マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2015.07.18
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 5月下旬のある日。私は街中の田圃でカルガモの親子を発見した。その翌日、田圃の隣にあるこの博物館を訪れた。


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 カルガモ親子を観た日に、こんなポスターが博物館に貼られていたからだ。私が住む近辺の古墳がテーマ。これは是非観なければならないだろう。


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 これは大野田古墳群の第10号墳から出土した土器。左側が円筒埴輪で、右側が朝顔形埴輪。大野田古墳群は、地下鉄富沢駅の東側にあり、土地区画事業に伴う発掘調査で44基の古墳の存在が確かめられている。古代東北の一大先進地だった訳で、付近には奈良時代の郡山遺跡がある。これは陸奥国府多賀城の前身と考えられる官庁だ。その官庁の付近にこれだけの古墳が存在したのだから、この地が早くから大和政権と深い繋がりがあったことが分かる。

 今回の企画展では、古墳群の中から数か所だけ出土品などが紹介された。そして発掘後それらの貴重な古墳群は、残念ながら破壊されてしまった。理由は土地の再開発に伴う発掘調査だったからである。広大な土地を20年以上に亘って調査していたが、これ以上再開発を遅らせる訳には行かなかったのだろう。実に悲しいことだ。古墳時代の話など興味がない人が大部分だろうが、我慢して写真だけでも観てほしい。


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 これは古墳群の中の一つである春日社古墳(円墳)の発掘風景。名前の由来は、この場所に春日神社があったことによる。きっとここには大切なものが眠っているとの言い伝えがあったのだろう。


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 ここから驚くべき物が出土した。左側は土の上に残された盾の痕跡。右側はそれを元に再現した「隼人の革盾」(はやとのかわたて)。東北での出土は初めてで、全国的にも珍しいもの。恐らくは大和朝廷と深い関わりがあった豪族の墓だったのだろう。


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 左側は馬形埴輪で、右側は家形埴輪。このような物が古代東北の古墳でも出るとは驚きだ。やはりこの地が早くから開けた所だったことの証拠だろう。


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 少々見にくいがこれは副葬品の鉾。やはり権力の象徴で、墓の主がこの周辺を治めていた豪族であったことが分かる。


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 鳥居塚古墳(前方後円墳)の発掘状況。名前の由来は春日神社の鳥居があったことによるようだ。


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 王ノ壇古墳(方墳)の発掘風景。これが大野田古墳群で唯一残った古墳。以前にブログで紹介したことがある。この「王ノ壇」が現在の地名である「大野田」に変化したとの説がある。その大切な古墳も、今では単なる「土の山」となってしまった。古墳の面影を全く感じないただの公園なのだ。


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 左側は木棺墓の跡。墳丘部はなく、単に土を掘っただけのもの。右はここから出土した須恵器。


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 上の木棺墓の脇にあった袋状の副葬品。左側は埋納状態で、右側はその内容物だが見事なものだ。


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 ここからは西多賀地区の古墳。ここは原遺跡で方墳が2基、円墳11基があった。付近には三神峯古墳(私が時々走っている公園内にある)などの古墳が数多くある。いや、「あった」と言った方が適切だろう。今はその大部分が開発のために破壊されているのだから。現在古墳の跡地には、紳士服の量販店が建っている。


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 原遺跡からの出土品。左から人物埴輪、円筒埴輪、朝顔形埴輪である。


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 これは裏町古墳(前方後円墳)の発掘状況で、右は「乳文製銅鏡」の出土状況。私は20代の一時期、この周辺に下宿していたことがあり、古墳の名は聞いたことがあった。今は住宅地になり、古墳は残っていないはず。身近な場所にある古墳が、こうして次々に姿を消してしまうのが残念でならない。


展示8-2須恵器.jpg展示8-3樽形.jpg展示8-4台付き.jpg

 裏町古墳から出土した須恵器(左)、樽形はそう(液体を入れる容器:中央)、台付き土器(右)


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 土手内横穴墓の玄室内の様子。ここから愛宕神社にかけては数多くの横穴墓があった。ここ土手内は郡山遺跡から最も近く、当時の官庁であった国府に勤務した役人の墓との説もある。

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 写真は同横穴墓から出土したはそう(左)、長頚形土器(中央)、土師器の碗(右)

 自宅からあまり離れていない場所にあったこれらの古墳は、「王ノ壇」以外は全て地上から消えてしまった。私達の遠い祖先を知る手掛かりとなるものだけに、破壊されたことが残念でならない。発掘時の調査書と、遺物が残されていることがせめてもの慰めだろうか。今となっては貴重な郷土史の史料であるこれらの遺物を観ることが出来て、幸いだったと言えるのかも知れない。

 小さな写真をたくさん詰め込んで、きっと見難かったと思う。また最後までお付き合いいただいたことに感謝したい。





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Last updated  2015.07.18 05:07:31
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