マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2011.11.02
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カテゴリ: ウルトラマラソン
辺戸岬は荒れていた。猛烈な雨と風。ちょうど前線が通過中だったのだ。ランパンランシャツで走り出したものの、とても寒くて走るどころではない。直ぐに半袖Tシャツに着替え、その上からゴミ袋を被った。体感温度は7度ほど。沖縄で3年間過ごした経験があるが、あれほど寒かったことはない。

そして10kmも行かないうちに、私が恐れていたことが現実になった。何とハブの死骸を道路上で発見したのだ。11月末なのにまだ冬眠しておらず、道路を横切ろうとしていたハブ。これは危険だ。よほど注意して走らないと大変なことになる。特に夜間のランでは気を抜かないようにしよう。幸いにもその後生きたハブには遭わなかったが、道路の黒いひび割れもハブに見えてビビった。

東海岸の過疎ぶりには驚いた。数キロ走ると現れる集落だが、もっとも小さな楚州(そす)にはわずか5戸しかなかった。だが、自動販売機はあった。アップダウンにも苦しんだ。標高350mまで登った後、海岸へ降りる繰り返し。東村の平良ではついに真っ暗闇になった。ここはプロゴルファーの宮里藍ちゃんの故郷だが、光の下で地図を観ようとして転んだ。足元にチェーンがあることに気づかなかったのだ。

幸いにも怪我は軽かったが、一時はヘッドライトが見つからずに困った。そこからホテルまでが長く、心細かった。着いたのは夜の10時40分ごろ。フロントの人が驚いている。リゾートホテルには似つかわしくない薄汚れた人が目の前に立っているのだから。疲労と緊張で眠れなかった高級ホテル。7万2千円は4人分の料金だったのだ。

朝食を摂ったレストランの遥か海上に、米軍の基地が見える。移転問題で揺れるキャンプシュワブ。辺野古の海兵隊基地だ。2日目は一転して気温が上がった。本土なら冬の季節なのに、セミの合唱が聞こえる。初日の疲れが残っているせいか、アップダウンにも苦しんだ。沖縄市内に入ると、上空に月が出た。

もうハブの恐れはなかったが、ゴールの遠いこと。与那原町の三叉路に着いたのは夜の10時過ぎ。これで厳しかった東海岸縦断150kmの旅は終わった。そこからタクシーを拾って那覇のホテルへ。チェックインは10時40分ごろ。残り物を食べて直ぐに眠った。色んなことを経験した2日間のマラニックだが、何とか命は無事だった。

3年目の昨年は、知念半島を一周した。コースは具志頭三叉路から、前年のゴールである与那原三叉路までの32km。この周辺は「グスクロード」と呼ばれ、古い城が幾つも残っている。また、景色も素晴らしい場所だ。走りながら見つけたシークワーサーを、家の人に3つ頂きお土産にした。

沖縄の最大の聖地で世界遺産でもある「斉場御嶽」(せーふぁうたき)に寄った。昔と違って柵があり、有料になっていた。そそくさとお参りして国道に戻り、再び走り続けた。知念岬を廻って直ぐに日が暮れた。それでも怖くはなかった。高いヤシの木がとても懐かしかった。翌日はNAHAマラソン。フルの前日に32kmを走ったのは初めての体験だった。

マラニックがゆっくりだったため、フルも何とか走れた。17km地点の具志頭三叉路から中間地点の摩文仁公園までの4kmが沖縄本島一周でまだ走ってない部分だったが、これも難なくクリヤー。無事NAHAマラソン10回完走を果たした。これで自分では「沖縄本島単独一周」を達成したように思っていたのだが、何かが物足らないのだ。<続く>





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Last updated  2011.11.02 15:08:22
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