マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2012.01.21
XML
カテゴリ: 読書
昨年の暮れに放送された司馬遼太郎原作「坂の上の雲」の最終回でのこと。主人公である秋山好古、真之兄弟が瀬戸内海に小舟を浮かべて魚釣りをする場面があった。2人揃って魚釣りをするのは子供の頃以来と言う真之に対して、好古は初めてだと言った。あの番組は全国各地で撮影されたものを繋ぎ合わせたもののようだが、あれは間違いなく松山近郊の海だと分かった。小舟の後に見えた岩が「ターナー島」だったからだ。

「ターナー島」は漱石の「坊ちゃん」に出て来る話で、坊ちゃんと山嵐が瀬戸内海に小舟を浮かべた際の「イギリスの画家ターナーの絵に出て来そうな島だ」との会話から愛称になった小島。私がそれを知っていたのは、あそこが松山勤務時代の練習コースだったからだ。松山市内の和気地区から南下し、松山観光港に向かう海岸の直ぐ傍にある小島で、確か頼りなげな松が1本だけ生えていた。

とても淋しい場所で、冬は冷たい風が吹き抜ける。だからランナーの姿をほとんど見かけなかった。観光港から引き返すと、標高986mの高縄山が、まるで薄い乳房のように見える25kmのコースだった。もう一つの練習コースは道後温泉の奥からミカン山を一周する25kmで、春はミカンの花の良い香りがし、遥か瀬戸内海を臨むことが出来た。

この正月に読み終えた「花神」にも、懐かしい風景が登場する。長州藩士が芦屋に上陸して京都に攻め上る際、西国街道の芥川宿を通過する場面だ。ここは現在の高槻市で、やはり大阪勤務時代の練習コースだったところ。上流には摂津峡という自然豊かな峡谷があり、下流は淀川に合流する。まさか宿場だとは気づかなかったが、確かに宿場町の面影がほんの少し残っていた。

春は川の両岸が桜並木となり、花見客が多い。そこから淀川に架かる橋まで往復するコースは水飲み場がほとんど無く、冬は北風に苦しめられる厳しい場所だった。あの堤防の単調な30kmが、私を鍛えてくれたと思う。もう一つのコースも淀川の支流に沿って走るもので、殺風景だったが春には土手の野草を摘んだ。

同じく「故郷忘じがたく候」は薩摩焼の沈寿官が主人公だが、作者の司馬が沈氏の自宅を訪ねて甲突川を遡る話が出る。その川の河口付近を走ったのは、鹿児島で会議が開かれた時だった。目の前には鹿児島湾が広がり、その向こう側には煙を吐く桜島の姿が臨めた。幕末の頃、この湾にイギリスの艦隊が侵入し、島津藩と砲火を交えた。

最新式のイギリスの艦砲はあっと言う間に島津の大砲を粉砕し、鹿児島城下を驚かせた。この敗北が薩摩を攘夷から開国に変えた歴史的な転換点となったのだが、当時はそんなことを知らずに、美しい風景を眺めながら海岸を走っていた。こうして見ると、小説の舞台を走るなどは時間を超越した不思議さで、まさに奇遇と言うしかない。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012.01.21 16:29:30
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR


© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: