マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2019.05.01
XML
~わたしと時代~



 外は雨。朝からしとしとと降り続いている。今日は平成31年4月30日。そして明日は令和元年5月1日。新聞のテレビ欄を見たら今夜はどの局も、「平成最後の日の」特別番組のオンパレード。「降る雪や明治は遠くなりにけり」と言う名句があるが、冗談じゃない。明治はおろか、大正、昭和も遠い時代になった。そして「平成、お前もか」と去って行く一つの時代。



 誰かがブログに書いていた。「私は昭和、平成、令和の3つの時代を生きる」と。その感慨は私も同じだ。だが考えて見ると32才を過ぎた日本人なら、みんな3つの時代を生きることになるのだ。しかし3つの時代を生きたと言う実感が強いのは、昭和生まれの人間なんじゃないのか。私は密かにそう思っている。それも戦前や戦中、そして戦後まもなく生まれた年代の人にとっては特に。



 またある人が嘆いていた。年号がころころ変わる不便さと、なぜ西暦を使用しないのかと。だが、その人は天皇制については決して触れない。確かに不便さはある。昭和なら西暦から25を引けば、昭和の年代が割り出せた。だが平成となればもうお手上げ。だが西暦だけでその時代を思い出すことも無理。不便極まりないとしても、日本人は嫌でも応でも「年号」と共に生きるのが宿命とも言えよう。



 「しかし」と、私は思う。昭和天皇が崩御されたのが昭和64年の1月7日。次の年号は当然国民の誰もが知らず、天皇の死を悼んでいた。戦前は「神」であった立場が、戦後は一転して「人間天皇」となった。東京裁判では戦争犯罪人となる恐れもあった天皇。それはそれとして、今回は天皇自身がその位を譲る決心をされた。202年ぶりのことだった由。



 不敬を恐れずに言えば、天皇家は「万世一系」ではないし、少なくとも第10代までは架空の人物。浮気した女帝もいれば、天皇の位を巡って兄弟同士で争い、殺し合ったこともある。一時は南北朝に分かれて、それぞれ天皇を戴いた時代も。明治天皇身代わり説、大正天皇白痴説、昭和天皇戦犯説が流れたことも確か。そして昭和天皇の后である香淳皇后は晩年認知症だったのではないかと推定される。



 だがそれらも当然で、人間であればこそ生じる事柄だ。日本の皇室は数少ないケースを除いて、公家や貴族、まれに武士階級の庇護を受けて来た。憲法体制下でなくとも常に権力の象徴的存在だったように思う。明治維新などでは、大きな時代の渦に飲み込まれそうになったことも確かだ。そして第二次世界大戦後は、新憲法によって「象徴」であることを明確に位置付けられた。



      まわるまわるよ時代はまわる 喜び悲しみくり返し・・

 歌手中島みゆきの名曲「時代」の一節だ。私は昭和を45年足らず、そして平成を30年余り生きた。
平成は平和の時代と人は言うが、私個人にとってはどちらも激動の時代で、長編小説が書けるほど。そして老齢の身で一人過ごす令和は、果たして私にとってどんな時代になるのだろう。



 興味が湧いて急遽調べた年号の長い順番だが、1位は昭和の62年14日間。2位は明治の44年187日間。3位が応永(1394~1425)の35年間。そして平成が第4位で30年余り。第5位が延暦(782~806)の約25年間と判明した。短いと感じていた平成がなんと第4位に上るのは意外だった。平成元年4月1日。あれが私の管理職としての登竜門、実に厳しい旅路の始まりだった。



 初めて民間人から妃を迎えた天皇と、皇室に入って苦労された皇后。時には皇室のしきたりに背いて自らの考え方を貫き通した2人に敬意を表したい。被災地で床に跪き、被災者と目を合わせて話し合われ、右翼から抗議されても決して態度を変えなかった両陛下。そして新しく天皇皇后になられる2人も、きっとご苦労が絶えないことだろうが、皇室と国民のあるべき姿について模索を続けて欲しいと願っている。
平成よさようなら。そして令和、よろしくね。

 このブログは予約機能を使って前日に書いています。どうぞ、ご了解を。クール





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2019.05.01 00:00:29
コメント(12) | コメントを書く
[ニュース・社会の動き] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR


© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: