マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2015.09.05
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カテゴリ: 旅、温泉
松島湾3.jpg

 今日は最後に上陸した寒風沢島(さぶさわじま)の話です。塩釜市の4つの有人島の一つで、丸で囲んだ島が寒風沢島です。


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  大きさは4つの島の中で最大の1.45平方km。人口は230人です。


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 これが野々島から寒風沢島へ向かう渡し船。料金は無料で、4往復して全員が島へ渡りました。


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 2つの島の間の「寒風沢水道」です。海上に何かの施設が見えます。


寒0潮流発電.jpg

      これは水道の潮の満ち干を利用した、潮流発電所なのです。


寒5発電.jpg

 結構大がかりな施設でしたが、この実験装置で発電出来るのは、島の漁協の冷蔵庫1年分の電気を賄うくらいだとかニュースで聞きました。


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 文部科学省の補助金をもらって実験をしているのは、東京大学生産技術研究所。戦時中は確か「第二工学部」として兵器の開発に当たっていたと聞きました。戦後は工業技術の革新を目指す研究所として生まれ変わったようです。


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 港のすぐ傍で行われていた「東日本大震災」による津波被害の復興工事現場です。島内では、他でも復興工事を行っていました。


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 島の展望台にあった「方位石」です。風雨で石に刻まれた文字が消えていました。


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 この苔むした石仏も島の展望台に立っていました。きっと漁船の安全を祈っていたのでしょうね。


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 これは展望台の「縛り地蔵」です。大事なお地蔵さんがここから逃げ出さないように縛り付けたのでしょうか。それとも約束を果たさなかったために、島民に縛られたのでしょうか。ともあれ、こんなお地蔵さんを見たのは初めてでした。

<補記>昔この寒風沢島は船運の中継地として賑わい、島には遊郭があったそうです。海が穏やかであれば船乗りが帰ってしまうため、遊女達は天候が悪くなることを願ってこの石仏を荒縄で縛ったとのこと。願いが叶った時は、縄を解いたのでしょうか。引率者のF田さんなそのような話をしてたのを、思い出しました。なお、願いの内容は異なりますが、仙台市青葉区米ケ袋の広瀬川河畔にも「縛り地蔵」があるようです。


寒10.jpg


寒11.jpg

 「方位石」や「縛り地蔵」が立つ展望台からは、松島湾に浮かぶ島々が眼下に見えました。


寒12タケノコ.jpg寒14ポスト.jpg

 寒風沢島を訪れたのは6月20日のこと。島の山道には筍が生えていました。右は廃校になった小学校の前に立っていたポスト。これも今では使われてないようで、淋しく立っていました。


寒13海岸.jpg

 島の東部には、広い田圃が広がっていました。でもあの大震災で海水が浸入して泥田となり、かなりの部分を埋め立てていました。津波の被害で島民が減り、耕作が不可能になったのでしょうか。浜辺の沖の防波堤も、新たに造り直されたようですね。


寒15六地蔵.jpg

 島の高台の共同墓地にあった「六地蔵」です。この島で亡くなった人を昔から守って来たのでしょうね。


松4.jpg

 私達60名の仲間達はこの島を後にし、再び連絡船に乗って塩釜観光港へと帰って来たのです。この日3つの島で歩いた距離は12km。梅雨のさ中でしたが、雨に降られなかったのが幸いでしたね。<明後日に続く>





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Last updated  2015.09.05 10:00:32
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