り過ぎたのは1時間以上も経ってから。トップとはかなりの差だった。 便器の汚れはさほどでもないが、床がドロドロ状態。あの狭くて厳しい山道で、シューズが汚れたのだろう。掃除道具で便器の汚れを取り、雑巾で床の汚れを拭いた。女子便所に残された未使用の生理用品でも汚れを拭いた。手袋はあったがそのままバケツで雑巾を濯ぐ。定年後私はビル管理会社で清掃員や警備員をしたことがある。こんなものなど汚れの中に入らない。それにこれは私に与えられた任務なのだ。 17.4km地点ゆめの森カフェASは仮設トイレを借用したもの。男女兼用のトイレは、ここも泥だらけになっていた。例の方式で汚れを落とす。ここも雑巾は素手で濯いだ。ここで急遽連絡が入った。第1関門青根温泉じゃっぽの湯のトイレに、ペーパー補充の要請だ。最終に近いランナー達を激励しながら、コースを進む。途中20.1km地点の本砂金小学校のトイレを確認。管理人さんにお礼を言って立ち去る。 新潟のTさんやFさんが苦しんでいた。かつて一緒に走った「佐渡島一周」(206km)の仲間たちだ。太めの若い女性も頑張っている。後で知ったのだが、彼女は古川のT田さんたちの知り合いのようだ。今では一歩も走れなくなった私だが、頑張るランナーの姿はとても刺激になる。川崎町国道286号線手前で、車の事故発生。どうやらランナーに見とれて脱輪した模様。危ない、危ない。<続く>
2017.09.06
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<3 懇親会の夜> 懇親会が始まった。先ずは若い実行委員会委員長の挨拶。会場の旅館の役員の挨拶、県会議員の挨拶もあった。地方公共団体主催のレースだと議員の挨拶が延々と続くのだが、ここは格式張らない上に短めで良かった。乾杯の音頭に続いてさっそく懇親会へと移った。 料理の内容は悪くない。悪くないどころか、100kmマラソン懇親会の料理としては、最高級だろう。会場が老舗旅館であることも含め、この大会を2年前から企画準備して来た実行委員会の首脳陣が、それだけ頑張った証とも言えよう。全国各地から集まったランナー達は機嫌よく酔い、翌日のレース完走に向けて、密かに闘志を燃やしていたに違いない。 余興の部ではランナーによる三線(さんしん)やハーモニカの演奏もあった。また地元ウイスキー工場の肝いりで、クイズが出され豪華景品が多数の参加者に提供された。例の「マッサンとエリー」が関係したウイスキー会社が、スタート地点の直ぐ傍にあるのだ。和やかで良い内容の懇親会だったと思う。 久しぶりに会った走友たち。久しぶりのレース前夜。きっとそんなことが私を酔わせたのだと思う。普段は滅多に口にしない「仙台牛タン」にも舌鼓を打った。私にとっては、年に1度の豪華メニューになった。名残惜しいけど懇親会は8時まで。レースは4時スタートで、深夜1時半から朝食のお握り弁当が配られる。早く寝ないとレースに差し支えることになる。それにしても台風15号の行方が気になる。 懇親会会場 私は9時過ぎから再び川沿いにある岩風呂へ入りに行った。もうここへは何度も来れないだろうと思ったのだ。部屋に戻って眠ろうとすると、もう大きないびきが聞こえていた。これはやられた。先制攻撃だ。結局その轟音が気になって眠れたのはわずか30分程度。まんじりともしないまま、2時過ぎには起床した。雨の音はしない。台風は逸れたのだろうか。<続く>
2017.09.05
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<あるレースを支えて2> M仙人と待ち合わせの場所に急ぐ途中、民生委員の家の前を通った。目下独り暮らしの私だが、子供が家に帰って来る予定もないため、いずれは家を処分して施設に入ることになるだろう。その「将来計画」を相談をしたいと考え、自宅の場所を聞いていた。ただ、直接伺うことがルール違反になりかねないので、確かめたいと思う。 参加賞Tシャツ スーパーの前でM仙人は待っていてくれた。早速彼の車でスタート地点の作並温泉に向かう。仙台郊外秋保温泉の先から山道に入る。ここは明日の100kmのコースらしい。道の細さに驚く。すれ違いが出来にくい山道。所々舗装がなく、長い雨で道路には小さな流れや水溜りが出来ていた。そして何の目印もない曲がり角の連続。誘導の人がいなければ間違いそうな箇所が幾つかあった。 スタッフ着用(表) スタート地点は作並温泉で、選手やスタッフが泊まるのはI松旅館。室町時代からの古湯がある老舗だ。受付を済ませて、参加賞と上着を受け取る。これで心は「第1回みやぎ湯めぐりウルトラ遠足」のスタッフだ。 各担当ごとに打ち合わせが始まる。8月のミーティングで仕事の内容は聞いていたが、その他にもレース前日としての仕事があった。地元のスタッフは限られているので、重要な準備要員なのだ。 早速15か所ほどのエイドステーション(AS)に配置する食料品、飲み物、必要備品などの仕分けを開始。150名の参加者数に比べて量が多いが、少ないよりは良いと考えた由。これが仕訳けられた物品。中には早めのASと遅めのAS2か所を担当するスタッフもいるので、大変な量になる。各AS毎に内容を点検して昼食。 スタッフ着用(裏) 午後になると県外から応援のスタッフが到着し始めた。2時過ぎからAS担当者の車に必要物品を積み込み開始。果物や生ものなどは別途当日の搬入。これがなかなかの重労働で、台車を何度も押しての往復。独り暮らしで草臥れた老人にとっては、正直言ってきつい仕事だ。 その間に三々五々集まって来た選手の受付が始まる。名前をチェックし、参加賞、大会要項などを手渡す。選手は鹿児島県から北海道まで150名余。そして台湾からも1名参加。第1回大会に惹かれたり、「みやぎ湯めぐり」のネーミングに惹かれたりと様々だろうが、この日初めてコースの詳細図を見たランナーがほとんどだったはず。宮城県内でもこんなコースを知ってる人はほとんどいないはず。 夕方の4時過ぎにようやく手が空いたため露天風呂へ。ここは広瀬川最上流部の渓谷沿いにある温泉で、本来は混浴の岩風呂として有名だったところ。だが今は男女を交代制で入浴時間を決めている。川岸へ下る階段がやけに長い。途中に休憩所や、女性専用の岩風呂もある。広瀬川は清冽で、大きなイワナが何匹も泳ぐ姿。コースの分岐点などに案内表示をしていた班が戻ったのは、5時過ぎだった。<続く>
2017.09.04
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<あるレースを支えて1> 鏡を見たら酷い顔だ。まるでしわくちゃのET。それもそのはず。レースの前夜は30分しか眠れなかった。日中の重労働に加えて夜はいびきの音に悩まされフラフラの状態で大会当日に臨んだ。自分が与えられた仕事をこなし、100kmの難コースに挑むランナーの声援に喉を嗄らし、早朝から夜中まで体力と精神力の限りを尽くした。 帰宅後は片づけ方もせず、久しぶりに風呂を沸かして体を洗った。ゴール地点で余った小さなパンを3個ほど食べたが、夕食を作る気が起きずリンゴとオレンジを食べて寝た。7時間ほど眠れたろうか。今日は町内会の草刈りの日だが、果たして参加出来る健康状態かどうか。班の回覧板を回し、郵便受けから新聞を取る。そう言えば昨日の新聞も読まないまま。 もちろん大会関係の写真も全く整理などしていないし、考えも纏まってはいない。それでもブロガーの本能として、何かを書こうとしている。留守中にいただいたコメントは拝見したが、返事は書けていない。そのうちゆっくり返事を書きたい気持ちはある。相応しい写真もない状態でこんな話を書くことが、果たしてどんな意味があるのか分からないが、これがきっと私の仕事なのだろうと思う。 一番心配だった台風15号の影響はさほどなかったと思うが、ランナー達にとっては厳しいコース設定だったのではないか。ランナーもレベルは様々だし、このレースにどんな気持ちで臨んだのか、様々だったと思う。記録を狙った人、完走を目指した人、物珍しさに惹かれた人、仲間に誘われて何となく参加した人。しかし、コースは予想外の厳しさでランナー達を待ち受けていた。 第1回大会だけに、色んな不手際もあったと思う。主催者の思惑がどこにあり、サポーターは何をどうすべきかはっきりと分からなかった面も多い。しかし150名ほどの参加者に対して、第1回の手作りのウルトラマラソンとしては、考えられる限りの対応は出来たのではないかと思う。それでも多くの不備があり、参加したランナーの不満もあっただろう。きっと鮮烈な記憶としてそれぞれの胸に刻まれるだろうと思う。 台風は去り、青空が戻り、1つのレースは終わった。私は草臥れた顔をしてまた通常の暮しに戻った。一日も早く体力を取り戻し、写真を整理し、私の見たものと感じたことを、この拙いブログに書くことが出来たら嬉しい。先ずは布団を干そう。そして朝食の準備をしよう。多くのランナー達よ、お疲れ様。企画した方々とスタッフの方々、お疲れ様。そして私自身も。<続く>
2017.09.03
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<「第1回みやぎ湯めぐりウルトラ遠足」開催前の打ち合わせ> ある人に頼まれて、ある会議に出て来た。場所はこのビルの26階にある会議室。のこのこ出かけて行ったのだが、ウルトラマラソン仲間の懐かしい顔がそこにあった。体調を崩して6年。今は老化でほとんど走れなくなった。それどころか50年近く付き合った女房にも逃げられ、私は生きているのがやっとの有様だった。そんな心身で、果たして人様の役に立つことなど出来るのだろうか。 会議はこのウルトラマラソンについて。来月の2日土曜日に第1回のレースがある。集まったのは仙台市近辺に住むウルトラマラソン愛好者かそのOBたち。県内で初めて開催される100kmマラソンを何とか盛り上げようとボランティアを買って出た人たちだ。本当は自分も走りたい人が多いのだろうが。 参加する選手は155名。そのうち34名が県内の選手で、残りが県外の選手。台湾からも1名参加されるとのこと。実は昨年このコースの試走があった由。コースは県内の4か所の温泉を巡るもの。中には高度が千m近い(超えてるか?)箇所も通る過酷なもの。それを15時間で走り、累積標高は2785mだから、単なる100kmレースではない。 この日は、主に輸送やコース案内に携わる班と、エイドステーション(選手への飲食物提供サービス)に携わる班の打ち合わせだった。大会まで残り4週間弱。初めはこんな状態で本当に開催が出来るのかと危ぶまれた。それがさすがは現役及びベテランのランナー達。具体的なレースのイメージが湧くと、それにどう対応するかの疑問点やアイデアが次々に提示され、活発な論議が続いた。 この日集まったボランティアは20名程度だが、今月内にもう1回会合があり、レース当日も県外から10名以上のボランティアが来てくれる運びらしい。オフロードはなく、コースはすべて舗装道路ではあるが、中には人通りの少ない淋しい場所や、熊が出没する地区も含まれている。選手が不安を抱かずに走るためのフォロー、そして止む無くリタイヤした後の輸送など、難しい場面が予想される。 わずか150名余の選手だが、大事な体を預かるレース。スムーズに大会が運営されるよう、私達も何とか協力しないとね。3時間近く熱心な打ち合わせをした後、ちょうど正午ごろには検討を終えた。さて、この日出た疑問点は早急に解決して本番に間に合わせないとね。まあ私は100回以上長距離レースに出ているが、中にはもっと人数の少ないスタッフで運営していたところもあったもんね。 きっとこれが私が出来る最後のボランティア活動かも知れないね。しっかり体調管理をして、当日のレースに臨みたいものだ。なお私はレース前日からスタート地点の温泉に宿泊して、事前準備をする予定でいる。楽しみ半分、緊張半分。それ以上に当日選手たちが、元気で走る姿を見るのが楽しみだ。 台風5号が通過中です。どうぞどの地方にも大きな被害が出ませんように。
2017.08.07
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6月8日に出場した「いわて銀河」50kmの部のコース沿いに咲いていた花々を、走り、歩きながらデジカメで撮りました。花の名前はあくまでも私の推察です。その点を前もってご了解ください。 ニッコウキスゲ 「そうさのう。こびっと走ってみるか」。爺さんランナーはそうつぶやいて、走り出したんだと。 アヤメ 時は2014年6月8日日曜日、所は岩手県西和賀町。男が出たのは「第10回いわて銀河」50kmの部。 ゴールドコイン だが走り出して間もなく男は立ち止まり、デジカメで写真を撮り始めたのさ。 ルピナス 男にはまったく焦った様子がない。なぜって、その日が引退レースと男は決めていたようなのだ。 コンフリー 男が撮ったのは、ごくありふれた岩手の景色と道端に咲く花々。 ノリウツギ だが、わずか9km走った辺りで男は苦しみ出した。 トチの花 最近は体調が悪くてほとんど走っておらず、4kmの散歩が関の山だった男。 キバナショウブ それでもそれなりに自分は準備をしたと、男は考えていたようだ。 オオテマリ 準備と言うのは体重が増えないよう注意し、床屋で髪を短く切っただけなんだけどね。 ツリガネスイセン そうそう。1週間前の「みちのくラン」では、男は仲間と一緒に15kmをふうふう言いながら走ったのさ。 山藤 それで「ひょっとしたら何とか走れるかも知れない」。男はそう考えてこのレースをキャンセルしなかったんだねえ。 クレマチス 9km過ぎ。男の背後には大会審判長が乗った観察車がぴったり張り付いていたんだと。 バイカウツギ あるいはハクウンボク 男はその時点で最後尾だった。つまりビリと言う訳。それでも男は少しも慌てず、写真を撮り続けていたみたい。 シャクヤク 12km過ぎ。100kmの部とコースが合流してから、男はいくらか元気になったんだと。 エゴノキ 出逢った走友達が男を励ましてくれたからだ。T田さん、T脇さん、Kさん、そしてO川さん、本当にありがとうね。男は今でもそのことがとても嬉しかったようだ。 ハタザオギキョウ 日が暮れる前に、男はボロボロになって雫石町のゴールに辿り着いた。迎えてくれたのは、遥か彼方で優しく男を見守っていた姫神山だったんだと。 シラン 「もし風景や花々を撮らなかったら、もっと早くゴール出来たのかな」。風が男に尋ねた。 ヤマブキショウマ 「いや、それはどうだろうね。案外そのために足が休まり、結果的にゴール出来たのかも知れないよ」。そう言って男はニッコリ笑った。 ピンクのマーガレット これが男にとって、フルマラソン以上のレースの100回目の完走だったみたい。走り始めてから35年目のことさ。 シャクヤク 「どうやらウルトラマラソンには、時々こんな「奇跡」が起きるらしいね」。花が笑った。「お爺さんはこの後もまだ走るのかなあ」。風がつぶやいた。はい、これで今日の話はお終いだよ。トンカラリ。
2014.06.15
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≪ 宮城UMCの文集から ≫ 宮城UMC文集 深夜の2時36分に、やや大きめの地震があった。足元は冷たいし、トイレに起きたら眠れなくなった。とうとう起き出してブログを書いている。2月1日の土曜日。ウルトラマラソン仲間の新年会があった。30人近く集まった中に、宮城UMCの三婆ことK村さん、H多さん、K藤さんの姿が見えなかったのが残念だった。今日は当日配られた今年の文集を紹介しよう。 会長のM仙人は、昨年100kmレース4回、フルマラソン3回、ハーフマラソン5回、山岳レース3回出場したとある。とても73歳とは思えない活躍ぶりだ。それでも参加レース数は、一頃の半分になったと嘆く仙人。昭和39年の東京オリンピックの思い出を書かれている。国立競技場内で円谷選手が2位になったヒートリー選手に抜かれた姿を目にした由。私は君原選手の講話を聞いたことがあるが、自殺した円谷選手の話になると、とても辛そうな表情になったことを思い出す。 今年喜寿を迎えるO原さんは、宮城UMCの最長老。さすがにウルトラマラソンは走らないが、未だにマスターズ陸上の現役選手。県の常任理事として25年勤める傍ら、ハードル競技や競歩に打ち込んでいる由。去年は11年間務めた町内会長やNPOの理事を辞めて競技の強化を図ろうとした途端、全治1カ月の骨折をしたそうだ。目下、東京オリンピックの前哨戦となる「世界マスターズ陸上」を目指して、猛練習中のようだ。 O川さんのは、昨年の4月30日から5月5日までに行われた「川の道520km」の完走記。これは東京の葛西臨海公園をスタートして荒川の源流まで遡り、埼玉県と長野県の県境にある三国峠を越え、今度は筑摩川の源流から信濃川河口のある新潟県まで6日間で走る日本横断レース。 前回彼は、目の前でランナーが交通事故死するのを目撃している。大会は直ぐに中止されたが、亡くなったランナーの奥様の要望で、レースは翌年再開され、彼は見事に走友の無念を晴らしたのだ。文章は淡々とレースの模様を綴る。道に迷ったこと、睡眠不足と疲労による錯覚。どれだけ苦しんだか分からないのに、とても爽やかな文体は彼の人柄そのものだ。 K合さんも同じく「川の道」の完走記。彼も2度の途中棄権の後、昨年のレースで見事リベンジを果たした。こちらはたくさんの写真や地図まで入ったレポート。O川さんと同様にレース中で道に迷ってタイムをロスしたことや、疲労と睡眠不足による幻覚症状を記している。朦朧とした意識の中で、群馬から応援に駆け付けた走友の伴走で、何とか乗り切った場面もあった由。 宮城UMCの走友が、2人揃って完走したのは初めての快挙。O川さん、K合さん共に、今年も再び520kmの長丁場にチャレンジすると、先日の新年会で決意表明があった。私は昨年長野県の蓼科高原へ旅した際、このコースのほんの一部を確認した。「ああ、この道を彼らは苦労しながら走ったんだな」と、感慨深いものがあった。 A山さんのは昨年参加した「コペンハーゲンマラソン」とノルウェーの旅。74歳の彼は、これまでも何度か国外のレースを走っている。心臓の手術をして暫くランニングを休止していたにも関わらず、この驚異的な復活に驚く。レース記、旅行記の楽しさもさることながら、昨年はフルマラソンを10回完走し、今年は20回完走が目標と語る彼の衰えぬ闘志に拍手を送りたい。 秋田支部のDさんは、昨年出場した12レースを簡潔に記している。そして、今年はマンネリを打破するため、新たに練習コースを開拓し、色んな練習会に参加したいと結んでいる。奥様のKさんは、昨年走った「小江戸大江戸203kmフットレース」の参戦記。忙しい仕事の合間に、所属走友会と宮城UMCの事務局を引き受けている彼女の頑張りそのものの、粘り強い内容だ。 古川支部のT田さんのは、今回も26ページに亘る大著。昨年参加したウルトラマラソン9大会、フルマラソン8大会、その他8大会、合計25大会の模様を丹念に綴る。その模様は既に「宮城UMC」の掲示板で見ており、彼が毎回送ってくれる大量の写真で知っているが、そのエネルギーには驚かされる。巻末の人物交流記がまた面白いのだ。 さて、連日の寒波襲来で、仙台でも寒い日が続いている。昨日の最高気温はマイナス1度以下だった由。寒風が吹き付ける真冬日の昨日、私はいつもの公園に行った。この日は走らず、足首に1kgずつ重りを着けての競歩。これで坂道をグルグル廻った。 100km以上のレースに出る走友達が、この時期にも30kmほどの練習をしてることを先日の新年会で知った。もうすっかり忘れていたが、私も昨年のこの頃は、ウルトラレース復活を目指して、たまに30km近く走っていたのだ。それが今は12、3kmで満足している。無理が利かなくなったし、疲労が残るようになった。それに今年は寒さがかなり厳しい。 今はじっくり、怪我のないようにトレーニングしたいと思う。暖かくなる春までは、じっと辛抱。冬景色の淋しい公園が、今の私の訓練の場だ。さて、最近妻の態度が変わった。以前よりもちょっぴり優しくなり、時々お茶やコーヒーを淹れてくれる。それにタブレット端末にも挑戦中の彼女。今年は色んなことに挑戦したいそうだ。ふ~む。それじゃあ私も負けてられないねえ。<完>
2014.02.06
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≪ 宮城UMC新年会と走友達 ≫ 2月1日の夜。私はとある会場へ急いでいた。その日はウルトラマラソンの仲間である「宮城UMC」の新年会があるのだ。会場付近にM井さんがいた。場所が分からない仲間を案内しに行ったようだ。あるビルの階段を降り、地下の居酒屋へ入る。仲間が少し集まっていた。新年会費の3150円と年会費の1000円を支払い、出来たての「文集」を受け取る。 やがて仲間が揃い、M会長の挨拶で新年会が始まる。乾杯の音頭は秋田支部のDさん。秋田に単身赴任して、早5年目の由。秋田は雪が多く、なかなか思うような練習が出来ないみたい。最初はビールを飲んでいたのだが、腹が膨れるしトイレが近くなるので芋焼酎のお湯割りに切り替える。K合さんがボーイさんの代わりに、焼酎を運んでくれた。 やがて1人ずつ順番に今年の抱負を話す。いつもは話の合間に「茶々」を入れるのが私の役目(?)なのだが、今年は比較的大人しく皆の話を聞いた。参加するレースは各人で異なるが、それぞれ立派な内容だ。私は「7年後の東京オリンピックを目指します」と言ったが、誰も笑わなかった。ブログや昨年の活動で、私の体調を知っているからだ。 本当は自分も今年目標とするレースや、「峠越えラン」、「津波被災地訪問ラン」のことを話したかったのだが、果たしてその時に体調がどうなっているか分からない。去年がハプニングの連続だっただけに、自信を持って話すことが出来ないのだ。宮城UMCの合同練習会である「薬莱山とお足マラニック」も2年連続でマウンテンバイクでの参加(往復110km)になった。今年は3年ぶりに、何とか自分の足で走ってみたいのだが。 左端のM会長は73歳。先日の「勝田」は4時間30分を切っての完走。100kmマラソンでもまだ完走出来る実力者だ。最年長は今年喜寿を迎えるO原さん。彼はマスターズ陸上の選手で、今もまだ頑張っている。74歳(?)のA山さんは、昨年10回フルマラソンを完走し、今年は完走20回を目指すと宣言。 会長と同学年のF田さんもまだ100kmマラソンに挑戦中だ。彼は私のような遅いランナーでも「仙台国際ハーフ」に出られるよう市に働きかけた1人。私はこの日5番目の年長だが、先輩達に比べたら何とだらしないことか。 左端のO川さんは昨年520kmの「川の道」を完走した勇者だが、今年も再挑戦すると宣言。厳冬期の今でも、練習では30kmのコースを幾つか走っている由。中央が私。右は山男のS村さん。 天に向かって大笑いしてるこの男はK合さん。O川さん同様去年「川の道」を完走し、今年も再び520kmにチャレンジするそうだ。去年は「川の道」の直後、「仙台国際ハーフ」でも走った猛者。悲壮感は全く無く、常に前向きな男だ。この夜も笑顔で、私達にお酒や料理を運んでくれた。 左が仙台明走会の会長でもあるG島さん。宮城UMCは県内のウルトラマラソン愛好者の団体で、個々人が所属する走友会は異なる。彼は今年「萩往還」の250kmの部に出ると宣言した。先日は30kmの練習中にばったり出会ったばかり。 右側のT田さんは自称「戦場カメラマン」。年間で30近いレースに出る猛者だが、酒には目がない男でもある。この夜も仲間とはぐれ、最後まで飲んでいたが、無事帰宅出来たようだ。今日の写真も何枚か彼が送ってくれたのを借用した。ただ、私は転載の方法を知らないためぼやけているが、元はとても立派な写真なのだ。いつもありがとうね、T田さん。 これが最後に撮った集合写真。カメラマンの私は写っていない。この日集まったのは30人弱。これでも半分くらいの人数だ。これが「宮城UMC」のオレンジ色のシャツと帽子を着用して走ると、とても目立つのだ。私はもう仲間と一緒に100kmレースが走れないのが残念だ。そうそう、この日は目下闘病中のU海さんへ、みんなで寄せ書きをした。元気になってよU海さ~ん。 解散後、酔っ払った私は歩いて仙台駅方面に向かった。そしてデジカメで夜の街を撮った。ぼやけた冒頭の写真もそうだ。酔うと自分がカメラマンになったような気分。でも帰宅後パソコンに移すと、ただの平凡な写真なのだ。そんな中から2枚だけ載せて見よう。 こちらは仙台駅構内のステンドグラス。全体は仙台七夕の飾りだが、左上に馬に跨った伊達政宗の姿が見える。 こちらは駅前の大型スクリーンに映った画像。手前のケヤキの樹のシルエットが重なって、案外芸術的かもね。こんな写真を20枚近く撮っていたら、乗ろうとしたバスが目の前で発車してしてしまった。ありゃりゃ~??これはまずいなあ。<続く>
2014.02.05
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「浜名湖1周」5km地点 表情にはまだ余裕がある。 神戸マラソンから帰った数日後、10月に走った「浜名湖1周」の写真と完走証が届いた。写真は3枚。大体どの辺で撮られたかを思い出す。完走証にも写真が載っていたが、これはゴールのホテル前に用意したテープを切る場面で、いかにも「やらせ風」なので捨てた。参加賞の「シラス」は何度かに分けて食べたが、冷凍していたウナギは楽天の優勝祝賀パレードの日にようやく食べた。脂が乗ったなかなかの味だった。「浜名湖1周」30km地点 私が最終ランナーで、表情はかなり厳しい。 神戸マラソンへ行くのに往復とも夜行バスを利用したのは、私の意地だった。当選通知とほぼ同時に、ツーリストから交通案内が届いた。神戸のホテルに2泊し、往復飛行機の格安便で4万3千円ほど。このツーリストからは京都マラソンに応募した時も、案内が来た。まだ当選の通知もないのに宿泊と交通の予約を求めるものだった。 きっと大会のスポンサーとして「当選枠」を持っていたのだろう。だからそのツーリストを通じて申し込めば、多分当選していたのかも知れない。だが私は釈然とせず、結局申し込まずに落選した経緯がある。今回の夜行バス利用は、そのツーリストの代金よりも安かったためだ。体は疲れたが何とか意地は通せたかも知れない。 目下8連敗中の東京マラソンも、スポンサー企業が企画する行事に参加したらポイントが上がって当選する可能性はあるが、そんな方法は取らずに正攻法だけの私。それが理由での落選続きなら、「東京マラソンには縁がない」と諦めるしかない。10万円のチャリティーを申し込めば走らせてくれるが、それも邪道。私は常に正々堂々の1本勝負で行きたい。「浜名湖1周」90km周辺 疲労の色は濃いものの、完走を確信している。 来年の「磐梯高原猪苗代湖マラソン」の案内が早々に届いた。100kmの部と、65kmの部が無くなり、50kmがもっとも長いレースに変わっていた。しかもコースは楽で同じ景色を何度も見る詰まらないものだ。それでも1泊だけで参加出来、ウルトラマラソンの雰囲気を味わえるレースは私にとって貴重な存在。きっと来年も参加するはずだ。 神戸マラソンから帰宅して直ぐに、「いわて銀河」のアーリーエントリーをした。開催は来年の6月で、距離は50kmの部。来年からは50kmが私が出るレースの最長距離になる。「いわて」の50kmは初めての参加だが、10kmほど走れば100kmのコースと合流する。ゴールの雫石に辿り着くのが楽しみだ。宿泊の申し込みはまだだが、来年の健康状態までは確約出来ないのが難点だ。 宴会1 宴会2 一昨日の夜、宮城UMCの忘年会があった。県内のウルトラマラソン愛好者の集まりだが、所属する走友会はそれぞれ違っている。参加者は30名近かったはず。料金は3150円で飲み放題。いつもより料理のボリュームは少なかったが、太らずに済むためあれくらいでちょうど良いのだろう。久しぶりで会った走友たち。相変わらず華々しい活躍している走友もいる一方で、残念ながら目下不調の走友もいる。私自身がそうだが、ここ10年来付き合って来た走友にも、次第に老化の影が忍び寄っている。それでもこうして元気な仲間の顔を見られるのが嬉しい。 自分 最近は若い参加者も増えた。皆が今年走ったレースや来年の抱負を話すのを聞くと、ちょっぴり淋しい気がする。ランニングはもう無理と諦めたことが、今年は3回もあった。昨年手術をした心臓が本調子でないのと老化が不調の原因だろう。それでも来年は50kmをメインのレースにしてウルトラを続けたいと話した。たとえゆっくりでも、距離が短くても、走れることは私にとって最高の喜びなのだ。 わが走友達 9時過ぎの新幹線で帰る古川組と一緒に、私も駅へ向かった。自分ではそれが限界と感じたためだ。駅への道が途中で分からなくなったのは、やはり相当酔っていたのだろう。それでも何とか帰宅して風呂に入り、ブログへのコメントに返事を書いた私だった。 翌日早速写真を送ってくれたT田さん。多忙の中でもずっと私のブログを読み続けていると話してくれたKazuさんありがとう。喜びも苦しみも共有する走友とは、実に有難い存在だ。今日から12月。今年も残り1カ月だが体調に注意しながら走り、来年も元気で走友達と会いたいものだ。< 11月のラン&ウォーク > ラン回数:15回 ラン距離:180km ウォーク:54km 月間合計:234km 年間合計:2637km うちラン:1731km これまでの累計:83491km
2013.12.01
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皆さん今日は~!!土曜日に出発して参加した「浜名湖一周」から無事帰宅しました。留守中たくさんのエールやコメントをいただき、どうもありがとうございます。レース前から体調が思わしくなく、何度か出場を断念しかかりましたが、最後のウルトラレースになると思いゆっくり走って来ましたよ。 結果は13時間で70kmほどを走りました。でもこれでも途中リタイヤではないのです。この大会は、自分の走力や体力に応じてショートカットすることが認められています。また、途中船や電車でワープすることも自由(レース後に申告)なのです。本当に愉快でユニークな大会ですね。完走記は準備を終えて、明日からゆっくり書かせてもらう予定です。どうぞお楽しみに~♪ 極めて簡単ですが、御礼とご報告に代えさせていただきますね。また、申し訳ありませんが、皆様へのご訪問も明日以降にさせていただきます。どうぞよろしくお願いします。ではでは~
2013.10.14
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ナナカマド≪ 9月のラン&ウォーク ≫ ラン回数:11回 ラン距離:153km ウォーク:96km 月間合計:249km 年間合計:2170km うちラン:1389km これまでの累計:83,024km 今日から10月。先ず先月あったウルトラレースの走友達の結果について記しておこう。「佐渡島一周」は206kmを48時間で走るのだが、実際の距離は2kmほど長かったようだ。千葉のぼくしーさんは93kmの仮眠所でリタイヤした由。体調が悪かったため無理せず、仮眠所でグッスリ眠ったそうだ。彼のブログによれば、新潟の銀のねこさんが弾野岬の第2ASで止まっていた由。 彼女は昨年の女子1位だが、8月に走った朝日連峰でねん挫し、レース1週間前の「信越五岳」でさらに肉離れを起こしたままの参加だったようだ。まだブログに詳細が書かれてないが、今回は苦戦したのではないか。香川のFさんは45時間以上でのゴールとのこと。初参加にしても「長谷ツネカップ」や「UTMF」を完走した実績のある若手が、このタイムとは驚く。私の66歳の時より遅いのだ。 宮城UMC仲間のO川さんとK藤さんは今回も見事完走した模様。タイムは不明だが、おそらくは40時間を切っているだろう。ご両人、完走おめでとうございます。特にK藤さんの健闘に拍手を送りたい。多分彼女は私が最後に参加した際の年齢を越えているはず。凄い闘志だと思う。富山のテラさんは足首痛のため120km地点でリタイヤした由。残念だが次のレースに向けて、再調整して欲しいと願っている。 フウセンカズラ? 一方「秋田内陸」の100kmの部では、7時間台での完走が秋田のJunさん、8時間台がS水さん、9時間台がO内さん、10時間台がM黒さん、11時間台がパナップさん、12時間台がD夫妻、S村さん、M仙人、まさえさん、K子さん、K合さん、M根さんと多数の走友達が完走したのが嬉しい。 50kmの部では、Eちゃんが見事に完走。良く頑張ったねEちゃん。もしこの他にも名前が漏れていたらゴメンね~。なおT田さんは、お嬢様の結婚式があり、佐渡と秋田の双方に参加しなかった模様。T田さん、おめでとうございま~す!!きっと奥様も喜ばれたことでしょう。 ミニバラ 9月末に1週間以上走れない時期があった。めまいと動悸がし、疲労感が強かったため無理をしなかったのだ。きっと夏の疲れが出て来たのだと思う。それでも10月の「浜名湖一周」参加のため、駅に切符を買いに行った。バスは既に満席だったが、「大人の休日倶楽部」でJRの切符が3割引きで買えた。そのレースの資料が昨夜届いた。 「浜名湖一周」の距離は100km。多分これが私の最後のウルトラレースになると思う。幸い制限時間が長いので、ゆっくり走る積り。途中で体調が悪くなれば、並行して走っている電車でゴールへ帰れば良い。ただし最低でも70km近く走らないと駅はない。ASは約10kmごとと少なめだが、コンビニと自販機がたくさんあるようなので大丈夫のはず。浜名湖の風景を十分に楽しみながら走って来たいと思っている。 ジャスミン 先日「ランニングノート」の11月のページを見て驚いた。そこには尼崎のホテルの名が記されている。慌ててネットで調べ、予約しているかどうか確認した。結果は予約してなかった。やれやれだ。これは「神戸マラソン」で泊るためのメモ。既に神戸のカプセルホテルは予約済みだが、これは連絡なしにキャンセル出来る。 ところが明るい大部屋で眠れる自信がなかったため、先日ツーリストを通じて大阪のビジネスホテルを確保したばかりだったのだ。これはダブルブッキングかと青くなったがセーフ。往きは長距離バスで行く積りなので、2晩続けて眠れないと困るのだ。後の心配は体調だけ。何せレースの申し込みは半年以上前なのが多い。だがこの歳になると、半年後の体調の保障がないのだよねえ。 ともあれ、少し体調が戻って良かった。一時はもう走るのは無理と諦めていたのだ。そんなことが今年に入ってから3度はあった。ランナーは「走ってなんぼ」の世界。もう走れない人をランナーとは呼ばない。人生はいよいよ終盤へと差し掛かり、ランナーとしての命脈も尽きかけている。わが「ランニング人生」の終末をどう迎え、どう閉じるか。それがこれからの大いなる課題だと思っている。 ノボタン
2013.10.01
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皆様今晩は~!! 今日は福島県で開催された「第8回磐梯高原猪苗代湖マラソン」に参加して来ました。前夜は3時間しか眠れなかったのですが、2晩寝ないで走ることもある200km超級のウルトラマラソンに比べたら楽なもの。体調も今一でしたが、ウルトラマラソンに卒業し、感謝する気持ちで楽に走ることにしました。 私が出たのは65kmの部。ビリの方からスタートし、歩きとランを交え、時々写真を撮りながらのんびり走りました。撮った写真は100枚ほどになったでしょうか。明日からボチボチ頭と写真を整理しながら完走記を書きたいと思います。タイムは10時間21分20秒。2週間前には3km走っただけで足が痛んだことを思えば上出来の部類でしょうね。 留守中にたくさんの方々から励ましのメッセージを頂きましたが、お返事は明日書かせていただきます。先ずは無事に完走し、無事に帰宅した報告で、御礼に代えさせていただきます。本当にありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
2013.09.07
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少し前のこと、走友T田さんから写真付きメールが届いた。「オホーツクウルトラ」の時のものだ。同じ日、私は宮城UMCの合同練習会「薬莱山とお足」にマウンテンバイクで参加し、往復110kmを走った。確かにあの日、彼の姿はなかった。「オホーツクウルトラ」に行ってると聞いたのは、K藤さんからだった。 「宮城UMCの掲示板」を見ると、驚くようなレポートが載っていた。何と彼は札幌までJRで行こうとしたのだが、その当日函館本線が事故で不通になったのだそうだ。諦め切れず津軽海峡線で函館まで行き、何とかホテルを探そうとしていた時、深夜の最終便だけが出ることになった由。だが札幌の宿は既にキャンセルしてしまっていた。その時、北海道の走友から連絡が入り、ようやく札幌の宿泊先が手配出来たそうだ。 まさに奇跡の連続で、走友Hさんと勇躍「オホーツク」に向かった彼は、見事100kmを完走した由。送られて来た大量の写真には、歓喜に溢れた彼の姿があった。ウルトラマラソンには不思議なことに、こんな奇跡がたまに起きる。一昨日届いた別なメールでは、世界文化遺産になったばかりの富士山に登ったT田さんの姿があった。その姿も実に神々しかった。 昨日開催予定の「立山登山マラニック」が大雨で中止になったことを、滋賀のOさんのブログで知った。累積参加者が立山の雄山山頂と同じ3003名に達する今回が最後のマラニックになる予定だった。だが、降り続く大雨のためコース途中の「八郎坂」が崩落の危険性があると見て、警察が許可しなかったのかも知れない。 私が初めてウォークの部に出た年もやはり大雨で八郎坂が崩落し、急遽コースが変更されたことがある。地鉄立山駅から称名の滝の手前まで往復したが、全く詰まらなかった。マラニックの部では、八郎坂で突然の大雨に遭ったことがあった。 あの時は疲労で何度も体がふらついた上、雨で濡れた岩が滑り、20回ほど倒れたのだ。低気圧の通過で気温が0度近くまで下がり、山頂付近で遭難騒ぎが起きた年だ。3千mを越える山では、夏でも天候が急変する。3003mの高低差を一気に駆け上ったのも、もう遠い思い出になった。 今日8月25日は「北海道マラソン」の日。夏のフルマラソンの代表的なレースだが、これに走友のkazuさんが出る予定。今日の最高気温は24度とか。きっとこれまでになく走り易いはず。私が出たのは制限がまだ4時間の時。仙台から苫小牧までフェリーで行ったため、走っていても体が「船酔い」している感じだったが、何とか制限の5分前にゴール出来た。 少し前、不思議な夢を見た。九州から関西までどんなコースでも良いから走り通すと言うウルトラマラソンの夢だった。私が選んだのはフェリーで四国へ渡り、山の中を突っ走るコース。人によってコースを選択出来るウルトラなどある訳がないのだが、あんな夢を見たのは、ひょっとして私が走りたがっているからだのだろうか。昨夜も走る夢を見たが、どんな内容だったかまでは覚えていない。 今日は整骨院で3回目の治療を受ける予定。私が最初に行った時、処置室に居た院長は待合室で私が話す内容を聞き、意地でも治してやろうと思ったそうだ。2回目に行った時、院長は私に言った。「Aさんの治療が刺激になって、私も歩き始めたんですよ」と。彼は自分が治療する立場でありながら体調があまり良くなく、体重が110kmまで増えたのだそうだ。 それが私とウルトラマラソンやトライアスロンの話をするうちに、アスリートだった頃のことを思い出したのだろう。こんな爺さんがまだ走ることに拘り続けている。それなのに20歳以上も若い自分が、楽な生活をしていることに嫌気がさしたのかも知れない。 ウルトラマラソンには「超復活」と言う不可思議な現象がたまに起きるが、これもその類かも知れない。自分ではもう無理と思うようなことでも、頑張っているうちに出来てしまうのだ。私はこれまでのランニング人生で、何度か走るのを諦めたことがある。足の怪我や故障が原因だが、最近では思わぬ不整脈との戦いもあった。レースも同様で、自分ではもう限界と思っても、思わぬ力が湧いてゴール出来たこともしばしばだった。 だが今は、正直走るのが怖い。無理すれば永遠に走れなくなる。そんな思いが強いのだ。走るには暑過ぎることもあるが、最近は自分の体に自信が持てないのだ。院長はかつて上司にゴマをすれないサラリーマンだったそうだ。レースでも全く他人のペースに合わせられない由。それは私も共通。だから波長が合うのかも知れない。 たまたま訪れた整骨院が、老化と怪我でかつての勢いを失った私に、新たなエネルギーを与えてくれそう。何だかそんな気がしている。ひょっとして院長も同じ想いなのだろうか。彼にはブログのことも話したが、果たして読んでくれたかどうか。今日3回目の治療を受けた後、私は11日ぶりに走ろうかとも思う。果たして今回も奇跡は起きてくれるだろうか。
2013.08.25
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≪ イツツバアケビ ≫ 「UTMF」のスタートは4月26日(金)。富士山を一周するこのウルトラトレイルレースの距離は161kmで、累積高低差は9164m。つまり世界一の高峰であるエベレストを、海抜0mから登り降りしてもまだ「おつり」が来ると言う厳しいコース。これをまる2日間で走り切る。知り合いで参加したのは、香川のフランク翔太さんと新潟の銀のねこさん。 テレビでは先ず島根県隠岐の鉄人浜梶さんのレースの模様が紹介された。彼は負傷しながらも家族の応援に励まされて見事完走。別な番組では2組の女性ランナーを紹介。この番組は日頃のトレーニングがレースでどう生きるかの観点から捉えていた。30代の横山さんは105km地点を28時間で走った所でリタイヤし、50代の武笠さんは43時間07分03秒でゴール。次は難コースのモンブラントレイルに参加するとか。凄い闘志だ。 さて、知り合いの走友のレースの模様はブログで知った。翔太さんは昨日現在でまだ完走記は終わってないが、42時間台でのゴールだったみたい。彼は完走が今回の目的のようで、さほど覇気は感じられなかった。一方の銀のねこさんは、初めから35時間台での完走を宣言し、実際のレースでも果敢に攻め続けて35時間16分07秒でゴール。見事に有言実行を果たした。 彼女はこのレースに向けて、冬の間からスノーシューを履いて山に入り、神戸の実家に帰っても六甲縦走を2回行い、直前のトレイルレースでは女子の部で優勝している。彼女自身が撮影した美しい写真が載った完走記を読ませてもらったが、「第1回佐渡島一周」(206km)での弱かった印象は、もうどこにもない。彼女のすさまじい成長に驚くと共に、目的意識の高さと日頃の努力に心から敬意を表したい。 ≪ 山の新緑 ≫ かつて開催された名古屋~金沢間のレース「さくら道」(270km)を懐かしんで、この連休中に「一人さくら道」を敢行した走友がいる。千葉のBさんは今回名古屋~母野までと、白鳥(岐阜)~福光(富山)までの123kmを走り、滋賀のOさんは牧戸(岐阜)~森本(石川)を走ったと彼らのブログにあった。県境の気温は3度から7度で、その冷気の中を彼らはたった1人で走ったのだ。お2人ともお疲れ様でした~!! ≪ ヤマザクラ ≫ 山口県の「萩往還」250kmの部には宮城UMCの仲間であるTさんとKさんが参加されたようだが、残念ながら完走者リストの中に彼らの名前を見つけることは出来なかった。それでも60代半ばでの挑戦は凄いこと。2人には心から拍手を送りたいし、レースの模様も聞きたいと願っている。 なお、リストの中に大阪勤務時代の走友Tさんと、中学校の後輩であるSさんの名前を見つけた。Sさんはこの数日前に「さくら道ネーチャーラン」(250km)を完走したばかり。立派なウルトラランナーに成長したことを心から喜んでいる。また140kmの部の完走者リストに、宮城UMC仲間のGさんの名前があった。Gさん、完走おめでとうございます!! ≪ ツタの芽吹き ≫ 距離520kmの「川の道」(東京~新潟)には、宮城UMC仲間のOさんとKさんが参加されたと聞いたが、結果はどうだったのだろう。大会主催団体のHPを見たが、今回はレースの途中経過が載ってなかったのが残念。ただ三遊亭楽松師匠のブログを拝見したら、彼は新潟にゴール後に数時間休憩しただけで、再び1人で東京へ走って帰ると書かれてあった。もちろん食べ物、飲み物の補給と安全確保は自己責任。その気力と体力には最敬礼だ。無事のゴールを願って止まない。 ≪ 紅白のハナモモ ≫ さて、今日は「仙台国際ハーフマラソン」のレース当日。3時過ぎに起床して既にランニングシャツを着、ハーフタイツを穿き、足(脚)にはテーピングもしているが、脚の調子がどうも良くない。GW前後に9日間連続で庭仕事をした際スクワット状態が続き、どうやらその時に傷めた模様。その後も軽く2、3度走ったが、まだ痛みが引かないのが気がかりだ。6月初旬にはウルトラレースの「いわて銀河」があるので、出来るだけそれに影響しないようにしたい。原因が自分の不注意だけに、泣くに泣けないと言ったところか。折角この日を楽しみにしていたのにねえ。う~む・・・。 ≪ ハナズオウ ≫
2013.05.12
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≪ いよいよスタート ≫ 車の通ってない車道を、ブーツで走る。どうやら道路は凍ってないみたいで、新雪が滑らない。一瞬自転車の方が良かったかと悩んだが、やはり止めて正解と思い直した。風が当たる自転車の場合は、薄いウインドブレーカーでは寒過ぎるし、ジャンパーを着たら脱いだ時にリュックに納まり切れなくなる。途中コンビニに寄り、食料調達。 8cmほどの新雪ならブーツでも走れる。翌日妻に聞いたら、さらにその後も降ったようだ。地下鉄の駅まで3kmほどを走ると体が熱くなった。時間も十分間に合いそうなので歩き出す。ほとんど乗る人がいない始発電車には雪が被っている。車庫から出て来たばかりなのだ。仙台駅で降り、JR駅まで地下道を急ぐ。新幹線も仙台始発なのでガラガラ。この車両も雪を被っていた。 6時6分定刻の発車。早速朝食に取り掛かる。食べたのはお握り3個とカツサンド。ソースの味が美味しいサンドウイッチにはエビが入っていたようだ。これが今日走る、大切なエネルギー源になるのだ。食後は歯の掃除と薬を服用。おもむろに読みかけの『徳川家康』第20巻を取り出して読書。白石蔵王駅は、まだ暗かった。県境のトンネルでは、窓ガラスを雫が横に走った。 福島駅で明るくなり、郡山付近で朝日が出た。宇都宮はきれいな青空。東北はまだ厳しい冬のさ中だが、関東平野はまるで春のようだ。大宮付近から雪を被った富士山が見えた。それが次第に西の方角になるのが不思議だった。東京駅で京葉線に乗り換え。以前は一旦駅の外に出て、長いエスカレーターを乗り継いだのに、今はベルトコンベアーのような歩道に変わり、ずいぶん楽になっていた。 各駅停車で確か5つ目の葛西臨海公園駅で下車。公園に入ると、目の前に大勢のランナーが集まっていた。何とそこに宮城UMCの仲間がいた。K藤さんとK村さんだ。いや~、これには驚いた。おまけに仙台の女性ランナーがもう2人。彼女達はウルトラのデビュー戦だが、1人は柴又帝釈天から電車を乗り継いでゴール地点に帰る由。彼女達は前泊組。当日仙台から参加したのは、私だけのようだ。 受付に行くと、主催者のS木さんが握手してくれた。年賀状で私が不整脈の手術を2度受けたのを知って、驚いたようだ。ゼッケンナンバー「555」は、やはり彼が予め選んで送ってくれたみたい。「集合時間に間に合わないかも」と申し込み時に書いたためだ。雲峰師匠とも久しぶりの対面。お互いに病状を話す。 昨年のトランスヨーロッパ4176kmを689時間で完走したS原パパとも握手。雲峰師匠もS原パパも今日はスタッフとしてお世話してくれるのだ。トランスヨーロッパ組は他にK井さんも参加されていた。凛峰さんとも久しぶりにお会い出来た。何気なく話を聞いていると、昨年11月の「佐渡島一周」に参加した人も何人かおられたようだ。 K藤さんが「お酒を飲んだ?」と聞く。彼女はもう飲んだみたい。レースの前に日本酒を飲むなんて、何とまあ砕けた大会だ。剣菱をコップで3分の1くらい戴く。トイレを済ませ、スポーツドリンクを買い、上着を全てリュックに詰めて運搬用の車に載せた。その車内にはネギの束。これはゴール後のサービスでスープとうどん用のものだろう。 主催者のS木さんが言う。「大会要項には41kmとなっているけど、実際は44km。それ以上あると言う人もいるけどね」。まあ、呑気なものだ。第1回の「佐渡島一周」では206kmが工事中と迷子で215kmくらい走ったもんなあ。S原パパのコース説明の後、S木さんのカウントダウンでスタート。私にとっては1年4カ月ぶりのレースが今始まった。<続く>
2013.01.29
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≪ 準備したもの ≫ 今年走ったのは23日(水)までの10回で169km。24日(木)は走った翌日なので休足。25日(金)は強風のため休足。前日の土曜日26日も結局は走らなかった。レース直前の3日間に、全く走らなかったのがどう出るかは分からないが、自分には「体を十分休めた」と言い聞かせる。それで44kmの長丁場を乗り切れるほどマラソンは甘くは無いが、こうなったら「行ける所まで行くだけ」と開き直るしかない。 東京と千葉の海岸、そして旧江戸川と江戸川の堤防沿いを走るのが「寅さん詣で」のコース。風はあるだろうが、当日の天気予報は晴れで、最高気温は9度。これを頭に入れて服装を選ぶ。汗かきの私なら上は長袖のTシャツ1枚で良いだろう。それに用心のため、薄いウインドブレーカー。下はロングタイツ。そして帽子は要らない。手袋は厚めのものにした。 ポシェットに入れるものは、若干のお菓子と塩。これはエードステーション(以下AS)が1か所だけのため。それで44kmを走り切るのは無理なため、自分でエネルギー源になるようなものを持つ必要があるのだ。もう一つのビニール袋には、3550円ほどのお金を入れた。これは途中で飲みものを買うのと、帰路どこかで走れなくなったらタクシーに乗るためだ。もちろんコースの地図も入れた。 しっかりした団体が主催する大きなレースであれば、水や食料の心配は不要。それに途中でリタイヤしたら、収容バスを用意している大会もある。だが、今回私が出るのは小さな団体が主催するマラニック。制限時間は7時間だが、少し遅れても差支えないし、途中で交通機関を使って「ワープ」するのも自由。その代わり安全面は自己責任。だから料金は格安の2千円。懐にも優しい大会なのだ。 朝一番の東北新幹線に乗るためには、かなりの早起きが必要。それで手間のかかる、足へのテーピングは前夜のうちに済ませておいた。Tシャツの前には「555」のゼッケンナンバーを留め、後には「がんばろう東北」の大きなステッカーを張った。念のために懐中電灯も持って、これで準備は万全のはず。残りの心配は当日の朝の天気だけだ。 目覚まし時計は4時にセットしていたが、その前に目が覚めた。直ぐに着替えて外の様子を探る。夜中に雪が降ったようだ。8cmほどだが、道路は凍っていて危険と判断し、自転車では行かないことにした。先ずトイレを済ませ、ランニングシューズをリュックの底に詰め、ブーツを履いて最寄りの地下鉄の駅まで歩くことにした。時計を見たら間に合うかどうか微妙な感じ。いきなりだが、これは走るしかない。<続く>
2013.01.28
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昨日、雪虫が飛んでるのを観た。これは雪になるかもと思ったら、今朝は案の定の雪。今日から12月だもの、雪が降ってもおかしくはない。それにしても昨夜は良く飲んだ。ウルトラマラソン仲間である宮城UMCの忘年会。3150円の会費で、ずいぶん酔っ払ったものだ。 11月の最終日である昨日は、新しいシューズを試した。レース用に買ったものだが、果たして履いた感じがどうか、実際に走ってみないと分からない。18kmのコースにするか、それとも23kmにするか迷ったが、結局は長い方を選んだ。月末はその月の走った距離を総計する日。少しでも長い方が良いだろう。 心配は現実のものになった。わずか10km走っただけで、シューズの紐が3回ほどけた。シューズが高い割に、紐が「ちゃち」だと感じてはいたが、やっぱりなあ。最後は2度結びし、ほどけなくなった。18km過ぎには左足に痛み。どうやら肉刺(まめ)が出来たようだ。このシューズはいつもより5mm大きい26.5cm。その5mmの差が、中に入れた医療用インソールとの「ずれ」につながったのだろう。 走った感じは悪くないので、今後どう補正するか。来年からのレース復帰に向けて、準備することがまだまだありそうだ。結局11月はこの日の23kmを加えて258km。ウォークの112kmを併せれば370km。まあまあ良く頑張った方だろう。夕刻、十分な寒さ対策をして、バスで街へ向かった。忘年会の会場に着いたのは、集合時間の30分前。私が一番乗りだった。 三々五々集まって来た走友が私に手を差し出す。そしてしっかりと握手。宮城UMCの仲間に会うのは、8月の「薬莱山とお足マラニック」以来。体調が十分でなかった私はまだ走れず、110kmをマウンテンバイクで往復したのだが、あの時も無事帰宅出来たのか、心配してくれた友もいたのだ。M仙人には来年2月の「いわきサンシャイン」参加時の便乗をお願いした。これで前日宿泊しなくても良くなった。 「佐渡島一周」(208km)を走破したO川さんは納得の行くタイムではなかったようで、またリベンジするそうだ。今回も見事完走したK藤さんは、富山のテラさんに「よろしく」と言付かって来た由。偶然席が隣だったそうだ。へえ~っ、これは嬉しい。たまにそんなことがあるからウルトラマラソンは面白いのだ。 古川5人組も新幹線でやって来た。T田さん、kazuさん、M根さんの3人は「大阪マラソン」ではお揃いの法被で走ったようだし、「川の道」520kmを制覇したK彦さんやC一さんは、相変わらず練習十分の真っ黒な顔だった。A山さんからは2か月ほど入院していた話を聞いたが、来年は外国のレースに出るそうだ。 「伊南川ウルトラ」100kmを完走したK村さんは私に泣いて謝った。「Aちゃんは不整脈に負けてる」とかつて私に言ったことを悔いてるようだ。何故そんなことを言ったのか、それは彼女も同じ病で悩んでいたからとのこと。それからも彼女は何度も泣いた。私達の年齢になれば、多かれ少なかれ老化や体調の不調と戦っている。それは強いランナーも同じ。いつかは力が衰える時が来る。 パナップさんも握手してくれた。私のブログを読んで、体調を心配してくれていたのだ。だから会員でもないのにわざわざ参加してくれたのだろう。仲間のこの一年の話を聞くにつれ、同じ苦労を共にしているウルトラ仲間の有難さをしみじみと感じる。名前の知らない若い人もいた。中にはまだ5kmしか走れない人も。だから先輩達の強烈な話が、相当刺激になったと思う。 大いに飲み、人の話に茶々も入れた。それでも仲間達は、私が元気になった証拠と笑って許してくれた。今年は1度もレースに出られなかったが、来年こそはいよいよレース復帰だ。それに体調さえ許せば、50kmや60kmほどのウルトラなら走れるかも知れない。そんなことを思いながら、千鳥足で何とか帰宅した私だった。友よ、こんな私だけど来年もよろしくね!!≪11月のラン&ウォーク≫ ラン回数:14回 ラン距離:258km ウォーク:112km 月間合計:370km 年間合計:2524km うちラン:1170km これまでの累計:80、669km
2012.12.01
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新潟の銀のねこさんがは9月15日(土)から16日(日)にかけて開催された『信越五岳トレイルランニングレース』に出場した。これは斑尾山(1382m)、妙高山(2454m)、黒姫山(2053m)、戸隠山(1904m)、飯綱山(1913m)の5つの峰を走り抜ける110kmのレースだが、最初に袴岳(1135m)にも登るので、実際は『信越六岳』が正確かもしれない。完走記はまだ書きかけだが、ガッツある彼女のこと、きっと無事ゴールしたと信じている。 9月28日(金)にスタートした今年の『スパルタスロン』は、かなり気温が高く初日は36度の猛暑だったようだ。初参加のフランク翔太さん(香川)は、残念ながら100km付近の第31CPでリタイヤしたようだ。80km地点のコリントスを時間内に通過したランナーは400人中125人のみ。これは31%に過ぎない。完走率はさらに下がるだろう。まさに激烈なウルトラマラソンだ。 デンマークの最北端からスペインの最南端までを64日間で走る『トランスヨーロッパ」は昨日が42日目。日本人選手10名が相変わらず頑張っているほか、数名がステージランナーとして走っているようだ。数日前からコースはフランスの地中海沿岸に出た由。22日目までトップだったフランスのステファン選手は、その後仙骨の疲労骨折だったことが判明。なるほど過酷なレースではある。 9月23日(日)の『秋田内陸』に参加した仲間の様子が徐々に分かって来た。所属走友会と宮城UMCからの出場者は、昨年とほぼ同様のようだ。M仙人のレポートによれば、彼自身は無事完走。72歳にして12時間23分前後での完走は物凄い偉業。Dさん夫婦が共にクリスタルランナー(10回完走者)として今回も見事完走。O内さんが今回でクリスタルの資格ゲット。O川さんがクリスタルランナーとしての初完走。さらにS水さんが今回もサブ9での完走とある。 M井さんのHPで、大勢の仲間の元気な姿を確認出来た。その中にはM走会のパナップさん、古川組のT田さんら3人、たんぽぽの2人、宮城UMC仲間のF田さん、K藤さん、M黒さん、O友さん、S吉台のS木さんらの姿もあった。我が走友会のY田さん、M井さん、S村さん、K合さんらもそれぞれ素晴らしいレースを展開したことだろう。 古川のkazuさんは月300kmの練習をこなせるようになってから出場するのだとか。それも立派な考え方だ。ただし秋田の制限13時間をクリヤーするのは、加齢と共に年々厳しくなる。千葉の走友ボクシーさんは11年ぶりの参加だったが、残念ながら79km地点でリタイヤ。今後は66歳以上での完走者に与えられる、「チャレンジ賞」を目指すそうだ。 私は昨日の練習で30kmを走りに行った。8kmくらいには早くも両脚の筋肉が張り始め、12km辺りからは脚が重くなった。15km付近のコンビニでお握りなどを食べてエネルギーを補充し、4時間19分かかって何とか帰宅。これには休憩時間が含まれてないため、フルマラソンでは6時間以上かかるはず。1年ぶりに30km走れて嬉しいと思っていたのだが、「ジョギングシュミレータ」で計測し直したら、実際は28kmだったのが残念。う~む。 今日は台風17号の影響で夕方から大荒れになるようだ。9月の最終日なので、今日も走って200kmを越えたいのだが、果たしてどうなるか。筋肉痛は出ていないものの、右足の裏に違和感がある。心臓は大丈夫だが、筋膜炎が怖い。この症状が出たらランニングは中止。老後もランニングを楽しむため、無理はしない積りだ。
2012.09.30
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8月19日にデンマークの北端をスタートした「トランスヨーロッパ・フットレース」も9月20日(木)が第33日目。フランスに入ってから不調だったネットだが、大会本部のHPから選手達の記録は把握できていた。2、3日前から門さんのツイッターとコノちゃんのブログが復活して、レースの模様も少し分かるようになった。18名いた日本人選手のうち8名が故障などで既にリタイヤしているが、そのうちの何名かはステージランナーとして頑張っている由。 暇にまかせて計算したのだが、リタイヤランナー8人の平均年齢は67.1歳で、最高年齢はKYさんの73歳。これに対してレース継続中の10選手の平均年齢は63歳で、最高年齢はSパパの68歳。宮城県出身で私と同学年の彼が、3度目のトランスヨーロッパ完走を目指して走り続けているのが、何よりも嬉しい。スペイン南端のゴールまで残り31日間で、距離は1877.8km。彼らがゴール後に眠る体育館も、徐々に寒くなって来たようだ。 9月28日(金)にスタートする「スパルタスロン」は246kmを36時間で走る、過酷なウルトラマラソンだ。スタートはアテネでゴールがスパルタ。これはアテネの兵士がスパルタに援軍を求めて走った古代ギリシャの故事に基づく。日中の気温は27度だが、コースの途中には1000mを越えるサンガス山があり、夜は5度台まで冷えるらしい。 何年か前に「いわて銀河」で一緒だった香川のフランク翔太さんが、今年初めてこのレースに挑戦する。彼は「萩往還」、「富士登山競争」、「マウント富士トレイルレース」などに出場している強者。スパルタスロンから帰国した週末には山岳レースの「ハセツネカップ」に出場すると言うから驚く。出国まで後7日。今は周到な準備をされていることだろう。彼の吉報を待ちたいと思う。 今度の日曜日9月23日(日)は「秋田内陸」のレース当日。現地の天気は曇り時々晴れで、最低気温が17度と涼しいものの、日中は28度の予報。きっと厳しい戦いになると思う。所属走友会や、宮城UMCの仲間達は、例年通り明日の土曜日に現地へ出発するはず。何とかゴールを目指して頑張って欲しいものだ。 一昨日は手術後初めて練習で23kmを走った。これは今年の1月以来。一度失った筋力はなかなか戻らないが、ノロノロでも走れるのが嬉しい。昨日は11kmのコースを走っている途中、誰かが追いかけて来た。走友会の長老M仙人だった。最近は長距離の練習をしておらず、「秋田」の完走も厳しいだろうと彼。72歳にして制限13時間100kmの「秋田」に挑戦するだけでも凄いこと。私の最後の100km完走は66歳だった。 自分に気合を入れるため、ブログの「帯」に次回の参加予定レースを掲げた。来年2月の「いわきサンシャインマラソン」がそれ。制限6時間でフルを走り切る走力、筋力がそれまで戻るかどうかは分からないが、ひたすらゴールを目指したい。30kmの練習は10月1日にある手術後の6カ月検診を受けた後になるが、果たしてドクターが何と言うか。 明日22日(土)は、早朝から東京に出かける。上野の森美術館で開かれている「ツタンカーメン展」を観るためだ。「秋田」に向かう走友達を激励するのは今日しかなく、急遽「あの島の話をしよう」シリーズを休止した。なお、今月の28日には「東京マラソン」の抽選結果が分かる。果たして初出場となるかどうか。「秋田内陸」に行かれる皆さん、頑張ってくださいね~!!私は仙台から応援していま~す。
2012.09.21
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≪ 一人旅 ≫ 1人で長距離のマラニックを目指したのはいつごろからだったろう。自宅から秋保大滝、二口峠を越えて、山形県の山寺駅まで抜けるコースを初めて走ったのは、多分10年くらい前だと思う。1人旅は淋しいし、時には身の危険を伴うこともあるが、冒険心を満たす意味では最高の実践ではないか。先ず度胸がつくし、ウルトラの練習にはうってつけなのだ。 昨日「ランニングノート」のことを書いたのは、その一人旅のことを確認するためだった。二口峠越えを除けば、最初の旅は「佐渡島一周」の練習で、夜間走の実験をした時。平成18年の8月に自宅からJR石巻駅まで走った。距離は60km。朝方JR矢本駅付近で腹痛が起きたのには参ったが、徹夜で10時間ほど走れ、夜間走の気分を味わった。 その続き、石巻駅から気仙沼駅までを走ったのは、平成20年の5月。距離は90kmで、中間地点の南三陸町志津川の民宿で一泊した。この海沿いのコースは昨年の「東日本大震災」で大きな被害を受けた。今でもあの時の光景が目に浮かぶ。特に70名以上の児童が犠牲になった石巻市の大川小学校のことが忘れられない。 「沖縄本島単独一周」には4年の歳月を要した。自分にとっては生死をかけた大冒険。大好きな沖縄を自分の足だけで一周する。それもたった1人でだ。平成20年7月には、西海岸を北上するコースを取った。距離は140km。那覇に着いたその日のうちに島の南端、国営摩文仁平和祈念公園をスタートして、那覇へ。夕方でも33度あり、とても危険な状態だった。 翌日は那覇市から名護市まで、国道58号線に沿って北上し、最終日は島の北端辺戸岬から名護市へ逆走した。辺戸岬は交通機関がない辺鄙な地。おまけに7月の沖縄は33度の猛暑で、地面は40度を遥かに越えている。沖縄の友人からは「自殺行為」と呆れられたが、朝夕の涼しい時だけ走って、日中は歩き通した。それでも熱中症で、何度か意識を失いかけた。 翌年は最大の難関、東海岸の縦断に挑んだ。距離は150kmだが、これを2日間で走り抜く。スタート地点の辺戸岬までは、名護市から友人の車に乗せてもらった。いわゆるヤンバル(山原)の東海岸は全くの過疎地。特に北部は集落が数km毎に点在するだけ。中でも楚州(そす)は戸数5戸しかなかった。アップダウンがきつく、危険なハブも生息している。これに咬まれたら、30分以内に病院に行かないと死んでしまうが、病院などどこにもないのだ。 氏名、生年月日、自宅の住所と電話、血液型などを記したボードを、リュックに着けた。万が一の時の連絡用だが、これが発見された時は死んでいる。走り出して間もなく路上で死んだハブを発見。11月末だったが、まだハブが冬眠してないことが分かり、ビクビクしながら夜間走を続けた。ハブは夜間に行動するので、気が気ではなかった。アスファルトの「ひび」までがハブに見えたものだ。 初日は75km先の超高級リゾートホテルがゴール。1泊7万2千円だったと思う。2日で縦断するためには、そこに泊るしかなかったのだ。平成22年はNAHAマラソン10回完走を祝って、島の南部知念半島を一周した。そして昨年は北部の本部半島を一周。屋我地島から古宇利島を経由し、ワルミ大橋を渡って今帰仁村へ出、海洋博記念公園前を通って名護市への63km。 この年は不整脈が起きて体調が悪く、この一人旅でも途中3度ほど休んだ。こうして4年がかりの大冒険が終わった。走った総計は428km。恐らく沖縄本島を単独で一周したのは私しかいないはず。これとは別の企画で、「峠越え」も始めた。これもなかなかの冒険で、ゴールした後の達成感が凄いのだ。 平成22年は、自宅~笹谷峠~JR山形駅(63km)、自宅~二口峠~JR山寺駅(52km)、自宅~蔵王エコーライン~蔵王温泉(74km)の3度。そして平成23年は、自宅~関山トンネル~JR天童駅(62.5km)、自宅~白石市~JR福島駅(81km)、JR白石駅~金山峠~JR上山駅(63km)の3度。エコーライン越えの累積高低差は2500mを越えたはずだ。 これまでのゴールは、全て隣の県。来年は再びこの厳しくも楽しい峠越えに挑戦したいと思っている。ルートの候補は既に幾つか検討済み。リュックを背負い、水と食料を自分で確保する必要がある峠越えでは、天候の変化と体調の変化に十分注意しなければならない。場所によってはクマに遭遇することもあるはず。さてさて、来年が待ち遠しい。それまでに十分鍛えておかないとね。<続く>
2012.08.29
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何日か前に富山のテラさんのブログを拝見したら、知り合いの方が何人かTJARに出場していると書かれていた。TJARとはTrans Japan Alps Raceの略で、富山の海岸から北アルプス、中央アルプス、南アルプスを経て、静岡の海岸まで達する415kmの山岳レースらしい。コースも厳しいが制限時間も厳しくて、容易にはゴール出来ないようだ。 そんな過酷なレースがあるとは初耳。これは面白そうだと思って、早速TJARのHPを観た。このレースは2年に1度の開催で、2012年は8月12日(日)から8月18日(土)までが会期。ただし19日(日)が予備日となっている。スタート地点は富山県魚津市の早月川河口で、ゴールは静岡県焼津市の大浜海岸。18人の出場選手の現在地は、GPSで確認する由。 昨日の夕方の段階で、18人中5人が見事ゴールしていた。選手は全て自力でゴールへ向かい、途中は野宿かテントで休むのが原則。チェックポイント(関門)は全部で5つ。幾ら登山の経験があり、どんな健脚の持ち主でも、夜通し難コースを走り、また歩き続けるのは容易ではないと思う。リタイヤした選手も多く、中には高地で低体温症になった選手もいたようだ。恐るべきTJAR。日本にもこんなレースがあったのだ。 さて、今日8月19日(日)は、「トランスヨーロッパ・フットレース2012」が始まる日。この日世界中から集まった55人の選手達は、バルト海沿岸デンマークの北端スカーイェンをスタートし、地中海沿岸スペインのレ・リネアまでの4176kmを64日間かけて走り抜く。1日平均の走行距離は65.2km。まだ暑いヨーロッパ大陸で苦戦する選手達の姿が目に浮かぶ。 18人の日本人選手のほとんどは60歳を超えている。私が知ってる選手はSパパとニセコさんの2人だけだが、他の選手も国内では有名なウルトラランナーで、名前くらいは知っている。このうちコノちゃんと、旅がらすさんの2人が毎日走りながらブログを公開していて、レースの模様が分かるのが嬉しい。 今回は日本人選手に、強力な助っ人が現れた。大阪の門さんだ。彼はプロの鍼灸師。自らもウルトラマラソンランナーだけに、選手達の健康管理や心理状態については最も良き理解者と言えるだろう。走る仲間のケアをするのが夢。彼は鍼灸師になる前、HPにそう書いていた。11年前の4月。私は金沢の兼六園「佐藤桜」の前で彼を待っていた。「ネーチャーラン」のゴールの時だった。 走友T田さんが残暑見舞いをくれた。写真には「萩往還」のスタートで、気合を入れている彼の姿が写っている。今年前半のレースとして、彼は「サロマ」ほか6つのウルトラレース、「勝田」ほか3つのフルマラソン、そして「仙台国際ハーフ」と合計で12のレースに出たとある。途中リタイヤとなった「萩往還」250kmだが、残念ながら今回で「卒業」する予定とか。 そして8月からの後半戦では、「秋田内陸」など5つのウルトラマラソンと、「大阪マラソン」など3つのフルマラソンに参加する予定とある。彼とは先日の「薬莱山とお足マラニック」で、思いがけない対面を果たしたばかり。飲み過ぎと走り過ぎによる故障には十分に注意して、人生を満喫して欲しいと願う。ありがとう大勢の走友達。君らの活躍が、私に勇気をもたらしてくれるのだ。
2012.08.19
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接骨院へ行った。肩関節の可動域は広いものの、筋肉が堅くなってるらしい。そこで考えた。ひょっとして寝ながらテレビを観てる時に、左手で顎を支えていることも悪いのではないかと。それを今日先生に話したら、本来は大した負担でないことも、悪くなれば痛みの元になると言う。そして私の体をマッサージしながら、このまま運動しないのではもったいないとも。 昨日は歯科医にも行った。取れた金属は後1回で入れられるとドクター。いつもながら優しくて丁寧な対応だ。その彼が私に言う。「筋肉が落ちてませんね」。半ズボンのため、脚が丸見えなのだ。だが自分ではそうは思わない。あれほど堅かった尻の肉が、今ではポニョポニョなのだ。 待ち時間に「新平家物語」を読んでいた私に、先生の奥さんが話しかけて来る。奥さんも先生同様に優しい人。ランニングについても詳しいし、歴史や文学にも造詣が深い。きっと色んな分野に関心があるのだろう。お子さん2人が、私の10番目の職場の学生であることも聞いているが、まさか歯科医で歴史談義をするとは予想外。 Sパパからの葉書が届いた。間もなく「トランスヨーロッパ・フットレース」へ旅立つ挨拶だった。彼が参加した6月の「みちのくラン」。その夜の懇親会は、多分彼の壮行会にもなったと思う。あの頃はめまい続きで私は参加せず、彼にも会えなかった。ネットを通じて密かに応援する積りでいたのだが、まさか私にまで葉書をくれるとは考えてもいなかった。 彼は私と同い年。「トランスヨーロッパ」は過去2回とも完走している。今回はデンマークの最北端をスタートし、スペインの最南端がゴールの4176km。それを64日間で走り抜く。1日平均の走行距離は65.2km。こんな過酷なレースは今回で終わり、後はのんびり国内の旧街道を歩いて廻りたいとある。さらに、「過去2回一緒に走り、その後がんで亡くなったHさんの想いと共に走って来たい」とも。 Sパパを知ったのは、彼が主催した「奥の細道ウォーク」が最初で、その後「佐渡島一周」や「八丈島一周」などでもお会いした。八丈島の温泉で彼の分厚い足を見た時に、「この頑丈な足で広いヨーロッパを走り抜いたのか」と思ったものだ。私より少し若いHさんとも佐渡や八丈島で一緒に走ったことがあるが、日本でも有数の伝説を持つウルトラランナーだった。 私など想像も出来ない長距離レースに挑戦するSパパが、最後まで元気で走り通すことが出来るよう、早速同行するコノちゃんと旅がらすさんのブログをお気に入りに登録した。この2人は、長距離を走りながら毎日ブログを更新すると言う離れ業を、前回のトランスヨーロッパで披露している。彼らのブログを読めば、Sパパの毎日の様子も分かるはずだ。 さて8月1日から「NAHAマラソン」のネットによる申し込みが始まることは知っていたが、申し込みはしなかった。沖縄へはここ6年連続で行っていた。「NAHA」を走らない年も、「沖縄本島単独一周」を4年がかりで走ったからだ。だが、今の体調でのNAHA参加は無理。残念だが、またいつか挑戦出来るのを夢として、胸にしまっておこう。昨日来続いていた耳鳴りが、ようやく治まった。 目覚まし時計の世話になり、深夜放送されたなでしこ対ブラジルの準々決勝を観た。2大会連続銀メダルの強敵を相手に、2対0での快勝だった。次はフランス戦。直前の親善試合では0対2で敗れているだけに、ここはきっちり借りを返して決勝戦に進んで欲しい。楽天は昨夜も負け、とうとう泥沼の7連敗。オールスター後は1勝も挙げていない。頑張れSパパ!!頑張れニッポン!!頑張れ楽天!!
2012.08.04
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昨日の強風は最大瞬間風速が仙台で23.7m。このため宮城県内では合わせて37本の列車が運休したようだ。ラニーニャの影響で猛暑だった昨夏の反動か、この冬の寒さも半端ではない。余りの寒さに私は靴下を履いて寝ており、愛犬は妻が編んだ赤い腹巻きをしている。さて今日の年賀状紹介は、全国の走友からのもの。 走る歌人ことU師匠からの年賀状には今年も12の歌が載っている。いずれもレースに参加して詠んだ短歌だ。第1回の「大阪マラソン」に参加して完走したものの疲労困憊で、フルマラソンは今回が最後と書かれていた。72歳の師匠にとってフルも過酷になったようだ。だが、間もなく始まる「沖縄本島縦走」には参加予定とか。挑戦心はまだまだ衰えてはいないと見受けた。 世界的なウルトラマラソンである「スパルタスロン」(ギリシャ:260km)に、毎年のように参加している神戸のNさんの賀状には、マラソンのことが一切書かれていない。ある農業関係の本を読んで感銘を受けたこと、そして今年は自らの手で「プロト車」(手押し車の試作品?)を作ってみたいと書かれている。どうやら心境の変化があったようだ。 宮城UMCの仲間であるTさんからのものは、御嶽山をバックにした勇姿が写っている。大震災により色んな苦労があったはずなのに彼の闘志は少しも衰えず、ウルトラ10レース、フル9レースに参加すると言う逞しさ。北は北海道から南は沖縄まで毎月日本のどこかで写真を撮りながら走り続けるエネルギーは、一体どこから生まれて来るのだろう。 昨年は永年勤務した職場を退職したBさんだが、これまで何度も途中リタイヤの憂き目に遭った「さくら道」(258km)を初めて完走した喜びが賀状に溢れている。ゴール地点の金沢は彼の故郷なので、その喜びは一入だったはず。無事再就職も果たし、この冬にはトレーニングを兼ねて熊本から福岡までのレースを完走したと聞く。その元気さに拍手したい。 Sさんからの賀状は、彼が主催する団体の今年の予定が載っている。そして背景には昨年9月開催の「佐渡島一周」の集合写真も。206kmの「佐渡島一周」には過去3回出ていずれも完走しているが、もうそんな長丁場はとても無理。もっと短い距離でゆっくり楽しめるレースなら出られるかも。そんなものを1年かけて探したいと思う。<続く>
2012.01.06
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朝起きると外は白い薄化粧。そして道路は凍ってツルツルだった。広い道には融雪剤を撒いた跡がある。そんな早朝の道を愛犬と慎重に散歩。老犬でも彼は力が強いため、坂道で引っ張られでもしたらたちまちスッテンコロリンだろう。出勤時も一応走る準備はしていたが、この日の最高気温は3度。いつもの帰宅ランの山道は完全に凍結しているはず。 第1現場での立哨も寒かった。北風が吹き抜けるため、体感温度は零下3度ほどに感じる。ビルの熱源の機械もフル回転で急激な負荷がかかったためか、3台中1台が突然の故障。第2現場への移動でも歩道が凍結していて危険。掃き掃除は枯葉が強風で吹き飛ばされる始末。これでは底の摩り減ったシューズでの帰宅ランは無理。そう判断してバスで帰った。 さて、今年もたくさんの方々から年賀状をいただいた。その中から印象に残ったものを少しだけ紹介したいと思う。今日はその1回目。世界を股にかけて走り、歩き、旅した方からのもの。 「エベレストマラソン」に挑戦したM仙人からのものは、標高5545mのカラバール地点と、標高5364mのベースキャンプの2つの写真。笑顔を浮かべる仙人の背後には、世界最高峰のエベレスト山(チョモランマ)8848mが天空に聳えている。 UTMB(ウルトラ・トレイル・ド・モンブラン)に挑戦した仙台明走会のAさんからのものには、アルプスの白い峰を背景にしたものなど3枚の写真。もちろんいずれの中央にも笑顔のAさんが写っている。標高4807mのモンブランを眺めながら160kmもの山道を走るのは過酷の一語。M仙人共々そんなレースに挑戦した勇気に拍手したい。 埼玉のSパパからのものには、2ヶ月半サポートスタッフとして活躍した、昨年の「アメリカ横断レース」(LA-NYフットレース)と、今年選手として出場する「トランスヨーロッパ・フットッレース」(デンマーク~ジブラルタル)の地図が描かれている。私と同学年で今年68歳になる彼だが、過去2回のトランスヨーロッパはいずれも完走している。今回も見事ゴールすることを信じている。 大学時代の先輩Tさんは、イスタンブールからハンガリーまで歩き、その後旧ユーゴスラビアから独立したクロアチア、スロベニアを経由してイタリアのベネチアまで辿り着いたようだ。次回はローマを目指すそうだがトラブルの連続とか。彼はかつてモンゴルや中国奥地から中央アジアにも行っているので、シルクロードの半分は旅したと思う。誰にでも果たせる夢ではないし、それを許す奥様も偉いねえ。 徳島勤務時代の野球仲間、麻雀仲間で数学の教授だったM氏は、副学長と評議員を務めた後退職。現在は外務省の外郭団体であるJICAのアフガニスタン支援事業<STEP3>に従事している由。家族は大阪にいるのだが本人は20年以上も徳島在住。「退職後ますます元気になりました」とある。 前職の研修仲間だったKさんからのは、毎年のように夫婦で出かけている東欧の写真。今回は「ハプスブルク3都の旅」とかで、ウイーンやブタペスト、プラハで出会った美術館、博物館、ドナウ川クルーズなどのことが記されていた。この他にも世界を旅した方が何人かおられたが割愛する。
2012.01.05
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昨日はウルトラマラソン愛好家の集まりである、宮城UMCの忘年会だった。先日の温泉行ではバスの時刻を誤解し失敗したため、2日ほど前からテーブルの上にメモを置いた。お陰で忘れることはなかったが、朝の目覚ましが鳴らずに朝食抜きでの出勤になった。現場のデスクでお握りを食べたのは初めてのこと。それでもいつも通り、帰宅ランは決行出来た。 忘年会は18時半からなのでブログを更新する時間は十分にあり、愛犬との散歩もいつも通りに出来た。(朝の散歩は妻に代行してもらったが)忘年会の場所は分かっている。時間に間に合うようバスに乗り、駅から歩いて会場へ向かった。仲間は8割方集まっていた。9月の「秋田内陸」以来の人が圧倒的に多いが、1年ぶりの人もいる。 先ず会費を払い、挨拶代わりに手を挙げ、何人かとは短い挨拶。席はS原さんの隣にした。10月の「伊南川ウルトラ遠足」の話を聞きたかったためだ。そして空いた左隣には仙台明走会のT内さんが座った。彼は私のブログの熱心な読者の一人で、偶然なことに私とは誕生日が一緒(生年はかなり違うけど)なのが嬉しい。 出席者が揃った所で会長の挨拶と乾杯。待たされた分、皆さんピッチが速い。G島さんがIフォーンで「神戸マラソン」の写真を見せてくれた。S原さんからは「伊南川」の情報や練習方法などを聞き出す。彼は「伊南川」がウルトラの初完走だった。良く高低差が1300m以上もあるレースを完走出来たと感心したが、ほとんど毎日のように山道を走っているのだとか。 T内さんは私のブログの感想を話してくれた。これが執筆者には何よりも励みになって嬉しい。毎日2時間ほどかけて4千文字ほど書いているが、歴史的な内容だと調査も含め3時間かかる。また、取り上げる話題にも苦しんでいるのが本当の所。それだけ大変なら止めれば良さそうなものだが、私にとっては日課なのだ。 T内さんは私が毎年実行している単独マラニックを一緒に走りたい由。私は相当遅いので辛抱出来るかどうか。またブログへの書き込みもしたいそうだが、こちらは大いに歓迎したい。2人からは仕事のことも聞いた。その間に飲み物がビールから焼酎に変わり、最後はS原さんの趣向に合わせて冷や酒に。 各人の挨拶が始まった。今年出たレースの感想や来年の抱負など色々。中には外国のレースに出場した人もいたし、全国各地のレースを連破した猛者もいた。私は今年1度もウルトラレースを完走しておらず、練習で走った自宅からJR福島駅までの80kmが最長距離だった。「沖縄本島単独一周」の後は何をするのか聞かれたが、答えは「峠越え」。 走ってみたい峠がまだ幾つかあるし、東北の国道を北へ南へと走りたい。出来れば100kmレースにも1度は参加したいが、その時の体調が問題だ。K村さんは私に「Aちゃんは不整脈にビビってる」と言う。彼女は看護師だが、私の症状を詳しく知っている訳ではない。 「沖縄」や「峠越え」を1人で走るくらいだからビビることはないが、制限時間があるレースは無理と諦めていることも確か。そんなことより同学年の彼女が頑張って、ウルトラレースを完走したことを喜んでいる。最近は早足で歩く練習をしているそうだ。S田夫妻からは揃って入会するとの表明があった。若い人が増えると活気が出て良い。 家では夕食時に焼酎の水割りを1杯だけ飲むが、それでも酔うことが多い。この日はその10倍ほど飲んだのではないか。お開きになり、古川組が帰ったことにも全く気付かなかった。それだけ酔っていたのだが、ちゃんとバスで帰宅し風呂にも入った。今回はO川さんやY田さんと会えず残念だったが、走友会の忘年会で会えるのを楽しみにしている。
2011.11.23
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ただいま~♪ 灼熱の沖縄から何とか無事帰って来ました。暑かったですよ沖縄は。走った昨日は最低が24度で最高は29度はあったようです。仙台とはかなり違いますね。今回は本部半島を反時計回りに走りました。素晴しい経験でした。 余りの暑さに大量の汗をかき、途中で体調を崩したのが2度。それでもゆっくりゆっくり走りました。60kmの距離を14時間30分近くかかりました。最後の5kmは吐き気がし、全部歩きました。あまりの疲労に距離感も狂ってしまったようです。 ともあれ今回のランで4年がかりで走った「沖縄本島単独一周」を達成することが出来ました。走った距離の合計は424km。走った日数の累計は8日間です。1日平均53km走った計算です。長年の夢だった沖縄本島一周を果たして、今ようやく安心しています。と言っても、沖縄で走りたい場所はまだたくさんあるのですが。 留守中にエールをいただきました。どうもありがとうございます。今回の「走り旅」のレポートは明日から書こうと思っています。多分相当の長文になると思います。よろしかったらお付き合いいただければ幸いです。どうぞお楽しみに♪ 簡単ですが、無事帰宅のご挨拶まで。
2011.11.05
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6時2分タクシーで名護市のホテルを出発し、市内真喜屋(まきや)へ。6時24分ランニング開始。 奥武島~屋我地島~古宇利島~屋我地島~ワルミ大橋~今帰仁村~今帰仁城~本部町~備瀬崎~海洋博記念公園前~瀬底橋手前~本部港~名護市21世紀の森公園~ホテル ラスト5kmからは疲れて歩きました。ホテル到着は夜の9時。約14時間30分もかかった60kmの走り旅でした。
2011.11.04
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自分では沖縄本島を1周した積りなのに、さほど喜べないのは何故だろう。それは北部の本部半島を走らなかったせいだと思う。沖縄本島北部の西側に、げんこつのように飛び出しているのが本部半島だが、第1年次の西海岸縦断では半島の付け根部分を横切った。もし改めて走るとなればどれくらいの距離があるのだろう。 10回目のNAHAを完走した直後、沖縄勤務時代の後輩であるらんふぉさんにこのことを話した。「本部半島は絶対走った方が良いですよ。ただし、距離は結構あります」。まああったとしても50kmから60kmくらいのものだろう。そんな距離はウルトラランナーにとっては「屁」みたいなものだ。「そうか。やはり本部半島を走らないと一周にはならないか」。 さほど拘りがあった訳ではないが、その後自分でもあそこを走ってみたいと言う気持ちが強くなった。だが、今年に入って事情が大きく変わった。2月の「いわきサンシャインマラソン」以降、体の異変が続いたのだ。目が良く見えないのは前からだが、眼科に行くと白内障のなりかけらしい。それに右足(脚)が次々に故障した。 最初が腱鞘炎で、これが治ったと思ったら足底筋膜炎。そして膝関節の痛みにガングリオン発症。これらが全て右側。最大の難関は5月末に発症した不整脈だった。偶然内科で発見され、翌日には循環器内科で精密検査。エコー写真に心電図。運動負荷試験も受けたが、やはり不整脈との診断だった。 それ以来、薬の服用を続けているが、体調がとても悪く疲れ易い。どうも心臓の機能低下のせいだけでなく、薬の副作用が強く影響している感じだった。出場した100kmレースでは、73km地点と45km地点でリタイヤし、2つのレースは体調不良で欠場した。この分では楽しみにしていた沖縄本島1周の最後は無理かと、正直諦めかけた時もあった。 その後、不整脈治療の薬を変えてから、幾分体調が戻った。スピードが出ないのは相変わらずだが、ゆっくりとなら走れないこともない。沖縄でも多分心臓は持つと思うが足の方はどうだろう。ツーリストの情報で、当初のコースを大幅に変えた。距離は長くなったが、初めての景色を楽しめるのが良い。 しかし、こうまでして何故沖縄を走りたいのか。それは私が沖縄を好きだからで、どんな景色でも心に沁みる。ウルトラに限らずランニングの世界では、いずれは思うように走れなくなるが、その前に「沖縄本島単独一周」を企画、実行出来て良かったと思う。連続して本島を一周する「大作戦」は無理だったが、本島縦断の「中作戦」などを繋ぎ合わせて、ほぼそれに近い形を作れたのが嬉しい。 沖縄への出発は明日。走るのは明後日。コースは体調によって若干変更する可能性がある。当日の天候は曇り時々雨で最高気温が28度、最低は23度のようだ。東北に比べれば高温で夏のような暑さだが、案外雨で走り易いと思う。雨に濡れた本島北部の景色はどんな風に見えるのだろう。 今回もカメラは持たず写真も撮らない。ただ左右の網膜に景色を焼き付けるだけだ。個人的な「想い」はそれでも十分と思う。帰宅は5日(土)の夜の予定。長らく留守にしますがよろしくね。そしてレポートを楽しみに待ってて下さいね。ではでは。
2011.11.02
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辺戸岬は荒れていた。猛烈な雨と風。ちょうど前線が通過中だったのだ。ランパンランシャツで走り出したものの、とても寒くて走るどころではない。直ぐに半袖Tシャツに着替え、その上からゴミ袋を被った。体感温度は7度ほど。沖縄で3年間過ごした経験があるが、あれほど寒かったことはない。 そして10kmも行かないうちに、私が恐れていたことが現実になった。何とハブの死骸を道路上で発見したのだ。11月末なのにまだ冬眠しておらず、道路を横切ろうとしていたハブ。これは危険だ。よほど注意して走らないと大変なことになる。特に夜間のランでは気を抜かないようにしよう。幸いにもその後生きたハブには遭わなかったが、道路の黒いひび割れもハブに見えてビビった。 東海岸の過疎ぶりには驚いた。数キロ走ると現れる集落だが、もっとも小さな楚州(そす)にはわずか5戸しかなかった。だが、自動販売機はあった。アップダウンにも苦しんだ。標高350mまで登った後、海岸へ降りる繰り返し。東村の平良ではついに真っ暗闇になった。ここはプロゴルファーの宮里藍ちゃんの故郷だが、光の下で地図を観ようとして転んだ。足元にチェーンがあることに気づかなかったのだ。 幸いにも怪我は軽かったが、一時はヘッドライトが見つからずに困った。そこからホテルまでが長く、心細かった。着いたのは夜の10時40分ごろ。フロントの人が驚いている。リゾートホテルには似つかわしくない薄汚れた人が目の前に立っているのだから。疲労と緊張で眠れなかった高級ホテル。7万2千円は4人分の料金だったのだ。 朝食を摂ったレストランの遥か海上に、米軍の基地が見える。移転問題で揺れるキャンプシュワブ。辺野古の海兵隊基地だ。2日目は一転して気温が上がった。本土なら冬の季節なのに、セミの合唱が聞こえる。初日の疲れが残っているせいか、アップダウンにも苦しんだ。沖縄市内に入ると、上空に月が出た。 もうハブの恐れはなかったが、ゴールの遠いこと。与那原町の三叉路に着いたのは夜の10時過ぎ。これで厳しかった東海岸縦断150kmの旅は終わった。そこからタクシーを拾って那覇のホテルへ。チェックインは10時40分ごろ。残り物を食べて直ぐに眠った。色んなことを経験した2日間のマラニックだが、何とか命は無事だった。 3年目の昨年は、知念半島を一周した。コースは具志頭三叉路から、前年のゴールである与那原三叉路までの32km。この周辺は「グスクロード」と呼ばれ、古い城が幾つも残っている。また、景色も素晴らしい場所だ。走りながら見つけたシークワーサーを、家の人に3つ頂きお土産にした。 沖縄の最大の聖地で世界遺産でもある「斉場御嶽」(せーふぁうたき)に寄った。昔と違って柵があり、有料になっていた。そそくさとお参りして国道に戻り、再び走り続けた。知念岬を廻って直ぐに日が暮れた。それでも怖くはなかった。高いヤシの木がとても懐かしかった。翌日はNAHAマラソン。フルの前日に32kmを走ったのは初めての体験だった。 マラニックがゆっくりだったため、フルも何とか走れた。17km地点の具志頭三叉路から中間地点の摩文仁公園までの4kmが沖縄本島一周でまだ走ってない部分だったが、これも難なくクリヤー。無事NAHAマラソン10回完走を果たした。これで自分では「沖縄本島単独一周」を達成したように思っていたのだが、何かが物足らないのだ。<続く>
2011.11.02
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あれは5年ほど前のこと。ふと翌年のカレンダーを見たら、年末年始の休みがかなり続いていることに気づいた。これを利用して「沖縄本島一周」出来ないかと心は躍った。だが、我家の財務大臣である妻に話したら直ちに却下。それから何とかしてこの夢を実現出来ないか考えてみた。そして立てたのが「ちんすこう」作戦だった。 「ちんすこう」は沖縄を代表するお菓子だが、お土産に買って帰ってもさほど喜ばれないことが多い。逆にこれをエネルギーにして沖縄本島を一人で走ろうという計画だ。「ちんすこう大作戦」は沖縄本島一周。計算すると距離は400kmを越え、1回で走り切るのは到底無理。「ちんすこう中作戦」は沖縄本島の縦断計画。これだと距離は140~150kmほどになる。 そして「ちんすこう小作戦」は10回目のNAHAマラソンを完走するもの。これならいつでも実現出来る。注目したのは「中作戦」。国道58号線を北上する「西海岸」の縦断なら行けそうだ。妻の反対理由は財源だけでなく、愛犬の世話。私が留守にすると妻が愛犬を散歩させなければならない。仕事のある妻にとって冬の早朝の散歩はきついのだ。 そこで中作戦の決行は7月にすることにした。経費は私の小遣いだから文句は出ない。ところが7月の沖縄は地獄だった。初日に那覇に着き、その足で南の突端の摩文仁公園に向かった。ここは第2次世界大戦の際に壮烈な戦いがあった場所で、各県の慰霊の碑が建てられているところ。ここから那覇市内までの22kmはNAHAマラソンのコースとほぼ重なり、何度も走っている。 ところが夕方の7時を過ぎてもまだ30度を越えていた。まさに熱射の中のランだった。翌日は那覇から名護まで61km。これも走れたのは9時過ぎまで。そこからは気温が32度となって歩くのがやっとだった。再び走り出したのは55kmを過ぎてから。だが真っ暗闇になり、とても怖い思いをした。 第3日目は北端の辺戸岬まで車で送ってもらい、名護市内へ逆走。距離は57kmだが、これも走れたのは朝のうちだけ。ほとんど日陰がなく、2回熱中症になりかけフラフラになって歩いた。夕方の7時半ごろから幾分涼しくなり、ホテルへ着いたのは9時前だった。沖縄の走友には「自殺行為」とまで言われ心配されたが、何とか計画の第1歩を踏み出せた。 2年目は最も厳しい「東海岸縦断」を目指した。このコースの厳しさは、西海岸と違ってアップダウンが続くこと。特にヤンバルと呼ばれる北部は過疎地帯で、集落も少ない。ここでハブに咬まれる危険性もある。それに一番の難点は宿泊施設がほとんどないこと。北端の辺戸岬をスタートすると、泊れるのは70km先のリゾートホテルだけ。 それが1泊7万2千円と言う高額。だがどうしても初日にそこまで走らないと2日で150kmを走破するのは無理。パートタイマーの私には休暇を取るのがとても困難なのだ。辺戸岬から本島南部の与那原町までの150kmを走る第2年次は、前年の暑さに耐えかねて11月に決行することにした。 リュックには「沖縄本島縦断中」のプレートをつけた。そしてその裏側には、私の氏名、住所、電話、血液型、妻の携帯電話の番号を記しておいた。この旅はとても危険な旅。どこで何が起きるかもしれない。第一ハブに咬まれたら30分以内に病院に行かないと死んでしまう。まして辺鄙な東海岸に病院などはないのだ。<続く>
2011.11.01
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9回目の「秋田内陸」から10日ほどが経った。ひょっとしたら「秋田」を走るのは、今回が最後になるかも知れない。そんな想いを込めて、書き忘れたことを若干付け足してみたい。 あれは25、6km地点辺りだと思うが、後から近づいて来た車が急停車し、降りて来た男の人が私の名を呼んだ。ウルトラ仲間のI本さんだった。きっと私が「宮城UMC」のTシャツを着ていたため気づいたのだと思う。強烈なオレンジ色のTシャツは、遠く離れていても良く目立つのだ。 後で彼に会ったKさんの話によれば、彼は体調を崩したために参加できなかった由。それでも「秋田」に対する気持ちが高まり、遥々仲間の応援に駆けつけたのだと思う。助手席には奥さまが乗っていた。そして小さな愛犬も。その犬の頭を撫でて、私は再び走り出した。 左の股関節周辺が痛み出したのはそれから間もなくのことだった。夏以来体調が悪く、長い距離の練習をしていなかった私には、きっとその辺が限界だったのだろう。それでも暫く先の峠道では、すっかり痛みは消えていた。 45kmでのリタイヤは、これまで出た100kmレースで最短記録になった。直前に出来た練習での最長が23km。常々私は練習で走れる2倍の距離はレースで走れると考えているが、まさしくそれが証明出来たと思う。そして時間さえ許せば、きっと60kmは走れたと思うのだが。 整形外科のドクターには、足底筋保護の観点から底の堅いシューズを履くよう指示されていたが、今回はその指示どおりのシューズを履いて走った。スピードが遅かったためにその堅さにも耐えられたが、もっと長い距離だったらどうだったか。底の堅いシューズにシリコン製の医療用インソールを装着すると、さらに足には負担がかかる。インソールは歩行用で、ランニングのことまでは考慮していないのだ。 100kmの前日と翌日に秋田の山に登ったS村さんが、読書中の本を私に見せてくれた。鷹巣からスタート地点の角館まで「秋田内陸鉄道」に乗った際に読んだ由。本は漢字学者の白川静に関するものだった。彼の名前は宮城谷昌光の歴史小説にも時々出て来る。宮城谷が尊敬する学者のようだ。S村さんによれば、この本に宮城谷の名が出て来るそうで、彼の文章を誉めていた由。 漢字学者で私が知っていたのは諸橋轍次や藤堂明保。今回のことがきっかけで調べてみたら、藤堂と白川は、どうも学問的な敵対関係にあったようだ。原因は白川の学説には直観的なひらめきが多過ぎることみたい。漢字の起源が甲骨文字であることを考えれば、白川が唱えるように漢字に呪術性が潜んでいるのは当然のようにも思う。 帰路、東北道の長者ケ原SAで休憩した際、直ぐ裏にある「化女沼」(けじょぬま)を遠望することが出来た。私が見たのは、多分沼の一部なのだろう。古川グループの仲間達は、白鳥の飛来で有名なこの沼の周囲を走って練習していると聞いていた。ここが彼らの練習場所だったかと、胸に感慨が過った。
2011.10.07
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昨日「秋田内陸」を走って来ました。結果は現在の体調を端的に表わし、45km地点でのリタイヤでした。覚悟はしていましたが、実際に走ってみると自分が置かれた状況が良く分かります。何せ7時間30分も走って、わずか45kmしか進まないんですから。リタイヤ記は明日から書く予定です。留守中にご訪問いただいた皆さまには、心から感謝申し上げます。
2011.09.26
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昨日の大相撲は両関脇が頑張りましたね。先ず琴奨菊が先場所に続いて白鵬を下したことにビックリ。これで大関取りが一歩前進した感があります。一方の白鵬は一体どうしたのでしょう。どこか体を傷めているようにも感じます。もう1人の関脇、稀勢の里も3敗を守りました。後2日間の戦いがどうなるか見ものですね。残念ながら私は2日間の取り組みは観られないと思います。毎年ちょうど「千秋楽」がレースになるからです。 プロ野球ですが、楽天はいけませんね。3位のオリックスまで5ゲーム差。残された試合数を考えると、3位に食い込むのは無理な感じです。特に岩隈の覇気が無いのが残念。エースたるものが6勝で停滞しているようでは、上位には行けません。今日は田中マー君が先発予定。良い投球をして、彼自身の新記録である16勝目をもぎ取って欲しいものです。 大リーグのイチローの200本安打達成は無理な気配になりました。彼のことですから、最後の最後まで努力を惜しまないと思います。これまで達成した記録だって素晴らしいもの。決してくさる必要はないですね。 さて、23日から24日にかけて落下すると言われていた人工衛星はどうなったのでしょう。人間に当たる可能性が2600分の1との話も驚きでした。何故そのような確率になるのか不思議です。きっと海に落ちる確率の方が高いはずです。落下する人工衛星を追いかけて観測している日本人がいることも知りました。岡山の方です。私達の上空では、落下する恐れのある大小様々の人工衛星があるそうです。不気味ですね。 今朝は明日走る予定の「秋田内陸」へ向かいます。13時間以内にゴールすることは到底無理な状態で、走れても50~60kmの間だと思います。それでも今の私には十分な距離なのです。大いに頑張り、大いに楽しみたいと思っています。留守中は皆さまのところに伺うことも、コメントに返事することも出来ません。どうぞご了承くださいね。ではでは、お元気で。行って来ま~す。
2011.09.23
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今日は宮城UMC主催の合同練習会。朝1時起床で出発点へ向かい、2時から走り始めました。わが走友会のメンバーは誰も来ないと思っていたら、どうやらスタート時間は3時だったようです。初めからハプニングの発生です。 仲間よりも1時間早目にスタートしたこと。雨が降って気温が低かったことが幸いし、比較的楽に走れました。でも途中で2回腹痛が起き、冷や冷やしながらのランでした。当初は体調の心配もしていたのですが、何とか55km先の目的地にゴール出来て幸いでした。 ゴール後は温泉と冷水に交互に入り、体の疲れを取るよう努力しました。そしてその後は40人近い参加者が大広間に集まって大宴会。老いも若きも心を打ち融け合っての懇親会は楽しかったですよ。マラニックの完走記は明日から書き始める予定です。お楽しみに!!
2011.07.30
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灼熱の「いわて銀河」から、つい先刻帰宅しました。留守中のエールとメッセージ、ありがとうございました。今日は遅くなりましたし、明日の起床が早いため、お返事は明日書かせていただきます。さて、レースの結果ですが、73.3kmの第3関門で敢え無く時間切れとなり、リタイヤしました。タイムは10時間39分44秒でした。今日はスタート直後からまったくスピードが上がらず、キロ7分以上のペースでしか走れなかったのが実情です。不整脈を抑える薬などの副作用が影響したかどうかは分かりませんが、朝の6時には暑さを感じて頭から水を被ったほどです。途中リタイヤにはなりましたが、今の体調でそこまで走れたことに満足しています。自分でも良く頑張った方だと思っています。「リタイヤ記」は明日以降に書かせていただきます。中身はありませんがご覧いただければ幸いです。では無事帰宅とレース結果のご報告まで。
2011.06.12
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さて、いよいよ「いわて銀河」へ出発します。 大勢の仲間と一緒に現地へ向かいます。 車中での情報交換が楽しみです。 受付会場で全国の仲間と会えるのが楽しみです。 太陽の暑さ、コース途中の素晴らしい景色、 峠道の厳しさ、そして冷たい風が吹くトンネル。 みんなみんな大好きです。 風を感じ、汗を流し、道端の花を愛で、 自分の体調に十分注意しながら 一歩一歩前進したいと思います。 明日は苦労して辿り着いたところが私のゴール地点。 それでもきっと楽しく、満足出来ると思っています。 では行って来ます。 たくさんのエールとご心配を、ありがとうございます。 みなさんの気持ちを胸に刻んで「なめとこ街道」を、とっとこ走りますね。 帰宅は明日の夜遅くなります。 それまで留守番をよろしくね!! では、では~♪
2011.06.11
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「エベレストマラソン」に挑戦していたM仙人が帰国した。結果はDNS。標高5400m以上もあるスタート地点には立ったものの、体調不良でレースにはならなかったようだ。そもそもの原因は寒さ。標高3440mの山小屋に向かう途中で小雨に遭い、鼻水が止まらなくなった由。風邪を引いてしまったようだ。 鼻が詰まって口呼吸になるが、高山特有の希薄な空気で血液中の酸素濃度が減少。体調不良のままスタート地点に立ったものの、ふらついて走れず。スタッフの肩を借りながら下山するのもやっと。高額な馬に乗ったが傾斜がきつくて危険なためヘリコプターを呼んでもらうことに。 幸いにして保険が適用され、麓のルクラで病院で点滴を受け、そこからさらにヘリコプターでカトマンズまで運ばれ、1週間入院した由。その期間中肺から血の混じった痰が出たそうだ。日本では5千メートルを越える高山は無く、薄い空気の中で行動することもない。 日頃から鍛えている山男のM仙人でも、高山病には勝てなかったようだ。こうして見ると山岳スキーヤーの三浦雄一郎はやはり特別な存在。高山で運動するには、それなりの準備と日頃のトレーニングが欠かせないのだろう。でも71歳のM仙人がネパールまで遠征した意義は大きく、果敢な挑戦に大きな拍手を送りたいと思う。 さて、いよいよ明日は「いわて銀河」へ出発する。勤務から帰宅し、資源ごみの始末と自室の掃除を終えてからレースの準備をした。今回の100kmは、まったくゴールするイメージが浮かばない。理由は自分の体調に自信が持てないせいだ。そしてレース当日の予報は「晴れ時々曇り」で、最低気温が15度、最高気温は28度に上がった。これは今年初めての「夏のウルトラ」だ。 2月に傷めた右足と前から障害がある左足。両足とも偏平足に「種子骨」が出来、これが腱鞘炎を惹起し痛みをもたらす。対策は入念なテーピングを施し、医療用インソールのお世話になるしかないが、どこまで持ってくれるか。 緑内障と宣告を受けたが、目は見える。レース中にものが二重に見えたり、レース後に白い光が現れることはあっても、途中の景色は見えるし状況判断は可能なため心配していない。問題は心臓。「不整脈」との診断を受け目下治療中だが、この状態でウルトラレースに出るのは初めての体験。特に峠を登る際に、どれくらい脈が乱れるか。そしてそれが体調にどう影響するか十分に注意したい。 当然関門や制限時間は設定されているが、あまり無理せず、行けるところまで行く方針。それに28度まで気温が上がれば体力の消耗は著しく、苦戦するのは目に見えている。このため今回は暑さ対策を第一に考え、「宮城UMC」のユニフォームなどは着用しない積り。 小さ目のポシェットには、サングラス、冷却用のパルプ、塩、味噌、アスリートソルト、アミノバイタル、小銭を入れた。帽子と小さなタオルハンカチは必携。問題は内臓。心臓がどこまで持ち、消化器官がどこまで飲食物を受け付けてくれるかだ。今年一番の猛暑が疲労した心身をさらに苦しめるはず。さて、どんな地獄を観ることになるか。
2011.06.10
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今日も昼寝から目覚めた後、愛犬と散歩に行った。工事がやりかけのままストップしている近所の道路は、歩道が広く安全なために散歩コースとして利用する人が多い。先日まで植え込みの中の雑草が凄かった。それが昨日、きれいに引き抜かれていた。今日は道の向こう側で、高校生が走っていた。 きっと陸上競技部の生徒だと思う。高校の周囲で走っている姿は良く見かけたが、ここで集団での練習は初めてのこと。私達のような老いぼれランナーと違って、美しいフォームのランニング姿は見ていても惚れ惚れするほど。つい最近その高校の生徒が陸上競技で優勝したニュースを聞いたばかり。それで入部者が増えたのだろうか。 昨日初めて書き込みをしてくれたEさん。私がブログに書いたのは不整脈とランニングについてだったが、彼女はそれを見て心配し、わざわざ自分の経験を教えてくれたのだ。まだウルトラ歴は浅い彼女がレースで足首を傷め、苦しんでいることは知っていた。心筋梗塞で入院したことも後で知った。加齢に伴い障害も増えるが、それとどう向き合うかが各人の悩みだと思う。 「しまなみ海道」を走った星峰さんは、痛みをこらえての完走だったようだ。彼女も膝や腰に故障を抱え、痛み止めを飲みながらのレースだった由。時々彼女のブログには整形外科で注射を打ってもらうと書かれているが、そこまでしてもウルトラマラソンに拘るのは、やはりそれだけの魅力があるためだ。 「阿蘇」に出たTANさんの様子も分かった。今年は50kmの部に出たが、レースでは暑さに苦しんだ由。そして膝の不調から、もう100kmは無理と考えているようだ。彼は私の2歳上で、ここ数年間の不調をつぶさに見て来た。障害の内容こそ違え、私も100kmの距離に苦しむレースが増えている。そしてつい最近、緑内障と不整脈の宣告も。 日中の昼寝の影響か、昨夜は1時過ぎに目が覚めて眠れなくなった。仕方なくパソコンを立ち上げると、M井さんから「いわて銀河の足」についてメールが入っていた。最初にお願いしたY田さんの車は、福島原発のため移転した家族の許に置いてあり、今回は無理との返事だった。 多忙の中でM井さんが連絡を取ってくれ、最終的にS村さんの車で会場へ向かうことになったようだ。車内では震災以来の各自の様子が聞けるはず。きっとそれぞれに大変な思いをして来られたのだと思う。震災や津波で実家が被災した仲間も多いのだ。感謝の思いを込めて返事を送った。 その時、鳥の声が聞こえた。特徴のある鳴き声の主はホトトギス。東南アジアや中国南部から5月頃に日本列島に来る渡り鳥だ。「鳴いて血を吐くホトトギス」。「鳴かぬなら鳴くまで待とう」とか「鳴かぬなら鳴かせてみしょう」とか、「鳴かぬなら殺してしまえ」とか昔から例えられる鳥。 漢字では「時鳥」、「子規」、「不如帰」のように書かれるが、「杜宇」や「蜀魂」のような表記もあるようだ。それらは中国の伝説から来てるとか。そして姿がカッコウに似ていることから間違われ、「郭公」と表記された時代もあった由。昨年は「いわて銀河」の85km付近の鬱蒼とした森の中でホトトギスの鳴き声を聞いた。果たして今年はそこまで走れるかどうか。
2011.06.08
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約2週間後に、今年初めての100kmレース「いわて銀河」が開催される。私は過去5回出場し、そのうち4回完走している。100kmを5回完走すると「ギャラクシーマスターズクラブに入会出来、999蕃までの任意のナンバーが永久に使用出来る権利が与えられる。つまり今回がその資格ゲットのチャンスなのだが、大震災発生以来練習不足のため完走出来るかどうかは分からない。そして折角ナンバーをもらえても、歳が歳だけに後何年そのナンバーをつけて走れるかは不明だもんね。 例年7月に開催の「磐梯高原ウルトラ」が、「磐梯高原猪苗代湖マラソン」と名を変え、9月の第1土曜日に延期された。大会事務局からの通知によれば、既に申し込んだランナーが9月に出場出来ない際は、必要経費以外は被災者への義援金に充て、一切返金を認めないそうだ。このレースは県や市からの援助を全く受けてないため、資金に苦慮しているのがその理由。私は9月に延期されても、出場する予定でいる。 毎年8月の第1土曜日に開催される宮城UMCの「薬莱山とお足マラニック」だが、今年は7月の最終土曜日に繰り上げ実施するようだ。8月だと「奥武蔵ウルトラ」への参加が困難となるため、開催日をずらしたのかも知れない。私はまったく問題なく、7月末でも参加する予定。わが走友会の場合は、ゴールの温泉まで約55kmを走ることになる。 震災のため開催するかどうか検討中だった「秋田内陸」だが、5月20日(金)になって正式に開催することが決まった。私は4月早々、既にエントリー済み。そして所属走友会では、例年通り角館での宿泊先を予約済み。制限時間13時間以内での完走はかなり難しいと思うが、挑戦だけは果たしたいと思っている。 10月の「伊南川ウルトラ遠足」の申し込みが、去る5月23日(月)から始まった。定員は先着500名まで。私はその日のうちに申し込み、翌日経費を振り込んだ。これで晴れて参加出来る。何しろ初めて走るコースなのでとても楽しみ。かなりアップダウンが激しいようだが、紅葉など景色が良い所みたいで嬉しいね。 とまあ、これからウルトラレースが続くのだが、喜んでばかりはいられない事情が生じた。先ず今週の火曜日に行った内科で、「心房細動」=不整脈が発見されたのだ。翌日循環器病の専門医で精密検査を受けたが、やはり不整脈の診断は変わらなかった。取り敢えず1週間は血液をサラサラにする薬を服用して様子を観る由。 不整脈のため心房内の血液が滞留して血栓を造る可能性があり、その血栓が血管を通じて脳に達すると、脳梗塞を引き起こす原因になる由。長嶋巨人軍名誉監督がその典型とか。思わぬ事態に驚いたが、医師から特にランニングを止めろとは言われなかった。逆にランナーには「心房細動」の人が結構いるみたい。「激しい運動と何もしない時の差が大きいからではないか」と言うのが医師の意見。 昨日の木曜日、1カ月ぶりに眼科へ行った。定期的に眼圧を測定する必要があると前回言われたためだ。眼圧は正常で、視力も左右1.0で特に問題はなさそうなのに、医師からは「正常眼圧性緑内障の疑いあり」との宣告。これには驚いた。前回は「白内障のなりかけだが特に問題はない」と言われたのに、今度は緑内障とはねえ。意外や意外。 もらったパンフレットによれば、日本人高齢者の20人に1人はこの病気にかかるとか。病気の進行を止めるには、「規則正しい生活が一番」のようだ。悪化すれば失明する重篤な病気との認識があるが、まさか自分がかかるとはねえ。それでもランニングを止める気持ちは無いし、70歳まではウルトラマラソンに挑戦したいと思っているのだが、果たして今後どうなるか。「これで俺もいよいよ高齢者の仲間入りか」との想いがちょっぴり強まった。
2011.05.27
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今日は上りの始発に乗って白石駅で降り、そこから国道113号線で七ヶ宿方面に向かい、途中で県道12号線から金山峠へ登り、ゴールの山形県上山市、「かみのやま温泉駅」まで63kmを走りました。 夕方から山形は雨の予報でしたが、途中降られることもなく、無事当初の目的通り、「かみやま温泉駅」にゴール出来ました。時間は10時間26分。結構暑くなったこともあって、バテバテでしたよ~。完走記は明日から書き始める予定です。どうぞお楽しみに~♪
2011.05.21
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今日は帰宅ランを休み、バスで帰った。少し寝不足気味なのと疲労を感じていたからだ。こんな時は無理しないのが一番。体が休むことを求めているのだもの。それに、震災時の崖崩れのために経路が変更されていた帰りのバスが、また運行されたことに気づいた。「そうだ、今日はのんびりバスに乗って帰ろう」。たまにはこんな日があっても良い。 今日はM仙人が「エベレストマラソン」へ出発する日でもある。明日の未明、0時20分羽田発の便でバンコックへ向かい、そこからカトマンズ便に乗り換える由。ネパールに着いてからは高地順応を繰り返し、5月29日(日)がレース本番。確か標高5400m地点辺りから中腹まで約2000mを下っての42.195km。もちろん世界で一番高地でのフルマラソンになるはず。 M仙人は71歳になるが、何故そんな苦労をしてまで高地を走りたいのか。それは彼が山男だから。北は北海道の利尻富士(1721m)から、南は屋久島の宮之浦岳(1935m)まで登っている仙人。今回の参加者で日本人は彼だけ。つまりM仙人は日本の代表選手でもあるわけだ。帰国は6月5日(日)。無事完走して夢を果たし、元気に帰って来て欲しいと願っている。 今日は7月の予定レース「磐梯高原猪苗代湖マラソン」(100km)の宿泊をメールで申し込んだ。既に数日前にエントリーは済ませてあるが、宿泊については地元の民宿協同組合へ各自が申し込む仕組み。私は昨年泊った民宿の名を宿泊希望先として記入した。あの親切な夫婦の宿に、また泊りたくなったためだ。そして夜は馬刺しを食べるのも楽しみ。 それにしてもこのレースは毎年コースが変わるので大変。私が参加するのは今回で4回目だが、そのいずれもコースが違っている。今年も例外ではなく、猪苗代湖畔から標高1000mを越える布引高原までの往復が入った。制限時間はこれまでと同じだが、昨年以上の難コース。果たして完走出来るかどうかは、実際に走ってみないと分からない。 そしてレース名に初めて「猪苗代湖」が登場。これは私がアンケートに書いたことでもある。コースが全く磐梯高原を通らず、今は完全に猪苗代湖がメインになったからだ。それも良し。参加するからには思う存分難コースと格闘しながら、景色を楽しむだけの話。今年もきっと暑さとの戦いになるだろう。 「宮城UMC」のジャンバーを注文したと掲示板に書かれていた。1カ月後には各自の家宛てに届く由。出来れば6月12日(日)開催の「いわて銀河」(100km)に間に合うと嬉しいのだが。さて間に合えば良いのはジャンバーだけではない。自分の体調もそう。最近になって峠越えマラニックを2回敢行したが、本来の体力と走力はまだ戻っていない。それだけ震災後の練習不足が響いている訳だ。 8月の「立山登山マラニック」の案内がかなり前に届いた。過去マラニックの部に2回エントリーして完走は1度のみ。最後はウォークの部にエントリーしたが、豪雨のために途中でレースは中止になった。それでもゴールの雄山頂上には2度登った。あの雄大な姿を見たい気持ちは十分にあるのだが、休暇が取れないこともあって断念せざるを得ない。 9月は「秋田内陸」(100km)へのリターンマッチ。昨年はわずか30秒差で「記録なしの完走」だった。あれから1つ歳を取ったため、今回も時間内完走(13時間)は厳しいだろうが、チャレンジだけはしてみる積り。そして10月は昨年出場出来なかった「伊南川ウルトラ」(100km)への初挑戦が待っている。これも厳しい山岳コースだ。 11月は4年連続での「沖縄本島一周マラニック」を予定。今年は本部半島一周約50kmが残されているが、果たして実行出来るかどうか。その他筑波時代の悪友との麻雀大会が秋以降にあるし、同じ頃徳島勤務時代の職場の創立30周年記念行事でも声がかかっている。いずれも「先立つもの」と体力が問題だね。
2011.05.12
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この連休中に私は2度峠越えマラニックを敢行しました。1回目は4月30日(土)に関山トンネルを越えて山形県のJR天童駅まで62.4km。そして2回目は5月5日(木)に国見峠を越えてJR福島駅までの80kmでした。関山トンネル越えの方は道幅が狭く、交通量が多いこともあって多少冒険的な要素がありましたが、国見峠越えの方はほとんど歩道を走れて安全だったし、峠の標高も300m程度で楽に感じたものです。 さて、この連休中に行われた超長距離のレースについて、知り得た情報を以下に記しておきます。どなたか情報をお持ちの方がおられましたら、是非ご教示願います。<さくら道>名古屋~金沢258km 4月30日(土)朝7時スタート 知り合いで完走されたと聞いたのは、ぼくしーどん、凛峰さん、さり~♪さん(ちっちさんのご主人)です。今年は初日から冷たい雨に悩まされたようですね。テラさんが左足首痛で、星峰さんが夜間に3回転倒で怪我して、Kさんが震災後の練習不足のため、残念ながら116km地点の白鳥でリタイヤされたようです。Kさんのご主人のDさんと、K藤さんの消息はつかんでおりません。 ぼくし~どんの記録(参考)4月30日(土)15:26関高架橋下(57km地点)通過 18:12美並道の駅通過 5月1日(日)8:20荘川桜通過 11:48白川郷10km手前 13:01白川郷入口(175km) 15:45合掌大橋通過 18:26上梨トンネル 23:14福光駅(226km地点) 5月2日(月)8:23金沢ゆめの湯ゴール さり~♪さんの記録 46時間58分 ぼくし~どんは今回が6回目の挑戦だったそうです。2月の大村湾一周(160km)では夜間に雪の中を走り、その後も夜間の帰宅ランなどで練習したようです。やはり完走を目指して練習を重ねた成果が出たように思います。一方宮城UMCの仲間達は、震災後の練習不足に泣いたようで、今回はちょっと不運な面がありましたね。<川の道>東京~新潟520km 4月30日(土)9時スタート 宮城YMC仲間のO川さんは5月1日(日)の深夜2時ごろ埼玉県寄居市の「はぐれ駅」(107km地点)周辺を走っていたそうですが、目の前でレースに参加していたランナーが飲酒運転の車に撥ねられて死亡。警察に参考人として呼ばれ、長時間事情聴取を受けた由。その後警察の指導で、同レースは直ちに中止になったそうです。 宮城YMC仲間のK合さんは、O川さんが遭遇した死亡事故の少し前に、CP4周辺(埼玉県熊谷市)で転倒して怪我し、リタイヤしたみたいです。やはり夜の道は色んな危険が潜んでいますね。それにしても順調に走っていたO川さんにとっては目の前で起きた悲惨な事故を目撃し、警察に呼ばれ、挙句の果てはレースが中止になるなど散々な結果となり、さぞ残念だったことと思います。謹んで亡くなられたランナーさんの冥福をお祈りいたします。<青森~下関1521kmフットレース>4月23日(土)青森スタート 「佐渡島一周」仲間のニセコさん(T内さん)は4月26日(火)17:35 332.8km地点の山形・新潟県境を通過。5月8日(日)18:42鳥取市鳥取砂丘オアシス広場(1088.2km地点)到着。目下下関に向けてレース中。<萩往還道>250kmの部 宮城UMCの仲間であるT田さんが参加していました。レースは既に終了していますが、今日現在まだニュースがありません。さて、どうしたのでしょうか。
2011.05.10
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今日は朝の2時過ぎには起き、2時55分に自宅をスタートし、福島まで走って来ました。途中道を間違って3kmほど余分に走ったため、合計で80km走ったことになります。時間は13時間20分で、掛かった費用は合計で3200円でした。 主に国道4号線を走ったのですが、峠は宮城・福島県境にある国見峠です。冒険話はありませんが、まあまあ話題はあると思います。明日から完走記を書く予定にしています。どうぞお楽しみに♪ 遅くなったため今日は皆さまの所へお邪魔出来ません。どうぞ悪しからず。
2011.05.05
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今日は4時に起きて走りに行きました。今年第1弾の峠越えは、関山峠でした。ここは道路が狭い上に交通量が多くて、走るには危険との意見をかなり耳にしました。それでも「行くなら今しかない」と気合を入れて臨みました。 ルートは我が家から国道286号線を西に進み、途中から秋保街道へ。国道457号線から国道48号線に抜け、そこから作並温泉、関山トンネル経由でJR天童駅までの62.4kmを何とか走り通せました。最後は雨。濡れながらのゴールも味がありましたよ。 要した時間は10時間24分。そしてかかった経費は全部で2968円でした。かなり安上がりなマラニックです。詳細なレポートは明日から書く予定です。どうぞお楽しみに~!!<4月のラン&ウォーク>月間走行回数:9回 月間走行距離:182km 月間ウォーク回数:毎日 月間ウォーク距離:202km 月間累計:384km 年間走行距離:591km 年間累計:1255km これまでの累計:75935km
2011.04.30
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<宮城UMC文集編> かなり遅くなったが、新年会で配られた宮城UMCの文集「歓・感・汗・完走記」第12集についても記しておきたい。宮城UMCはウルトラマラソン愛好者が作った団体で、所属する走友会は様々。「秋田内陸100km」に出場した県内のランナーが懇親の場を持ったのが、発足のきっかけだった。 発足当初から文集の編集・発行を担当されたのがU事務局長。だが彼は3年ほど前からある病気に罹り、走ることが出来ない。今回初めてこの文集に自分の病気のことを書かれている。思うように動けない悔しさ。たまたまランナーを観たり、かつての練習コースの傍を車で通りかかった時、思わず顔を背けてしまうとのこと。読者にもその心情が伝わって来る。 治療法すら確立されていない病気と戦うUさんはその不自由な体を懸命に動かし、自宅裏の小さな畑で野菜作りに励まれている由。上半身だけの作業は、文字通り「這いつくばるような」姿とか。病気の現実をさらけ出すまでには、相当の苦悩があったに違いない。それでも病気に打ち克つためには気力が一番と考え、文集の編集・発行や、マラニックのコース設定を続けておられる。頑張れUさん。私達もトレーニングを重ね、ウルトラレースで頑張りますからね~。 A副会長もこの1年は故障との闘いだった由。それでも昨年10月は1ヶ月間に4つのフルマラソンを完走されたとは凄い。再起を期して目下リハビリ中とのこと。宮城UMCの最長老Oさんは陸上競技の障害レースを専門にするアスリートだが、徐々に気力が衰えて来た由。それでもこの3月にはフルマラソンに挑戦されるようだ。 Uさん、Aさん、Oさんと同じ70代のM会長。仙人の名に恥じず、今年の5月にはエベレストマラソンに挑戦する由。標高5364mのスタート地点まで行くには、高山病に罹らないよう高地順応が肝心らしい。昨年は距離270kmの「さくら道」を完走した彼は、エベレスト行きの直前平均年齢73歳の中高年グループを引き連れ、四国の山々を登山する予定。衰えを知らない気力と体力には脱帽だ。 10回目の「サロマ100km」についてA4版11枚半に亘って書かれたGさん。サロマに対する思い入れの深さと文章の淡麗さに脱帽した。良く1回のレースをここまで詳細に記憶できるものと感心する。普段話す機会が少ないだけに、書かれた文章から人柄を知ることが出来て良かった。 膨大な文章と言えばTさんも負けてはいない。昨年踏破した「萩往還250km」を始め、亡き義母上の追悼ランと位置付けて走った「秋田内陸」のレポート、全国に散らばる数多くの走友の紹介は、やはり11枚半に及んでいる。彼の他人を想いやる暖かいハートとレースへのパワーが物凄い。そのエネルギー源は、恐らくこよなく愛する酒なのだろう。 この他にS木さんは初めて参加し、見事完走した標高差3003mの「立山登山マラニック」と「秋田内陸」でのクリスタルランナー資格(10回完走者)取得の紹介を、O友さんは制限時間のわずか20秒前にゴールした「秋田内陸」の紹介を、Kさんは山形の名峰である大朝日岳(1870m)で昨年夏に行ったトレーニングランの紹介を、またSさんは単身赴任先でのランニング生活を楽しく紹介している。 きっとこの文集は多くの会員に刺激を与え、今後のランニングにも生かされることだろう。また、今回レポートを書けなかった会員にも様々な思いがあるはず。宮城UMCの活動を通じて親善の輪が広がり、会員のレベルアップにつながることを心から願っている。近く会のウインドブレーカーが新調されるのも嬉しいことだ。
2011.03.05
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