マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2013.02.22
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カテゴリ: 歴史全般
 2週間ほど前のこと、たまたまNHKのドキュメンタリー番組「新日本紀行」を観た。今は「新」がついているが、昔からだったのだろうか。あの頃のテーマ音楽は今でも良く覚えているし、その次のテーマ音楽の不思議な響きも、まだ耳の奥に残っている。現在のも哀愁を帯びた素敵な曲だと思う。さて、その時観たのは「いざなぎ流」と言う不思議な宗教だった。

 高知県の物部村は徳島県と県境を接する山村で、今は合併して香美市物部地区となっている。吉野川の最上流部にある徳島県の祖谷(いや)地区は平家の落ち武者が逃げ込んだとされる深い谷がある。谷は切り立って通行が出来ず、かつては谷の両側で、手を使って交信したそうだ。橋はツタで編んだ葛橋(かずらばし)。敵が攻め込んで来た時は、その葛を切って山に逃げた。

 香美市物部地区も祖谷と同様に平家の落人伝説が残っている。そこに伝わる「いざなぎ流」は、神道、仏教、陰陽道、修験道などが混じり合った宗教で、民俗学者によれば日本の宗教の原点とも言われている。そしてそれを司るのが「太夫」と呼ばれる人。現在物部地区には3人しか残っていないそうだ。普段、彼らは普通の暮らしをし、神事がある時だけ太夫になる。

 太夫が覚えるべき祭文は最低でも「いざなぎ神」、「山の神」、「大土公」、「地神」、「荒神」、「恵比寿」、「水神」の7つ。これに呪詛の祭文や天神の祭文が加わる。祭文とは一種の神話で、祝詞(のりと)のようなもの。そして祀るべき神は無数。自然現象の全てが神であると言えようか。私達日本人の祖先が暮らした遠い昔を彷彿とさせる原始的な宗教だ。

 神前に捧げる御幣は全て紙を切って作る。その種類は200以上に上る。まあ、それだけの数の神様がいる訳だ。紙を作れなかったアイヌは、木を削って御幣を作った。それが「イナウ」だが、感じがとても似ていると私は思う。自然崇拝もそうだが、アイヌと日本人に共通する祈りの心があったのだろう。沖縄の原始神道も巨木や巨岩が信仰の対象で、これも原始の宗教の姿を良く止めている。

 物部地区の人口は約3300人。「いざなぎ流」を信じている人の多くは老人なので、そのうちには絶えてしまうかも知れない。自然を神とし、神と共に暮らす生活はある意味で幸せだと思う。全てを神に委ねているからだ。そして土から生まれ、土へと還って行く。

 謎は残る。古代豪族物部氏との関係はないのだろうか。平家の落人がこの「いざなぎ流」をもたらしたのだろうかと。他の集落との交流を断ったからこそ残った原始的な宗教の姿。もし信じる人が途絶えても、拙い字で書き留められた「祭文」だけは残りそうだ。国内には貴重な郷土芸能がまだかなり残っている。それらを大切に守り、後世へ遺して行きたいものだ。





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Last updated  2013.02.22 06:12:44
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