マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2012.10.20
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カテゴリ: ランニング全般
 プロローグ 

 地球2周走破達成の興奮がようやく治まった。既に一昨日から3周目に突入しているのだが、この3周目達成はかなり困難だろう。これからは老化との戦いの本番。筋力の衰え、気力の衰え、病気や怪我とも戦うことになると思うからだ。それもまた良し。これまでランニングは生活と共にあった。31年間の転勤暮らしの中で、どれだけ走ることによって慰められたか。

 そのランニングを生涯続けるためには、健康が第一。これからも健康に注意し、出来るだけ前進したいと思っている。気がかりだった「トランスヨーロッパ」だが、昨日の第62ステージで、とうとうSパパと旅がらすさんが脱落した模様。Sパパは相当風邪が酷いようだ。旅がらすさんは足の痛みによる時間切れか。ともあれゴールまで後2日。ステージランナーでも良いから走り通して欲しいものだ。


 走り始めたきっかけ 

 私が走り始めたのは筑波勤務時代の5年目。35歳の1月1日だった。前年の地区運動会では、子供達の前で無様な姿を曝した。自分では速いと思って出場した種目なのに、足がもつれて走れなかったのだ。それは骨折した影響で、まだ良く回復してなかったのが原因。「これは名誉挽回が必要」。そう思って元旦からランニングの練習を開始したのだ。

 4月には人事異動があるが、職場にはランニングの好きな上司がいて走らされるのは確実。その「準備」のためにも鍛えておく必要があった。走り出したのは近所の道路。最初は3kmくらいでも脚がもつれた。それを5km、7kmと増やし、18kmくらいまで走れるようになった。そして職場の駅伝大会でも活躍するようになったのだ。

 当時はタバコを吸っていた。それにその頃は「接待」もあり、週に2回は宴席に出たと思う。タバコを吸い、酒を飲んでも若さのためか走るのは結構速く、駅伝大会では1kmを3分34秒ほどで走れたと思う。ただし5kmが限界。走り終えると激しい息遣いで肺の中から「血の匂い」がしたものだ。尿から蛋白が出た後輩もいた。急に激しい運動をしたために、腎臓障害を起こしたようだ。


 わがランニング史 

 35歳から走り始め、今年の正月でまる33年が過ぎた。今は34年目だ。あの後、茨城県の筑波から徳島県の鳴門へ転勤し、以後沖縄、愛媛県の松山、大阪、山形、石川県、茨城県の水戸と転勤を繰り返した。全部で31年間の転勤暮らしはとても長かったが、転勤先でスポーツを楽しみ、大半は走ることも出来た。各地のレースにも出たが、出張先にもランニングシューズを持参して走った。

 観光地でも走った。だから地球2周走破は、そんな距離と34年分の積み重ねなのだ。寛平ちゃんはヨットと自分の脚で文字通り地球を一周したが、私のような市民ランナーはとてもそんなことは無理。走ったのはほとんどが国内の道路だし、外国は出張で行ったオーストラリアのキャンベラ、メルボルン、シドニーの路上だけ。それも今となっては良い思い出だ。


 記録 

 全都道府県を探訪し終えたのが平成8年。大阪勤務時代のことで、最後に残ったのが和歌山県だった。その記念に「和歌山城ー高野山往復ウルトラ」というレースに出た。距離は110km。文字通り和歌山城を出発して高野山の南門まで登り、そこから引き返すという厳しいコース。途中で膝を傷め、最後は寒さに震えながら夜道を歩いた。15時間もかかり、疲労困憊した思い出のレースだ。

 地球一周走破を達成したのが走り始めて24年目の8月。水戸勤務の時で58歳だった。当時は地球1周を4万キロとばかり思っていた。単身赴任だったため、1人淋しく祝杯を上げたものだ。それが地球1周は4万8kmが正しいと知り、今回2周目達成で念のため「赤道の長さ」を調べたら4万75kmだった。多分同じ地球の周囲でも、自転してるせいで横の赤道の方が「縦」に測るよりも長いのだと思う。

 全都道府県を走り終えたのが平成16年で61歳の秋。この時は前職を辞めて仙台の自宅に帰り、第2の職場で肉体労働をしていた。最後に残った未走県は奈良県。特に走りたいレースもなかったため、仙台から夜行バスで京都へ行き、そこから奈良へ移動して奈良市の周辺をグルリと走った。東大寺の西から奈良坂~柳生~光仁天皇陵~太安万侶の墓などを経由して、近鉄奈良駅前がゴール。先日気になって「ジョギングシュミレーター」で計測し直したら47kmだった。

 こんな風に、私が全都道府県を走ったと言っても、全てレースに出たわけではない。観光で走ったのもあれば、出張で走ったのも含めている。それもまた素晴らしい思い出だ。だが滋賀県だけは納得が行かない。走った9kmは三重県の伊賀上野市がスタート、ゴールのマラソンで、たまたまコースの途中で滋賀県の山中に入るだけ。12月に滋賀に行く時に、延暦寺まで走って登ろうと思っている。


 出場したレース 

 走り始めてからの10年間に出たレースはわずか3度。「筑波学園マラソン」の30kmのみ。これは「つくばマラソン」の前身で、今とはコースが丸きり違う。レース参加が少なかったのは勤務が多忙だったのと、赴任先にちょうど良いレースが無かったため。私が正式記録として残しているのは、フルマラソン以上のレースだけだが、「全都道府県走破」の資料にそれ以下の記録の断片が残っていた。

 それらによれば、☆10kmレースが2回。☆20kmから23kmまでのレースが33回。☆30kmから36kmまでのレースが6回。☆フルマラソンと43kmまでのレースが50回。それ以上のウルトラレースが44回となっている。ウルトラは80km以下のレースが21回。100kmが19回。110kmが1回。200km以上が3回。参加レースの合計は135回。これだと年平均で4回以下。最初の10年でたった3回が影響しているが、これもまた我がランニング人生のうちだ。<続く>





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Last updated  2012.10.20 10:42:48
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