マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2012.04.24
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カテゴリ: 読書
 ずいぶん前置きがながくなったが、この本には「琉球処分」前後の数年のことしか書かれていない。それも日本や中国との長い関係、そして緊迫した当時の国際関係などはほとんど抜け落ちている。もっぱら書かれているのは、日本へ帰属するに際して琉球の人達、なかでも政治の中心にあった高官や士族の行動だ。また明治政府から派遣された処分官などの行動も詳しく描かれている。

 出来れば日本への帰属を抑えたい琉球側に対し、明治政府の進め方は実務に徹している。当時の琉球では、このことを巡って意見が2つに割れた。一方は長年お世話になった中国との信義を、あくまでも守ろうとする立場。これを頑固党と呼ぶ。彼らはいずれ清国が軍艦に乗って琉球の苦難を救いに来ると信じていたし、実際に中国大陸に渡ってそれを訴えた人達もいた。だが当然のことではあるが、国難の最中にある清国にはそんな余裕がなかった。

 一方、近代化路線を進める日本に好感を抱き、その体制下に入ることを受け入れる人達もいた。それが開化党だ。どちらの党派も琉球を愛する心は変わらないのだが、中国につくか日本につくかの相違。両派の妥協案は、返事を出来る限り延ばすこと。この「牛歩戦術」に、政府から派遣された使者が次第に苛立って行く。

 廃藩置県が断行された際、琉球王国は「琉球藩」となり、琉球王は「藩王」に任じられた。だが何年経っても交渉が進まなかったことから、ついに明治政府は松田道之を処分官として派遣し、「琉球藩」を沖縄県とし、藩王を華族に列して上京させる。こうして琉球王国は完全に滅び、人々は魂の抜け殻のようになる。

 この小説は松田処分官が記した厖大なメモに基づいて書かれている。その貴重な資料が、かつての私の勤務先に所蔵されていたことを、今回初めて知った。そして琉球側の資料は存在しないみたいだ。この差が「琉球処分」だったのではないか。日本と琉球の行動の差は国力の差だけでなく、それまでに乗り越えて来た苦難の相違なのではないか。

 新生沖縄県の租税が内地並みになるには、琉球処分からさらに年月を要する。旧支配階級の不満を抑えるための措置だったのだが、小説にはそのことも書かれていない。ただ、琉球人の「心の揺れ」だけは実に良く分かった。

 少し前にNHKで「テンペスト」が放送(近々地デジで再放送?)された。幕末期の琉球王国で一人の宦官(実は女性)が大活躍し、国難を救う話だが、実際の沖縄の歴史は島津藩の侵入、日本への帰属、第二次世界大戦下における国内で唯一の地上戦、そしてその後の米軍による統治、民政府誕生、日本への復帰と厳しい道のりを辿った。米軍基地がひしめく現状を嘆き、日本からの「独立」を願う人々も未だに存在する。

 北アメリカではかつて原住民のインディアンが白人に追われて土地を奪われ、ハワイ王国がアメリカ合衆国の一州となった。「だから沖縄も我慢すべき」とは言わない。どんな国の歴史にも、語り難い暗部がある。大切なのは本音で話し合うことが出来るかどうか。そしてその前に歴史の真実を知り、今後に役立てる努力を惜しまないことだ。

 かつての東北は沖縄と同じ立場に在った。古代には蝦夷の住処として討伐され、中世には平和のシンボルであった平泉が源氏に滅ぼされ、近世・近代では維新戦争で敗れて開発が遅れた。だが新参の沖縄を唯一厚く保護しようとしたのは、東北出身の上杉県令(旧米沢藩)だった。彼には沖縄の苦しみが他人事ではないと思えたのだろう。

 偶然の赴任先である沖縄とこれほど長く付き合うとは考えてもいなかったのだが、良きにつけ悪しきにつけ「腐れ縁」となるはず。そして私なりの「沖縄研究」は、死ぬまで続くと思う。そのためにも、この本に出遭えて良かった。





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Last updated  2012.04.24 16:51:10
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