マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2015.02.19
XML
カテゴリ: 歴史全般

沼3.jpg

 日本人は本当に残虐なんだろうか。男は口を開いた。どうやら外は吹雪のようだ。例えばアメリカインディアンについて考えてみよう。男の目が闇に光った。コロンブスが新大陸を発見してから、現在のアメリカ合衆国にはヨーロッパの人達が大勢押し掛けた。スペイン人はもとより、フランス人、イギリス人などもね。そして清教徒達が自分達の国を作るために母国イギリスと戦い、フランスから土地を買い、やがて西部に進出して行く。

34.jpg

 やがて太平洋側で金が発見され、人々は争って西部に移住した。つまりゴールドラッシュだね。当然原住民のアメリカインディアンは抵抗するさ。わしが知ってる部族はスー族、アパッチ族、モヒカン族、ナバホ族くらいかな。映画の西部劇では白人達が主人公で、インディアン達はほとんどが悪役さ。彼らを抑えるため1830年にはインディアン強制移住法が制定され、それを拒否する部族は皆殺しにしても良いことになった。全く酷い話さ。

沼7.jpg

 アメリカインディアンは元々1千万人いたと言われている。だが、そのうちの95%が死んだ。白人との戦いで命を落とした人が多いのだが、白人のもたらした病気で死んだ者も多かったようだ。彼らは新しい病気に対する免疫が全くないからねえ。それに南部で綿花を栽培するようになると、アフリカからは大量の黒人が奴隷として連行されたことは君達も良く知っているだろ。黒人に対する処遇も実に哀れなものだった。

33.jpg

 一方、日本はどうだろう。日本列島の原住民は縄文人だ。そこへ大陸から弥生人が稲を携えてやって来た。彼らは縄文人と棲み分けが出来たため、大きな争いにはならなかったと思う。縄文人は主に山や原や海岸で食べ物を採集し、弥生人は湿地帯で稲作を行ったからね。やがて縄文人達も稲作の重宝さに気づき、両者は次第に混血するようになる。これがわしら日本人の先祖なんじゃよ。

山3.jpg

 さて、北海道の原住民がアイヌだと言うことは君達も知っているじゃろう。わしが知ってるアイヌ族は3つ。千島アイヌ、樺太アイヌ、そして北海道アイヌ。これらのアイヌ族は親戚のような関係だったようじゃね。そこへ日本人が進出したのは南北朝時代ごろかのう。戦いに敗れた武士達が当時蝦夷が島と呼ばれた北海道に逃げ込み、小さな砦を作ったのが始めだったのさ。そしてアイヌたちと通商を始めるんだ。

沼12.jpg

 当然和人とアイヌの間にも戦いは起きた。コシャマインの戦い(康正3年=1457年)やシャクシャインの戦い(寛文9年=1669年)などのね。でも死んだのは双方合わせて数十名から数百名程度のもんじゃろう。やがて砦は松前藩の元になり、明治期に入ると本格的な北海道の開拓が始まる。もちろんここではインディアンを皆殺しにしたようなことはしない。土地を交換しながら開拓地を広げていったんじゃ。ただしアイヌには土地の概念や数の概念は乏しかったから、和人に騙されたことも多かっただろうがね。

沼1.jpg

 もう一つ比べてみたいものがハワイ王国のこと。カメハメハ一世が建国したハワイ王国は、ほぼ100年で滅亡した。最後はより親米的な王権樹立のため1893年にクーデターが起こり、共和制となった。そして1898年にはハワイ準州となるんじゃよ。ハワイがアメリカの一部となってから、まだそれほど日が経ってない。もっともアメリカ自体の歴史だって、300年ちょっとくらいだからのう。

鳥2-1.jpg

 一方の琉球王国と日本との関係はどうじゃろう。こちらはハワイ王国と違って異民族ではなかったが、地理的に遠かったため日本とは別の国として成立した。そして中国へ使者を送り、形式的に臣下となることで貿易を進めて繁栄したのが島津藩の目に留ったんじゃ。島津は江戸幕府に願い出て琉球を討つことになった。東北へ漂着した琉球船を救出したにも関わらず、王国が礼を言って来なかったのもその口実になったようだね。

沼13.jpg

 琉球に侵攻した島津はわずか3日間で王国を征服した。この王国は100年ほど前に武器を全て倉庫に入れ、すっかり錆びて使えなくなっていた。慶長14年、1609年のことさ。それ以来琉球王国は中国と日本の両方に従属する形を取る。ただし、そのことを中国は知らなかった。なぜなら大陸から柵封使が来ると、島津の役人達は皆田舎に隠れて姿を現さなかったからねえ。

鳥2-1.jpg

 明治5年、政府は琉球王国を琉球藩とし、明治8年には琉球と清との国交を禁じた。これには琉球の士族は戸惑ったようだ。さらに明治12年には漂流した琉球人が台湾の蛮族に殺されたことを理由に清国から賠償を取り、同時に琉球藩を沖縄県にしたんじゃよ。これがいわゆる「琉球処分」なんじゃ。島津の侵攻と言い、琉球処分と言い、ほとんど血は流されていない。明治維新ではたくさんの血が流されているにも関わらずだ。

沼4.jpg

 大城立裕著「小説琉球処分」には、その時の情景が詳しく書かれている。琉球人は嘆き悲しみ、中には清国に助けを求めて脱出した士族もいた。だが当然清国は琉球を助けるような状況にはなかった。自らがヨーロッパの列強に蚕食され、どうにも出来ない立場にあったからじゃ。仲間由紀恵が主役だったテレビドラマ「テンペスト」などは嘘。当時の沖縄にはあんなヒーローはいなかった。

鳥1.jpg

 ペリー提督が浦賀水道に現れる以前、黒船は琉球にも立ち寄っている。水や燃料を補給するためじゃ。もちろん琉球王国は開国に同意はしなかったが、ペリー一行は上陸出来た。一行に加わっていた絵師が描いた琉球人の士族はいずれも暇そうに煙草を吸っている。何もすることがなかったからじゃ。そして「琉球処分」の時でさえ、彼らはほとんど役に立たなかった。開国か攘夷かを巡って真剣に論議され、日本人同士が戦っていたちょうどその時にだ。

木37.jpg

 初代の沖縄県令(現在の県知事)は横暴で、内地人に優先して土地を安く譲り、権利も与えた。それらの現実を見た県の技官謝花昇は苦悩のあまり狂死する。彼は東京農林学校を出た秀才だが、同胞である沖縄県人のあまりもの無気力に失望したのじゃ。沖縄の税制が本土並みになったのは明治後年になってから。これも琉球の旧士族をなだめるための策で、それで沖縄の振興が遅れた面もあるんじゃよ。<続く> 






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2015.02.19 09:37:56
コメント(10) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR


© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: