マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2021.02.05
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カテゴリ: 歴史全般
~追補・思い出したこと~



 アウンサンスーチーさんの父親、アウンサン将軍が日本の陸軍で訓練を受けていた時は、日本式の名前を持っていた由。ビルマに帰ったアウンサン将軍は、日本の敗戦が決定的になったと見るや、日本を裏切って秘密裏にイギリスと交渉したとか。いずれはイギリスからビルマを独立させると。でも彼は祖国の独立を見る前に暗殺されたようでした。



 ビルマからインド奥地のインパールにいたイギリス軍を攻撃しようとしたインパール作戦。これが道なきジャングルを進む無謀なものだったようで、日本軍は全滅状態に近かったと聞きます。戦後「ビルマの竪琴」なる小説が出ましたが、これは確かそのままビルマに留まって僧になる話だったように記憶しています。小野田さんのように上官の命令を守って二十年近くもジャングルに潜んでいた軍人もいましたね。



 もう一つ思い出しました。日本軍が敷設した「泰面鉄道」ですが、「泰」はタイで、「面」はきっとミャンマーの音を漢字にしたのでしょう。そしてその鉄道をテーマにしたのが1957年(昭和32年)に制作された映画「戦場にかける橋」です。これはイギリス軍の立場から描いたもので、クワイ川に架かる泰面鉄道の鉄橋を爆破する話。テーマ曲が勇ましい「クワイ川マーチ」。今でも良く覚えています。



 それと映画を観て触発されたのか、1人の日本人がビルマのジャングルに潜入し、そのまま行方不明になった事件がありました。多分彼も陸軍中野学校で訓練を受けた諜報部員(スパイ)だったのでしょう。私がまだ小学生や中学生の頃は戦戦争帰りの先生がいて、得意そうに戦地の話などしていました。そして私の父は片足の半分を失いつつ、フィリピンから帰国した傷痍軍人(負傷兵)でした。



 しかしあの戦争は、必ずしも否定される面だけではないと思います。あの戦争がきっかけとなって、戦後多くのアジアの国々が植民地から解放され、その意味で日本に感謝している国も多いのです。また東京裁判でインドのパール判事は、日本人戦犯の罪を認めませんでした。日本は国際法に反するような行為をしてないと認めた唯一の判事でした。だが彼の弁護も空しく多くの軍幹部が死刑となりました。



 アメリカを主体とする占領軍によって日本の民主化が進められ、戦前の教育制度や歴史観、価値観、倫理観はすべてが過ちとされ、戦後教育を受けた私たちはそれを当たり前のように受け入れざるを得ませんでした。その呪縛から私が解き放たれたのは、つい10年ほど前からです。それだけ深く被虐史観が心の奥底に刻み付けられたのでしょうね。



 朝鮮半島国家における「反日教育」や、中国における「南京大虐殺」の捏造や戦争映画での日本兵の悪行など、長年の「刷り込み」によって、日本及び日本人に対する敵視が深く植え付けられのも事実。しかしながら同じように日本の統治下にありながら、今でも日本に対する感謝と敬意を失わない台湾や南太平洋の島嶼国家。その差は一体どこから来るのでしょうね。恐らくは民族性によるのでしょう。話が脱線しましたが、魯迅や孫文や朴正熙(朴槿恵の父)も若き日には日本で学び、日本も彼らに協力を惜しまなかったのです。<続く>





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Last updated  2021.02.05 00:00:08
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