マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2016.09.25
XML
カテゴリ: 文化論
<イタコとユタ>



 平成元年4月。私は沖縄に赴任した。東北生まれの私にとって、見るものが全て珍しい物ばかり。だが最も強く感じたのが、沖縄には既に「内地」が失った日本の古い姿が今も色濃く残っていると言う実感だった。特に言葉や宗教に関してだ。




 写真はノロ。漢字で書くと祝女。内地だと巫女(みこ)に相当するが、沖縄では普通の小母さんやお婆さんがその職を担っている。かつて集落の人々は、神に仕える彼女らの神託に従って行動した。今でも離島や地方ではその傾向が色濃く残っている。


      かつてのノロの姿  

 言うならば、卑弥呼が今の時代にもまだ生きていて、暮らしの指針になっていると思えば良い。琉球王朝時代はこのノロの頂点に立つ聞得王君(きこえおおぎみ)が神事を、そして王が政治を担当し、それぞれ密接な関係にあった。まさに卑弥呼と男弟との関係にそっくりで、祀りと政治は共に「まつりごと」だったのだ。ノロは祝詞(のりと)、呪うの「のり」や「のろ」と同じ語源を持つ古語だと分かった。


  崇元寺跡地

 ノロもそうだが沖縄には「原始神道」が残されている。祈りの対象は大きな岩や大木、泉、海、山や洞(ほこら)など。つまり大自然そのものだ。ある時浦添城の裏山から海に向かって祈る老婆の姿を観て、私はそのあまりの厳粛さに言葉を失った。沖縄では海の彼方に理想の国「ニライカナイ」が存在すると信じられている。つまり極楽浄土だ。


 今帰仁城  

 沖縄の高地には必ずと言って良いほど「御嶽」(うたき)がある。これは山上に神が降臨したと言う北方系民族共通の観念だ。内地の山岳宗教と同じ思想なのだが、沖縄ではこの他城(ぐすく)、拝所(うがんじゅ)なども聖地として崇められ、大きな城の領域には必ず御嶽があった。つまり城もまた祭政一致の場所だったのだ。私は風葬墓なども含めてそんな聖地を50か所以上訪ね、とても貴重で不思議な体験をした。


  神アシャギ

 これは「神アシャギ」と呼ばれる小屋。アシャギとは「足上げ」つまり上がって休む場所。ここは神様が憩うための小屋なのだ。内地で言えば神社の原型に当たるのかも知れない。私は沖縄本島北部にある伊是名島で神アシャギを見たが、それが唯一の経験だった。この島は第二琉球王朝の始祖である金丸、後の尚円王が生まれた島で、美しく清らかな島の景色が今でも忘れられない。


    ユタ  

 ところで沖縄には「ユタ」と呼ばれる人がいる。男性の場合も女性の場合もあるが、霊を呼び寄せる人だ。沖縄では昔から何かの拍子にマブイ(魂)を落とすことがあると信じられて来た。そのマブイを探し当てるのがユタだ。私は直感的に感じた。これは恐山のイタコと同じだなと。ただし、沖縄のユタの中にはインチキで人を騙す者がいるとも聞いた。




 恐山に行きたい。その願いが今回ようやく叶った。そして本物のイタコさんとも会うことが出来たのだ。それだけではなかった。私が出会ったイタコさんは写真を撮らせてくれ、しかも話をしてくれたのだ。私にとっては、まさに奇跡的な出来事だった。<続く>





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2016.09.25 02:22:18
コメント(6) | コメントを書く
[文化論] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR


© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: