マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2012.04.23
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カテゴリ: 読書
 2月の入院時に読んだのが吉村昭著「関東大震災」。それを読み終えると「破船」、「海の祭礼」、「ニコライ遭難」と続いた。「破船」は完全な創作だが、他の作品は歴史小説。ここまでが吉村昭の著作。この後「絵で解る琉球王国~歴史と人物~」に続き、今回の入院時に蓮池薫著「半島へ、ふたたび」を読了した。そして10日かかって大城立裕著「小説琉球処分」上下巻を読んだ。



 昨年11月、偶然那覇市内の書店で手にしたのが下巻。仙台に帰ってから上巻を買い求め、今回ようやく念願達成。沖縄赴任の24年後になってしまったが、案外これで良かったと思う。もし在任中に読んでも、多分本当の意味での理解は出来なかったと思う。私が明治維新前後の近代史に興味を持ってから1年4カ月。その間に読んだ歴史小説が今回かなり理解を助けたと思う。

 「琉球処分」とはかつての琉球王国を分解し、近代国家日本の枠組みに入れる政治的作業のこと。日本にとっては当然の措置が、450年もの間夢を見続けていた「琉球王国」の人々には驚き以外の何物でもなかったと思う。17世紀初頭に島津藩の侵入に遭うまで琉球王国は、中国の冊封体制下にあった。つまり名目上の臣下だ。ところが島津藩の支配下になった以降は、中国と島津藩への二重帰属を余儀なくされる。こうして沖縄の長い悲劇が始まった。

 幕末期には、欧米の列強がまるで飢えた狼のように東アジアに押し寄せる。最初の餌食になったのがお隣の清国。アヘン戦争を仕掛けられて、英帝国に屈した。日本へもイギリス、フランス、ロシア、アメリカなどの軍艦がやって来る。日本は辛うじて独立を保ったものの、長い鎖国体制を解き開国するに至った。

 列強に追い着くため明治新政府が採ったのが富国強兵策。そして台湾に漂流した琉球人が現地の蛮人に殺された事件を理由に、清国と交渉して琉球を日本の統治下に置く。この間には琉球王国を清と二分する案や、沖縄本島だけを琉球王国として残し、本島以北を日本、以南を清領として分割する案もあった。

 前後するが、幕末のころの外国船にとって、琉球は燃料と水を補給する好都合な位置にあった。まかり間違えれば属領になる可能性もあったと思う。日本が生き残り、琉球が滅んだ理由は何だろう。私は教育体制と危機意識の違いだと思っている。日本では武士以外の子弟も寺小屋で学べたし、優秀な者は西洋の技術を学ぶことも出来た。

 意外なようだが、鎖国体制化下でも長崎や平戸を通じて西洋の知識、技術が伝わり、中国の情報も入手出来た日本。先進的な各藩ではそれらの知識や技術を積極的に導入し、蒸気機関を作った藩もあったほど。また長州や薩摩は外国船を砲撃して敗れ、先進諸国の強さを身を以て体験し開国へと向かった。だがその前には藩が勤皇派と佐幕派に分かれて殺し合いしたり、官軍と幕府軍が戦って多くの血が流されている。

 明治になってからも旧士族の不満が戦乱を呼び、日本人同士の戦いが続いた。ところが琉球処分に際してはほとんど死者が出ず、琉球人同士の殺し合いもなかった。琉球では300年以上も前に武器を廃棄しており、字を読めない士族も多かった。そして平和なこの島は国際情勢に疎く、外国軍に攻められても独自の外交術で何とかなるとの、根拠のない楽観論が横行していた。<続く>





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Last updated  2012.04.23 19:08:36
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