街道の距離の目安として、一里ごとに設置されたのが一里塚です。一里塚は、街道の両側に土盛した小山を作り、 その上に遠くからでも目立つよう榎など木々が植えられていました。この付近にあった一里塚は、江戸から8番目のものです。手前にあった盛土が一里塚の後なんでしょうね。
保土ケ谷宿の京都(上方)側の出入口となる上方見附は、保土ケ谷区郷土史によれば、外川神社の前にあったとされています。 見附は、土盛をした土塁の上に竹木で矢来を組んだ構造をしており、「土居」とも呼ばれています。この上方見附から江戸方見附までは、 家屋敷が街道に沿って建ち並び「宿内」と呼ばれています。この石垣が上方見附跡なんですね。こういう土塁を作って、町を守っていたんでしょうね。
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