マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2013.08.15
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カテゴリ: ランニング全般
 何日か前、俳優の長門勇の訃報を聞いた。亨年81歳。死因は老衰だった。確か「三匹の侍」とか言う映画に出ていた記憶がある。「おいりゃ~せんのう」と言う岡山弁が口癖で、飄々としたイメージがあった。日本人男性の平均寿命は79歳代なので長生きの部類だろうが、それにしても81歳で老衰死であることに戸惑った。私は現在69歳。81歳までには、干支を一廻りするだけなのだ。

 何年か前、ある人から「100歳までウルトラマラソンを走ってください」と言われたことがある。多分「いつまでもお元気で」の意味だったのだろうが、通常ではあり得ないことを言われて、私は少しも嬉しくなかった。100歳まで生きるのが先ず困難。もし生きていたとしても100m走るだけでも奇跡だと思う。

 先日1人のランナーが「生前葬」をした記事が、あるHPに載っていた。大勢の走友を招いて飲み、大いに別れを惜しんだようだ。ご丁寧に自分で「戒名」まで用意してあった。確か「女性の後について楽しく走る」と言う意味が込められていたようだ。

 自分がまだ元気なうちに、仲間にお別れの挨拶をしておきたいと言う心境は私にも理解出来た。ちょうど体調が悪く、ランニングはもう無理と感じていた時だ。そして自分も「薬莱山とお足マラニック」の懇親会会場で、引退を告げようと思っていたのだ。

 あの頃は自分が走る古い写真を探していた。それをブログに掲載して、「引退宣言」をする積りでいたのだ。だがマラニック当日、炎天下を必死で走る仲間の姿を見て考えが変わった。もう少し老化に抵抗して見るかと。

 あの時引っ張り出した十数枚の写真が、手元にある。一旦「引退宣言」は置くとしても、34年のランニング人生を振り返るのも悪くはない。それに自分の衰えを自覚することは、老ランナーにとって必要だと思う。前置きが長くなったが、今日は古い写真を見ながら、私の思い出話に付き合ってもらおうと思う。



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 これが私が走っている一番古い写真。1980年(昭和55年)の9月。村民運動会の時の姿だ。今は近代的なつくば市だが、当時は純農村の桜村。近所の小学校の校庭からスタートした距離3kmのミニマラソンだと思う。階段を踏み外して左足を骨折し、そのリハビリとしてこの年の元旦から私のランニング史が始まった。年齢は36歳。パンツは卓球用で、シューズはゴム底のズックだ。



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 これは同じ年の10月。職場の駅伝大会で優勝した時のもの。当時は煙草も吸っていたが、キロ3分40秒で走れた。初レースは同じ月の「筑波学園マラソン」。現在の「つくばマラソン」の前身だが、当時は30kmのロードレースだった。この日に備え、年に1度20kmを走る練習をした。他は長くても16km止まり。長い距離の練習がまだ苦手の時代だった。




1990-3琉球.jpg


 これは1990年3月で46歳。沖縄の職場の駅伝大会で優勝した時のもの。筑波から転勤した鳴門(徳島県)では、ランニングよりも野球に興じていた。全く走らない期間が結構長く、野球ではしょっちゅう「肉離れ」を起こした。治り切る前に試合に出て再び傷める繰り返しで、5年間で30回以上負傷。癖になったのだ。沖縄へは45歳で転勤し、ランニングを再開した。職場に走友会があったのだ。



1991-9本島.jpg


 1991年9月。47歳。職場の走友会が行った「沖縄本島縦断駅伝」の時の写真だ。場所は国頭村宜名真(くにがみそん・ぎなま)付近。ゴールの手前9km地点で、辺戸岬への坂道を登る途中だ。職場の走友会に入ったお陰でずいぶん練習量が増え、島内のレースに出ることが出来た。走る仲間がいることの楽しさを満喫した時代だ。




1991-12那覇.jpg


 1991年12月。NAHAマラソンの時で47歳。沖縄へ赴任した年のNAHAマラソン(第5回)がフルマラソンの初レース。まだ走り方を知らず、高温下で長距離を走った結果体内の塩分を失い、レースの途中痙攣で倒れた。5時間22分29秒のワースト記録だった。これはその2年後でフル3回目の第7回大会。表情にも余裕があり、記録は4時間39分46秒。




1992-6小豆島.jpg


 これは1992年(平成4年)6月の「小豆島オリーブマラソン」(香川:ハーフ)で48歳。同年4月に沖縄から愛媛に転勤し、職場の部下と香川に遠征した時のもの。30km以下の距離が短いレースの記録は残してないためタイムは不明だが、レース参加が増えるにつれ記録は伸びた。



1993-9おら.jpg


 1993年9月の「第3回おらが村心臓破りフルマラソン」(高知県馬路村)で、タイムは3時間56分25秒。49歳の時だ。このレースは高低差が厳しく、上流のダム湖から麓まで一気に下り、集落内で再び坂を登る過酷なコース。エイドで出されたユズジュース「ごっくん馬路村」の濃厚な味が忘れられない。翌年は初100km「四万十ウルトラ」の練習のため1人で参加。360kmの山道を原付で往復したのも良い思い出だ。<続く>








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Last updated  2013.08.15 07:56:09
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