マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2020.09.22
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詩 季節は足早に



  裏のお宅の庭に白い花が咲いてるのを
  何日か前に気づいた
  百合の花にしては少し様子が変
  デジカメの望遠で撮ったら夾竹桃だった
  キョウチクトウの花を見たのは久しぶり

  お向かいのKさんがわが家の畑を作垣根越しに覗き込んで
  防虫剤をやろうかと言った
  その言葉に甘えて果粒状の防虫剤を撒いてもらった
  キャベツ 大根 ブロッコリー 聖護院大根
  キャベツには早くも穴
  良く見たら大きな青虫がいた



  和室の窓から庭を眺めていたら青い花
  まさしくシコンノボタンの花だ
  紫紺野牡丹が咲いたのはこの夏三度目のこと
  きっとそれだけ気候の変動が大きかったのだろう
  長雨 猛暑 乾燥 秋の長雨と猛暑の復活

  私の体も辛かった
  昨年の夏も辛かったが今年も同じくらい辛かった
  去年は眩暈と耳鳴り
  耳鼻科に行ったら脳の血流が悪くなってるとドクター
  処方された薬を半年ほど飲んだらすっかり良くなった

  今年はきっと運動不足だろう
  コロナ自粛の鬱鬱した日々
  新聞を読みパソコンに向かってブログを書き
  週に一度自転車に乗って買い物に行くのが
  唯一の運動の機会だった
  他人と話す唯一の機会だった
  それで家の中をグルグル歩き回ることにした
  階段を上り下りしたりもした
  だが話す機会はなく
  歩き回りながら歌を歌うことにした
  そんな今年の夏だった



  ある日植木鉢のハイビスカスが咲いてるのに気づいた
  去年は一度も咲かなかったこの花が
  今年は二度も花を咲かせてくれた

  がんと闘っているブログ友がいる。
  その父上も母上もがん
  そして夫君もがん
  ご自身も先ごろ乳がんの摘出術を受けたばかり
  夫君の認知症の母上を住まいの施設に入れて見舞い
  潰瘍性大腸炎の息子さんも含めて一家で病気と闘っている

  そんな彼女のブログを俺は読み
  励ましのエールを送る独り暮らしの俺だ



  秋の四連休の初日俺は墓参りに行った
  自転車と地下鉄を乗り継いで市営墓地へと
  途中いつも行くスーパーで花を買った
  黄色と白の菊の花を二束
  花は少し開き加減で安かった
  次回のために線香もそこで買った

  地下鉄の駅で降りた後市営墓地まで歩いた
  暑い暑い秋の陽
  俺は途中の公園でトイレに寄り
  長袖シャツを脱いでリュックに入れた
  そしてまた歩き出した

  兄と私と弟がお金を出し合って建てた自然石の墓
  そこに最初に入ったのは父
  そして次に母と姉
  最後にと言っても今年の七月
  兄もそこに入った

  でも俺は入らないつもり
  死なないのではなく俺には墓も戒名も不要
  それに遠くで暮らす子供たちに面倒をかけたくないから
  俺の遺骨は細かく砕いでどこかの海に流してもらいたい
  沖縄 松山 東京湾 仙台湾 今のところ候補地は四つ

  墓参りの帰り道
  黄花コスモスを見た
  そこは以前畑だった場所
  ここ二〇年もの間に仙台の風景もすっかり変わったよ
  そして妻が家を出て俺の暮らしも変わった



  調子が今一と感じながらも俺は生きている
  そして曲がりなりにも料理を作って
  三食きちんと食べてお通じもあり
  風呂に入り洗濯をし
  たまには思い出して掃除をし
  ほとんど薬も飲み忘れることなく
  緑内障の目薬も寝る前に差し

  時々不眠に悩まされて目覚め
  夜中に何度かトイレに起き
  それでも粗相をすることもなく
  この蒸し暑くて苦しかった夏を乗り切り
  ようやく少しだけ涼しくなった秋を迎えた



  先だって郵便物を出しに行くついでに空を見上げた
  最近では滅多に見上げることのない夜空
  満月の両側に明るい星があった
  あれはきっと金星と木星のはず
  どちらが金星か木星かは知らないが

  「惑星直列」が今年は起きているらしいと聞いた
  だがあれがそうかは分からない
  でも良いのだ 分からなくとも良いのだ

  なぜなら俺はこうして今生きている
  生きて夜中に郵便物を投函しに出かけた
  それだけで十分じゃないか
  そしてブログに詩を書き 
  それに相応しい写真も載せた
  それで十分じゃないか
  俺の生きた証として

     庭のバラが何本か枯れた
     死んでしまったのか
     それともまた息を吹き返すのか

        その一方でシュウメイギクの勢いが凄い
        秋の青空を目指して首を伸ばし
        白とピンクの花を咲かせている
        あれは大阪住まいの宿舎から妻が持ち帰ったもの
        仙台に家を建てた最初の年に移植したもの



              猫の聲せし坂道や秋彼岸

 市営墓地からの帰り道、裏の坂道を下っているとどこからか猫の声が聞こえた。そこで詠んだのが上の句。時は秋。まだ生きてこの世に在る者も、既に彼岸に渡った者も、一度は何かの縁で生活を共にしたのだ。生きて在ることに感謝。生かされて在ることに感謝。かくして秋は深まり、天はますます高い。
<この項完>





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Last updated  2020.09.22 00:00:13
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■コメント

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Re:季節は足早に(5)(09/22)  
Kazu さん
Aさん,こんにちは~

世間では四連休の最終日,しかし私には一年のうちの一日。一昨年までだった
ら,明日からまた仕事か!と気持ちを切り替えなければならなかったでしょう
が。

本日のブログ,心に染み入りました。淡々とした生活,Aさんは自分自身を俯
瞰できているのですね。普通はなかなか難しいかと。 (2020.09.22 09:38:15)

Re:季節は足早に(5)(09/22)  
淡々と? 生きておられるマックス爺さんの日常を垣間見た気がします。
いや、そうではなく厳しく自分を見つめて? 生きておられるというのが本当のところだろうと拝察します。
季節も移ろいを花や星に見てそれに心を動かされることは何よりのことではないでしょうか。

 人生は「重い荷物を背負って坂を登るようなものだ」とあの有名人が言ったそうですが、私も暢気に生きているようで現在でもそれを痛切に感じます。
そういう中でも生きることに楽しみを見出すように生きることがこれからの人生だと思っています。

 お互いに自分なりに生きましょう。 (2020.09.22 09:44:11)

Re[1]:季節は足早に(5)(09/22)  
マックス爺  さん
Kazuさんへ

今日は~!!
いつもコメントをありがとうございます。
とても嬉しく拝見しています。🌸😊

たまには心情を詩で表現するのも良いかなと
思って書いた次第です。

 「詩」を特別な物や文学としてではなく、
普通使っている言葉で、散文的に書いてみる。
これが案外素直で良い味がですのですよ。(^_-)-☆

世の中は4連休らしいですが、私は年柄年中が祭日。
特段何のことも無く「敬老の日」の昨日は死んだ
兄宅を訪れて、線香を上げ手を合わせて来ました。

少しずつ体調を戻して庭や畑の整備をしたいのですが、
無理はしないよう、目下調整中です。

Kazuさんもどうぞお元気でお過ごしくださいね。(@^^)/~~~ (2020.09.22 10:51:04)

Re[1]:季節は足早に(5)(09/22)  
マックス爺  さん
クマタツ1847さんへ

今日は~!!
わざわざのお運びとコメント、ありがとうございます。
とても嬉しく拝見しました。

いつもは長い文章で、評論調のブログになりがちなので、
たまには雰囲気を変えて長い詩を書いてみました。

とは言っても俗な言葉の散文調の詩。
これだと自分を素直に表現出来るような気がして
います。

暑い夏がようやく終わりに近づき、朝夕少し涼しく
なるにつれて、体調も徐々に回復するように感じます。

クマタツさんも今年は台風による大雨被害が県内で
起きて大変でしたね。
自然界は地球温暖化で壊れ、人間界は新型コロナの
パンデミックで暮らしが壊れてしまった感があります。

何とか心身の健康を保ち、なお生きようとする勇気を
授かりたいものです。
お体をご自愛され、お元気で過ごされますよう、
ではでは。🌸(@^^)/~~~
(2020.09.22 11:02:14)

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