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ソチ五輪から今年のワールドまで、女子シングルでくっきりとしてきた「流れ」がある。それは少女潮流とも言えるもの。10代の若い選手が強くなったということだ。2015年ワールドのメダリストは16歳~18歳。2014年ワールドと比べても、メダリストはひと世代飛び越して若返った。ジャンプ重視になれば、当然こういう流れになってくる。フィギュアの場合、年齢を重ねれば「正確が技術が身につく」というものではなく、例えば「回り切れるかどうか」なら、少女体型の軽い時代のほうが有利だし、エッジは癖だから、20歳過ぎてから直そうとしてもまず無理。ロシェット選手が言うように、矯正するなら15歳ぐらいまでだろう。純粋にジャンプ中心のスポーツとして考えるなら、かつて体操もそうなったように、フィギュアスケートもティーンエイジャーが中心にならざるをえない。だが、フィギュアスケートは長らく、この「スポーツ性」のみに重きを置く傾向には抵抗してきた。「滑り」から醸し出される「味」というものが円熟してくるのは、やはり20歳を超えてから。10代で優れた表現力を発揮する選手ももちろんいるが、それはかりそめの成熟であり、真の成熟とは違う。今でも、この「成熟」に重きを置く態度は採点にきちんと反映されている。ワールドでは、ワグナー選手の演技構成点が高く出ている。天才少女たちが席巻するロシアの国内大会でも、ベテランのレオノワ選手には高い演技構成点が与えられていた。だが、ジャンプの回転不足を厳しく取り、技術点が上がってくれば演技構成点も高く出る昨今の傾向にあっては、ベテラン選手は勝てなくなっている。いくら円熟味が違っても、体力的にも若い選手にはかなわないし、体も重い。そうなれば、ジャンプは跳べたとしても、回転不足になりやすくなる。そこで判定が「厳しいか」「甘いか」で、結果はずいぶんと違ってくる。たとえば全米を制したのはワグナー選手だったが、全米選手権はワグナー選手に対してずいぶん好意的な判定だった。http://www.usfigureskating.org/leaderboard/results/2015/2015_us_fs_champs/results.htmlフリーの技術点を見ると、エッジに「!」もなく、回転不足も1つもない。だから非常に高い点数が出た。ところがワールドとなるとそうはいかない。ワグナー選手自身も回転不足を意識するあまり、ジャンプの調子を返って崩してしまったように見えた。技術審判の判定が試合によって甘い辛いがあるのも問題だが、そのいい加減な基準の判定で点数が随分変わってくる、そこが一番の問題だ。注意しなければいけないのは、「判定が厳しい」のと「減点が大きい」のは、基本的に違う問題だということだ。判定基準はもともと一定であって、「厳しいジャッジ」と「甘いジャッジ」がいるというのは本来あってはならないこと。それがあるというのはジャッジを指導する立場の問題だ。そして「減点が大きい」というのは、ルールの問題だ。だから、「判定は厳しくするが、減点は少なくする」ということは十分可能なのであって、何年も同じ基準で判定しているはずが、いまだにこうもバラバラだというのなら、「正確なジャッジングを一貫して行うのは不可能だった」ということをまずは認めるべきだろう。一般的に考えて、甘い基準で統一するより、厳しい基準で統一するほうが容易だ。天野氏や岡野氏が厳しい技術審判だからと言って非難したり賞賛したりするのではなく(「厳しく」取るジャッジが「正しく判定している」ジャッジではない。といって「不正確に判定している」とも言えない)、厳しい基準をむしろ全ジャッジに徹底させ、曖昧な「スケーターズフェイバー」はルールブックから削除する。そして、現在の基礎点7割ではなく、通常の基礎点を与え、他の「+の要素」に鑑みたうえでGOEをどうするかは演技審判の裁量に任せる。つまりは、「バンクーバー五輪2年前」以前に戻すということだ。そうすれば、村上選手もワグナー選手もまだまだ世界トップで戦うことができる。もし、今のようなルールと運用のままで行けば、村上選手やワグナー選手は「判定の甘いジャッジ」の試合では強いが、シビアに取られる試合では弱いということになり、最終的には、それなりの表現力をもった「少女」に勝てないということになる。ワグナー選手や村上選手の「味」は、宮原選手やラジオノワ選手にはまだないものだ。体型もまったく違う。少女潮流はフィギュアのスポーツとしての側面を見た場合、起こるべきして起こったものだが、もしこのままのルールと「厳しい判定」を続けるなら、少女潮流はさらに加速し、ワールドや五輪の最終グループで競う女子は、ティーンエイジャーばかりになり、もともと短い選手生命はさらに短くなるだろう。もちろん、それはそれで悪いことではない。スポーツはあくまでスポーツだから、身体能力の優れた者が勝つ。当然と言えば当然のこと。だが、それでは、女子フィギュアの魅力が失われてしまう。フィギュアスケートは長い時間滑らなければ、雰囲気や味というものは出てこない。浅田真央はシニアに上がったとたんに世界を支配したが、もしトリノ五輪に出て金メダルを獲ったとしても(出ていれば、その確率はバンクーバーやソチの比ではなく高かった)、ソチで見せてくれたような無限の魅力はなかっただろう。こうした選手の成長を見る楽しみを、「少女潮流」は奪っていく。17歳ぐらいがピークで、20歳を超えたらもう引退、そういう選手が増えるだろう。スポーツとして公平な採点がなされたとしても、Mizumizuにとってこれは最悪の未来だ。フィギュアスケート女子シングルを見なくなるかもしれない。女子シングルは非常に人気のあるカテゴリーだが、それも男子シングルに取って代わられるかもしれない。いや、もうその兆候は出ている。<続く>
2015.04.02
トリプルルッツをアウトエッジで踏み切れること、そして連続ジャンプのセカンドにつける3トゥループを回りきれること――やはり、ワールドで台乗りした女子シングルの選手は、この条件を満たした選手だった。ショートで最高難度のジャンプを入れたトゥクタミシェワ選手はフリーではトリプルアクセルを入れずに、手堅く従来のジャンプ構成で来て、きれいに逃げ切った。フリーの順位はショートとはかなり入れ替わったが、総合成績では、金 トゥクタミシェワ銀 宮原銅 ラジオノワという結果。この3人は3人ともルッツをエラーなしに跳べて、連続ジャンプのセカンドにもってくる3回転トゥループの認定確率が高い。ラジオノワ選手を破った宮原選手の銀メダルは予想外の喜びだが、プロトコルの技術点を見ると、宮原選手の確実性の勝利と言ったところだろうか。ラジオノワ選手のフリップのエッジ判定と3連続ジャンプの最後のサルコウの認定に関して、ファイナルからヨーロッパ選手権まで「ちょっと甘いのでは?」と思ったのだが、今回はシビアにフリップで「!」を取られ、サルコウはかなりはっきりわかる回転不足になってしまい(いつもはもうちょっと微妙なところまでもってこれる印象だが、疑わしいこと多々)、他のジャンプでも加点も思ったほどつかずに、技術点が伸びなかった。一方、宮原選手はフリーで2つ目のルッツが回転不足転倒になってしまったが、後半の2A+3Tを2つ手堅く回って加点をもらった。演技構成点は、仕分けルール(注:そんなルールはありません!)にもとづくもの。ワールドとあってアメリカテレビ局に配慮したらしく、アメリカ選手に対する「上げ」が露骨だった。以下はショートとフリーそれぞれの演技構成点と順位を書きだしたもの。ロシアの3選手とワグナー選手のみカッコでグランプリファイナルの点も参考までに入れた。ショート フリートゥクタミシェワ33.53(31.63)1位 65.99(65.16) 1位ラジオノワ 31.48(31.26) 2位 61.95(63.95) 6位ゴールド 30.91 8位 63.08 2位ワグナー 30.72 (30.40)11位 64.46(64.08) 3位村上 30.17 4位 61.70 8位宮原 29.83 3位 61.27 4位(村上選手との差0.34) (村上選手との差0.43)ポゴリラヤ29.09(30.00) 9位 53.61(57.61) 13位本郷27.48 5位 60.58 5位エドムンズ 27.77 7位 57.67 7位ショートの演技構成点も、トゥクタミシェワ選手が頭1つ抜けているのがわかる。これは男子シングルでも、ショートで圧倒的なジャンプ力を見せつけた選手になされる採点パターン。技術点でも1位、演技構成点でも他の選手と一線を画す1位。ここで金メダル仕分けがなされるとも言える。こうなったらトゥクタミシェワ選手は、フリーでリスキーなトリプルアクセルを跳ぶ必要はない。ミスを最小限に防ぐジャンプ構成でプログラムをまとめて、フリーでも頭1つ抜けた演技構成点を出した。問題は、演技構成点が2番目だった選手との「点差」だが、ショートで約2点、フリーで約1.5点というのは、1位と2位で5点差などと平気でつけていたころに比べれば、非常に公平だ。仕分けはくっきりしている。ショートでは30点以上がメダル仕分けだ。金がトゥクタミシェワ、銀がラジオノワ、銅がアメリカの2選手と村上選手、ちょっとだけ差があるが宮原選手もギリギリ銅メダル仕分けに入っている。そして、ショートの結果を受けての仕分け。トゥクタミシェワ選手は金確定仕分け。そして、ここで急に「国別メダル分配の法則」(注:そんなものはありません!)が効力を発揮したのが、技術審判はラジオノワ選手のフリップのエッジと回転不足判定にシビアになり、演技構成点も村上選手同様の仕分けにされてしまった。アメリカの2選手には演技構成点は、一貫して好意的で、演技構成点だけならワグナー選手が2番目(もうジャッジがおかしいとか言わないでね。回転不足とエッジはシビアに取るけど、演技構成点上げとくから!)、ゴールド選手が3番目。日本の村上選手と宮原選手に対しては、同じような点。「技術点よかったら台に乗ってね」採点で、本郷選手も60点台にのせたので、技術点によってはチャンスもあったという感じ。失敗の目立ったポゴリラヤ選手は演技構成点では救ってもらえず、「落ちてください」採点。アメリカ女子2人(ワグナー&ゴールド)と日本人女子2人(宮原&村上)に対しては、どっちがどっちでもいいような同じような点を出しており、しかもアメリカ女子のが上の仕分けというのはハッキリしている。ただ、この程度の点差なら、かなりの部分技術点での争いになってくる。となると、ルッツをエラーなく跳べてセカンドの3回転トゥループの「回転不足率」が低い宮原選手、ゴールド選手のほうが村上選手、ワグナー選手より強い。順位もそうなった。ラジオノワ選手に関しては、ワールド前までは「流れ」がかなり彼女のほうに来ていたのが、フリーの蓋をあけてみたら、ジャッジは彼女の「側」にいなかったという印象。それでも総合で3位になったのは立派。ただ、ゴールド選手がショートで連続ジャンプを決めていたら、台にのったのはゴールド選手だっただろう。今季のルールでは、ルッツを跳べる選手が圧倒的に有利で、ルッツにエラー癖のある選手にはよっぽどのことがないと「優勝」は来ない。エッジエラーの減点は少し幅が大きすぎるようにも思う。例えばゴールド選手は(多分)E判定承知で3フリップを跳んだが、後半に入れたにもかかわらず2.87点。そこまで明らかなアウトエッジとも見えなかったのだが、テレビでは映る場所によってかなり違って見えるので、判定自体がどうこう言うつもりはない。ルール上こうなるのだが、少し低すぎる得点ではないだろうか。演技構成点に関しては、手抜き感アリアリの仕分けルールくっきり採点だったとはいえ、奇妙な点差をつけて、解説者が苦し紛れにあれこれ後付けでこじつけるより、このほうがずっと公平だ。すべてのジャンプを正確に跳べる選手が女王になった。それは当然の帰結。これほど客観的にわかりやすい結果はない。
2015.04.01
男子シングルの試合で一番残念だったのは、枠が減ったとかという結果ではなく、ジャンプの調子を含めて3人が3人とも、「去年以上の何か」、換言すれば「成長」というものを見せられずに終わったこと。羽生選手は、度重なるアクシデントで去年のような高難度ジャンプの安定感を取り戻せないままシーズンを終えた。あれでは、1年かけて、「羽生は絶対ではない」という印象をジャッジにわざわざ与えてしまったようなものだ。無良選手は、相変わらず(?)、一番大事な試合で、得意のトリプルアクセルを失敗する。せっかく幸運にも与えられたチャンスを生かせない。これでは、もう先はない。小塚選手は全日本で素晴らしい演技――これまでの小塚選手にはない「大人の色気」を前面に出したショートは彼の新しい可能性、あるいはこれまで引き出されてこなかった彼のもつ別の魅力を感じさせてくれるものだったし、フリーは1つの曲をほぼ切れ目なく使う、小手先の音楽編集に頼らない通好みの難しい振付で、「美しき一筆描き」とでも呼びたいような世界観は、驚くほど滑らかに滑ることのできる小塚選手以外には表現できないと思わせるもの――をしたので、実はとても期待していたのだが、ジャンプの失敗がいろいろなところに影響してしまったという印象。対して、目を見張ったのが、女子シングルの宮原選手と村上選手の確かな成長。ショートは特に、何度も何度も見ているプログラムなのに、「えっ、こんなに素敵だったっけ?」と感動を新たにした。まず、宮原選手は手首の繊細な表現が素晴らしかった。回転不足回転不足と言われて、そちらばかりに気持ちがいってしまうのではないかと思っていたが、出だしから、振付を丁寧に繊細に正確に演じていた。日本人の「芸」の考え方に、「まずは器(様式)を徹底的に叩き込む。すると心があとからそこに入ってくる」というものがある。宮原選手はまさにそのタイプ。大舞台にも揺るがないクレバーな女性であり、しかも内に秘めた情熱や芯の強さが演技からじわっと伝わってくる。振付師が教えたとおりにやっている、ということはよくわかるのだが、何度も何度も演じるうちに、それが宮原選手独自の味になり、「彼女にしかできない」と思わせる空気感を作っている。そこが本当に素晴らしい。解説の鈴木明子氏は「ラインの美しさ」をさかんに強調していた。Mizumizuが指摘した「姿勢の美しさ」も同じ意味だ。すっと伸びた背筋、フリーレッグの正確なポジショニング、腕遣いから身体全体までラインがバランスよく整って、はっと目を惹く。踊るオルゴール人形とでも言いたいような、可憐で正確な動き。今季はフリー作品のほうに目が行っていたが、フリーのモーツァルトの軽やかでエレガントな楽曲も宮原選手にぴったり合っていた。シーズン初めはモーツァルトに関しては、ここまで良いプログラムとは思わなかったから、これはやはり滑り込むことで振付を自分のものにしてきた宮原選手の力だろう。ショートの演技構成、もうちょっと出してほしかった。村上選手のショートには心底驚かされた。宮原選手よりずっと直情的で、生の情感をダイナミックに表現するのが得意な村上選手だが、今回のショートでびっくりしたのはスケーティングの滑らかさ。スローなパートでは、まるでエッジが氷に「粘りついて」いるようだった。大胆でスケール感はあるが、やや雑なイメージのあった村上選手だが、その印象をすっかり払拭した、大人の成熟した滑りだった。「こんなに滑りうまかったっけ?」と言ったら、過去の村上選手が下手だったみたいだが。ジャンプ、特に冒頭のトリプルトゥ+トリプルトゥは凄かった。完全に跳び上がってから回転が始まるファースト、飛距離も素晴らしく、「うほっ!」と声を上げてしまったwww。セカンドはファーストより高く跳び上がる力強さがあった。だが、なんといっても、特筆すべきは、あの音楽表現。旋律に動きがぴったり合っている。音が伸びるところは滑りも伸び、音が跳ねるところは、身体も遅れることなくはずむ。まさに曲と一体になったような表現は、執念のような反復練習を容易に想像させる。出場したトップ選手の中で、間違いなく最も成熟を感じさせる滑りと音楽表現だった。なのに、演技構成点はアレですか。あっちこっちに若さゆえの粗雑さや未熟さが見えるラジオノワ選手より下ですか。やれやれ。ジャッジがいかに、「評価」ではなく「仕分け」に徹しているかわかるというものだ。<続く>
2015.03.31
YUZURU 羽生結弦写真集むしろ、このプロトコルから読み解けるのは、演技審判はフェルナンデス選手の明るいキャラの立ったパフォーマンスを高く評価したのだ、ということではないだろうか。イギリスの解説者は、「芸術性では羽生(のが上)」と印象を述べていた。Mizumizuも「美しさでは羽生選手のほうが上」だと思う。フェルナンデス選手の振付は楽しいが、動きがややもっさりしていて、楽曲の軽快さが表現しきれていなかったと思う。それでも、演技審判の点を見ると、演技審判は、フェルナンデス選手の曲の解釈とパフォーマンスを、さほどの差はないが羽生選手やテン選手より高く評価している、ということになる。点差のない演技構成点を読み解くとするなら、せいぜいそんなことぐらいまで。今回の勝負を決めたのは演技構成点ではない。明らかに技術点の差が順位に反映された。スピンやステップのレベルや加点も当然順位に影響してくるが、それは配点の大きなジャンプの点が同等レベルであった場合に順位の明暗を分ける程度だ。フェルナンデス選手のフリーのステップはレベル3で加点を入れて4.16点、羽生選手はレベル4で5.30。レベルが1つ上であっても、つけられる点差はその程度だ。だから、今回も「高難度ジャンプをより多く回り切った選手が勝つ」という客観的な基準によって勝敗が決まった。これはMizumizuがかねてから主張している、最も公平なやり方だ。演技構成点の5つのコンポーネンツを何点つけようが、それは構わない。演技構成点の「高すぎる」「低すぎる」論争は、自分の好みや美的感覚にもとづく主観的な印象論の域を出ない。結局は水掛け論に終わってしまう。だからこそ、選手間の点差を大きくすべきではない。世界トップを争う、技術も表現力でも拮抗している選手間ではなおさらだ。主観にならざるを得ないコンポーネンツの評価では、順位は付けてもいいが、差はつけるべきではない。すると、より客観的な基準にもとづく技術点の勝負になってくる。それこそ新採点システムの理念にも適うと言える。バンクーバー2年前以前は、フィギュアはこういうスポーツだった。そこに「トータルパッケージ」だの「コンプリートパッケージ」だのと言って、プログラムの完成度で勝たせるなどということをやったから、競技がおかしくなった。完成形が誰にも分からないのに、完成度をどうやって点数化できるだろう? これはビアンケッティ氏の意見だが、Mizumizuもまったく同意だ。今回の男子の採点は、トップを争う選手たちに対しては、極めて公平だったと言える。羽生選手が連覇を逃したのは、要素間の手抜きを見透かされたからというのはあまり根拠のない印象論。プロトコルが直接語る敗因は、あくまで「4回転を1つ回り切れなかったこと」これに尽きる。だが、後半の2つの難度の高いトリプルアクセルの連続ジャンプを2つ決め、今季ずっと不安定だったトリプルルッツも2つ決めた。こちらを称賛すべきではないだろうか?事前の練習を見た限り、トリプルアクセルも決して万全ではなかった。後半のアクセルからの連続ジャンプ2つだけで30点以上稼ぎ出しているから、1つでも失敗していたら、テン選手に逆転されてもおかしくない状況だった。それを本番できっちり決める。いやいやいやいや、本当に凄い選手だ。グランプリファイナルで羽生選手はフリー最後のルッツで「回転不足転倒」をしたが、この失敗は体力的な問題が大きい。最後までジャンプを回転不足なく跳ぶために要素間のつなぎを軽めにするのは、どの選手もやることだし、ジャンプの配点ウエイトが高い以上、それは1つの戦略でもある。「ジャンプと表現のバランスが大事」というのはキム・ヨナ選手の言葉だが、これがフリーをまとめるのに大事になってくる。スピンやステップのレベル取りもあるから、無限でない体力をどう最後まで温存して演じきるかを考えたとき、要素と要素の間の表現を軽くするのは、理想論から言えば「手抜き」かもしれないが、現実的には「戦略」なのだ。例えば、全日本の町田選手の演技は非常に感動的だったが、表現面にウエイトが行きすぎたせいか、エレメンツのレベルの取りこぼしがあったし、フリーではジャンプでコンビネーションが少なかったために点数を上積みできなかった。引退を決めていた町田選手は、フリーではジャンプを跳ぶことより、作品としてのプログラムの完成度を優先させたのだろう。今のルールで勝負に勝つために一番大切なのは、ジャンプを回り切ること、それからエレメンツのレベルを取り加点を稼ぐことだ。この優先順位を羽生選手はきちっと押さえていた。ファイナルで回り切れなかったフリー最後のルッツをきれいに決めた。素晴らしい課題克服能力ではないだろうか? 惜しむらくは4サルコウを回り切れなかったこと、これまで誰より確率がよかった4トゥループをきれいに決められなかったことだ。ワールドの羽生選手は、エレメンツの取りこぼしがまったくない。ステップ、スピンともオール・レベル4。スピン速いね~、いや~~。あのコンディションでそこまで要素をきちんとこなしたのは、アンビリーバボー。しかし、顔色の悪さが気にかかる。バスクリン風呂でゆっくりしてください(笑)。次は、男性用基礎化粧品だな。あれだけの美肌のアスリートをCMに起用しない手はないですよ? 男性用の基礎化粧品市場は、これからの伸びが期待される。是非とも新製品開発&羽生選手をCMに起用して、新しいマーケット開拓にはずみをつけてください。羽生ファンの皆さんもKOSEに働きかけを(笑)。いや、新しいスポンサーということで資生堂でもいいですよ(再笑)。
2015.03.30
案の定、またも世界で最も層の厚いハズの日本男子は、シーズンで一番大事な試合で「惨敗」した。一体何回このパターンを繰り返すのだろう? 日本フィギュアの商業主義、もっと直接的に言えば日本特有の「グランプリシリーズ」重視の姿勢と国内選手権での過酷な消耗戦が、選手を疲弊させ、ピーキングを難しくしている。今季最高の舞台であるワールド、ここで今季最高の演技ができた男子がいただろうか? たった1人でも? いや、3人ともむしろ、今シーズン最悪に近い出来だった。個人の選手の順位どうのこうのよりも、問題にすべきはここだ。しかも、「一番大事な舞台で、ベストとは程遠い演技を披露する」というパターンを何度も、何年も繰り返していること。これを選手個人の問題にしてはいけない。日本でしか開催できない、どーでもいい国別とか役にも立たないオープンフィギュアとか日本のテレビ局のためのグランプリシリーズとかファイナルとか煽るだけ煽って選手を消耗させる全日本とか選手に出場を「強要」させ、そのたびに点が出た出ないといって騒ぎ、その結果、選手のキャリアに最も影響する一番の大舞台でどうなっただろう?フィギュアスケートをオリンピックのメダル有力種目として税金を投入するなら、長期的な戦略を立てなくてはダメだ。ISUの集金にばかり協力していてはいけない。羽生選手のショートを見て、「また羽生が勝つのか」と思った人は、世界を甘く見すぎている。ファイナルの演技を見て、「300点は目の前。羽生はどこまで行くのか」(岡崎真)「しばらく無敵と思う」(小林芳子フィギュア強化部長)などというのも楽観的すぎる。http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/12/15/kiji/K20141215009461590.html「羽生はどこまで行くのだろう」と感じさせてくれるような素晴らしい演技だった。国際大会初の「SP100点+フリー200点、合計300点」というスコアは、目前だろう。前日のSPと合わせ、2度転倒しながら合計は288・16点。転倒さえなければ、と思わせる。http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/12/14/kiji/K20141214009458910.html才能があって気持ちも強い。しばらく無敵だと思う羽生結弦という人の強い精神力とは裏腹の脆弱な肉体。加えて完治が難しい右足の剥離骨折。この2つの事実を決して甘く見てはいけない。そうでなければ、だんだんとジャンプが安定しなくなっていった日本フィギュア史上屈指のジャンパー本田武史のキャリア後半、もしくは高難度ジャンプがほとんど常に回転不足気味の今の小塚選手のような状態に、羽生選手もあっという間になるだろう。羽生結弦の強い精神力と驚くべき才能ばかりに頼んで、休養させるべきところで「労働」させるからこういう結果になる。これはこれからも常に羽生選手につきまとう問題だ。コンディションが良ければ、おそらくは「無敵」。だか、その状態を続けることができるだろうか? 今までも「できない」ことが多々あった。今年も「できなかった」。いろいろなアドバイザーやトレーナーがついていても「できなかった」。ここを重く受け止めるべきだ。オーサーコーチも「ピーキングの大事さを知ってほしい」と言っている。彼は問題をわかっている。もっとコーチを尊重し、選手を委ねるべきだ。常識的な大人からすれば、「強制労働」のにおいがプンプンするのに、若い選手個人に火消を発言させるような態度は周囲の大人の狡猾さを浮き彫りにするだけ。今回羽生選手が連覇を逃した原因は、4回転サルコウが2回転になり、その基礎点が入らなかったこと。それに尽きる。今の男子は高難度ジャンプをいかに多く回り切るかで勝負が決まっている。それはMizumizuの主観的な印象論ではなく、プロトコルを客観的に分析した結果として、そうだと言ってる。たとえば中国杯での点を見ると、羽生選手は4サルコウ回りきって転倒したと見なされたから基礎点10.5点からのGOEマイナスで7.64点、そこから転倒の1点マイナスだったから、6.64点が入っている。(このときの技術点は75.58点、演技構成点84.02点)。今回はそれがダブルサルコウになってしまったから、転倒はないが、基礎点1.3点、これにGOEはプラスで1.33点。ダブルサルコウとしては加点のついたジャンプで、成功だが、4回回れなかったから基礎点が入らず点にならなかった。6.64点-1.33点=5.31点この点を単純に羽生選手の総合得点に足せば、276.39点で、フェルナンデス選手の273.90点を上回る。だから、たとえ転倒であっても4サルコウを回り切るところまで持って行けていれば、羽生選手が勝っていた。ところが、岡崎真氏は、この結果についてこんなことを言ったようだ。http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/03/29/kiji/K20150329010072730.html羽生 連覇逃した背景…ジャッジにも見透かされていた“手抜き”シーズン最後になって昨季までの羽生の悪い面が出てしまったように感じた。厳しい言い方をすれば、問題は演技の要素と要素の間の“手抜き”だ。 これを物語ったのが5項目の演技点。ジャンプの失敗があっても五輪王者として演技点ではトップを守ってきたが、この日はフェルナンデスに劣った。羽生自身の得点もGPファイナルに比べ3点以上下がっており、これが同等なら連覇は達成できただろう。演技点は、いわばスケーターの基本的な評価。ジャッジにも見透かされていた気がしてならない。この意見、実は言いたいことはよくわかるのだ。Mizumizuが懸念していることとも重なる部分が多い。つまり五輪王者である彼は、ジャンプの失敗があっても、これまでは演技構成点ではトップを守ってきた。ところが今回は演技構成点でもフェルナンデスに負けてしまった。その背景にあるのは、要素間の密度や表現の「薄さ」。もっと言えば、プログラムがジャンプを跳ぶことに力点を入れたために、全体がスカスカになってしまった。その点を問題視しているのだと思う。気持ちはよくわかるのだ。出来の悪い演技を繰り返していると、五輪王者と言えど、だんだん演技構成点が下がってくる。実績点でないのがタテマエのシステムだが、そんなのはもうお題目で、過去の実績は演技構成点にかなりモノを言う。今回は(おそらく)ジャンプを跳ぶことに力点を置きすぎ、その他の表現がおろそかになっていた。それが羽生選手の「悪い面だ」ということ。それはその通りだが、この紙面の論評は「自分がそう思ったこと」の論拠を「演技審判の採点行動」置いたことに問題がある。岡崎氏はジャッジだから、読む者はジャッジの代弁をジャッジがしたと受け取りやすく、そこも問題だ。今回のプロトコルの数字を見ると、演技構成点は以下のようになる。フェルナンデス選手 89.06羽生選手 88.64テン選手 88.36フェルナンデス選手がトップだったのは事実だが、羽生選手との差はわずか「0.42点」だ。これを見るとトップの3選手にほとんど差はない。順位はついているが、演技構成点で差はつけておらず、ここから読み解けるジャッジの採点行動は、「技術点に順位を委ねた」ということだ。羽生選手の演技構成点がファイナルと比べて3点下がったというが、コンディションが悪ければ出来もよくないから点は下がる、それは当たり前の話。コケようが手抜きをしようが、いつもいつも同じようなFIXの高得点が出たら(そういう選手も過去にいたが)、そちらのほうがおかしいというものだ。演技の要素と要素の間の“手抜き”を見透かされたとしたら、それが一番反映されるのは、演技構成点の5つの要素の中の「トランジション」だろうが、羽生選手のファイナルの「トランジション」8.82点、今回は8.71点とほとんど差はない。今回の演技構成点のコンポーネンツの点を比べると フェルナンデス 羽生 テン スケートの技術 8.71 8.93 8.71トランジション(つなぎ) 8.71 8.71 8.68パフォーマンス 8.93 8.68 8.79振付 9.07 9.04 8.96解釈 9.11 8.96 9.04「スケーターの基本的な評価」は演技構成点の中でも「スケートの技術」だろうが、ここでは、要素と要素が手抜きだろうが何だろうが、ジャッジは羽生選手をトップにしている。このスケートの技術、小塚選手の点が「8.00」点だ。いくらジャンプが決まらなくても、スピンの取りこぼしがあっても、「呼吸でもするように自然に」加速していく小塚選手のスケート技術は依然として素晴らしいと思うのだが、その選手にこんな低い点をつけている。そこは問題ではないのだろうか? 演技の要素と要素の間の“手抜き”を見透して点に正しく反映できるような慧眼のジャッジがこんな点をつけるのだろうか?そして、つなぎを評価するトランジションは、フェルナンデス選手と羽生選手は同じ点。「パフォーマンス」「振付」「解釈」がわずかにフェルナンデス選手が上。この微妙な点差をもって、自分の見た印象である「手抜き」感を演技審判が「見透かした」とするのは、まったく不十分だし、無理がある。これだけの点をもらった演技が「手抜き」なら、ワールドに集う世界トップ選手のほぼ全員が、羽生選手の手抜き以下の演技しかできなかったということになる。そりゃないわ。<続く>
2015.03.29
「わずかな回転不足がその下の回転数のジャンプの失敗と同じ扱いになる」――こんな狂ったルールがまかりとおった暗黒のバンクーバー五輪から5年。ようやくフィギュアスケートが正しいスポーツの道に戻ってきた。女子ショートを見ての感想はそれに尽きる。アンダーローテーション判定も、これまでの流れから見ると全体的に非常に緩め。「甘め」と言えばそうなのかもしれないが、1/4というルールブックの規定にもっとも「正しく」沿った判定だったように思う。一部の例外を除いて。例外はアメリカ女子に対する判定。次の五輪に向けて飛躍が期待されるエドムンズ選手には甘く、前の五輪で審判に怒りを爆発させたワグナー選手には厳しかった。具体的に言うとエドムンズ選手の3Lz+3Tの3T。かなり垂直跳びになり、典型的な「グリンコ」で降りてきたのにこれは認定。ワグナー選手の連続ジャンプのセカンドの回転不足判定は仕方ないにしても、単独のフリップ。フリーレッグがかすったとはいえ、それほどの回転不足には見えなかった。なのに、こちらはシビアに「<」判定。ワグナー選手はこういう「両足着氷」がわりに多い選手で、かつては、明らかに回転が足りていないのに認定されたりしてMizumizuを驚かせたこともあったが、今回はタラソワの言葉を借りれば、「ジャッジは彼女の側にいなかった」という印象だ。だが、それ以外の判定、微妙なジャンプもあったが(特に連続ジャンプのセカンド)、全日本のように首を傾げるような厳しい判定はほとんどなく、逆に李子君選手の「<」判定(エドムンズ選手以上にはっきりわかるグリ降り)や、ヘルゲソン選手に対する「<<」判定(完全に降りてから回っていた)を見ると基準は非常に明確で、一部でさかんに言われてきた「ホームアドバンテージ」もなかった。だが、これで試合によって甘い辛いがあることがさらに明白になったし、同じ試合でも必ずしも同基準で判定されているのか疑念の余地が多いにあるという現実は変わっていない。ルールはコロコロ変わるので、また今後のルール策定と運用に注目して、より公平な競技になっていってほしいと切に願う。とはいえ、今回の女子ショートは、スポーツ競技としては実にわかりやすく公平にジャッジングがされていたと思う。高難度のジャンプを決めた選手が高得点を出す。スポーツとして一番わかりやすい採点がされたからだ。ブッチ切りの1位を獲得したトゥクタミシェワ選手は、まさにそれにふさわしい演技をした。完璧なトリプルアクセル!鮮やかなトリプルルッツ!そして、後半にトリプルトゥループ+トリプルトゥループのコンビネーション!誰も跳ばない高難度ジャンプを鮮やかに決めた選手が、圧倒的にリードする。これは当たり前のことだ。加点と演技構成点で異様な高得点を稼ぐ選手が引退したことも、あるいは関係しているのかもしれないが、加点・減点も非常にわかりやすく、誰に対しても基準を満たせば付くようになったし、演技構成点も――個人的にはラジオノワ選手に好意的すぎるとは思うが――それほどの差がないという意味で、バランスが取れている。トゥクタミシェワ選手のジャンプに強いて難癖を付けるとしたら、連続ジャンプのセカンドの着氷ぐらいだろうか。加点「3」は評価しすぎのように思う。だが、これまで試合に入れてこなかったトリプルアクセルをこの大舞台で入れ、力強い離氷からきれいな放物線を描くジャンプを跳び、完璧に回り切って余裕をもって降りるという離れ業をやってのけた。さらに、大技を入れながら他のジャンプもまとめる。ジャンプ技術の確かさがなければできないことだ。トゥクタミシェワ選手はいきなりトリプルアクセルを決めたように見えるが、もともとジュニア時代には練習では何度も決めている。ジャンプの巧さでしのぎを削るミーシン・スクールの選手たちの中にあっても、そのクオリティは特筆ものだった。本当に、オリンピック直前のジャンプの乱れ方が嘘のようだが、今回の高難度構成、決めている本番だけ見れば当たり前のようにこなしていると思う人もいるかもしれないが、大いなるリスクを伴うものだ。ショート冒頭でトリプルアクセルを入れることのリスクは、ソチ五輪での浅田選手を見ればわかる。決めるのも難しいし、決めたとしても他のジャンプをまとめるのが難しい。決まらなかったら致命的で、金メダルがほぼなくなるわけだから、そこから気持ちを立て直すのがまた難しい。それをやり切って、インタビューでは涼しい大人の顔で、「フィギュアスケートは進化していかなければいけない。男子が4回転を入れるのだから、女子もトリプルアクセルを入れる時代」と、ロシアが一貫して主張してきた価値観を冷静に踏襲して言葉で伝える。は~、素晴らしい。あれで18歳というから恐れ入る。ロシア女性の早熟さ、肝の座りかたは日本人の想像を超えている。世界で闘っていくなら、やはりあの強さ、揺るぎのなさ、したたかさは日本女子も大いに見習ってほしい。ジャンプを回り切れるかどうかは、高難度ジャンプ時代になればなるほど、イチかバチかの側面が大きくなる。失敗すれば優勝候補であろうと、今シーズンいかに高得点を出していようと、あっさり順位を落とす。女子はトゥクタミシェワ選手が、入念な準備ののちに大胆な賭けに出て、見事に賭けに勝った。男子は、直前までジャンプに不安要素が多かった羽生選手が全部のジャンプを回り切ってトップに立った。結果だけ見れば、「な~んだ、やっぱり?」に思えるかもしれないが、Mizumizuの印象はまったく逆。男子も女子と同様、誰が勝つのかまったくわからない試合だった。四大陸で驚異的な点を出し、好調そのままに来て、失敗するイメージがまったくなかったデニス・テン選手が、まさかの曲のアクシデント(怒!!!!!!!!!!)で、4回転で転倒、連続ジャンプの失敗。4S+3Tを鮮やかに決めた(あの時点では首位の座が見えていた)、ロシアのコフトゥン選手がまさかの残りのジャンプ全部0点失敗で16位。これはそのまま羽生選手にもフェルナンデス選手にも起こり得ることだった。これからも、常に起こりうることだ。フィギュアはそのぐらいスリリングな競技になった。試合としては多いに楽しめる。男子のショートを見て感じた問題点は女子とは違って、ルールそのものに対する疑問。コフトゥン選手に見られるように、シングルアクセル、2トゥループが一律ゼロになるというのは、いかがなものか。もともと2回転以下のジャンプの基礎点は低いので、あまり順位に関係しないと言えばそうだが、昨今の男子はあまりにハイリスク・ハイリターンで、同じ選手でも、ジャンプの出来不出来で点数が上下しすぎてしまう。ジャンプを回ったのなら、その基礎点はとりあえずは与えるべきだと思うが、どうか。4回転ルッツに挑戦して、とりあえず転倒がなかったリッポン選手だが、ダウングレード判定なので、失敗した3回転ルッツ点になってしまう。3.90点というのは、低すぎないだろうか。あれだけ降りてから回ったらダウングレード判定になるというのは、その判定自体には現行ルール上、何も疑問はないのだが、回り切って(と判定されて)転倒したテン選手の4回転トゥループが7.30からマイナス1で6.3点になるということを考えると、これはもう何度も言っているが、「回り切ること」に価値を置きすぎではないか。判定の一貫性とはまた別に、アンダーローテーション、ダウングレードに対する減点幅はなお議論の余地がある。一方で、リッポン選手はやはり、あそこまで不完全な4ルッツに固執して、降りることができたといって喜ぶのではなく、トップ選手なら順序として入れてくる4トゥループを跳ぶべきだと思うのだが。練習で4ルッツがどれくらい跳べているのが疑問だ。演技自体は、ギリシア神話の美少年のようだった時代から、男性的で力強い演技へと変身した今に至るまで、常に魅せる「華」をもっているだけに残念。どちらにしろ、フリーを終えてみなければ、結果はどうなるかまったくわからない。ジャンプ構成の難度を落とす一方のキム・ヨナが「完成度と表現力」で勝つとか、トリプルアクセル跳べなくても圧倒的スケーティングスキルでパトリック・チャンが勝つとか、お膳立てバッチリだったつまらない時代が終わったことは喜ばしい。明日のフリーが楽しみだ。特にテン選手には四大陸の再現を期待している。
2015.03.27
フィギュアスケートの世界選手権開幕を控えて、フジテレビが喧しい。少し前には、銀座のソニービルの壁面に羽生結弦選手の特大ポスターが飾られ、さっそくフジテレビが宣伝。ニュースの形態を取ってるが、実際は「宣伝」であって、その手法が「まんま電通」で笑ってしまう。まずはニュースの原稿。「フィギュアの貴公子」というキャッチフレーズを作る。かつて、キム・ヨナを「韓国の至宝」「フィギュアの女王」と名付けて売り出そうとしたのとまったく同じセンス。ポスターにも「世界王者の証を、見せる」という、挑発的かつ大胆なキャッチコピー。あえて入れた「、」のインパクトなど、間違いなく一流のコピーライターの手になるものだ。そして、「銀座ジャックです」というフレーズ。実際には、銀座の一角のソニービルの壁面にシロナガスクジラ大(笑)ポスターを1枚垂らしただけなのに、それで羽生結弦がこの東京で最も華やかな一等地を占領でもしたかのように大げさに喧伝する。これは典型的「電通」宣伝手法で、特にネット時代になってから多く見られるようになった。何か目を引く「イベント」を賑やかな街角で突如敢行し、道を歩いている人の注目を集める。その様子を――ニュースで流せるほどのネタではない場合は――You tubeにアップする。「●●をジャック」というフレーズとともに。●●は「お台場」であってもいいし、「銀座」であってもいいし、「原宿」であってもいい。そして足を止めてじっと見たり、ケータイで写真を撮ったりしている人々の映像も入れる。ネット時代だから、「何だ何だ」と皆が検索する。あるいはSNSで情報発信する。すると動画を見る人が増え、宣伝効果が生まれる。この手法はすでに確立していて、あちこちの企業が「商品」の宣伝に活用しているのだが、フィギュアスケート世界選手権、そしてそこに登場する羽生結弦が、今回の「宣伝すべき商品」ということになる。フジテレビの世界フィギュアサイトでも、羽生君、羽生君だ。電車一両を羽生君ポスターが「ジャック」している路線もあるという。http://www.fujitv.co.jp/sports/skate/world/special.htmlかつて、一時代を築いたデザイナー、イヴ・サンローランが引退を決めたとき、公私にわたるパートナーだったピエール・ベルジェが、「ファッションは商売人の手に落ちたのだ」と言ったが、その言葉を借りるなら、「フィギュアスケートは広告代理店の手に渡ったのだ」と思う。銀座を「ジャック」した羽生選手のポスターはその象徴のように思える。そのわりにはワールド前に羽生選手はほとんどメディアに登場しなかったではないか、という人がいるかもしれない。だが、それこそ「報道規制」を敷くことができたということで、メディアに大きな影響力を及ぼしうる人間が羽生選手の後ろにいるということなのだ。今回はスケート連盟もガッチリ羽生選手をガードしている。http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/othersports/379192/小林部長は電話で羽生側と話したというが、4回転ジャンプの状態など詳細については「お答えできない」の一点張り。「羽生選手は連盟、ファン、メディアからの期待値がすごく高く、プレッシャーは計り知れない。ストレスを与えずストレスのない状態で気持ちを持てるよう守ってあげたい」と説明した。 連盟の羽生に対する“気遣い”は、これまでにないレベルに達している。練習の邪魔にならないように配慮してか、連盟関係者が羽生の元へ直接出向いて状態を確認することもしなかった。練習拠点についてもこれまで同様、国内か海外、どちらにいるかしか明かしていない。「国内のどこと限定してしまうと、リンクに行ってしまうファンもいるようですから」(連盟関係者)と極秘扱いになっている。 羽生は若くしてフィギュアスケート日本男子初の五輪金メダリストに。今や主要国際大会を総ナメにしているプリンスは日本の宝だけに、ソッポを向かれることは避けたいところだ。また、昨年11月の中国杯では演技前の練習で中国選手と衝突し大ケガを負いながらも強行出場した際には、連盟への苦情が殺到。羽生に何かあればすぐに連盟と結びつくだけに“超VIP待遇”も致し方ないようだ。「メディアから姿を消す」というのも、ファンに一種の飢餓感を与えるという意味で、巧みな戦術だし、メディアの攻勢(それも悪意に満ちた)にほぼ無防備だった浅田真央選手のことを思うと、そのあまりの差に驚いてしまう。バックに誰がつくか、あるいはついてくれるのか――これが大きくモノを言う。考えてみれば、それはビジネスの世界では当たり前のことなのだが。フィギュアスケートがビッグビジネスになり、選手の商業的な価値が高まるのは、総じて言えば選手自身にとってもベネフィットが多い。羽生選手の場合は、懸念されるのは多忙すぎるスケジュールの中でのコンディション調整。それから強いて言えばコーチとの関係だろうか。「チーム結弦」にアドバイザーが多すぎるのか、コーチのもとで基本的な訓練をする時間が減っているのが――これはかつての浅田真央選手にも言えたことなのだが――将来的にどうなのかという心配もある。だが、大きな試合の前に情報をシャットアウトし、選手をプレッシャーから守るという姿勢は大いに評価していいと思う。バンクーバー五輪のキム・ヨナ選手もこうした「雲隠れ」戦術を使い、試合ではそれが吉と出た。羽生選手のバックには、「伊藤みどりが五輪で力を発揮できなかったのは、すべてのプレッシャーが彼女1人に集まったため」と分析できている城田憲子氏もいる(中国入りした羽生選手の後ろでちょろちょろしている小柄なピンクの女性)。彼女が「手がけた」選手で最高の栄光を手にしたのは、荒川静香と、もちろん羽生結弦。一方で、太田由希奈や本田武史は、一時期彼女の大いなるバックアップを受けつつも、怪我で「(彼らの才能なら)得られるべき栄光の座」につけなかった選手だ。羽生結弦という図抜けた才能を、怪我で潰さずに次のさらなる栄光に導けるか。これはかなりの部分、城田憲子氏の手腕にかかっていると言えるかもしれない。羽生選手の場合、メディアとの関係は非常にうまく行っている。好意的な報道が多く、羽生人気に乗っかろうというムードだ。読売新聞まで、コレ↓羽生君の映った写真集を何度も何度もアップして、いろんなモノと絡めて宣伝している。http://pr-yomiuri.com/article/437/cms_id/284http://pr-yomiuri.com/article/458/cms_id/305かつて、佐藤有香が幕張で世界選手権を制したとき、スポーツ新聞の扱いがあまりに小さく(トップは高校野球)、タレントの薬丸裕英だったか、「高校生が完全試合をやったからといって、それはあくまで国内の話。彼女(佐藤選手)は世界と戦って勝ったのに、この扱い」と苦言を呈したが、そのころを知る人間からすると隔世の感がある。関係者皆の努力でここまで来た。選手にもビジネスチャンスが広がった。あとは商業主義の負の面、選手の酷使と、そこから起こる「使い捨て」をどうやって防ぎ、克服していくかだ。
2015.03.25
さてさて、読者の皆さんが一番関心があるであろう、「じゃ、エアウィーヴの使用感って実際どうなの?」について。寝具の難しさは、ちょっとだけ横になっただけでは真価がわからないということだ。東京西川のAIR Si H(高反発でも低反発でもないムアツ系)と、エアウィーヴ四季布団 和匠(高反発)を両方実際に購入して使用するなんて物好きも、たいがいMizumizuぐらいだろうから、ここはひとつ、実際の使用感について詳細にレポしようと思う。まず、東京西川AIRからエアウィーヴ和匠に替えて一番に感じたのは…「うっ、(布団が)硬いっ」ということ。夜中に寝返りをうったときに目覚めて、上腕の骨のあたりが、「イテテッ」となる。寝心地というだけだったら、ハッキリいって、Mizumizuには硬すぎた。ところがところが…「寝起き感」がえらくいい。なんというか、「すっきり起きられる」のだ。そんなに長く寝たわけでもないのに、目覚めてすぐ活動できる感じ。さらに、ずっと悩まされていた肩の重だるさがものの2日ぐらいで、すっきりなくなったではないか!しかし、これはやはり枕の高さに原因があったのではないかと思い当った。西川AIRは弾力があるので、高めの枕で横寝をすると肩に体重をかけた状態になる。エアウィーヴは硬めで枕もほどよく低いので横寝をしたとき、肩に体重がかからない。と、こう書くとエアウィーヴで正解だったように読めるかもしれない。しか~し!数日後に大問題が。なんとなんと・・・腰痛ぶり返し!えっ!?という感じだった。♪なつかし~い、痛みだ~わ、ずっと前に忘れていた~(松田聖子の『SWEET MEMORIES』より若い女の子=懐かしいいたみ=恋愛の心のいたみ若くない元・女の子=懐かしいいたみ=腰痛西川AIRに寝るようになって解放されていた腰痛を久々に感じてしまった。しかし、これがエアウィーヴに替えたせいなのかと言われると、ハッキリそうとも言い切れない。たまたま非常に忙しく1日中運動もせず、デスクワークをぶっ続けてしていた。そのせいかもしれない、といえばそうかもしれない。腰痛がぶり返したので、エアウィーヴ部屋から西川AIR部屋に移動するMizumizu。西川AIRに寝るとき、少し気を付けて横寝をしたときに肩に体重をかけないよう低めの枕を使ってみた。すると、腰痛はやわらいだ気がした。ついでに言うと、肩の重だるさも出なかった。う~ん、腰痛にいいんじゃなかったのか? エアウィーヴ。その後少し運動を心がけたら、腰痛はおさまってきて、そのうちエアウィーヴの硬さにも慣れてきた。慣れてくると、「ほどよい弾力だな」と思う頻度も増えてきた。とはいえ…1か月ほど使ってみてのところだが、次にじゃあ、どちらを選ぶかと言われると、今の段階では東京西川。やはりエアウィーヴの硬さと腰痛の懸念が、マイナスポイントだ。東京西川の最大の不満は耐久性だったが、エアウィーヴも「マットレス5年、枕2年」と言われたから、期待したほど長持ちするものでもなさそう。枕2年って短すぎませんかね? そんな頻度で枕替えてる人って、Mizumizu周囲にはいないのだが。東京西川は羽生結弦を迎えて、新ブランドを出すらしい。AIR Siよりさらにハイグレードなオーダーメイド系。次はこれを…買わないっちゅーの!どのくらいハイグレードな素材を使っているのか知らないが、もうちょっと耐久性がないと、オーダーメイドまでする気にはならない。とは言え、寝具の選択肢が広がり、高めの商品でも売れるようになってきたのは内需拡大という意味でも、非常にいいことだと思う。フィギュアスケーターがイメージキャラクターを務めるようになり、寝具市場の拡大に一役買うようになってきたことも。その先駆者は、やはり浅田真央だということだ。浅田選手が遠征のたびに、エアウィーヴを(しっかり見えるようにきっちりと)カートにのせて登場するシーンはニュースで何度となく目にした。羽生選手も同じことをするのだろう。これまではテキトーに斜めにのっけてたが、次からはきっと、きれいに目立つようにのせてテレビカメラの前を歩いていくのだろう。進化した四季布団 「和匠」――ワインレッドのアウターカバーが目印こちらが今回比較した東京西川のAir Si H西川エアーマットレス シングルサイズ有村智恵・キングカズ・三浦知良 ムアツ布団 進化系 腰痛 マットレス 坂本勇人 si SI SI-H送料無料 ポイント10倍 エアーSI-H マットレス/Hard エアー SI si 西川エアー 115ニュートン 東京西川air 腰痛 敷布団 東京西川 コンディショニングマットレス 日本製 ムアツ カズマット ネイマール 【ハード】【シングル】
2015.03.19
浅田真央の麗しきポスターに迎えられ、高島屋の寝具売り場に向かうと、エアウィーヴコーナーには販売員がスタンバイ状態。まずは、張り付いたような笑顔がややぎこちないおねーさんに、こちらからアプローチ。既存のベッドに敷くタイプではなく、フローリングに直接敷くタイプを探している旨を告げると最新のブランドがあるとのこと。エアウィーヴ 四季布団 「和匠」従来の「四季布団」にエアウィーヴS-LINEの機能をプラスしたもので、肩のあたりは柔らかく、腰のあたりは硬めにアレンジして進化させたものだという。さっそく試させてもらうと…う~ん…以前のものより確かによくなってはいると思うが、ぱっと寝てすぐに、いつも寝ている西川AIRプレミアムよりいいかと言われると、「?」。枕も何種かもってきてもらうと、「S-LINE」がえらく心地がいい。あれやこれや試して、かなり「本気で検討してます」オーラを出し始めると、そこへ店長さんが登場! すごい勢いでプレゼンテーション始めた。「錦織選手もずっとエアウィーヴなんです! 浅田真央さんも、腰痛もちなんですけど、エアウィーヴで腰回り軽くなられたそうなんです!」はあ… 錦織選手のことはよく知らないが、浅田選手は2009年からエアウィーヴのサポートを受けてるハズ。しかし、彼女をめぐる「腰痛が酷い」話は、むしろ最近になってよく聞いたような気もするんだが…ま、スポーツ選手の腰への負担は尋常ではないし、寝具で根治できるものではないし、エアウィーヴ使っていたから、あれだけの高難度ジャンプを跳びながらも、大きなけがなく試合に出続けることができたってことかね?「エアウィーヴはすごく通気性がいいんです! 夏は特に涼しくて寝やすいんですよ!」明らかに、低反発マットレスに対する優位性の強調だ。しかし、西川AIR愛用のMizumizuは、夏の寝具の通気性について不満をもったことがないのだ。イマイチ納得できずにいるMizumizuだったが、その「流れ」が変わったのは、店長さんのあるデモンストレーション。「ちょっと座ってみてください。体圧分散に優れてるから、腰への負担が全然違うんです!」そう言ってやってくれたのは、エアウィーヴを敷いた状態と敷いていない状態で、腰かけた客の腕を前に突き出させ、そこに彼女が体重をかけるという実験。すると…!この実験の効果は甚大だった。エアウィーヴに腰かけた状態だと、荷重をかけられても、腰に負担を感じない。ところがエアウィーヴなしで同じことをされると、「イタタッ」と腰が痛み、体が逃げようとして傾いでしまう。「こんなふうに腰に負担がかからないんです。腰まわりが軽くなります!」「私も肩こりひどくて… でもエアウィーヴで寝るようになってから、肩が沈まないので(肩のうえに体をのせて寝ることがなくなったという意味だと思う)、肩こりも治って」「若いころは寝具なんてこだわらなかったんですが、40超えてから、やっぱり寝具って大事だな~って分かって」などと個人的な体験を交えながら、巧みにアピール。そして、「今なら、イベント用のプレゼントとして作ったクッションがあるので、お買い上げのお客様に差し上げられます」とオマケまで用意してる。見ると携帯用の小さなクッションで、日ごろ硬い木の椅子などに座ると(痩せすぎで)臀部が痛くなる、Mizumizu連れ合いにはピッタリのお品。「おお~」と喜びの声をあげるMizumizu+Mizumizu連れ合い。←単純さらに、パンフレットを見せられる。そこには開発に携わった日本睡眠学会(そんなのあったんかい!?)のナンタラ医師。ナンタラ大学のスポーツ科学のナンタラ医師…と、立派な肩書きの研究者の名前が並んでいる。科学的に開発されたマットレスだということをしっかりアピール。また、JAL国際線のSUITE777ファーストクラスに採用されましたとか、「ななつ星in九州」のデラックススイートに採用されましたとか、1人1泊20万も取る「天空の森」に採用されましたとか、ずらりとハイブランドの名前が並ぶ。まあ、カネのかかった商品だということはよくわかる。これだけハイクラスの「おもてなし」機関に採用されたということは、営業も相当カネかけただろう。浅田真央と坂東玉三郎というイメージキャラクターも、身体が資本の「超美形」を選んだ絶妙の選択だ。パンフレットそのものにも、相当カネかかってる。パラパラめくると、「エアウィーヴは進化を繰り返します。」のキャッチフレーズが目に飛び込んできた。「じゃあ、以前のはそんなによくなかったわけ?」と突っ込みたくなるような、でも、「それなら以前西川を選んだときより、エアウィーヴはよくなってるってことね」と思いたいような。「低反発マットレス」や「ムアツ系マットレス」からの乗り換え客を狙うには、実に的を射たキャッチコピーではある。以前、何かの理由でエアウィーヴを選ばず、別のタイプのマットレスを買った客にも、「そのころより改良されていますよ」と訴求できる。よく考えられている。コピーライティングにもしっかりお金かけてるわけね。ふと向こうを見ると、サッカーのネイマール選手がほほ笑む西川AIRのコーナー。しかし、販売員の姿は見えず、さみしーい感じ。ちょっと比較したいと思って、そちらに行くと、西川AIR専門の営業ではなく、高島屋の寝具売り場の担当者みたいな人があわてて出てきて応対してくれたが、特に売り込みはなし。しかも、試したAIRはレギュラーモデルで、Mizumizu所有のプレミアムモデルではなかったから、特に良さも感じない。さらにさらに、下に敷く電気毛布のようなものを稼働させていて、変にあったかく、狙いとはうらはらに、そのあったかさが、返ってAIR素材の「人工的な」感触を高めてしまい、気持ち良くなかったのだ。今思うと、東京西川は、羽生結弦選手起用の新モデル展開の準備に忙しく、こっちの旧来モデルには重きを置いていなかったのかもしれない。で、再び目を上げると、向こうには上品にほほ笑む浅田真央と坂東玉三郎のツーショット。ピンクと灰色の2人の衣装は、その色が2人に似あっているというだけでなく、2色の彩度を合わせるなど、色彩学の知識を感じさせるものだ。う~ん、すごいなー、エアウィーヴ。開発に信頼度の高そうな研究者を絡め(実際には全然知らない人だけど・笑)、パンフレットも質のいいものを作り、さらに営業もしっかり訓練された人員を配置している。錦織選手、浅田真央、坂東玉三郎とイメージキャラクターも豪華な布陣。サッカーにはあまり詳しくないので、ネイマール選手を見ると浮かんでくるのは、ワールドカップでの悲惨なアクシデントの情景。かたや浅田真央といえば、ソチでの「女子を超えた」としか言いようのない、空前絶後のフリーの演技。もちろん、フリー演技中のワンショットもポスターになっていた。恐らく後半のトリプルループを決めた直後のものだと分かる(←どこまでリピートして見てる?・笑)。瑠璃色を基調とした衣装に身を包んだ、生き生きと躍動感にあふれた浅田真央の魅力がその一瞬に凝縮されたようなポスターだ。再び、エアウィーヴコーナーに戻ると、すぐに寄ってくるセールスの上手な店長。「(高島屋の)ポイントはつきますか?」という質問にも、「はい! お付けできます!」と完璧にこちらの期待に応えてくる。「買おうかな~」と、一応迷いながら、Mizumiu連れ合いの顔をうかがうと、あっちに横になったりこっちに横になったり、枕替えたり、枕の中身を調整したり(エアウィーヴの枕は、中のシートの枚数を変えることで高さ調節ができる)、さんざん時間かけてるMizumizuの買い物行動にうんざりしたらしいMizumizu連れ合いは、「気に入ったんなら、買えば?」通訳すれば、「もう待ちくたびれたよ。早く決めて」という返事。一応、「主人のお許しが出ましたので」風の顔で、お客様用テーブルに座り、支払を済ませるMizumizu。マットレス、枕、送料(300円)、消費税、トータルで15万1308円也。というわけで…西川AIRを買い足すつもりで行って、あっさりエアウィーヴ陣営に取り込まれた!凄いなエアウィーヴ。この全方位からの販売攻勢。背後には諸葛孔明がいるに違いない。
2015.03.15
スケオタあるある-【電子書籍】価格:857円マットレス三国時代という言葉をご存知だろうか?1)テンピュールに代表される低反発2)マニフレックスに代表される高反発3)ムアツに代表される、そのどっちでもない系(点で支えるタイプ)今、この3国(注:国ではありません)が、マットレス大陸(注:そんな大陸はありません)で三つ巴の覇権戦いを演じている。特にやや後進の感のある「高反発」陣営の「低反発」陣営に対する攻撃はかなり激しい。以前に東京西川のAIR(点で支えるムアツ系)を買うときも、もちろんこの3つを自分なりにリサーチした。実際に(短時間だが)横になってみて、一番心地いいと感じたのは、実は今に至るまで購入していないテンピュールのこちらの商品。リクライニングと組み合わされて、まるで無重力空間にいるようならく~な感覚。じんわりとマットレスに沈んで包まれている感じも極上だった。しかし!ここで疑問がわいたのだ。こんなに沈んでしまったら、寝てるとき寝返りうたなくなるんじゃないの? と。Mizumizuは結構寝相は「悪い」ほう。こういう動きにくいベッドで長時間寝たら血行が悪くなったりしないのかね?それにエアコンが快適に効いたショールームならいいが、これが高温かつ多湿になる夏になったらどうなるのだ? かなり沈むよね? 包まれ感があるよね? つまり通気性はとっても悪そうってことだ。 この2つの疑問に加え、テンピュールのマットレスを使って「腰痛が治った」という声もある一方、「腰痛が悪化した」と言っている人もいることを知る(ネットで)。リクライニングベッドなんて大げさなものとマットレスを買ってしまったら、もし腰痛悪化した場合、始末に困るよね、ということで、低反発マットレスの選択はあっけなくなくなった。で、高反発。マニフレックスは試してないのだが、エアウィーヴは結構あちこちに置いてあり、横になってみた、のだが…正直言って、ぱっと寝た感じは、あまり寝心地がいいとは言えないと思ったのだ。こんなものかい? という感じで、高反発も脱落し、東京西川AIRが残った。で、買った。まるで東京西川の回し者のように、何度も絶賛したマットレスなのだが、難点を挙げるとすれば、3つ。1)耐久性に優れてるとは言い難い。体の部位によってかかる圧力が違うから、しばらくすると部分的なヘタリが気になってくる。2)収納しにくい。一応丸めてしまえるのだが、布団のようにたためないから嵩張る。3)腰痛はなくなったのだが、肩の凝りは取れない。だが、これはもしかしたら別の原因かもしれない。というのは、Mizumizuは枕を同じシリーズで揃えずに(デザインが好みでなかった)、古い適当なものを使っていた。それで、枕とマットレスの相性が悪かった可能性は否めない。とにかく、ヘタりが気になってきたし、もう1つ買うかという方向に心が傾き、まあ、最初はまた東京西川モノでいいかというつもりで行ったのだ、休日によく行く日本橋へ。そこで東京西川本店に入っていれば、間違いなくまたAIRを買ったのだろうけれど、高島屋に行ってしまった。なぜかというと、高島屋ゴールドカード所有なので、ポイント還元(8%か10%)が期待できるから。それに、西川に行ったら西川モノしかないが、高島屋ならいろいろ扱っていて、比べることができると考えたからだ。そして、いつものように日本橋高島屋の、とぉってもサービスのいい駐車場にクルマをあずけ、地下からエレベーターにのぼる。そこで出迎えてくれるのは、浅田真央のポスター。ソチ五輪フリー演技終了後のポーズで、「感動をありがとう」。その下に「エアウィーヴ」の文字。思えばこれが、プロローグだったのだ。(以下、後日)いつになったら話が始まるのだ?
2015.03.13
東京西川の寝具を羽生結弦選手がもっているのを見て、アレ? と思ってエントリーをあげてから5か月(こちら)。やはり、思っていたような展開になった。http://news.mynavi.jp/news/2015/03/12/418/寝具メーカーの東京西川は3月12日、フィギュアスケート・羽生結弦選手とのサポート契約を締結したことを明らかにした。同社は今後、眠りのスペシャリスト「スリープマスター」によるアドバイスなどを通じて、同選手のコンディショニングを睡眠の面からサポートしていくという。同社は、羽生選手が以前から同社の寝具を活用していたという縁もあって、今回のサポート契約へとつながったことを説明。パーソナル・フィッティングによる身体に適した敷き寝具や、オーダーメード枕の提供、スリープマスターからのアドバイスなどを通じて、羽生選手をサポートしていくことを目指す。今回の契約に付随して、3月19日にスタートする交通広告とインターネット広告、さらに4月5日より放映予定の同社の新ブランド「&Free(アンドフリー)」のCMに羽生選手が出演する。「僕は眠りを大切にしています」という羽生選手は、「睡眠は、食べることと同じように生きるために大切なことなので、子供の頃からとても興味がありました。人間にとって睡眠は、運動して疲れた身体やいろいろなことを考えて疲れた脳を癒やすメンテナンス時間ですから」とコメント。さらに「睡眠に関してさまざまなアドバイスをもらえるスリープマスターは、とても頼もしい存在です。また、パーソナル・フィッティングしてもらって、自分に合う枕やマットレスができるのはうれしいです。今後スリープマスターのアドバイスを受けたいと思います」と続け、感謝の意を示した。なお、今後も羽生選手はさまざまな同社の広告に出演する予定とのこと。新ブランドのCMに羽生結弦登場とは、東京西川も大いなる「仕掛け」に出たものだ。前々から話を進めていた感がある。これまでサッカーや野球のスター選手を起用してきた東京西川だが、いかにも汗臭そ~な顔ぶれの並んでいたポスターに、ぶっちぎり美肌ナンバーワンの五輪金メダリストの涼やかな顔がお目見えするのも楽しみというもの。しかし、Mizumizuは…、実はついつい最近、浅田真央がイメージキャラクターを務める、高反発マットレス「エアウィーヴ」を買ったばかりなのだ。枕もセットで15万弱。で、東京西川と寝比べた結果は?気になりますか?では、それについては次にでも。
2015.03.12
丸の内に行くとかなりの高確率で立ち寄る「ラ ブティック ドゥ ジョエル・ロブション」。パティスリーでもあるが、Mizumizuはもっぱらブランジュリーとして利用。その中でも寒い季節の定番なのが…と上は紅玉リンゴの酸っぱさがきちんと生きている、そこに「フランス」を感じる。この薄さもいい。下はダークチョコレート、ミルクチョコレートになんとバターをはさんだ恐るべき高カロリーバゲットなのだが、バターがあっさりと軽く、その柔らかな食感が硬い板チョコの歯ごたえと2種類の味に、コクと深みを与える役割を果たしている。チョコレートもさすがにいいモノを使っている。ただ、やっぱり「バイトが板チョコはさんで作ってるのね」と思うような雑さが出てきているのは気になるところ。板チョコの量がバラバラだったり、挟み方が統一されていないのが、付いてるプライスに見合わない。…なので、できるだけキレイなものを選んでトレイにのせているのだが(笑)。ロブションのショップは、いつの間にか都内に増殖して、以前のようなレア感がなくなった。中には買って、「あちゃーー」と思うようなモノもあるが、期待値をはるかに上回るものもある。Mizumizuにとっては、この2つがまさにそれ。
2015.03.07
ネットで…フランス発ファッソナブル×ジャン・コクトーのカプセルコレクションが発売!という記事を見つけた。南フランス・ニース発の感度の高いブランド、ファッソナブル(FACONNABLE)の2015年春夏コレクションより、芸術家ジャン・コクトーの作品に捧げるカプセルコレクションが登場。世界でも少数のセレクトショップのみで展開され、日本では、3月15日(日)まで、ランドオブトゥモローにて限定販売中。今回のカプセルコレクションは、ジャン・コクトー委員会を務めるピエール・ベルジェの支援と承認を得てスタート。ファッソナブルのディレクター、ダニエル・カーンズが、ブランド発祥の地であるフランスのリビエラとジャン・コクトーのシンボルである絵という2つの要素をマリアージュして、メンズとウィメンズのアイテムの数々を提案。リュクスなファブリックと精密なカッティングを彩るコクトーの作品。アートとファッションの美しく貴重なコラボレイションを、お見逃しなく。ファッソナブルというブランドは初耳。さっそくホームページに行ってチェックする。フレンチ・リビエラのイメージにぴったりな、ややアンニュイなリゾート感あふれるデザインに、素材の上質感が伝わってくる、洗練されたブランドのよう。こんな洒脱なショートフィルムまで作っているではないか。これは明らかに、ヴェズヴェレール家の別荘サント・ソスピール。キャロル・ヴェズヴェレールは、『ムッシュー・コクトー』の中で、個人でこうした文化遺産を維持していくことの難しさを訴えていたが、このフィルムを見る限り、コクトー作品の保存状態は良好のようだ。コクトーの好みそうな、「彫刻的な美男」を登場させ、鏡もちゃんと出てくる。ユダヤ人であったヴェズヴェレール夫人との友情の証しでもある星のマークも。コクトーの得意なフィルムの逆回しもやるし(1:50当たり。ここで青年の着ているプレーンなシャツの袖に施された星の刺繍が映るが、これは丸の内でも売られている)、『オルフェの遺言』でシンボリックな役割をもたせたハイビスカスの花もある。ニースに行かなくても、ジャン・コクトーのカプセルコレクションを入手できるとあれば、行かなくては、丸の内。ということで行ってきた。ジャン・コクトーのカプセルコレクションを扱っているのはここのみ。で、中に入ってみると、1階にウィメンズ、2階にメンズの、ほんのワンコーナーがコクトー・コレクションに割かれているだけで、しかも、アイテムはほとんどなかった。ネットで写真が公開されていた、白い太いラインで描かれた横顔を大胆に配した紺のカットソー↓は、女性用はもうすでに完売。男性用が1着残っているだけだった。男性用を見ると、イラストの線は単調ではなく、濃淡があり、写真から想像していた以上によかった。真っ先に売れてしまうのも頷ける。もともと数が少なかったのだろうが、それにても早い。やはり、ジャン・コクトーファンは、今もひそかにこの大都会に潜伏しているのだな(笑)。ウィメンズはホワイトコットンのシャツが数点残っているだけ。カラフルな刺繍を施したどこかアジアンテイストの半袖シャツと、コクトーのイラストをシャツと同色の「織り」で表現した丈の長いプレーンな長袖シャツと短いジャケット風のシャツ、それにコクトーのシグネチャーである星を袖に紺色の糸で刺繍しただけのシンプルなシャツがあった。吊り下がっているモノを見ると、とても値段に見合っているとは思えなかったのだが、「ジャン・コクトーお好きなんですか?」「よろしかったご試着を、ぜひ」という店員さんの笑顔につられ、着てみたら、あーら不思議。思った以上の素材の上質感に驚く。さすがに、世界中から目の高いバカンス客が押し寄せるニースに由来するブランド。シンプルで、控えめで、よくよく見なければわからないようなところに手をかけている。右の衿下にあしらわれたコクトーのシグネチャー。織りで星を表現。左の前身頃に、男性の横顔。言われなければわからないかもしれないが、片方の見頃いっぱいに横顔が織りで表現されている。ボタンが2つ着いた袖先のカフスの幅が広いのがクラシカルでエレガントな印象。下ボロは長く、剣ボロとカフスの中間にボタンが1つあしらわれている。そして、魅惑の(笑)Jean Cocteauレーベル。そういえば、ピカソが、「美容院にはコクトーのイラストばかり」と言ったとか言わないとか。当時からコクトーのイラストは人気だった。そして、ジャン・コクトーが亡くなったあとも、本人には断りもなく、彼のイラストは繰り返し、いろいろなアイテムとなって甦る。時の流れという川の水面に、浮かんでは沈み、沈んではまた浮かぶ泡のよう。コクトーは詩人だが、今はむしろイラストレーターとして、さまざまな人々の仕事を助けている。コクトーの名がつけば、Mizumizuみたいなコクトー・フリークが買ってくれるから。フランスにはコクトーの壁画の残る建造物や美術館もあり、観光客で賑わっている。今はコクトーの詩を読む人よりも、コクトーの絵を見る人のほうが多そうだ。フランスの街おこしにも大いに貢献している。ジャン・コクトー、彼の命はとっくにはなかく消えたが、そのポエジーはまたも蘇る。実に偉大な存在ではないか。
2015.03.03
Mizumizuがベネズエラ産カカオとリヨンのチョコレート職人の関係についてエントリーにあげたのは、2007年11月のこと(記事はこちら)。それから7年。あのとき取り上げたパレドオールが日経新聞の「専門家お薦め 職人技のチョコレート、ベスト10 」(2015年2月8日付け)で、2位に選ばれたよう。パレドオールはMizumizuも、ときどきリピートしている。Mizumizuの好むカカオの風味をシンプルかつ最大限生かすタイプのチョコレートだ。2007年当時、ベネズエラ産カカオの酸味がどうの、なんて熱っぽく語る日本の一般人はMizumizuぐらいだったが、今は原産地に注目したチョコレートがちょっとしたブームになっている。さすがに、素材にはうるさい日本人。このトレンドは素直に嬉しい。そういえば、日経新聞のランキングの1位のパティシエ・エス・コヤマ「アンノウン! カカオナンバー4」(兵庫県三田市)も、ベネズエラ産カカオにこだわったチョコレートらしい。やっぱり最高ですね、ベネズエラ産。リヨンの血を引く「ショコラティエ パレドオール」でも、以前はなかったベネズエラ産カカオのクリオロ種、しかもその中でも希少価値の高いチュアオを使った「パレドオール チュアオ」がお目見えしたのだが、残念ながら売り切れが多く、「いつ入荷しますか?」と店員に訊いても、「未定です」のそっけない答え。「ラクテ」と「ノアール」ならたいていいつでも買える。ひどいピンボケ写真だが…こちらはノアール、つまりカカオ成分の多いダークチョコレート。硬めの表面のコーティングに、ねっとりと柔らかいフィリング。余計な味が入らず、あくまでもカカオが主役。これがMizumizuの最も愛するチョコレートで、次がナッツ類と合わせたもの。蜂蜜もモノによっては好き…だが、ラズベリーだのオレンジだの、果物類をチョコレートと合わせるのは基本あまり好まない(例外もあるが、ごくわずか)。ショコラティエ パレドオールも、「ひょっとしてつぶれるのでは?」と不安に思ったこともあったのだが、どうしてどうして、逆に年月とともにしっかりと評価を高め、ブランドとしての地歩を固めてきたようだ。この店が好きなのは、なんといってもリヨンで修業した日本人のショコラティエが開いた店だということ。リヨンでたまたま出会った、ベネズエラ産カカオを使った極薄の円盤形チョコレートに衝撃を受けてから、長い月日が過ぎた。そのリヨンにつながりがあると一目で直感したこの店に出会ったのも、たまたまだった。フランスの同じ街で、おそらくは同じような衝撃を受けたのであろう日本人のチョコレート職人が、今東京でこうして活躍し、多くの人々が認め始めている。良いものは、わかる人にはわかる――パレドオールIN JAPANの成功で、Mizumizuにとって一番うれしいのは、そう確信できたこと。
2015.03.02
【楽天ブックスならいつでも送料無料】ワールド・フィギュアスケート No.66 [ ワールド・フィ...価格:1,944円(税込、送料込)電撃引退発表からほぼ2カ月。町田樹のアイスショー参加が発表された…http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150219-00000061-dal-spoフィギュアスケート男子で、昨年末の全日本選手権終了後に電撃引退を発表した町田樹氏(24)がプリンスアイスワールド2015横浜公演の全日程(4月25、26、29日、5月2、3日)に出演することが19日、発表された。町田氏にとっては、引退後初となるアイスショーの出演決定となる。…とたんにチケットが売り切れたという。町田樹の「スケーターとしての商品価値」を如実に示す現象だが、それとともに、これはやはり全日本での予期せぬ引退の衝撃の大きさを物語っているように思う。もう最後かもしれない。もう逢えないかもしれない。そうした、マスメディアでは流れることのない、町田樹ファンの悲鳴のような声がMizumizuには聞こえる。2014年12月の全日本の町田樹の『ヴァイオリンと管弦楽の為のファンタジア』は、Mizumizuにとって今季ショートのBest of best。芸術性、個性、成熟度、表現力、気迫――すべてにおいて、他の選手より一段上に町田樹はいた。『ヴァイオリンと管弦楽の為のファンタジア』といえば浅田真央。薄いラベンダー色の衣装をまとった浅田選手の舞うこの作品は、スピンのたびにツイズルのたびに、氷上に花が開いていくようで、花びらをそこここにふりまいていくようで、彼女のための音楽といった仕上がりになっていた。あれ以上のものはないと思わせる『ヴァイオリンと管弦楽の為のファンタジア』だったが、町田樹は同じ曲を使って新たな解釈・新たな世界観を氷上に構築して見せた。浅田真央の演技では軽やかでファンタジックに聞こえた曲が、まるで違うもののようにさえ聞こえる。ヴァイオリンの弦はより深い人間としての苦悩を叫び、旋律それ自体が重くなったようにすら。「優れたスケーターはポーズ1つで観客を魅了する」というのは、ニコライ・モロゾフの弁だが、町田樹も間違いなくその域に達したと思う。かつて、表現力で世界的に高い評価を受ける高橋大輔風に踊っていた少年が、他の誰でもない自分自身の世界を築き上げた。昨季の『エデンの東』が、哲学に彩られた青年の人生というストーリーを描いたものだとすれば、今季の『ヴァイオリンと管弦楽の為のファンタジア』は、むしろ哲学そのもの、人生の苦悩や希望といった純化された概念そのものを身体全部をつかって提示したものだと言える。その意味で、この作品は、『エデンの東』の先にあり、『エデンの東』とつながりながら、『エデンの東』を概念的な世界に昇華したものになっていた。町田樹が肘をあげ、手のひらで顔を覆う仕草をするところがある。そこにMizumizuはゲーテに由来する「若きウェルテル」を見る。差し込んでくる強烈な光を鎖(とざ)そうとする青年の苦悩を見る。光を最も反射する白の衣装が、ピュアな青年の精神そのものを暗示する小道具の役割を果たす。緩急の効いた力強い滑り、高度なジャンプといった競技としてのフィギュアスケートに必要なものに加えて、哲学的な表情をつけて演技をする難しさについては今さら説明する必要はないだろう。いつもピシッと伸びた背筋の美しさや、鍛え上げられた美麗なヒップラインなどは、町田樹が「見られる存在」としても一級であることの証しでもある。華やかな演出で彩られるようになった全日本という場で、電撃的な引退発表をあくまでセルフプロデュースの美学にのっとってやってみせた町田樹。舞台裏で無良選手に、「いつもコイツを負かしたいと思ってやっていた」「託したから」と話して去っていく町田樹はきっぱりとして実にカッコよかった。その意味では最高の引退劇だったのかもしれない。「ウェルテル効果」ならぬ「町田樹効果」でアイスショーのチケットも完売したのだから。だが、やはり多くのファンや関係者がそうであろうように、Mizumizuも残念でならない。今季のフリーは空前絶後の高難度プログラムで、コーチや振付師が本気で「打倒・羽生結弦」に向けて作ったことは明らかだった。4回転+3回転の連続ジャンプを安定して決められる選手は少ない。町田樹の4回転の成功率は、依然として世界屈指だ。しかも昨季のワールド銀メダリスト。これほどの選手がワールドを辞退? 信じられない話だ。研究者の道を歩むにせよ、本来なら、院試に合格し、卒論を提出し終わったあとが、一番時間的に余裕が出るハズではないか? 最も忙しい卒論の時期にグランプリシリーズで町田選手を疲弊させ、本人からのファイナル辞退の希望も「病気・怪我以外はNG」と門前払い。選手は須く連盟の派遣指令には従うもので、自由になるのは辞めることだけだとでも? 日本スケート連盟の内弁慶ぶりと時代錯誤ぶりには、何度も驚かされてきたが、いつになったらこの組織は「近代化」するのだろう?本来なら、進路が決まった時点で、卒論を最優先させ、それが終わって全日本、それからもっとも大切なワールドへと調整させるべきなのだ。選手個人の都合と希望に合わせて、一番いい結果を出すようなマネージメントがなぜできないのか。もっとも今季の町田選手のフリップに対するイチャモン採点やら、国内大会で本人も「最高の演技」と言ってるのに、国外の国際大会より低い演技構成点(アメリカ大会43.74、フランス大会42.86点、全日本42.00点)なんてのを見てるとね…どういう「流れ」になっているのかが見えてる場所に選手を送り出し、それでも「ガンバレ」と言わなければならない辛さは、もう何度となく味わっているので、きっぱりと辞めた町田選手の判断を責める気にもならない。ここにも、実際には非常に価値の低い(それこそ、プルシェンコじゃないが「ただの」)グランプリシリーズを商業的に支えてる日本のお家事情が顔を出している気がする。そして、町田樹引退のあと、「しばらく無敵」のはずの羽生結弦が病気&怪我と、案の定、一番大事な時期にこうなった。一方で知将フランク・キャロルの指導するデニス・テン選手は、グランプリでは平凡な出来だったが、四大陸で瞠目の高得点を叩きだし、勢いにのっている。フリーの点が144.5点から191.85点へ。なんと50点近いジャンプアップだ。高難度ジャンプを組まなければ勝てない今の男子フィギュアでは、ジャンプを回り切れるか切れないかで、こういうことになる。だから言ったのだ。羽生結弦に必要なのは、グランプリのタイトルではなく休息なのだと。今になって怪我で休息を余儀なくされてどうしますか。金メダリストの不調やアクシデント…こういうこともあるからこそ、ワールドに銀メダリストは必要だった。羽生選手のファイナルでの渾身の演技を見て、「しばらく無敵と思う」なんて余裕をこいて言ってる時点で、日本スケート連盟は組織としてのリスクマネージメントができていない。だが、もう若きウェルテルは去った。研究者になるのなら、すでにワールド初出場で銀メダルという偉業を成し遂げたあとでは、これ以上とどまってもあまり意味のない世界から。研究者の道も長く、保証のあるものではない。フィギュアスケートの選手生命は短いが、逆に研究者は10年・20年という長いスパンで取り組んでいかなけばならない。世界選手権出場という、多くのスポーツ選手にとっては垂涎の道を自ら捨てて選んだ新たな世界で、町田樹が充実した幸せな人生を送れることを、今は願うばかりだ。
2015.02.22
だいぶ時間が過ぎてしまったが、大晦日を過ごしたハウステンボスの追加レポを。宿泊したフォレストヴィラからは、池が見え・・・鴨が泳ぎ、エサをもらいに白鳥もやってきた。魚も下でおこぼれを待っている。昼のハウステンボスは、大晦日とはいえ案外すいていて、アトラクションもそれほど長く待たずに見ることができた。やはり人気のテーマパークとはいっても、東京ディズニーランドの比ではない。運河にかかる橋などをわたっていると、ふいに忘れかけていたオランダ・ライデンの街の風景が蘇った。父がライデン大学で教鞭を執ってたころに行ったことがある。自転車に乗った、やたらと背の高い青年が疾走していく姿などが急にまざまざと脳裏に浮かんだ。ああ、Mizumizuはオランダにいたことがあったんだなあ…いつの間にか、ずいぶんと昔の思い出になってしまった。あれはチューリップの咲くころだったが、かの地は気候が変わりやすく、晴れたと思ったら急に雨が降ってきたりした。父の住んでいたアパルトマンは、エクステリアに赤茶色のレンガを使っていた。ある日、父より早く帰ってしまい、建物そのものに入ることできずに困っていると、同じアパルトマンの青年が戻ってきたので事情を話して入れてもらった。初めて見る顔だったが、すぐに信頼してくれて、「部屋に入れないのなら、よかったらお茶でもいかがですか」と誘ってくれた。父の家の鍵はもっていたので、お礼を言って遠慮した。本当にまったく忘れていた、なんでもないエピソードがふいに鮮やかに蘇る。まるで昨日のことのように。風景と記憶の関係とは摩訶不思議なものだ。日が落ちると、ハウステンボス入場者はぐんぐん増える。夜のイルミネーションは大いに期待して行ったのだが、その大いなる期待に応える素晴らしいもの。なんといっても、電飾の数が凄い。2014年は青色発光ダイオードのノーベル物理学賞受賞で、日本中がわき返った年でもある。この無数の電飾に、LEDが世の中にもたらした恩恵を改めて実感した。夜のアトラクションの行列はさすがに長かったが、それでもだいたい40~50分待ちで乗れた。変な話だが、どうも現場スタッフが疲れている様子なのが気になる。それがテーマパークに必要な、「別世界に来た」というマジカルな雰囲気を明らかに損なっている。人員もこの規模のテーマパークにしては少ないような。そして、あまりフレンドリーではない。もちろん最低限の丁寧さはあるが、あくまでも義務的。張り付いたような作り笑いが、板についてなさすぎの人も多い、特に男性。九州男児にお世辞笑いは難度が高いのか?(笑)九州というところは、個人レベルでやっている小規模な店だと個性的な人が多く、客あしらいがうまいと感心させられることが多いのだが、どうも大規模、そして一般的には「一流」と思われている場所に来ると、サービスがダメになる。いや、ダメと言ったら明らかに言いすぎなのだが、資本の大きな商業施設で働くスタッフには、東京のようなスマートさはなく、洗練された感じもなく、といって街の小規模店のような「頑張り」も感じない。ハウステンボス、案外現場スタッフの待遇は悪いのだろうか? まあ、時期もあるかもしれない。1年に何度もない大混雑の日だから。これは夜の観覧車から撮った写真。午前2時まで観覧車が動いてるなんて、凄いなあ。しかし、古いデジカメで撮った写真では、やはり現場の雰囲気は伝わらない。こちらの宣伝動画でどうぞ。お金をかけて、うまく撮っている。開業以来赤字続きて、テーマパークの大いなる失敗の見本のように言われていたハウステンボスを復活させたのはH.I.Sの澤田社長。こうした宣伝の巧みさが、復活の原動力になったことは間違いない。実際のイルミネーションも、規模といい、デザインといい圧倒的で息をのむ。人的サービスには若干手抜き感はあるが、そこまで追求しないことがかえって利益を生むのかもしれない。どこにお金をかけるか、そのポイントがうまい。理想は追求せずに、だが人の求めるもの、期待を上回るものは提供する。そんな企業姿勢を感じた。昔、新宿の都庁へ向かう道の途中(とても不便な場所だった)にあったH.I.Sに格安航空チケットを買いにいった日のことも思い出した。シケた事務所で、一度はうっかり通り過ぎてしまった。狭い階段をあがり、雑然とした事務所でチケットを買った。大手の旅行会社に比べると対応したスタッフもまるで素人だった。だが、安い航空券が欲しかったので、そんなことはどうでもよかった。だんだん同じようなサービスをする旅行会社も増え、H.I.Sでは買わなくなったが、あの会社を作った社長が、こんな大規模な仕事をすることになるとは。それでもどこかからの「使い回し」アトラクションなどを見ると、やっぱりH.I.Sだなあ。安く「仕入れ」たのね、などと思って一人でニヤニヤしてしまった。真夜中になって花火を見るために移動した。椅子席のチケットを買って行ったのだが、席にはわりと余裕があった。寒空の下、ステージでアーティストが盛り上げようと頑張って歌ったり喋ったりしているのを遠くに聞き、日付が変わるころ、花火がスタート。カウントダウン花火の夜は帰りの道路が大渋滞になる(つまり、それだけ人が来る)と聞いていたので、もっとお祭り騒ぎの凄いことになるのかと思ったが、お客さんはお行儀がよかった。会場も広いせいか、大迫力というほどでもない。まあ、テーマパークの花火だから、こんなものかな、という感じ。関東圏の有名花火大会と比べてはいけなかった。花火が終了すると皆いっせいに帰る。だが、実は花火の後のほうが、アトラクションは空いているのだ。夕方ホテルで休んだが、ほぼ1日遊んでいたから、とても午前2時まで体力がもたなかったが、夜もっと遅くに来て、花火終了後に粘って遊べばよかった。そんなに何度も来ることはないだろうし、どうせならとイルミと花火を両方楽しめる大晦日を選んだのだが、この混雑と値段の高さを考えると、中途半端な11月ぐらいにイルミネーションだけ見に来たほうがゆったり安く楽しめるかもしれない。というのは、花火を見たから言えることで、見ていなかったら心残りだったかもしれないが。
2015.02.11
日刊スポーツグラフ【お買い物マラソンで使える100円クーポン配布中!】感動をありがとう!高橋...価格:1,300円(税込、送料込)アートオンアイス(チューリッヒ)の高橋大輔を見た。You tubeで(爆)。公式の映像ではないのでご紹介するのは差し控えるが、アップされて数日で再生回数が万単位で伸びている。大手の広告代理店が作った大手企業の宣伝動画でも、ヘタすると数か月で数百ぐらいの再生しかされないなんてこともあることを考えると、特にセンセーショナルな出来事でもなく、テレビで大々的に宣伝されているわけでもないショーの動画にこの再生回数は、なかなかたいしたものだ。高橋大輔が出演するということで日本から追っかけツアーも組まれ、完売したという。さすがに高橋大輔、競技引退後の人気も関心も高いよう。動画を見ると、今の若手中心の競技選手にはない、アーティスティックな技巧と表現がふんだんの演技で、ただただ見惚れてしまった。「高難度ジャンプ」の呪縛から解かれて氷上で踊る高橋大輔は、まさに日本の誇る不世出のスケーター。背が高いわけでもなく、スタイルが抜群にいいわけでもないのに、ひとたび滑り始めると衆目を一身に集める、抜群の輝きを放つ。思えば、過去には町田選手も「高橋大輔のようにダンサブルな」演技をしていた時代があった。村上大介選手の今季のショートは、「フィギュアではこれアリですか?」と思わず突っ込みたくなるほど、まんま高橋大輔。羽生結弦を脅かすかもしれない才能をもった宇野昌磨選手も、上半身の動きなど、明らかに高橋大輔のゴーストに支配されている。他の選手にこれほど多大な影響を与えながら、だが誰も高橋大輔にはなれない。彼に似ようとする選手は多くても、彼は誰にも似ていない。天才が天才たるゆえんだ。これほど卓越した氷上のダンサーは、長いフィギュアスケートの歴史を紐解いても、そう簡単に見つからないだろう。いや、もしかしたら唯一無二と言っていいかもしれない。彼より華麗にスピンを回り、彼より伸びやかに滑り、彼より難しいステップを踏み、彼より美しいジャンプを跳ぶスケーターはいたかもしれない。だが、それらを総合して、さらに独特の個性を加味した「舞踏表現」にまで高め、競技から引退した今でも、何万円というチケット代や旅費を払ってもショーを見たいと多くのファンに思わせたスケーターはこれまでいなかったのではないか。「ここでこんなに倒すか」と驚かされる深いエッジ遣いや、一陣のつむじ風のようにあっという間に過ぎていく華麗なステップといった、彼のもつ天才的なフィギュアスケートの技巧以外にも、人に見られることを好み、視線を浴びることでさらに生き生きとする生来の性質や、セクシーでありながらもどこか可愛らしく、コケティッシュなナルシズムを、ピタッと決まるカッコいいポーズと一緒に上手にふりまき、多くの人の心を虜にするエンターテイナーの素質は特筆すべきものだ。衣装も挑戦的。流行のファッションスタイルをさりげなく取り入れながら、とことん派手で、時に奇抜な衣装を着てくれる。それがたまらなく似合っている。「プロ」になってさらに衣装は「自由」になったようだ。見ていて本当に楽しい。そして、卓越した音楽性。「体の中から音楽が聞こえるような」とコーチに言わしめたこの特別な才能が、さらに高橋大輔を唯一無二のスケーターにしている。ショービジネスとしてのフィギュアスケートには、今やなくてはならない存在だ。高橋大輔の名前が載るのと載らないのでは、お客の入りが違うだろう、あまりにも。そして、お客を惹きつけるためには、このキレのある華やいだパフォーマンスに加えて、パーティでの交流といったファンサービスも必要になってくるというわけだ。アートオンアイス(チューリッヒ)へのツアーはそうした「需要」をよく見込んだ企画になっていた。こう見ていくと、やはり高橋大輔のこれからの道は、ビジネスとしてのアイスショーにこそあるように思う。エンターテイメントの世界は彼に向いているし、追っかけファンもちゃんといる。ダンスという肉体運動の芸術は、やはり肉体の衰えとともに滅びる運命で、その儚さも含めて、見るものを魅了する。聞けば、語学習得のためにアメリカへわたるという高橋大輔。だが、それだけではなく、ニューヨークで華やかなショービジネスの世界にも触れてくるだろう。勉強も結構だが、彼には孤独は似合わないし、やはりこれだけの天才には、アイスショーを日本の新しいエンターテイメントとして根付かせ、花開かせる役を担ってほしいと思うのだ。天才だが近寄りがたい孤高の存在ではなく、見返りを期待せずに手を貸したくなるような雰囲気があるのも、彼の大きな強みだろう。今の日本のアイスショーは、競技会で活躍している(あるいは過去に活躍した)スター選手を見に行くファンが多いといった印象がどうしても否めない。そうではなく、作品重視のエンターテイメントとしてのアイスショー。振付師の新作をアイスショーで見るような、その作品公開を楽しみに足を運ぶファンがいるような、他の舞踏芸術に匹敵するクオリティをもったアイスショー。もちろんそこには、作品を芸術に昇華できるスタースケーターが必要だ。クリスマスにバレエ『くるみ割り人形』を観るのを恒例にしている人がいるように、あるいはお正月に『寅さん』を観に映画館に行くのが習慣だった人がいたように、「このシーズンはダイスケのショーを見に行く」というファンを増やして、日本のアイスショーをさらに上のレベルにまで引き上げる。高橋大輔ならできるのではないか? 長いこと日本男子には手が届かなかったオリンピックのメダルを初めて手にし、数々のタイトルを携えて、日本のフィギュアスケートブームを浅田真央とともに牽引してきた「誰にも似ていない天才」になら。 【最大500円クーポン配布中!8日より利用開始!】2000days 過ごした日々が僕を進ませる/高橋大輔【後払いOK】【2500円以上送料無料】【05P08Feb15】
2015.02.09
回転不足判定が厳しくなってきたのは、バンクーバーの2季前からだ。しかもあのころは、基礎点が1回転下のジャンプのものになり、GOEでもマイナスされるという、今から考えると信じられないようなルールがまかりとおっていた。これをMizumizuは、「安藤・浅田には金メダルを獲らせないルール」だと断言した。この2人の天才の強みは、4サルコウ3アクセルという大技のほかにも、セカンドにトリプルループを跳ぶことができるという点にあり、いくらキム・ヨナ選手が大きさのある素晴らしいトリプルフリップ(当時)+トリプルトゥループを跳んで加点をもらっても、安藤選手が3ルッツ+3ループを降りれば、得点の上ではキム選手の連続ジャンプを上回っていたし、http://www.isuresults.com/results/wc2007/wc07_Ladies_FS_scores.pdf浅田選手の3フリップ+3ループがキム選手の連続ジャンプの得点を上回ることもあった。http://www.isuresults.com/results/wc2008/WC08_Ladies_SP_Scores.pdf基礎点を重視したルール運用がガラリと変わり、回転不足の大幅減点と質のよい要素を積極的に加点で評価するという「流れ」が出来てから、キム選手は非常に強くなった。「トータル・パッケージ」なんていう、今やすでに(あっという間に)死語になってしまった新用語が闊歩し、キム選手は、確率はよくはなかったが元来跳べていた単独の3ループさえプログラムから外してきた。ダブルアクセルを跳べば加点で3ループ並みの点がもらえるのだ。しかも、今と違って3回も入れることができた。こういう状況下で、「なぜ、わざわざ難しい道を行く必要があるのか」――それがキム選手の理屈だった。この考えが、キム選手の五輪二連覇を阻む遠因になったのは明らかだが、ともかくもキム選手はバンクーバーで素晴らしい演技で金メダルを獲得した。とはいえ、銀メダリストにあまりの大差をつけた勝利、続くワールドでの精彩を欠いた演技への高得点に、ほとんどフィギュアの採点には関心のなかった一般人にも採点に対する疑問・疑念を抱かせる結果になった。プルシェンコを中心とした「4回転論争」などもあって、ルールは慌てて改正される。ほんのわずかな回転不足が、その下のジャンプの失敗と同じになるという無茶苦茶な「バンクーバー特製ルール・2年限定バージョン」はなくなり、かわって「中間点」(基礎点の7割)という意味不明な概念が導入される。連盟の関係者は、「減点が緩和された」と説明したが、もともとなかった「中間点」を設けることには初めから賛否両論があった。中間点には、そもそも問題が多い。新採点システムの「客観的な基準」の柱である基礎点を3人の技術審判の判定で「減じて」しまうことが適当なのかどうか。それについて十分に議論を尽くす時間もなく、とりあえずの「減点緩和」として導入した感じだ。今季、エッジ違反に対してもこれが適用されることになったが、これもとりあえずの「減点強化」に使われた感がある。だが、それでは、GOEは元来なんのためにあっただろう? ジャンプの質を判断するためのもので、回転不足にしろ、エッジ違反にしろ、もともとはGOEで判断すべき範疇のことではないだろうか? 実際に過去はGOEで回転や踏切の正確さを反映させてきた。GOEに反映させるだけでは、回転不足やエッジ違反の減点が少なく、したがって、なかなか正しい技術を習得するモチベーションにならず、選手はグリ降りや不正エッジをなかなか矯正しようとしないために減点を厳しくした、というのが聞こえてくるISUの理屈らしい。それはそれで一理あるが、それならば一貫性のある、ブレのない、「正しい」ジャッジングができることが前提条件でなければならない。2014年の4大陸女子のジャッジ・スコアを見て、あれが今回の全日本と同じ基準で判定されたなどという強弁を誰が信じるだろう? 日本女子とロシア女子の「回り切る力」の差について言及したのはMizumizuだし、この現状を見て日本スケート連盟が焦るのも、わかる。だが、今回の回転不足の取りかたを見ると、世界に向かって「日本女子はジャンプがこ~んなに回転不足です。どんどん取っちゃってください」と宣言したようなものだ。仮に技術審判が、すんばらしい「目」をもっており(プッ…失礼)、一切の政治的な圧力や私情に左右されない、神のごとき資質の持ち主だったとしても(ププッ…失礼)、判定に使えるカメラは1台で、場所によっては「盲点」になるところがある(つまり、よく見えない場所がある)のは、すでに佐野稔氏がテレビで、イラストを使って説明している。そして、カメラを増やせない理由は、テレビの生中継などもあり、スピーディな運営を求められているためだと話している。ジャッジによって甘かったり辛かったりするのは、もう隠しようがない。それはジャッジの能力あるいは認識の違いがまず第一にある。それに加えて、カメラが1台という物理的な制約がさらに正確なジャッジングを阻んでいる。今回の女子の技術審判の判定について、小塚選手が、批判・提言を行ったが、「スペシャリストやジャッジによって判定が全然違って」いるという現状を指摘したうえで、「詳細な基準」が必要ではないかと言っている。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141229-00000106-spnavi-spo(前日の記者会見での回転不足に関する発言について)選手が言うべきではないというのは分かっていますけど、一個人として、知識を持ち合わせた観客として見た意見です。回転不足(という判定)が女子では多く、それを気にしてタイミングを外したり、力んでしまい「女子ってすごいね、怖いね」と男子でも感じる思い切りのよさや勢いが、影をひそめたと感じています。(女子の選手は)回転不足を意識していると思います。パンクしたり、ステップアウトしたりというのは、間違いなく力んだり、高く上がって、いつもと違う感覚で下りているのは、男子のみんなと見ていても「パンクが多いね」というのは(話していました)。いつもの全日本の雰囲気だったり、勢いだったりを感じられなかったのは残念だったなと思います。 (回転を)全部認めろとは言わないですけど、詳細に基準を決めるといったことがあってもいいのかなと。ジャッジやスペシャリストによって、判定が全然違ってくるようなことは考え直してもらえると……。みんなが引きこもったような感じはなくなっていくのかなと思います。全日本のみんながはつらつとした演技が、男子が終わった後の女子で見たいと思います。(リスクのある発言では?)個人として言うと、ジャッジに評価してもらう者として、言うべきではないとわかっています。誰かが言わないと変わらないと思いますし、それが「よし」とされる世界ではよくないと思います。最年長ですし、誰が言うかといえば、僕しか言える立場の人はいないのかなと思います。意見して文句を言うのではなく、話をして切り捨ててもらってもいいと思います。受け入れられても、切り捨てられてでも、とにかく耳に入れて考えてもらうだけでも十分だと思い発言しました。こうしたことを公けの場で口にするということは、小塚選手はもう現役に未練はないのだろうなと寂しい気持ちになると同時に、現役の選手が口にせざるを得ないほど、選手にとってはひどい状況だということだろうとも思う。もちろん、詳細なガイドラインを策定し直し、ジャッジを訓練してより一貫性のあるジャッジングをしていくというのは理想的だが、そもそも猫の目のようにくるくる変わるルールで、運用上の問題を解決するために、そこまでの時間とコストを割く意味があるのか。さらに「意味がある」というコンセンサスができたとして、それが現実に実行・実施できるのか、という問題はどうしても残る。今だって明確な基準はある。4分の1に満たない回転不足なら認定すべきなのだ。「ソチ五輪は厳しかった」とMizumizuは書いたが、若干の回転不足なら認定されている例もある。たとえば浅田選手のフリー。https://www.youtube.com/watch?v=qzUtlORMOxo冒頭のトリプルアクセルは完璧に決めたようにも見えるが、この動画のスロー再生を見ると、やはり若干降りてから回っている。このトリプルアクセルはなぜ認定されたのか?若干足りないものの認定の範囲だと技術審判が判断したのかもしれない。だが、カメラの位置が悪くて回転不足が見えなかったのかもしれない。あるいは、もう浅田選手はメダル争いから脱落しているから、「政治的な判断」で厳しく取られなかったのかもしれない。これがソトニコワ選手やキム選手と金メダルを争っていたら、あ~ら不思議、きっちり回転不足判定されて、得点がさらに伸びず…なんて結果になっていたかもしれない。回転不足判定には常にこうしたグレーの部分がつきまとい、恣意的な運用だけでなく、ある種の政治的な意図をもった判定を行うことも可能になっている。「4分の1」という一見明確なラインが、逆に判定を不透明なものにしているのだ。実際にそれがなされているかどうかということよりも、客観性を重んじる新採点システムの理念を鑑みたとき、こうした「グレー」な部分は、なるたけ排除するように努めるべできはないか。Mizumizuとしては、アンダーローテーション判定を着氷時だけでなく離氷時から厳しくチェックして取り締まりたいというなら、それはそれでやっていいと思う。なんなら「4分の1」ラインも撤廃していい。ただし、それによって「基礎点」はいじるべきではない。技術審判がアンダーローテーション判定し、演技審判がGOEにそれを反映させる。GOEは最終的に必ずマイナスにすべきとしてもいいし、現行の3段階の加点・減点評価を5段階ぐらいに増やして細分化してもいい。GOEがプラスの方向にもマイナスの方向にも3つしかないというのは、あまりにざっくりとしすぎていないだろうか?もともと新採点システムは拮抗してくる選手の技術を客観的に細かく評価するために作られた。コンマ何点のレベルを上げるために選手は努力を積み重ねている。だから、回転不足やエッジ違反でも、判定による減点で大きな差はつけないが、細かく正確に差がつくという方針を貫けばいいのだ。それはつまり、07/08シーズン以前の状態にいったん戻すということを意味する。そのうえで、GOEで細かく評価していく。基礎点は今のように3回転と4回転の差を広げる必要はなく、なんなら3回転の基礎点を上げて、4回転に接近させてもいい。現行ルールの2回転と3回転、3回転と4回転のジャンプの基礎点の差の大きさが「ハイリスク・ハイリターン」となって、得点の大きな波にもつながり、選手間の実力差以上の点差が開きすぎるという弊害にもなっている。現行のダウングレード判定は、「2分の1」不足というルール基準より実際には厳しく取られている感もある。ここは運用でダウングレード判定をもう少しゆるく取るようにする。「明らかに」2分の1足りないジャンプというのは、基本誰が見ても「大いなる失敗ジャンプ」と映るから、その下のジャンプの基礎点になるという今のやり方で問題はないと思う。こういうルールなら、判定のブレがたとえあっても、点数に過剰に反映されることはない。選手間に大きな差はつきにくく、勝負も「点が出るまでわからない」おもしろいものになるだろう。誰も困らない公平なルールだ。困る人がいるとしたら、勝つ選手をあらかじめ決めておきたい誰かだけ。だから、順位操作がわりあい簡単にできる余地のある今のようなシステムは、維持されるだろうなと思う次第。
2015.01.11
今回の全日本フィギュアスケート選手権。女子シングル女王の座に輝いたのは、大方の予想であった(だろう)村上選手でも、グランプリファイナルに出場して勢いにのる本郷選手でもなく、この2人と違ってルッツにエッジ違反がなく、ダブルアクセルのあとにつける3トゥループがほぼ回転不足なく跳べる宮原選手。はからずも、Mizumizuが指摘した「女王の条件」に、より適った選手の勝利となった。感動的な宮原選手の初優勝。フリーの『ミス・サイゴン』は、「出色の出来」「2年かけて熟成させてほしいぐらい」と手放しで絶賛したMizumizuとしても、131.12点という高得点には、「やっとマトモな点が出たよ」という気分だった。選手本人よりも狂喜していた(笑)コーチの姿も感動的だった。130点超えという点から見て、ジャンプはかなり認定されたと思ったし、ルッツを1つ単独にして、2A+3Tを後半に2つ入れたジャンプ構成も成功したのだと思った。ところがところが、後日公表されたジャッジスコアを見て驚愕!なんじゃこりゃ!!久々にぶっ飛んだ。女子選手にはショートからもう、アンダーローテーション判定の嵐! こんな「血祭り」ぶりを見るのは何年ぶりだろう? いや、もしかしたら初めてかもしれない。http://www.jsfresults.com/ショートで村上選手の点数が異様に低かったから、判定の、いわゆる、世にいう「厳しさ」(とあえて言う理由は後からお分かりいただけると思う)は予想していたが、村上選手だけではない。ショートからもう、宮原選手のトリプルルッツ+トリプルトゥループは両方とも「<」、フリーにいたっては、単独フリップ、単独ルッツ、最後の2A+3Tのうちの2Aにも「<」。本郷選手もフリーでは、セカンドの3T「<」。サルコウは単独も3連続も「<」。村上選手にいたってはもう、最後の単独2Aでも取られ、認定された3回転ジャンプが2つだけって…絶句。「もう6年以上やって、回転不足判定もそれなりにこなれて」と書いたMizumizuも、前言を撤回しなければいけないだろう。相変わらず、判定はぐっちゃぐちゃだと。今季は確かに、「ソチ基準」で判定は昨季よりは厳しかった。たとえばソチ直前の四大陸を見ると、女子の判定は明らかにゆるく、今回「まともに3回転ジャンプが跳べない選手」にされてしまった村上選手も、ジャンプが低くてギリギリ感のある宮原選手も、「<」判定は数えるほどしかない。http://www.isuresults.com/results/fc2014/fc2014_Ladies_FS_Scores.pdfこのジャッジスコアを見たら、期待しませんか? ソチの村上選手の活躍。本人もコーチも「いける」と思ったハズだ。宮原選手もショートこそ回転不足を取られたが、フリーは非常にキレイなプロトコルになっている。ちなみに同じ四大陸でも、男子の4回転に対する判定は厳しく、小塚選手・テン選手の4Tに対するダウングレード判定には、「えっ?」と思ったのだ。いや、回転不足はその通りだが、まさか「<<」とは。だが、考えてほしい。「ソチ基準」なんてのは、Mizumizuが便宜上作った造語であって、元来、ルールブックに記された判定基準はずっと同じハズなのだ。ところが、試合によって判定がゆるくなったり、「厳しく」なったりする。ここで注意してほしいのは、「厳しく」取る技術審判が、「正確にジャッジできる」審判だということにはならない、ということだ。4分の1の不足か否かという判定のラインを正確に判断できないから、実際には4分の1を超えない範囲の回転不足であっても、取ってしまっているのかもしれない。「今回はジャッジが厳しかったですね~」と言うと、あたかもそのジャッジが「回転不足を見逃してくれなかった。正確に、厳しく見ていた」という印象になるが、そんな証拠はどこにもない。認定すべき4分の1を超えない範囲の回転不足ジャンプまで、アンダーローテーション判定していた可能性だってあるのだ。「それなりにこなれて」と書いたのは、ここのところアンダーローテーションを取られるジャンプというのは、早めに「ひらいて」降りてしまい、トゥを回してごまかす「グリ降り」がほとんどで、それが何分の1足りないかまではハッキリ言えないにしろ、ある程度一貫性があったからだ。しかし、この全日本女子に関してはわからない。ギリギリかもしれないが、エッジで降りているジャンプでも取られている印象。というか、あんまり「<」が多すぎて、テレビでは全部アップ&スローにはならないから、何をもって技術審判が判断したか、よくわからないのだ。日本女子のジャンプが、ロシア女子に比べるとかなり疑わしく、これは深刻な問題だと指摘したのは、誰でもないMizumizu自身だが、それと判定の一貫性はまた別の問題。疑わしいジャンプだからといって、あれもこれも回転不足判定をするのは、本当に正しいジャッジングと言えるのか?この問題はバンクーバー以前からあった。今ほど一般には知られていなかったが、むしろバンク―バー以前(回転不足判定が「厳密化」されたバンクーバー五輪2年前以降)のが酷かったのだ。キム・ヨナ選手の3ルッツが回転不足判定されたとき、オーサーが「ここで軸が傾いたから…」と判定の理由を説明している人に、「回ってる!」と、ものすごい剣幕でまくしたて、「ミキ・アンドーは(セカンドにつけた)ループを跳ぶ前から回ってるのに認定された!」と大立ち回りを演じている動画が出回ったのはよく知られている。それ以降もキム・ヨナ選手の、特にフリーの2度目のルッツは、回転があやしいこともあったが、不思議に(←もちろん皮肉です)認定されていた。また、大きな武器である3回転3回転のセカンドもあやしいことがあり、ファンの間では、「意図的に見逃されているのでは?」という噂(苦笑)も出ていた。バンクーバー直前の日本での試合(グランプリファイナル)で、ついに回転不足判定(当時はダウングレード)され、http://ja.wikipedia.org/wiki/2009/2010_ISU%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%AB韓国メディアは、「このスペシャリストはキム・ヨナの天敵(以前にフリップの違反を取った人物だったため)」「日本での試合だから不公平な判定がなされた」と大騒ぎ。キム選手自身も韓国メディアに対して、「大きく目を開いて見たが、回りきっていた」と誤審をアピールした。バンクーバー五輪もそうした流れで「厳しく」判定がされるのかと思いきや、突然判定は全般的に甘くなり、当時あまり判定の甘辛には詳しくなかった日本のメディアさえ、「回転不足判定は甘め」と書いた。ところが、その直後のトリノワールドでは、またも厳しくなり、その試合でスペシャリストを務めた天野真氏に対して、日本のメディアが「オリンピックより厳しかったのでは」と質問したところ、「厳しかったかどうかは自分ではわからないが、回転不足が増えたのは、選手にオリンピックの疲れもあったのでは」と答えている。なんというか、試合ごとに「技術審判の勝手でしょ」の判定基準が適用されている感じだった。それでも、その試合、ひと試合の中で一貫性があれば(全般的に甘めとか辛めとか)、まあよしとしようと…と誰が言ったわけもないが、「人間のやることだし」…そんな「感じ」で運用されてきた。1つ重要なことで、技術審判の名誉(苦笑)のためにも確認しておきたいのは、甘かろうか辛かろうが、どこから誰が見ても回りきって降りてきているジャンプが回転不足判定されるということは絶対にないということだ。たとえば、樋口選手のフリーのダブルアクセル+トリプルトゥループ。この3Tを見たときは、「うはっ!」と唸ってしまったが、あのくらい完璧ならば、疑惑の判定は起こりえない。ってか、それって当たり前の当たり前ですよね(爆)。問題になるのはグレーなジャンプであって、あっちから見たら回っているように見えるが、こっちから見たら、あれ? 足りない? と見えるジャンプ。だから、選手としたら、グレーゾーンから完璧にぬけるジャンプを目指すべきは当然なのだが、それとジャッジが正確に「4分の1」ラインを判定できているのかどうかは分けて考えるべき事柄だし、回転不足判定で基礎点減という大きな減点をする以上、一貫性・正確性を担保する努力はしてしかるべきだと思う。6年以上やってきて、まだこれほど判定にブレがあるというのは、結局のところ、スペシャリストが正確に、一貫性のあるジャッジをするのは無理だということではないか?というか、それは常識的に考えてもわかる。あの広いリンク。あちこちで跳ぶジャンプ。判定に使われるカメラは1台で、「増やせないのか?」というメディアからの質問に対しては、「時間がかかりすぎるからできない」(佐野稔氏)。誤審がたとえあったとしても、「かわいそうだが、それもスポーツの運・不運」(同氏)。どうしてこんな無茶苦茶な言いぐさがまかり通るのか、本当に理解できない。
2015.01.04
年末のカウントダウンをハウステンボスで迎えたMizumizu。カウントダウンのお祭り騒ぎはニューヨークでこりて、以来あまり賑やかなところには行かなかったのだが、ハウステンボスのイルミネーションのCMを見て興味を引かれ(笑)、31日はカウントダウン花火もあがるというので、全部一度で楽しめる31日を選んで行ってみた。結論から言うと、予想以上に楽しめたのだが、それでもハウステンボスでの年越しは1度でいいかなという印象。で、今日は宿泊したフォレストヴィラについて、今後行くかもしれない方への参考になりそうな実務情報をレポしようと思う。フォレストヴィラはハウステンボスの他の場内ホテルと違い、2階建てのテラスハウスになっていて、大人数で泊まるのに適したホテルになっている。定員は5名までで、今回Mizumizuご一行は5人で1棟を借りるカタチで宿泊。年末ということもあって宿泊費は高く、食事なしで5人で税・サービス料コミで9万円ポッキリ。ベッドが4台しかないので、エキストラベッドが1台入る。が…このエキストラベッドの「貧相ぶり」には衝撃を受けた。一応、一人アタマ素泊まり1万8000円といったら、いくらハイシーズンプライスとはいえ「高級ホテル」の値段だと言っていいのでは?エキストラベッドに寝る人間だって、同じく1万8000円を払っていることになる。なのにそのベッドときたら…! ハリガネのように細く、したがってギシギシうるさいスプリングに、へたれまくって凹の字に変形したマットレスがのっている。そこらのビジネスホテルのエキストラベッドでも、ここまで安っぽいお品は珍しいのではないだろうか。自分たちがゲストからいくら取ってるか、その感覚がないのだろうか。あるいは、ローシーズンはとても安いから、こんなものでいいと思ってるのだろうか。サービスを提供する側の感覚が理解できないが、一応それなりのホテルのつもりで来たMizumizuには、信じられないクオリティのベッドだった。今回はどうにもならないから、今後のゲストのためにもせめてマットレスぐらいは、新しいヘタレていないものを入れて欲しい旨、クレームしたのだが…まぁ、日本人によくある、「申し訳ございません。今後はこのようなことがないように…」「貴重なご意見をありがとうございました」というマニュアル通りの答えが返ってきただけなので、おそらく頭下げてやり過ごしたら、あとはほったらかしだろうな。他の普通のベッドとあまりに違う、あのザ・ヘタレ・エキストラベッドに、これまで誰も怒らなかったなんてありえないと思うのだ。エキストラベッドには驚かされたが、清掃は予想以上に行き届いていて、快適だった。内装は高級感を出したものではなく、ちょっとした別荘にお呼ばれした気分が味わえるもの。ざっくり言ってしまえば、住宅展示場にある一般家庭向け輸入住宅のモデルハウス風という感じ。窓から見える風景は、ホームページ通りで、冬だから緑は少なく花も咲いていないが、全体的にきちんと手入れしている。敷地が広いテーマパーク&ホテルだから、これは立派だと思った点。冷蔵庫も2つあり、グラスやカップも数種類ある。ハウステンボスでワインやチーズを買ってリビングでワイワイやると楽しいような設備だが、本格的な食事は部屋ではご遠慮くださいと言った感じ。これで長期滞在させたいらしいが、正直言って、それは無理というもの。ハコはいいし、風景もきれいだが、いくら別荘風といっても、ろくなキッチンもなく、周囲にお手軽に食べれるレストランもないようなところに長期で泊まれるワケがない。調理して部屋を汚されたくないけど、長期で泊まってお金「は」落として欲しいなんて、ちょっと虫のよすぎる話だ。ここは、自分たちに都合のいいようにオペレーションしているホテルで、午後3時のチェックイン・スタート時間からさほどズレない時間帯にチェックインしてハウステンボス「だけ」で1日遊び、場内のレストランや無料ゾーンの露店で「だけ」食事をするなら不自由がないようにできている。だが、ちょっとイレギュラーな行動をとると、とたんに非常な不便に突き当たることになる。その元凶は、駐車場があまりに遠いこと。ハウステンボスに行ったことのない方にはわかりにくいのだが、フォレストヴィラはハウステンボスの端にあり、駐車場はハウステンボスをはさんで反対側の端にある。宿泊する場合は、まずはハウステンボス入口近くにある駐車場に車を泊めて、入国ゲートのそばの場内ホテル宿泊者用カウンターという小屋(笑)で手続きをし、そこからバスで送迎してもらう。ハウステンボス内をまっすぐ突っ切っていけば、10分ぐらいで歩ける距離なのだが、ハウステンボス外の道は大きく迂回しており、とても徒歩では行けない距離になる。フォレストヴィラに宿泊する場合は、場内ホテル宿泊者用カウンター手続きをしたあと、バスに乗り、迂回路を揺られてフォレストヴィラのフロントで降り、そこで正式なチェックインをしてフォレストヴィラを回っている小さなバスで各自のコテージまで送迎をしてもらう…と、とてもややこしい。何も知らないでウッカリ広い駐車場にまずは車を泊めてしまうと、場内ホテル宿泊者用カウンターまで荷物をもって行くだけでかなり歩くハメになる。だから、ホテルに持ち込む荷物はあらかじめ全部まとめておいて、駐車する前にカウンターのある小屋の前で荷物とドライバー以外の人間をおろし、手続きをすませている間にドライバーが駐車をして小屋に来るような段取りにしておいたほうがいい。午後7時までは1時間に数回、場内ホテル宿泊者用カウンターとフォレストヴィラ・フロント間のバスが連絡しているのだが、午後7時以降はこの連絡バスがなくなってしまう。これがまたガンだ。予定よりチェックインが遅くなったり、車で場外に出ていて午後7時以降に戻ってくる場合などは、場内ホテル宿泊者用カウンターでバスを頼むことになるのだが、このバスがすぐ来ないのだ。下手をすると2~30分待たされることになる。荷物がなくハウステンボスのチケットをもっているなら徒歩で園内を突っ切っていけばいいのだが、荷物が重かったり、その夜の入園チケットをもっていない人は、ここで延々と待たなければならない。たとえば、フォレストヴィラに入りました。ひと段落して、さてガイドブックでも見るか…「あ、車の中に忘れた!」なんてこと、ありますよね? そういうときに上記のようなめんどくさーいことになるというわけ。午後7時以降は、駐車場に行って戻ってくるだけで、1時間半(笑)見ておいたほうがいい。このへんが高級ホテルにあるまじき不便さだと思う。ゲストの都合に合わせて、コール1本でバギーが部屋の前まで来てくれるのが高級ホテルだと思ってるMizumizuは…ハイ、心を入れ替えます。しかし、大勢のゲストをさばき、園内をきれいに保つだけでも大変だし、基本テーマパークで遊ぶためのホテルなので、こういう不便さは仕方ないかなとも思う。宿泊される方はくれぐれも車内に忘れ物をしないように(笑)。また、コンビニのような、ちょっとした店も宿泊者用カウンターのほうにしかないし、フォレストヴィラの冷蔵庫には何も入っていないから、好みのコールドドリンクなどもフォレストヴィラに入る前に買っておいたほうがいい。日常的なものを買い足すのが大変な場所だ。ただ、部屋にはインスタントコーヒーやティーバックの紅茶やお茶はかなりある。湯沸しポットも当然ながら、ある。急に天気が変わったときなどは、フロントに言えば傘を貸してくれる。そうそう、もう1つ。ハウステンボスに入園して駐車場に抜けようとすると、「再入場は1回限り」などと書かれていてとまどう。スタッフも周囲にいないから聞くこともできない。どうも実際には、フォレストヴィラ宿泊者は何度でも入園可能のようなのだが、「チェックアウトする日」に遊ぶ場合は何回再入場できるのだろう?。よくわからないので、不安な方は事前に聞いてくださいね。要はオペレーションする側に都合のいいようにルールが決められているということだ。12月30日にフォレストヴィラに宿泊するゲストは31日の入園チケットを買うのが義務になる、なんてルールもある。31日に入園するなら31日に泊まったほうがいいに決まっているが、31日の場内ホテルはだいぶ前から埋まってしまって予約が取れない。何か月も前に予約しようとしたのに31日はいっぱいだった…なんて場合は、むしろ12月に入って、キャンセルチャージがかかってくる直前に出るキャンセルを狙ったほうが確率が高いかもしれない。12月末のウルトラハイシーズンの手前勝手ルールは、人気があるので仕方ないだろう。人気が出れば値段は高騰するし、オペレーションする側があれこれルールを作ってくるのも資本主義社会のならいというもの。納得できないなら来なければいいだけの話だ。ただ、いつ泊まるにせよ、フォレストヴィラは駐車場が遠すぎて、気軽に車に戻れない。これがガンだということ。この不便さをあらかじめ理解して対処しておけば、楽しく快適な時間が過ごせると思う。蛇足だが年末は、園内がとても賑やかで音楽も深夜まで鳴り響いている。ハーバータウン側にあるフォレストヴィラに泊まったせいか、池側の寝室は静かだったが、ハーバータウン側の部屋は夜遅くまで音がかなり聞こえてきた。壁や窓は案外安普請だということか(笑)。夜の音に敏感な人はハーバータウンから離れたコテージを指定するといいかもしれない。
2015.01.02
オリンピックが終わったあとの年はフィギュアスケートへの関心は落ちるもの。にもかかわらず、1日拙ブログへ1万件以上のアクセスがあるということは、それだけフィギュアスケートに関心を寄せるファンが多いということだろう。このようないち個人ブログに、ありがたい限り。また、なが~い間、マイナー競技だったフィギュアスケートにこれほどスポットがあたり、競技会を楽しみにしてるファンが増えているのも嬉しい限り。Mizumizuは今、ハウステンボス内のホテルに宿泊中。カウントダウンのハウステンボスのレポも全日本フィギュアスケート選手権の雑感も近日中にアップする予定也。しばらくお待ちください。皆さま、よいお年を。
2014.12.30
はぁ~、もうね。凄すぎます。なにがって、羽生選手のジャンプ。本当に。解説の佐野稔氏も、「凄い」の連発。それ以外、言いようがないですよね。本当に。よくパンクしていたという不調のルッツに入るときは、「まっすぐ…まっすぐ!」と、解説を忘れて、身内視線炸裂。よ~く気持ちはわかります(笑)。そのくらい、スリリングな高難度構成だった。そして、いちいち凄いジャンプだった。4回転なしで「無難に」プログラムをまとめた選手が金メダルという、ボイタノ時代に逆戻りしたかのような「フィギュアスケート男子暗黒時代」のバンクーバーから5年弱。これほどの高難度のジャンプを、これほどの完成度で跳ぶ選手が出るとは。そして、それが日本人だとは! この奇跡のような歓喜を、どう言葉にしていいかわからない。羽生結弦の登場は、女子では伊藤みどりの登場によって、それまでのフィギュアスケート女子の概念が一変したのと同じようなインパクトがある。羽生選手は男子のジャンプのレベルを次の次元に引き上げた。皇帝・プルシェンコが君臨していた時代を振り返って田村氏が、「他の選手には、もしかしたら勝てちゃうかなと思うこともあったけど、プルシェンコだけには絶対勝てない気がした」と言っていたが、羽生選手のジャンプのレベルを見ると、ついにその皇帝に匹敵する能力を備えた選手が現れた、と、そう思う。あの、高く上がり、シュッと目も留まらぬスピードで回り切ってしまう4サルコウ。いっそ「3回転が高くなっただけ」にさえ見えるほどの4回転トゥループ。4回転ジャンパーは過去数多く出たが、これほど易々と余裕をもって4トゥループを降りてこれる選手はちょっと記憶にないくらい。さらに、トリプルアクセルの「絶対度」。フリー演技前に、体を温めるために、まるでスピンがわりのようにトリプルアクセルを跳んでしまう。過酷なフリーの後半に、トリプルアクセルを、2つとも連続ジャンプにする。しかも、そのうちの1つが、3A+1Lo+3Sって…。絶句。これだけだって、できる選手が世界中に何人いるのだろう?フリーの最後の3ルッツは、もう体力も尽き果てたのか、高さが出ずにアンダーローテーション判定での転倒になってしまったが、ロシアの2選手のように、最後をダブルアクセルにすれば、転倒も防げてプログラムはまとまるだろうし、3ルッツの回転不足での転倒になるより、点は確実に取れる。だが、羽生選手は、あくまでも調子の上がらない3ルッツで来た。「ここでやっておいてよかったと思う」という佐野氏の言いたいことはよくわかる。基本、挑戦しすぎのプログラムが嫌いなMizumizuも、ここは全面同意する。他の挑戦しすぎのプログラムで、何年もあちこちで失敗を繰り返す選手と違い、羽生選手の場合は、他の高難度ジャンプにほとんど問題がない。4サルコウこそ転倒が多かったが、そのほとんどで認定されている。もともとルッツは跳べるし、乱れたルッツを修正して盤石にしていくためにも、体力面での限界値を上げていくためにも、フリーの最後の3ルッツはやっておいてよかったと思う。3ルッツでアンダーローテーション判定での転倒になったので、ここの点数はたったの2.52点だったが、それでも技術点は103.30点。3ルッツを後半に跳んだ場合、基礎点は6.6点だから、3ルッツが入れば、単純計算で技術点は108点台が出ていたことになる。はぁ~~。もうね、後半に4回転、いらないんじゃないですか? それは来季以降ということで。現状でも、「人間ですか、神ですか」なワケで、次回は3ルッツを降りてください。で、フリーはあれだけの高難度だから仕方ないとはいえ、ショートをね…コケないショートをお願いします。もう、それだけ。で、プログラムは何でしたっけ? ロミオ? あ、ファントムか! まあね、もう何でもいいです。何をやっても羽生結弦は羽生結弦。跳んで秀麗、ポーズを決めて美麗、強い視線を投げて不敵、笑ってかわいい。ほっそりした上半身には、ブルーを基調に華麗な装飾を施した衣装がよく似合う。ドレープやレースも彼のきれいな体のラインを引き立て、指さえセクシーに演出する。ショートの衣装のように、もともと長い脚をさらに際立たせるよう、腰にサッシュ・ベルト風のディテールを使ったりと、ファッションセンスの光るコスチュームは、毎回見るのが楽しみだ。フィギュアスケート興行は、今や羽生君頼み。どれだけの大人の生活がかかっていることやら?演技構成点は、技術点が100点越えだということを勘案すると、むしろ低いぐらいの91.78点。2位のフェルナンデス選手が技術点87.50点に対して87.22点で、羽生選手との技術点の差を考えると、フェルナンデス選手にもいい演技構成点が出たと言えるのではないだろうか。ミーシンに代表される、「演技構成点は技術点とのバランスを考えるべき」という指針に、わりあいに沿った採点で、これもソチ五輪基準だと言っていいと思う。トップ選手同士の争いで、技術点で圧倒的に勝っているのに、演技構成点で10点とか15点とか下につけられるという、暗黒バンクーバー五輪基準のころに比べるとずいぶんとマトモになった。ただし、それは例によって金銀を争う選手に対してだけ。他の選手に対する演技構成点は、相変わらずひどい。http://www.isuresults.com/results/gpf1415/ロシアの2選手に対しては、「あんたら、どっちが3位でもいいよ。技術点で決まりね。公平でしょ?」採点。ボロノフ(技術点83.05点) 77点コフトゥン(技術点76.35点) 78.90点日本の2選手に対しては、「羽生君さえ点出しとけばいいでしょ? あんたら2人は、もうそれだけ失敗したらね、圏外、圏外!」採点。無良(技術点80.76点) 76.26点町田(技術点56.23点) 75.08点技術点とのバランスで言えば、実は一番演技構成点が良かったといえるのは、最下位の町田選手だった、というオチ。これが「ISU特別強化指定選手」なら、ジャンプを失敗してももっと出るだろうが、逆に、あまり実績のない「フィギュア小国」の選手だと、技術点が出ても演技構成点がまったく上がってこないから、町田選手の点はそうした選手に比べれば、まだ評価してもらっているとも言える。結果だけを見れば羽生結弦は無敵に見えるかもしれない。だが、1つの高難度ジャンプを失敗すれば、それだけで10点から点が下がってくる、非常にリスキーなプログラムを組んでいるのも事実だ。にもかかわらず、難しいジャンプでの失敗が誰よりも少ない。他の選手も体調を整えて、まずは自分で組んだジャンプ構成をミスなく演じて跳んでほしい。それも限界ギリギリの。ボロノフ選手のように、ジャンプの助走をすーっと長く滑って、バーンと跳ぶだけではダメ。それはプルシェンコ時代のジャンプの入りかた。難しい入り方をしなければ。ことに羽生結弦を見たあとでは、見劣りがしてしょうがない。ボロノフ選手のように、4Tは1つ入って、ルッツもトリプルになって、3トゥループ+3トゥループも入れた、ワーイ! でも実は、フリップ跳ばずに、最後はダブルアクセルで安全策…では、優勝候補がよほどの失敗をしてくれない限り、いくらきれいにプログラムをまとめても、獲れて銅メダル。それが羽生結弦の時代だ。
2014.12.15
ラジオノワ選手VSトゥクタミシェワ選手という、ロシア2強の優勝争いの様相を呈していたグランプリファイナルのフリー。制したのは、トゥクタミシェワ選手だった。本当に圧巻の演技。安藤美姫がいなくなった今、あのように力強く、バランスのいい放物線を描くジャンプを見せてくれるのは女子ではトゥクタミシェワ選手だけかもしれない。加えて、ルッツ、フリップともエッジの踏み分けがきちんとできる。コストナー選手がいない今、女子トップ選手では一番正確に踏み分けができる選手と言っていいかもしれない。強いのも当然だろう。11月18日のエントリーでも書いたが、もともと彼女はソチ五輪のために強化された選手で、本当なら浅田真央選手やソトニコワ選手と金メダルを争っているハズだったのだ。ソチ近くになって、体形変化にともなうジャンプの乱れと怪我に襲われたのは、4年に一度というオリンピックにピークを合わせるのが、フィギュアスケート競技ではいかに難しいかを物語っている。ラジオノワ選手も非常によかった。フリーの技術点はなんと、トゥクタミシェワ選手とまったく同じ。演技・構成点の点差もわずかで、1つの失敗が1位、2位の明暗を分けた印象。こういうジャッジングは非常に公平で、おもしろく、また納得しやすい(ただし、ソチ同様、1位・2位を争う選手に対してだけだが)。心配なのが、リプニツカヤ選手。ショートでの「トリプルフリップ」に対する「E」判定が、バズーカ砲のように彼女にショックを与えたようだ。フリーで2度組み入れたフリップジャンプは、1つはシングル、2つ目はダブル。グランプリファイナルのショートでいきなり、フリップが不正エッジの選手にされてしまった彼女に対するフリーでの判定は、シングルフリップが「E」。ダブルフリップが「!」。解説の織田氏はルッツのほうを気にしていたが、ショート同様、こちらはエッジ違反なしの加点。だが、リプニツカヤ選手のルッツは若干やはり疑わしく見える。このままだと、ルッツで違反を取られたり、フリップで違反を取られたりする不安定な選手になりかねない。日本選手だと中野選手、鈴木選手にその傾向があった。現行ルールでは、エッジ違反は非常に痛いから、リプニツカヤ選手の課題は、今後はいかに明確にエッジを踏み分けるかになるだろう。リプニツカヤ選手は、若干体形が変わり始めているように見え、ここをどう乗り切るか難しい時期を迎えたようだ。去年の安定感とは打って変わったジャンプの不安定さ。ダブルアクセルは、「<<」を取られても文句を言えないような回転不足での転倒だった。非常に速い回転力で回る、彼女のもつジャンプの「タイプ」から見ても、成長すると跳べなくなるパターンの選手のように見える。ラジオノワ選手も、今は手足が非常に細いが、長い四肢に女性らしい肉がついてくると、ジャンプが跳べなくなってくるかもしれない。あの若さで表現力も卓越したものがあるが、4年に一度というオリンピックを考えたとき、ソチは少し早すぎ、平昌は少し遅すぎた…と言うことにならないとも限らない。身体の成長と技術の停滞にどう折り合いをつけていくのか、心配はそれだけだ。本郷選手も悪い出来ではなかったが、本人も言っていたように、セカンドに跳ぶトリプルトゥループが明らかに回転不足。ルッツは「E」判定で、トリプルを跳ぶ意味のない点。加えてダブルアクセルが抜けた。これでは技術点は伸びてこないし、技術点を伸ばさなければ、演技構成点は当然上げてはもらえない。いや、技術点を伸ばしたって、演技構成点が上がるとは限らないが、それでも、今は以前よりは技術点に応じて演技構成点も出るようになってきている。実績のない選手は最初は演技構成点は出ないが、それでもミスのない演技を続ければ、それなりにジャッジは演技構成点も出してくる…ことが以前よりは増えた(苦笑)。本郷選手のフリーの演技構成点は55点にのっていない。これはハナっから、「メダル圏外仕分け」の点。表現力どうこうより、まずはジャンプだろう。そして、ほぼ「E」判定されることが明確になってきたルッツをどうするのか。日本女子はつくづく、回転不足とエッジ違反に足を引っ張られている。こんなことは今さらなのだが、回転不足判定とエッジ違反の厳格化がなされたバンクーバー以前に、どうしてもっと本腰を入れた対策を若い選手に対して取らなかったのか…。そして表現力。日本女子選手も皆いいものをもっているが、ロシア女子は、年齢は若くてもそれぞれが卓越した、大人びた表現力をもっている。独特のしなやかな腕の動きをアラビックでエキゾチックな曲にのせて魅せるトゥクタミシェワ。長い手足をダイナミックに使い、しなやかなポーズ、溌剌とした表情で観客を魅了するラジオノワ。憂いを秘めた怜悧なルックスの美しさに加え、そこここでピタリとバレエ的な所作をちりばめて氷上で物語を作り上げるリプニツカヤ。リプニツカヤ選手の練習風景で必ず出てくるのはバレエのレッスンのそれだが、ロシアの女子はバレエの基礎教育が徹底している。フィギュアでは、長くバレエを表現力の規範としてきたから、この基礎的な力は、表現力の評価で大きな武器になる。浅田真央が奇しくもテレビ「世界不思議発見!」で、なぜフィギュアで「バレエ的表現」が高く評価されるのか、そのルーツを紹介していたから、ご覧になった方も多いと思う。女子を席巻するロシアとの差を見せつけられるにつけ、それはそのまま選手を強化する側の意識の差だと思わざるを得ない。
2014.12.14
グランプリファイナル男子ショートが終わった。改めて、競技会場の客席数(キャパシティ)の少なさに、ヨーロッパでのフィギュア不人気の現実を思い知らされる。ワールド銅メダリストのホーム開催だというのに、スポンサーも日本の企業(含む在日系資本)ばかり。さて、男子ショートの感想を端的に言うなら、難度の高いジャンプを「降りる」かどうかではなく、「回り切れる」かどうかを競っていることが非常に鮮明だった、ということに尽きる。これはもう選手のほうには徹底されていて、皆回り切ることに意識を集中させているから、その分、こらえたような着氷が多く、見た目の印象はよくないジャンプが多かった。だが、プロトコルを見ると、回転不足を取られた選手が一人もいない。フィギュアスケート(シングル)は完全に変わってしまったのだ。かつては転倒こそ一番の、致命的なミスだったが、もうそれは違うのだ。技術審判の回転不足判定を見ても、いわゆる「グリ降り」には非常に厳しく目を光らせている。一方で、転倒ジャンプでは認定されるものが案外多い。その判断は、「グリ降り取り締まり」の厳しさに比べると甘く、しばしば解説者との齟齬を招くほどだ。「回り切ること」にそれほど価値を置くことに賛成できないことは、すでに何度も書いているので、ここでは繰り返さないが、ソクラテスじゃないが、「悪法も法なのだ」。そういうルールのもとでジャッジングがなされている以上、それが適正に運用されていれば、とりあえずジャッジに対して文句を言うつもりはない。「バンクーバー以降、フィギュア(シングル)のジャッジがどんどんおかしくなった。ソチではさらにおかしくなった」と感じている人がいるとすれば、このコペルニクス的な価値観の転換に気付いていないことが根本にあるだろう。多くの人にとっては、いまだに転倒が一番目立つミスで、「降りて」いれば、それがごまかしの着氷であっても、成功に見えるからだ(もちろん、それは自然なことだと思う)。繰り返すが、ソチではバンクーバーより、はるかにフィギュア(シングル)はスポーツとして公平なジャッジングが行われたのだ。それはつまり、印象より客観性が重視され、「より難しいことを、より正確に行ったものが勝つ」という原則に従った判定がなされたという意味において。今季のジャッジングも、方向性としては、それを踏襲している。今回の男子ショートでは、グレーゾーンのジャンプの着氷はあったと思うが、グレーゾーンでアンダーローテーションを取られる選手と取られない選手がいるという不公平もないジャッジングだった。Mizumizuとしては、コフトゥン選手が4回転の精度を上げてきたことに大きな拍手を送りたい。これがもう1年早かったらと、そこは悔やまれるが、ソチ五輪に向けて、高難度ジャンプを多く跳びながら、テレビ画面からもハッキリわかる回転不足ジャンプを連発していたころとは格段の差がある。羽生選手については、何も言うことはない。あれだけのアクシデントから、これだけの短時間で、あそこまで秀麗な高難度ジャンプが跳べる選手だ。コンディションさえ普通なら、彼は、まさに「絶対氷帝」のジャンプを跳ぶ天才。とにかく、体のケアを周囲のプロフェッショナルに切にお願いするばかり。トリノシーズンの本田選手、ソチシーズンの高橋選手・小塚選手にならないように。それだけだ。町田選手には、内心完璧なショートを期待していたのだが、あるいは、それは求めすぎだろうか? だが、彼にとって今年はチャンスなのだ。去年のワールドで初出場銀メダルという快挙を成し遂げ、こう言ってはなんだが、羽生選手は今年はコンディションが悪く、フェルナンデス選手も出来に波がある。ビジネスライクな言い方をあえてするなら、平昌を見据えていろいろな挑戦をしていられるほど、町田選手に時間が残っているとは思えないのだから、今年ワールドを獲らなければ! ワールドチャンピオンという称号を得るのと得ないのとでは、その後の人生がまったく変わってくる。幸い今季のプログラムも非常に上質で芸術性も高く、演技構成点も高く出ている。あとは、去年の調子のよいときのようなジャンプを跳んでほしい。無良選手は…どうして、こうなってしまうのかな。もちろん選手は失敗するつもりで試合に出てるわけではないから、失敗を責めても、それは愚痴になってしまうかもしれない。だが、せっかく初戦であれほどの演技をしたのに、その後が続かないのは何故なのか。このままでは、大きな大会でジャンプの跳びすぎだとか、大技の失敗だとかを繰り返していた織田選手のようになってしまう。そもそも、無良選手には「大事な試合に弱い」というイメージがつきまとっている。強い選手が揃っている日本男子で、彼のようなポジションの選手には、めぐってくるチャンスは少ない。スピンやステップのレベルの取りこぼしはあえて(テクニカルパネルの判定の公平性も含めて)言わないにしても、だからこそ、ジャンプは「全部」クリーンに決めなければ。いや、せめてショートでのジャンプでのミスは「1つ」にしなければ。そうしなければ、ことに抜群のスタイルと圧倒的スター性をもつ羽生選手とでは、勝負にならない。ボロノフ選手は、27歳という、フィギュアスケーターとしては若くない年齢で、世界トップ6が競う大会に食い込んでくる能力は凄いと思うのだが… だが、やはり、この高難度ジャンプ時代の男子シングルで、ショートに「トリプルループ」は、どーよ? と思う。オープニングにいくら4T+3Tを決めても、ラストがトリプルループでは、「はぁ?」と拍子抜け。あまりに竜頭蛇尾だ。「羽生結弦以前の時代」なら許されたかもしれないが、時代というのはあっという間に変わる。フリーでは、まさかまた、「フリップ抜き、ルッツはダブル」じゃないでしょうね? 今の男子シングルで、それはもう許されませんから。とにかく、フリップを跳ばないなら、せめてトリプルルッツを決めてください。4回転ジャンプは誰にとってもリスキーなものだが、跳ばなければ勝てない。跳んで、回り切ることができれば、転倒でもチャンスは生まれる。そしてもうひとつ、他のジャンプの難度も大事だということ。基礎点の高いジャンプをいかに回り切る能力があるか。男子シングルは、今はそれを競うスポーツと言っても過言ではないだろう。これは、プルシェンコが、ミーシンが、タラソワが言っていた、フィギュアスケートのあるべき姿だ。競技としてはとても面白い。誰が勝つかわからない。フリーの演技を楽しみに待とう。
2014.12.13
グランプリファイナルの女子シングル、ショートが終わった。本郷選手は素晴らしい演技。フリーもこの調子で頑張ってほしい。1つ、リプニツカヤ選手に対する判定で非常に気になったことが。織田氏の解説を聞いていた人は、リプニツカヤ選手の冒頭の連続ジャンプ、トリプルルッツ+トリプルトゥループのルッツの踏切エッジが「中立」で、減点対象となり、それで点がもうひとつ伸び悩んだのだと思ったのかもしれない。点で出たときのリプニツカヤ選手の表情は、ソチ五輪で滑るたびに高得点が出て喜んでいたときのそれとは雲泥の差だった。演技終了後の満足そうな表情から一転、見ようによっては怒っていたようですらあった。彼女としては、間違いなくもう少し高い点が出ると期待していたはずだ。Mizumizuも、プロトコルを見るまでは、ルッツで減点されたのかと思っていた。ところが、ところが。なんと、技術審判は彼女のフリップに、「E」判定をしているではないか!http://www.isuresults.com/results/gpf1415/gpf1415_Ladies_SP_Scores.pdfえっ??テレビ画面ではスロー再生もされたので、何度か見返してみたが、織田氏も「きれいにインサイドで踏み切って」と言っているように、どう見てもフリップだ。強いて、本当に無理やり言うなら、踏み切るときに「しっかりとイン」にのらずに、一瞬アウトサイドのほうにぐらっとしたかもしれないが、踏み切るときはインサイドで踏み切っている。逆に織田氏が「減点…」と言ったルッツ+トゥループの3+3のほうは、「!」さえついていないので、2点加点をつけたジャッジが多く、基礎点10.10に対して11.30という高得点になっている。テレビで見ると、ちょうどルッツを跳んだときに真後ろに近い場所から撮っているから、踏み切るときにエッジがスライドして、中立(Mizumizuの目には、むしろ若干インに入ってしまってから踏み切っているように見えた)になってきているのが写っていた。リプニツカヤ選手は元来このように、アウトエッジで踏み切るのが苦手な選手だ。恐らくルッツのエッジは矯正しようとしているし、その影響でフリップの踏切が、少し乱れているのかもしれないが、それにしても、インサイド踏切に対する「E」というのは妥当なのか? この判定により、解説の、つい先シーズンまでトップ選手として活躍していた織田氏でさえ、「素晴らしいジャンプ」と疑わなかったトリプルフリップの点がたったの2.67点、加点をもらったダブルアクセルの4.34点よりはるかに低い、「トリプルジャンプを跳ぶ意味のない点」になってしまった。今季のルールのキモが、wrong edgeに対する厳しい減点であることはすでに述べたが、減点が厳しい以上、正確な判定が不可欠だ。ところが、先日エントリーにあげた町田選手のフリップに対する「E」判定もそうだったし、今季はフリップへの判定そのものに、かなり疑問がある。やたらと「!」が増えたのは、まあ、ある程度仕方ないかもしれない。だが、「E」は基礎点減点のうえにGOEでも減点という、「二重の減点」が待っているのだから、明らかに間違ったエッジの踏切に対してのみ、慎重かつ厳正に付けられるべきだ。また、「技術審判が見ているカメラの位置」がどうとか言うのだろうか? だが、1台のカメラの位置で正確に判定できないような判定を、技術審判にさせるべきではなし、それによって大きな減点をするのは、さらに適切ではない。多くの人は「バンクーバーから判定がおかしくなった」と思っているらしい。だが、それは違う。フィギュアの採点はバンクーバーの2年前のルール改正からおかしくなった。それが頂点に達したのがバンクーバー五輪で、多くの人はオリンピックでしかフィギュアに注目しないので、気付かなかっただけなのだ。その後ルールは改正され、ソチではむしろ、スポーツとしては公平になってきている。だが、こういう判定を見ると、バンクーバーの負の遺産はまだまだ大きく影を落としていると思う。解説の織田氏は、1年目とは思えない軽快で明るい声のトーン、ルールにそった明確で分かりやすい解説が出来ていて、舌を巻くばかりだ。「年収が現役時代より上がった」というのも頷ける。何度か試合を経て、彼は、「どういうジャンプが女子で回転不足を取られているか」を学んだようだ。グランプリファイナルの女子ショートの解説で織田氏は、回転不足に対して明らかにこれまでより慎重に話すようになった。ラジオノワ選手の転倒した3ループに関しては、「もしかしたら回転が足りなかったかも…」と指摘していた(実際には、「回りきっての転倒」ということで認定されて基礎点は入っている)が、こういうことはこれまでにはあまりなかった。これまではむしろ、自分が素晴らしいジャンプだと思ったら、素直にそう口にしていた。ところが、「素晴らしいジャンプ」のはずが、プロトコルを見るとアンダーローテーション判定され、減点されている。たとえば村上選手の連続ジャンプで、アンダーローテーションを取られるパターンの降り方を見ても、織田氏が疑いをもたずに褒めているのを聞いて、Mizumizuはむしろ驚いたのだ。ついこないだまで現役選手だった、しかも日本の男子選手でさえ、女子で行われている回転不足判定の傾向をあまり意識していなかったのか、ということに。これも「いつか来た道」だと思う。八木沼氏や本田氏も、最初は思ったとおりのことを言っていたが、だんだん自分の見た目での印象とプロトコルに記載されたスペシャリストたちの判断が違っていることに気付いて、はっきりしたことは言わなくなった。録画の場合は、解説者はプロトコルを見たうえでジャンプの評価を述べるから、ライブのときとは違って、変にプロトコルと符合するのが逆に不自然なくらい。Mizumizuとしては、解説者・織田氏には思ったとおりの意見を言ってほしい。もちろん、本田氏のように、「足りないかも…あとはスペシャリストの判断ですね」「回ってる…と思うんですが、あとはスペシャリストの判断ですね」と、自分の見た目と技術審判の判断が違うかもしれないという意味のコメントを付け加えるのもいいだろうし、杉田秀男氏や八木沼氏のように、「これはギリギリ…どうでしょうか、取ってほしい」というような話し方をしてもいいとは思うが。スペシャリストは神でも仏でもないし、判定に使われるカメラは一台で、判定の精度には疑問がある。一流選手でも一流ジャッジでも、その試合の技術審判とは違った判断をしていることもある。それが公けになってきただけでも、むしろ喜ばしいことなのだ。盲目的にジャッジを信じては不正の温床になるし、あるいは不正がまったくなく、ジャッジがあくまで公明正大だとしても(プッ…失礼)、不適切な判定は起こってくる。それを議論して、より公平なルール運用がされるよう監視するのが、大会を運営する組織の使命だろう。今回のリプニツカヤ選手のフリップに対する「E」判定も、議論すべきだとMizumizuは思う。
2014.12.12
NHK杯女子シングルの村上佳菜子選手の演技は、非常によかった。フリーでダブルループの跳びすぎによって、3連続ジャンプが0点になってしまったミスはあったが、中国杯からジャンプ構成を変えたにもかかわらず、よく対応していたと思うし、ダブルジャンプの跳びすぎのミスは、1度やれば恐らく次からは気を付けるだろう。要は最初の3ループの予定のジャンプがダブルになった場合に、2ループを1回だけ跳ぶようにするだけなので、慣れればそれほど難しいことではないはずだ。演技として非常に魅力的だったのは、ショートとエキシビション。ショートは最初から世界に入って演じていた完成度の高いものだった。また、エキシナンバーのフラメンコは、大きなモーションで情熱的に踊れる村上選手にピッタリで、滑りの緩急の付け方にテクニックの進歩が感じられ、「少女」が席巻する女子シングルの世界で、「フレッシュな成熟」という独自のポジション――つまり、まだ溢れる若さがありながら、もう少女ではないという意味――を誇示できる最高の選曲だった。来季はフラメンコを競技用のプログラムにしてはいかがでしょうか?さて、気になっていた村上選手の回転不足問題。トリプルルッツのない村上選手にとっては、他の3回転ジャンプを回転不足判定されないことは至上命題だと思うのだが、これがなかなかうまく行かない。シニアに上がりたてのころは、跳べば高い加点のついた3T+3Tも、気が付くと回転不足判定が増えてきた。NHK杯ではショートのセカンドで取られたが、逆に(過去には)ファーストで取られることもあり、しかも、遠目には織田氏じゃないが、「高さといい、流れといい完璧」に見えているのに、スロー&アップにすると微妙に「ん?」という回転のジャンプで「<」判定されることが、今回のNHK杯に限らず散見される。だが、たとえアンダーローテーションを取られても、村上選手の3T+3Tに対しては、プラス1を付ける演技審判もいて、今回のNHK杯ではショートでの点が7点、認定されたフリーになると加点3もちらほらついて9.7点。やはり、彼女の3T+3Tは大きな武器だと言える得点だ。中国杯では2A+3Tを跳ぼうとしてシングルになってしまったが、3T+3Tにはそういった、ジャンプそのものの失敗も少ないことではあるし、ショートもフリーもやはり、オープニングジャンプは3T+3Tで固定したほうがよいように思う。村上選手は3T+3Tに向かっていくときのスピード感も素晴らしく、これが例えばオープニングに「単独3ループ」となると、見ているほうも「へっ?」と肩すかしをくらったような気分になってしまう。成功したかに見える3T+3Tに対するアンダーローテーション判定に関しては、今のところ取れる対策はあまりないのかなと思う。本当に微妙な差、もしかしたらカメラの位置で変わってくるような判定だから。強いて言えば、少しウエイトを落としてみてどうなるか…というところだろうか。もちろん、ウエイトオーバーということはないし、痩せてしまってパワーがなくなってしまったら元も子もないが、微妙な体重の増減でジャンプのキレが違ってくるのなら、村上選手も20歳を超えて女性としてはウエイトコントロールがしやすい年齢になってきたし、やってみる価値はあるかもしれない。実は深刻だと思うのが、3連続ジャンプのアンダーローテーション判定。中国大会では、3Lo(<)+2T+2Lo(<)という判定だった。ループからの連続ジャンプに「リスク」があると指摘したところ、コーチも同様に考えたらしく、ループからの連続ジャンプを外し、サルコウからの連続ジャンプにしてきた。が…今回も3S(<)+2Lo+2Loという判定。キックアウトされて0点になったが、点数が入ったとしても、最初の3回転でアンダーローテーションを取られたのが痛い。村上選手の3連続は、ポンポーンと間をおかずに跳ぶので、見ていて小気味いいのだが、どうもどこかで回転が足りなくなることが多い。今季に限らず、村上選手の3連続はときどきこういう判定になる。取られないこともあったが、それでもやはり「疑わしく」見えることが多々。ここをなんとかしなければ、と思う。判定のブレを自分たちに都合のいいほうに解釈していては、肝心の大きな大会で取られて順位を伸ばせないということになりかねない。Mizumizuの印象では、何度も3連続ジャンプで回転不足を取られながら、ここ数年あまり改善がされていないというふうに見える。同じように跳び、同じように取られる。3連続はとりあえず封印、という手もあるかもしれない。まずは2連続に留めて、確実に回り切って降りる。そこから始めてはどうか。そして、ルッツをどうするのかという問題。たとえばゴールド選手は、E判定を取られた3フリップをNHK杯ではダブルにしていた。ダブルでも「!」は取られたが、トリプルフリップに比べたらエッジの問題は明らかに軽度で、Mizumizuにはわずかではあるがインサイドにのった踏切に見えた。少なくとも、「明らかなwrong edge」でないことは確かだ。だが、GOEはマイナスが多く、結局2点にもならない得点(基礎点が後半なので2.09点。GOE後の得点は1.96点)。アメリカ大会のE判定3フリップの得点が3.37点なので、ダブルよりはwrong edgeでトリプルを跳んだほうがややマシな点といったところだろうか。村上選手がE判定を承知でルッツを跳んでも、現状では成功したダブルアクセル(3点台後半が目安)のほうが点がいい。とすれば、やはりルッツは抜いて、NHK杯のジャンプ構成を基本にするのが今は一番いいだろう。ただ、日本女子はジュニア・ノービスに素晴らしい選手が控えている。彼女たちは最初から回転不足やエッジ違反が大きな減点になるルールのもとで指導を受けてきているから、すでにルール対応ができているか、あるいは矯正・改善をしていくにしても、まだ間に合う年齢だ。村上選手が今後、次のオリンピック出場をこうした年下の選手たちと競うことになった場合、ルッツがないのが「アキレス腱」になってくるかもしれない。といって、ルッツのエッジ矯正は今からではあまりに危険だ。村上選手はフリップも盤石ではなく、思わぬすっぽ抜けや転倒が多い。ルッツを今から本格的に矯正したら、フリップジャンプまで乱れに乱れてしまうかもしれない。安藤選手はフリップの矯正で、1年間ルッツでも転倒を繰り返した。今季、リプニツカヤ選手はフリップの調子が非常に悪いが、あれもルッツを直そうとしていることと関係しているかもしれない。リプニツカヤ選手はまだ若いから、平昌に向けてルッツを完璧にするという意義はあるかもしれない。エッジの矯正は、ことにある程度の年齢に達したら、できたとしても完璧とはかない場合が多い。中立気味だったり、跳べるようになっても元より失敗が多くなったり。もともと選手生命が短い女子にあっては、「ハイリスク・ローリターン」だと言える。やはり、村上選手は今跳べるジャンプを確実にしてミスを減らすこと。そして、下から上がってくるライバルにはない大人の魅力と洗練で勝負していくというのが、一番現実的な戦略かもしれない。村上選手の、特にエキシビションを見て、まだ非常に細く、少女体形のままの恐ロシア女子にはない魅力を、確かに感じた。もともと「点はもっと出てほしかった」と率直に言ったり、演技の出来がいいときと悪いときの表情がハッキリしていたりと、型にはまった優等生になりがちな日本人にはない個性を感じる。こういう態度を嫌う人もいるかもしれないが、「自分の世界」を多くの人たちの前で見せていくには必要だし、有利にもなる性格だ。悪く言う人もいるかもしれないが、好きだという人はきっともっと多くいる。それを自分で信じてほしい。ジャンプのウエイトが大きい現行の採点傾向では、基礎点の高いジャンプを跳べる若い選手が完璧な演技をしたら、勝ち目はなくなるかもしれないが、「相手のミス待ち」の構成であっても、自分のミスをなくせばチャンスは出てくる。そのためにも、アンダーローテーション判定を受けやすいジャンプ(それはもう決まっているのだから)の対策が急がれる。
2014.12.03
NHK杯が終わった。この結果、ファイナル出場は、男子はロシア勢2人、日本勢3人。女子は、ロシア勢4人、アメリカ勢2人、つまり日本勢はゼロ。女子シングルは、ひところの日本勢とロシア勢の勢力図が入れ替わったようだ。恐ロシア女子がなぜ強く、今の日本女子がなぜ弱いか。そのもっとも大きな原因を1つ挙げるとするなら、やはりジャンプを「回り切る」力の差だと思う。回転不足のルール策定(アンダーローテーション、ダウングレードにおける基礎点設定とGOEの減点幅)と実際の技術審判による判定手法・精度の問題点は、すでに何年も前から書いているし、少なくともバンクーバー前よりはルールもマトモになり、技術審判の判定の一貫性も取れてきていると思っている。なので、今回はそれについてではなく、選手個々の問題としての「回転不足」問題のみ取り上げたいと思う。実際の演技を見ても、スコア表を見ても思うのは、ロシア選手とフランク・キャロルの指導するアメリカ選手(グレーシー・ゴールドもその1人)には「回転があやしいジャンプ」がほとんどなく、日本人女子選手には非常にそれが多いということだ。今回優勝したゴールド選手は回転不足判定が1つもない。レオノワ選手(ロシア)には、フリーの3連続での最後の2ループに1つアンダーローテーション判定があるだけ。ダブルジャンプに対する「<」なので、得点の高い3回転ジャンプに対するそれよりは、影響は小さくおさまっている。宮原選手は、ショートに1つ、フリーに1つ。しかも、それが両方、基礎点が高いルッツで取られているのが痛い。村上選手はショートに1つ、フリーに1つ。これもまた、得点源の3T+3T(ショート)の、今回はセカンドジャンプと、3連続の最初の3回転(今回はサルコウ)。宮原選手はルッツ単独では、高さもそれなりにでるし、きれいに跳ぶことができると思うのだ。ところが連続ジャンプにすると、最初のルッツジャンプが「低空飛行の幅跳び」になってしまう。NHKのレポートでは、この連続ジャンプにコーチと一生懸命取り組むさまが放送された。その様子を見ると、特にセカンドの3回転をきちんと回り切るように意識しながら練習していたようで、その成果はある程度出ているのかもしれないが、セカンドを回り切ると、今後はファーストのほうが「省エネ」になり回転不足。このパターンから抜けきれないように見える。このパターンは浅田選手の3F+3Loにも見られた。セカンドの3Loは、まず認定が難しいし、ソチでは放送席で見ていた某国の元名選手が「回っている」と疑わなかったくらいの完成度だったが、やはりアンダーローテーション判定。続くワールドでは、セカンドは完璧だったがファーストがアンダーローテーション。http://www.isuresults.com/results/wc2014/wc2014_Ladies_FS_Scores.pdf浅田選手はしばらくこの3回転3回転を跳ばなかったのだが、跳んでいたトリノ~バンクーバー中間期も、回転不足が厳密化されてからは同じようなパターンの判定だった。ちなみに、判定はそれほど変わらなかったが、3F+3Loのジャンプそのものの完成度としては、以前より段違いに上がっていたと思う。何度も言うが、五輪女王になったソトニコワ選手でさえ、なかなか入れることさえできない難しい連続ジャンプだ。キム・ヨナ選手に至っては、単独ループさえ試合に入れることができなかった。連続ジャンプそのものの完成度は上がってはいたが、結局判定はどちらかが回転不足判定されるという意味で、「変わらなかった」という話だ。もっと前だと中野選手にもこのパターンが見られた。ちょうど(当時の)ダウングレード判定が猛威をふるい始めたころで、本人はどこで取られたか直後にわかっていない様子だったが、プロトコルを見ると3回転からの連続ジャンプのファーストが(当時の)ダウングレード判定。アップ&スローにしないとわからないような軽微なものだった(が、アップ&スローにすれば、テレビからでもだいたいわかる)。それが何分の1回転足りないのかといった「判定の精度」に関する問題は、横に置いておいて。宮原選手はルッツにエッジ違反がなく、単独ならばきれいに跳ぶことができる。ところが、ショート、フリーともルッツを全部連続ジャンプにしている。ここが問題かな、と思う。フリップの違反は、ついても「!」で、つかないこともあるから、本当に軽度だと見ていい。つまりエッジの踏み分けはかなり正確にできる選手で、また、フリー後半にもってくる2A+3Tの認定率もいい。カナダ大会でも日本大会(NHK杯)でも後半に跳んで、どちらも認定、素晴らしいじゃないですか。こうした、現行ルールでは強みになるはずの武器をもちながら、ルッツを全部連続にすることで、強みとなるはずのものが逆に「不安定要素」になってしまっている。もちろんこのまま、ルッツからの連続ジャンプの精度を上げていくという戦略もあると思う。だが、過去の名選手のパターンから見ても、それは危険な賭けに見える。まずはルッツを1つ単独にする。連続ジャンプは別のものにする。そうして出来と点の出方を見てはどうだろうか。「3連続」にこだわる必要はないと思う。今季はダブルジャンプに対しても、ジャッジはキッチリ回転不足を取ってくる。「ソチ基準」が続いているということだ。3連続で後ろに2つダブルジャンプをつけても、積み上げられる基礎点はわずか。そこで1つでもアンダーローテーション判定されれば、たちまち減点で、意味がなくなってしまう。その点、フランク・キャロルはさすがに戦略家だ。グレーシー・ゴールド選手は、NHK杯では3連続ジャンプを跳んでいない。今回村上選手がダブルループの跳びすぎ(3回転ループの予定が2回転ループになってしまったため)で、3連続ジャンプをキックアウトされるというミスをしたが、ゴールド選手もアメリカ大会でダブルトゥループの跳びすぎで同じく3連続ジャンプの点をまるまる失った。両方とも3連続にせず、2連続にしておけば問題はなかった。ジャンプの跳びすぎはダブルだけではなく、トリプルでも気を付けなければいけないから、選手のほうは対応するのが大変だ。ダブルジャンプの回数制限も、3連続ジャンプの「リスク」を間接的に上げている。加えて、回転不足判定。こうなると、3連続をやって、ダブルジャンプのわずかな基礎点を積み上げる意味は、さほどないように思われる。次は村上選手の回転不足問題について。
2014.12.01
仕事に忙殺されてグランプリシリーズ フランス大会のエントリーをあげる時間がないうちに、NHK杯が始まってしまった(汗)。個人的に注目しているメイテ選手についても書きたかったが、点数があまり伸びず、ファイナルには来ないので、フランス国内選手権、ヨーロッパ(ユーロ)選手権、世界選手権での演技を楽しみに待つことにしよう。フランス大会で非常に気になった判定があるので、それについて。今シーズンのルールのキモは、エッジ違反の判定の細密化と「E」判定されたときの減点幅のアップであることはすでに述べたが、「!」マークが復活して、以前「!」マークがあったときのルール運用に見られた問題がまた復活しているように思う。とにかくフリップに対する「!」判定が非常に多い。「明確でない」とジャッジが判断すれば付けるのがルールなのだから、判定そのものにはほとんど「誤審」と言えるものは起こらない。フリップジャンプをたとえ(正しいエッジである)インサイドで踏み切っていたとしても、技術審判の目に「明確でない」ように見えたら、「!」を付けていいわけだから。だが、もともとのwrong edge(不正エッジ)の概念、および現行の判定条件の不備(つまり、判定に使うカメラ一台、一方向からのものだけであり、佐野稔氏がテレビで認めたように、盲点になる場所でジャンプを跳んだらよく見えないということは起こりうるということ)からすると、wrong edgeの厳密化という本来の狙いから、判定が離れていく危険性があると思う。これについては、議論の余地があるだろう。ジャッジする立場からすると、「明確でない」踏切に「!」を付けよ、と言われたら、おのずとこっちもあっちも、そう見えたものはすべからく「!」を付けておくほうが公平だと考えるかもしれない。そして、こうした「!」判定の不備は(起こったとしても)、GOEである程度補えるシステムになっている。つまり、「!」自体はGOEマイナス要因ではあるが、その他の要素を加味して演技審判の付ける最終的なGOEは、マイナスにしなくてもいい。ということは、つまりプラスを付けてもよく、実際、「!」がついてもGOEでプラスを付けてくる演技審判もいる。だが、そうはいっても、GOEは付きにくくなるから、選手の側からすると痛いのだが。「!」のルール規定(つまりは定義の問題)と判定(つまりはルールの運用方法)については議論・検討の余地があるが、これはまぁ、毎度のことで、批判されたらコロコロとルールを変えるISUではあるし、「E」判定ほど深刻なものではない。問題は、基礎点が減ぜられ、GOEもマイナスにしなければならない「E」判定。「E」は、間違った踏切エッジに対して付けられるものなので、逆に「誤審」があり得る判定だ。しかも、誤審が起こった場合、基礎点減、GOEマイナスという大きな減点があるから、その影響は非常に大きい。町田選手は、去年は、フリップで違反を取られたことはなかった。今年第一戦で「!」がついているのをみて、おやっと思ったのだが、フランス大会のフリーではフリップが「E」判定されていた。http://www.isuresults.com/results/gpfra2014/gpfra2014_Men_FS_Scores.pdf普段踏み分けができる選手でも、突発的にエッジが変わってしまってwrong edgeになることは起こりうる。だが、テレビで見る限り、町田選手のフリップはどう見てもアウトエッジで踏み切っているようには見えない。ルッツは非常に明確なアウトエッジにのってきれいに跳ぶ選手で、フリップよりルッツのほうが得意なのかもしれないが、スローで再生された場面を見ても、どう見てもフリップはwrong edgeではない。第一戦で(おそらく本人は)思ってもいなかった「!」マークがついたので、第二戦では気を付けて跳ぼうとして、跳び急いだ感があり、回転不足のまま降りてしまった。回転不足は確かだが、エッジがwrongという判定は妥当なのか?こうした正確性に疑問符のつく判定をチェックし、検討していく努力が必要ではないか。そうしてこそ、技術審判の判定の正確性や信頼性は増していくものだ。これは、コーチや選手といった現場の人間の力だけではどうにもならない。オーサーのように「非公式ルート」で抗議できるコネをもっている人は別かもしれないが。オリンピックだけに注目し、オリンピックの後だけ、「採点がおかしい」と叫んでも後の祭りなのだ。ストイコがいみじくも指摘したように、「ロシアは勝つ準備を何年もかけてやってきた」のだから。今年ロシアの選手は非常に強いが、それは何年もかけてロシアが勝てる方向に選手を強化してきたことの結果でもある(それについては、また後日書くつもりでいる)。決して偶然ではない。オリンピックしかフィギュアスケートを見ない人たちがどういう印象をもっているのかはよくわからないが、Mizumizu個人としては、フィギュアの採点は、バンクーバーのときよりソチのときのほうが、はるかに公平になったと思っている。それはすでに書いたとおりだ。回転不足判定も、「厳密化」されてからすでにもう6年以上たった。減点幅の変更や、「<」か「<<」かという判定の細密化という変更はあったにしろ、さすがにもう何年も判定をやっているので、以前よりはるかに技術審判もこなれて、一貫性のあるジャッジングが(これでも)できてきていると見ている。それでも、疑問符のつく判定は起こる。スーパーのレジ係並みに公明正大なジャッジの皆さんも、人間だから間違いも起こすだろう。そうした判定をいかにして減らすか、その努力をすべきだし、そうした働きかけをするのは、公平なジャッジングを実現するうえで、何も障害にならない。声をあげることができるような仕組みを作るか、あるいは現行のままで、「誤審ではないか」と現場が感じたら、それを上にあげて検討課題とすることができるなら、そうすべきだろう。バンクーバー五輪のころに比べて、日本の専門家もジャッジングに必ずしも一貫性がないこと、誤審の可能性があることを公けに認め始めた。先に紹介した太田氏のコラムでも触れられていたし、佐野氏は、2013年のNHK杯での織田(当時)選手の回転不足判定に関して、以下のように述べている。http://no-border.co.jp/archives/16451/プロの立場で観ていた人たちの間から「あれは可哀相じゃないか」といった声が挙がっていました。(中略)織田の4回転トゥループと、成功と判定された高橋の4回転トゥループを比較しても、回転そのものに大きな違いがあったようには思えません。ですけど、ふたりがジャンプしたリンク内の地点は、まったく別のところでした。もしかすると、判定に使用するカメラの位置からだと、織田のジャンプが回転不足に見えたとしても仕方ないような角度だったのかもしれません。あくまで私の推測ではありますが、こうなってくると「運」「不運」の範疇になってしまいます。ですが、それもまたスポーツを構成する要素の一部だと言うしかありません。だが、それを「運」「不運」の問題だとして、「可哀想だった」で片づけていいのだろうか?競技結果を大きく左右する判定を、技術審判の(事実上)3人に任せるのが、そもそも問題だが、それを続けるなら正確性を担保できるよう、判定の妥当性をもっと追究すべきだろう。そうした仕組みをつくるために、フィギュア競技の選手強化に投入されている税金が使われるなら、誰にとっても無駄にはならない。
2014.11.28
かつて、日本スケート連盟は、だんだん不安定要素の増えてきた浅田真央選手に替えて、村上選手を推そうかと考えたようなフシがある。連盟御用達ライターが、シニアデビューしたばかりの村上選手の表現力をさかんに持ち上げ、演技構成点の高さは、「ジュニアから上がったばかりの選手の点ではない」などと書き立てたが、その自慢の表現力の評価は今はどうだろう? 五輪出場経験すらない年下のタクタミシェワ(トゥクタミシェワ)選手にあっさり抜かれている。中国大会のフリーの演技構成点は、タクタミシェワ(トゥクタミシェワ)選手が64.96点、村上選手が59.60点で5点以上差をつけられている。あれだけフリーでジャンプを失敗したリプニツカヤ選手でさえ、61.71点の60点超えだというのに… 年下の選手に演技構成点で負けているというのは非常に苦しいが、「ホーム」の(元来、そんな概念は絶対評価には入りこむ余地はなかったはずだが)NHK杯でどうなるか、もう少し試合の出来と評価の推移を見たいところだ。個人的には、村上選手の「オペラ座」も、ロシア女子選手に負けないぐらい魅惑的だったと思う。ヒロインとファントムを演じ分けるという斬新な発想、村上選手ならではのパワーとパッションがほとばしる振付。ダイナミックな腕の使い方には、はっと胸を突かれるものがあった。観る者を自分の世界に引きずりこんでやるという意気込みと自信が加われば、さらに輝きが増すだろう。今は演技冒頭の顔の表情が、緊張でややひきつったようになっているのが気になる。カナダ大会で聴衆の拍手喝采を得た宮原選手も、去年以上に表現力が増した。「ミス・サイゴン」は彼女の雰囲気にぴったりの出色の作品。これまでの彼女のフリーの中では最高の出来だと思う。できれば2年ぐらいかけてプログラムを熟成させてほしいくらい。氷の上で彼女の纏う衣装のシンプルな赤の色が、あるいは小さな炎のように、あるいは小さな痛みのように、可憐に、鮮やかにMizumizuの網膜に焼きついた。ベトナム伝統の刺繍を模したスパンコールも工夫されたデザインだった。もともとすっと背を伸ばしたときの姿勢が美しく、細身で動きにもキレがあるから、ポーズを決めたときに非常に映える。指先まで心を配ったアジアンな表現も、あの若さで素晴らしい。顔立ちも、そう言われれば(日本より)南方のイメージがあるかもしれない。大胆な感情表現を得意とする村上選手とはまた違う、アジア的なニュアンスを含んだ異国情緒が彼女の持ち味になるかもしれない。宮原選手のカナダ大会の演技構成点は、58.34点と村上選手と同じような点。どうやら日本女子のその大会での1番手は50点台後半が「相場」らしい。優勝したパゴリラヤ選手が64.20点(彼女は失敗の多かったロシア大会では58.56点で、なんと6点近く下がった。彼女は、「ジャンプを失敗すると、あっという間に下げられてしまう選手」に仕分けされているらしい。もちろん、下がった理由は後付けで何とでも)で、中国大会のタクタミシェワ(トゥクタミシェワ)選手と同等の点。ちなみに、アメリカ大会を制したラジオノワ選手の演技構成点は62.33点。ロシア女子は、いい演技をすれば60点台前半が「相場」で、リプニツカヤ選手は失敗が多くても、今のところは「高め安定」。これがあまりに失敗が続き、他のロシア女子がいい演技を続ければ、ソチ五輪団体金メダリストとはいえ、演技構成点は落ちてくるかもしれない。宮原選手はルッツに違反はないが(フリップに「!」)、連続ジャンプになると微妙に――スローでアップになると見える、本当に微妙なグレーゾーンで――回転不足が増えてくるのが不安要素だ。ジャンプも高さがないから、加点のつきにくいタイプ。ロシア大会を制した本郷選手は、非常に勢いがある演技だったが、ルッツがE判定で、「3回転を跳ぶ意味がない」得点にしかならないのが、やはり痛い。解説の織田氏は素直に彼女のジャンプを褒めていたが、フリーで連続ジャンプの後ろにつけた3回転は2つとも回転不足を取られている(カナダ大会では3F+3Tの3回転トゥループがやはり回転不足、2A+1Lo+3Sの3回転サルコウは認定)。上々の出来だったロシア大会のフリーの58.96点(カナダ大会:54.01点)という演技構成点は、ジャンプの失敗が多かったパゴリラヤ選手が58.56点だから、まさに横並び。NHK杯には、オリンピック経験のある村上選手と、成長目覚ましい宮原選手がエントリーしている。「ホーム」で演技構成点がどのくらいもらえるか。是非、失敗のない演技を見せて欲しい。そしてもう1つのポイントは回転不足判定。2人とも回転不足になりやすいジャンプはもう決まっている。そこをどう修正するのか、できるのか。以前解説をしていた伊藤みどりの、「認定されるジャンプを跳んでくださいよ~」という声がよみがえってくる(笑)。ジャッジングの正確性については、スケート連盟関係者が声をあげ、ISUが検証する気がなければどうにもならないが、選手としてできるのはグレーゾーンから抜ける、どの角度から見てもクリーンなジャンプを降りるよう努力することだ。ISUの会長によれば、「(採点の)批判は自由」だという(苦笑)。だが、選手自身が、あっちの選手のあのジャンプは認定されたのに、私は…などと考え出すと、ロクなことにならない。学校で「あの先生はあの生徒を贔屓していて」などと言い立てる生徒に成績優秀な者はおらず、職場で「あの人はあの上司にゴマをすって贔屓されていて」などと陰口を叩くことに一生懸命な人間に仕事のできる者はいない。巨大なマネーがからむ「興行」の世界で、何もかもが公平平等でないのは、個人にはどうにもならない。だが、判断する立場の人間に、良くないと指摘されたところを、少しでも良くする努力はできる。自分自身のやるべきことだけに集中することも。それはどんな世界に生きていても言えることではないか?
2014.11.19
中国大会を制したタクタミシェワ(トゥクタミシェワ)選手は、「女王の条件」を満たした選手だ。ルッツは明確なアウトエッジで踏み切ることができ、フリップにも違反がない。ジャンプの質が総じていいから加点もつくし、ループも非常にきっちり回り切ることができるし、ルッツも非常にきれいな放物線を描くハイクオリティ。欲を言えばルッツからの3トゥループが欲しいところだが、無理にセカンドに3トゥループをつけて回転不足になっては意味がないから、確実に回り切れる3トゥループ+3トゥループをショート、フリーともに入れて減点を防ぐ作戦で来て、今季はそれが奏功している。アメリカ大会と中国大会のタクタミシェワ(トゥクタミシェワ)選手のスコアを見るとジャンプの回転不足判定が1つもない。本当に驚嘆すべき「成績表」だ。アメリカ大会では3連続ジャンプの3番目を1ループにしているが、3Lz+2T+1Loの基礎点は7.80点で、加点がついて8.50点になった。2ループにして加点をもらった中国大会のGOE後の得点は、9.90点だから、1.4点の減少に留まっている。ジャンプが回転不足になるくらいなら、回転数を落としてもきっちり回り切ってGOEで減点されないようにする。この意識がはっきりしている。ソチ五輪で活躍したソトニコワ選手とリプニツカヤ選手は調子を落としている。五輪の翌年というのは、そういうものだ。本来の調子を取り戻したタクタミシェワ(トゥクタミシェワ)選手が強いのも当然だろう。彼女はいきなり強くなったわけではない。本来、素晴らしい逸材だったのが、ソチ五輪の前に調子を落としただけだ。才能のある逸材は、こうして必ず出てくる。今シーズンは調子もいいようだ。将来に向けての不安要素があるとすれば、やはり彼女の女性らしい体形。これからまたメリハリがついてくると、再びジャンプが跳べなくなる可能性がある。対照的なのが長洲未来選手。先日終わったばかりのロシア大会でも、解説の織田氏が彼女のジャンプが「グレー」であることを指摘していたが、せっかく連続ジャンプのセカンドに3トゥループをつけても2つとも回転不足判定。単独ルッツも回転不足判定。長洲選手がいわゆる「グリ降り」の多い選手であることは、とっくに周知されているから、Mizumizuも注意深く見ているが、テレビ画面からでも、「これは多分認定してもらえないな」と思ったジャンプ(織田氏の表現で言えば「グレー」ゾーンのジャンプ)はまずほとんどアンダーローテーション判定になっている。ジャンプを降りたときに一瞬流れが止まり、降りてから回っている感じが肉眼でもわかるし、氷上についたジャンプの着氷後の跡を見てもかなり曲がりが激しく、あれは回転が足りずに降りた証明でもある。長洲選手はアメリカ大会でも、セカンドの3Tは2つとも回転不足判定、単独のルッツもフリップも、3連続の最後の2ループさえ同じく回転不足判定(ロシア大会ではこの2ループを2トゥループに変えて認定されている)だった。これでは難しい連続ジャンプを跳ぶ意味がない。それどころか、やればやるほど点数を落としてしまう。アメリカのスケート連盟がグレーシー・ゴールド推しであることは明らかだ。金髪美人の白人のスター選手こそ、アメリカが最も欲している人材であって、セカンドに3回転ジャンプが跳べて、ルッツにエッジ違反もなく、一昔前のハリウッド女優のような華やかな雰囲気をもつ選手が出てきたら、アジア系選手が冷遇されることはわかっている。かつてクワンが頭角を現し始めたころ、白人至上主義の世界で何かとイチャモンをつけられ、あげく家族の想いのつまったアクセサリーまで攻撃の対象になったことは、フィギュアファンならたいてい知っている。クワンはそうした状況の中、ミスのない演技で自らの地位を築いていった。自由の国アメリカは人権意識が進んでいるから、そんな差別はありえない、と思いますか? それならば、これからゴールド選手と長洲選手に対する回転不足判定を注目して見てください。明らかな回転不足は別だが、「グレー」なジャンプ、「もしかしたら回転が…」と解説者が言ったジャンプで認定されるのは、ゴールド選手だけになりますから。ゴールド選手は間違いなく、「ISU指定強化選手」に入っている。言っておくが、彼女が才能あふれる素晴らしい選手であることは間違いない。すっと伸びた姿勢のいいジャンプ。キレのある動き、見るものをうっとりさせる上品な雰囲気。異性・同性問わずに幅広い人気を博した浅田選手と違い、ゴールド選手のようなタイプは同性よりも異性に受けがいいだろうけれど、強くなればもっともっと人気が出て、アメリカのフィギュア界を盛り立ててくれるだろう。ジャンプを失敗するとあっという間に演技構成点も下げられてしまう選手と違い、ゴールド選手はジャンプを失敗しても演技構成点が高め安定で出てくる選手になるだろう。長洲選手は、逆にこのままでは沈んでいってしまう。ジャンプの回転不足を修正するには、おそらくウエイトを落とす必要があるかもしれない。それでも難しいかもしれない。それはつまり、もともとのジャンプの「タイプ」がそうだから。彼女はもっと体の軽いティーンのころから、やはり「グリ降り」の多い印象だった。こういうのはジャンプのクセと言ってもいいし、むしろ「タイプ」と言ったほうがいいかもしれないが、ある程度技術が固まってしまってから直すのは、非常に難しく、ほとんど不可能なのかもしれない。
2014.11.17
バンクーバー五輪を制したキム・ヨナ、ソチ五輪を制したソトニコワ。この2人に共通だったのは、ルッツでエッジ違反を取られず、連続ジャンプのセカンドに3トゥループを2度持ってきて認定されたことだ。ソチでキム選手がソトニコワ選手に勝てなかったのは、後半にもってくるセカンドの3回転がなかったことが大きい。今季のルール改正のキモは、不正エッジに対する減点の大幅アップだ。「!」マークが復活し、「E」判定されると基礎点そのものが減じられてしまい(70%になる)、GOEはマイナスとなる。これが何を意味するか? 一言で言えば、明らかな不正エッジをもつ選手は、3回転ジャンプを跳ぶ意味がなくなったということだ。昨季までは、「E」マークのみで、不正エッジの重度・軽度はGOEに反映される仕組みだった。GOEはエッジの踏み分けだけでつけられるものではないが、採点の傾向を見ると、だいたいどの試合でも、演技審判は一貫性のあるジャッジングをしていたように思う。たとえば、浅田真央選手と村上佳菜子選手のルッツなら、村上選手のほうが重度のエッジ違反なので(浅田選手はルッツを再び跳び始めた当初、2012年の四大陸などのように、認定されることもあったhttp://www.isuresults.com/results/fc2012/fc2012_Ladies_FS_Scores.pdf)、総じてGOEでの減点が大きい。つまり、「!」と「E」の審査分けは昨季もされており、点数に反映されていたと言っていい。ただ、今季、「おや?」と思ったのは、オープンフィギュアでチャン選手のフリップについた「!」マーク。これを皮切りに、シーズンが始まってみると、必ずしも「不正エッジ」と言い切れなくても、曖昧なエッジでの踏切には、軒並み「!」がついているという印象だ。「軽度の不正エッジ」の範疇が広がり、「曖昧な踏切」は、軽度の不正エッジの域に入ってくるという解釈でジャッジングがなされていると言ってもいい。「E」を取られると点にならないから、重度の不正エッジを自覚している選手は、そのジャンプをプログラムから外してきた。ゴールド選手のように、微妙だと思う選手は入れてきているが、例えばゴールド選手のアメリカ大会での判定をみると、フリップは「E」を取られてしまい、結果、ダブルアクセルより悪い点になってしまった。ゴールド選手のフリー後半の代表的なジャンプ3Fe E判定 基礎点4.07 x GOEはマイナス1とマイナス2 得点3.37 3Lz 基礎点6.60 x GOEはマイナス1からプラス1 得点6.402A 基礎点3.63 x GOEはマイナス1と0 得点3.42エッジに問題のある3フリップと、正確にアウトエッジで踏切できるルッツとの点差は顕著だ。これを見ても、「E」判定を取られたら3回転を跳ぶ意味がなくなるということは、明らかだろう。ルッツに明らかな不正エッジをもつ村上選手の場合は、こうなることを見越して、プログラムからルッツを外してきた。トリプルアクセルに次ぐ基礎点をもつトリプルルッツを入れることができないのは、非常に痛い。そして、もう1つ「痛い」というより、「危うい」ことがある。それは、ルッツのない村上選手が、ループに頼るジャンプ構成を組んできたことだ。ループは回転不足を取られやすいジャンプだ。逆に言うと、少々回転不足でも降りてしまうことのできるジャンプとも言えるかもしれない。中国大会のフリーでは、ダブルアクセルからの連続ジャンプの失敗が大きかったが、それと同じくらいMizumizuが気になるのは、入れたループジャンプが全部回転不足を取られたこと。オープニングの3ループは、ダウングレード判定になっても文句を言えないような降り方だった。後半にもってきた、3ループ+2トゥループ+2ループは、解説の織田氏は、「回っていると思う」と言ったが、判定を見ると、3Lo
2014.11.13
さまざまな方面からさまざまな意見が噴出した今回の羽生選手のアクシデント。視聴率も30%超えだったという。いかに「羽生結弦」という名前が、社会的に大きくなっているかの証左だろう。事後にフィギュアスケート界から聞こえてきた声は、Mizumizuの予想通りであり、かつ「かすかな」期待を裏切るものがほとんどだった。曰く、「最終的に決めるのは本人だから」「現場でドクターがOKを出したなら、外野がとやかく言うことではないから」。つまりは、一般社会から見たらまだまだ若くて一人前ともいえないような選手個人に責任を押しつけている(なんでもかんでも最後は選手の責任にしてしまう。こういう嫌な「スケート連盟のやりかた」を私たちは何度見てきただろう?)。ドクターが診たとはいっても、それは他国のチームのドクターが簡易なチェックをしただけのことだ。脳震盪の危険性について言及し、今回のスケート連盟や大会運営関係者の対応をハッキリと批判したのは、むしろ陸上や柔道といった他競技のオリンピック経験者だった(こちらの記事やこちらの記事参照)。狭いスケート村の村民や元村民は、脳まで筋肉になってしまって、そういう思考ができないのか、あるいは、できたとしても、中島みゆきの歌じゃないが、♪ホントのことは言えない~。誰も口に出せない~ という立場のようだ。少しほっとしたのは、ネットでの一般人の反応。根性感動美談に無条件にのっかっている人は思った以上に少なかった。「あの状況で棄権させないのは信じられない」という、ごくごく常識的な意見が多かったのは安心できる。そして、昨日出された羽生選手のメディカルサポートをしている、Tadashi Tad Aoshima氏の常識的かつ的確なコメント。https://m.facebook.com/photo.php?fbid=385702284930752&set=a.115848978582752.23790.100004729509588&type=1&theaterTadashi Tad Aoshima羽生選手のアクシデントフィギアスケート中国杯での羽生選手のアクシデントに関して当事者になった可能性があった立場として考えることは、サポートメンバーとして現場に存在していたら羽生選手の現在のコンディションを知っている責任上、絶対に試合を棄権させていたということです。羽生選手の様に勝利に対する意欲が人一倍強い選手の場合、棄権させるのは困難であるのは、今シーズンの初戦のフィンランディア杯を棄権してもらった経験上よくわかります。また、オーサーコーチの言葉の真意をくみ取り日本語で本人に伝えてあげることも必要であったでしょう。この様な難しい状況であるからこそ、サポートメンバーが適切な判断をして必要な時は本人を説得すべきと考えています。多くのアスリートに影響力のある存在になった今、個人的な感情で不適切な行動をとるべきではないし本当の意味での勇気や判断力というものを身につけてもらわなくていけないと思います。また、サポートメンバーも今回のアクシデントを教訓に一層のスキルアップが必要であることを痛感させられました。金メダリストではありますが19歳という若さでもあります、まだ完璧な王者ではないのかもしれませんが、今後成長していく羽生選手の応援を引き続き宜しくお願いします。まさにこれが「満点回答」だろう。非常に冷静に、羽生選手の性格とコンディションを見極めたうえで、きっぱりと結論を出している。こうした「責任を取る覚悟のある大人の当事者」が彼のそばにいなかったことが一番の問題点だ。今回無理を押して出場したことで、羽生選手は明らかに更なる怪我を負ってしまった。「サポートメンバーが適切な判断をして必要な時は本人を説得すべき」。こんな常識的な発言さえ、フィギュアスケート村からは、ほとんど聞こえてこなかったのだ。それどころか、「周囲がやめさせるべきという主張には賛同できない。本人が納得がいかないだろう」などとつぶやいている呆れたバカもいた。もちろん、こうしたバカは自分の名前も出さない、「自称・フィギュアスケート関係者」なのだが。Mizumizuも指摘したし、他の分野のトップアスリートも同じ指摘をしていたが、今回の頭部への打撃は、脳震盪が疑われ、それは本人が納得するしないなどという感情の問題より優先されるべき、選手の命にかかわる問題なのだ。羽生選手は故障が多い。ならば、Tadashi Tad Aoshima氏のようなプロフェッショナルを帯同させることも考えてはどうだろうか。こう書くと、「羽生結弦だけ特別扱いか」と言う人が必ず出るが、もはや、これほどの影響力をもつアスリートは特別なのだから仕方ない。収入だってケタ外れのハズだ(搾取されていなければ、だが)。フィギュアスケート選手も、個人的にドクターを帯同させるという選択肢を考えるときが来たかもしれない。もう1つ、非凡なアスリートの非常に常識的なコメントも出た。http://instagram.com/p/vOW0bFGy0G/I believe that Yuzuru Hanyu is a big fellow, so risky. Personally, my opinion is that it's just a Grand Prix and risking his health on such a small competition is not necessary. In any case, Yuzuru is a professional and a real boy!羽生結弦はすごい奴だ、すごくリスキーなことをする。個人的には、ぼくの意見は、これはただのグランプリで、こんな小さな試合で彼の健康を危険にさらす必要はないということ。いずれにしても、結弦はプロフェッショナルで、本当に男の子なんだな!(プルシェンコオフィシャルから)「it's just a Grand Prix 」「such a small competition 」。まさしく皇帝のお言葉どおりだ。いくら日本のテレビが派手の盛り上げようが、これはただのグランプリシリーズの1つに過ぎないのだ。そりゃね、日本のスケート連盟は出てほしいでしょう。でなきゃスポンサーに顔向けできない。浅田真央もいない、高橋大輔もいない。そのうえ羽生結弦の出ないグランプリファイナルとなったら、視聴率はどうなるのだ??羽生選手がグランプリファイナルに出る可能性を残すためには、最低何位でなければいけないか? ヤレヤレ、スーパーのレジ係…じゃなくて、公平無私なジャッジもアワ食っただろう。もちろん公平厳格なジャッジが、よもや「オマケ」なんてするはずありませよね、佐野先生!選手の健康より、視聴率! アクシデント乗り越え感動の演技(それで選手がたとえ死んでも、本人の意志ですから)! こんな日本のフィギュアスケートの現状に、常識的な一般人はヘキエキしているのだ。満身創痍の選手の「強行出場」を、日本のファンは何度胸を痛めながら、それでも「最終的に本人が決めたことなら」と黙って応援し、あたたかい拍手を送ってきただろう? 今回の羽生選手の強行出場には、幸いにもいろいろな方面からNOの声があがった。羽生選手には、Tadashi Tad Aoshima氏のような、一級のプロフェッショナルがついていることもわかった。こうした常識的な声が、スケート連盟にも届くことを祈っている。
2014.11.11
羽生選手は4回転トゥループの確率も凄い。そこに目が行きがちだが、やはりなんといっても、トリプルアクセルの精度があまりに凄くて舌を巻く。加点3点がずらっと並ぶイーグル+トリプルアクセル+イーグル(チェンジエッジ)イーグルのショートも凄いが、フリーのしかも後半に、トリプルアクセル+シングルループ+トリプルサルコウのジャンプって… これだけで基礎点が14.52点。今回あの状態でも決めてきた。1点3人に2点6人の加点が、いっそ渋くさえ見える。それにしたって、加点を入れて、この3連続ジャンプ(と今は言う)1つだけで16.23点だ。ほとんど助走をつけない状態で跳んでも、アクセルジャンプは大きくきれいな放物線を描くハイクオリティ。ダブルじゃなくてトリプルですから。スゲー としか言いようがない。男子フィギュアは羽生結弦以前と羽生結弦後で、概念が変わってしまうかもしれない。実際、羽生選手の「人間ですか? 神ですか?」のフリーのジャンプ構成を見たあとでは、フリー冒頭に4回転を跳んでも、後半にダブルアクセルを入れてくる他の男子選手のジャンプがガクンと見劣りがするようになってしまった。幸いにも、今回羽生選手の脳に異常はなかったとのこと。足の捻挫は、演技中のトリプルループの転倒のときにひねったものだろう。怪我をしっかり治してください。怪我さえなければ、「絶対(転倒)王者」や「皇帝」を凌ぐ、「絶対氷帝」の座はあなたのものだ。
2014.11.10
昨夜起こったフィギュアスケートのグランプリシリーズ中国大会での羽生選手とエン・カン選手の衝突事故。あまりに衝撃的な映像に、You tubeにあげられた動画には、すでに70万件以上のアクセスが殺到している。https://www.youtube.com/watch?v=75-dxXoFGLcこれほど長く選手が氷上から動けず、激しく出血しているという状況は、Mizumizuも見たことがない。そして、案の定、「周囲は棄権を薦めたが、本人の意思が固く強行出場」という、誰にとっても最悪の選択がなされ、演技中に足にさらなる負傷を負いながらも滑り切り、点数をみて号泣する羽生選手に後ろ指をさすわけにもいかず、周囲は彼の勇気を褒め称え、さらには美しき根性の物語にまで仕立てあげるという流れ。これもまた、誰にとっても最悪な展開なのだ。はっきりと、もう一度言おう。これは「最悪の選択」「最悪の展開」だ。つい先日書いた、日本フィギュアスケート界に蔓延する選手への過剰な負荷強要と、それを美談にする商業主義。これはおかしい、行きすぎだとどこかで思いながらも、口に出せず、「さすがに五輪王者になる人は違うね」「後遺症がないといいですね」の表層的なきれいごとで傍観するだけの他人。こうした他人は、王者が深刻な怪我で舞台から退けば、さっさと忘れて次の王者に関心を寄せる。いくら超一流のアスリートといっても、羽生選手はまだ19歳の少年なのだ。社会的にも人間的にも経験の足りない、ましてや医学知識などなく、試合に向けて高揚・興奮状態にある若い選手の意志を優先させた結果、死亡事故につながるケースが、すでに格闘技や激しい身体的接触をともなうスポーツでは起こっている。フィギュアスケートも男子は4回転時代に入り、トップスケーターはものすごいスピードで滑っている。その2人が衝突したら、ダメージは計り知れない。オーサーは「脳震盪がないか慎重に検討した」と言ったようだが、それは脳震盪の危険性に対する認識が甘いのではないか。たとえば、激しい肉体的接触を伴うラグビー界の「選手を守る」取り組みを見てみよう。http://www.rugby-japan.jp/about/committee/safe/concussion/guideline.pdfこのガイドラインでは、「脳震盪とは何か」という基本的な定義から始まり、その危険性、対処の方法まで細かく規定している。これは選手の意志やコーチやトレーナーの意向といった感情的なものよりも上位に位置づけられる、皆が守べき規定なのだ。今回の羽生選手にも当てはまる部分は以下。脳振盪の見分け方受傷後に以下の兆候、または、症状のいずれかが認められたら、そのプレーヤーは脳振盪の疑いがあるとみなされ、ただちにプレー、または、トレーニングを止めさせなければならない。目に見える脳振盪の手がかり – プレーヤーに認められるもの以下のうちの1つ、または、それ以上の目に見える手がかりがあれば、脳振盪の可能性がある:• 放心状態、ぼんやりする、または、表情がうつろ• 地面に横たわって動かない / 起き上がるのに時間がかかる• 足元がふらつく / バランス障害または転倒/協調運動障害(失調)• 意識消失、または、無反応• 混乱 / プレーや起きたことを認識していない• 頭をかかえる / つかむ• 発作(痙攣)• より感情的になる / ふだんよりイライラしている1つ以上、ですよ。つまり1つでも当てはまれば、「脳震盪の疑いがあるとみなされ」「プレーは止めさせなければならない」のだ。今回の羽生選手は明らかに、しばらく「横たわって動けず」、起き上がってもしばらくは「表情がうつろ」で、「足元がふらついて」いたではないか。実際に脳に何が起こったかは、スケート会場で診断などできない。結果として大丈夫であったら、それでいいということではなく、「疑い」のある症状が見られたら、ただちに安静にして、専門医師の検査を受けるべきなのだ。Mizumizuが子供のころ、母親によく言われた。「クルマにぶつかったら、たとえ自分で大丈夫と思っても、『大丈夫です』と言ってはダメ。絶対にダメ。必ず運転手と一緒にすぐに病院に行くように」。この「人の親」なら当たり前の心構えを、フィギュアスケート界の人間も思い出してほしい。Mizumizuは、1年のうちの数か月を北海道の札幌で過ごしていたこともあるが、凍った路上で転倒し、自分ではなんということもないと思って病院に行かずに仕事に行った人が、半日後に亡くなったという話もある。今回の羽生選手の状態は、今おそらく検査を受けているだろうから、まだはっきりとしない。もちろん大事に至らないでいてくれることを願うが、たとえ結果が「最悪」でなくても、こうしたケースに対する指針を厳格に決めておかなければ、いずれ本当の「最悪の事故」も起こるだろう。それからでは遅すぎる。今回の衝突事故の相手が中国選手だったということで、エン・カン選手を非難する人もいるようだが、映像を見る限り、今回はエン・カン選手が「故意に当たってきた」というぶつかりかたではない。(過去に伊藤みどりにぶつかってきたフランスの選手が、関係者の中では悪名高い、「当たってくる選手」だったことがあるのは、以前述べた。そういう選手が今はまったくいないとは、もちろん言い切れないが、今回はそうではない)。ファンの方も、ただ単に誰が悪いかの不毛な水掛け論に参加するのではなく、ラグビー界のような取り組みをフィギュアスケート界でも取り入れるよう働きかけてほしい。追記:なぜ「感動の美談」にすることが最悪の展開なのか。その答えになる記事が出ている(名古屋大学大学院教育発達科学研究科・准教授、内田良氏)。ご一読を。http://bylines.news.yahoo.co.jp/ryouchida/20141109-00040588/羽生選手の姿に「感動」の問題点この週末(11/8-9)、スポーツ医学の中核を担う「日本臨床スポーツ医学会」の学術集会が東京で開かれている。脳震盪(のうしんとう)に関する調査研究がいくつも発表され、日本のスポーツ界において、脳震盪への対応が喫緊の課題であることを感じさせてくれる。まさにその最中に、羽生結弦選手の事故が起きた。それは端的にいうと、(脳震盪であったとすれば)その事後対応は、多くのスポーツドクターが目を疑う光景であったといってよい。フィギュアスケートのGPシリーズ第3戦。羽生結弦選手は、フリー演技前の練習中に中国の選手と正面衝突し、顔面からリンクに倒れていった。羽生選手は、一度は起き上がろうとしたものの起き上がることができず、リンクに仰向けになった。脳震盪の症状があったのではないかと疑われる。なお補足までに言っておくと、「脳震盪」とは、意識消失のみを指すわけではない。頭痛、吐き気、バランスが悪い、めまい、光や音に敏感など、その症状は多岐にわたる。このことさえ、一般にはまだよく知られていない。話を戻そう。羽生選手は、倒れてから10分後には練習に復帰した。そして、さらに本番にも登場した。本番は転倒をくり返しながらも、幸いにしてなんとか演技を終えることができた。さて、ここで最大の問題は、その姿を、マスコミや観客、視聴者は、「感動した」「涙が出た」とたたえたことである。羽生選手側にもさまざまな事情はあっただろう。今回はそのことは置いておくとして、この事案から、脳震盪の怖さと日本のスポーツ文化のあり方について考える必要がある。
2014.11.09
とどまることを知らない羽生結弦人気。あっという間にスターダムにのしあがっても、泰然自若として動じず、戸惑いや心の揺らぎを表面的にほとんど見せないのが、彼のもつ非凡なスター性の証かもしれない。そんな羽生選手がグランプリシリーズ参戦のために中国に入国し、女性ファンに「熱烈歓迎」されているニュース映像を見た。そして、「あれ?」と思ったのが、羽生選手がカートに乗っけていた「西川AiRポータブル」(こちらの記事の写真参照)。【レビューを書いて送料無料】AirPortable stretch エアーポータブル 西川エアー ポータブルマット ストレッチマット ライトグリーン AIR PORTABLE STRETCH【東京西川AIR】寝具-マットレス-マットレス・ウレタン-その他東京西川のAiRマットレス(プレミアムタイプ)の素晴らしさについては、すでに2012年に記事にしているMizumizu(こちら)。羽生選手がもっていたポータブルタイプも所有しているが、普段使っているのは、これ↓西川AIRのプレミアムモデルハードタイプ【送料無料楽天ポイント10倍付】【代引手数料無料】東京西川 AIR コンディショニングマットレス ダブル [エアーSIH] <プレミアムハードモデル><生産国:日本製> 西川産業これは、本当に素晴らしい寝具だ。このマットレスを使う前は、しばしば腰痛に苦しんだMizumizuだが、これを使い出してからほぼ解放された。外科的な治療を要するような腰の負傷に効くかどうかはなんともいえないが、いわゆる「腰痛持ち」の方は使ってみる価値大。Mizumizuが選んだのはハードタイプだが、もう少し柔らかい寝心地を好むなら、このモデル。Mizumizuもギリギリまで迷った。西川エアー【即日発送/ポイント10倍】AIR SI AiRSI 整圧敷き布団 ムアツ布団 ムアツ プレミアム...価格:82,080円(税込、送料込)上記のモデルが高すぎるという向きには、若干リーズナブルなシリーズもある。もちろん、値段が落ちる分だけ、体を支えるシッカリ感も落ちる(日本橋の東京西川で試しました・笑)が、そこは仕方ないだろう。西川エアー【即日発送】西川エアー air 01 シングル ハード マットレス ウレタン ムアツ 敷布団...価格:41,040円(税込、送料込)ポータブルはトラベル用なので、当然ながらこれらの通常のAiRモデルよりは寝心地は落ちる。東京西川もこのシリーズには力を入れているらしく、CMに起用するアスリートも、キングカズから始まって、大リーグの田中将大投手、サッカーのネイマールと、一流中の一流揃い。ということは、羽生選手もCMに起用するのだろうか? 冬の宣伝にはフィギュアスケートの選手はぴったりだし…と思って、東京西川のサイトを見たが、羽生結弦の「は」の字も出てこない。ハテ…?西川産業さん、羽生選手のスポンサーになっていないなら、是非ともすぐになってください! ちなみに、AiRに合わせたシーツということでWrapという商品も買ったのだが、これはいただけなかった。マットレスへの装着が簡単だということと、洗ったあと乾くのが早いという点は評価できるが、すぐにケバ立ってしまう。これで安いならともかく、この値段…★あす楽対象アイテム★レビューを書いておまけGET♪【あす楽対応】【送料無料】wrap クイック...価格:7,344円(税込、送料込)東京西川のシーツ系はどうも耐久性に難があると思うのはMizumizuだけだろうか。
2014.11.06
11月9日まで開催中のイタリアンレストランウィーク。駐車しやすい東京ミッドタウンのBOTANICAも特別メニューで参加中と聞き、行ってきた。BOTANICAは、ミッドタウン4階にあるひらまつグループの店。東京ミッドタウンは人が多いが、このフロアまで来ると静かで落ち着ける。ダイナースカードで支払えば、カクテルとミネラルウォーターが無料でサービスされる。食前酒のカクテルは洋ナシとハーブのカクテルだった。ノンアルコールもお願いできる。洋ナシは「すりおろし」といった風に果実感がふんだんで楽しめた。料理への期待がぐっと高まる。突き出しは、キタアカリ。これには少し意表を突かれる。表面がカリッと硬く、中はジャガイモらしくほっこり。こんな単純な料理でも、広い意味での「火入れの巧みさ」を感じ取れた。生クリーム(乳脂肪35%だとか)に塩をまぜてホイップしたクリーム、あるいはピンク岩塩を付けていただく。ホイップはおかわり自由で、パンにも。塩はやや強めだが、軽く上品な味わい。もともと生クリームは大好き人間のMizumizuは、じゃんじゃんつけて食べてしまった(これだけで凄いカロリーだろう・笑)。前菜は和牛のカルパッチョにボイル野菜と生野菜の組み合わせ。カルパッチョといいつつ、実際は「たたき」。臭みもなく、文句なし。そこに火を入れたアスパラの硬さと生野菜の柔らかさがいい塩梅。ドレッシングには卵も使われている。全体的に軽いが、バラエティに富んだ食感と風味が楽しい。う~ん、さすがにひらまつグループ。いいシェフがいるなあ。プリモ(第一の皿)はイカ墨を練り込んだタリオリーニ。モンサンミッシェルのムール貝も。カボチャのクリームソースということだったが、ソースはごく少量でその分味が濃縮されている。イカ墨の微妙な甘さとカボチャの主張する甘さ。どちらも個人的に大好きな味の系統だ。ムール貝もよく合う。ところどころにセロリの葉の青臭さが混ざる。好みが分かれるアクセントだが、Mizumizuには好ましかった。セコンド(第二の皿)は、氷温熟成氷室豚の肩ロースの炭火焼。しかし、このスマホ(非iphone)の写真はひどいなあ…(苦笑)。「スマホで写真撮るなら絶対にiphone」という巷の評判は、どうやら本当だ。お店のホームページから取った写真を拝借しよう。こちらのほうがずっとリアルに近い。豚の肩ロースなんて、そんなに期待していなかったのだが、これがまた驚きのおいしさ。炭火でこんがり焼いて、表面は香ばしく硬く、中はびっくりするほど柔らかい。脂の柔らかさとはまた違う味わいで新鮮だったし、火入れの巧さには、ひれ伏す思い。付け合わせはサルシッチャ(ソーセージのような腸詰)ということだが、細かく刻んでよく火を通したベーコンとしか思えなかった(笑)。和食のそぼろのような甘辛い味付けで、これまた非常に個人的嗜好に合う。柔らかめに火を通したグリーピースのやや青い風味がまた粋なアクセントに。ここのシェフは本当に、硬い食感と柔らかい食感の素材の組み合わせがうまい。ワインはグルナッシュ系をチョイスしたのだが、果実味ふんだんな酸味がプリモにはどんぴしゃり。メインに関してはもっと渋みの強い、重いものを合わせたかった。あまり飲めない体質が残念だった。こちらは「別料金になりますが」ときちんと説明されたあとに、Mizumizu連れ合い選んだチーズ(あとで見たら900円だった)。ハード系でまとめている。しかし、ミモレットがあまりに情けないなあ…。これじゃまるで削りかすみたいじゃないですか。ここまでケチらんでも…(苦笑)。デザートは、これまた大好きな「栗」。こんな感じでサーブされ、スープ(ソース)をかけてアッフォガート風にいただく。メレンゲのふわりと溶ける食感と、ローストナッツのかりっと硬質な食感、それぞれの風味の対比、薄いリーフ形のチョコレートのカカオの豊潤な味。甘露煮の栗そのものもこっそり隠れている。いろいろな食感と風味が楽しめるデザートで、これまた大いに気に入る。〆のエスプレッソに添えられてきた生チョコ。これはごくごく普通。ひらまつグループのレストランは、だいたいどこに行っても内装は高級感があるし、サービスもいいし、味も悪くない…のだが、どこか「突き抜けた」感じがないという印象だった。つまり、値段は高すぎることはないが、といって「お値段以上」の大きな感動もない。スタッフはみな感じがいいが、常連になりたいという感じでもない。常に及第点だが、二度・三度と行きたくなる店ではない。それがほとんど。だが、BOTANICAのシェフは違うかもしれない。ちょっとした素材の加え方に、小さな驚きが隠れている。その繊細な配慮が非常に日本人的。一応ジャンルはイタリアンだが、ソース使いにはフレンチの要素もあり、味付けには和の感覚もある。素材選びが、不思議と個人的な嗜好にぴったりだったのも大きい。また行こう、東京ミッドタウンのBOTANICA。暖かい季節ならテラス席も気持ちがよさそうだ。子供連れを歓迎する店だとかで、「子供が走り回っていてファミレスみたいになっていた」という口コミもあり、ちょっと心配したのだが、Mizumizuが行った夜は、子連れファミリーは1組だけで離れた席だったから、何も問題はなかった。上記の特別メニューは9日まで。興味のある方は、お早めに予約を(笑)。
2014.11.05
【送料無料選択可!】YUZURU 羽生結弦 写真集 【初回入荷限定特典付き】[本/雑誌] (単行本・ム...価格:1,944円(税込、送料別)大人で賢明なコストナー選手は、グランプリシリーズでしっかり手を抜いた・・・じゃなくて、不調だったが、五輪までにはきっちり調整をし、ちゃんと高い演技構成点を出している。グランプリファイナルに出られなかった彼女が、五輪ではファイナル女王をあっさり上回る。グランプリシリーズは、彼女にはもう不要だったことが、この事実からも明らかだ。若手が世界に名を売るためには、グランプリシリーズは格好の場だが、ある程度実績を出したら、あるいはベテランの域に達したら、ほとんど意味はない。逆に、どこかで調子を落とせば、それをきっかけに演技構成点を下げる口実にされかねない。キム選手は出場機会をできるだけ減らすことで、体力を温存して怪我のリスクを避け、かつ点を下げる理由をジャッジに与えなかった。先日のオープンフィギュアでチャン選手は90点超の演技構成点を出した。五輪とほぼ同水準の点をもらったから、グランプリシリーズは全休しても、ワールドで同様の演技をすれば、当然同じぐらいの点が出てくる。他の選手がグランプリシリーズで消耗している間に、しっかりコンディションを整え、一発勝負にかけるだけだ。もともと何回練習試合をしようと、本番というのは常に誰にとっても一発勝負なのだから。羽生選手も、本当は同じなのだ。彼にはもうグランプリシリーズは必要ない。昨シーズン、ヤグディン以来となる、ファイナル・五輪・ワールド制覇という偉業をなしとげた後となればなおさらだ。怪我でフィンランディア杯の出場を取りやめたが、本当は次のグランプリシリーズも大事をとるべきだ。長期的な視野に立ち、かつ羽生選手の弱点が何かということを考えるならば。そして、そのうえで、本当に彼に五輪二連覇という偉業をなしとげてもらいたいならば。五輪王者がそれなりの演技をすれば、ちゃんと演技構成点は出てくる。だが、無理して試合に出て、そこから調子を崩せば、逆にマイナスの評価がつき、「羽生選手はオリンピックイヤーだけの一発屋」にされかねない。仮に彼の類まれな精神力が、怪我の痛みを一時的に補ったとしても、生身の人間が何年もそれを続けられるワケがない。昨季の日本ワールド試合後、いかにも痛そうに腰を押さえている羽生選手の姿は、とても19歳の若者には見えなかった。佐野稔以来、久方ぶりに出た日本男子でワールドトップを争える選手として注目された本田武史もキャリアの後半は、痛み止めを飲みながらの試合出場だった。高橋選手もあの怪我、小塚選手も深刻な故障で力強いジャンプが跳べなくなっている。次は羽生選手の番だろうか? 同じことを繰り返してほしくない。いくら能力の高い選手でも、本当にいい演技が出来るのは、年に何回もないのだ。五輪後に日本で開催されたワールドにソトニコワ選手は来なかった。コストナー選手は参加はしたものの、フリーのジャンプの出来はひどいものだった。だが、スケート連盟もスポンサーも、是が非でも羽生選手にはグランプリシリーズに出てもらいたいところだろう。奇しくも今日、高橋選手が現役引退を表明したが、今季は浅田選手もいない。集客は羽生選手頼みだ。「選手本人が出たがっている」などと言って、よほどのことがない限り休みを与えないであろうことは目に見えている。羽生選手の大活躍でフィギュアスケートファンになったという人も多いだろうから、やはりどうしたってそうしたファンは王者・羽生結弦の大活躍を見たがるだろう。羽生結弦の人気は本当に凄いとしかいいようがない。初DVD「覚醒の時」(フジテレビジョン・ポニーキャニオン)はオリコンのDVD & Blu-rayランキングで首位を獲得。スポーツ選手として史上初の快挙だという。カレンダーもバカ売れだったし、展示会やら写真集やら、羽生選手の人気を当て込んだ企画は枚挙にいとまがない。多くのファンはフィギュアの試合そのものを見たいのではなく、贔屓の選手の試合での演技が見たい。それが本音だ。だから、高橋大輔、浅田真央に続いて羽生結弦の名前まで消えてしまえば、その大会の視聴率はガタ落ちになるだろう。今の日本フィギュアを覆い尽くしている商業主義は、実際のところ、プラスの面も多くある。引退した選手がテレビで活躍の場を得ているのも、商業主義のもたらした恩恵だろう。メディアが煽るから世間の注目も集まる。注目が集まれば、選手の金銭的なメリットも増える。それも事実だ。全日本選手権に多くの観客が押し寄せるようになったのも、メディアの後押しがあったからこそだ。だが、最高の舞台である五輪で日本選手を活躍させるという、競技としての本来の目標を思うとき(そのためにフィギュアには多額の税金も投入されている)、オープンフィギュアに始まり、グランプリシリーズ参戦、ワールドを経て最後は団体戦(国別対抗戦。2015年もまた日本で開催予定)まであるような日本選手の過密スケジュールは、利よりも害が増えているのが実情であり、何より日本選手のソチでの演技の出来がそれを証明している。
2014.10.14
グランプリシリーズなど、もはや熱心に見ているのは日本のファンぐらいではないだろうか? 莫大な放映権料を払うから、日本人選手には是非とも活躍してもらわなければならない。視聴率が欲しいから、テレビ局はこれでもかというぐらい盛り上げる。グランプリシリーズで若手の日本人がいい点をもらっても、他の有力日本人選手と一緒に出場するワールドや五輪になると、あ~ら不思議、点が伸びない。急に回転不足が増えたり、演技構成点が伸びなかったり。かつての織田選手、小塚選手、最近では村上佳菜子選手。みんな同じパターンではないか。しかも、何年も同じことを繰り返している。例外は、「ISU指定強化選手」に入れる、ごくわずかな選手のみ。しかも、それは純粋な選手個人の才能だけではなく、コーチの名前や大きな大会の開催地によって決まる。このつまらない出来レースに付き合わされるファンも、たいがいアホらしくなっているはずだ。キム選手はソチ五輪に向けて、グランプリシリーズに背を向け、年間の試合を極力絞る作戦で来た。彼女は数年かけて、自分にあった試合数を計っていた感がある。さすがにワールド1回では、調整がうまくいかなかったと見るや、国際大会への出場をほんの少し増やした。五輪直前のグランプリシリーズを欠場したのは、表向きは怪我のためだが、あの程度の怪我だったら、日本選手なら出場を強要されて、それがまた美談のサイドストーリーになっていただろう(そして、肝心の五輪を最悪のコンディションで闘うハメになるというオチ)。ソチ前のチャン選手は、「フィギュアの選手組合ができたら入りたいよ。ISUは僕らでいったいいくら儲けてるの?」などとブーたれながらも、ちゃんとシーズン通して試合に参戦し、その結果、日本選手同様、本来の彼には程遠いボロボロの出来で、ほぼ手にしていた金メダルを逃した。あれほどまでにチャン選手が心理的に追い詰められたのは、これまでミスをしても勝たせてくれていたジャッジが、急に羽生選手の「肩」を持ち始めたからだろう。チャン選手というのは、非常にクレバーな人だし、またいかにも中国人らしい率直さももっている。自分の状態や他の選手に対する評価を自分の言葉で明確に語る。グランプリファイナルで羽生選手に負けたときに、彼の自信の崩壊が始まった。おそらく、あの敗北は、チャン選手にとって予想外で、本音を言えば受け入れがたいものだったのかもしれない。五輪前のインタビューで、チャン選手は、羽生結弦はいつも自分の肩に重くのしかかる「悪魔のような存在」だと述べている(多くの日本人にとっては天使にしか見えないと思うが・笑)。さんざんミスをしても勝ってきた彼が、五輪を目の前にして、「自分が完璧な演技をしても負けるかもしれない」選手に遭ってしまったのだ。あの羽生選手のトンデモなジャンプ構成。もし、ジャンプだけの選手だけなら、演技構成点で差をつけられるから勝てる。だが、羽生選手に対しては、ジャッジは演技構成点も高く出すようになってきた。カナダのチャン選手にとっては「敵地」と言っていいロシア。そこで勝つためには、曖昧な「表現力」だとか「スケーティングスキル」だけでは無理。誰にも文句を言わせないような高難度のジャンプを跳ばなければ。チャン選手はそれをわかっていた。だから、4回転をショートにも入れ、フリーでは2回跳ぶという、文句なしのジャンプ構成を組み、かつ(ここが彼の偉大な部分だが)、ジャンプの完成度もこれ以上ないというくらい高めてきた。実際、ソチのチャン選手のフリー冒頭の4回転+3回転は、高さ・幅ともに異次元の素晴らしさ。五輪史上もっとも素晴らしい連続ジャンプとさえ言えるかもしれない。王者にふさわしい高難度連続ジャンプを決めながら、次のちょっとした躓きが、どんどん連鎖していった。それでも、「あと数年は世界トップクラスでいられるだろうと思う」と自ら語るチャン選手。今シーズン彼がグランプリシリーズを欠場するのは、正しい選択だ。もう実績は十分にあり、かつベテランの域に達して、怪我が心配な彼が、「過酷なサバイバルレース」などに乗っかる必要はないのだ。先のオープンフィギュアを見ると、4回転ジャンプこそ1回に抑えたが、彼の高い「滑りの技巧」を最大限生かすプログラムを作ってきている。ピタッと止まって体をひねりながらポーズを入れ、そのあと滑り出して、もうすぐにスピードに乗っている。スピードをまったく落とさず、安定した滑りのまま体を上下に大きく使う。あんなことができるのは、世界広しと言えどもチャン選手ぐらいだろう。演技構成点も高く出たから、ますます彼にとってグランプリシリーズなど、もはや無用の長物だろう。キム選手同様、ワールドには出てきて、タイトルを目指すほうが得策。日本ではグランプリファイナルのタイトルをことさら喧伝しているが、やはりフィギュアスケーターにとって大事なのは、五輪の金メダル。次はワールドのタイトルなのだ。五輪のタイトルは確かに商業的な利益を選手にもたらすが、五輪はあくまで4年に1度。選手生命の短いフィギュアスケートでは、運も多分に作用する。長い目で見ると、五輪の金メダルより、ワールドのタイトルを積み重ねた選手のほうが尊敬されるという傾向も出てきている。カナダのカート・ブラウニングやアメリカのミシェル・クワンは、どちらも五輪では勝てなかったが、いまだに母国では破格の扱いだ。若い選手が世界に名を売るためには、グランプリシリーズには出る必要がある。だが、いったん評価が定まったら、たいした意味はなくなる。フィギュアスケートでは20歳を超えてきたら、もう若手ではなくなるし、体力的にもシーズンとおしてフルに闘うのはきつくなってくる。そういう選手には、グランプリシリーズは負担なのだ。高橋選手が肝心なときに怪我をしてしまったのも、年齢のわりにはハードな試合数をこなしてきたせいもあるだろう。彼ほどの選手なら、別にグランプリシリーズでアピールしなくても、ジャッジは高い演技構成点を出してくれる。実際、五輪での高橋選手の演技構成点は、あのジャンプの出来にしては破格だった。ショートの点は、「4回転ジャンプやめたら銅メダルは君のものだよ」と言わんばかり。もちろん、高橋選手はあくまで自力で金メダルを獲るジャンプ構成で来ることはわかっていたが。理想を言えば、彼こそキム・ヨナ選手のように、試合数をできる限り制限しながら、大舞台だけに照準を定めて調整させるべき選手だった。だが、そんなことをしたら、選手層の厚い日本では、「高橋だけ特別扱いか」などと言われてしまう。高橋選手に出てもらわなければ、視聴率は取れないし、チケットも売れない。日本では五輪切符を得るためのグランプリシリーズの重みは他国とは比較にならないから、選手は息つく暇もない。そして、五輪では皆、力尽きている。
2014.10.13
浅田選手が団体戦のトリプルアクセルで転倒し、「あの子は肝心なときに必ず転ぶ」などと、言わずもがなの一言を言ってバッシングを浴びた森元首相だが、さすがに一国の総理にまで上り詰めた政治家だけあって、「日本が戦略を誤った」という見方は非常に的を射ている。政治家の「失言」ばかりをことさら取り上げ、そこばかり報道するのはマスコミの常套手段だが、それにうかうかと乗せられ、ヒステリックに攻撃する大衆も、少し冷静になるべきだ。http://www.xanthous.jp/2014/02/21/mori-yoshirou-slip-of-the-tongue-problem/「発言の本意が伝わってないな。私が言いたかったのは、女子フィギュアが戦略を間違えたということ。浅田選手は団体戦に出る必要はなかった。勝ち目が薄い中、浅田選手が 3 回転半を跳べばメダルに手が届くかもしれない。そんな淡い期待があったのだろうが、結果は転んだ。ミスは選手のトラウマになる。実際、( 個人 SP で )また転んだ 」「 彼女がかわいそうだ。団体戦のため、開会式からずっと現地に入らされ、調整が難しかった。キム・ヨナみたいに本番直前に現地に入ればよかったんだ 」「政治」の世界を泳いできた森氏は、フィギュアスケートに関しては無知かもしれないが、団体戦から個人戦までの流れを見て、その背景にある「政治的な思惑と駆け引き」、そこでの日本の「敗北」にある程度気付いている。連盟のメンツも考えれば、立場上、すべてを率直には語らないだろうが。団体戦のメダルなど、よっぽどのことがない限り日本には来ない。淡い期待をもって浅田選手を出したのは間違い。その必要はなかった。そこは、森氏の言う通りだ。浅田選手だけはなない。足の状態が悪かったという鈴木選手ともども、女子シングルは「共倒れ」に終わった感があった。全日本で鈴木選手を浅田選手の上に置いた日本スケート連盟。「浅田真央がトリプルアクセルで自爆したら、鈴木選手を台にのせてね、お願い。銅でもいいよ、メダル欲しいのぉ~」という思惑がアリアリだったが、団体戦でもう、鈴木選手は回転不足を容赦なくダウングレードされ、ボロボロ。団体戦で鈴木選手の点数が表示されたときの長久保コーチの呆然とした表情が忘れられない。採点傾向をまだ知らない状態で、「もしかしたら、回転不足を取られたかも・・・」と解説してしまった八木沼氏も、アンダーローテーション判定が3つに加えて、3ループはアンダーローテどころかダウングレード判定という結果をみて、「厳しいですねぇ」と、できるだけ明るく言うしかなかった。Mizumizuも何年も前から、「団体戦など無意味。特に日本にとっては百害あって一利なし」と、言ってきた。いくら五輪に向けた団体戦をいつもいつも日本で開催しようが、そこでまずまずの順位をもらおうが、ISU会長が日本に来て、わざわざ団体戦の意義を安倍首相に説明しようが、はたまた安倍総理がソチの団体戦の会場に足を運ぼうが、ペアやダンスにも厚い層をもつロシア、アメリカ、カナダの間に入れる可能性はほとんどない。日本はさんざんキャッシュディスペンサーがわりにされてきただけだ。空前のフィギュアスケートブームを背景にISUにたんまり上納したからといって、その見返りがあると思ったら大きな間違いだ。欧米人というのは、そんなお人よしではない。日本だって高いチケットをバンバン売って、儲けた人間がいるだろう。ソチ団体戦では、ISUの意向に沿う形で、そして「もしかしたらメダルがもらえるかも」という、ありもしない期待をかけて、日本はシングルのエースを次々投入。キム・ヨナ選手が冷静に、「(自分には)団体戦がなくてよかった」と述べた通りの個人戦の結果となった。それは点数という結果というより、日本選手の演技の出来という結果に出た。金メダルの羽生選手ですら、フリーの演技は本来の出来ではなかった。チャン選手が、より本来の出来から程遠かったから勝てたという側面もある。団体戦がプラスに作用したかもしれないのは、シーズン最初に調子が悪かった(したがって試合数が少なくてすんだ)コストナー選手ぐらいだろう。体力のある男子選手ですら、シングルのフリーまでもたなかった感がある。それは、パトリック・チャン選手にも言えることだが、カナダはちゃんと団体戦のメダルを持ち帰った。団体戦で日本側がもらえたのは、テレビの視聴率ぐらいだろうか。団体戦でいかに選手が消耗するか。そして、そこでミスした場合、そのマイナスイメージを短期間で払拭するのがいかに難しいか。そんなわかり切った事実から、日本のメディアは全力で目を背けてきた。日本スケート連盟も同様だ。連盟の御用達ライターは、羽生選手のインタビューを引き合いに出して、団体戦の意義を強調した。だが、羽生選手がよかったのは、シーズン通して安定していたショートだけで、フリーではフリップで失敗という信じられないミス。もともと試合で確率の悪かった4サルコウは、やっぱり転倒。それでも羽生選手が勝ったのは、4トゥループの確率と精度に加えて、トリプルアクセルの圧倒的な安定度がモノをいったと思う。チャン選手は逆に、元来苦手なアクセルジャンプがうまく決まらなかった。金と銀を分けたのは、4回転ジャンプではなく、トリプルアクセルの完成度だったとMizumizuは見ている。それにしても、チャン選手の滑りの巧さは、金メダルを直接争ったのが羽生選手だったこともあって、ことさら際立って見えた。これが調子のいいときの高橋選手だったら、それほど感じなかったかもしれないが、フリー後半、顔に疲労と落胆の色が濃くなりながらも、チャン選手のスケートはやはり伸びていて、「よく滑っている」という感想が一番ピッタリきた。羽生選手とのスケーティングスキルの差は明確かつ圧倒的だと思ったが、フリーで演技審判が出してきたSS(スケートの技術)の点は、チャン選手が9.39で羽生選手が9.07と、ビックリするくらい差が小さい。ここでもジャッジは、五輪王者を争う2人に、「順位はつけるが、差はつけない」という原則で来たのだ。演技構成点全体もチャン選手が92.70、羽生選手が90.98で1.72点差。このぐらいの差なら、十分「勝負させてもらえる」。これが10点差とかふざけた点差に広がったら、タラソワじゃないが、誰も勝負させてもらえなくなってしまう。http://www.isuresults.com/results/owg2014/owg14_Men_FS_Scores.pdf今の採点システムは、一見、1つ1つの点の積み重ねの結果に見えるが(実際、その通りではあるが)、ことに演技構成点で大切なのは、ある選手とある選手にどのくらい点差をつけるかなのだ。解説の本田氏が団体戦のプルシェンコの最初の演技のときに、「これが基準になる。これでどういう点が出てくるかわかる」と言っていたのも、つまりはそういうこと。絶対評価なのだから、有力選手の点が「基準になる」というのは、おかしな話なのだが、実際のところ、基準となる選手を決め、そこからどのくらい点差をつけて評価するかといった「手続き」が、事実上出来上がっているということだ。「色白は七難隠す」じゃないが、羽生選手の金メダルという偉業と、彼のルックスやスタイルのよさ、カリスマ性・スター性が、オリンピックでの日本スケート連盟の数々の「戦略の失敗」を覆い隠している。そして、羽生選手の金メダル1つに終わったフィギュアの総括として、連盟は団体戦が個人戦の前にあったことが選手の負担になった、今後は各国と連携して開催時期を検討していくなどと言い出した。初めっから見えていたことです! Mizumizuのような素人さえ、何年も前から指摘している。五輪の団体戦導入に日本を絡めてくるISUのやり方のいやらしさ。ほぼありえないメダルをエサにされ、うかうかと乗っかるほうが頭が悪いのだ。団体戦で女子のエースを温存して女子金メダルを獲得したロシアと、エースと消耗させて女子のメダルを逃した日本。これほど層の厚いシングル女子にメダルなしというのは、もうそれだけで、日本スケート連盟の全面敗北と言っていいのではないか。言うまでもなく、選手は全員、五輪にかけてきている。五輪で最高の演技をするために。だが、日本選手の中で、一人でも「シーズン最高」の演技を披露できた者がいただろうか? そこが大きな問題だ。何かというと、「オリンピックの魔物」だとか「メンタルの弱さ」などと言うが、五輪でシーズン最高の演技を披露した、ソトニコワ選手、(団体戦の)リプニツカヤ選手、コストナー選手、キム選手、テン選手といったメダリストと比べたとき、日本人選手の出来の悪さは際立っている。日本人選手の試合数の多さが、まずは一番の原因だろう。キム選手の演技を見て、アナウンサーが、「シーズン3試合目でこの演技」などと言っていたが、3試合目だからこそ、いい演技ができたんです!羽生選手、高橋選手、チャン選手がシーズンでもっともよい試合をしたのは、何番目の試合だっただろうか? それを分析すれば、おのずとその選手に合った年間の試合数は分かるというものだ。ベテランになってくればくるほど、試合数は制御したほうがいい。コストナー選手やキム選手を見れば明らかだ。<続く>
2014.10.12
【1000円以上送料無料】浅田真央夢(ドリーム)の軌跡/ジャパンスポーツ/ワールド・フィギ...価格:2,052円(税込、送料込)ソトニコワ選手が、フリーの冒頭の連続ジャンプのセカンドにどのジャンプをもってくるか? それについては直前の予想では、某元女子フィギュアスケーターでさえ、「ダブルループではないか」と言っていた。ソトニコワ選手は連続ジャンプのセカンドにトリプルループをつけることのできる数少ない選手だが、ここのところ不調で、セカンドにループをつけようとしても、そもそもまともな連続ジャンプにさえならないことが増えていた。ショートでやったトリプルトゥループ+トリプルトゥループは素晴らしい質だが、あれをフリーでやったら後半に2A+3Tができなくなる。それに、ループは回転不足を取られやすいジャンプだ。安藤選手や浅田選手など、セカンドにトリプルループをもってきても、バンクーバーの前からほとんど認定されなくなったのは、Mizumizuが何度となく問題にしてきたとおり。となれば、冒頭の連続ジャンプのセカンドはトリプルループではなく、確実にダブルループで来るだろう・・・という予想はもっともだが、Mizumizuは懐疑的だった。当時、世間の注目は団体戦で好調だったロシアの美少女リプニツカヤに集まっていたが、オリンピック直前のロシア選手権を制したのは彼女、つまりロシアの「本命」はソトニコワなのだ。オリンピックで優勝するためには、連続ジャンプのセカンドは是非とも2回とも3回転が欲しい。だから、ソトニコワ選手は大半の予想に反して、最初の連続ジャンプのセカンドにトリプルトゥループを持ってきたのだ。3回転ルッツ(フリップでもいい)に3回転トゥループをつける。つけて、回り切る。これが浅田選手にもできたなら・・・というのは、もう数年前にくどいほど書いたので、もう繰り返さないが、バンクーバーもソチも、結局のところ女王に輝いたのは、セカンドにもってくる3回転トゥループを確実に決めることのできた選手だった。このことにまったく驚きはない。むしろそうなるだろうと思っていた。3+3の連続ジャンプのセカンドに3回転ループをもってきても、現行ルールのもとではまず認定は難しい。回転不足と判定されれば、GOEが伸びないから、結局のところ、セカンドにもってくる3回転ループは、よほどでなければ武器にならない。今回のオリンピックで、あれほど見事なセカンドの3回転ループを決めた浅田選手でさえ、やはりこの「壁」は崩せなかった。現行ルールでは、そういうことになるが、だが、そもそもキム選手が優勝を逃した遠因は、3ループを単独でさえ入れることができなかったことにもある。3ループがないから、得意のセカンド3トゥループを最大限生かすジャンプ構成を組めなかったのだから。また、五輪女王のソトニコワ選手は、セカンドに3ループをつけようとして何度も失敗している。ジュニアのころは跳べたが、シニアに上がってからは、つけることさえできずに失敗することも多かった。それをあれほどの完成度で入れてきた浅田選手がいかに偉大か。それは何度でも指摘しておきたいし、才能あふれるロシアのフィギュアスケーターが、なぜこぞって浅田真央を偶像視するのか。その理由がわかろうと言うものだ。ソトニコワ選手の最初のルッツの踏切エッジとセカンドジャンプの回転は微妙だったようにも見えたが(というか、テレビ放送ではカメラの位置は踏切のエッジが判断できにくい角度にあったので、よくわからない)、公明正大かつ正確無比は技術審判は、エッジ違反なし、回転不足なしと判定し、公明正大かつ正確無比な演技審判は加点を気前よくつけた。http://www.isuresults.com/results/owg2014/owg14_Ladies_FS_Scores.pdf最初の3Lz+3Tの得点だけを抽出すると、キム選手が11.70点、ソトニコワ選手が11.10点。GOEの差(つまり質の差)で0.6点というのは、Mizumizuには極めてまっとうに見える。単独のフリップの点は、余裕をもっておりて、すぐさまポーズを入れたソトニコワ選手が6.80点で、回りきってはいたものの、余裕がなかったキム選手が6.50点で0.3点の差。Mizumizuには多少キム選手に対する加点が好意的すぎるようにも見え、両者のジャンプの質の差を見ると、もう少し点差がついてもいいようにも思えるが、それでも、質によって細かくGOEで点差をつけていくという、新採点システムのもともとの理念がうまく機能した採点例だと言えると思う。話をもとに戻す。団体戦に出られなかったことを、ソトニコワは「くやしかった」と語ったが、それは別の見方をすれば個人戦に向けて、ロシアが掌中の珠を温存しておいたとも言える。あまたの才能を輩出してきたロシアという国は、常に「そのときに最も調子のよい選手」を見極める目が、ある意味でとてもドライだ。オリンピック直前のヨーロッパ選手権では、明らかにリプニツカヤ選手のほうが調子がよかった。たとえばフリーでは、演技構成点ではソトニコワ選手のほうが、1.6点上回っていたが、技術点では、リプニツカヤ選手のほうが9.72点も上。10点近い技術点の差は、いくら演技構成点が上げたり下げたり融通がきく(もちろん、そんなことはございませんとも! 採点は公平ですから!)とはいっても、そう簡単にひっくり返せるものではない。http://www.isuresults.com/results/ec2014/ec2014_Ladies_FS_Scores.pdf団体戦には、若くて波に乗っているリプニツカヤ選手を使い、ソトニコワの「ソ」の字も出さない。一方で、団体戦で活躍したリプニツカヤ選手が、世界中の注目を浴び、その結果、本人の強い意志とは裏腹に、個人戦で力尽きるであろうことは、個人戦の前に多くのフィギュア界のレジェンドたちが予想していた。「どれほど彼女(リプニツカヤ)が強くても、あの年齢の少女にこの重圧は耐えられない」。百戦錬磨のロシア・スケート連盟の重鎮とて、当然それは予想していたはずだ。リプニツカヤは団体戦で「消耗しきって」しまっても仕方ない。個人戦で活躍させるのは、もう1つの「珠」であるソトニコワ。団体戦に「出られなかった」という屈辱も、ロシアの国内選手権をすでに複数回、あの若さで制している天才少女には、必ずプラスに働くだろう。これはロシアが打って出た「賭け」だっただろう。勝負というのは、常に伸るか反るか。「国の威信をかけて金メダルを獲る」と宣言した団体戦で、リプニツカヤ一人に賭けたロシア。それは見事に当たったのだ。ジャッジも好演技をしたリプニツカヤに高得点で報いた。それを見て、ベテランのコストナーにメダルを賭けているイタリアは解説者が猛反発。まだ「少女」であるリプニツカヤに、こんな高い演技構成点を与えるのは時期尚早だと大ブーイング(実にわかりやすいのぉ…笑)。そうおっしゃいますが、長野五輪の金メダルを争ったのだって、アメリカの17歳と15歳の「少女」だったじゃないですか。この数年は若い選手の演技構成点が低く出る傾向があったのは確かだが、それは別に絶対的なものではない。その試合の審判団が高い表現力・技術力があると評価すれば、別に何点出したって「不正」ではないのだ。ロシアにとって唯一かつ最大の誤算は、男子シングル枠が1つになってしまったこと。団体戦で素晴らしい演技をしたプルシェンコ一人に、個人戦も賭けなければならなくなり、他の「駒を配置する」・・・もとい、「珠を出す」機会がなかった。それも遡れば、反ロシア感情の強いカナダで行われた前年の世界選手権での若手の不振にある。逆に、女子ではロシアは賭けに勝ったのだ。その背景には、「恐ロシア」と日本のネット民が早くから認めていた若手女子の人材の豊富さがある。Mizumizuはソチ五輪で活躍するのは、タラソワ・スクールのソトニコワとミーシン・スクールのタクタミシェワだと思っていた。タクタミシェワのジャンプは理想的な放物線を描く、美しく力強いジャンプ。練習では素晴らしいトリプルアクセルも決めていた。しかし、ロシア女子の最大の敵である、「体形変化」で彼女は五輪前に調子を崩してしまった。タクタミシェワが崩れても、ロシアにはさらに若い別の才能があった。怜悧な美貌、憂いを含んだ演技。それらと裏腹な、戦士のような激しい闘争心。リプニツカヤも今回の五輪で最も輝いた選手の1人であることは疑う余地がない。個人戦のショートで失敗したことで、逆にロシアの女子シングルの本命はソトニコワだけになった。そのことも今までの採点傾向からすると、ソトニコワに有利に働いたかもしれない。奇妙なことに、これは日本の男子シングルで、エースの高橋大輔選手が怪我をして、そこから急に流れが羽生結弦選手に来たのとも符合する。五輪でも高橋選手の足の状態がよくないのは明らかだった。力なく途中で落ちてきてしまった(おりてくるというより、回転できずに落ちてきてしまったという感じ)ソチでの4回転ジャンプの直後に、CMで調子がいいときの力強い高橋選手の4回転ジャンプが流れたときは、さすがに胸が痛んだ。
2014.10.10
浅田真央/浅田舞/All History 浅田真央〜花は咲き星は輝く・浅田舞・真価格:4,104円(税込、送料別)政治的な立場から見ると、今回のシングルのメダルは、見事なくらいフィギュア強国の顔が立った結果になった。カナダは悲願の男子シングルの金メダルは逃したが、オーサーの弟子が金メダルを獲得したことで、「やはりカナダの英雄は優れたコーチだ」ということになった。キム・ヨナだけが金メダルなら、オーサーでなくキム選手が偉大だったということになりかねない。そして、銀メダルは北米枠(注:もちろん、そんなものはありませんとも! 採点は公平ですから!)からカナダのチャン。4年前ロシアの「皇帝」をコケにしたカナダは、こうして報復された(ことはありませんとも! 採点は公平ですから!)。あれほどジャンプをミスらなければ金だったんですよ。銅メダルはロシア選手がいなくなった「ヨーロッパ枠」で(注:もちろん、そんなものはありませんとも! 採点は公平ですから!)、スペインに用意されていたが、フェルナンデスのジャンプ回数のルールミスで図らずもデニス・テン選手に行った。今回シングルでアメリカは振るわなかったが、テン選手のコーチはアメリカの名コーチフランク・キャロル。アメリカもかろうじて面目を保った。しかし、それにしてもデニス・テン選手は素晴らしかった。ジャンプばかりに目が行くが、彼の場合はスピンのレベルを落とさない。四大陸からそうだった。四大陸ではスピンの名手・小塚選手よりよかったほどだ。こうした細かい取りこぼしがないことも、現在の採点システムでは重要なことだ。表現もかつて師事したロシア人コーチが得意なドラマチックな要素と、アメリカ的な品行方正な雰囲気の両方を兼ね備えている気がした。女子金メダルは、ロシア。言うまでもなく悲願の初五輪金だ。銀はIOC外交を頑張った韓国。銅は3度目の正直のイタリア。北米枠にアメリカ入らなくてごめんね。でも、アイスダンスで金、団体で銅だから、悪くないでしょ? 次の平昌オリンピックでシングル女子優遇するから(注:もちろん、そんなものはありませんとも! 採点は公平ですから!)。日本女子は、悲願の男子シングルでの金メダルをあげたんだから我慢してね。もうちょっと出来がよかったらメダル分配に入れたけど、ああも自爆しちゃね。「ヨーロッパ枠」が2つになったのは、まあロシア開催だからってことで。実際、コストナーは文句なかったでしょう? 同じ国の2番手・3番手の選手は回転不足厳しく取って落とすのが原則なんで(注:もちろん、そんな原則はありませんとも! 採点は公平ですから!)。なにも日本だけじゃないでしょ、アメリカのワグナーもしっかり厳しく取って落としときましたから。アメリカ・スケート連盟だって金髪美人のグレーシー・ゴールド推しでしょ?しかし、それにしてもコストナー選手の見事だったこと! まさかショートでいきなりトリプルフリップ+トリプルトゥループを決めてくるとは思わなかった。単独ジャンプも高さ、幅、勢いがあり、まさに「加点のつくジャンプ」。しかも、ルッツとフリップのエッジの踏み分けの正確さときたら! あれほど明確に踏み分けられるトップ選手は彼女だけではないだろうか。リンクを横切っていくだけで(よい意味での)鳥肌が立つような伸びのある滑りのテクニック。さらに観客を引き込もうとする気持ちの充実と余裕。振り付けもシンプルかつ上品で、彼女こそ最も成熟した、大人であることを印象づける工夫がなされていた。彼女は完全にプログラムを自分のものにしていて、ジャンプに入っていく直前まで笑顔だった。あのコストナーがジャンプの直前にまで見せていた笑顔の示す、心の「余裕」が浅田選手にあったら・・・とMizumizuは思ったのだ。そして、試合後に、「これほどうまく滑ることができたのは初めて」と自身が振り返って語ったソトニコワ選手。勝負を決めたのは、3つの連続ジャンプのセカンドにもってきたトリプルトゥループだ。後半のダブルアクセル+トリプルトゥループのトゥループの見事な「回り切りかた」は本当に素晴らしかった。完全に回り切り余裕をもっておりてきた。テレビ画面からでも「あっ、これは・・・(回転が足りてない?)」とわかってしまった浅田選手のダブルアクセル+トリプルトゥループとは違う。あのセカンドにもってくる3回転トゥループの「余裕」が浅田選手にあったら・・・と、これまたMizumizuはため息をついたのだ。<続く>
2014.10.04
【楽天ブックスならいつでも送料無料】羽生結弦「覚醒の時」【初回限定豪華版】 [ 羽生結弦 ]価格:3,992円(税込、送料込)自らの信念――あるいは価値観と言ってもいい――を提示し、それにそった流れを作る。バンクーバー後に、ロシアのスケート連盟とスケート界の大物がやったのはそれなのだ。「自らのもつフィギュアスケートのビジョン」を示し、競技をそちらに誘導するためには、ときにはシステムやジャッジの批判も恐れない。2012年のニースでの世界選手権のあと、タラソワは1位チャン、2位高橋、3位羽生、4位ジュベールという男子シングルの結果とジャッジングについて、彼女らしい率直な言葉で批判を展開した。それを要約すれば以下のようになる。チャン選手については、カナダ陣営が発揮する強大すぎる影響力によって、チャンと同様の天賦の才をもつ選手が彼と対等に戦うチャンスを奪われている。羽生選手とジュベール選手の順位は入れ替わってもよかった。これは日本スケート連盟の優位性によるもの。ジュベール選手側に立つ審判がいなかった。このときタラソワは高橋選手を絶賛し、ジュベール選手の肩をもった。どちらもタラソワと縁のある選手だ。タラソワに限らず、欧米の振付師やコーチは必ず、自分の「クライアント」の選手の長所を最大限、自分なりの流麗な表現で宣伝してくれる。それは別に不公正な態度ではない。自分が優れていると「客観的に」判断しているからこそ、彼らとの仕事を引き受けるのだし、彼らのもつ良い部分を世の中にアピールするのは当然のことだ。翻って日本人は? たとえば宮本賢二の高橋大輔評などは、こうした海外の一流人に匹敵する情熱と華麗な修辞がある。だが、ベテランのコーチから、自分の指導する選手に関する積極的なアピールが言葉で語られることはほとんどない。むしろ、直すべき点や改善しなければいけない部分を前面に出す場合のほうが多い。あるいは、「海外の先生」や「ジャッジ」の評価を語ることはあっても、自分が自分の生徒の素晴らしさを自信をもって話す人がいないのだ。あるいはそれは、ポリシーのようなものかもしれない。日本人が伝統的に良しとしてきた謙虚さと道を究める精神。他人からの評価はその先におのずとついてくるという信念。だが、残念ながら世の中というものは、一流人ほどの審美眼をもたないものなのだ。どこがどう優れているのが、説明してあげなければわからない。黙っていれば批判はされないが、主張しなければ、顧みられることもない。これが善し悪しは別にして、世界のスタンダードだと言えるだろう。コーサー・コーチがどれほど巧みにキム・ヨナのスケート技術を宣伝したか、そしてどれほど説得力をもって、羽生結弦のプログラムの周到さを話したか想起してほしい。選手のもつ強みを最大限生かすコーチとしての努力と並行して、オーサーは見事なスポークスマンぶりも発揮している。勢いがあったころのモロゾフもそうだった。日本人コーチの求道精神は敬服すべきものがあるが、欧米の一流コーチのようにクレバーな「言葉」で、世の中の見方を誘導していく努力も、これからは必要だろう。タラソワが「常勝チャン」の採点について、カナダのスケート連盟の政治的なプレゼンスに言及するのも、当然こうしたスケート界における、一種の「世論」誘導の一環だと言える。タラソワはチャンのスケート技術やジャンプの進化をきちんと評価している。別にチャンに偏見があって採点を非難しているのではない。タラソワは羽生結弦に対しても、早くから「彼はまさに天才。どうやったらあれほどの才能を与えられるのか、彼の母親に聞いてみたいほど」と彼女独特の表現で称賛していた。タラソワがソチ五輪の男子シングル終了後に、「率直に言って誰も金メダルに値しない。あれほど転ぶチャンピオンは見たことがない」と言ったからといって、さっそく叩いた人がいるが、それが彼女のゆるぎない価値観なのだ。羽生選手自身、自分の中のオリンピックは「ヤグティン対プルシェンコ」だと言っているように、難度の高いジャンプを入れながら、グラリともしないクリーンなプログラムを、五輪という舞台で披露してこそ、名実ともに五輪チャンピオンにふさわしい。ヤグティンを指導したタラソワの抱く五輪王者の姿は同時に、羽生選手の価値観でもあるだろう。羽生選手の五輪後の発言がそれを裏付けている。例えばこの4年間を羽生選手が大きなケガなく過ごすことができ(それは彼のスケジュールやジャンプの難度を見ると、確率としてはあまりに低いと懸念せざるを得ない)、これまでの男子ジャンプの常識を覆すような高難度プログラムをクリーンに滑りきり、そのときにタラソワがまだ発言できる立場にいれば、彼女は彼女にしかできない修辞で羽生結弦を絶賛するだろう。氷上の皇帝、20世紀で最も傑出したスケーターと呼ぶにふさわしいプルシェンコというレジェンドを、跳べるジャンプの難度だけでなく名実ともに上回る選手が出るとしたら、今一番それに近い位置にいるのは、間違いなく羽生結弦だ。率直に言えば、Mizumizuはスケーターとしては羽生結弦より高橋大輔の才能を評価しているし、高橋大輔の舞踏表現により深く魅了される。プルシェンコとヤグディンが競っていた時代は、明確にヤグディン派だった。だが、フィギュアスケートがスポーツである以上、競技者としての成績は、個人的な評価や好みとは別に出てくる。かつて、ミーシンは、「プルシェンコとヤグディンはどちらもダイヤモンド。だが、プルシェンコのほうが大きなダイヤモンドだろう」と言ったが、今回のソチの団体戦金メダルで、プルシェンコはまたもそれを証明した。そしてそのプルシェンコの五輪出場のために、ミーシンもあらゆる手を尽くした。アマチュア資格復活までの青写真を描いたのも彼だし、プルシェンコをバッシングする国内メディアに対して、「彼は誰も行かない道を行こうとしている。悪意ではなく拍手をもって見送ってほしい」と彼らしい詩的な言葉でクギを刺したこともある。こんなふうに印象的な修辞で、自ら選手の盾になろうとする発言を日本人コーチがすることは、ほとんどない。ジャッジの採点を肯定的に説明したり擁護したりする発言なら多い気がするが。コーチが肯定すべきは、ジャッジの採点行動だろうか? もちろん尊重する必要はあるだろう。だが、自分の価値観もそれ以上に、尊重すべきではないだろうか? さまざまな国の人間が集まる場では、さまざまな価値観がぶつかり合って当然なのだ。日本のスケート連盟の得意技はといえば、右顧左眄だ。ジャンプの回転不足がアホみたいな減点になっても批判するわけでもない(批判したのは日本人選手のついたロシア人コーチだけ)。ところがルールが変わって減点が緩和されたら、今度は「(回転不足が転倒よりも大きな減点になるのは)以前から変だとは思っていた」などと言って、自分たちの手柄とばかりに説明してみせる。日本のスケート競技関係者がロシア人のように、自分たちのもつ「フィギュアスケートのビジョン」を内外に明確に提示したことがあっただろうか?ビジョンをもつというのは、女子ショートに(事実上、日本の浅田選手しか試合に入れることのできない)トリプルアクセルを入れるよう働きかけることではない。そんな露骨なルール改正を提案しては、公平性に疑念を抱かれるだけだ。そうではなくて、あくまでフィギュア全体にとって何が必要なのか、フィギュアスケート競技とはどうあるべきで、どういう方向に行くべきなのかについて理論武装をしたうえで、自国の選手が不利益を被らない、そしてできれば強みを生かすことのできるルールを考えることが肝要なのだ。それは何も採点の公正性を希求することと矛盾はしない。ロシアは自らのビジョンに適う方向に採点傾向誘導し、現行ルールに基づいて高得点を出せるよう選手強化をした。男子シングルでは必ずしもうまく行かなかったが、女子では見事に若い選手の才能が開花した。ロシアから吹いた風に男子シングルで乗ったのは、日本の「ティーン・センセーション」羽生結弦だったが、この喜ばしい結果には、不世出とも言っていい羽生選手のジャンプの才能に加え、自分たちの「敵対勢力」である北米カナダに男子金メダルをやりたくないというロシアの隠れた意思や、羽生選手に金メダルが行けばカナダの英雄オーサーの顔も立ち、今やフィギュア大国となったISUの金ヅル日本の悲願もかなえてあげられるという、各国の政治的な思惑もあったかもしれない。ジョニー・ウィアーの弁を借りるまでもなく、フィギュアは特にオリンピックでは、常に非常に政治的なスポーツなのだ。高橋選手のアクシデントは、ファンだけでなくフィギュア界全体にとっても、あまりに不幸な出来事ことだったが、あれで日本が金メダル候補を1人に絞れたという事情もあるかもしれない。実際、高橋選手不在のグランプリファイナルで、チャンから羽生へ流れが目に見えて変わり、それが転倒王者・・・じゃなかった、「絶対王者」のチャン選手の焦りと不安を招いた。<続く>
2014.08.09
【送料無料】浅田真央『Smile』〜氷上の妖精10年の軌跡〜/浅田真央[DVD]【返品種別A】価格:3,693円(税込、送料込)バンクーバーとソチのフィギュアスケート競技のシングルで何が一番変わったか?それは言うまでもなくメダルを争うトップスケーター達のジャンプの難度だ。男子シングルでライザチェクが4回転なしで金メダルを獲得した夜、ジャンプの難度向上に心血を注いできた過去の名選手からは批判の声が上がった。ジャンプがまるでボイタノ時代まで逆戻りしてしまったような状況に、カナダのストイコは、「フィギュアスケートが死んだ夜」とまで言っている。銀メダルに終わったプルシェンコは、「4回転を跳ばなければ、それはもはや男子ではない」として、採点システムと審判に対する批判を繰り広げた。日本人のスケート関係者は概ね、こうした声には冷淡で、プルシェンコの批判を負け犬の遠吠え扱い。出てきたプロトコルを後付で説明し、システムと審判を擁護しただけに終わっていた。Mizumizuの記憶の範囲で、採点システムあるいはジャッジングの傾向に異議らしきものを唱えたのは、本田武史だけだったと思う(「個人的な意見」としながらも、女子のトリプルアクセルはもっと評価されるべきだと思うと述べていた)。ほんのわずかな回転不足が転倒より多くの場合、転倒以上の減点になる。今から考えれば、信じられないようなルールがまかり通ったのがバンクーバーだ。Mizumizuの目には、日本人女子に2度連続で金メダルが行かないよう(そうなれば、当然ながら浅田選手に匹敵する力をもち、カナダの「英雄」であるコーチがつき、国きっての有名企業がスポンサーとしてバックアップしているキム・ヨナが金メダルになる)に、男子はこれまで五輪金がないカナダに金メダルが行くように(もちろん、行き先は当時4回転がなかったパトリック・チャンのハズだった)に、数年がかりでお膳立てをしているように見えた。バンクーバーでのフィギュア大国ロシアの凋落ぶりは目を覆うばかりだった。すべてのカテゴリーで金メダルなし。ロシアスケート連盟の金銭にまつわる腐敗なども取り沙汰され(その急先鋒は、やはりプルシェンコだったが)、次の自国開催のオリンピックまでに、建て直せるのか誰もが懐疑的だったが、結果として、ロシアは「国の威信をかけても金メダルを獲る」と宣言したチーム戦で優勝し、前回メダルなしに終わったペアで金銀を獲得し(このとき、金メダルを「奪還した」とボロソジャル選手が語ったのが印象的だった)、アイスダンスでも銅を確保した。そして、ジャンプが採点のカギを握るシングル競技。その行方を「予言」した非常に重要なインタビューが2011年6月にThe Voice of Russiaに掲載されている。http://voiceofrussia.com/2011/06/20/52120950/プルシェンコのアマチュア資格復活についての記事だが、ここでインタビューに答えているのがAlexander Lakernik氏。ロシアスケート連盟の副会長(当時)、ISU委員、そして大いに尊敬されているジャッジだ。ここで彼は、個人的な意見としながらも、ソチ・オリンピックの男子シングルで起こるであろうことを「予言」している。ルール改正により、「回転不足が、以前そうであったようには罰せられない(underrotation is not punished so much now as it was before)」ようになったことが助けとなって、「以前より、4回転を入れるリスクを取ることに敬意が払われている(the risk in forming the quads is now respected more than it was before)」。これはバンクーバーの翌年、多くの男子選手が4回転に挑んできた2011年の世界選手権の結果を踏まえての発言だ。ここでLakernik氏は、ソチではバンクーバーのような状況にはならず、多くのスケーターが4回転を1度、何人かは2度入れ、4回転なしで金メダルを獲れるとは考えられないと述べている。If you look at this year Worlds, and look at how many quads there were, at least in free skating, it is already a lot, and by Sochi there will be many, many skaters with one quad, and in my opinion there will be some, maybe several skaters with two quads, that is the problem. Yes, correct, Lysacek was the first without even trying the quad, because he tried it before, but the year of the Olympics they decided not to risk. In my opinion, the situation will not be like this in Sochi, because by that time there will be many quads, and I don’t think somebody can win without a quad.難度の高いジャンプを入れることが勝敗のカギを握る――ソチではまさにその通りになった。優勝した羽生選手はフリーにサルコウとトゥループの2種の4回転を入れ、銀メダルのチャン選手は、4回転トゥループを2度入れてきた。転倒がありながらも、羽生選手が逃げ切って金メダルを獲れたのは、2種類の4回転に加えて、2度のトリプルアクセルを後半に組むなど、「超絶難度」とも言えるジャンプをフリーに組んで、その多くを回りきったからだ。女子でも、この傾向は顕著だった。メダルを争う女子選手はほとんどが3回転-3回転を入れてきた。女子選手の多くが3-3を「跳ばなくなってしまった」バンクーバーとは雲泥の差だ。このようなジャンプ重視の競技になるよう流れを作ったのは、明らかにロシアなのだ。それはロシアのフィギュア(特にシングル競技)に対する信念と言ってもいい。「フィギュアスケートは進歩していくものだから(プルシェンコ)」「これはスポーツ。より難しいことを成した選手が勝つものだ(タラソワ)」「演技・構成点は技術点とのバランスを取るべきだ(ミーシン)」。いずれもバンクーバー五輪由来(苦笑)の、主観に大きく左右される演技・構成点で勝敗が決まる流れを批判するものだ。そして、個人的意見としながらも、「ソチではバンクーバーのような状況にはならない」と、何年も前に発言したロシアスケート連盟の重鎮。そのAlexander Lakernik氏は、ソチで女子シングルのテクニカルコントローラーを務めた。http://www.isuresults.com/results/owg2014/SEG004OF.HTM女子フリー終了後、アメリカのテレビ局でクワンが、ジャッジの構成員の人間関係に疑惑があるという声もあるようだが・・・という司会者の質問を受けて、ソトニコワ選手とキム選手のジャンプ構成の難度の違いを挙げ、「現行システム下では、ソトニコワの勝利」と言い切ったが、その流れを作った大物が、ジャッジ席にいたのだ。キム選手の演技の「芸術性」や「円熟味」がたとえソトニコワ選手より上だったとしても、それだけでは勝てない。バンクーバーのときは、ダブルアクセルを3回跳べばトリプルループ並みの点になったかもしれないが、ダブルアクセルの基礎点は下がり、回数は制限された。トリプルループを回避したら、連続ジャンプのセカンドにトリプルトゥループを2度入れることはできなくなったのだ。キム選手のジャンプの強みはセカンドのトリプルトゥループにあった。ダイナミックな3-3に加えて、難しい入り方でダブルアクセル+トリプルトゥループを軽々と決める。しかも、プログラム後半に。トリプルループを回避したことで、ルール上キム選手は、3-3と並ぶ彼女の強みをプログラムに入れることができなかった。一方のソトニコワ選手は前半の3-3に加え、後半にダブルアクセル+トリプルトゥループを入れ、しかもセカンドのトリプルを目の覚めるような鮮やかさで回りきっておりてきた。彼女が五輪女王になったのは、Mizumizuには当然のことだったし、クワンや田村氏の解説も同様だ。そして差のつかなかった演技・構成点。ここにMizumizuは「尊敬される」ジャッジでもあり、演技審判を指導する立場にもある Lakernik氏の影響力を見る。それは政治的なものだと言えるかもしれないが、不公正の証明ではない。「トップを争う選手に演技・構成点で順位をつけても差はつけない」というのは、むしろ公平さの証明だといのがMizumizuの、何年も前から一貫した主張だからだ。<続く>
2014.08.08
アメリカではカールスバッド、イタリアではカステラーナ。前者は世界自然遺産で、後者はヨーロッパでも有数の鍾乳洞。海外では、この2つの素晴らしい鍾乳洞に行ったことのあるMizumizu。カールスバッドでは、その洞窟空間の巨大さとその中に広がる多彩な鍾乳石の世界に圧倒されたし、カステラーナでは、白く輝く鍾乳石のこの世のものとは思えない美しさに感激した。日本では山口の秋芳洞。ぽっかりと空いた洞窟の入り口で人々を待ち受ける百枚皿を初めて見たときの驚きは、今も覚えている。臼杵の風連鍾乳洞は規模は小さいものの、鍾乳石の繊細な美しさでは秋芳洞を凌ぐという人もいて、行ってみたいと思いつつ、なかなか足を伸ばさないままでいた。今回ついに訪問。臼杵市内からは少し距離があるが、夏はわりに朝早くから開くので、2日目の金明孟宗竹を見たあとに組み入れた。しかし、夏期の営業時間、ネットでは朝8時となっていたが、臼杵市内で入手したパンフレットでは9時になっている。電話で確認したら、8時半からだという。ちょうど8時半過ぎに着いた。明るい緑がしたたってくるような山の中にある。天候に恵まれた早朝だったので、空気は際立って清々しく気持ちがよかった。秋芳洞ほど観光地・観光地しておらず、こじんまりとしている。洞窟入り口に隣接する施設(お土産など売っている)は非常に古く、昭和40年代という雰囲気。チケット売り場の横に、古いがカワイイ絵地図を見つけて、パチリ。地元の青年団がこの鍾乳洞を発見したときの探検口が、現在の入り口の横にある。人ひとり通れるかどうかの小さい穴だった。入り口から続く通路は、鍾乳洞とは思えない。ただの坑道のよう。だが、これが逆に探検の雰囲気を盛り上げる。徐々につらら石、石筍などの鍾乳石が現れるが、通路は狭いまま。だが、その通路の狭さが、最後に「竜宮城」と名付けられた、ドーム型の空間に出たときの感動を演出することになる。この最後の空間は、実に素晴らしい。天井からは無数のつらら石が垂れ下がり 白く輝く鍾乳石も。 そして、気の遠くなるような時間をかけて作られた石柱も。ヘリクタイトという、側方に向かって結晶が成長する珍しい鍾乳石があるとかで、看板もあったのだが、目視ではよくわからなかった。 上からのつらら石と下からの石筍がドッキングしたこの鍾乳石(写真左)は、高さが7メートルにもなるとか。ちなみに石筍が1センチ成長するのにかかる時間は100~130年だそう。神秘的な造形に彩られたドーム型の地中空間は、間違いなく一見の価値がある。見上げても、見回しても、新鮮な驚きが。洞窟という制限された空間ゆえに、閉じ込められたような息苦しさもあり、そのなかに広がる無限とも見えるような造形美の間で、眩暈のような感動が胸を満たす。階段がしつらえてあって、そこをのぼれば、より近くから鍾乳石を鑑賞できる。下から見上げて、空間の広がりを楽しむのもよし、階段をのぼって、細部の造形を間近に見るのもよし。残念ながら写真では、風連鍾乳洞の有機的な空間美が伝わらない。出来上がった写真を見るとそれが残念に思え、逆にあの空間の中にまた立ってみたいという憧憬が掻き立てられもする。また行きたい、風連鍾乳洞。そして、まだ見たことのない沖縄の玉泉洞にも行きたくなった。風連鍾乳洞にも玉泉洞にも愛媛の山内浩氏の名前が見える。ケーブに並々ならぬ関心と情熱をもった、優秀な先人のおかげで、私たちは今こんなふうに楽しんでいる。
2014.06.24
臼杵市内で一泊し、翌朝は早朝に出発。金明孟宗竹(きんめいもうそうだけ)と風連鍾乳洞を見て、稲積水中鍾乳洞、祝子川渓谷を周り、夜は延岡にというスケジュールを立てた。風連鍾乳洞の近くの金明孟宗竹自生地区をルートに入れたのは、ほんの気まぐれだった。金明孟宗竹というのは、「黄金の竹」とも言われる孟宗竹の突然変異。「大分県臼杵市野津町大字王子岩瀬」というのが自生区の住所。ナビに案内されて田畑の中の駐車場に車を停める。金明孟宗竹を見に行くと自動的に(?)見ることになる重文の石塔を見て…まあ、この由来に興味のある人は自分で調べてください。ちゃんと自生地区に行けるかな? と少し心配だったのだが、案内板もあって、場所はすぐにわかった。早朝で人はいなかったが、きれいに手入れされた田畑がこの山里に住む人の勤勉さを伺わせた。金明孟宗竹についての看板も設置されていて、説明は非常にわかりやすい。説明文によれば、この突然変異の竹は西日本に多いという。金明孟宗竹には「キンメイチク型」と「縦じま型」の2種類の縞模様があるのだが、ここ臼杵のように双方が同じ場所に自生しているのは非常に珍しいのだとか。こんもりとした竹林に足を踏み入れると、そこはもう「かぐや姫」の世界。想像以上に縞模様がくっきりと鮮明で、これが自然のものとは信じられないほど。まるで人工的に描いたようだ。かぐや姫のいた黄金に輝く竹というのは、完全なる空想ではなく、昔からこのような突然変異の竹があり、そこから着想を得たのではないだろうか。そういえば、「真名野長者伝説」でも臼杵には「黄金のもの」がたくさんあり、淵には黄金の亀がいたとある。金明孟宗竹がこの地に生えたというのも、臼杵の黄金伝説と無縁でないのかもしれない。確かに、2種類の縞模様の竹が仲良く並んでいる。左が縦じま型。右がキンメイチク型。筍から竹に変身するときには、すでに綺麗な模様ができている。自生区はよく手入れされている。早朝の初夏の空気は清々しい。風のわたる音と、鳥の声だけが聞こえる。周囲を取り囲むのは、見たこともない実に見事な模様をまとった竹、竹、竹… まるで相談でもしたかのように、まとまって生えている。想像以上に不思議で、美しい竹だった。さほど広くはない空間だが、ここだけが魔法にかかったよう。先に進むとたちまち魔法は解け、竹林は普通の緑の竹に変わる、引き返せば人の気配ただよう山里の田畑にすぐに戻れる。磨崖仏と鍾乳洞という、臼杵で名高い造形美にこの色彩美を加えて、「臼杵の三大美」と呼んだらどうだろう。辺鄙な場所だが、磨崖仏から鍾乳洞へ行く途中にあって寄りやすい。臼杵に行くなら是非お立ち寄りを。ところで、駐車場で野外のトイレに寄ったのだが、清掃が行き届いているのに驚いた。タンクの上に造花まで飾ってある。顔も知らない、この山里の誰かの「おもてなし」の心に触れた気がした。まだあまり人が来ないから、逆にきれいに保たれているのかもしれない。この美しい竹が今よりもっと有名になり、多くの人が訪れるようになっても、掃除してくださる土地の人たちの心遣いに応えるように使ってほしいもの。
2014.06.20
別府が「壁」になって、臼杵まで足をのばそうと思えないでいたのには、臼杵の温泉事情もある。臼杵は元来、温泉のない街だ。唯一の天然温泉が臼杵石仏のそばにある「薬師の湯」。だが、「地下1,300mから湧き出ています」という説明書きを読めば察しがつくとおり、わざわざ深く掘って温泉水を汲み上げているわけで、放っておいても湧き出てくる他の九州の有名な温泉地とは、事情が違う。それでも温泉は温泉。夜になって行ってみた。施設・設備はまだ新しく、値段のわりにはきれい。露天も解放感がある。混んではいたが、お客は皆礼儀正しく、常に他人の迷惑にならないか気を使っているようだった。地元民らしい子供連れも多かったのだが、こちらの進行方向に自分の子供がいたりすると、すぐに叱って通るスペースを開けさせる。公共の場での子供のしつけに非常に厳しい。あるいは、少なくとも、「自分は厳しくしている」ということを親が他人に見せている。その徹底ぶりに少し驚き、「そういえば、昔はこうだったよなあ、日本って」と思いつつ、「子供なんだから、ちょっとぐらい周りに迷惑かけるのは当たり前なの!」みたいに子供を野放しにするヤンママが増えてしまった大都会の事情を思って、嘆かわしい気持ちにもなった。こういう自分中心の態度はヤンママに限らない。人にスペースを譲るどころか、自分の歩く方向に人がいてぶつかったら、ぶつかった自分ではなくそこにいた相手が悪いというような顔をして、相手が自分より弱い女子供だと見るや、すかさず怒鳴りつけるようなオヤジもいる。電車にのれば、肘をつかって人を押しのけ、自分のスペースを確保するの当たり前だし、小さな子供をもつ親は総じて、自分の子供が迷惑行為をするかどうかより、見ず知らずの他人が自分の子供に危害でも加えないかと警戒している。そんな人に慣れてしまった東京人としては、何かと「あっ、すいません」「あっ、すいません」とよけられると(なんという伊香保との違い…)、「いえ、なにも謝ることはないんです。わざわざどかなくていいんです。脇を通りますんで」とでも言いたくなる。それでいて、相手に堅苦しさをを感じさせないのが九州人の不思議なところ。露天からは、星がきれいに見えた。聞きなれない方言を聞きながら、ゆったりとリラックスするMizumizu。鏡と手洗いシンクに有田製の絵付けが使われていた。文化の裾野の広さというのは、こういうところに出る。更衣室の隅のこんな場所をスマホで撮ってるMizumizuに、不思議そうな目を向ける地元民。喜楽庵でも、トイレの手洗いシンクに、エビと蕪、つまり喜楽庵の得意とする海と畑の幸の絵付けがあった。ブルー一色で濃淡を使って甲殻類と野菜の特徴を表現しており、並々ならぬ力量を感じさせるものだった。おそらくは一級の職人の手描きだっただろう。絵の流儀は有田のもののように思えた。過去の優れた文化遺産、古い街並み、美味しい食事…いい街だった。また1つ、九州で好きな街ができた1日になった。
2014.06.16
喜楽庵の至福の夕食は続く。えんどう豆の汁もの、アワビ入り。豆のほんのりとした甘さがいい。アワビはコリコリしているイメージがあるが、ここでは意外にも柔らかだった。和風ポタージュは、西洋のそれのようにぼってりと重くなく、それでいて味わいは深い。この腕前には、「う~ん」と、唸ってしまう。お造りは、タイ、伊勢海老、ウニ。醤油はもちろん、九州の少しどろっとした甘味のある醤油。やっぱり刺身には、九州の醤油だよなあ…。このコクが生の魚の身と絡み合い、絶妙のハーモニーに。唯一、ウニだけは、本州・九州・四国のどこで食べても北海道を凌駕できないが。そして、出ました。「夏のフグ」こと、オコゼの刺身。オコゼの刺身は初めて食べたが、淡白な味わいの中に、甘さがあり、柔らかさの中に歯ごたえも感じる不思議な食感。素晴らしいでしょう。オコゼは、古来「山の神」が好むという逸話がある。ただ、それは味ではなく、外見に理由がある。山の神は女でしかも醜いため、自分より醜いオコゼを見ると喜ぶのだという。…絶句。とことん、女性をバカにした作り話だ。最近はもうこんな話を知っている人も少なくなったが、山の神にオコゼを奉納して、山の幸を手に入れたり、ご利益を得た話が、九州の日向地方や和歌山県南部に伝わっているという。関東ではあまり馴染みのある魚ではないが、太平洋に面した九州の東部から同じく太平洋に面した紀伊半島にかけて、わりあい身近な魚だということだろう。こちらが絶品のタイの縁側。骨が綺麗に突き出している見かけは、むしろ「骨付きラムの香草焼き」の思い起こさせた。切り分ける前のブロックがこんな感じだ。食してみれば、またもこれが信じられないほどの逸品。身は、骨に近づくにしたがって違った味わいを呈する。ゼラチン質のようなぷくぷくとした味わいが、しっかりとした肉厚の身の中に隠れていて、脂と肉本体がえもいわれぬ味覚を生み出す。味付けは、やはり九州らしく甘味に寄った甘辛。最高に好みに合っている。テーブルで小躍りして喜ぶMizumizu。揚げ物は、アワビ。小鹿田焼(おんたやき)の皿に、貝殻の器がのり、そのうえにアワビと鮮やかなパプリカを配している。色彩感覚も素晴らしい逸品(写真は色が悪い・・・残念)。味ももちろん秀逸。見た目で一瞬「シイタケの天ぷら?」などと思ってしまった。食べてみたら、アワビだった(笑)。やはり、とても柔らかい。柔らかいのだが、締まっている。日本人の言う「美味い」は「甘い」とかつてほぼ同義だったという説があるが、なんとなく納得する。豆も、アワビもオコゼも、みなそれぞれに違った甘さがあり、それが「美味い」と思う。素材のもつ繊細な甘さを舌が見つけ出す。これがまさしく、「美味しい」瞬間。ご飯が出てきて、またも九州米の美味しさにノックアウトされた気分。味噌汁は、骨付きのオコゼが入っている。出汁は(あの見かけのオコゼからは想像もできないくらい)、上品。骨付きの魚は、注意して食べないと危ないのだが、タイの縁側同様、骨に近づくにしたがって、食感が変わり、その変化があまりに素晴らしく、舐めるように食べた(笑)。考えてみれば、フランスではジビエといって野生の鳥獣の肉を食べる。肉質のよくなる秋がジビエの旬だ。他のヨーロッパ諸国でも同様の食文化がある。日本ではこうして旬の魚を採って食べる。ヨーロッパでは骨付きの肉を好んでメインディッシュに出す。こんがりと焼いた皮から、骨に近い部位までの食感の変化を楽しませる。臼杵で出された骨付きのタイもオコゼも、発想は同じだと気付く。メインになるのが肉か魚かという違いはあるが、東も西も、洗練された食文化は同じ着目点をもっている。骨付きの魚の味わいを堪能できる舌をもって大人になれる日本人は、幸せだと思う。デザートにはヤッパリ、あの昼食べた和菓子が出た。これはまったく同じ味だった。果物は、ふつう。最後のあたりで仲居さんから、「どなたのご紹介で?」と聞かれたので、「ネットで。評判がいいので」と答えると、驚いた様子だった。地元の常連の紹介で来るのが普通な店なのだろう。臼杵は全国から観光客を集めるに足る観光資源をもっている。ここの魚もその一翼を担うにふさわしい。そして喜楽庵は、ヨーロッパのミシュラン星付きレストランにも決して引けを取らない。「ヨソモノ」が増えても、「地元で揚がった旬の魚」を中心に、その日にメニューを組み立てる姿勢は、かわらずにいてほしいもの。ローカルに徹することで、グローバルな知名度をもつ店に匹敵するクオリティを維持することができるはず。
2014.06.13
臼杵は漁業のさかんな街。有名な関サバは、フランクトンが豊富で潮流の速い豊予海峡で捕獲され、大分市の佐賀関で水揚げされるサバを言うが、その佐賀関は、臼杵から見ると半島の反対側。地理的に極めて近い。豊予海峡が古来、速吸之門(はやすいなと)と呼ばれていたことはすでに書いたが、日本書紀では、東征に向かった神武天皇が、ここで「一人の海人(あま)」に会っている。神武天皇に「お前は誰か」と聞かれると、海人は、「土着の神で、珍彦(うずひこ)と申します。曲(わだ)の浦に釣りにきており、天神(あまつかみ)の御子がおいでになると聞いて、特にお迎えに参りました」と答える。そして神武の水先案内を務め、その子孫は天皇家に近く仕えることになる。豊予海峡が昔からよい漁場だったことがわかるエピソードだ。そして、このあたりの勢力が、古来から天皇家と密接に結びついていたことも。こうした場所に近い臼杵の魚が美味しくないわけがない。そして、よき素材・長き歴史あるところには、美食文化が根付いている。ミシュランで星を獲得した「臼杵ふぐ山田屋」はここが本家。だが、ミシュランで星を取るとお客が殺到して、味とサービスが落ちる傾向が。地方の「名店」は、特に大都市圏からの観光客の増えるシーズンは最悪なことになる。そこで、ネットでほかの料亭を探し、「喜楽庵」に行き当たった。ネットでの口コミもいいし、佇まいも歴史を感じさせる。山田屋のように「支店」がなく、地元密着の姿勢が好感がもてた。電話で予約して、料理の相談をする。フグは季節がら天然物はないが、希望があれば、養殖を出すという。高級店・名店での「偽装」がはびこる世の中。きちんと「天然」「養殖」を分けて説明してくれることに、当たり前といえばそうなのだが、安心感を覚えた。この時期は、オコゼが揚がるとかで、オコゼを薦められる。オコゼかあ… 「夏のフグ」とも呼ばれる魚だが、実はあまりピンとこない。高級魚と言われても、そうですか? ぐらいだ。オコゼは鮮度で値段が違うと言ってもいい。外見がごついうえ(こちら)に毒もあり、さばくのが難しい魚だ。あまり食べたことがないのだが、この際、料亭のお薦めどおりにしてみることにした。嗜好が細分化し、外食産業のすそ野が広がるにしたがって、視野の狭い、主観的な「コストパフォーマンス」でしかお店を見ないお客が増えてしまった。お金を払うのは確かにお客で、それはそれで敬意を払われるべきだが、逆に料理を供する相手に対する敬意も大切だろう。元来、料理人のほうが素材の美味さはわかっている。味覚が優れていなければ、プロの料理人としてやってはいけない。腕の立つ料理人がいいと言うものを食べてみて、どこがいいのかを食べるほうが考える…そういう態度が、もうちょっとお客のほうにも必要ではないかと思うこともしばしば。あとは、伊勢海老がお薦めだとのこと。伊勢海老は5月に入ると禁漁期に入るところも多いが、臼杵の伊勢海老の漁期は長い。ただ、その日に揚がるものによって内容が変わる可能性があるという。「絶対に出す」と確約しない姿勢に、逆にまた好感を覚える。内容は変わるが、値段はあらかじめ決めておく。7000円ぐらいから用意できるというが、だいたい一般的な1人1万円(サービス10%、税は別)でお任せにすることにした。あまり混まない、早めの時間で予約。臼杵の観光を終え、時間通りに伺う。緑あふれる門から入り、古いが、よく手入れされた玄関を開けると3人分のスリッパがきちんと並べられていた。椅子席を希望していて、テーブルのある個室へ通される。明らかに「ヨソモノ」のMizumizu一行に、仲居さんは、どういったタイミングで食事を出すべきなのか、若干とまどっているようでもあった。まずは、にぎやかな海の幸・山の幸のハーモニー。黒豆、ごま豆腐、クルマエビの焼き物、鴨肉。さりげなく、昼に食べた、「クジラの背に似せた」和菓子もついていた(笑)。しかし、微妙に違う気もしたのは、気のせいか?特に甘辛く味付けたクルマエビの焼き物が気に入るMizumizu+Mizumizu母。さすがに九州の味付けだけあって、甘い。関西より甘い。関東とは…正直、Mizumizuは、関東の和食は嫌いなのだ。西に比べると、ずいぶんと田舎っぽく尖った味だ。「歴史と伝統」の差が、東と西の和食にある気がする。<続く>
2014.06.12
城下町・臼杵の風情を求めて、八町大路から二王座歴史の道を歩いてみた。八町大路で、ふとこんな店に目が留まる。昔からある店のよう。もともとは布屋のようだが、自作の服を所狭しと並べ、しかも…作った店主の方は、なんと84歳だとか。布屋だけあって、使ってある生地はなかなか。入って話を聞いたら、80歳を超えてから裁縫を始めたという。そのポジティブなバイタリティに感服。値段はめちゃ安。試着させてもらうと、布の肌触りが昔風で、気持ちいい。なんとなく、お祖母さんに縫ってもらったものを着ている気分になり一着購入。オンリーワンの臼杵の思い出になった。二王座歴史の道には、寺と武家屋敷。石畳、しっくいの壁、灰色の和瓦。風情のある道だが、閑散としていて、あまり歩いている人もいない。GWなのに(苦笑)。唯一人が集まっていたのが、ココ。茶房・長屋門。江戸時代は稲葉家分家の門だったとか。ここも稲葉家のレガシーか。きれいな庭を見ながらお茶ができるよう。食べた方のブログは、こちら。古びた落ち着いた雰囲気もいい。さきほど稲葉家下屋敷のほうでお茶をしたので寄らなかったが、次回もし臼杵に来たら、ゆっくりしてみたい店。
2014.06.11
臼杵石仏を堪能したあとは、臼杵市内に入って城下町を散策。まずは稲葉家下屋敷へ。1600年から270年にわたって臼杵を統治した稲葉家。廃藩置県にともなって東京へ移住したのだが、その際に臼杵での滞在所として建てられた。今残る建築は近代のものだというが、武家屋敷の様式を色濃く残している。屋敷本体から見る、手入れの行き届いた庭園が気持ちいい。わたる風もさわやかだった。ここにはカフェ(茶房・下屋敷)が併設されており、希望があれば、庭園を見ながらの飲食も可能だというので、上の写真のように庭を間近に見ることのできる「御居間」でいただくことに。ペリエで割る粋なカボスジュース。花形の器にたっぷり盛られた、季節ものだという苺のアイス。このアイスがまた、めっぽういい味だ。生の苺のつぶつぶ感もあり、アイスそのものも上品で丁寧な手作りの味。ここのスイーツは、地元の料亭・喜楽庵が提供しているとか。なるほど、納得。季節の和菓子。黒っぽく見えるのはクジラの背中に見立てたものだとのこと。こちらも非常に丁寧に作られている。自然な甘さと、素材感のある食感。本来の苦味がしっかり生きているアイス抹茶でいただく。GWとはいえさほど混んでおらず、庭を独り占めにしながら、ゆったりとスイーツに舌鼓を打つMizumizu一行。Mizumizu+Mizumizu母は、こういう時間がことのほか好き。団体旅行や慌ただしい観光旅行ではできない贅沢な時間。そばにひと手間かけた、一味違うお菓子があると、時間はさらに贅沢なものになる。し・か・し…実は、夜はこの料亭を予約してあるのだ(苦笑)。もしかして、デザートに同じアイスか和菓子が出るのでは…ま、でも美味しいから2度食べてもいいよね、ということで強引にまとめる。このカフェで少々驚いたのは、お店の人の目の届かない場所で飲食していいと言いつつ、しかも代金が当たり前のように後払いだったことだ。そんなにお客を信頼していいのですか?食べるたけ食べてコッソリ出て行こうと思えば、いくらでもできそうだ。庭を見ながら待っていると、当たり前のようにお盆にのせて、うやうやしく運んでくれる。ほんの一瞬だが、この屋敷の主の気分を味わえる贅沢。東京のこじゃれた有名店で、当たり前のように「食べる前に払い」「自分で席に運ぶ」ことに慣れてきているMizumizuとしては、ここ臼杵・稲葉家下屋敷のカフェの、正反対の当たり前に恐縮してしまった。食べ終わったあとは、もちろん自分たちでお盆をカフェに戻す。別に言われなくても、そうしようと思う。管理の行き届いた気持ちのいい空間に、食べ終わったものを残しておく気にはなれない。こうしたお互いに対する敬意と礼儀が、日本の良さだと改めて思う。庭園を通って、旧平井家住宅も一応見学。上級武士の住宅だというが、総じて質素。この居室は、簡素な空間の中の「円と四角の視覚的効果」が面白かったので撮ってみた。
2014.06.10
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