マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2020.08.13
XML
<出雲の神などについて>



 館内の一角に神社の模型が置かれていた。「大社造り」の形から、出雲大社の本殿(国宝)のように見えるが本殿は撮影禁止とされている。が、ネットで画像検索すればちゃんと出て来る。誰かが撮影して投稿したに違いない。この模型の傍にも「撮影禁止」と書かれていたような気もするが、定かではない。それに私は「人間が作ったものに原則忌否はない」と考える。祟りも恐れない方。

1) 2) 3)

 出雲大社の祭神が大国主命(おおくにぬしのみこと)であることや大黒様と同一視されていることは誰でも知っている。だが大己貴命(おおなむちのみこと)の別名があり、和御魂(にぎみたま)と荒御魂(あらみたま)の両面があることや、大黒天が元々ヒンズー教のシヴァ神の一面としてのマハーカーラ(暗黒神・大黒神・破壊の神(3)だったことを知る人は少ないだろう。

 大和国一之宮である大神神社の祭神が大己貴命で大国主命の荒御霊として、藤原京の守護神だった由。だが平城京遷都に伴う移動はなかった。恐らく「祟る」ことへの忌避があたのかも知れない。それにしても本来は出雲の神がなぜ大和国の守り神となったのか。

 大国主命の名から思えば、彼が元々この国全体の主だったのではないのか。それがヤマト朝廷に国を譲る羽目になった。そのことへの怨念が残ったとは考えられないか。上の2)は笑顔でない大国主命。彼の知られざる側面だが「だいこく」とも読める大国が「大黒」へと変わり、次第に福の神へと変質して行った。息子の事代主神も同様に「恵比寿様」として福の神に変身して行く。

 1)  2)

 次に島根県に多い古墳を紹介しよう。1)の四隅突出墓(よすみとっしゅつぼ)はヒトデのように、4つの隅が飛び出して石が葺(ふ)かれ、墳丘上に祭祀のための施設が設けられている。朝鮮半島に起源を持つとされるが、遠くは新潟県までの日本海沿いに分布が見られる。2)は前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)。方墳を2つ重ねた形だ。



 写真は岡山市の造山(つくりやま)古墳。墳丘長が360mもある前方後円墳で、全国で第4位の大きさ。旧吉備国(岡山県)ではほかに作山古墳もある。前方後円墳はヤマト朝廷との関係が深い豪族が築いたとされ、その点出雲は特異だ。日本海側では元伊勢と呼ばれる籠神社がある丹後国宮津、継体天皇の出身地である若狭国の敦賀、越後国の最初の開拓者が入った弥彦がヤマト朝廷との関係が深いと考えられる。

  気多大社

 写真は石川県能登半島の付け根にある気多大社。祭神は出雲大社と同じ大国主命。能登半島には大国主命が町や村を訪ね歩くと言う祭りが今も伝わっている。また海中に鳥居が立つ神社が多く、祭神が海を渡ってこの地に来たことを思い起こさせる。

 1) 2)

 1)は龍蛇神と呼ばれ、出雲では神々の先導役とされる。捕らえた後出雲大社に奉納される。その実態はエラブウミヘビ。産卵のためインド洋から、黒潮や対馬海流に乗って出雲に到る。沖縄の久高島では古来神の使いとして、久高祝女(のろ)と西銘祝女しか捕らえることが出来なかった。今では燻製にして強壮剤となる。コブラ科で猛毒だが性質は温和。口も小さいため危害は少ない。

 2)は「加賀の潜戸」(かがのくけど)と呼ばれる奇勝。石川県から遠く離れた島根に「加賀」の名称があるのは、海を通じての交流があった証拠だろうか。神々が出雲に集まったことも、交流の証ともいえよう。



 島根県出雲地方の主要神社。1が出雲大社。 7が北島国造家が祀っていた熊野大社。13が海蛇を捕らえる美保神社。4が日御碕神社。伊勢神宮同様に太陽神である天照大神を祀るが、伊勢は朝日、日御碕神社は夕日が主役だ。

 また出雲は「根の国」(黄泉よみ=あの世)とされ、亡くなった妻のイザナミを追って夫のイザナギが訪れた地でもあった。黄泉の入り口のよもつ比良坂(ひらさか)に揖屋(いや)神社があるとされる。<続く>





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2020.08.13 00:00:10
コメント(2) | コメントを書く
[考古学・日本古代史] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR


© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: