マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2018.03.09
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テーマ: 短歌(1696)
カテゴリ: 短歌
<暮らしと短歌>


               <わがやの藪椿>

 火災保険の契約に行った。1年で切れる掛け捨ての物。それ以前に入っていたのは地震保険までつき、満期に300万円返って来る内容だった。昨年それを解約し、返金分を家のリフォームに充てた。これから先何年生きるか分からない。そして家を売ることもあり得る。そうであれば1年ごとの保障で十分。地震保険が無い分安くて済む。もうあれほど大きな地震に遭遇することはあるまいと考えたのだ。



 4月のツアーを申し込んだ。宮城県内と福島県の2か所での花見ツアーだ。日帰りだから料金は安い。3月のツアーは申込者が少なくて、催行中止となった。3か所の霊地を巡るものだっただけに、とても残念に思う。だが、花見なら大丈夫だろう。旅行日は3日あるが、一番遅い日を選んだ。花見だけは日を間違うと悲惨。早くてもダメだし、遅ければさらに最悪だが、果たして満開時の「読み」がどうか。



 数日前、庭で水仙が咲いているのに気づいた。厳しかったこの冬。私の体にもこれまでにない異変が幾つか起きた。霜焼けに驚くほどの高血圧。きっと厳しい寒さが、その引き金になったのだろう。加えて目まいもあり、胃の調子も悪かった。だから、良くぞこの体調で冬を乗り切ったとの想いが強かった。水仙を見つけたのはそんな時。ことさら花が愛しく思えた。



 短歌会の例会に行った。今月は見学者としてではなく、正式な会員としての参加。だから詠み合わせの中に、私の作品もちゃんと載っていた。予め私が送ったのは次のもの。

     もしもしと風の電話で呼びかける 聴こへしものは風の聲(こえ)のみ

 「風の電話」は被災地に建つ、電線がつながってない電話。震災で亡くなった犠牲者と遺族が、魂の交流をするための「装置」だ。



 旧仮名遣いと旧字を使ったのは、震災後7年を経て大災害の記憶が風化して来つつあることの象徴だったが、この結社では推奨しない由。だが、言葉の選び方と感性には驚かれた。この歌は技巧を度外視した、いわば無防備な作品。だが、月に一作品の提出では何か物足らない。引き続き総会にも出席。2年後に合同歌集を上梓する計画とのこと。果たしてその歌集を手にすることが出来るかどうか。



 帰宅後4月分を葉書に記し、郵送した作品は以下のもの。

    死も生もいまだ答は見つからず木立に墜つる流星群は

 これは生活よりも感性を優先させた作品。わざわざこれを選んだのは、短歌とは何かを仲間たちに問うためだ。言葉を磨くこと。感覚を磨くこと。そして歌と生活の一体感。何を重視するかで、その結社の方向性が分かるのではと。新参者はそんな風にして周囲の様子を窺い、「歌とは何か」を知って行く。



 庭のクリスマスローズに新芽が出ているのに気づいた。良く見ると花芽も出ている。その夜、トイレに起きた際、歌が浮かんだ。水仙の花の歌だ。

     あれほどの冬も峠を越えたるか 庭にひともと水仙の花

 ひともとは「一本」。一株なら「一許」を充てて良いかも知れない。他愛ない歌だが、ようやく冬を乗り越えた歓びがそこにある。良くぞ生き延び、再びこうして春を迎えられると。


               <白菜の花の蕾>

 発酵鶏糞を2袋買った。15kg入りなので、自転車で2往復。その翌日、空いている畝をスコップで起こした。先ずは第一にジャガイモを植えるための準備だ。鶏糞と粒状の石灰を撒き、鋤で均す。それから雑草の除去。雨が降る前に作業が終われば、肥料が溶けて十分土に沁み込むと考えてのこと。畑仕事を終えた途端、ポツポツ雨が降り出した。土を掘りながら作ったのが次の歌だ。

     急げ急げほでなし寡畑を掘る 春来る前に雨降る前に

 「ほでなし」は仙台弁で「馬鹿者」くらいか。寡は「やもめ」。滑稽で自虐的な歌だが、案外気に入っている。歌は上品で取り澄ましたものばかりとは限らないと言う見本になるかどうか。大笑い





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Last updated  2018.03.09 07:24:31
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