マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2012.01.22
XML
カテゴリ: 人生論
何日か前の新聞に、1人の女性の写真が載った。これはまさしくAちゃん。彼女の顔を最後に見たのは45年ほど前だが、あの頃の面影があるし、年齢もピッタリだった。「へえ、なぜ新聞に?」。急いで記事を読み、あまりのことに驚いた。

彼女と初めて出会ったのは50年前。場所は私が最初に勤務した職場だった。彼女は1学年上の先輩で、2列ほど離れた係に所属していた。色の白い大人しい人で、職場ではAちゃんと名前で呼ばれていた。ほっぺたの赤い少女のような彼女と話したことはなかったのだが、1年過ぎたころ彼女の方から話しかけられた。

昼休みは近くの公園まで散歩に行き、一緒に歌を歌った。誘われて1度ハイキングに行き、私が誘って1度映画を観に行った。4歳で母と離別した私は、母の温もりを知らずに育った。そのため、常に暖かい母の面影を求めていた。多分Aちゃんはそんな人だったと思う。彼女がどんな感情を抱いていたかは知らないが、晩稲(おくて)の私には好きとかいう気持ちはなく、手をつないだこともなかった。

そのうち私はノイローゼになった。当時担当していた精神神経科の医療事務が苦痛になったのだ。当時の精神神経科は一般病棟とは離れた別地区にあり、そこまでレセプトを取りに行くのでさえ恐ろしく感じた。穏やかな性格に「改善する」ため脳の一部を切除したり、電気ショックをかける荒っぽい治療。まるで牢獄のような鉄格子の奥からは、患者の悲鳴が聞こえて来る。

精神神経科を担当していた先輩2人が重篤な精神病になったこと。精神神経科の看護助手を務めていた人が、怖さのあまり私達の係に配置転換になったことも、私の精神をより不安定なものにした。私は思い切って新設されたばかりの職場への異動を申し出た。これまでとは全く違う職種で、一から勉強する必要があったが、自分に向いた天職だと感じたものだ。

転勤を機会に通信講座を受け、さらに夜間大学に学んだ。風の便りでAちゃんが心の病にかかって入院したことを知った。だが私にはどうすることも出来なかった。街でばったりAちゃんに出会ったのはそれから1年ほど後のこと。彼女は赤ん坊をおぶっていた。「結婚したんだ!」と思いつつ、お互いに言葉を交わすこともなく別れた。

ナタリー・ウッド主演の映画「草原の輝き」を観たのは、その頃のように記憶している。恋愛関係にあった若い男女が何かの理由で別れ、女性は精神のバランスを崩して入院する。退院後たまたま2人は再会するが、お互いに許し合って別れるというストーリーだったと思う。「草原の輝き」は、入院中に彼女が読んでいたワーズワースの詩のタイトルだった。

新聞記事によれば、Aちゃんは昨年の大震災による津波で自宅を流され、ご主人を亡くされたようだ。しばらく茫然自失の生活を送っていたが、これではいけないと思い直し、避難所で暮らしている被害者のために教会の仲間とボランティア活動を行っているようだ。信仰生活は40年以上と書かれている。きっとあの頃から、教会へ通い始めたのだと思う。新聞の中の柔和な笑顔に、あの古い映画を思い出した私だった。



  草原の輝き 花の栄光

  再びそれは還らずとも嘆くなかれ

  その奥に秘められたる力を見出すべし

               ワーズワース ≪草原の輝き≫ より





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012.01.22 18:56:10
コメント(10) | コメントを書く
[人生論] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR


© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: