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モンゴル国立大学で同僚の先生だったSさんから、日本に来るという連絡を受けました。メールを見たのは、実は今日で、来るのは明日だそうです。ですが、これはモンゴル人の得意の「急な連絡」ではなく、私のメール受信箱の中で、スパムメールに分類されていたのです。今朝、溜まったスパムを消そうとチェックしたら、幸いにも見つかったというわけです。下手したら、モンゴルに帰ってからメールを見るところでした。内容は、是非会いたいということです。無論、私もSさんには公私ともにお世話になったので、お礼の意味も込めて会いたいと願っています。(私のブログにもかなり搭乗しています)ですが、どうも行き先は会議が開かれる鳥取だというのです。しかも、日本への入出国は中部国際空港です。うーん、これはちょっと厳しいです。「鳥取はお前の家から近いのか?」と聞かれましたが、さすがに800km近くもあるので、近いとは言えません。平日となるので、忙しいわけではありませんが、いくつかアポも入っているし。名古屋で会うことも考えましたが、私の方が出張などの仕事の予定が入っています。東京でなら、いくらでも時間を作って会うことは可能ですが、鳥取か名古屋となると、やはりまとまった時間が必要です。彼からのメールの中に「Tottori」の文字を見つけた時に、例のコマーシャルを思い出しました。なんでも鳥取の人たち方クレームが出ているんだとか。もちろん、あのCMを見て、鳥取ではまだ糸電話だと思う人はいないでしょうが、確かに「田舎」扱いしているのは確かでしょう。その鳥取も、ちゃんと国際会議を主催しているんですね。なんでも鳥取大学でやるそうです。せっかくの初来日ですから、会いたかったんですけどね~。彼の方が、東京へ行けるか調整をしてくれています。どうなることやら。
2012.03.31
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ウランバートルは、一気に冬に突入かと思われましたが、意外と秋っぽい日が続いています。もちろん、夜には零度以下になっているようですが、昼間は東京の晩秋的な気温です。さて、このブログを読み続けて頂いている方の一部には「あれっ?最近学校の話題が少ないな」と感じておられる方もいらっしゃるかも知れません。実は、大学での仕事は9月から始まる今期からはやってないのです。モンゴルへ来て2年です。生活の中心は、モンゴル国立大学での仕事でした。私はそもそも教員という仕事をメインの仕事にしたことがなかったので、学校が毎日の職場というのも結構面白かったです。2年半ほど前に、当時のK学部長に呼んで頂き、こちらへ来たわけです。経済的に言えば、こちらでの給料は「びっくりを超えている」ほど安いものでしたが、Kさんのお人柄と熱心なお誘いを受け「こうやって人様に頼まれることっていうのは、そうはないだろう」と日本を飛び出してやってきました。そして、この2年間は楽しい時間を過ごすことができました。モンゴルに来て、本当に良かったと思います。ですが、その間、学部長は代わり、学科長も代わりました。新しい人からすると、既にいる外国人教師ということでしかありません。契約更新はもちろんご提案頂いていたのですけど、何と言いますか、「熱意」というか「是非に」という感じはほとんどなく、事務的になってしまいました。当然と言えば当然で、私も毎回そんな懇願されることを望んでいるのではないですが、やはり何かが違っていました。こういう考え方は「上から目線」なのかもしれませんが、現実的には、私にとって経済的なことも含めこちらに来ることで失うものは非常に大きいわけです。でも、「そうだよな、やっぱりこういう国の若い人の力になれたら」とか「そこまで言って頂けるのは、なんとか冥利につきるな」と思って、心意気で決めてきた部分が大きいので、「はい、続けたいならこの契約書にサインをお願いします」的な話し合いは、かなりモチベーションダウンになったというのが本音です。あとは、ラーニングカーブと言いましょうか、ブログをご覧頂いていた方はおわかりでしょうけど、最初の1年はやることなすこと、ハプニングや未知のことばかりでした。言い換えれば「知らなかった世界を知るという意味での勉強になることだらけの日々」でした。ですが、さすがに2年を過ぎると、大体のことは経験済みです。大きな意味でのチャレンジはまだまだ続くでしょうが、ほどほど程度のチャレンジ的なことも少なくなってきました。というようなことを、夏休みから9月にかけて考えており、結局、大学との契約更新はしないと決めたのです。ですが、今も大学へは時々顔を出しましすし、仲間ともお酒飲んだりもしてます。中には「大学と正式な契約しないなら、この授業だけ個別契約で受けてくれませんか?」と言ったお申し出も頂いたりしています。一緒に仕事した先生たちとは、今もいい関係を続けています。じゃあ、今後どうするのか?9月から先週くらいまでは、本を書くという作業があったので、結構それに時間を使っていました。恐らく来月の出版となるようですが、まだ修正作業の真っ最中なので、発売日は未定です。題名も、まだ出版社と相談中という段階です。友人のBさんから、「それはいいですね。だったら、今まで大学で使っていた時間をもっとこちらの仕事に使って頂けますね」と言ってもらっています。彼は、間もなくクロージングするであろう、モンゴルでの最初のPEファンドの経営に向けて、全力で準備中です。まだ明確な方針をここで話せるような段階ではないですが、もう少し考えて行こうと思っています。どうするのが、一番いいのか?私自身に大した野望があるわけではないので、おそらく今後も周りに流されながらも「やりたいことをやる」という姿勢で、物事を決めて行くことになると思います。この話は、また何か決まりましたら、このブログの場でご報告します。
2010.10.15
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今日は、日本に交換留学生として派遣される学生の候補者への推薦状を書いてきました。先日、例の英国式授業のディレクターであるSさんから連絡がありました。「日本へ留学を希望している生徒のために、推薦状を書いてもらえませんか?」との依頼でした。「それは私の知っている生徒?」と聞くと、確かに私の授業に出ていた女生徒でした。彼女は、その時のクラスで一番優秀だったので、もちろんOKしました。推薦状は、英語または日本語で記入するようになっていたので、「モンゴルだったら、日本語の方がインパクトあるかな?」と思い、日本語で書きました。内容は2つです。1つは、「志願者とはどのような関係で、どのくらいの期間知っていますか?」というものです。これはありのまま、私のクラスの生徒だった旨を書きました。もう1つは、「志願者の性格、知的能力、向上心、学問的成果等について記入して下さい。」とあります。ちなみに、このフォーマットは、その日本の大学(東京にある私立大学です)が用意したもののようです。こちらの答えも、元々優秀な生徒だったので、そのままを書いただけですが、なんとなく質問が大げさに見えて、どう書いたらいいのかちょっと迷いました。学問的成果、なんて一体何を言うんだろうとか。今まで、何度か推薦状を頼まれたことがあります。留学のみならず、知人の国際的な取引先とかからもありました。でも、良く考えると、どれも全部英語で、しかも「原稿」は本人に書いてもらっていました。私が半端に書くよりも、本人が一番書きたいように書くのがいいと思ったからです。そういう意味では今回は、日本語でしかも自分で書いた初めてのケースです。このまますんなりと日本へ書類が渡って、向こうで書類審査かと思いきや、まずはモンゴル国立大学内でのコンペがあるんだそうです。確かに、交換留学生ですから、定員も決まっているのでしょう。どのくらいの応募があるのか全然わかりませんが、受かってくれることを祈ります。ですが、「日本語能力」だけを基準にすると、日本語学科の生徒の方が有利でしょうね。期間は1年で、授業はいきなり日本語のみだそうです。彼女は、日本語を高校時代に学んだとはいえ、確かにそれだけじゃあ難しいかもしれません。もし決まったら、モンゴルの日本語学校に通うと言ってました。基礎はできているから、半年もあれば、大丈夫でしょう。とにかく、少しでも縁のある学生が、一人でも多く日本に渡ってくれると嬉しいです。一般的な途上国の生徒からすると、日本留学は、日本語の壁、お金の壁、そして最大の難関のビザの壁は大きいです。だからこそ、こうした交換留学生制度は、これら3つを解決してくれる(?)かもしれない、とても素晴らしい制度だと思います。吉報を祈ってます。
2010.09.20
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卒業証書はこんな感じです。ぶ厚い表紙と裏に挟まれており、日本でもらう紙だけよりも立派そうに見えました。この右側の証書の次のページには、全ての取得した科目、点数、成績の一覧表がついてます。名前を聞いて、たくさんある証書からその生徒のものを探し出して渡します。ちょっと非効率なので、時間はかかりますが、皆とても嬉しそうでした。この生徒も私のクラスを受けました。こちらも経営学科で、昨年の生徒です。全体に「授与式」というよりは、混乱の中での配給品の分配のような風景でしたが、周辺にはカメラを持った人たちがどんどんやってきます。大切な場面を撮ろうと、カメラが群がります。卒業証書をもらった人たちは、これまた撮影モードです。皆、懐かしい面々です。周りを見ると、いつの間にかギャラリーが増えています。ご覧のように、会場の外にはたくさんのギャラリーがいます。多くは、卒業生の親や親せきで、もちろんご近所の見物の人たちもたくさんいます。もう、溢れんばかりになってきました。この会場内に、親が入っていいのかどうかもよくわかりません。外にもいれば、中にもいるからです。田舎からこの日のために上京してきた両親と写真撮影です。まさに人生のハレの日です。個別の写真撮影が済むと、今度は集合写真です。経営学科の卒業生たちです。ですが、他の学科ではもう黒い服は脱ぎ捨てている人も出てきました。やっぱり女性たちは、せっかくこの日のために新調したドレスをお披露目したいのでしょう。 こうして、卒業式会場は特に閉会の辞もなく、撮影会が繰り広げられていきました。そしてこの後は、夜のパーティに明日の旅行へと続いて行くのです。屋外での式、厳粛というよりは和気あいあいな感じのモンゴルの卒業式は、それはそれでありなんだろうなと思いました。主役は卒業生ですからね。「完」
2010.06.20
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「卒業式(1)」(http://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/201006170000/ )の続きです。いよいよ卒業式となりました。式が始まる前から、大学の門の前には4-5台の車が停まり、臨時花屋さんを開店しています。こんな感じで、車のトランクや荷台にたくさん花を置いて売っています。販売は全部花束です。買うのは、卒業生の親や親せき、知人などだそうです。今日はモンゴル国立大学全学部でそれぞれ卒業式をやっているので、各学部の建物前にはどこもこんな感じで、臨時の花屋さんがたくさん出店していました。そして、凄い勢いで売れて行きます。 まだ式前ですが、そこらじゅうで写真撮影会です。衣装は皆この黒い服(マント?ガウン?)と帽子と大学の名前が入ったスカーフのようなものを身につけていました。皆が皆この黒い服を着ていたので貸衣装かなと思って聞いたら、全員自前で揃えたそうで、全部オーダーメードだそうです。そしてその黒い服の下には、特に女性は皆華やかなドレスを着ています。例えばこの女性。裾から、ちらりと赤いドレスが見えます。で、その中は、こんな感じの華やかなドレスでした。(写真右)この赤いドレスの女性は、私よりは5cmほども高いように見え、なんだか女優さんのようにふるまっていました。こちらの女性は平均身長でも日本人女性よりも5cmほど高いそうで、しかも高いヒールが好きです。こんな感じです。写真で見るとそうでもなさそうですが、かなり高く見えました。こちらもそうです。ですので、多くの女性がとても背が高く見えます。私は日本人男性としては平均的な身長(173cm)だと思いますが、この日の女性たちは、私より高く見える人が相当いました。モンゴルでの卒業式は、特に女性はかなり派手派手系です。前から聞いてはいましたが、卒業する女性は、ドレスを新調し、黒い卒業服などを揃え、当日の夜は深夜・早朝までパーティ(場所はクラブ)に出席し、翌日からは卒業旅行に行くのが定番です。その費用は、なんと50万から100万トゥグルグは必要だそうで、ちょっと気合の入った子は100万を優に超えるそうです。日本円にすればそりゃあ、数万円の話ですが、平均的なサラリーマンの1.5-3カ月分くらいの金額です。ですので、卒業式1カ月以上前から準備と金策に走る人が多いのです。普段はあまり服装を気にしているようには見えないモンゴル女性ですが、卒業式と年末のパーティではかなり「勝負」している感じです。年末のパーティの派手好きも、在蒙日本人の間では有名です。そしていよいよ式が始まります。最初に国歌斉唱が行われます。アメリカ人のように、胸に手を当てて歌います。国歌が終わると、ここは経済学部の卒業式ですので、まずは経済学部長が挨拶をします。その次は何かなというと・・・日本でなら、来賓の挨拶とか卒業生代表の言葉などがありそうなところです。なんといきなりプロの歌手の登場です。まだ余興には早い気もしますが、早速出てきました。そして、だれかの挨拶の後にまた別の歌手が登場です。もちろん全部モンゴル語ですので、挨拶などの内容はわかりませんが、挨拶は長くはないので、その点は日本よりはいいです。プロの歌手が二人も出てくるとなると、なんとなく娯楽の場って感じですが、さすがにそこは卒業式。いよいよ卒業証書授与式です。と、思ったら、なんとなくダラダラ生徒が並びます。最初は、私の所属する経営学科からです。こんな感じで、順不同で並ぶのです。そして、列の前に用意したテーブルの上にある卒業証書から自分の分を探すのです。探すのはその学科の教員で、名前を確認しながらその場で探すのです。これは経営学科の生徒たちです。皆、昨年私の授業を取った人たちです。日本のように厳粛な中、名前を呼ばれて取りに行くのではなく、まるで銀行の窓口に群がる客のように「私のはどこ?」と探すのです。教員たちも、生徒の名前を確認しながら、何十冊もある卒業証書版(わざわざ版と書いたのは、立派そうなバインダーのようなものに挟まれているからです。)から、探すわけです。これはどう考えても非効率ですが、そんなことは誰も全く気にせず、探し続けます。日本人なら間違いなく「名前を呼びますので、その順番に並んで待ってください」というでしょうね。とういうわけで、全然厳かではない卒業証書版授与式が行われていきます。こうして式は進んで行きました。「続く」
2010.06.19
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昨日はモンゴル国立大学の卒業式でした。写真もたくさん撮ったのですが、楽天ブログでは写真を載せる容量はもうないとのことで、引っ越し先が決まるまではアップはできません。いずれ、再開できるようになったら、載せたいと思っています。さて、この卒業式のスケジュールですが、以前のブログでも書いたとおり、なかなかその式の日がわかりませんでした。昨年は、事前に周囲に頼んでおいたにもかかわらず、知らされることなく終わってしまったので、今年は結構しつこく聞いていました。でもです。でも、そこが難しいのがモンゴルなのです。日本人が考えれば、そもそも卒業式の日がわからない、という概念そのものがわからないと思います。ですが、お正月の日(ツァガンサルというモンゴルの旧正月)すら、数ヶ月前にならないとわからないこの国では、卒業式レベルの日程なんて、数日前で十分なんのかもしれません。1週間前にも拘わらず、いつもお世話になっているSさんの16日説と学科長の言う17日説がありました。私はメールで何度かSさんとやり取りしながら確認して行きました。そして、どうやら学科長の言う17日ではなく、やはり16日が正しかったようでした。それが判明してから、何気なく同部屋で私の目の前に座っている学科長に「そういえば、卒業式の日程は17日らしいですね。」と言うと「ああ、昨日変更になったんだ。」と事もなさげに言います。昨日どころか、もっと前から16日になっていたのですが、モンゴル人は絶対に自分が間違っていたとは言いません。で、Sさんに時間を確認したら12時スタートだけどモンゴル時間だから12時半ごろでしょう、とのことでした。ところが、前日の15日の夜にSさんからメールが来て「12時半と言いましたけど、急きょ変更の指示が来て、11時半になりました。本当に急な変更は困りますね。」なんて書いてありました。このように前日の夜まで、何時に始まるかさえ決まらないのがモンゴルなのです。そして、ここで終わらないのがモンゴルなのです。当日、さすがにスーツにネクタイしなくちゃと思いながら準備していると、携帯にメールが来ました。見ると「急ですけど、今日は11時半ではなく午前10時になりましたのでお知らせします。」とSさんから来ていました。え?10時??今、9時半だよ!Sさんは昨晩のメールで11時半への変更を教えてくれたので、一体いつの情報かと思いました。「この情報はいつなの?誰がそんな急な変更をしたの?」と聞きました。すると「学部長のDさんです。連絡は今朝来ました。私も信じられません。」だって。卒業式は大学全体ではなく、2年前までは学部別どころか学科別に行われていたのだそうです。経済学部には12学科ありますが、それらが全部別々だったというのです。ちょっと信じられないですが、信じられないことが毎日あるのがモンゴルです。ですので、今回は学部単位で行います。学部長のDさんは日本留学組ですが、確かにコミュニケーションや時間管理などの面では、すっかりモンゴル化しています。私も約束時間をすっぽかされたり、メールの返信が来ないなどはよくありました。でも、卒業式の開始時間を当日の朝に変更するところまでは、ちょっと想像できませんでした。一体どうやって、生徒を始めとする人たちに連絡するの?なんて当たり前に考えてしまうのは、まだモンゴル歴の浅い私くらいなもので、そんなものはなんとかなると考えるのがモンゴル人です。で、慌ててスーツを着て出かけました。10時ちょっと前に到着しました。会場は既にそれらしく飾られており、音楽などの調整を行っていました。ちなみに、会場は経済学部の玄関前です。つまり屋外です。屋外でやるようになったのは、昨年から学部全体でやるようになったからだそうです。「雨が降ったらどうするの?」なんて、これまた日本人っぽいことを考えてしまいますが、モンゴル人は降らないことを前提でやるのです。ほんの数日前に雨が降ったんですけどね・・・10時集合と言っても、当然ながらほとんど誰も来ていません。ですが、準備を担当している「モンゴル人離れした真面目さ」を持つOさんだけは早くから来て、熱心に準備していました。その後、学部長や学科長もやってきました。遅れてやって来た学科長は「おー、早いですね。もう来ていたのですか?」と言います。私が「いや、今日は10時からだって聞いたんですけど・・」というと、堂々と「はい、そうですよ、今日は10時からですよ。」と10時半に来たにも拘わらず、そう言います。生徒たちも続々と集まり、いよいよ始まりました。10時開始の予定でしたが、10時50分開始となりました。遅いことは遅いですが、確かに前夜の予定であった11時半よりは早いです。お天気は青く晴れ渡り、快晴となりました。次回は、式の様子をお伝えします。それまでに写真問題が解決しているといいのですけど。「続く」
2010.06.17
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大学では今は試験シーズンです。その試験が終わると卒業式がやってきます。その卒業式はいつか?すら、このモンゴルという国では簡単にはわからないのです。あおと2-3週間ほどなんですけどね。昨年、私はモンゴルの卒業式というものを見たくて、5月から周りの先生たちにお願いしていました。「卒業式はいつですか?」「6月だよ。いつかは聞いてないけど。」「じゃあ、日程がわかったら教えてください。」「オッケー、ノープロブレム!」とまあ、こんな調子で頼みました。すると、ある日学生がたくさん集まってました。聞けば卒業式だそうです。私は近くにいた先生に「今日、卒業式って聞いたけど・・・」と言うと「あれは、統計学科の卒業式だよ。経営学科はまだなんだ。」と言われました。経済学部は12も学科があるので、卒業式は学科別らしいのです。私は「じゃあ、日程わかったら教えて」と頼みました。結局、3-4人の先生に、卒業式の日程を教えてくれるように頼んだのです。そして、6月のある日の午後に電話がかかってきました。「ヘーイ、元気かい?何してるんだい?」と英語の通訳でお世話になっているSSさんから電話が来ました。もちろん、彼には一番最初に日程のこと頼んでおきました。「今?家だよ。どうしたの?」と聞くと「今日、卒業式なのになんで来ないんだい?」と言います。私が驚いて「えっ、そんなの知らないよ。なんで連絡してくれなかったんだと?」と言うと、当たり前のように「だから、今こうして電話してるんじゃないの!」と言ってます。もちろん、このSSさんはアホではありません。アメリカで大学院を出て2008年に戻って来た先生です。でも、こういうことに関してのレベルはこの程度です。ここで議論しても始まらないので、私は「わかった、じゃあ、これから行くよ。」と言うと「卒業式は午前中で終わったんだ。来ないからなぜだろうと思って電話したんだよ。」と言われました。この会話の内容、日本にいる日本人は「何か文章が間違っているのでは?」と思うかもしれませんが、モンゴルにいる日本人なら「ああ、モンゴル人はそうだろうね。」と納得するでしょう。こんな話は全く普通にどこにでも起こる話なのです。というわけで、今年は私もちょっと気合を入れてます。まずイギリス式授業でお世話になっているSRさんに会って頼みました。そもそもこの程度のことは、今この5月にはわかっていて当然のことなのですが、1カ月先のことは1年先のことと同じくらいわからないのがモンゴルです。「今年の卒業式はいつ?実は昨年なんだけど、何人にも日程教えてくれるように頼んでおいたのに・・・」と説明しました。もちろん、その何人にはSRさんも含まれていますが、そんなことは覚えてるはずはありません。「それはひどいわ。私が調べて教えてあげる。」と言われました。私の部屋は経営学科長との二人部屋です。つまり目の前に経営学科長が座っているわけです。SRさんに頼んで部屋に戻ると学科長がいたので、去年の話を繰り返し「日程はいつ?」と聞きました。彼はちょっと待ってと手帳で調べると「6月の14日だよ。」と言いました。時間を聞くと、「それはまだわからない」と言います。午前か午後かは?と聞くと、多分午前でしょうとの答えでした。まあいいでしょう。詳細は別にして、とりあえず日程だけでもわかったんですから、今年は卒業式を見ることはできそうです。で、夜自宅でメールをチェックすると、昼間頼んだSRさんからメールが来ていました。「6月16日12時からです。でも、モンゴルだから多分12時半でしょうね、ふふふ。」なんていうメールです。私は「実は、あのあと学科長と会って日程聞いたんだけど、14日って言われたよ。どっちが正しいの?」と返信しました。返ってきたメールには「多分、学科長が間違っているでしょうね。だってあの人は何も知らないから。でも、調べてまたメールします。」だって。私も、学科長の頼りなさは十分承知しているので、そうかなとは思っていますが、まだその後の返事は来ません。ここに登場した3人(学科長、SRさん、SSさん)は、アメリカ、オーストラリア留学組で、典型的モンゴル人よりはずっと外の世界を見てきている人なんですけど・・・こういうのはモンゴル国立大学に限った事ではありません。日本語を教えているN学校でも似たようなものです。今月は、5月12日に授業をやりました。次は19日です。19日朝9時からの授業なので、8時半ごろ家を出ようとした矢先です。電話がかかってきました。「今日はテストですから、授業はありません。」だそうです。私が「じゃあ、もう学校はないの?」と聞くと「いいえ、学校はまだ続きます。」と言われました。授業30分前の連絡はモンゴルとしては上出来でしょう。普通は、私が実際に行った時に「今日はテストですから、授業はありません。」と言われるのがオチです。で、そのまた1週間後が26日です。私は学校はまだ夏休みじゃないと聞かされていたので、もちろん行くつもりでいました。ですが、ここはモンゴルです。気になって、前の晩に電話しました。すると当然のように「いいえ、明日は授業はありません」と言われました。そもそもN学校では全く先の予定は知らされません。今までも何度も変更や休みがありましたが、ほとんど突然です。ですが、モンゴル人の感覚ではどうしてそんなに先のことを気にするのかわからないのです。そして、そういう連絡をくれないことに怒ることすら理解できないのです。これは日本人との違いを超えて、多くの普通の国との違いでしょう。だからこそ、外国人に会うと皆モンゴル人の計画性のなさ、その場限りの習性を話して笑うのでしょう。怖いのは、私自身も段々モンゴル化しているのではないかと感じていることです。他の日本人でもそう感じている人はいるようで、日本へ帰って大丈夫かな?と心配しています。元々先のことは考えない性格ですが、それに輪をかけてしまうような気がしています。困ったものです、このモンゴル化は。
2010.05.27
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「前日よりの続き」生徒のレベルはどんなものでしょうか?今週、授業でCSR(企業の社会的責任)とか企業倫理の授業をやりました。この手の話となると、欧米では必ず出てくるジョンソン&ジョンソンのタイレノール事件のことが登場します。今回のトヨタのクレームの話ではないですが、CSRは企業の危機管理として益々重要になっています。J&Jは以前タイレノールという大衆薬に何者かが工場出荷後に毒物を入れ、それによってアメリカ中が混乱した時の対J&Jの応ぶりを取り上げているのです。要は、J&Jに法的な過失は全くないにも関わらず、「消費者がわが社の製品に少しでも不安を持つことは許されない」と全品回収し、パッケージを全面変更して対応したというものです。つまり、「自分は悪くないけど、消費者に少しでも不利益があるなら、お金をかけてでもやり遂げる」ということです。実際、相当なコスト負担になりました。ですがこの後、J&Jはアメリカ国民からは絶大な信頼を得て、消費者に強く支持される企業に発展して行ったという話です。このイギリス式授業では、Webサイトをダウンロードして、それを読んで課題に答えなさい、というものでした。面白いのは、良い例として取り上げられたのがJ&Jですが、悪い例も出ています。どこだと思いますか?なんと雪印でした。あの社長の「俺だって寝てないんだ。」発言に代表される一連のひどい対応ぶりが書かれているのです。日本人として、世界中のいろんな事例から雪印が選ばれたことについては、なんとも残念ではありますが、本当のことなので仕方ないでしょう。今まで生徒らはこういう課題も事前にやってないことが多かったので、私はかなりきつく「絶対にWeb見て、答えを各自で書いて来るように」と言い渡しました。で、授業当日です。私が、あらかじめ用意されている質問をある生徒にしました。ところが、答えは何を言ってるのかまったくちんぷんかんぷんです。私は質問を読みなおしました。「J&J会社がとった対応は・・・・」との質問が書いてあります。ですが、あまりにも噛み合いません。私は「なんでそういう答えに行きついたの?」と質問を続けると・・・なんと原因は、ちょっとびっくりというかがっくりくるようなことでした。ジョンソン&ジョンソンというのを会社だとは思っておらず、「ジョンソンさんという個人」だと思っていたようなのです。私はびっくりして、他のもっと英語ができる生徒に聞きました。「あなたはどう読んだの?」と聞くと、なんと彼も同じで、会社だとは思わなかったというのです。そしてなぜか「雪印は良い会社として書いてあります」と言うのです。私は、これは相当重症だなと思いました。そのケースの記述は比較的平易に書いてありますし、質問にもJ&J会社はとわざわざCompanyと書いてあります。英語での読解力の問題はもちろん大いに同情すべき余地はありますが、それにしても厳しいです。教材では、何度もスターバックスとかマクドナルドとかを「誰でも知ってるでしょ?」という前提のもとに登場しますが、そうではないのです、この国では。このイギリス式授業の利点はいろいろあると思いますが、生徒のモチベーションのなさから来る教員のモチベーション低下の流れはなかなか変えられそうにありません。いろんな問題が含まれているので、簡単な解決法はなさそうです。親は「お金さえ出せば、欧米留学への切符」が手に入ると思っているようです。実際、ここの学費は普通の学校の3-4倍はするようです。子供は欧米留学の「予備校」くらいにしか考えていないようです。Gさんがいつ帰るのかはわかりませんが、多分会えてもあと数回でしょう。彼のモンゴルでの印象が少しでも良くなってくれることを祈っています。
2010.03.27
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昨日、アメリカ人の英語教員のG先生が私の顔を見るなり「もう辞めたい。このままじゃあ、私が壊れてしまう。」と言いました。例のイギリス式授業の話です。私は今、週に3回「イギリス式授業」をやっています。イギリス式授業というのは、日本には馴染みないはでしょうが、途上国を中心に行っている英国の大学の単位取得システムです。多くの途上国の場合、大学を出たと行ってもヨーロッパなどでは大学を卒業したと見なされず、それゆえヨーロッパの大学院への進学は難しいと場合が多いようです。このコースの修了者は、イギリスの大学の卒業資格を取得できるのです。また、大学の留学としても、このコースで2年学べばそのままイギリスの大学に留学しやすいのだそうです。そんなこともあり、アジア、南米、アフリカなどの多くの国々でこのプログラムは広まっているようです。授業は全て英語で、教材は全てイギリスから送られてくるものを使います。モンゴルではモンゴル国立大学と提携し、2008年から開始しました。最初の1年間はほとんどが英語教育に費やされてきましたが、2年目からは他の科目も出てきます。英語教育は、アメリカやオーストラリアから外国人教員を招いていますが、他の科目は簡単には行きません。科目ごとに呼んでいては、たくさんの教員が必要ですし、かといって全体の人数が1学年20人未満と少ないので、効率が悪すぎ呼ぶことができないのです。こんな事情もあって、私に経営関係の授業で助けてもらえないかと言われていました。私の英語力でいいのかどうかはわかりませんが、できる範囲でやることになったのです。ですので、厳密にはこの授業はモンゴル国立大学の授業ではないのですが、私との契約の範囲内でやってほしいと言われています。つまり、別途お給料が出るわけではないですよ、という意味です。で、昨年秋から始めました。モンゴル国立大学向けの私の授業と比べてどうか?と考えると、教える方も学ぶ方も「随分緩い」というのが感想です。教える方というのは、私のことですが、通常の授業の場合私主導で授業を組み立てますから、準備や内容に私は深く関わっています。ですが、イギリス式授業の場合は、テキストも授業を進めるスライドも全部決まっているので、ほとんど私が内容に関して踏み込める余地がないので、いろんな企業の事例を示す以外は、大体その通りにやってます。その通りにやるというのは、結果としてあまり思い入れ持って深く関わってはいないとも言えます。とはいえ、経営入門のようなものですから、イギリス人がどうやって大学生にゼロから教えて行くのかを知るという意味では、興味深いです。生徒の方はどうか?そもそも留学ありきで来ているので、平均的に言えば親の所得は高い方のようです。ほとんどの生徒は18歳にして外国経験を持っています。英語も「そこそこ」話せる人が多いです。ですが、彼らにとっては「欧米に留学する」ことが目的なのであって、この授業そのものは単なる手段でしかないのです。「とにかくここで無難に単位とって、早く欧米に留学したい」というのが本音でしょう。ですから、本気で勉強しようなどという姿勢は低いです。大学の先生に話を聞くと、モンゴル最難関校であるモンゴル国立大学に入って来る生徒のレベルと、このイギリス式授業に応募してくる生徒のレベルとは「相当開きがある」そうです。それも当然で、本当に優秀であれば先日ブログに書いたように、モンゴル国立大学に入学して、1-2年で奨学金付き留学に応募すればいいわけですから。このイギリス式授業が生徒にとっての曖昧な位置づけであることが、この学校の運営を難しくしています。最大の問題は、生徒のやる気のなさです。モンゴル国立大学の生徒と比べても、相当低いレベルにあります。私のクラスでもそれは何度も感じましたが、どうも語学の授業はもっとひどいようです。昨期のスタートは9月でした。アメリカから来たGさんは、顎にひげを蓄えたとても温かみのある先生でしたので、私とすぐに打ち解けました。「やっぱりアメリカ人でも、非ビジネス系の人は良い感じの人がいるんだなー。」と思ったものです。ある日、その先生が授業時間なのに教員室にいるのを見ました。実はその日がGさんの最初の授業の日だったのです。「あれ?この時間は授業が始まっているんじゃないですか?」と聞くと「ああ、そうだよ。今日から授業だからね。でも、誰もいないんだよ。」と答えました。もちろん、理由なんか知りません。翌日も出席生徒はゼロでした。優しい彼は顔には出しませんが、かなり失望していたようです。その後、会う度に「今日は生徒いた?」などと聞いても、せいぜい1-2人というのが続いていたようです。本来は10数人はいるはずなんですけど。出てくる生徒もやる気がない場合が多いですから、遠い外国からわざわざやってきた先生には相当堪える話です。先日書いたフランス人の先生も言ってましたが、正直言ってわざわざこんな国に低い給料でもいいとやって来るというのは、若い人たちに教えたいとか、途上の国に貢献したいなどという志がある人が多いです。ですので、そういう先生たちにとって一番辛いのは、低い給料ではなく「やる気のない学生」の存在なわけです。Gさんは契約はまだ6月まであるけど、とても続けられないと言ってました。そして、事務局側も彼の辛い状況を良く知っているだけに、強く引き止めることもできないようです。私も彼の苦悩に満ちた顔を何度も見ていたので「もうちょっと頑張りましょうよ」なんてとても言えませんでした。「続く」
2010.03.26
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そして金持ちです。SRさんが言うには「金持ちじゃなくても、行く人は多いですよ。」だそうです。現に彼女は2人の娘さんがいますが、「我が家は金持ちではないので」と言いながら、韓国と台湾にそれぞれ現在留学中です。彼女自身はオーストラリアに留学していましたが、オーストラリアではとても仕送りできないので、もう少し安いところにしたと言ってました。そういえば、昨年まで学科長をやっていたBOさんのお嬢さんは、モンゴル国立大学の1年生でしたが、先日聞いたら「今はシンガポールに留学している」と言ってました。つまり、典型的な1年中退ということです。恐らく他の先生たちの子供たちも似たようなものでしょう。それにしても不思議なのは、給与水準が非常に低い国から、なんでお金持ちでもなさそうな人たちまで外国に出せるのか?です。「借金したり、親戚中から集めたり、アルバイト(これは子供ではなく、親のこと)したりしして」なんとかねん出するのだそうです。多くは、大学生として留学しますが、大学院からの人もかなりいます。ある考え方では「修士課程は2年だけだから、外国の大学を出ることが目的なら、修士課程だけの方が安上がり」というのもあるそうです。SRさんが実際に聞いたモンゴル国立大学内のある学科(外国関係学科、みたいな名前だったので、もともと留学志向の人が多いかもしれませんが)では、入学者が200人、1年後に残っているのは150人、2年後には75人、卒業時には40人だけ、というデータもあるそうです。もちろん、この減少部分のほとんどは留学によるものです。「ということは、私が教えているのは、その残りの60%ってこと?」と聞くと、彼女は申し訳なさそうに「そう、成績優秀でもなく、お金持ちでもない学生ってことになりますね。」と答えました。更に大学院生となると、そこに加えて、大学院の段階でも留学を選ばなかった、あるいは選べなかった学生たち、ということになります。それで段々事情が呑めて来ました。大学院の授業であまりにも英語ができないのに驚きましたが、SRさんが言うには「多少でも英語ができる学生は、ほとんど留学してしまって、ここにはいないんです。」だそうです。先日、フランス人のフランス語教員と話す機会がありました。彼女は、私と同じ大学の外国語学部や、市内にあるフランス語の専門学校で教えているのですが、こんなことを聞かれました。「ねえ、モンゴル人の学生ってどう思いますか?」って。私が「どうって、どういう意味?」って聞いたら「やる気や能力がものすごくないように思えるのですが・・・」と言ってました。彼女はフランス語を教えるのは、フランス国内や日本を含めた海外での経験は豊富なのですが、それらの経験に照らし合わせてもかなり落ちると言ってました。私も「残念だけど、同意します」と言いました。ですが、どうもこのような構造的な原因から、結果として私たちが接した学生は、残りの60%や更に残りの3-40%の学生だってことなんだと理解しました。うーむ、これは厳しい現実です。そして現にモンゴル国立大学の先生であるSRさんも「今のままなら、やはり無理をしてでも外国の大学に行かせたいのは仕方ないでしょう。この大学だって、昔はいい教育をしていましたよ。でも、社会主義から民主主義に変わる時に、良かったことは全部捨てて、新しいことには全く予算がつかず、カリキュラムもいい加減になってしまったんです。現状では正直言って、ほとんどの国の教育制度に負けるでしょう。」と言ってました。内部の人が言うのですから間違いないでしょう。そんなことを聞いた後に、いつものように私のクラスの授業に出ました。この授業は3年生向けです。「多分、同級生の半分近くが既に外国に行ってしまったんだな」と思ってしまいました。私としては「だからこそ、ここで踏ん張って、私の授業だけでも国際レベルの内容にしなくちゃ」という気持ちにはなりましたけど・・・一人で頑張ったところで、残念ながら知れてます。確かに考えてみれば、私の同僚の先生たちも、私の知る限りは全員外国の大学や修士を出ている人ばかりです。40歳以下の人たちですと、アメリカ、オーストラリア、韓国、日本、イギリスなどです。それ以上ですと、ソ連や東欧諸国となります。国際的といえば聞こえはいいですが、やはり自国の教育そのものが認められていないということが本当の理由のようです。この問題は、「じゃあ、どうしたらいい?」というところまでは考えが及びませんが、ある意味、国独自の人材育成の仕組みが欠如しているともいえる問題のような気がします。
2010.03.24
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ここ数日、何人かの大学の先生らに話を聞いて、大学問題の構造的な問題が少しだけわかってきました。とにかく外国の大学へ行きたがる人、実際に行く人が日本に比べて桁違いに多いなと感じてはいましたが、そんなに多いのか?というのが少しわかったということです。そしてモンゴル国内の大学教育は、半分崩壊しかけているのかもしれないなと感じたのです。モンゴルにはトップ校として7つの国立大学があるのだそうです。もちろん、その中に私のいるモンゴル国立大学も含まれています。そしてこれらの大学へ入学した人のうち、大学2年生までになんと40%も外国の大学へ留学してしまうのだそうです。ここでいう留学とは、日本によくあるような国内の大学に在籍しながら1-2年行って来るというのとは違い、出て行ってしまうという意味の留学です。その比率が40%もあるというのです。東大や早稲田に入学した学生の40%もが中退して外国へ行ってしまうというのは、ちょっと考えられないです。残る60%の中でも、ドロップアウトしたりする人もいるので、結局卒業するのは入学時の半分以下なんだそうです。そしてその卒業生のうちの20-30%の学生は、外国での修士課程に進むのだそうです。つまりモンゴルの有名大学に入学した人の半分以上は外国の大学へ行ってしまうということになります。日常的にあまりにも外国の大学へ留学する話は耳にしていましたが、これほどとはとは思っていませんでした。そしてこれらの最大の原因が、親も子供もモンゴル国内の大学教育を信じていない、ということなのです。モンゴルの大学を出たところで、ちゃんとした就職ができる人がほとんどいないという事実があるようなのです。大学1-2年生で留学するというのはどういうことか?中途半端に中退するなら、最初から外国へ留学せればいいようなものです。ですが、これには理由があるのです。モンゴルは日本や欧米と違って、セカンダリースクールと呼ばれる「小中高」学校を終えてから大学に入ります。ですが、このセカンダリースクールの就業年数が11年なのです。ですので、先進国の大学では「高校卒業程度と見なされる12年間の教育」に足りてないと見なされることが多いのです。なので、大学の1年生を加えて「12年間の教育を受けた」ということにして、外国で新たに大学へ入るというわけです。つまり文字通り、モンゴルの国立大学は「留学のための予備校、準備校」となっているのです。ですから、新入学生もモンゴルの大学なんて単に1年間時間を稼いでいるだけですから、身も入らないし、やる気も起きないというわけです。むしろ、この1年間で留学先を探すことに時間をかけるというのです。日本や他の国でも少しはそういう人はいるかもしれませんが、半数近くの人がそういう行動をするというのはちょっと異常ではないでしょうか?私は聞きました。「ということは、成績が良いか、お金持ちの子供だったら、ほとんどが外国を目指すということですか?」といつも通訳でお世話になっているSRさんに聞きました。「基本的にはそうね。」と答えました。成績がいいというのは、日本や欧米豪などの政府が授業料、生活費を全額奨学金として出してれる制度は大人気で、成績優秀者がこれらの試験に合格して留学するということです。友人のBさんはこの制度で、日本の文部省試験に合格し、日本の大学に留学しました。彼も1年間だけ、私のいるモンゴル国立大学にいたそうですが、もちろん卒業はしていませんし、彼もこの大学を母校だとは全く思っていないようです。日本だけでも5人や10人か、それ以上いるようですから、アメリカ、オーストラリア、ドイツ、フランス、イギリスなどを合わせれば相当な数になります。これらの国々以外でも、私が耳にしたのはトルコ、ベトナム、マレーシア、シンガポール、中国、韓国などの大学へのその国の政府による奨学金留学はかなりありそうです。(続く)
2010.03.23
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本当は、当日に簡単なコピーを庶務担当のAさんに頼もうと思っていたのですが、当然それどころではありません。隣の部屋のコピー機はトナーがなくて使用不可です。日本では考えられませんが、コピー取るのも一苦労というのは、この日に限ったことではありません。今、この瞬間コピーを取りたいとしたら、3つの条件が「運よく」整っていることが必要です。1つ目は、コピー機が壊れてないこと。経営学科のメインコピー機は、一体何年前のキャノンなの?と思うような旧い機械です。社会主義時代からでしょうから、20年以上は経っているのではないでしょうか。しかも1枚1枚手差しで紙を入れるのです。もちろん自動で紙を送る機能はあるのですが、その機能はもう1年ほど止まったままです。故障している可能性は、経験的に20%くらいでしょうか?5回に1回という感じです。2つ目は、コピー用紙があること。これも重要なファクターです。基本的に紙はいつも足りません。コピー用紙の在庫もないことの方が多いです。「コピー用紙はどこにあるの?」と聞いても「ないです」でおしまい、ってことが多いのです。なので、使用済みの紙を裏返しに使うことが多いです。どうも予算上、コピー用紙を十分には買えないようです。貧しさが身に沁みる途上国の国立大学です。そして3つ目は、見落としがちですが、かなり重要なのが「その部屋が開いていること」です。経営学科のコピー機は、大部屋に置いてありますが、誰もいない時は常に鍵がかかっています。常にというのは、私も自分の部屋でも意識しています。トイレに行くだけでも鍵をかけるのです。以前大部屋にいた時「ここは日本と違うのよ。学生が入ってきて、何かを盗むことが本当に多いのです」と言われ、かならず鍵をかけるように言われました。確かに、私のものだけなら「トイレくらいいいじゃない」と思いますが、他の先生の私物もありますから、やはりもしものことを考えると、例え隣の部屋の先生に「こんにちはー」とお茶のみに行く時も鍵はかけます。ですので、その大部屋もかなりの確率で鍵がかかっているのです。先生らはほとんど不在が多いので、大部屋といえども常駐しているのは庶務の女性だけです。彼女がいない時、食事なども含め出かける時はほとんど鍵がかかっています。ですから、この3つ目の条件も緊急時には結構大切なのです。で、授業1時間前です。2台あるコピー機は壊れてるのと、トナーがないので使用できません。仕方なく、学部長の部屋に行きました。秘書が不在だったので、学部長に声かけました。「すいません、コピー機貸してください。」と。早速使おうとしましたが、電源が入ってません。というか、どこに差し込むのかもわかりません。「すいません、DD先生、コピー機の使い方ご存知ですか?」と助けを求めました。学部長が電源を入れてくれ、早速コピーしようとしたらわずか数枚で紙がなくなりました。「すいません、紙はどこにありますか?」と聞くと、彼もどこにあるのかわかりません。秘書もいないし。彼は「探してくる」と部屋を出て、どこけに行きました。しばらくして戻ってきて「後で持って来させます」と言いました。で、しばらくして他の部屋から女性が現れ紙を持ってきてくれました。そしてなんとか今日渡す予定の私の授業の予定や注意書きなどの3枚のコピー各40部ずつ合計120枚のコピーし終えました。もし足りなかったら、あとで追加でコピーすればいいと思ったのです。私が終わると学部長がやってきて「そもそもなんで先生がそんなことをしているのですか?経営学科には庶務の女性がいるでしょう?」と聞きます。私は「いいえ、大丈夫です。これは今日の私の授業用なんです。」と答えましたが、納得してません。私は「実は・・・」と1週間前にコピーを頼んだけど、コピー機が壊れててやってないとか、今日あと1時間後にある授業なのに、学生数がわからないなどを言いました。「それはおかしいですね」と私と一緒に経営学科の方までついてきました。ですが、彼は一連の私の言った問題について周囲に聞くと「やっぱり仕方ないようだ」と帰って行きました。つまり、大学として「仕方ないこと」なんです。で、午後1時から授業開始です。昨年は教室問題が起こるほどたくさんいたのですが・・・結論から言うと「3人」だけでした。たった3人です。もちろん、学生にも通訳のSRさんにも「どうして?」と聞きましたが、「わからない」しか返ってきません。一体何がどうなっているのかわからないのがモンゴルの基本とはいえ、ここまでひどいとは。どう考えてもおかしいし、今日ここで最初の授業を真剣にやっても多分また同じことをしないといけないことになるでしょう。ですので、イントロというか授業の紹介程度にとどめて終わりにしました。SRさんが学科長と相談すると言ってました。一体どうなるのでしょうか?事前に準備しても、事前に関係者に根回ししても、何も効果がないのがモンゴル国立大学の実態です。ちなみに、私の授業は「講義」部分と「ゼミナール」部分に分かれており、ゼミナールだけで今期は8回予定されていますが、未だに日程は決まっていません。今期スタートしてもう半月以上経っているのですけど。
2010.02.19
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今まで何回このブログに書いてきたでしょうか?大学の事務手続きというか、計画性というかそういうものがないことは何度も言ってきました。ですから、慣れてきてはいますが、なんせ「改善」の概念がない国ですから、同じことが何度も何度も起きます。今日から後期の私の授業が始まりました。後期は大学生への「日本企業経営」とイギリスとの提携授業の「経営入門」をやることになっています。イギリス授業の方は今月上旬にはスケジュールはわかりましたが、肝心の大学の授業の方は、いつになっても予定すらわかりませんでした。当然ですが、毎度のことなので1月からスケジュールを管理する事務局や関係する先生には事前に話してはいるのですが・・・後期の授業は今年は2月2日から始まりました。当然のように、後期がスタートしているのにまだ日程はわかりません。どうも他の多くの授業がそうのようです。結局、2月10日になって「18日から始めます」という連絡が開きました。ですから例のウルルンの撮影も、結局私の授業ではなく、他の先生の授業を拝借して撮りました。授業開始の1週間以上前に、学科の庶務を担当してくれる女性のAさんに「18日に使うものだから、コピーお願いします」と本のコピーなどをお願いしました。なんせこの国ではほとんど本は手に入らず、しかもモンゴル人の学生にとっては非常に高価なので、基本的にはコピーという形で渡します。「何人分ですか?」と聞かれても、わからないのです。一体、何人が受講するのか?事務局に聞いても「わからない」としか言いません。昨年の同じ時期、同じ授業は50人近かったのでとりあえずその分くらいをお願いしました。昨年の授業前は申し込む学生が多すぎて、一部は受講できない人もいたと後から学生から聞きました。これは教室のキャパシティの問題で、50人までの教室が予定されていたからです。それ以上の場合は、100人に達する時は、大きな教室に変更できるそうですが、さすがにそんなにはいませんから、結局50人程度でカットしたのでしょう。そして、いよいよ18日です。まずは、コピーをもらいにそのAさんのところへ行くと・・・「コピーはありません。コピー機が壊れているからです。」の返事でおしまい。私が「1週間も前から言ってたじゃないの!」と言っても、特に気にする風ではないのです。「問題あるなら学科長に言ってください」だって。ですが、その学科長はまだ来てません。授業はあと2時間ほどしかないので、言いあいしていても始まりません。彼女は自分が授業するわけではないので、コピー機が壊れていることは十分な理由だと思っているようです。ですが、これはモンゴル人の典型的な対応です。このコピーがどういう意味を持つか?なんて考えることはしないのです。ただ、「コピーを頼まれた。でも、壊れていた。」それだけです。ですが、隣の部屋にもどこにもたくさんあります。「他の部屋で借りてコピーすればいいじゃないの?」と言っても、時間は無慈悲にやってきます。私は私の授業で通訳をお願いしているSRさんのところへ行き「今日の授業は学生は何人ですか?」と聞きました。すると「わからない」とのことです。私が「今日の今日だよ!なんでわからないの?」と聞くと事務局に電話してくれました。答えは「わからない」です。私が聞いているのは、今日実際に来る生徒の数ではなく、私のクラスに登録している学生の数です。ですが、それすらわからないというのです。もちろん信じられませんが、これが実態です。「今日学生がくればわかるでしょう。」だって。うーむ、本当に今日の授業は無事スタートするのでしょうか?(続く)
2010.02.18
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大学でも旧正月の挨拶の会が16日にありました。午前10時から新年の挨拶をします、との連絡を受け行きました。全校の先生が対象のようですが、経済学部は少ないようです。少なくとも経営学科の先生は私一人でした。ですが、私同様、外国人の先生は結構来ていました。そしていよいよ始まりです。司会者が短い挨拶を済ませると、皆が一斉に立ち上がりました。そして行列をなして、学長ら一人一人に挨拶をしに行きます。最初は、偉い先生たちだけにすると思ってのですが・・・挨拶を終えた人たちは、そのまま偉い人らの最後尾に並びます。ですので、その列はどんどん長くなり、結局全員が全員と挨拶をすることになるのです。全部で、80-100人くらいはいたでしょうから、延々と続きました。挨拶は、両手を出し合って、両腕を重ねるようにして「新年おめでとうございます」(サイハン・シンレーレー)と言います。そしてお互いの頬と頬を左右交互に接します。欧州のキスの挨拶と似たようなものです。その後、席に座りミルク入りモンゴル茶を飲んだり、羊の肉を食べたりして近くの人らと談笑しました。私は、ドイツ人、フランス人、中国人の先生らと一緒に座りました。モンゴル人の先生だと言葉が通じないのです。モンゴル人の習慣として嗅ぎ煙草を交換します。これはお互いが持っている匂い煙草を交換し、交換した煙草の匂いを嗅いで、また戻すというものです。以前から、モンゴルの伝統的な挨拶法だとは聞いていました。ですが、隣のドイツ人の先生も匂い煙草を取り出しました。「それはモンゴルで買ったのですか?」と聞くと「いいえ、これはドイツ製です。」と言いました。確かにその瓶を見ると、バーバリアン製とあります。彼によると、バイエルン地方ではモンゴルと同じ習慣があるそうです。驚いて、フランス人の先生に「ヨーロッパに同じ習慣があるのですか?」と聞くと「聞いたことないし、見たこともないわ」と言ってました。どうやらドイツだけか、あるいはバイエルン地方だけの習慣かもしれません。でも、瓶の形も交換方法もモンゴル人と同じなのには驚きました。昔のチンギスハーンの遠征と何か関係あるのでしょうか?こちらは中国語の若い中国人の先生です。彼女は山東省から来ているそうです。他にも青島から来ている先生もいました。「モンゴル語は話せますか?」と聞くと「いいえ、全然」ときっぱりと答えました。なんとなく、モンゴル語を勉強するぞという雰囲気はありませんでした。私も人のことは言えませんけど。モンゴルの食べ物については、中国人もフランス人も「おいしくない」で一致しました。確かに日本人にとっても同感です。ですが、縁あってこの国へ来ているので、こういう外国人の先生たちとのネットワークも広がればいいなと思っています。挨拶の会は、あれほどたくさんの人らで溢れかえっていたのに、1時間もしないうちに全員いなくなりました。随分あっさりしてるなあと思いました。用意してあった食べ物は、ほとんど手を付けられずにいました。これで旧正月の3が日は終了ということになります。
2010.02.16
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昨日薬を飲んでぐっすり寝たのが良かったのか、今朝は元気に目覚めました。熱を測っても、もう大丈夫でした。やはり子供のころから風邪にだけは強い体質は、まだ続いてるようです。当初、今日の午後に予定されていた「ザハ(市場)への買い物」撮影は、27日に延期されたので良かったです。少しは食べないとと思い、昼は雑炊を作って食べました。午後は、学部長が会いたいということでしたので会うことになりました。新年に入ってから一度も会ってないかったのです。ビザの問題や給与の問題など、いろいろ話さねばならないこともありました。約束の3時に学部長室へ行くと、鍵がかかったままです。そこから電話すると、「あー、今外です。3-40分後には戻ります。」と言いました。こういうやり取りは、モンゴル人の典型です。きっとモンゴルに住んでいる方なら理解されることでしょう。前にも書きましたが、モンゴル人の約束と日本人の約束は意味が違います。日本人にとっての約束というのは「その時間にその場所で会うことを意味し、そのためにできるだけその前の行動をそれに間に合うように努力する。」というものです。ですが、これまで1年半ほどモンゴル人と接してきた私なりのモンゴル人への見方はこうです。「約束とは約束した時点での単なる予測であって、何が何でも守らなくてはならないものではない。というか、約束を守るという概念はあまりなく、多分その時間にその場所にいるだろうというあくまでも「予測」でしかない。」ということです。さすがに、日本や欧米への留学経験者は約束の意味はわかっていますが、多くの普通のモンゴル人にとっては日本人が考えるほど約束は大切なこととは考えてないようです。ですから、今回のようなことは普通に頻繁に起こります。日本人なら遅れることが分かれば「すいません、40分ほど遅れます」と事前に連絡しますが、モンゴル人はまずそういう連絡はしません。ですから、その時間になってこちらが連絡して初めて知るのです。更に「3-40分遅れる」という場合は、大体その倍、つまり1時間から1時間半は遅れるという意味です。この辺も、モンゴル在住の日本人なら「そうそう」とご同意いただけると思います。なので、遅れて会う時も「すいませんでしたね、お待たせしてしまって」などという発言はまずありません。なぜなら、約束とは守るべきものではなく、その時点での予測でしかないからです。敢えて言えば「私の予測がはずれてしまってすいません」というところでしょうか。案の定、1時間以上遅れて会うことになりました。京都大学出身の学部長でも、時間感覚はすっかりモンゴル人です。給与の問題については、実は大学に来る直前に銀行残高を見たら全額振り込まれているのを知りました。当初、1月8日に振り込まれるべき給与が支払われてなかったのですが、1月22日付けで、22日に払う分と一緒に8日に払う分もまとめて入金されていたのです。で、学部長と会いました。話は拍子抜けするほどフレンドリーでした。給与を止めるというのは大きなことですし、よほどのことなのかなと思って行ったのですが・・・ まずは、ビザの話し。私がパスポートを見せながら事情を説明すると「そりゃあ、ひどいね。」と全面的に理解してくれ「マルチビザの指示は私も外務部に指示してますから、誤解なんてあるはずないです。」と言いました。で、今は一応マルチビザを出す方向で動いているので、その経緯を見守ることになりました。次は、コンサルティングの話し。学科長がその件で、私に大いに助けてほしいと言っている旨、改めてお願いしたという話です。それで「じゃあ、これからもよろしく」と言いました。あれ?給与の話は?私が、入金があったことを確認した旨話すと、笑っていました。当初は、私が無断で勝手に帰国したと勘違いしたようですが、それが誤解だったことを知ったのでしょうが、全くその旨は話さず笑うだけです。私は「なぜですか?」と追及するのを止め、アジア式に曖昧なまま「これからもよろしく」とお互いニコニコして部屋を出ました。要するにどうってことなかったってことです。話を終えて、自室に戻ると学科長が「どんな話だった?」と聞きました。私がありのままを話すと、学科長も「何それ?」と不思議そうでした。学科長は大きな問題になってはいけないと、私との契約書をよく確認し、学部長にもいろいろ話していただけに、何も話さなかったことを不思議そうにしてましたが、最後は笑ってました。「私は学部長に、なぜ?なぜ?などとは深く聞きませんでしたよ。」というと「もちろん、それが一番いいやり方です。もう、この話は終わりですね。」とHBS出身の学部長もアジア式曖昧解決に納得してました。というわけで、体調も戻り、給与問題もおしまいとなり、ちょっとすっきりした日となりました。
2010.01.26
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大学からの給料は月に2回に分けて支給されます。通常は、8日と23日頃に銀行に振り込まれます。ですが、モンゴルに戻ってから残高確認したのですが、どうも8日の支給がないようなのです。まあ、単なるミスかなと思いました。なぜなら、2008年の9月にこちらへ来た時も、2ヶ月間も給料の支払いがなかったのです。恐る恐る、他の先生に「お給料って、いつもらえるんですか?」と聞いたら、その先生はびっくりして調べてくれました。すると、契約はしたものの支払い手続きはやってなかった、という経験があったからです。それにこの国ですから、3-4日の差はどうってことないだろうと。ですが、10日も過ぎたので、さすがにどうしたのかな?完全に忘れたのかな?と思い、今日会計課に聞きに行こうと思っていました。ところが、同部屋の学科長であるBさんと雑談している時に、ついでにその話をしたら、彼の反応を見てびっくりしました。彼が言うには「それはあなたが日本に帰っていたから、その期間の支給がないということなんじゃないでしょうか?」と言うのです。は?何それ?一体どういうこと??彼の説明では、月に2回の支給には、一応それぞれの対象期間があるというのです。で、その対象期間にモンゴルにいなかったのだから、支給はされないのかもしれないと言うではないですか。私は驚いて「そんなの聞いてないよ。そもそも今までだって、何度も一時帰国したけど、一度もそんなことはなかったです。」と答えました。彼によれば、モンゴル人の先生だったら、そういうことは十分ありうるというのです。私は「それじゃあ、月給契約じゃなくて「日給契約」じゃないですか?」と聞くと、彼は「契約はどうなっていますか?」と言います。その場では「月いくらというだけで、日本へ帰ったら差し引くなんてどこにも書いてないですよ。」と言いました。念のため、家に戻って契約書見ましたけど、当然そんなことは書いてありません。彼は「わかりました。私が、学部長と会計に確認してみましょう。ですから、あなたから問い合わせる必要はありませんよ。」と言われました。真偽はともかく、モンゴル人の先生でも、田舎へ帰ったら、その期間は大学の仕事はしてないとみなされ、日数分減給されると聞いて驚きました。その割には、勤怠管理などはほとんどやってません。ですから、おそらく正直に申告した人だけが減らされるのでしょう。私の場合も、もしビザ問題で騒ぐことがなければ、多分給与は普通に払われたと思います。もちろん、学科長ら同僚には日本へ帰国する旨は事前に伝えてありましたが、多分学部長がその減給指示を出したのだろうと思いました。学科長に聞くと、どうも私を招いた学部長とその後の学部長との間では、ほとんど引き継ぎがなく、ルールの運用はかなり異なっているようです。私は学科長に「ありがとうございます。あなたの説明で、理由はわかりました。でも、納得したわけではありませんよ。」と言いました。銀行残高がほとんどないので、日本円を両替してしばらくしのぐしかありません。それにしても、海外へ行った日数や田舎へ帰った日数を減給なんて、正規雇用者としては日本ではちょっと考えられない発想です。契約書にはどこにもかかれていないんですけどね。ま、もう、この程度では怒ることもありませんけど。どっちにしろ、日本円にしたら「大した金額ではない」のが残念です。
2010.01.19
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12日土曜日は、学長主催の「外国人教員」のランチパーティがありました。昨年はそんなのなかったので、どんなものか行ってきました。場所はモンゴル国立大学本館の隣にあるフランス料理屋さんです。ここはモンゴルでただ一つと言えるフレンチの店です。他にもビストロなどありますが、ちょっと勘違いしたような店が多いです。ですが、ここは若いフランス人シェフがいます。集まったのは20人弱でしょうか。生徒数1万人を超すようなモンゴルで一番大きな大学ですが、外人教員となると非常に少ないです。1番の理由は、外国人を呼べるだけのお金がないということ。そして、モンゴルに来たがる教員がほとんどいない、というものです。外国人の先生は、そのほとんどが語学の先生でした。英語はもとより、フランス語、韓国語、中国語、ポーランド語、ドイツ語などの先生です。日本人の方も何人かおられましたが、私の全く知らない方々でした。いずれもJica経由で来られ、日本語を教えたり、シニアボランティアとしてご経験談を話されたりする授業のようです。やはりこの場でも、私のように個人で大学と契約して、語学以外を教えているのはほとんどいないんだなと再確認しました。Jica派遣で来られた方と少しお話しました。Jicaが用意してくれるアパートは「こちらが気が引けるほど立派」だそうです。その方も途上国におけるJicaの「立派さ」には驚いていたようです。オフィスも一番高そうな所にありますし、日本国は税収減で困っているようですが、外務省との強いタッグを組むJicaには関係なさそうです。こういう場で、いろんな国の人と話せるのは楽しいです。それぞれたった一人か二人で、別に国を代表してきているわけではないのに、なんとなくお国柄が出てしまいます。シカゴから来ている多分?一番若いアメリカ人の英語の先生の英語は、いかにもアメリカ人らしく、他の人は全員ネイティブではないにも拘わらず、一切お構いなしで早口で話します。でも、オープンマインドでいい感じの人です。あ、もしかして、あの英語でも私たちに気を使ってゆっくりしゃべっているのかも。ま、私のレベルはそれさえもわからないレベルということです。ポーランドからの先生は、語学が達者です。ロシア語、ウクライナ語、ドイツ語、英語、スペイン語・・・スウェーデン語もノルウェー語も聞けばわかるそうです。これからモンゴル語もチャレンジだそうです。いやはや、確かにこの方は「語学のプロ」って感じです。ちなみに、教えるのはポーランド語です。フランス語の先生には驚きました。私が「パリからですか?」とありきたりなことを聞くと「はい、そうです。あなたは日本人?」と聞かれ「そうです」と答えたら、突然日本語に切り替わりました。3年前まで日本に住んでいたそうで、しかも東京の中でも私の家から遠くないところでした。「日本は楽しかった。寿司は大好き!」と言ってました。仕事はなんとあのNovaのフランス語の先生だったそうです。語学の先生というのは、きっとこうやって世界中いろんなところに出かけている人が多いのでしょうね。その国の言葉がインターナショナルに高い需要がある国だと、こういう仕事も楽しそうです。日本語は、文部省や日本語教師検定など面倒なことを言って、結構制限していますが、そんなことしなくてどんどん皆が自由に出ていけたらと思います。私なんかも日本語教師の免許もなければ、授業も受けたことありませんが、こういう国で「本物のネイティブ」を求める声があれば、時々行きます。いちいち「日本語先生協会様、私なんぞが教えてもよろしいでしょうか?」なんて聞かなくても、全然困らないです。漢字検定もそうですが、なんでも検定とか資格制度を取り入れたりすると、役人の天下りが増え既得権益者の牙城になり、自由な活動を阻害するだけで、いいことはあまりないような気がします。日本語教師育成は、必要なら民間に任せればいいだけのことです。日本でつまんない議論してるより、より多くの若者が自由に世界へ出ていける道筋をつけた方がいいと思います。ここで会った多くの外人先生は、他の国へ行く機会もあっただろうに、何かの縁でこの不思議な国モンゴルでご一緒することになりました。また何かの機会にお国自慢でも聞きたいものです。あ、最後に料理は?ブュッフェだったので評価の対象にはならないかもしれませんが、フレンチって感じのものはゼロでした。ま、ビーフの煮込みくらいかな?なぜか、チャーハンとか野菜炒めもありました。ここがモンゴルで一番のフレンチの実態です。
2009.12.12
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またまた事務能力の問題です。いい加減、似たような話が多いので書くのも気が引けるのですが・・・19日木曜日のことです。大学院の授業「経営戦略」の授業でのことです。まずは、例によって教室には鍵がかかったままでした。先週、あれほど強く言ったのにまたしても今週も閉まったままでした。とにかくモンゴル人は過去からの学びが本当に少ないと感じます。日々改善を志向する日本人とはある意味正反対なような気がします。ですから、同じミスは何度も続きます。仕方なく私は怒り、怒鳴るとなってしまいます。多分「あー、なんて日本人ってうるさいんだろう」って思われてるのでしょう。教室の鍵が開かないことを何度も確認して、教務室へ直行しました。そこにいるスタッフは私の顔を見れば「文句言うにきまっている」という雰囲気で迎え入れます。そして彼女らの期待通り(?)私は「501号室開けてください」と静かな口調でお願いします。すると返って来た返事は「501は開いてますよ」です。はぁ?私は今開いてないからここへ来たのに、この部屋にずっといたあなたたちがわかるはずないでしょ?思い直して「いいえ、閉まっているから来たのです。だから、開けてください。」と言いました。ところがそれでも「いいえ、501は開いてます。問題ないです。」と言います。私はさすがに頭に来て「鍵がかかっているからここに来たんじゃないか!早くあけてくれ!」と強く言いました。ですが、どこ吹く風です。「問題ありません、あなたは501で授業できます。鍵はかかっていませんから。」だって。もちろん、何の疑いもなく、確かめもせず言い切るのです。この「言い切る」というのもモンゴル人の特徴です。以前もデパートでコピー用紙について尋ねた時、全く調べもせず受付のお姉さんは「当店ではコピー用紙は売っていません!」と言い切りました。文房具店で荷物用のガムテープを尋ねた時も、調べもせず「ありません!」と即答します。スーパーマーケットでコショーの場所を尋ねた時も「当店にはありません。」と調べもせずにすぐ言い切ってしまいます。もちろん、コピー用紙もガムテープもコショーありました。日本なら、多少調べるふりをするとか、ちょっと困った顔をするとかしますが、そんなことは一切せず「ありません!」とすぐに言い切るのです。このことを以前友人のBさんに聞いたことがあります。Bさんは「ああ、モンゴル人はそんなのばっかりですよ。だって、あるかもしれない、となったら調べなくちゃいけないじゃないですか。客のことなんか考えてるはずないですよ。何もしたくないんですと、余計なことは。そのためにはない、というのが一番簡単なんです。知らない、だと自分が悪いみたいでしょ?ありません、が一番なんです。」わがモンゴル国立大学大学院事務局も、全く同じです。わずか3部屋離れた教室です。「そうですか、開いてるはずなんですけど。一緒に行ってみましょうか?」なんて行動を起こす雰囲気すらありません。椅子に座って、身体はあっちを見たまま、顔だけこっちに向けて「510は開いてます」だけです。あまりに自信に満ちており、あまりに強く言い切ったので、さすがの私も「もしかして、本当は鍵は開いているのにドアの具合が悪くて、開けにくくなっているのかも知れないと思って、諦めて戻って確かめました。ですが、結論は同じです。鍵がかかっています。もう頭に来て、ドアノブをガチャガチャと引いたり押したりしました。そうこうすると、その音が廊下に響いて通行人が私を見てます。「構うこっちゃない!」という気持ちで続けていると、その音に気付いたのかどうかわかりませんが、どこからか鍵を持った中年の女性が現れました。ようやく鍵が開きました。私は「なんで開始時間に鍵を開けておかないんだ?」と聞いても、英語は通じるはずもありません。意味もなく「はい、はい」と言って帰ってしまいました。一事が万事です。昨年からこの501で何度も授業をやってますが、なんの問題もなく(部屋が開いているまたは空いている、ホワイトボードのペンがある、ペン消しがある)スタートできたのはほんの数回です。反省もなければ、原因追求もないから、同じことが何度も続くのです。そして、授業を始めました。今日はレポートの日です。レポート提出についてチェックしていると、通訳のSさんが「26日はどうするんですか?」と聞いてきます。19日の次の週の授業は26日です。よく聞くと26日は祭日(独立記念日)で学校は休みだそうです。「はぁ?何それ?」私は、「何言ってるの?私はそんなの聞いてないよ。」言いました。私の大学院の授業は9月に授業案を提出して、日程を調整して決めてきました。私が「この日程で良いか、全部チェックしてください」とお願いして、OKをもらったわけです。それなのに、祭日のことはなにも言ってきませんでした。一体、何をチェックしたのでしょうか?私はケーススタディをやっているので、そのスケジュール表も生徒らにも渡しています。ですから「26日のケースはどうなるのか?」という当然の質問も出ます。単位取得に必要な授業時間というのも決まっていますので、どうするか困ったものです。1月の最終授業の後にしようかとも思いますが、「その時期は試験期間で、授業は難しいのでは?」と言われてしまいます。どうするかはまだ決めていませんが、事務局に文句言っても全く気にしないでしょう。「先生はどうしたいのですか?」と全く他人ごとです。とにかくこの学校、この国ではこういう事務的な当たり前のことができなく、かつ今回の経験は多分今後にも全く役に立たないでしょう。私の方でこの経験を忘れずに、毎回毎回のチェックポイントを増やしていくしかありません。
2009.11.21
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ここでも何度かご紹介していますが、現在モンゴル国立大学とイギリスの教育機関が提携して、「イギリス(ヨーロッパ)と同じレベルの学位が取れる」というコースを展開しています。これはモンゴル国立大学とは別コースとなっていますが、場所は経済学部の中でやってます。で、私が英語で「ビジネス入門」みたいな授業を担当しているわけです。私以外の先生は皆、英語の先生でアメリカやオーストラリアから呼んでいます。きっとイギリス本国からイギリス人が私の授業を見学に来たら「あんな下手な英語で授業するのは止めてくれ」というのではないかと思っていますが、こんな遠いところまで来る人はいないようです。このプログラムは、主に途上国を対象にしているようです(ヨーロッパ並みの学位が取れる、というのがメリットですから、先進国では必要ないでしょう)が、プログラムはかなりイギリスっぽいので、ちょっと面白いです。ですが、面白い前に、英語が難しいです。もちろん私の英語力の問題なのですが、オーストラリアへ留学していたSRさんに聞いてもよくわからないことがあります。そういう時は、遠慮せずアメリカ人の英語の先生に聞くようにしています。彼は笑いながら「確かに、これはアメリカでは使わないからなぁ。イギリスだけの英語だね。わからなくても問題ないよ。」と慰めてくれます。で、私の授業です。市場競合状態で独占というのがあります。これはもちろんわかりやすい状態ですが、その例に電気やガスと並んで「ケーブルテレビ」というのがありました。モンゴルだって独占ではない、アメリカへ行けばもっと多いでしょう。ですがなぜか独占の例に出てくるのです。多分、イギリスはそうなんでしょうが、なんとなくこういう例を出されると、私としても説明しづらいです。また寡占というのがあります。市場全体をほんの数社だけでほとんどのシェアを持っている場合です。どの産業が寡占かは、もちろん国によって違います。日本ではビールは典型的な寡占ですが、ベルギーへ行けばたった1千万人の国で銘柄数で700以上とも1000以上ともあると言われていますから、寡占とは程遠いです。この寡占についての授業をしていた時、典型的な寡占業界はどれでしょう?という設問がありました。まず、放送局(テレビ会社)というのがありました。これは日本人でもわかります。で、私がクラスで「モンゴルはいくつある?」と聞くと「15?」「いや、もう今は20くらいかな?」などという答えが返ってきます。たった260万人の国でこんなにテレビ会社あるのは信じられませんが(日本の場合は、同一地域ではせいぜい6-8社?ですが、モンゴルではもウランバートルだけでこれだけあります)、「はい、20社ほどの競争ですから、典型的な寡占ですね」とは言えません。次に出てきたのがスーパーマーケット。これも国によって大きく異なります。スーパーマーケットという業態ではなく、小売業全体を業界と捉えた場合は、ほとんどの発展途上国はまだいまだ小さなパパママストアが大きなシェアを占めています。ですが、この教材では、スーパーを寡占の例として出しているのです。実は、イギリスは世界的にも珍しいくらい大手スーパーによる寡占が進んでいます。日本でいくらイオンと7&Iが強いとはいえ、全国的に見れば地場スーパーも多く、とても寡占とは言えません。ここモンゴルだって、大手スーパーは確かに数社ですが、小売り全体と見れば寡占とはとても言えません。このイギリスの学校は、アジア、アフリカ、南米などの途上国に多くの提携校を持っているわけで、そういうところへの配慮が全くない内容だなと思います。これ以外にも、製薬業界を寡占の典型として教えてます。これもイギリスならそうでしょうが、日本も含め「ほんの数社で市場を占めている」と言える国は少ないでしょう。「参入障壁について」というのも授業の中であります。いろいろなケースがありますが、参入に巨大投資が必要というのも一つの例です。「八百屋」をオープンするのは参入障壁が低い例で示されます。他方、参入障壁が高い例として自動車があります。教材には「自動車産業に参入するのは数10億ドル(数千億円)は必要なので、なかなか参入できない」とあります。確かに、イギリスからはとうとう量産メーカーは消えてしまいましたから、その通りでしょう。ですが、「じゃあ、なぜ中国には100以上のメーカーがあると言われているのか?しかも、そのほとんどがここ10年程度で参入している。」という事実があります。もちろん、中国市場の特殊性と言えなくはありませんが、今や世界最大の市場となっているので、単に「中国は変だから」というのも説明になりません。また「中国には世界の自動車メーカーが入ってないから」というのも理由になりません。トヨタ、VW、GMなど、世界の大手のほとんどがここでしのぎを削っているからです。もちろん、厳密に議論すればいくらでも中国の特殊性は話せますが、ビジネス入門レベルの例に使われると、ちょっと納得性に難しさが出ます。これらの例は、あまりにもイギリス的環境に偏った例だと思いますが、違う意味で面白いのもあります。リーダーシップの授業で、「以下の人たちは、偉大なリーダーとして知られています。・・・」という設問があります。で、そのリストとは・・・1、マハトラガンディー 2、ネルソンマンデラ 3、トニーブレア 4、ジョンFケネディ 5、ウインストンチャーチル なのです。ケネディ以外は、いかにもイギリス中心の人選です。1と2はイギリスの旧植民地、3と5はイギリスの元首相です。これらをイギリスの学生向けに用意してあるならいいですが、途上国の20歳前後の学生にこれら全ての経歴とリーダーとしての資質を語れというのは、ちょっと無茶な気もします。もっとすごいのは、ブッシュ前米大統領のリーダーぶりから「良いリーダーはなぜ良い人たちを回りに集める必要があるのでしょうか?」などという設問まであります。そもそもブッシュさんが良いリーダーであるかも疑問である上に、周りに集まっていた「取り巻き」が「良い人たち」なのかも疑問です。なんとも主観に溢れた設問です。ただ、ブッシュさんの行動スタイル、取り巻きの影響力などをそのリーディング教材から私自身、学ぶこともできました。そして、なぜイラク戦争を始めてしまったのかもなんとなく理解できました。そんなこんなで、発途上国の学生向け教材であるにも拘わらず、各国の事情への配慮は全くなく、世界中がイギリスと同じ構造、価値観だと思って作られているのが、担当をしている教員にひしひしと伝わってくるので、ちょっと面白いです。問題は、この授業は試験問題もイギリスで作って、それを世界中に適用させるらしいのです。ですから私も、「ここにはそう書いてあるけど、それはイギリスだけの特殊事情なので気にしなくていいよ」とはいえずに、「こういう業界がイギリスではこれら状態のの典型なんです。」と教えなくてはなりません。少なくとも、自国をベースに判断していたら、きっと試験では間違いになるでしょうから。こんな経験も途上国ならではでしょう。
2009.11.09
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うーむ、またまたおかしな出来事がありました。本ブログを読んでいる方は、「また似たような話だなぁ」と思われるかもしれません。現在私は、大学生向けに「英国式授業(マネジメント入門)」を週3回持っており、他に大学院生向けに「戦略経営」というクラスを持っています。ここでいう大学院生とはフルタイムの学生で、簡単にいえば普通に大学から上がって来た学生です。もう一つ、パートタイムの大学院生向け授業もあります。これは昨年もやりましたが、いわゆる社会人向けクラスです。フルタイム向けとパートタイム向けのクラスは、基本的には同じですが、クラス時間の差異等(パートタイムの方が12時間ほど短い)により、少し内容を変えてやります。取得単位も異なります。昨年もそうでしたが、今年もフルタイムが10月から始まるのに対して、パートタイムは11月からです。そしてその第1回目の授業が今日というわけです。私は前日の夜、通訳をしてくれるSさんに携帯でメッセージを書きました。「明日、授業は予定通り9時40分からですから、よろしくお願いします。」と。すると、案の定というか、「え?明日?授業あるの?」という返事が帰ってきました。私が、明日はパートタイムで、前回10月上旬にあったミーティングで11月3日からスタートすると決まったことを伝えると、「とにかく明日その時間に学校に行きます」と返事をもらいました。やはりこの確認メールをしなければ、多分彼は来なかったことでしょう。「学校で正式に決まったこと」であろうとなかろうと、自分のクラスを成立させるためにはこうして細かい管理までやらないと、何度も悲劇は繰り返されるわけです。昨年は10人ちょっといましたが、今年は10月上旬現在でたったの3人しかいないと聞いていました。そんなに少なくて開講するのだろうか?その後もっと生徒は増えたのだろうか?などとちょっと心配していました。そして、予定通り今朝の9時半ころに教室に入りました。無論、誰も来ていません。今日は最初の授業なので、渡す教材やコピーなどを用意して待ちました。開始時刻の9時40分になっても誰も来ません。モンゴルですから、5分くらいは仕方ありません。ですが、10分しても誰も来ません。気になって廊下に出て見ると、通訳をやってくれるSさんがやってきました。ちょっとホッとしました。ここ何回も続いている「通訳がいなくて授業できない」状態にはならないことだけは確認できましたから。彼と話しているうちに、10時になりました。それでも誰も来ません。私は大学院のプログラムの責任者であるBさんに電話しました。「パートタイム向けの大学院の授業が今日から始まるのですが、開始時間を20分も過ぎているのに誰も来ません。いつまで待つべきですか?」と確認しました。彼は困った声をしながら「そのうちに来ますよ」と言います。私が「そのうち?じゃあ、1時間も2時間も待つんですか?」と聞くと、仕方なさそうに「じゃあ、30分待ってください」と言われ、もう少し待つことにしました。そうこうしてたら、事務局とおぼしき女性が顔を覗かせます。モンゴル語でSさんと話し始めました。何やらSさんの表情から推察するに、今の状況についての話のようです。Sさんの通訳を通じてわかった内容は、全く想像もしてないことでした。彼女の話は・・・今年のパートタイムの大学院生は少ないので、普通のフルタイムのクラスに合流させることにした、というのです。なので、パートタイムとしての独立したクラスは今期はないというのです。つまり、今日の授業そのものはないのです。ですが、私はつい10分前に修士課程の責任者のBさんと電話で話したばかりです。その時には「生徒は来るから待っていてくれ」と言ってたのです。私がその旨言うと、彼女はこともなさげに「ああ、Bさんは知らないかもしれませんね。」だって。こんな大切な話を、担当の私にも、修士課程の責任者にも相談せずに、教室などの割り当てを考える人が決めてしまっていいのでしょうかね?相談しないばかりか、報告もしてないのかもしれません。しかも、私のフルタイムクラスに既に合流しているというのです。その名前を聞いて調べてみました。私がフルタイムのクラスの生徒の名簿と言われもらっていたリストに載ってない生徒が3人私のクラスに出てきていますが、その3人がパートタイムからの移動者だというのです。私は、名簿に出てない人が3人いるからと責任者のBさんに報告しましたが、彼はそのことにはまったくわかっていなかったということなんでしょう。彼は「リストの人だけのはずなので、他の3人は間違いかもしれない」などと言ってたほどですから、この移動については全く知らされていないということです。合流というと簡単そうですが、期間(総時間数)も終了時期も異なるのです。それを誰にも相談せず、報告もしないで勝手に決めることができるのがモンゴルの事務方であり、情報伝達の実態なのです。全く、まともに最初の授業からちゃんとできた試しがありません。しかも2年連続で。仕方なく、準備したすべての資料などを持って、トボトボとオフィスに帰りました。これからパートタイムの学生は一体どう扱われるのでしょうか?モンゴル式仕事の進め方で、いつも犠牲になるのは生徒です。
2009.11.03
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またまた、モンゴル人の特性というか、計画性のなさというか、以前のブログと似たような話です。先週、木曜日の夜に大学のSさんからメールが来ました。Sさんは、私の授業の通訳をしてくれたり、自分の授業を持ったりしていますが、一番のメインの仕事は、イギリスの大学との提携によって行われているプログラムの責任者です。このプログラムは、正確にいえばモンゴル国立大学と提携しているプログラムであって、このコースを卒業してもモンゴル国立大学の卒業資格はなく、イギリスの大学の卒業資格となります。私はこの9月から、このプログラムの「経営入門」のような授業をやってます。このコース全体は全て英語で授業を行います。なので、語学としての英語の授業がとても多いです。このために、今期は3人の外国人の先生を呼んで、英語の先生をお願いしています。2人がアメリカ人、1人がオーストラリア人です。この3人の先生は、全員今期(9月)からなので「新しい外国人の先生の歓迎会」を23日金曜日の夜6時からやるので、私にも参加してほしいというのが、木曜日のメールでした。急に決まったことなので、申し訳ないともありました。金曜日は夕方までミーティングが入っていましたが、私もそのプログラムの教員ということで「30分ほど遅れるでしょうけど、行きます」と返事しました。前日の午後、急に決まったということは、金曜日の夜しか皆の都合がつかなかったからなんだろうな、と思いました。そして、金曜日の夜、6時半過ぎに学校の近くへ行き、そこからSさんに電話しました。でも、出ません。何度も電話しましたが、出ません。場所は、大学の近くと書いてありましたが、詳しくは当日電話することになっています。でも、出ません。仕方なく、多分出席しているであろう学科長に電話しました。そこで場所を聞いて、現地に向かいました。行ってみると、6人の見慣れた顔がありましたが、外国人の先生はいません。「あれ、外国人の先生はどうしたの?」と聞くと「GDさんは、前から他の予定があるそうで、SRさんは来ないそうです。」だそうです。あれ?そもそも予定を調整したんじゃないんだ?どうも外国人の先生と相談して決めたわけではないようです。そして「今、Iさん1人を待っているんです。」と言われました。Iさんは、シカゴ出身で「いかにもアメリカ人」という感じの英語の発音で、私にはちょっと聞き取りにくい英語ですが、それはそれで私には勉強にになるなと思っています。つまり、3人の歓迎会の予定だったけど、1人しか来ないというわけです。しかも、昨日決めたのに、鼻っから2人は来ないというわけです。Sさんに「私は6時半ころ電話すると言ってましたよね?何度も電話したけど、電話に出なかったの?」と聞くと「ああ、私は電話には出ないし、バッグの中に入れたままで、見てないわ。」だって。これじゃあ、「来て下さい」ってメール出しておきながら、当日は場所も私に知らせず、電話もできない状態にして、来れる方が不思議です。たまたま学科長の電話番号知っていたからいいけど、知らなかったら連絡はつかないでしょう。前日の夜のメールなのに、「場所は未定」でした。私は、モンゴル人だけのまま一緒に飲んだりして待ちました。ですが、30分以上たってもIさんは来ません。会話はほとんどモンゴル語だけで私は参加できません。誰も英語でなんか話そうという気はないのです。私は、隣に座っているアシスタントのGさんに聞きました。「Iさんは、この店を知っているの?場所がここだってこと知ってるの?」と聞くと「いいえ、知りません」と言います。「じゃあ、誰かの携帯電話の番号知っているの?」と聞くと「いいえ」と答えます。「何それ!だったら、Iさんは来れるはずないじゃないの!来たばかりのアメリカ人が、場所も電話番号も知らずにどうやって来るの?」とGさんに聞くと「私は知りません」と首をすぼめます。私は驚いて、学科長に言いました。「Iさんを皆で待っていると言うけど、場所も携帯の番号も知らないのに、来れるはずないじゃないですか!」と言うと、彼はちょっとびっくりして、モンゴル語でSさんやGさんに確かめています。そして「そうか、じゃあ、今日は新しい先生なしでやりましょう。」だって。更に、プログラム責任者のSさんも「私は、Iさんは来ないと思うわ。彼はこういうのには出そうもないから。」だって。「何それ?今日は新しい外国人の先生の歓迎会じゃないの?」と聞いても、笑っているだけです。これがモンゴル人の企画する「歓迎会」のやり方です。日本だったら、歓迎する相手の予定などを確認してから日程調整するのに、そういうことは全くやってないそうです。急きょ、前日の夜「歓迎会をやろう」と学科長が突然決め、それを基に関係者に連絡しただけとのことです。しかも、場所も連絡先の電話番号も知らせずに。こんなんじゃあ、来るはずもありません。それにしても、事務処理能力といい、段取り力といい、だれでもちょっと考えれば(考えなくても)わかることを、誰も考えないし、予測もできないようなのです。結局、誰一人歓迎会の主役たちが来ないのを気にする人はおらず、ただお話して食べるだけの会でした。しかも、外国人は私一人なので、モンゴル語での会話のカヤの外です。「あーあ、モンゴル人のしょうもない誘いに簡単に乗って来た私もまだ修行が足りないな」と思いました。ただただ、つまらない時間を過ごして帰るのみの「歓迎会」でした。こういう出来事が「ある特定の個人」が理由なのではなく、モンゴル人なら普通に誰にでもある話であるというところが、問題なんです。でも、変わらないでしょうね、こういう面は。
2009.10.25
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先週木曜日に始まった大学院の授業は、結局1年前のことを何も生かすことなく同じことが起こってしまいました、というのは先週のブログでお知らせした通りです。英語で授業をやるという知らせも何もせず、ただ日程と教師を決めればいいという感覚の事務局がいるだけなのです。6月過ぎから担当者には何度も話していたにも拘わらず、まったく対応はしていませんでした。学部長も含め、この大学はユーザー志向というか、「学生が第一」という感覚はほとんど持っていないようです。まさに供給者の論理中心で、生徒が困るとかということにはあまり関心を持っていません。で、15日木曜日は大学院の授業の第二週でした。先週の授業の翌日、私と同部屋の学科長とも話し、昨年と同じくS先生に通訳をお願いすることになりました。ですが、Sさんは既に自分の授業など予定が固まっており、最終的には授業の時間を遅くし、夜7時半に終わらせるクラスとなりました。ところが、15日当日の午後2時半ころSさんがやってきて、今日は行けないと言います。理由を聞くと「若い教師のティーチングについての研修がある」からだと言います。私はそんな大学内部の事情なら授業を優先すべきだと言うとSさんは「私もそう主張したが、授業よりもこっちの研修の方を優先しろ、と言われた。」と言います。私は「またか」という気持ちになりました。こんなことは、この学校ではよくあることでした。私も以前何か会議に出ろと言われましたが、授業があると言って蹴ったことがあるからです。ですが、Sさんもモンゴル人というか、この大学に染まっているので上司の命令に背くことはできないようです。私に言わせれば「そんな教員向けの研修を授業時間中に行う方が間違っているわけで、終わってから9時でも10時まででもやればいい」と思います。結局、再び通訳なしで授業に臨みました。しかも、事務局から「時間変更に伴い、使用教室も変わりました」とメールが来ていたので、指定された教室に行くと、鍵がかかって入れません。事務局に電話すると「わからない」しか言いません。まったく、誰も授業開催に対して責任を感じる人がいないのがここの問題です。 しばらくして、事務の女性と思われる人がやってきて「あなたの教室はここではなく、あっちです」と言います。それは先週と同じ教室です。私が「こっちに変更になったとメールが来ていた」というと「あの人は、何もわかってない人ですから」と事もなげにいいます。ま、私はいつもその「何もわかっていない人」と交渉しているわけです。クラス開始となりましたが、やはり先週と変わらず、ほとんど誰も英語はわかりません。1人だけ英語がわかる生徒がいますが、さすがに授業の通訳まではできないでしょう。仕方なく、事務的なことやケースの配布などを行い、その部分だけその生徒に通訳をお願いしました。つまり2週連続で同じことが起き、しかも誰も気にも留めていません。途中、学科長にも電話しましたが「じゃあ、その分どこかで授業を増やせばいい」というだけで、本質的な部分、つまりなぜ授業よりも急に召集された研修の方を優先するのか?には関心がないのです。私はSさんに「一体、その召集の責任者は誰だ?」と聞きましたが、なかなか答えませんでした。最終的に、超古典的、社会主義そのままという雰囲気のZ先生という女性の先生であることがわかりました。私もなんとなく、そこまで馬鹿な発言するのは彼女くらいだろうと思っていただけに、「やっぱり」という感じでした。多分、こんなことで頭に来るのは私くらいなもので、他の先生たちは授業が急に取りやめになっても、それが上司の指示であればあまりおかしいとは思わないようです。民間企業とはもちろん違いますが、あまりにユーザー不在の論理思考を持つ人が多いのには呆れます。というわけで、私の授業はどんどん遅れるばかりです。
2009.10.15
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8日のことです。この日からいよいよ大学院の授業が始まります。昨年のことを思い出すと、それは大変でした。ビザの関係で来蒙が遅れ、とにもかくにも10月の確か9日だったかな?とにかく、その日から始めました。事前に、学部長と事務局(大学院の責任者)とは日本とのメールのやり取りで、いろいろ確認していました。確認したのは、私の授業ではケースを使い、これらは全部英語で書かれており、私の授業も英語で行うことです。学部長は「大丈夫です。うちの大学の大学院生は皆英語ができますから」と言ってました。念のため、大学院プログラムの責任者であるBさんにも「生徒にはその旨きちんと伝えてほしい」と再度確認しました。そして、いよいよ授業の日です。私は昨年の最初の授業についてのブログを読み返しました。http://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/200810090001/まさに、この時と同じことが再現されました。英語で問いかけても、全く反応がありません。「私が言ってることわかりますか?」と聞いて「ノー」と言える人が、レベルが一番高いようです。目の前の女子生徒に、ゆっくり「わかりますか?」と聞いても、「ノー」すら言えないレベルです。他の生徒もほとんど似たようなものです。昨年の最初授業の時から、私は何度も責任者のBさんに「ちゃんと、この授業は外国人が英語でやると書いてください。」としつこいくらいに言ってきました。もちろん、8月にも9月になってもその件は伝えてきました。学科としても、今回は英語できる生徒だけでやるから通訳は付けないとBさんにも確認してきました。ですが、結果はこの有様です。その後、何人か生徒が遅れて入ってきて、結局この日は9人となりました。後から来たうちの一人の男性だけが英語を話せるのですが、他は完全にダメです。その通訳の生徒を通じて、いくつか聞いてみました。まず、私の授業が英語であることを知っていたか?答えはノー。先生が外国人で、モンゴル語は全く使わないことを知っていたか?もちろん、ノーです。私は英語のできない生徒をどうこうは思っていません。ただ、英語ができる生徒じゃないと、私の授業は成り立たないことを知っていながら、何もしてこない事務局に呆れてしまうのです。結局、1年前の経験を生かして2年越しでお願いしてきたことは、何一つ改善されていませんでした。昨年と全く同じように、その教室からBさんに電話しました。Bさんの反応は、別にどうってことないって感じです。私が「生徒はこのクラスが英語だって誰も知らないよ。」というと「それは生徒の問題です。」しか言いません。更に彼は「では、今日は普通に授業やってください。今後のことはまた相談しましょう。」と言います。私が「言葉がわからないのに、授業なんかできるはずないでしょ?何言ってるんですか?」と言うと何も返事しません。とにかく、電話口からは「それは困った」という切迫感はまるで伝わってきません。とにかくこういう事例が多いのです。事務局は「時間と教室さえ決めれば、後は知らない」という態度です。一緒に問題を解決しよう、などという姿勢はないのです。更には、またしてもビザ問題が起こっています。ビザは大丈夫と言われていたのに、また対外折衝部の怠慢で、いつになるかわかりません。というか、新しいパスポートに切り替わったのに、ビザは期限切れの古いパスポートにしかないことをなんとも思っていないのです。私が「新しいパスポートにビザがないと使えないじゃないですか?そのためにわざわざ再申請したんでしょ?」と言っても「わかりません。」しか言いません。1年間のビザのはずが、来年4月までで、しかもそれは古いパスポートに貼ってあります。新しいパスポートにしろと言われて、更新したのにこれでは何もしなかった時の方がましです。とにかく、この国、この大学では、あまりに事務処理が「子供の使い」的なことしかできなことに、いつも驚きます。というわけで、先月中旬以降、パスポートが私の手元にあったのはほんの数日だけ。今も、どこにあるのかさえもわかりません。私が「どうして?」と聞くと「あなたは私たちの指示に従えないのですか?」とパスポートを人質に強硬発言に出ます。私が「あななたちは、外国人をサポートするために仕事してるんでしょ?」というと「いいえ、決められた仕事をしているだけです。」だって。うーん、ここにはまだ社会主義が生き残っているようです。結局、授業は男子生徒の通訳の助けを借りて超初歩的な戦略についての話をして、一応終えました。救いは「ここの生徒は皆、先生の授業に参加できることを望んでいます。来週からも、なんとか続けてください」とその通訳の生徒を通じて言ってもらったことくらいでしょうか。パスポートは?さあ、今後どうなるのかさえもわかりません。学科長に相談したら「じゃあ、私が話してみる」とは言いましたが、その後何もありません。この国での最大の頭痛のタネはこれら一連の事務局、事務処理関連のひどさです。
2009.10.09
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大学での話ですが、日本でならごく当たり前にできるようなことが、この国では一仕事です。例のイギリスの大学の授業の話です。私は9月のスタート以来、月、火、水の各日に1時間ずつ授業をやってきました。その際、何度も「全体のスケジュールを見せてほしい」と頼んもできました。ですが、いつになっても出てきません。しかも生徒と私に渡した「生徒用のガイドブック」が、先生用のテキストや用意されたスライドと内容が異なっているのです。授業は開始したものの、全体像がわからないままです。で、テキストなどをひっくり返しながら、すべての授業やゼミナールに必要な計算をしてみました。すると、とても前期の間には終わらないのです。私がその旨事務局に伝えても「あ、そう。」だけです。「前期の間に終わらなくていいの?」と聞くと「それは困ります」と答えます。私が「だから前からスケジュールを出してほしいと言ったんだよ。」というと「あなたはどうしたいの?」だって。私がどうしたい、という話ではなく、学校としてどういう計画を立てているのかの問題でしょう。要するに、全体のスケジュールや必要時間など考えずに、曜日と先生だけ決めてるだけなのです。私が「そもそも毎日1時間だけは非効率だから、毎日2時間にして欲しい。そうすれば、前期のうちに終えることができるから。」と言いました。9月から、1日2時間化は話してありましたし、9月下旬に「すぐは無理だろうから、10月からにしましょう。大丈夫ですか?」と事務局に言うと「はい、わかりました。10月5日からで大丈夫です」と答えました。「私も授業中に生徒へ伝えるが、事務局からもその旨、生徒全員に伝えてほしい」とお願いしました。そして、今週5日から1時間開始時間を繰り上げ、2時間制を始めようとしました。その月曜日の昼です。私が開始する2時10分は、今までアメリカ人のG先生の英語の時間だったので、その旨確認しました。「G先生の授業は大丈夫?私の授業とは重ならないよね?」と。教室が同じなのです。イギリスの大学の授業は教室が決まっているのです。「え!教室?それは大変、G先生に言わなくては。」というではないですか。私が「え?だって先月末からこの話出ているじゃないの?今日からだよ。どうするの?」と聞くと「わかりました。G先生に話します。」と言いました。昼食後、戻ってきて2時に教室に入ろうとすると、まだG先生がやってます。」私がG先生に「今日からスケジュールが変わったのをご存じですか?」と聞くと、驚いた様子です。「事務局から聞いてないですか?」と聞くと全然聞いてないと言います。つまり事務局はG先生に何も言ってないのです。結局、月曜日から私の授業をその時間にやることになりました。すると、火曜日にまた事務局のSさんが私のオフィスにやってきました。「G先生が、あの後なんか面白くないようなこと言ってるんだけど・・」と私に言ってきます。私は「そりゃあそうでしょう。Gさんに事前に言わずに突然変えるんだから。なんでその前からちゃんと調整してなかったの?」と言いました。事務局の人の言い方は、まるで私が彼を追い出したような口ぶりです。事務局は、私に頼まれて無理やり変えさせられたように言ったようです。なんとまあ、ひどい話!そんなこんなの原因は、すべて事務能力というか、当たり前すぎることを全くやらないからです。全体の必要時間がどのくらいかとか、ある授業の時間枠を動かそうとすれば、他のクラスに影響が出るのは当然ですが、そんなことを全く気にもしてないことに驚きです。 目の前の「2時間にする」ということだけを「わかりました」と言うだけで、それが何に影響し、事務局として何をしなくてはならないのか、という想像力が全くないのです。こういうことが「個人的なミス」とは思えないのが、モンゴル人の困ったところです。これに似た状況はいろんな場面で見るからです。8日の授業もそうでした・・・
2009.10.08
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明日から授業が始まります。例によってこの大学の情報連絡は全然だめです。9月1日が新年度の始まりなのですが、その時点でも私の今期の授業の日程や科目は決定していませんでした。もちろん、私はこの程度のことは予想して早めに「来季はどうする?」と聞いてはいましたが、モンゴル人にとっては夏はほとんど非稼働期間なのです。しかも今年度から経営学科長が代わりました。今までのBさんから、新しいBさんです。なんと名前が同じなのです。モンゴルでは通常は名字では呼びませんから、日本的にいえば「下の名前」が同じということです。しかも、前任は女性で、後任が男性なのです。少しややこしいですが、仕方ないです。私の授業について、新しい学科長に聞くと「前任と話してください」というし、前任に聞けば「新しい学科長に聞いてください」という始末です。なので、この混乱に乗じて?私は「じゃあ、去年と同じにしましょう。」ということを提案し、そのまま決定となりました。今年度の前期が大学院生向け、後期は学部生向けとなりました。ですが、そんなに話は甘くはなく、これに加えて英国の大学と提携しているプログラムもやることになりました。これは英国の大学と提携しているプログラムで、モンゴル国立大学に所属しながらこのプログラムを受けると英国での大学卒業資格と同じものが与えられるというものです。このプログラムのメリットは、ヨーロッパへ留学したいときには特に試験もなく、ヨーロッパの大学と同等の卒業資格を得ていると認められるので、大変容易にできるということです。なぜなら、一般的にはモンゴルでの卒業資格では、即座に大学卒業レベルと認められない場合があるのです。授業は当然すべて英語です。英語の先生や文化、歴史などはこのプログラム専用に外国人(アメリカ人など)を呼んで行っています。ですが、経済や経営の分野では英語で授業をやってくれる先生がいないとのことで、7月ごろからいつも授業の通訳でお世話になっているSRさんにお願いされていました。「ティーチングノートなど整備されてるから簡単よ。」と言われ。「すぐに送っておくから見ておいてね」と言われたのが7月です。ですが、結局メールで送られて来たのは8月31日です。とてもじゃないが、9月からなんてできっこないです。9月1日にその旨を話すと「ああ、授業は冬休みの特別講義になると思うわ。その頃、何か予定ある?」などと聞かれていました。ところが、先週木曜日に「あの授業、来週月曜日からになったからよろしくね。」だって。「え?冬休みじゃなかったの?12月って言ってたよね?」というと「あれ、そうだたっけ?でも、来週に決まったの。」です。しかも実際に授業で使う資料は結局11日金曜日に受け取るというタイムスケジュールです。いくらなんでも、一度もやったことのない、しかも英国の大学が作った資料通りに授業をやるなんて、しかも英語で、しかも資料を手にしたのがたったの3日前で・・・と不満と不安たらたらですが、明日にはやらないといけなくなりました。ちなみに科目名は「Introduction to Business」です。内容を見て「ああ、これなら得意の漫談でいいかな」と思っていたら、なんとイギリスの大学の北京事務所から、なぜか私の科目が「レビュー授業の対象」になっているのだそうです。特別な試験などを通じて、全体のプログラムが上手くいっているかなどをチェックするのだそうです。どんな試験かは、担当する教員(私のこと)にも教えないそうです。うーん、そうなると漫談やってる暇ないです。なんだか受験用の授業みたいでつまらなくなりそうですが、ま、そういうのをイギリスが望んでいるなら仕方ないでしょう。なので今(前日の夜)、テキストなどを見ています。ヤバイ、わからない単語があります。しかも、全体が英国調です。企業や組織の例も英国のものばかりです。いいんですかね、こんな先生が教壇に立って。とにかくやってみます。生徒は全員英語ができるので、通訳はなしだそうです。帰国子女など、英語が上手い生徒がいるんだろうなー。質問を聞き取れないといやだなー。まったく困ったもんです。日本では英語ができないと自他ともに認めているこの私が、無謀にも英国のプログラムを担当するなんて。ま、ダメならサッサとクビにしてくださいっていう心境です。
2009.09.13
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「今年の夏はおかしい」と多くのモンゴル人が口にします。モンゴルは梅雨は無く、6月の中旬から8月の中旬が盛夏なのです。ですので、今頃はうだるような暑さのはずなのですが、ここ数日は厚い雲に覆われたお天気が続いてます。しかも先週の今頃はエルデネットで寒い思いをしていましたが、聞けばウランバートルではもった寒かったようで、一部では雪も見られたそうです!6月中旬過ぎに雪!は、いくらモンゴルでも普通ではないそうです。これが日本なら「今年は冷害かな。お米の収穫に影響してしまうな。」と思うところです。こちらでは、「このままだと、草が良く育たず、秋にかけて家畜が十分に太らないかも知れない。」という言い方をします。今は草原は緑で綺麗ですが、こんなお天気では8月になるといつもより早く草原が黄色くなってしまうそうです。やはりどこの土地でも「例年並み」のお天気というのは重要なのです。そして好き嫌いにかかわらず、夏は夏らしく暑いのがいいのでしょう。そんなことを考えながら、今日午前の会議を終えて車に乗り込んだら「暑い!こりゃあ、まさに夏だ!」という車内状態でした。いよいよ遅まきながら本格的な夏の訪れなんでしょうか?ランチは、「ベランダ」というウランバートルでは珍しい、ちょっといい感じヨーロッパの田舎にありそうなイタリアンレストランで、友人のBさんと一緒にしました。仕事の話が中心です。このレストランは、昨年来私もよく来ていますが、大体いつも3分の2くらいが外国人です。値段は、他のカジュアルイタリアンよりはちょっぴり高めですが、いわゆる高級レストランほどではありません。サラダとパスタとコーヒーで、1400円くらい。日本人の感覚では「まあ、普通だろうな」というところでしょうが、いつも申し上げるとおりにサラリーマンの平均賃金が2-3万円ですから、そりゃあ高いです。メニューは何にしようかと迷っていたら、ちょうどBさんの知り合いのイタリア人が隣のテーブルにいたので、私は挨拶もそこそこに「あなたのお勧めは?」と聞きました。ショートパスタを勧められたので、それにしたら美味しかったです。これなら日本レベルと言っても問題ないです。私は自分からショートパスタを頼むことはまずないので、ちょっと新しい発見でした。ただ、ウランバートルは狭いですし、しかも外人社会はもっと狭いので、私ですらここへ来るたびに結構な確率で見たことある日本人と顔を合わせます。今日もそうでした。ちょっとした有名人のBさんですから、今日もほぼ四方全てに知り合いがいました。「だから、ここはプライベートではなかなか使えないんですよ。」と言うのもわかります。ま、お忍びデートは無理でしょうね。今日は名前の由来どおり「ベランダ」(2階にあります)で食べました。外はかなり日差しが強く、暑さを感じますが、ベランダのテントの日陰の中ではかなり涼しいです。これが日本だったら、湿度のせいで、たとえテラスの中でも暑いことは暑いでしょう。ハワイなどの日陰と同じで、湿度が低いとちょっと日陰にいるだけで快適です。ランチを終えてパソコンを見たら、英語の通訳をしてくれているSRさんからメールが来てました。「今日は夏季手当てが出るから、学科の人たちは皆集まっていましたよ。」とありました。例によって「聞いてないよ、そんなの!」です。「昨日、オフィスへ行ったときには誰もいなかったじゃない!」と言ってもしょうがないです。誰も私には連絡はしてくれません。そもそもそんな制度があるとは知りませんでした。多くの先生方は、給与を未だにキャッシュで受け取りますから学校に揃ったのでしょう。きっと私がサラリーマン時代に経験した「賞与の日の課長の挨拶」みたいなのがあったのだと思います。あの頃は「ありがたい挨拶に聞こえたなぁ」と思い出します。私は日本での習慣から銀行振り込みにしてもらっています。で、早速銀行で残高チェックをすると「おおー、確かに思わぬ額」が入っていました。給与1.5か月分以上、1.7月か分くらいの額が振り込まれていました。思わぬ額といっても、当然日本円にしたら高校生のコンビニのバイト数日分でしかないでしょうが、ローカル給与生活者の私には大金に見えました。やっぱりこういう一時金はありがたいものだと、つくずく感じました。明日はモンゴル2回目のゴルフですが、ゴルフ代が助かりそうです。但し、先ほど連絡が来て「雨天中止。今のところ、雨天の可能性大」だそうです。どうなるでしょうか?きっと普通の会社にも夏季手当があるのでしょう。そしてどこの家庭も、何に使おうか相談しているのだと思います。ちょっと幸せな時間ですね。この国が、絶対金額(日本円に換算して)でも豊かになる日はまだ遠いかもしれませんが、そんな日か来たらいいなと願っています。
2009.06.26
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29日金曜日の夜は、経営学科の設立50周年パーティでした。例によって、私への連絡は直前の1日前でした。「パーティなんだから、もっと前から準備しているはずでしょう。なのに、なんで連絡は前日なんですか?」と連絡係のSSさんに聞いても「さっき学科長から連絡するようにと言われたので・・・」しか返ってきません。しかも「contribution」という名目の会費も結構高いのです。なんでも寄付があまり順調に集まらなかったから、教員にしわ寄せがきているようです。モンゴル国立大学自体は、設立後67年たっているのですが、経営学科は今年で50年なのだそうです。50年とか60年とかの歴史は、日本の大学から見ると随分短いような気もしますが、長い間ほとんど草原の国であったこと、近代では満州族(清)に占領されていたことなどを考えると、やはり長い歴史なのでしょう。もちろん、モンゴルでは最も古い大学です。場所は、ウランバートルホテルで行いました。有名外資系は、シャングリラやヒルトンが計画中・建設中ではありますが、まだ本格的なホテルは来ていません。ですが、民主化以降、近代的なホテルが随分増えました。このウランバートルホテルは、社会主義時代の代表的なホテルで、最も格が高いホテルとして長年君臨してきました。今も、外見や内装は重々しさを感じさせます。数年前に一度だけ泊まったことがあります。その時感じたのは、重厚な外見や1階、2階の立派さに比べて、個室はなんだか日本の田舎のビジネスホテルみたいだなと思いました。友人のBさんによれば、ロシア式は共有部分は立派だけど、部屋は大したことないのが多いのだそうです。当然、17時とある開始時間が守られるわけもなく、私も18時ちょっと前に到着しましたが、それでもまだ始める雰囲気はありません。ですが、周りはもう一杯やってるテーブルもあります。全体での乾杯の挨拶とかがないので、着いた人から勝手にやるのが流儀のようです。待っている間、ステージ上のスクリーンには写真がスライドショーの形でどんどん映し出されています。よく見ると、なんと半分近くが私が撮った写真です。昨年末のパーティ、皆で郊外へピクニックに行ったときなどの写真です。撮った写真は全部、通訳してくれてるSRさんのパソコンに入れていたので、それを使ったのでしょう。ま、私もこういう形で少しでも貢献できたのは嬉しいです。20分ほどしてテーブル席がかなり埋まり、パーティの開始となりました。司会はいつもの二人です。一人は、私の授業で通訳をしてくれたSSさん。もう一人は、昨年まで大学で講師をしていたのですが、今は民間企業に勤めるKさんです。二人とも、大学関係者としては若い男性です。最初に学科長のBさんからの挨拶がありました。当然ですが、全てモンゴル語で内容はわかりません。私はもう一人の外人教師である英語の先生のアメリカ人のSさんと隣合わせで座ってました。会場には100人を超える人たちが来ていました。聞けば、昔の先生たち、関係者、そして卒業生OBも来ているとのことです。更には、他の学科の先生らも来ていました。学科長のBさんの挨拶の後、年配の先生(現役&OB?)らに花束贈呈がありました。若い先生たちが、先輩に花束を贈っています。会場はこんな感じです。この光景は日本のホテルとあまり変わりません。お祝いを受けた人たちです。このほとんどの人たちは、社会主義時代に教育を受け、民主化後、経営学科の先生となったのです。相当な苦労があったのだろうと思います。テーブルには前菜の後、肉料理が運ばれてきました。牛肉のカツレツです。ミラノカツレツのように、肉を叩いて引き伸ばしたようで、柔らかくておいしかったです。お酒は、ビールにウォッカにワインです。ウォッカはもちろんストレート。乾杯しようと何度か声かけられましたが、その気になって飲み干してたら、体が持たないので途中からワインに切り替えました。カツレツで十分と思いましたが、続いてのメインも肉料理なのにはちょっと閉口しました。さすがモンゴルです。食事の合間は、ショーなどがありました。若い男女が飛び出してきて、踊りだしました。なんだか民族ダンスのような感じです。よく見ると、生徒たちのようです。しかも、ほとんどが私のクラスで教えた人たちです。なかなか、いい感じで踊ってました。いつの間に、こんな練習してたんでしょう?続いて、歌手の登場です。上手なので、プロの歌手かと思いましたが、Tシャツ姿です。聞けば、経営学科の卒業生で、今ではモンゴルでは結構有名な歌手になっているそうです。確かに、日本でもどこの大学でも一人や二人は有名な歌手がいるものです。その後は、テーブルを替え、席を移りながらお酒を飲んだり、フロアーでダンスしたりでした。私は途中から、席を移動し、前学部長と現学部長がいるテーブルに行きました。二人とも日本語ができるので、コミュニケーションが楽です。二人に「アルムナイはあるのですか?こんな歴史がある大学なんだから、あるでしょう?」と聞くと、一瞬「は?」って感じでした。私が「同窓会ですよ。慶応にも京大にもあるでしょう?」というと「ああ、同窓会ですね。日本はそういうのありますね。でも、この大学にはないです。以前、一度そんな話も出ましたが、できなかったようです。」と言ってました。「大学全体のはないですね。各学部がバラバラでそれぞれが勝手にやるので、まとまらないんです。」とも言ってました。確かに大きな総合大学は、意見がまとまるのは難しいのでしょう。最後に、学生らがいるテーブルに行きました。たった一つのテーブルに、ぎゅうぎゅうに座っていました。ほとんどが、私のクラスでの受講生です。ちょっと驚いたのが、私が行ったら、皆がものすごく喜んで、すごいのです。何がすごい?って、私の近くにぎゅうぎゅうになりながら、迫り寄ってきて「先生の授業は最高でした」「先生は人気がある」「大好きです」とか、なんだか嬉しいセリフが続くのです。確かに、大学院の生徒と違って、クラスでは少人数で議論することも少なかったので、こうして向かい合って話す機会はありませんでした。男の子も女の子も「私はOOです。先生、名前覚えてる?」とか「日本にすごく興味を持った」とか、顔を目の前に接近させながらどんどん話しかけてくるのです。授業中には全然見えなかった顔が見えて、楽しかったです。やはり日本に関する知識欲は相当あるんだなとも感じました。そんなこんなで、とうとう12時近くになってしまいました。ワインを飲み続けたせいか、結構酔っ払ってます。そのままタクシーで帰りました。家のベッドで一段落してると、SSさんから電話があり「ヘイ!どこにいるんだよ?これから飲みに行こうぜ!」って誘われましたが、もう半分まぶたがくっついていたので、「ごめん、今日はもう寝ます。また行きましょう。」とそのまま朝まで眠りこけました。50周年、おめでとうございます。
2009.05.29
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この大学の情報の連絡方法が、未だに全くわかりません。以前にも本ブログで少し書きましたが、この大学の連絡方法は全くもってわかりません。先日、学校へ行って部屋で仕事してると授業で通訳のサポートをしてくれてたSSさんがやってきて「写真撮るから、20X号室へ行きましょう」と言いました。「写真?何それ?何のため?」と聞いても「良くわからない」と言います。私はその日は授業はなく、かなりカジュアルな格好でいました。行ってみると、私以外の先生は全員スーツ姿です。私が「この格好はまずいんじゃないの?」と聞きましたが「大丈夫だよ」と言われるだけです。まずは、一人ひとりの写真を撮ります。次に集合写真。そもそもこの時間に私がたまたまいたからいいようなものの、いないとどうなるのでしょうか?私が再度「これは一体何の写真ですか?」と聞きますが、そもそも英語ができる人がいないので、まだよくわかりません。集合写真の時に、なぜか学生が入ってきました。カメラマンと人数の確認をしています。SSさんもようやく全貌がわかったようです。これは卒業写真に使うのだそうです。そして、今不在の5人の先生については、集合写真内でとりあえずダミーで学生を撮っておき、後から首を挿げ替えるというわけです。本気?いくらデジカメでも、そんなことを大学の卒業写真でやるの?と思いましたが、なんでもありのモンゴルですから、やるのでしょう。そもそもなんで事前連絡しないのかよくわかりませんが、どうやら一部は連絡受けていたようです。私がその旨(連絡方法など)をまわりに聞いても、だれも答えてはくれません。今日写真撮影に参加してない先生も、そもそも連絡受けてないのではないかと思いました。今日の授業もひどかったです。今日の2コマ目の授業には誰も来ませんでした。もともと少人数しか集まらない時間ではありますけど。で、なぜかと調べると「ダブルブッキング」なんだそうです。「はあ?ダブルブッキング?何それ?」と聞いても、まともな返事は返ってきません。なんでも、金曜日のその時間に、他の先生のコマが入ったのだそうです。しかも、それがテストの日なんだそうです。「私のクラスは、金曜日のこの時間で、全然変わっていないのだから、その先生が突然、日程を変更したのですか?」と聞くと、そうではないという。で、よく聞くと、私の金曜日の授業を二週間に1回と勝手に思っていたそうです。私が「誰がそんなことを言ったのですか?私は、2月の上旬に全日程を渡していますよね?そこから変更はしていません。」と言うと、「スケジュール作成の担当者はそう思ってしまったそうです。でも、彼女はアシスタントもないので、とても忙しいから仕方ないんです。」だって。「じゃあ、私はどうすれば良かったのですか?」と聞くと「あなたには問題ありません。彼女は忙しいから仕方なかったのです。」と、結局犠牲になるのは生徒たちです。こういう思考回路では、業務改善なんて絶対にできないだろうなと思いました。このことを問題だと思ってないのですから。更に・・・今朝、学校へ行くと「あなたのクラスのテストの日は6月12日です。」と突然言われました。「テスト?誰が決めたの?」と聞いたら、そのスケジュールを管理している人が決めたらしいのです。私が、私の通訳をしてくれているSRさんに「一体、どんなテストをやれって言うの?英語でテストしたら、半分以上の生徒はまともに書けないでしょう。それではあまりにも不公平です。全部モンゴル語にしたら、採点はあなたがやらなくてはならないんですよ。私はそんな負担をさせるつもりはないです。」と言いました。だから、前回と今回「アサインメント」という形で課題を出しているのです。生徒も1週間あれば、英語化できるでしょうと。と、そんな話をした直後に生徒がやってきて「6月12日にテストがあるって本当ですか?」と聞かれ「ああ、私も今聞いたところだよ。」と答えると、生徒も驚いていました。結局、事務局に相談してもらって、午後その結果を聞きました。「英語での試験が難しいのはわかりました。」だそうです。「で、私はどうすればいいの?試験するのしないの?」と聞くと「あなたが決めてください。」だって。だから、私はこれも2月の時点で、試験にはせずにアサインメント、ゼミナール発表(計7回ある)、出席状況なので成績を決めるとはきり言っていたのに・・・で、結論は試験なしにしました。元々私の授業では、振り落とすための授業は考えていませんでしたから。でも、きちんと出席し、ゼミナール発表も7回やって、アサインメントも2回とも提出する、という人は多分半分もいないでしょうから、テストなんかしなくても成績は付けられます。これらはいつものことですが、本当にこの学校の連絡方法はどうなっているのかわかりません。全員メールアドレス持っているのですが、なぜか全然使われないのです。モンゴル社会がこうなのか?この大学がこうなのか?まだ良くわかっていませんが、民間企業の人とは私はほとんどメールで連絡とってますから、多分この大学固有の問題なのかもしれません。
2009.05.15
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最近、時間がたつのがすごく速く感じます。もちろん、日本にいたときから年々感じていましたが、それとはちょっと違う感覚です。モンゴルで、大した仕事もしてないのに、ルーチンやいろんなことがあり、あっと言う間にまた週末です。今週は、ほとんどブログを更新する時間もなく過ぎていきました。ところが不思議なもので、忙しくばたばたしているときの方が、特に何もないのです。正確に言えば、ブログに書くようなことはないのです。ただ、目の前に来た「すること」をこなしているだけだからでしょう。今週は、日本人でこちらで起業し、大きく育てられた方に会いました。モンゴルへ来て、10年ほどでおそらく日本企業としてはもっとも成功している会社を経営されています。今頃やってきた私などと違って、もっと混沌としていた時代からモンゴルにコミットしていたのはすごいです。今も、日本との頻繁な往復をこなして「なんとか日本とモンゴルの両国に貢献したい」とおっしゃっていました。成功して「貢献したい」と思うようになったのか、「貢献」そのものが目的で起業したのかはわかりませんが、いずれにしろビジネスパーソンにとって、いかなるきれいごとも成功して初めて実現出るわけで、そういう点では素晴らしいと思いました。モンゴルに限らず、ベトナムにもタイにもマレーシアにも、今のような豊かになる以前からコミットしていた日本人は多いのだろうと思います。起業家精神は日本人には欠けていると言われますが、少ないながらも多くの国でチャレンジしてきた人は多いのでしょう。大企業の駐在員として生活を保証されながらやってきた人たちとは少し違い、やはり本質的に考える部分が深いようにも思えました。とはいえ、生活の保証がなければ、いい仕事ができないのも事実でしょうけど。私の方はどうか?今の仕事で金銭的成功どころか、日本の高校生ののアルバイト代にも大きく負けるような状態ですから、そんなことは期待していません。今週も、学部長らとプロジェクトのミーティングをやりました。今度は、私の下に8人ほどつけるので、自由に使って欲しいと言われ、顔合わせをしました。そうは言っても、この人たちで本当に何かを成し遂げることができるのか、は正直大いに疑問です。ですが、私が動かないと、きっと何も動かないでしょうし、「半分は無理だろうな」と思いながら、今後の方針などを説明しました。人材育成というのは、本当に重要だとこういう国へ来ると思います。日本のようにあるレベルのスタッフが集まってくれる環境というのは、本当にありがたいことだと、今更ながら感じてます。しかも、英語が通じる人は一体どのくらいいるのでしょうか?半分かな?昔の自分もこう思われてたんだろうなと、ちょっと悲しいです。こういうのはまさに「貢献」以外に、何もモチベーションはないのですが、もうちょっと湧き出てくるかなと自分に期待していたのですが、まだそうでもないのが正直なところです。ま、綺麗ごとで言えば、10年後の人材育成に貢献したいというところかもしれません。いや、自分で湧き出なくても、私という人間が求められれているという事実にモチベーションを感じているのかもしれません。過去、ほとんどの仕事は「求められたから、やりました」というのがほとんでしたから、私にはそういうのが合ってるのかもしれません。「ビジョンに向かって一気に進んでいく」という生き方とは違う、別の生き方ですね。
2009.04.18
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今週火曜日の授業の後、通訳をやっていただいているオーストラリア帰りの先生であるSRさんから「今度の勉強会、あなたの発表できる?」と言われました。聞くと、経営学科の先生たちで時々勉強会をしているのだそうです。その中で、私に何かやってほしいと言う声が上がっていると聞きました。実は、この手の話は昨年から何度も言われていました。その度に「いいですよ」というのですが、頼んだ方も忘れているのか、その後なしのつぶてで終わるというのがパターンです。私のほうも、準備とかあるので「あの件はいつやりますか?」なんてわざわざ聞きません。大体、そうなると立ち消えになるというわけです。ここでは、思いつきで何かを言う人は結構多いですが、その後のフォローは誰も気にしてません。SRさんからの話も昨年言われたのと同じでした。「あなたの担当している科目の内容を皆が知りたがっているから、それを発表してください。」と。昨年は、それと別に「ケーススタディでの議論の進め方を教えてほしい」というのもありましたので、「内容ですか?それとも教え方ですか?」と確認すると内容の方だと言いました。私自身にとっても「日本企業経営」というのは新しい科目で、しかも英語ですので、シラバスなどは最初に作りましたが、詳細な授業設計は走りながら作っているのが実情です。SRさんはその授業を通訳としてずっと一緒にやってますので、そういうこともわかっていると思います。私が「全部できてるわけではないけど、それでいいですか?」と聞くと「今までの部分をベースに、今後の部分は口頭でもいいでしょう」と言われました。それではと、ちょっと急いで新しい部分を追加で作り、なんとかストーリーとして理解できるレベルくらいにはしようと、火曜日以降取り組んできました。水曜日、木曜日と私の方が忙しく、SRさんに会ってなかったので、昨日木曜日に電話して、金曜日のことを確認しようとしました。ですが、なぜか携帯がつながりません。何度か電話してもだめでした。仕方なく、もう一人の通訳をしてくれてるSSさんに電話しました。なぜか、こちらもつながりません。SSさんが金曜日のことを聞いているかどうかを知りたかったのです。なんだか、ちょっと不安になってきました。それでは最後の手段と経営学科長に電話しましたが、これまたつながらず。電波の問題ではなく、出ないということです。多分、時間帯の問題なのでしょう。夕方かけたので、ちょうど皆帰宅途中だったようです。まず、学科長から電話が来ました。「私が、SRさんから明日金曜日に勉強会で話すように言われてますが、聞いてますか?」と聞くと「いいえ、聞いてません」だそうです。私は学科長も聞いてないんだったたら、明日は無理だと思い「わかりました。いずれにしろ明日はキャンセルします」と伝えました。次にSSさんから電話が来ました。同じく、聞いてないそうです。最後にSRさんから電話が来ました。私が「明日はやるの?皆は聞いてないと言ってるよ。」というと「もちろん、やりますよ。皆は知ってるはずです。」と言います。私が、「こういう会の中心である学科長やSSさんが知らないということは、他の先生は多分誰も知らないでしょう。」というと「明日の朝、連絡するつもりだった。」と言います。はぁ?当日の朝??どうもモンゴル人の感覚は、私には難しいです。このSRさんはオーストラリアにいたこともあり、話としてはかなりスムースに理解し合える人なんですが、それでもこの感覚です。結局「事前に知らせたほうがいいなら、来週にしましょう。明日、皆にそう伝えます。」と言われました。そもそもどうやって伝えるのか?未だにたった10人ほどの学科内の先生への連絡方法がわかりません。メールはその手段としては使われていないのです。多くの人がメールを見ているのに、多分何人かの古い先生が見てないからなのかもしれませんが、とにかく不思議です。なので、連絡の抜け漏れは日常茶飯事で、会議などの連絡も大体前日に突然電話が来るというのが多いのでしょう。来週に延期されたので、もうちょっと準備はできそうです。
2009.04.02
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31日火曜日に学長室へ行きました。私がいつもいるのは経済学部がある4号館で、学長室は4号館から徒歩10分ほどの1号館にあります。部屋へ入ると、既に4人が応接に座っていました。程なく学部長も合流し、会議が始まりました。学長の言葉は基本的にモンゴル語で、学部長が日本語に通訳をしてくれます。最初に学長が大学の事情などを説明しました。以前から何度か聞いていたのですが、国立大学であるにも関わらず国からの補助金というか研究活動費はほとんどゼロなのだそうです。つまり、全ての活動費は授業料でまかなっていると言ってました。なので、いつも財政不足で多くの設備(コピー機なども)も古いままです。研究基金のようなものはあるようで、それをいくつかのプロジェクトに使っているそうです。前回初めてこの学長を見たときの印象とは全然違って、とても人懐っこそうな優しい人でした。同僚のSSさんの話では、学長を誰にするかという時期(昨年後半)は結構どろどろした勢力争いがあったそうです。その辺も勝ち抜いてきたのでしょう。多分、もう教える現場にはおらず、何か新しいことをやりたいのでしょう。続いて、私が自己紹介をしました。聞く分には英語で構わないというので、私が話すときは英語で、学長が話すときはモンゴル語で、となりました。私の自己紹介を聞きながら、何度もうなずいていたのが印象的でした。私が元々アカデミックのバックグラウンドではなく、ビジネスマンだということもよく理解してくれました。この席には、バイオ関係の会社の社長も同席していました。どうもこの社長が「バイオやナノテクなどもっと発展させたいが、人材がいない。もっとビジネスで役に立つ人材を供給してほしい。」と学長に依頼したところが発端のようです。双方のニーズがあいまって、新しいプロジェクトを立ち上げたいという意向だということがわかりました。ただ、国立大学のような公的機関が1民間企業と組んで何かを設立するのはどうかと思いました。中小企業のオーナーによくあるタイプで、一見冷静でよさそうですが、当然ながら自社の利益を中心に考えているでしょうし、それはそれで当然だと思います。私は、1企業の意向やニーズで何かを作っても成功しない、そもそも一般民間企業は国立大学の教授に会えば「あー、先生ですか。素晴らしいですね。」と頭を下げてくれるかもしれないが、それは大学内での話。本当に民間企業からお金をもらおうと思ったら、古臭い国立大学の教授になんて誰も期待してないし、お金を払うはずもない。民間企業相手に何か商売するのはとても難しいことです、などと遠慮せずに話しました。すると、学長は「全くその通りです。我々にはできないでしょう。だからあなたにお願いしたいのです。」と来ました。しかも2つあるプロジェクトの両方を見てほしいと。この部屋には、学長、学部長、社長の他にちょっと若い2人がいました。この2人がそれぞれ別々のプロジェクトを担当し、私の指示に従うのだそうです。なんとも手回しがいいというか、話だけはどんどん進んでいるようです。一人はマーケティングの先生で、新しい学校の設立を担当します。もう一人は、ファイナンスの先生でこちらは企業向けのビジネスを担当します。「どうぞ、この2人を自由に使ってください」とは言われましたが、ほとんどイメージ先行で、具体像がなかなか沸いてきません。この先この話がどうなるかは全然わかりません。ま、せっかくのこの大学とのご縁ですから、私でできる程度の協力はしようと思ってはいます。帰り際、同席していた社長が「あなたがこの大学の中で活動しやすくするために、自分で好きなタイトルを選んでください。プレジデントでもシニアアドバイザーでもなんでもいいです。」だそうです。そんな面倒なものを正式に付けたら、私の自由度はなくなりそうなので、当面は遠慮しておきます。学長室を出て、学部長から言われました。「学長はあなたと会えて、本当に喜んでいます。日本から来た先生があなたのようなキャリアの人で、まるで宝くじに当たったようだ、と言ってました。」だそうです。多分、よく見たら宝くじの当選番号の1番違いだということが、後でわかるでしょう。どうも大きな誤解をしているようです。私に「丸投げ」すれば、簡単にうまくいくと思っているようです。そんなことは絶対にありえないのですが、学長は本当にビジネスを知らないようなので、そう信じてるのでしょう。ですが、なんだかとても良さそうな人なので、しばらくはお付き合いしてみることにしました。とはいえ、今の私には、明日の準備の方が重要です。とにかく毎日時間が足りません。ちなみに、この話は、多分2-3ヵ月後に「結局、あの話は消えました」となる確率が一番高いと思っています。
2009.04.01
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先週のある日、私の授業の通訳をやってくださっていた同僚のSSさんから電話がありました。聞けば「今日午後1時から、新経済学部長から会議があるので来てほしいと連絡がありました」と言うことです。実は、学部長が皆を集めて話すのは2回目です。前回の会議で、全てモンゴル語だけで、しかも発言する必要もなかった経験があったので(3月17日付け、本ブログ参照)「どうせ行っても、モンゴル語だけで話すだけでしょ?私はいいですよ。学部長とは個別で話しますから。」と言いました。ですが、彼が言うには「今回は全員ではなく、何人かを指名しているので、是非出てほしいと言われてます」だそうです。うーん、モンゴル語の授業の方が私には大事で意味あるような気もしますが、SSさんは伝言頼まれただけで、私が彼にそういう否定的なこと言っても彼が困るだけです。結局「わかりました。とにかく、行きます」と言って、その日の午後、行きました。行ってみると、顔の知らない人が結構いました。他の学部の人もいるらしいです。私の隣には、アメリカ人の先生もいます。今ではこの学部には、私と彼だけが外国人の先生です。しかも真ん中に座れと言います。何やら、単なるオブザーバーではなさそうです。会議が始まりました。最初だけ、この会議の趣旨を英語で少し説明していましたが、案の定、後はずっとモンゴル語オンリーです。しかも、最初に言ったのは「これから話し合うことについて、お二人(私たち外国人)にアドバイスをもらいたい」と言ってるのにです!始まってから、学部長の隣にいる古臭い感じの人がなんだか演説調でずっと一人で話してます。会議というよりは、単なる演説会か、所信表明みたいです。そもそもこの国の人たちは、会議の進め方を全然わかっていません。この国というのは大げさですが、この大学ではいつもそうです。議題は「思いつき」のように突然決まり、召集も突然。事前に資料などの準備は全くなく、その場で起案者が勝手に何か言ってるだけ。この会議も、誰も何も発言しません。こんな状態が1時間も続いているのです。私はいくらなんでも、つまらないわ、眠いわで、超やる気をなくしていました。会議中の態度としては不適切なほど「あー、つまんねぇ」という態度をプンプンさせていたと思います。「だから、こんな会議に来たくなかったんだよ」と強く思いました。結局、1時間ちょっとを過ぎたところで、私はその部屋を一人だけで出て、モンゴル語のクラスに向かいました。後日「あの会議はなんだったのか?」など、出席者に聞く気も起きず、「今後は、ああいう会議は呼ばれても出るまい」と思っただけでした。その後、学部長と廊下ですれ違った時「先生、今度会ってゆっくり話しましょう。都合の良い時間をメールしてください。」と言われました。もちろん、学部長と1対1では会いたいと思っていましたから、了解しました。で、会ったのが昨日の月曜日です。とても日本語が上手で、優しい感じの人です。京大で博士課程を終了されたほどで、日本語の習得には大阪外国語大学での日本語学習よりも中華屋でのバイトの方がずっと上達に役に立ったとおっしゃってました。日本に多くいる、居酒屋さんとか食堂、コンビニなどでバイトしている青年らは、こうして将来国を背負っていく立場になる人がたくさんいるんだろうなと思いました。改めて、私の自己紹介をしたときも、とても真摯に聞いて下さって、随分謙虚で優しい方だなと思いました。前の研究科長に誘われて来たわけで、新しい学部長が偉そうな違うタイプだったらどうしようと心配していましたが、全くの杞憂でした。なぜなんでしょう、モンゴルには尊大な態度の人が多い中で、日本帰りの先生はとても謙虚で好感が持てます。しかも、アメリカ帰り、ドイツ帰り、ロシア帰りが多い中、こうして2代続けて学部長ですから、日本帰りは出世するのでしょうか?私の経歴を話しているうちに、段々学部長の目が真剣になってきます。そして、今大学で考えているプランをいろいろ教えてくれました。私は「でも、そういう計画は経済学部だけでやろうと思っても、なかなか難しいでしょうね。」と言うと「いいえ、この話は学長(最近新しくなった新学長)が希望しているのです。」と言います。「学長さんは、どの学部の方ですか?」と聞くと「物理学」だそうです。そのプランとはおよそかけ離れた学部に思えますが、どうも学長は真剣らしいです。最後に「是非、先生のお力を貸してください。」とまで言われました。もちろん、私でよければ手でも足でも貸しますが、どうも過大評価してしまっているようです。私はこの大学へ貢献できることはできるだけやります、と言うと同時に「でも、こういう(伝統的な)大学で大きなこと、新しいことをやろうとすると、大変でしょう。私はドクターはおろか、マスターもないですから。」と言うと、笑って「そんなもの要りません。そういう先生はたくさんいますから、大丈夫です。」だって。そしてその晩、「明日の朝10時に学長が会いたいと言ってます。よろしいですか?」とメールが来ました。この学部長、随分行動が早いです。しかも、学長もそれに乗っている。一体、どんな話になるんでしょうか?ここはモンゴルです。当然、話半分以下にしか聞いてません。本ブログでは当面は、詳細はご報告できないでしょうが、少しだけでも何かをお伝えします。で、今日31日午前に学長に会いに行きました。会って、びっくり。本文上記にある>学部長の隣にいる古臭い感じの人がなんだか演説調でずっと一人で話してます。この古臭い感じの人が実は学長だったのです。いやー、参りました。(続く)
2009.03.31
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昨年末から噂されていた経済学部長交代が、いよいよ実現しました。私を呼んでくれた今までの学部長は、首相直轄で新しくできた国家開発・創造局(National Development and Innovation)の会長で行くことになったのだそうです。友人のBさんによれば、新聞にも出ていたそうです。彼の説明では、国の機関の一つで、国家の開発計画と戦略を考えるのだそうです。これは私の推測でしかないですが、開発計画というのは鉱山開発のことかなと思います。であれば、結構面白そうな部署かもしれません。一度、訪ねてみようと思います。で、後任です。先日、私がモンゴル語の授業に出ようと思っていた日の午前中に、私を通訳などでサポートしてくれているSSさんから電話がありました。「今日午前から、新しい学部長が我々の学科に来るので、集まってほしい」とのことでした。時間は午後3時です。平日のこの時間に先生全員が集まる方が不思議ですが、私もモンゴル語のクラスを欠席して、その会に出席しました。早めに行って集まっていると、「改善の要望とか出した方がいいよ」とか「外国人教師だから、感じたことをどんどん言ってください。」などと言われましたが、私からはこういう場では、別に何か言うこともないだろうとは思っていました。で、4時に新学部長が来て話し始めましたが、ただ座ってモンゴル語で話しているだけで、私には全くわかりません。隣に座っている、もう一人の通訳のSRさんが「今、今後の方針を話している」とか若干は教えてくれましたが、話し方はいかにもつまらなそうな雰囲気で、役人が話してるようでした。私も段々眠くなってきて「こんなんだったら、モンゴル語のほうが良かったな」と思いました。ですが、1時間たった終了後、新学部長は私の席にやってきて「初めまして。今度時間を取って、ゆっくりお話しましょう。」とだけ言い残して、帰って行きました。前任の学部長に、今度の学部長のことを尋ねると、前モンゴル日本センターの理事で、京大大学院の出身だそうです。2代続けて日本の大学出身とは嬉しいです。前学部長は横浜市立大学と慶応大学の出身でしたから、日本の大学のことは私よりも良く知っていました。いろんな問題が起こって難しくなるたびに、前学部長は私をサポートしてくれました。まあ、私を呼んだ(呼んでしまった?)責任も感じてるかもしれませんが、私にとっては心強いサポーターでした。今度の学部長が、どれだけ外国人教師の必要性を考えているかはわかりませんし、今後も起こるであろういろんな問題について、私のために解決しようとしてくれるかどうかはわかりません。この国では、トップのサポートや理解がなければ、外国人としてはかなり辛いのは仕方ないことです。新学部長がどんな人なのかは、私には全くわかりませんが、コミュニケーションの問題がないだけ、私にとっては良いことです。それより、国家開発・創造局の方が面白そうです。
2009.03.17
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今日13日は、ゼミナール2コマやって、その後モンゴル語の授業の2時限目に出席しました。ゼミナールそのものはいいのですが・・・相も変わらず、この大学のサポート体制というか、当たり前のルーチンができてなくて困ります。最初の授業は午後1時スタートです。プレゼンがありますので、少し早めに教室に行って準備できてるか見ようと行ってみると・・・教室は鍵がかかったままです。生徒は集まっているのに、部屋が空きません。結局、生徒が鍵を探し回って1時ちょうどくらいに部屋に入ることができました。この学校は、いったい誰が教室管理しているのか未だにわかりません。聞くと一応だれだれというのですが、その人は管理のおばさんだったり、警備のおじさんだったり。何も気にしてない人ばかりです。教室に入ると、今度はプロジェクターの準備です。天井にプロジェクターが設置され、スクリーンは電動で下りてくるタイプです。でも、モンゴルでは設備よりもソフトの方が問題です。とにかく、モンゴルではなんでもすぐ無くなる、という理由で教室内には何もありません。私が以前何度も怒ったのですが、黒板の前にはチョークも黒板消しもありません。聞けば「置いておくとすぐ無くなるから」だそうです。だったら、教室は鍵をかけないでほしいです。鍵はかけて、しかも鍵の持ち主はしょっちゅういない状態が多いのです。プロジェクターのスイッチを入れるリモコンは、引き出しの中にあるのですが、その引き出しに鍵がかかっています。この鍵は誰が持っているかというと、この部屋の前にある部屋の人が管理しているのだそうです。で、そのリモコンを持っている部屋は鍵がかかって閉まっています。信じられないことばかりです。全く、生徒のことを考えていない人が多いのには驚きます。多分、昼飯でも食べに行ってるのでしょう。仕方なく、サポートしてくれるSRさんが持ち運び用のプロジェクターをどこからか探してきました。そして、こういう操作に強そうな生徒の一人がパソコンとつないでセットしています。ここまでで、もう15分近くたちました。頑張ってセットアップしています。ですが、なぜか・・・全然写りません。皆でいろいろ試すのですが、駄目です。仕方なく、パソコンを変えて再びトライしました。が、やはり駄目です。どんどん時間ばかり経ってしまいます。もう1時を25分も過ぎています。なのに、まだセットアップもできません。私はさすがに、「もうプロジェクターは諦めよう。」と言いました。最後にSRさんが、一回だけ挑戦させてというのでやってもらいましたが、やはり駄目でした。ついに、30分経過。授業時間の3分の1が意味なく過ぎてしまいました。私は「もう、プロジェクターは諦めよう。人数が少ないから、皆パソコンの周りに集まって、パソコンの画面を見ながらのプレゼンにしよう。」と言いました。「まるで、大家族で小さなテレビを全員で見てるみたいだね」と言うと、皆笑ってました。30分も経っているのに、向かいの部屋の鍵の持ち主は戻ってきていません。何なんでしょうか?こういうのは、誰の責任でもなさそうです。無責任の塊なんでしょうか?というのは、この部屋の前に張り出してあるスケジュール表を見ると、この時間にこのクラスのことが書かれていません。私はSRさんに声をかけ「これ見てよ。私のクラスが書いてないじゃないの!だから、鍵の持ち主も気にしてないんじゃないの?」と言いました。するとSRさんは、そのスケジュール表をよく見て「あらー、これは前期のスケジュール表だわ。今期のじゃないわ。」だって。うーん、そうなると、この場合、プロジェクターの鍵の持ち主を責めることができないんでしょうか?じゃあ、このスケジュール表を新しくしなくてはならないのは誰?その人に「あなたがスケジュール表を新しくしなかったから、私のクラスで30分も時間を無駄にした。」などと言って、意味あるんでしょうか?多分、スケジュールを貼る人は、単なる「貼りやさん」でしかないのでしょう。こうして、いったい誰に文句言っていいのかわからないまま、こういうことが繰り返して行われるのでしょう。多分、モンゴルの多くの場所で見られる光景なんじゃないかなと想像できます。上の人は「ちゃんと素晴らしいプロジェクター設備を導入しました。」と満足するのでしょうが、それを運営する現場には顧客志向が全くなく、それを使いこなせるオペレーションがずさんなまま、ということはいかにもありそうです。こうして時間を無駄にすることが、実は生徒たちへ大きくマイナスに作用しているなんて、誰も考えないような組織であることは間違いないです。
2009.03.14
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今日はちょっと疲れました。午前中からクラス準備とかしてましたが、午後1時から90分ゼミの第1回目。10分間で、マイナス25度の徒歩5分ほどの別棟まで移動し、そこで90分のモンゴル語。10分休んで、また90分のモンゴル語授業。終わったのは、5時50分でした。なんとも疲れる日程です。今後はこんな日が何度か出てきそうです。とはいえ、本当に忙しいビジネスパーソンに比べれば、遊んでるようなものですが、ただこの「先生業」というのは、かなり自分との戦いというか、誰も何も私の教える内容には干渉しない(干渉できない?)ので、どこまで準備するかとか、は完全に自分次第です。もちろん、私は好きでモンゴルにまで来てるので、わざわざ「サボろう」という意識は全然ありませんが、「きとんと計画を立ててその通りに実行する」という作業が最も苦手なので、いつもスケジューリングに苦労します。毎日、2人の先生からモンゴル語の宿題が出されすので、なんとなくそれを優先していると、あっという間に自分授業のことが疎かになってしまう、という具合です。とはいえ、今日は金曜日。ちょっとリラックスムードです。来週は、モンゴルのお正月である「ツァガン サル」です。モンゴル人はなんとなくそわそわしているように見えます。この時期になると、ボーズという小龍包に似た肉を小麦粉で作った皮で包んだモンゴルの代表的な食べ物をどの家庭でも作ります。ある家庭では、今頃から1000個作ります。友人の家は2000個作るのだそうです。見た目より、ぎっしり肉が詰まっているので、肉が多い小ぶりの肉まんのようにも見えます。これらをお正月に一人数十個も食べるというので、半端な量ではありません。私も是非お正月を体験したいと思い、今まで通訳をやってくれてたSSさんのお宅にお邪魔することにしました。どうなることやら。酔い潰れないようにしないといけません。またその模様は、アップできると思います。金曜なので、これからちょっと出かけようと思います。
2009.02.20
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昨日(10日)はいつものようにモンゴル語の授業への準備をしていました。最近は、毎日のように宿題が出るので、午前中にせっせと「書き取り」とか「単語調べ」などをやっています。なんだか小学生に戻ったみたいです。中学、高校生の頃にはもう、宿題なんか無視してましたからね。 とはいえ、私の授業の準備も段々真剣にやらないとまずい状態になってきました。ちょうど1週間後の、来週17日火曜日から「日本企業経営」を始めます。全部英語なので、段々「どこまで、どうやるのか?」「資料はどうするのか?」「どうやって前もって必要なコピーや資料を生徒に渡すのか?」などを相談しなくてはならないので、早めに大学オフィスへ行きました。 また、もう一つの科目についても担当することは全然問題ではないのですが、事務局側が私にやって欲しいことが昨年12月以来二転三転して、なかなか決まらないのです。学部長に今までの経緯を全部説明した上で「私はもちろんやる気はありますが、一体どうしたらいいでしょうか?」との相談の電話もしました。このことも、早くすっきりさせたいです。 ちなみに前期まで通訳をやってくれたSSさんとは、この件では彼が忙しすぎて全然打ち合わせができません。結局、彼は今期は無理ということで、豪州帰りのSRさんに今期の私の授業の通訳をお願いすることになりました。そのSRさんは「こんなに二転三転していては、もうできるはずないです。今期は止めましょう。」と言ってます。とはいえ、既に学生には告知しているので、本当にそんなことができるのかはわかりません。 ただ、当の私が、科目も本も最終的に知らされてないので来週開講は絶望的なことには変わりありません。日本であれば、学生相手なら経営の基礎+経営学漫談で乗り切れるでしょうけど、モンゴルで英語となると、ちゃんとした本や準備は必要でしょう。タイトルは「Chang Management」らしいのですが、それって何?って感じです。「今までのマネジメントではだめだ!変革が必要だ!」という話の前に、普通のマネジメントの基礎をやらないと、そんな変革の話はとても無理です。大学院での経験から、基礎が全くないのがわかっているので、それでころではないとは思っていました。どうも、基礎ができる前にすぐに「応用編」をやりたがる傾向があります。 とまあ、こんなことを考えながら大学のオフィスに行きました。大学のオフィスへ着くと、いきなり同室の学科長が「この部屋に昨年末に入ってきた(実際には産休から戻ってきた)T先生のスペース環境が悪すぎるので、あなたに移動してもらおうと思うのだけど、いいかしら?」と言われました。確かに、Tさんはただでさえ狭い部屋に3人だったところへ無理やり押し込められた感じで、辛そうでした。見た感じは2人が適正な感じの小部屋なのに、私を入れて4人でしたから。どこへ行くのかと聞くと、統計学の学科長と同部屋だというのです。しかも部屋はずっと広いとのことです。実際に行ってみると、今までの倍か、それ以上はあります。今までは、上級ビジネスホテルの部屋程度でしたが、今度のはセミ・スィートくらいの広さはあります。なんとそこにはたったひとりの先生しかいませんでした。私が「いいですよ」というと、「じゃあ、これから」とすぐに引っ越しです。あまりの行動の早さにびっくりしましたが、荷物も大してないので即引っ越しました。私が何か運ぼうとすると「ああ、いいのいいの、学生に運ばせるから」だって。ベテランの先生がその辺にいる学生に「さあ、運びなさい」と私の机を運ばせてます。同じフロアーで、6つほど離れた部屋への引っ越しです。新しい部屋は、確かに広くて明るいです。といっても、いわゆる応接セットがあって、本棚がたくさんあってという部屋ではなく、広くてがら~んとしてます。ま、私はモンゴルに来てまでも、部屋になんかには拘らないからなんでもいいですけど。ただ、ここは室内にコピー機もあるので、ちょっと便利そうです。 通訳をしてくれるSRさんと私の今期の授業について少し打ち合わせました。どうも学部長からは既に私の科目のことで学科長には連絡が行ってるらしく、「Chang Management」は休講らしいのです。え?そんなに簡単に無くなっていいの?「学科長は困惑したり、怒ってたりしてる?」と聞くと、「いや、それが全然気にしてないみたい」だって。うーん、不思議です。実際、学科長は私の前では何事もなかったかのようです。しかも、いつも以上に明るいです。とはいえ、予定より一つ減ったので事務局と相談して、再び大学院で何かをやるかもしれません。学部長には、「時間が合えばやりますよ。」とは言ってあります。 そうこうしてるうちに昼の12時過ぎになりました。新しい部屋への移動も完了したし、ランチへでも行こうかと思っていました。モンゴル語の授業は2時半からです。SRさんが、私の部屋に来て「私はこれからちょっと出かけてくるの。1時前には必ず戻るわね。」と声かけました。私が「ああそうなの?じゃあ、打ち合わせはちょっとしかできないね。私は2時半から、授業へ行かなくちゃならないから。」と答えました。すると、部屋を出かけた彼女が戻ってきて「え!?2時半??出かけるの?どこへ?それは無理よ。」と言います。私がなんで?と聞くと、「まだ授業が終わってないでしょ?」と言います。「ああ、SRさんは今日授業があるの?わかった、あなたの予定に合わせます。」というと「私じゃなくて、あなたの授業でしょ!?」「はぁああ?」 なんと、私の授業は来週火曜じゃなくて、今日からだというのです。「聞いてないよう~!」私は自分のバッグから、スケジュール表を取り出し「ほら、これはあなたにも上げたでしょ?学科長にも事務局にも渡してるよ。スタートは17日でしょ?」彼女はそれを確認しながらも「そうね、でも、学生には今日からってことになってるそうなの。305号室で1時からよ。」だって。がび~ん!そんなのありですか?何十人か来るらしいのです。ちょっと話したけど、もう腹を決めるしかなさそうです。 それにしても、危ういところでした。もし、私が今日オフィスに立ち寄らなかったら?もし、SRさんが外出のために私のところに立ち寄らなかったら?もし、私が5分早く昼食に出かけていたら?きっと今日授業があることはわからないまま、モンゴル語の授業に行ってたでしょう。 とにかく、準備不足どころか、そんなつもりでないまま、305号室に向かいました。しかもこんな日に限って、パソコンのコンセント・コードを持ってくるのを忘れ、パソコンのバッテリーは、あと30分の命です。そして、部屋に入ると・・・生徒はゼロ!「はぁあぁあ??やってるとは思ってないんじゃないの?」とSRさんに言うと「まあ、そのうち来るわよ」だって。てっきりモンゴリアンタイムかと思ったら、どうも私が来るのを教室の周りで待ってたらしいのです。数分後にぞろぞろと入ってきて、あっという間に教室が埋まってしまいました。 その上、また問題が。SRさんが生徒に聞いたら、「今日10日から始まると思っている人が多いけど、(私の指示通りに)17日から始まると思っている人もいて、その人らは今日は来てません」だって。「はちゃ~!一体どうなってんのよ、この学校。」今日は初日なの?それとも来週が初日なの?どうすりゃ、いいのよ思案橋(古い!)の心境になりました。 とにかく、この学校は、いくら前からちゃんと準備しようとしても、いつだって「突然やってくる」のです。突然の引っ越しの後、突然のクラスです。何の心も資料も準備のないまま、学部生向け初授業がスタートしました。 (続く)
2009.02.11
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「教師の日??なにそれ?」というのが私の第一印象でした。1月29日木曜日は「教師の日」なんだそうです。この大学だけのことなのか、モンゴル全体かはよくわかりませんが、どうも一般的にそういう日になっているようです。多分、勤労感謝の日みたいに、教師感謝の日なのかと思いましたが、別に生徒に感謝されるような日ではなさそうです。「木曜日に、大学の教員、全学部が集まってセレモニーをやるので、来ませんか?」とわずか数日前に言われました。場所は、オペラ劇場とのこと。もちろん、一度も入ったことないので、何事も経験、行ってみようという気になりました。聞けば、大学全体12学部で1000人近い教員がいるそうです。そのうちどのくらいが出席するのかはわかりませんが、800人くらいらしいと聞きました。オペラ劇場に入るのは、私は日本でも外国でも経験がないので初めてでした。なあるほど、こんな感じなんだー、と思ってみました。見たことあるのは「オペラ座の怪人」のミュージカルや映画くらいです。(ちなみに、この映画は結構好きで、DVDはモンゴルにも持ってきてます)私の席から見た2階席や天井は、こんな感じでした。こじんまりしてるけど、きれいでした。私の席は、ボックス席でした。こんな感じです。開始は2時と聞いてましたが、2時なんてほとんど誰も来てません。モンゴルらしく、3時近くになってようやく始まりました。最初は、学長の挨拶です。もちろん、モンゴル語で何言ってるかわかるはずもないのですが、原稿を棒読みで見るからにつまらなそうです。顔を上げることも少なく、なんだか随分しけた学長だなあと思いました。聞けば、新学長だそうです。「え!そうなの??」昨年の5月頃(?)に学内で次期学長選挙がありました。その時は、現経済学部長への投票が一番多かったそうです。私を招いてくださった方です。その時「私が、いつ学長になられるのですか?」と聞いたら「さあ、なるかどうかはわかりません。選挙では確かに私への票が一番多かったですが、それとは関係なく役所が決めるでしょうから。」と言ってました。その後、昨秋にも「学長はいつ決まるのですか?」と聞きましたが、いつなのかは誰にもわかりませんでした。他の大学と違って、この国立大学は唯一、政府が学長を決めるのだそうです。で、この日、私は前触れもなく、新学長を知ったというわけです。「前は何してた人?」と聞くと、副学長だったそうです。出身は物理学部らしいです。ま、私には関係ないけど、それにしてもつまらなそうに話す人だなあというのが印象です。私は敢えて「確か、経済学部長が選挙では一番だったよね?なんで彼じゃないの?」と隣の先生に聞きました。彼女は「この学校は、選挙は関係ないのよ。文部大臣が選んだみたい。」だそうです。もちろん、理由は知る由もありません。ですが、私には問題が。現経済学部長は、多分学長よりももっと偉いポジションに行くらしいというのです。大臣か首相特別アドバイザーみたいな。しかも、間もなく。今までも、この大学でおかしなことがたくさん起こってきましたが、最後には私を呼んでくれたこの学長がなんとかしてくれました。ですが、彼がいなくなって、私の知らない人が学部長になったら、単なるお雇い外人教師ごときの文句はいちいち聞いてくれない可能性があります。そうなると、私も切れて「ああ、そうですか、はいわかりました。プチッ!」ってなんちゃうんだろうなと、今から想像できます。会場ではセレモニーが始まりました。もちろん、全く何言ってるかはわかりませんが、どうも昨年度の優秀教師の表彰をしているようです。たくさんの名前が呼ばれ、どんどん壇上に上がって行き、何か表彰状のようなものをもらっています。研究とか教育とか、多分いろいろなテーマがあるのでしょう。前に座っている人たちは、学長や各学部の学部長のようです。ですが、長いのです。やたら長い。最初は、壇上に5-6人が呼ばれましたが、次もまた数人呼ばれ、次も・・・1時間近くも続きました。一体何人呼ばれたのでしょうか?私には100人近い気がしましたが、相当な人数でしょう。教員全体の5-10%ほどは表彰されているようです。私の隣にいた産休明けの先生も、一瞬席から消えたので「お手洗いかな?」と思っていたら、表彰状を手に戻ってきました。あまりにも長く、同じ光景に繰り返しで、私はついには睡魔が襲ってきました。モンゴルでは、会議は少なく(私が出てないだけですが)人前で眠くなることはなかったですが、今回は辛かったです。ウトウト・・・やっと終わりました。20分ほどの休憩の後は、お待ちかねのコンサートタイムです。私は音楽は全くわかりませんが、重層感ある音楽が響いてました。最初はクラシックで始まりましたが、私のようなクラシック音痴でもわかるような曲が多く、その後POPSや映画音楽なども。更には、モンゴル人歌手も登場して華やかなステージになりました。クラシック出身の3人組男性の歌声は素晴らしかったですが、なんと歌っている途中に突然一人が倒れてしまって、運ばれて行くというハプニングがありました。最初は演出なのかどうなのかわかりませんでしたが、やはり本当に倒れたようです。結局「教師の日」が何なのかはよくわかりませんでしたが、私にとっては初めてのオペラ劇場でしたし、コンサートも聞けたので良かったです。前半のセレモニーがなければもっと良かったです。
2009.01.31
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この大学のスケジュールは、未だに正確にはわかっていません。大学と大学院で異なる上、私は教員会議などには出ないので(出てもモンゴル語なのでわかりませんし、アドミマターにはほとんど興味ないので)、なんとなく周りの雰囲気を察して私が聞くとやっとわかるという感じです。多分、全員ネットのアドレスは持っていると思うのですが、全く使われていません。もしかして「ベテラン」教員は全く使ってないのかも知れませんが、私にはわかりません。現在は、大学生は試験休みのようです。また大学院は授業やっているクラスもあるようですが、私のクラスは昨年末ですべて終えてしまいました。(当初の予定では、今頃まだ授業をやってるはずでした)現在、毎日学校に顔を出していますが、多くの先生は来期の準備をしているようです。前期は私はモンゴル来日が遅れて、バタバタと始めてしまったこともあるので、後期はちゃんと準備しようとは思っていますが、私の予定が何曜日なのか?いつからなのか?全然わかりません。隣に座っている、今季から産休明けの先生に聞いてみました。「あなたは、来季のスケジュールは全部決まっていますか?何を教えるのかも決まっていますか?」彼女は「スケジュールは決まっていない。科目は一つは決まっているけど、もう一つはまだです。」と答えました。更に「Under graduate(大学生)」は管理部門のSさんが決めるということも聞きました。Sさんなら、私が最初に来た時の私のアシスタントをやってくれた人で、その後わずか数週間で出世(?)して、管理部門のマネジャーになった人です。私は「これは先手必勝だな」と考えました。後になればなるほど、選択の余地が少なくなるに決まってますから、早めに私の希望を出せばいいだろうと思ったわけです。来期は、大学生2科目2クラスと大学院を1か2クラスの予定です。本来は、大学は2月2日スタートですが、私は学部長と交渉して、少しスタートを遅らせてもいいと言われています。要は、期間中に40時間のクラスを設計すればいいというわけです。大学生向けの2科目のうち、1科目は「日本企業経営」をやるつもりです。あまりにここモンゴルでの日本企業の存在感は少ないし、関心もないので、歴史的なところから始めて、少しでも馴染んでもらおうというわけです。もちろん、今日現在、コンテンツなんかありませんが、まあ得意の「走りながら考える」で行こうと思っています。もう一つは、大学側の事情でやってもらいたいのをやる予定です。大学生向けなので、「経営に関することであればなんでもやりますから、そっちで決めてください。但し、英語の本が揃っているのにしてください。」とお願いしてあります。昨年秋には「戦略経営の大学生版」が候補でしたが、年末には「ビジネスプラン」に変わりました。で、それも新年で変わったらしく、先日は候補科目がたくさん出てきました。「チェンジマネジメント」「クオリティマネジメント」・・・なんだったか、名前も覚えてないくらい「なんとかマネジメント」が出てました。中には「ツアー マネジメント」というのもあって「これは、観光ですか?」と聞くと「はい、そうです」だって。マネジメントがついて、誰もやる人がいないのがきっと私のところに来てるんだろうなと思いました。ですが、どういう本があるのかもわからないので、まだ未定です。普通のマネジメント系であれば、問題ないのでこれまた「決まってから、考える」で行きます。早速、エクセルに2月から5月までのカレンダーを作って、予定を書き込んでいきました。こちらでは、レクチャーを24時間、ゼミを16時間でやってくれと言われてます。とはいえ、実際には私がどう使おうと自由らしいのですが、形式上はそういう割り振りです。あと、モンゴルの旧正月(2月下旬)はお休みなので、それも考慮して作りました。適当に私の休息タイムも考えながら。「よし、できた!これで行こう」と勝手に思い込んで、完成させました。後は、これを大学と大学院のスケジュール担当者に渡して説明すればいいだけです。誰からもそうしろとは言われてませんが、こういうのは早い者勝ちだろうとモンゴル生活で感じております。まずは、大学生担当のSさんへ。彼女は英語がわからないので、いつもおしゃべりしているSさんと同名のオーストラリア帰りのSさんに通訳してもらいながら説明しました。彼女は「はい、わかりました。これで行きます。」とあっさり了解してくれました。「おおー、やっぱり先手必勝だな」と思いました。次に、大学院担当のBさんです。彼は、今までもずっとお世話になっているので、メールと電話で説明しました。彼も「OKです。これで決定です。」と言ってくれました。「へー、やってみるもんだな。予定表なんていつまでたっても来やしないけど、自分でやればあっけなく決まるんだ。」と思いました。これらの事務担当者への根回しを終えて、いよいよ学科長に出しました。「これはSさんとDさんの了解を得ています」と。すると彼女が「あら、あなた今期も大学院をやるの?これは前期からの続き?それとも、また新しくやるの?」と聞かれました。彼女が言うには、大学生向け新規の科目を2つもやるのはとても大変なことで、その上大学院まで持つのはきつすぎるでしょう、というのです。更に「あなたは前期、新しい科目を大学院で2クラスやってくれて、あなたが大変だった中とても良くやってくれたことは良く知っています。ですから、今期はUnder graduate(大学生)だけに専念していいですよ。」と言ってくれました。へー、私の前期の活動をかなりポジティブに受け止めてくれてたんだなと思って、ちょっと嬉しくなりました。私はもちろんクラスを減らすことには何の抵抗もありませんから、「本当に大学院やらなくていいの?それはいいね。」と言われるままにすることにしました。聞けば、どうも私の隣の産休帰りの先生が予定のクラス数が足りないらしくて、彼女に大学院をやらせたいという思惑もあるようです。帰って来て、一応契約書を読み直しました。正直、あまり真剣に読んでませんでしたが、よく読むと「2期にわたって、大学院2クラス、大学2クラスを担当する」と書いてありました。私は1期当たりそうなのかと思っていましたが、前後期合わせてだったのです。なるほど、であれば確かに大学院2クラス持った前期を考えれば、後期は大学生2クラスでいいということです。私個人としては、大学生相手にレクチャースタイルをやるよりは、大学院生とディスカッションしながら進める方がいいのですが、まあこれも経験です。ちなみに、日本では大学生相手の経験はありませんから、私にとっての初講義ということにもなります。大学院担当のBさんにその旨連絡しました。彼は「来期についてはわかりました。来来期はまた新しいのやりましょう。」だって。「あ、契約更新をしてくれるならですけど・・・」と来年度のことを口にしてました。予定は決まったものの、肝心の授業の中身はこれからなので、ここしばらくはちょっと憂鬱な時期が続きそうです。40時間分を2コースを考える・・・確かに、学科長の言うとおり、結構大変なことのように思えてきました。日本語でいいなら、得意の「経営漫談」で喜んでもらえますが、英語ですからね~。しかも経営の「け」の字も知らないモンゴルの大学生。ちょっとだけ、不安がよぎってきました。
2009.01.22
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今、大学は冬休みに入ろうとしていますが、大学院は試験や採点の季節です。こちらでは、大学と大学院の日程が異なるので、ちょっとややこしいです。で、私も成績をつけることになりました。昨年末までに、すべての授業と全てのレポート提出を終えていましたので、成績をつける準備はできていました。ですが、そのまま最終成績にしていいのかどうかはまだ決めてませんでした。なぜなら、私の「素のまま」の判断でつけると、9割以上が落ちてしまうからです。さすがにこれではまずいだろうと、「もうちょっと」という人もDくらいで通してあげようと下駄をはかせました。それでも、2クラス(フルタイムとパートタイム・社会人クラスの2つ)で、単位取れるのがそれぞれ3人ずつしかいません。成績は、A-Dまでが合格で、Aが90点以上、以下、B、C、Dは80、70、60点がラインです。事務局に聞かれてもちゃんと論理的に説明できるように、成績のポイントをエクセルにして算出しました。出席点、クラス発言・クラス貢献点、第1回レポートの点、第2回レポートの点をそれぞれのウエイトで計算し、合計したのを点数としました。で、そのまま算出した点数を自動的に成績に置き換えると、各クラス1人しか合格がいないというわけです。なんだ、単純な計算で決めるのか、と思われるかもしれませんが、各人の点数と私の思うイメージはほぼ一致するので、この方法で問題はないと思っています。要は、この単純計算結果をどう扱うかの問題です。私は日本にいる時もそうでしたが、授業はちょっと厳し目でしたが、よほどのことがない限り「落とす」ということはしませんでした。特に社会人で大学院に通っている人は、それだけでとても大変なことだと理解しています。ほぼちゃんと出席して、レポートも内容はともかく「提出した」人であれば、まず落とすことはしませんでした。ここモンゴルでもそうするつもりでしたが、いかんせん、「まじめに出席して、レポートも期限通りに提出」という生徒自体が少数なので、こういう計算結果が出てしまうわけです。もう一つのポイントは、理解度というか経営戦略に対してどの程度わかってきているか、という点ももちろん考えます。一人一人の顔を浮かべながら、毎回の自分の手元のメモを見ながら、考えるわけです。ですが、こちらの方で判断すると、ほぼ絶望的になります。要は、大学院レベルでない、大学でちゃんと学んでこなかったのかも知れませんが、基礎知識も何もない高校生レベルがそのまま来てしまったという人が多いのです。しかもケーススタディをやるというのに、一度も読まずに座って聞いてるだけという生徒も結構います。座学の悪習に慣れきっているのでしょう。ですがもちろん、一部には「経営を学びたい」という意欲ある「正しい生徒」もいます。こういう生徒は予習も十分して来て、ノートにびっしり書いて、私にも「もっといろんなことを教えてほしい」と言います。大学の一般教養であれば、全然できない人を対象に考える方が正しいと思いますが、大学院までわざわざ来ていると考えると、このような問題意識を持っている生徒にフォーカスを当てる方が正しいと思っています。この辺をもろもろ考えて、自分なりに出した結論は偶然ですが、両クラスともBが1人、Dが2人となりました。落とされる人は?「出席が5割を切っている」(私の授業は知識詰め込みではなく、クラスでの議論中心なので、出ない人は話になりません)、「レポートを期限通りに出してない」(ひどい人になると、私の授業が終わって、私が配った資料を単にコピーして出す、という人もいます)のどちらかで、半分以上出席して、レポートさえ出せば、落とすなんてことはしません。本人の理解度、やる気を加味しても、救える人がいないのが辛いです。この結果を基に、いつも通訳でお世話になっているSさんに相談しました。Sさんは、自分でもクラスを持っているし、この大学の卒業生でもあるので、成績の「塩梅」を良く知っているからです。一通りの私の説明を聞いて、彼は「点数はリーズナブルだと思う。どうしてもこの点数で成績をつけたいなら、これでもいいでしょう。ただ、これは生徒には驚くほど厳しい結果になるでしょう。」と言いました。今回の生徒は、かわいそうな部分もあります。このブログでもご紹介したとおり、どんな授業か、英語のことも含めほとんど何も知らされずに取っていたわけで、私自身も初めてのことですから、その辺は「最大限の考慮」をしないといけないとも思っています。私はSさんに「いいえ、拘っていませんよ。モンゴリアン・スタイルへは柔軟に対応するつもりです。」と言いました。更に「これらの、点数表や私の説明を聞きながら、Sさんなりの点数をつけてみてください。」と言いました。Sさんは、私の作った表の横に点数を書いていきます。まずは、パートタイムからです。「この一番の人は81点を90点に。NO2はだれですか?ああ、この人ね。この人は46点を81点に。もう一人は80点に。」と、私が合格とした3人は、こうして高得点に変わっていきます。あとは、落ちた人ばかりです。「この30点の人は75点でC。23点の人は70点でC・・・」と見る見る、合格ライン到達です。私が合格ラインでいいなら60点でもいいのではないかというと、「モンゴルでは70点でも非常に厳しいフィードバックです」と言います。フルタイムクラスも同様に、2回ともレポートを全く出さなかった生徒以外は全員救済されました。ただ座っているだけで、予習してるのを見たこともないし、発言らしい発言も1度もしたことがない生徒もDで通りました。日本でなら私は間違いなく落とすでしょうね。ですが「郷に入っては郷に従え」の心境で、このまま全部認めることにしました。私は彼に言いました。「子供の頃からこうやって甘い点数に慣れてきてるから、皆勘違いしてるんじゃないの?」と。彼は苦笑しながら「多分、その通りでしょう」と言いました。昨年来、クラス終了後何人かからメールが来ました。皆、自分の点数について私に聞いてきます。レポートもまともに出したことない生徒から「85点ないと勤務先の銀行からサポート受けられないのです。」とありましたが、私の当初の点数では30点で不可でした。もちろん、最終決定前のメールでの問い合わせには「最終決定してません」としか言ってませんが。その彼女は、今回の救済で75点のCとなりました。多分、彼女は「あと10点くらいなんとかしてよ」と言ってきそうです。実はもう45点も下駄履いてるんですけどね。残念なのは、頑張って優秀だった人と、ほとんど何もせず本来は落ちそうな人との差がなくなってしまうということです。私の当初の点数で1番と2番の差は36点もあったのに、調整後はたったの9点です。護送船団方式というか、仲良し社会主義というか、これでは生徒が授業を甘く見るのは当然だなと思いました。とはいえ、今回は私にとっても初めてで、私が当初の通りにやったら、生徒からすれば「交通事故」にでもあった気分になるでしょう。次回からは、最初から成績について何度も念を押して、あるべき姿に少しでも近づけようと思います。
2009.01.18
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今回の幹事学科ということで、全員必ず何かに貢献しろということでした。経営学科は全員(私以外)でモンゴルの伝統的な歌を歌うことになりました。まずは、学科長が音頭を取って歌い始めました。右で歌っているのが、私と同室の経営学科長です。歌がとても上手なのには驚きました。彼女のお嬢さんも大変上手で、現在この大学の日本語学科に所属しているそうです。このパーティへも参加して何曲か歌いましたが、確かにセミプロ並みで上手でした。他の学科もそうですが、学科長は比較的若く、女性も多いです。経営学科を例にとると、古参の教授には元文部大臣などたいそう偉い人がいるそうです。ですが現在の学部長がベテラン先生を一人一人説明に回って、すべて若い世代に切り替えたのだそうです。気配り系だけでなく、改革も自ら成し遂げようとしているのがわかります。学科長の音頭に合わせて、経営学科が皆で歌を歌ってます。この学科は特に古い先生と若い先生の世代間格差が大きいように見えました。出し物は、素人芸ばかりではなく、プロのバンドが入って歌や音楽が流れました。合間合間にディスコタイムが始まり、ほとんどの人が踊っていました。私ももちろん楽しく踊りましたが、ソーシャル系は全くできないので、こういうところに出くわすと「少しはやっておけばよかったかな」と思います。以前、ヨーロッパでディスコでのパーティに出た時にもそう思いました。軽い、ソーシャルダンスを取り入れたディスコ風に踊るというのは、結構あるようです。特に年配の先生はそうでしたね。突然、舞台そでの方から踊り子さんが現れました。最初は一人だったのですが、どんどん増え、こんな感じになりました。外はマイナス20度以下なのに、こんな姿で踊るというのは、本当にモンゴルの伝統的な踊りかどうかはちょっと疑問でしたけどね。ま、美しいものを間近で見れるのは嬉しいですけど。アジア風というか、バリ島で見た指先や腕をくねくねさせる踊りにちょっと似てました。チンギスハーンは、こういう踊り子を見ていたんでしょうか?ついでにもうワンカットモンゴル人の女性の典型的な体型とはちょっと違いますね。そして、私も貢献せよ!ということで、歌うことになりました。そして、前日ダウンロードした「涙そうそう」をパソコンごと持って行き、スピーカーにつないで無事歌い終えることができました。もちろん、私歌なんて上手くもなんともないのですが、意外と好評でした。パーティ後も多くの人に声かけられました、「いい曲だったね」というのが多かったです。やはり、ロック的なテンポのではなく、アジア人的には理解しやすいメロディーだったのが良かったのかも知れません。多分、今回のパーティを機に、私の名前と存在が学部全体に広まったようです。パーティを楽しむのはやはり女性の方が上手というのは、どこの国も同じかも知れません。皆、思い思いのスタイルで来ていました。私の学科のアシスタントと先生です。ちょっと濃い目のメイクが、パーティを感じさせます。ここでのパーティは12時半くらいまで続きました。私は皆が行くというカラオケについて行きましたが、眠くなったので1曲も歌うことなく(モンゴル語ですから当然ですが)午前2時には戻って寝ました。
2008.12.27
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昨日は経済学部のニューイヤーパーティでした。6時開始とありましたが、当然ですがモンゴルでは開始時間が守られることはほとんどないです。実際、6時になっても事務局もまだ来ていませんでした。とあるホテルにある比較的大きめのレストランを借り切ってのパーティです。この時期は、パーティが多いのでしょう、他のフロアにある宴会場もパーティでした。7時になってようやくスタート。12ある学科ごとに分かれて座りました。 立食ではなく、全員着席形式です。教員中心ですから、平均年齢は決して低くはありません。ただ、そんな中でも私のいる経営学科は、かなり高い方でした。 社会主義時代からの先生が多い経営学科の人たちです。一方、この日知り合ったスイス人の先生のところは、統計や調査などをやる学科で、なぜか女性ばかりです。かなり私のいる学科と雰囲気が違いました。華やかでちょっと羨ましかったです。ちなみに、経済学部には現在私を入れて外国人教員は3人ですが、来月いっぱいでこのスイス人の先生がNYへ行くことになり、アメリカ人と私の2人だけになってしまいます。パーティは、学部長の挨拶で始まりました。全学科を一つ一つ紹介していました。私を招いてくれたのが、この挨拶をしている学部長です。多分、近々もっと偉くなってこのポジションにはいなくなるようです。モンゴル人には大変珍しい「気配り系」の人です。パーティは、日本でもお馴染みになっているPCとプロジェクターを使ってのビデオ投影など、工夫がこなされていました。ビデオの内容は、モンゴルでの人気番組を模したものらしく、ナレーションにはテレビ局からのプロ司会者の声が使われていました。私は内容はもちろんわかりませんでしたが、声がプロっぽいなと思うほど上手でした。こういう一連の事前準備及び当日の多くの作業のために裏方として学生ボランティアが来ていました。ボランティアの学生です。かわいいですね。4年生だそうです。今回は経営学科が幹事ということで、司会は私の授業でいつも通訳をしている若手のホープのSさんが担当しました。学生と混じっていると、どっちが先生かわからないほど、若々しいです。多分、人気講師でしょう。パーティの内容は、日本での社員パーティなどとそう大きく違うものではありません。もちろん、洗練度やお金の掛け方は違うでしょうが、ITや音響設備の発達により、各国独自のパーティ方法というのはどんどん薄れ、音楽、歌、ビデオ、踊りなどで盛り上げるというのは、どこの国も似たようになっているのかも知れません。
2008.12.27
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明日26日は経済学部のニューイヤーパーティです。前にも申し上げた通り、100人近くがレストランかクラブのようなところに集まるのだそうです。それはそれで別に構わないし、私はまだほとんどの先生たちに会ってないので、これを機会に会えたらいいなと思っている程度です。聞けば、プロの歌手やダンサーまで呼ぶのだそうです。随分本格的だなと思いました。ところが、急に「経営学科は今年幹事で、皆何かやります。マサミは歌を歌うんだよ。日本語の歌をね。」と言われました。「はぁ?歌?私が??」ってな気分になりました。日本ではこの歳になるとあまり指名されて歌うといことはなく、大体「拒否権」も出動できますから、宴会で歌なんてずっとしたことなかったです。最初は仕方ないかとも思いましたが、プロの歌手などがやった後で、素人丸出しでしかも日本語なんて誰にも理解されないだろうし、バックミュージックもなく100人もの人を前に歌うなんて、場を白けさせる以外に何ものでもないと思うようになりました。明日のメイン司会者でもある、いつも通訳をやってくれるSさんから「マサミの歌期待してるよ!」と言われ、一層気が重くなりました。「アカペラで意味のわからない歌を歌うなんて、聞く人が辛いんじゃない?」「そもそも私の歌なんて、音楽がないんだから、歌っているのか?それともただ前に出て話しているのか?すらわからないんじゃないのかな?」と言うと大笑いされました。「だったら、インターネットでダウンロードして、それをバックミュージックに使えばいいじゃないか?」と言われました。「ネットにはいくらでも無料のダウンロードがあるよ。」とも。「そんなのやったことないし、大体、明日の今日なのにこんなこと言われても困るよなぁー。」と思いながら渋々帰ってきました。で、ネットで検索すると確かにカラオケダウンロードがありました。さすがにモンゴルなどとは違い、無料ダウンロードカラオケはないようです。そりゃあ、著作権がしっかりしている日本と、モンゴルや韓国での経験とは違うでしょうね。たった105円でも支払は面倒そうでしたが、幸いプロバイダー経由で引き落とす方法もあるらしく、やってみるかという気になりました。とはいえ、日頃カラオケには縁のない私が一体何を歌うのか?聞く側の立場になって・・・なんて考えてもしょうがないので、いつもiPodで聞いている夏川リミにしようと決め、「涙そうそう」にしました。モンゴルへ来て一番聴く機会が多い歌手です。他も南の島系が好きなんです。で、無事ダウンロードできたのはいいのですが、なんと私のPC以外へは曲は持ち運びできないそうなのです。私は当然メモリーで持って行くつもりでしたが、駄目なんだそうです。なんだか著作権のせいどうか知らないけど、使う側のことは全然考えていないシステムだなと思いました。無料ならともかく、お金払って不便を買ってるようなものです。結局、パーティにこの重いPCを持って行くことになりました。パーティなんだから気軽な格好で行きたかったのに、面倒です。この大学は、全く情報というものの正式なルートがないのにやや閉口しています。今日、学校から帰るとき「明日は、男性はネクタイ着用って知ってるよね?」と隣の先生に言われました。「何それ?知らないよ、そんなの?そもそも場所だって、誰も教えてくれないから、さっき聞いてわかったんだよ。」とちょっと「ムッ」としました。実は昨日もそういうのがありました。授業を終えて、昼食してオフィスに戻ってきたら「今日は、ここのフロアーで教員全員が集まってビッグセレモニーがあったのよ。学長もやってきて、お酒もちょっと出たの。」だって。「はぁ?聞いてないよ、そんなの?どこにそういう情報があったの?」と聞くと「いや、みんな知ってた」だって。パソコンはあるものの、ML(メーリングリスト)もイントラもないので、情報がバラバラです。しかも、壁に貼ってある紙は100%モンゴル語なのでわかりません。同じ部屋の人でも、外国人に教えてあげようなんて気持ちの人もいません。ま、モンゴル人のホスピタリティには全く期待してないからいいんですけど。今日もSさんに「情報はどうなってるの?」と聞くと「皆、人づてだよ。ちゃんとした情報伝達の仕組みなんてないからね。」だそうです。彼もアメリカ滞在中は、当然イントラやMLはいつも利用していたと言ってました。日本でも外国人社員が祭日に出社したという話は聞いてましたから、まあ外人に気を使わないのはモンゴル人だけではないでしょうけど、大切な情報はちゃんと流してほしいです。とはいえ、知らないから余計な式典には出なくていいというメリットもありますので、あまり声高には言うつもりはありませんけど。明日、ちょっと楽しみです、自分の歌以外は。
2008.12.26
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日本は今忘年会のシーズンでしょうか?こちらでは今は「ニューイヤーパーティ」の季節です。日本の感覚では、新年になってからが新年会ですがこちらでは「新年を迎える」から新年会のようです。クリスマス&ニューイヤーって感じでしょうか?とはいえ、来てまだ3か月にしかならない私には、お声がかかることはほとんどありません。日本の忘年会のように仲間内でしっとりとならあるでしょうが、こっちはどうも文字通りパーティのようです。学生らが仲間といろんなパーティに出ているようですが、さすがに教師には声はかかりません。そりゃそうです、自分が学生の時に先生を入れてパーティなんて考えたこともなかったですから。ですが、学内に二つだけ私が出られるパーティがありました。一つは、今月26日にある経済学部のNew Year Party です。これは、私がこちらに到着した当初から学部長が「年末の新年会は盛り上がりますから、是非出てくださいね!」と話していたほどで、他の先生も似たようなことを言います。これは、経済学部の教員やスタッフが100人ほど出席するかなり大がかりなようです。場所はまだ聞いてませんが、どこかのディスコを借り切ってやるようです。今年は私の所属する経営学科が幹事のようで、学科長以下張り切っているようです。ちなみに学生は関係ないそうです。もう一つが、外国語学部のパーティです。11月から出ている「にわか劣等生」ではありますが、一応私も外国語学部の生徒です。その教室に掲示板があって、そこにほとんどモンゴル語で書かれているのですが、New Year Party というのだけ英語なのでわかりました。「これは何?」と聞くと、この学部のパーティなんだそうです。面白そうなので「行くの?」と聞いても、周りの反応はイマイチでした。場所もどこかわからないし、どうしようかと思っていました。本部の対外渉外部(私のビザやパスポートトラブルでお馴染み)へ行った時に、これが「外国人」だけのパーティだと知りました。パーティと言っても、午後9時には終わるようなものです。で、先日そのパーティに行ってみました。場所は、大学のすぐ近くにあるディスコを借り切っていました。ディスコと言っても、私が学生の頃の方がまだましだと思えるような、中国の田舎にでもありそうな照明や飾りがある大きなホールって感じでした。ですが、やって来る人(当然、全員留学生)、特に女性は張り切ってドレスアップしていました。外はマイナス20度以下ですが、女性は皆、着替え室で着替えて、素敵な衣装で出てきました。男性は・・・私も含めて、大したことはないです。まさかこんなに皆が張り切っているとは思ってなかったので、残念ながらカメラは持って行きませんでした。人数は、女性が7割というところでしょうか?そういうとなんだかハーレム(?)みたいに聞こえますが、女性は女性だけで集まってキャーキャーやってました。あまり男女交流という感じではなかったです。私?私は、当然知人ゼロです。経済学部ならまだしも、外国語学部ですから。が、いきなり私の名前をフルネームで呼ばれて驚きましたが、渉外部のスタッフが呼んだのです。このパーティの事務局として、全体を仕切っていました。私の名前をフルネームで覚えるなんて、よほど私のビザ問題が大きかった証拠でしょう。以前、一度だけクラスに顔を出したラオスからの男子留学生Pさんがいたので、彼と一緒に行動することになりました。彼も、ほとんど誰も知らないそうですが、寮に住んでいるので顔見知りは何人かいるそうです。私も彼と一緒に彼の顔見知りのロシア人グループの近くに座りました。普通に学校行っているとほとんど見えないのですが、こうして留学生だけが集まると、ロシア人の存在は圧倒的です。私の周りもそうですし、あっちのテーブル、こっちのテーブル、どこでも一番元気がいいのはロシア人の女性です。いやはや、パワーの差に圧倒されました。そもそも日本人は私を含め、こういう大きめのパーティは苦手で、「壁の花」(私は「壁のシミ」?)になりかねません。聞いてみると、やはり一番多いのはロシア人だろうということでした。ロシア人といっても、いかにもロシア人的な顔もいれば、アジア系もかなりいます。また、モンゴルのすぐ北のバイカル湖周辺からのもいれば、サンクトペテルブルグからもかなりの人数が来ているとのことでした。そこにハンガリーなどの東欧もいます。二番目に多いのは中国人と聞きましたが、全く存在感を感じませんでした、もしかして、こういうパーティには出てこないのかも知れません。未だに、内モンゴルからの人を除けば、中国人(漢人)には会ったことがありません。次は韓国人だそうです。薄暗いパーティ会場では、アジア系か西洋系かがわかるくらいで、あとはさっぱりわかりません。「日本人、いるの?」とPさんに聞くと、「あそこにいるよ」と教えてくれ「呼んでこようか?」と言います。私はああやっぱり日本人らしく、まさに壁側にこじんまりと固まっているなと思いました。「私は日本人と話すためにここへ来てるわけじゃないから、いかなくていいよ。」と伝えました。なんと表現したらいいのか、難しいですが、まさに新世界、第三世界?という感じでした。アメリカ人やヨーロッパ人が多いパーティは仕事上何度か経験がありますが、それとはなんだか違います。どこがどうとうまく言えませんが・・・ですが、若い女性はどこも同じだなと思いました。キャーキャー集まっては、デジカメで撮りっこして、またキャーキャー。そして、こういうパーティで元気がいいのは女性で、ロシア人であれ何であれ、男子学生は女生徒に従っている?という感じでした。ロシア人がなんでこんなにモンゴルに来るのかわかりません。バイカル湖周辺は、もともとモンゴルですからわかりますが、はるか遠いサンクトペテルブルグからも結構来てます。「なんで、あんな大都会からこんな田舎の国へ来てるの?」と聞くと「ははは」と笑って「それは秘密」とまた笑ってました。なんとなくロシア女性を見ていると、やっぱりロシアって大国なのかな、なんだか自身に満ち溢れてるなって思えてくるから不思議です。ロシア人はモンゴル人と違って、ほとんどが流暢な英語を話します。世界中で、今頃はどこも学生らはパーティやってるでしょう。当たり前ですが、日本からはなかなか見えにくい、モンゴルや中央アジアや他の途上国の国々でも、学生らは同じように踊って歌っているんだなと思いました。そしてアメリカのソフトパワーというか、ディスコの曲ももちろんほとんどアメリカですし、その曲を多くの学生が口ずさんでいるのを見て、やっぱ強いなって思いました。経済的、政治的にはアメリカのパワーは一時に比べると相当落ち込んでいますが、音楽や映画のソフトパワーとUSドルは、かなり世界中の隅々にまで浸透しているんだと改めて思いました。ディスコタイムになっても、中心は女性で男性はなかなか上がりません。この光景もどこも一緒でしょう。ただ、留学生だけということなので、てっきり英語で進行してくれるのかと思ったら、全部モンゴル語でした。聞けば、ロシアからの留学生は、4年から6年ここで勉強するのだそうです。だから皆当然のようにモンゴル語は話せます。パーティは予定通り9時過ぎに終わりました。私はてっきり、かなり飲むことになると思って車では来ませんでしたが、出たのは最初の乾杯のシャンパン1杯だけ。後はケーキワンカットのみ。仕方なく、カウンターへ行ってビールを買って飲んでました。寮がすぐ近くなので、ほとんどは皆そのまま帰るようです。私も、Pさんに挨拶して、出て行きました。でも、あまりにもお腹が空いたので、近くの韓国料理屋に入りました。「このうどん頂戴」というと「冷麺」しかありませんと言われ、それを食べて帰りました。冷麺はとても美味しかったけど、マイナス30度近い外へ出たら、寒さが一層身に染みました。もちろん、酔いはゼロでした。
2008.12.20
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数日前から、新たな問題が起こっていました。とは言っても、今までの問題に比べっれば大した話ではないのですが。私も「問題が湧き出る」のには慣れっこになってきましたので、さほど心配はしていませんでした。モンゴルへ来る前に、当然契約をしてきました。契約といっても、大した内容ではなく、本当のところ給料だっていくらなのか不明のままでした。日本風に言えば「当社規定による」みたいなもので、国立大学の場合はなんとかの何級のように決まっているらしく、正確な金額は書かれないままの契約でした。まあ、モンゴルに行くのは、お金目的のはずもないわけでその辺はほとんど期待していませんでした。それ以外の部分も、特にガリガリ交渉するということもなかったです。ですが、学部長は気を使って私のために契約書を作ってくれました。ですので、下交渉をちょっとやって、出てきた契約書に即サインをしたということです。私は特に不満もなく、まあ、いろいろ考えれば「少し譲歩しちゃったかな?」と思う程度の内容でした。それはそれで問題なかったのですが、突然今週になって「今後はこの契約書でやるから、すぐにサインをするように」と本学部No2の女性ディレクターに言われました。いきなり新契約書を出して、「何か問題ある?なければサインして」と言われました。私は、もともと大して頓着はしてなかったのですが、いきなりこう言われると、そもそもなんで新契約書にサインしなくてはならないのか?微妙に内容が変化しているように見えるのは何か?が気になりました。とはいえ、その時はちょっとコメントしただけで「一応家に帰って見ておきます。問題なければ、サインしますよ。」と言って引き揚げました。ところがその後家に帰って見てみると、全体のテンプレートから、言葉使いや私の扱いなどが微妙に違っているのです。後でわかったのですが、今回の契約書締結は全教員一斉にやっているのだそうです。要するに、今までモンゴル人教員との間には契約書らしい契約書が存在していなかった(日本企業と同じですね。)ので、HR(人事部)がここ数カ月で新しい契約書の型を作り上げ、それに全員サインしてもらうことになったのだそうです。そしてついでに、外国人教員も対象にする、となったのだそうです。つまり、当初の契約書は「私のために」作ったのに、今回のはHRが全校一斉に作ったわけですから、当然気配りなんてないし、私から見るとなんとなく「改悪っぽい」感じにしか見えませんでした。まあ、HRなんていうのは大体どこも、働く側、被雇用者のために契約書を作っているのではなく、会社側、雇用者側のために作るのですから、一斉に変えるとなれば前より良くなるなんて考えはないでしょう。この学校の場合も、そのようです。ただ、今まで何も契約書がなかった多くのモンゴル人教員からすれば、比べるものもないし、交渉のしようもないと最初から思っているでしょうから、すんなりサインするのは容易に想像できます。ですが、私の方は、わずか半年前に結んだ契約を変える理由はありません。私はメールで6項目ほど「なぜ変えるのか?」の質問をしました。ですが、返ってくる答えは「今回は全校的にでHRが・・・」という説明だけで、個別質問への返事は一切ありませんでした。私は、「テンプレートを変えるだけなら、もちろんOKだけど、内容を変えるのは両者、つまり私の合意がなければ契約書は変えられませんよ。」と伝えました。更に「当初の契約に基づいて来た私に対して、来蒙し大学へ入った後、雇用者の有利な立場で変えるのはできません。これは世界共通のルールですよ。」と忠告しました。こうなると中に入ってる伝書鳩機能の人はお手上げです。自ら「私は何も変える権限がないです。」と言ってきました。私はただ「なぜ変えたのか?」と質問しているだけなんですけど。そして、私にとっては、サインを急ぐ理由もないし、サインしないと何か困ることもないのです。ちょっとこう着状態になりそうな時に、学部長から連絡がありました。電話ではいろいろ言ってはいましたが、どうもその後各方面と調整したらしく、「今回は外国人の先生との契約は期間中は変更しないことにしました。」と結論付けました。そりゃあそうだろうな、と思いました。また、来年の日程調整でも、以前話していた話と異なる方向になりそうだったのですが、それも解決してくれると言われました。結局、単なる事務的な話も、全部学部長にまで来ないと、途中の人では何も解決しないことがよくわかりました。学部長も、HRの一方的な契約変更が正しいとは思ってはいなかったようです。ただ、心配なのは、この学部長、前にも書きましたが、モンゴルではテレビにもよく出る有名人(モンゴルの竹中平蔵?)らしく、いつまでこのポジションにいてくれるのかわかりません。どうもかなり上の方に飛んで行ってしまう可能性もあるようです。私を招いてくれたこの人がいなくなって、その後に社会主義官僚みたいな学部長に変わったら、「学校で決めたことに逆らうんじゃない!」なんて対応しかしなかったら、どうするんでしょうね。その時は、「あっ、そう。わかりました。」って引き揚げるのかも知れませんね。こういう時の私は相当あっさりしてますから。
2008.12.06
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13日のモンゴル語学科への出席で、2か月の遅れの重さを実感した私は、ほとんど大学での授業は諦めていました。毎日授業があるわけですから、いくらなんでも全く理解できない授業に出るのは時間の無駄でかつ苦痛でしかないと思ってました。とはいえ、学部長がいろいろ骨を折ってくれたのはわかっていたので、一応翌日14日の11時半からの授業にも出ようと思いました。14日は、この授業とやや重なるように私の授業もあったので、予め先生には途中退席することは伝えます。ですので、モンゴル語の授業開始の11時半の時点で、14時半からの私の授業の準備は全部できている必要があり、そのためには友人のBさんのオフィスでプリントアウトすることも考えると、いつもよりかなり早めに家を出る必要がありました。Bさんのオフィス経由で私の大学のオフィスへ行き、そこで準備完了してからちょっと離れたモンゴル語科の授業のある建物に行きました。もちろん、そのクラスとしては初出席ですので、ちょっと早めに着きました。ですが、私一人です。時々部屋を覗く人がいますが、なかなか現れません。始まる時間をちょっと過ぎたころに、モンゴル衣装を身に纏った年配の女性が現れました。とても優しい表情の方で、すぐに先生だとわかりました。私が自己紹介すると、私のことは既に聞いていたようで、「ああ、日本人の先生ですね」と英語で話してくれました。そうこうしていると、やっと一人の生徒が入って来ました。なんとなく快活そうな女性で、聞けばなんとラオスからの留学生だそうです。私たちはラオスと発音しますが、彼女は「ラオ」と言ってました。聞けば、モンゴルとの国費交換留学生が毎年両国で3人いるそうで、彼女はそのうちの一人だそうです。弟もモンゴルで勉強中だそうで、現在モンゴルに全部で6人しかいないラオスの留学生の3分の1をこの姉弟が占めているというわけです。今度は、西洋人の女性が入って来ました。聞けばフランス人だそうです。更に、年配風の男性も一人。これまたフランス人だそうです。そして、男の子って感じの二人が入り、私を入れて全部で6人で授業が始まりました。なんとなく、国際色豊かなのは楽しいです。やはり私は初めてなので、英語で自己紹介をしました。先生は、時折英語で説明を交えながらゆっくり話してくれました。しかも、今日初めてのド初心者の私を意識して、「こんにちは」から始めてくれます。ラッキーだったのは、そのフラン人の女性も初心者で、しかも1週間前に入ったばかりだそうです。ラオスの人は、結構世話好きでいろいろ教えてくれました。私がわからない顔をしていると「どこがわからないの?」と英語で聞いてきます。例によって私が「黒板の文字が全然読めません。この印刷体なら読めるのですが・・・」というと、「私も最初は苦労しました」と言ってました。すると、その時、先生が私の机の前にやってきて「ノートを貸して」と言いました。なんだろうと思って差し出すと、私のノートにアルファベット全ての筆記体と、わかりにくそうな文字の書き順まで書いてくれました。これには正直ビックリです。もちろん、親切なことにもビックリですが、その間は他の人の授業は完全にストップしてしまっているわけです。「え~、いいの、それで?」って思ってしまいました。聞けば、そのラオス人の生徒も先生に書いてもらったのだそうです。なので、私のノートに書いている間も、誰も文句を言う風でなく、私のノートを一緒に見ていたり、フランス人同士はずっとフランス語で話したりしていました。男の子二人は、その間私が持っていた「モンゴル語・日本語単語帳」を借りて、ひらがなだけを発音してました。少しやったことがあるのかも知れません。私のノートに書き終えると、今度はフランス人の女性が「私も」と言って、先生に書いてもらってました。昨日とは打って変わって、相当のんびりムードです。ラオス人もフランス人も全くできない私にはとても暖かく接してくれました。そして、また全員相手の授業が始まりました。もちろん、簡単ではないですが、昨日とは全然違って、全くわからないということはないですし、英語で質問すれば英語で答えてくれるので楽です。他の人も気楽に英語で聞いています。「これなら、なんとかやって行けそうだな。」って思えました。ですが、さっきから気になっていたのは、男の子二人です。ここは初心者コースのはずなのに、先生とはモンゴル語で話しています。しかも、ペラペラって感じです。私が、「何人なんですか?中国人ではないのですか?」と英語で聞くと、2人は全くわからないという顔をしていました。先生が「モンゴル人です」というので、「このクラスにモンゴル人がいるの?何で?」と聞きました。要はこういうことです。彼らは中国領である内モンゴル人なのです。だから、国籍は中国人ですが、民族の意識としてはモンゴル人なのです。彼らは、モンゴル語は話せるのですが、文字は旧いモンゴル文字(縦文字と呼ばれている、一見チベット文字みたいな文字)を使って育っているので、モンゴルで勉強するにはロシア文字と共通のキリル文字を勉強しなければならないのだそうです。文法もちょっと違うらしいです。中国ではやはり漢民族中心ですから、彼らは「少数民族」と呼ばれています。その「少数民族」が勉強するには、中国語でやるしかないのでしょう。もちろん、中国語は話せますが、モンゴル語で勉強したいとなると、この国へ留学するしかないのではないかと思いました。ですが、いくらなんでもド初心者の私と同じクラスというのはありえないとは思いますが。でも、全然気にする様子はなく、一生懸命文字や文法の勉強してました。内モンゴルの人の気持ちを聞いてみたいと前から思っていましたので、これはチャンスとは思いましたが、いかんせん英語は通じないので、私がモンゴル語を勉強するしかありません。ラオスの生徒に「ラオス行ったことある?」と聞かれたので、私は「ベトナム、カンボジア、タイはあるけど、ラオスはないです。でも、私の田舎の友人、今中学校の校長先生しているんだけどね、彼はラオスが好きで、将来ラオスに学校作るんだって言ってたよ。」って言いました。すると「すごーい。何の学校?」と聞かれたので「うーん、多分ラオスの田舎の子供たちに良い教育の機会を与えて、日本語教えるとかじゃないかなー。」と答えました。どこでどんな縁があるかはわかりませんが、なんとなく私の田舎の友人が本当にやる時がきたら、この生徒と縁ができそうな気がしました。こういう大学へ来て思いますが、国際交流とか留学とか、日本にいるとなんだか先進国の人間しか見えてない気がしましたが、そうではないのですね。先進国の人間というのは正確ではないですが、途上国の人がアメリカや日本へ留学するというのは見えていますが、そうではなくラオスとモンゴルとか、モンゴルとトルコ、モンゴルとベトナムなどの途上国同士も活発に留学生を交換しているんだなーと改めて思い知りました。彼女を見ていてすごいなと思ったのが、たった1ヵ月半なのに、もうかなり話せるということです。私にはとても無理でしょう。しかも、ものすごく熱心にノートを書いており、しかもきれいです。フランス人の生徒が「フランス語・モンゴル語」辞書を見ているのを見て「いいなー、私の国の言葉の辞書はありません。」と言ってました。確かに、ラオス語とモンゴル語の辞書はそもそも需要がほとんどないのでしょう。彼女は全て英語経由で勉強するしかないと言ってました。私が「だったら、あなたが辞書を作ればいいじゃない?そしてあなたの名前を書けば素敵じゃない?」というと「はい、そう考えています。だから、こうして単語帳を作っているのです。」と既にびっしりと書き込まれたノートを見せてくれました。いやはや、こういう生徒の前向きな努力に比べたら、お客さん気分の私なんて、いてもいなくてもいいような存在だなと思いました。前半の「会話」の授業が終わったら、先生が私に少し日本語で話しかけてくれました。「なんで日本語ができるのですか?」と聞くと、「息子と娘が日本に留学しているのです。」と言ってました。多分国費留学でしょう。そして、ずいぶん優秀なんでしょう。「日本のどちらにいらっしゃるのですか?」と聞くと「下の娘は、大阪大学です」そして息子さんはと聞くと、これがびっくり、私と同じ大学でした。偶然かどうかはわかりませんが、私の友人のBさん、その同僚のEさん、日本でのモンゴル語の先生のTさんに、今日の先生の息子さん・・・会う人会う人、私の後輩(というほど、大した先輩ではないですが)になるとは、ちょっと驚きです。もしかして、モンゴル人比率が高い大学なのでしょうか?日本にいる時にモンゴル語の先生のTさんに聞いたら「そりゃ、人数ではやっぱり東大ですよ。だって、学部は何でもありますからね」と言ってました。なるほど、確かに弱小の単科大学とは全然違うのでしょう。だとすると、一層偶然を超えて、いろんな意味の縁を感じてしまいます。後半の文法の授業は、やっぱり全然わかりませんでした。ですが、しばらくこのクラスで頑張ってみようと思います。毎日というのはちょっと辛いですが、まあ辛いことしにモンゴルへ来てるようなものですから、それも仕方ないでしょう。
2008.11.16
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今、大学です。現在、週3回の授業なんですが、意外と暇な時間がありません。なんだかいつも追われてる感じです。というのも、まだ今期が終わってないので、すべて一巡目なのです。つまり、毎回授業の準備が必要ということです。もちろん、日本での経験から大まかなプランはありますが、生徒に渡す資料は全部英語にしなくてはならないので、これが結構大変です。結局、前日の夜準備することが多いので、最近は平日の夜のお酒は控えています。しかも、私はプリンターを持っていないので、授業当日の朝友人のBさんのオフィスへ行って、プリントアウトしてそれを大学で人数分コピーを取るということでなんとかしのいでます。プリンターは10日ほど前に学部長が私専用のを買うと言ってくれましたが、まだ来てません。昨日は、9時40分スタートの授業でしたが、ちょっと早めに来てコピーを取ろうと思っていました。コピー機は、私のいる部屋にはなく隣のアシスタントのいる部屋にあります。ですが、朝来たら鍵がかかってて入れません。スタッフも来てないし、誰もいません。向かいの部屋に仲良くなった先生がいるのでその部屋にあるコピー機を借りようとしましたが、これもロックアウト!仕方なく、最後の手段として、学部長の部屋にあるコピー機を借りようとしましたが、これまたロックアウト!一体どうなってんの、この学校は??もう9時半で、朝早い授業はとっくに始ってるのに誰もいないなんて!結局また事務局のDr.Bの携帯に電話しました。彼にとっては、私は面倒なクレーマー以外、何者でもないでしょうね。彼は、「授業は何時から?」と聞くので「あと10分です」と答えると、「なんとかしましょう、連絡します」と言ってくれました。更に、最近まで私のアシスタントをしてくれていた人(昇格して、マネジャーになったらしい)がいたので、助けを求めると、真剣に考えてはくれますが、なすすべなし。鍵も持ってないと言います。彼女の部屋にもコピー機はないとのこと。なんとかしましょう、と言ってくれたDr.Bもなしのつぶて・・・時間だけがどんどん経っ行きます。私の怒りが爆発しそうになる寸前(?)に、アシスタントが出社(登校?)してきました。私はすぐにその部屋に入り、コピー機のスイッチを入れました。ここにあるコピー機はキャノン製ですが、多分今の日本には存在しないような超旧型で、立ち上げも遅い、コピー取るのも遅い、印刷もきれいじゃないという三重苦の器械ですが、文句言ってる暇はありません。ところが、今度は紙がなくなりました。アシスタントに言うと、「今ないから、他の部屋に探しに行きます」と言って、どこからか持ってきました。あれやこれやで、30分以上の遅刻となってしまいました。せっかく早めに来たのにー。今までの授業は、ほとんど毎回何かのトラブルが発生しています。チョークがない、部屋が間違ってるなどなどは、毎度お馴染みです。チョークのなさとチョークによる汚れ(服が毎回白くなる)が嫌なので、黒板を裏返してホワイトボードの面を使っていますが、その面はホワイトにならずに前の文字が残ったままです。消しても消えません。濡らした雑巾で、結構な力を入れないときれいにならないので、毎回生徒に手伝ってもらってます。昨日は、それでスタートしたのですが、今度はマーカー(ペン)が途中でインク切れで字が書けなくなってしまいました・・・もちろん、あるのはこの1本だけです。毎日こんなトホホな生活です。今朝は今朝で、やはりいつものように友人のBさんのオフィスへ寄ってプリントアウトしました。そして、タクシーに飛び乗り大学へ向かいました。タクシーは、一番多いヒュンダイの超超オンボロセダンで、多分エクセラだと思います。ドアだって、簡単には開かないし、スプリングは壊れてるのか、乗り心地はボコボコです。でも、まあ動けば文句は言いません。「次は、左折」と言ったのに、なんかよろよろと右へ行きます。そして、止まってしまいました。ガソリンはまだ入ってるようですが、かれは車を降りて大きくドアを開け、まずアクセルをチェックしました。ダッシュボードから工具を取り出し、何やら言ってます。そしてボンネットを開け、また調整を始めました。私はこんなのに付き合ってられないので、「だめみたいだから行くね」と去ろうとすると「お金は?」です。私が「冗談じゃない、私はこれから歩くんだからお金は払えない!」と言って大学に向かいました。ちなみに、会話のほとんどは、彼がモンゴル語で言って私が勝手に英語で話してるので、多分お互い通じてないでしょう。通じるのは「まっすぐ」「左折」などの簡単な私のモンゴル語だけです。昨日のこともあったので、今日はより早めに来ましたが、それで良かったです。毎日何が起こるか予想できないのが、モンゴルです。
2008.11.14
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先週の一時帰国以来、ビザのことは書いていませんが、だからと言って解決したという訳では全くありません。学部長に「私のビザは実は学生ビザだった」とか「空港で帰された」などと言ったら「信じられない、大変申し訳ない」というメールが来ました。そこには、ビザ問題は解決しますと書かれていました。まあ、今回だけの問題で終わるならいいかとも思っていました。実は、ビザ以外にも問題があって、私はこちらへ来てもう2か月になろうというのに未だに1度も給料をもらったことがありません。金額も知りません。契約書には「国立大学で定められた既定の・・・を適用」みたいに書いてあるだけです。同僚の先生に「お給料ってどういうシステムなんですか?いつ支払われるのですか?」と聞いたら「月に2回なんです。毎週ではないです。」だって。こっちは、毎週なんて思ってもいなかったし、週2回ももちろん知りませんでした。であるならば、いくら遅くとも私にはいくらかは払われてもいいはずです。その先生に「私は一度も支払われたことがないです。」と言ったら、それこそビックリ!早く、学長に言いなさい、と言われました。ですので、これも学部長に言ったら、またしても驚き、深くお詫びしますと言われました。学部長は、これらの問題についていつもの事務局のDr.Bと話してくれといいました。私はその指示に従い、Dr.Bと話しました。でも、ビザのこととなると彼は「わかりません」しか言いません。こんな人といくら話したって何も進まないので、かなり厳しいメールを学部長に出しました。要は「あなたはいつも、はいやります、といって、あとはDr.Bに指示するだけで、何もしませんね。ちゃんと自分で具体的にどうするのかを考えてください。」と。ビザ問題では、他の先生も心配してくれて「こんな学校に任せておいてもできないよ。一緒に外務省へ直接行こう。」という先生もいます。ここでまた不思議なことが。私がビザ問題や給料不払い問題で、満足してないことを告げているにもかかわらず、その話がちょっと一段落したところで、Dr.Bが「ちょっといいですか?」と言いました。こっちがまだ熱くなっているのに「ところで、今期大学生向けの授業もやってもらえませんか?すぐに始めるということでいかがでしょうか?」とまあ、のんきなことを言ってきました。何言ってるの?私はたった今、こんな状態が続くなら、日本に帰らざるを得ないって言ったばかりなのに、クラス増やしてくれって・・・なんなのそれ?話聞いてんの??つい1か月前に「今期は大学院生のみで、来季から大学生もお願いします。」と言ったばかりじゃないの?私がそう聞いても「はい」と気のない返事をするだけです。一体、だれがカリキュラムを決めているのでしょうか?こんな中途半端な時期になんで開講するの?と疑問がわいてきます。とはいえ、私は冷静にこう言いました。「大学生の授業は、9月から始まっているのでしょ?だったら、今なんて期の途中ですよね?大学生のほとんどは9月前にこの学期(9月から1月まで)はスケジュール終わってるんじゃないの?」と聞くと、Dr.Bは全てのコメントに「イエス」でした。「なんで、こんな中途半端な時期に始めるの?生徒は来るの?何か他の目的があるの?」と聞くと「学部長があなたの授業を大学生向けに早くやりたいと言ってました。」だって。他に理由を尋ねても当然、「わかりません」しか言いません。私は「絶対嫌だということはないです。学部長が何かの理由でやってほしいというなら、やりますよ。でも、前回のように急に決めて、急に生徒に通知し、来た生徒はだれも日本人が英語でやるなんて知らされていない、なんてことは絶対に避けてください。だから、仮にやるにしてもそういう周知期間が必要で、それを考えると今月下旬じゃないかと思います。ただ、それで授業として大丈夫なのかはわかりませんが。」と言いました。このDr.Bと話していてつらいのは、彼は自分の考えがないので、私が聞いても「わかりません」で話が終わってしまうことです。官僚的どころか、本当に伝書鳩みたいなので、毎回会って話しても何も進みません。話すとすぐに答えられなくなるので「聞いて調べます」「学部長に聞いてみます」しか返ってこなくなるのです。現実的には、大学院生向けを今やっているのに、まさか同じ内容はできないので、全く違うテーマをやらねばなりません。まあ、ラフなプランはありますが、実際にやるとなると結構また忙しいなーと思っています。せめて、大学院生向け授業が全部終わってからだと助かるんだけどなー、と内心思っています。「とにかくビザ問題をすっきりさせてよ。でないと、新しい授業なんて考えられません。」と、あまりロジックがない言い方で答えてしまいました。ま、気持は通じたでしょうけど。どうなるのでしょうか?これらの一連のやりとりを聞いた友人のBさんは「あの大学、大丈夫かな?」だって。学部長は今やエコノミスト的にニュース番組に出てコメンテーターみたいなこともやってるらしいです。Bさんは「もう、大学どころじゃないんじゃないのかな?忙しくて。」だそうです。有名人はいいのですが、ちゃんと私との約束だけは果たしてほしいです。
2008.11.10
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今日は比較的平穏な日でした。当然といえば当然で、大学関係者には私は今は日本にいることになっており予定もありません。モンゴルへ来てもう40日近くが過ぎました。いわゆる生活基盤ができたか?と考えれば、まだまだと言わざるを得ません。10日前の10月19日に書いたブログでは以下のことを、1週間以内には目途をつけたいと言ってます。10日後と比べると・・・・今日の夕方には風呂が直り、今夜にも湯船に浸かれる →これは完了なので、○・今夜は大汗をかいて寝て、明日には私の風邪も完治する →これも治ったので、○・明日大学での登録作業などの全てを終え、私の手元にパスポートが戻ってくる →パスポートは戻ってきたが、登録作業どころか、学生ビザだったことが判明したので、X・この手続きと同時に、社会保険などの書類が手元に来る →これは学部長はやるといってるが、誰も動いてないので、X・モンゴル語科の学生になれる →これも学部長は3か月以上前から約束してるけど、全く進んでないので、X・免許証の交付が終わり、晴れて運転できるようになる →これは実現できたので、○・程度の良い車が見つかり、行動範囲が広く自由になる →これはまだ全然目途がたってないので、Xです。これらを見ると、車以外は大学側が準備すればいいだけのことなのに、全くやってないことがわかります。そもそも私がこちらに来る前から準備しておけばいいのに、そういう姿勢は感じられません。今回の一連の騒動で、役所のひどさは十分わかりましたが、大学の事務局のひどさも相当なものです。大学は12学部から成り立っていますが、事務局はこれらの学部に属するのではなく、学部共通の独立した組織のようです。そういえば、未だに組織図なども見たことないです。新入社員などにするオリエンテーションも、数人の人間を紹介して終わりでしたから。この事務局というのは、ある意味組織のガンというか、役所以上に役所的です。特に、海外からの留学生や外国人の教員の事務を行う渉外部門はすごいです。本来であれば、この国をよく知らない外国人に対して「サポート」する部門であるはずの部署であるはずなのに、全くの正反対です。言葉の問題や仕組みが分からない外国人が訪ねても、超高圧的でやる気のない事務員が威張ってます。日本人的には信じられない光景です。学部長などは「あそこへ行って手続きしてもらえば全部大丈夫です」などと簡単に言いますが、それは実態を知らないからでしょう。私は、先月到着するなり、すぐにパスポートを取り上げられました。私が、返してくれと抗議したら、非常に高圧的に「これからあなたの就労ビザを取らないといけないの」と言いました。私はそんなもの日本にいる時に散々準備してやったじゃないか、モンゴルの労働省への書類も出したじゃないか、というと「あれはただの入国ビザ。ここではこれが必要なの。」と言います。まあ、仕方ないです。ですが、私はモンゴルへ来たばかりで、いろんな手続きが必要なのに、そのたびにパスポートの提示を求められるから、早く返してほしいと言って、コピーだけ貰いました。しかもその際、来月下旬に日本に戻ることも言いました。どのくらいで返してくれるのか?と聞くと「10日」と言います。で、次にパスポートのコピーを取りに行った時に「10日だったよね?」と聞くと「2週間」と言います。次に、別件で来た時に「来週取りに来る」というと「3週間って言ったでしょ?」とぶっきらぼうに言うのです。私が、「10日とか2週間と言ってた」というと「そんなこと誰も言ってない」でおしまいです。私はその時も「日本に帰るのに必要だから」と言いました。そして3週間が過ぎました。私はさすがに出来ているだろうと思って行くと、担当者はいません。近くに座っている人に聞くと「バケーションに行ってる」とのことです。はぁ?「じゃあ、どうすればいいの?」と聞くと、来月(11月)には戻ってくるから、その時に来て。」だって。私が「冗談じゃない、来週日本に帰るし、それは彼女にも言ってあったよ。」というと「でも、私に言われてもわかりません」だって。そうかもしれないけど・・・でも、どうしたらいいのかは言いません。ここがこの国の共通項です。相手が困っていることを解決する方法を知っていても、決して自分からは言いません。その担当者ではない彼女も私が諦めて帰ってくれるのを待っています。私が「わかった。だったら、これから学部長に電話して、そのバケーション先に連絡してもらう。」というと、初めて困ったように「その人が不在の間は、隣のXさんが担当しているから、Xさんに聞いてください」だって。なんで、最初からそれを言わないのかわかりません。そのXさんは、今不在です。「いつ帰るの?」と聞くと「40分後」と言います。それで諦めてくれると思ったのでしょうが、こっちはパスポートの問題ですから、そうはいきません。「じゃあ、ここで待ちます。」と待ちました。椅子を出して座ってくださいなんて、もちろん言いません。彼女からしたら、私はただ面倒な存在でしかないのです。私はずっと立ったまま待っていました。すると彼女がこそこそと電話始めます。15分くらいしたころでしょうか、私に受話器を差し出して電話に出ろと言いました。私が出ると、不在時担当の女性が出て、「今日は私はもう帰らないから、明日朝来てほしい。そしたら、必ずパスポートを渡すから。」と言ったので「何時?」と聞くと「9時には渡せます」と言われ、出て行きました。なぜ、最初から私がパスポートのことで訪ねてきた時に、その不在時担当者に連絡してそういうことを言わないのでしょうか?常にそうですが、とにかく目の前から消えてくれればいい、自分は何もしたくない、という姿勢がありありです。その一部を見ていた2人の韓国人留学生が、私に英語で聞いてきました。「どうやったら、パスポートを返してもらえるんですか?」と。泣きそうな顔してました。これもまた被害者みたいです。これは私の感想というよりも、モンゴル人の友人にこういう話をするとほとんど誰もが言うのが「その人(私)が何を望んでいるのか、どうしたいのか?そんなことはだれも考えてないですよ。ただ、自分の前から消えてくれればいい、かかわりたくない、だけです」と解説してくれます。翌日、ちょっと時間の余裕を見てその事務所に行きました。ところが、なんと誰もいないのです。さすがに、今度は文句を言う相手さえもいません。仕方がなく、その部署の部長と思われる人(それも女性)が奥の部屋にいるのがわかっていたので、恐る恐る尋ねました。「すいませんが、私のパスポートを取りに来たのですが・・・」というと、その部長さん、「今日は誰もいないんだから、また来たら?」と言います。私が「もう1か月も前からパスポートを預けっぱなしで、まだ戻ってきてません。昨日来たら、今日来いと言われ来たのですが・・」と私もまだ低姿勢です。彼女は「ああ、多分外務省が遅いんでしょう。あそこはいつも遅いから、今回もまだでしょう。」などと調べもせずに平気で言います。私は段々頭にきて「昨日は9時に出来てる言ったんですよ。だったら、もうとっくにできてるでしょう?そもそもパスポートはどこに保管してあるんですか?」と聞くと「さあ、知らない。そもそもそんなのは私の仕事じゃないから。」私は、それがあんたの仕事だろう、と思いました。彼女は続けます。「そもそも私はあなたと会うのは初めてだから、何もできないです。また別な日にアポイントを取ってきてください。」だって。その日は金曜日で、「私の出発は月曜日です。だから、別の日じゃあだめです。」というと、「It's not my business!」と怒って、勝手にしたらと無視し出しました。そして自分の部屋に戻って行きました。私はあきれ返って、「わかりました。あなたが助けてくれないのなら、学部長に電話します。」と言いました。その日はその後授業があり、その後の予定も考えると、この事務所に戻ってこれるのが夕方5時を過ぎるので、そうなるとこのお役所的事務所は絶対に誰も仕事してないと思いました。で、学部長に電話したのですが、あいにく出ません。会議か何かかわかりませんが、出ません。仕方なく、いつもの学部の事務局の人に電話しました。その彼は、最初にこの渉外部門に連れて来てくれた人です。彼に電話しました。彼に「あのパスポートのこと覚えてる?」というと「ああ、もちろん。もう戻ってるんだろう?」と言います。私が、パスポートはまだない、月曜日に日本へ行く、ここへは昨日も来て、今日来いと言われてきたけど誰もいない、仕方がないので(多分)偉い人と話したけど、全然相手にされずに「私の仕事じゃない!」と言われた・・・などと話しました。英語で話していたので、彼女はびっくりして彼女の部屋から出てきました。「私はそんなこと言ってない。ただ、ちゃんとアポイントを取ってくるべきだと言っただけ。」と。そして彼女は、私が本当に学部長と話していると誤解して、真面目にパスポートを探し出しました。私は「あれ?知らないって言ってたじゃない?」と思いました。だったら、最初から優しく一緒に探せばいいじゃない。なんでそんなに威張るんだろう?そうこうしていたら、昨日電話で話した彼女が戻ってきました。その女性部長はちょっと怒って、「早く渡せ!」と言ってます。そして、同時に電話番号を調べさせてます。多分、学部長のでしょう。私は、そのふてくされた顔(本当にふてくされてるのです)の担当者から受け取って、学校に戻りました。偶然ですが、学部長に会いました。すると学部長が「何かあったのですか?急に渉外部長から謝罪の電話がかかってきましたけど・・」と言われました。私が、パスポートのこと、さっき私が電話した相手をその部長さんは学部長だと誤解していること、など説明しました。学部長は「あそこに、あなた一人で行ってはいけません。あそこへ行けば、きっとまた怒るでしょう。あそこのホスピタリティのなさは、実は学内でも問題なのです。」だそうです。これにはまたびっくり。確か、最初はあそこが外国人をサポートする部署だと言ったのは学部長だったからです。ですが、今回の一連のパスポート騒動で、ホスピタリティだけでなく、能力がないこともわかりました。なぜなら、パスポートを専門に扱う部署なのに、私のビザが教員用ではなく学生ビザだってことを見抜けなかったのですから。あるいは、私が何度も「日本に帰る」と言ってるのに「そのままでは帰れませんよ」というアドバイスは全くありませんでした。もしかして、気づいたけど、気づいたらまた自分の仕事になるから、このままでいいやって思ったのかもしれません。でも、確かにこんな部長がいたら、その部下の女性スタッフが高圧的でひどくなるのもわかる気がします。学部の先生やスタッフは、直接留学生や外人教員と実際に接しているから皆優しいですが、こういう事務局は、別にクビになるわけでもないし、皆が頭下げて頼みに来るところだから、モンゴルのカルチャーの悪い面が一気に噴き出してしまうのかもしれません。教員やスタッフは気さくでいい人なんですけどね。
2008.10.30
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昨日も、午前中はずっと自宅でケーススタディに関する英文のメモを作り、昼過ぎにそれをBさんのオフィスに行ってプリントアウトし、その後大学へ行ってコピーを取るという面倒な行程を行いました。大学内のプリンターは、試してはみました。私の個人パソコンも、デスクにあるパソコンもプリンターとはつながってないので、USBを使ってトライしました。もちろん、日本語表示は不可能です。英文ならなんとかなるだろうと思ったのですが、そもそもバージョンがあまりにも違うようで、ファイルそのものが開きません。今日はパートタイムクラスです。当初、たったの2人(プラスこのクラスを受講している大学の先生1人)を予定していましたが、結局全部で4人となりました。通訳のS先生も参加してくれました。後から来た生徒は、今までの2回を欠席しておりさすがにいきなりはついてこれません。しかもケースを事前に見てないので、議論参加は無理ですが、せっかく来てくれてるから「なんだか面白そうだな」と思ってもらって、次回以降に来てもらわないといけません。事前にケースを渡していた生徒が、意外なほど予習をしてくれていて、これならこのままやれそうだなと思いました。ただ、この生徒は数少ない「英語を少し理解できる」生徒でしたから、今後はどうでしょうか?来週のフルタイムの授業で、おおよそが見えてくると思います。3時間ほどで終わりました。今回から初参加の生徒に「どうでした?私は来週もあなたがここに来てくれと嬉しいです。」というと「はい、絶対に!」と言ってくれました。やはり、ケース読んでないし、議論に参加できないのが残念だったのでしょう。とはいえ、本当に来るかどうかはわかりません。登録者数に対する出席者は、フルタイムの生徒はほぼ9割の出席ですが、パートタイムはそもそも3分の1以下ですから。やる気だけではなく、仕事との時間調整が難しいのでしょう。社会人相手といいながら、午後2時40分から始めたり、クラスの予定を直前(前日の夜!)に伝えたりするやり方では、なかなか出席できる人は限られてしまうでしょう。授業が終わって、今夜は私の歓迎会です。嬉しいですね。経済学部の中には科というか部門が8つか9つあるらしく、私が所属しているのは「経営」(Management)です。他には、Finance, Accounting, HRM(人的資源管理)、マーケティングなどのお馴染みの科のほかに、マクロ経済とか人口統計・数値経済のようなのがあるようです。今日はその「経営(学科)」の先生とスタッフとの食事会です。「経営」には10人先生がいるそうですが、外国人は私一人です。以前聞いた、アメリカ人とスイス人は多分、他の学科なのでしょう。大学の向いにあるモンゴル料理屋さんで始まりました。2人ほど仕事で来れないと言ってました。皆、とても暖かく迎えてくれました。この部門のリーダーが、私と同部屋のBさんです。女性の先生で、いつも私のことを気にかけてくれます。これはBさんが私に注文してくれた羊の茹で肉です。味付けは塩味です。実はこれはもう「半分食べた後」です。この肉の「高さ」は5センチほどです。異常な大きさでした。後で聞いたら、やっぱり2人まだそうです。それでも、でかい!大そう賑やかな宴が始まり、それぞれが自己紹介してくれました。大きく分けて2つのタイプに分けられます。民主化前と後。もっと言えば、社会主義と資本主義。民主化は92年ですから、生まれた時期では全員民主化前ですが、大学教授としてどの辺で迎えたが一つの転換点になるのでしょう。なんといっても経済学部ですから。この道30年のベテラン教授となると、ほぼ半数が社会主義時代です。しかも学んだ時期は100%社会主義で、ソ連の教育だけですから、その後の対応は大変だったでしょう。社会主義時代は、この部門は「計画部」と言われていたそうです。社会主義においては「Plan」が最も大切なのだったそうです。確かに5カ年計画は良く聞きました。それが、最近の大学の組織替えで「経営」に変わり「計画」を担当していた先生が今は「戦略」を担当するといいます。なるほどねー、でもさすがにいくらなんでも、これは無理がありますね。こういう先生が若い生徒に教えるというのは、ちょっと危ない再生産のような気もしました。私が授業の最初に「戦略ってなんですか?」と聞くと、一番多い答えが「Plan」だったのも、この辺に関係あるのかもしれません。もちろん、こういう先生たちはBCGもATカーニーのことも知りません。そもそも資本主義をどこまで理解しているかも、怪しいかもしれません。でも、とても明るく、気さくでいい人ばかりです。こんな雰囲気でした。他にお客さんが来たのですが、多分うるさかったのでしょう。他の部屋に移動し、事実上貸し切り状態になりました。もう一つの世代が、若い世代です。本当に若い30前後の先生たちは、やはり全然雰囲気は違います。ロシア語より英語ですし、考え方も最初から資本主義をベースにしているように感じます。リーダーのBさんは、多分40代?転換期前に教育を受けたでしょうが、当時まだ新しいことを理解できる若さがあったのでしょう。学部長さんが6月に会った時に言ってた言葉を思い出しました。私が、「社会主義の先生は残っていますか?」と聞くと、笑いながら「はい、たくさんいますよ。中には昔のままの授業をやってる先生もいます。国立大学ですから、首にするということはできません。但し、私が学部長になってからは、そういう昔の人は一切意思決定には関わらせません。」と言いました。昨日のメンバーでも、以前、国の文部大臣をやって教授を始め、リーダーのBさんより年配の先生は3人いました。おそらくこの人たちは、大学運営にはほとんど関与してないでしょう。そして、Bさんより年下の若い世代が4人いましたが、こっちの人たちがいろんな意味でリーダーシップを取っている感じがしました。その中で一番元気のいいベテラン先生が、私にいろんな質問をしてきます。「日本の歌手でピンク・・・というのを知っているか?」と聞きました。私が「ああ、ピンク・レディですね、2人組の」というと「いや、2人じゃない。ああ・・・何て言ったかな?ピンクなんとか・・」しばらく悩んでいて、今度は歌を口ずさみながら、振り付けをします。帽子をかぶってひねる仕草です。私が「あああ、ピンキーとキラーズですね!古いねー。私より若い日本人に聞いても、答えられませんよ。(笑)」と答えました。社会主義時代にこの歌が入ってきたのだそうです。もっと若いSさんによると「私も覚えてます、この歌。私の幼いころに聞きました。」だそうです。こうした歌は直接日本からではなく、ロシアから入って来たそうです。もう一つ、ザ・ピーナッツの歌も彼は覚えていました。なるほど、きっと40年も前のことでしょうが、ソ連も日本の歌謡曲をラジオで流していたのですね。ちょっと不思議な気分です。すると若手講師で、私の授業の生徒でもあるOさんが「では、歌います!」と立ち上がって歌ってくれました。モンゴル語の歌ですが、メロディはカントリー調でとてもスムースに耳に入りました。これはヨーロッパ調ではなくアジア調だなと、なんとなく感じました。するとリーダーのBさんも歌ってくれました。そして、何度も「私たちは、貴方を迎えられて嬉しい」と言ってもらいました。みんな、飾り気ない雰囲気で、とても暖かい言葉で歓迎してくれました。ありがたいことです。今度は皆で田舎に行こう!ということで、お開きとなりました。なかなか楽しい一夜となりました。
2008.10.18
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昨日はお湯のシャワーの後は、午後ずっと大学内にいました。大学ですから当たり前なんでしょうが、何か一つ頼んだり、確認するだけでもすごく時間かかります。まず席について大学側が用意してくれたパソコンを起動しました。ですが、ネットにはつながりません。先週もだめだったので、つながるようにしておいてねと頼んだのですが、やっぱりダメ。同部屋の先生も不在だったので、アシスタントの人に見てもらうと、なぜか学生も2人やってきて操作してます。きっとパソコンに詳しい学生なんだろうなと思っていましたが、それでもダメのようです。私は、「自分のパソコン持ってきてるから、この次まででいいですよ」と、今回も諦めました。ですが、私のパソコンもケーブルつないでもだめです。しばらくすると、だれかがやってきて「心配いりません。なぜなら、今、大学全体がインターネットつながらないからです。」だって。なるほど、こういうのは英語のジョーク的には、good news なのか bad news なのか、どっちなんでしょうか?ちなみに、ネットは夕方遅くにつながりました。めでたしめでたし。じゃあ、本でも読もうと思いましたが、とにかく暗い。それもそのはず、天井の電気(蛍光灯)が切れてます。これを一体誰に頼んだらいいのか?「こういうのは、誰に言えばいいんですか?」と聞くと「あなたのアシスタントのSさんに言えばいいです」と。で、Sさんを訪ねると不在でした。たまたまそこにいた人が「Sさんには私が伝えておいてあげる」というので、頼みました。ところが、Sさんではない他の人が私の部屋の天井を覗いて「ああ、なるほど、これか」と。また別の人が今度は「あなたはこれを暗いと思いますか?」だって。私は「そんなの当たり前じゃん!」と思いましたが、そこは思いとどまって「すいません、私の眼は暗い所に弱いものですから、よろしくお願いします。」と、改めてお願いしました。「了解です。じゃあ、Sさんに言っておきます。」です。すっかり暗くなって帰ろうと思う頃、Sさんに会いました。蛍光灯の話をすると、初めて聞くように「わかったわ。担当に連絡しておく」です。ま、こんなもんですね。書き出すときりがないほどです。もちろん、Be patientの精神です。明日9日から私の授業が始まる(らしい)のですが、どういうタイムスケジュールなのか実は今現在知らされてません。前回の時、45分を3回と言われたのですが、同部屋の先生からは「それはパートタイムの学生でしょ?」と言われました。そもそもどの教室でやるのかも知らされてません。学生の人数も、どんな人が来るのかも、全然です。先週中にすべてメールで送ると言われましたが、なしのつぶて。もちろん、連日メールで確認してますが、返答なし。「電話しても会議中で、後でします。」と言われるけど、そのまま。明日からだというのに、本当にこんなんでいいんでしょうかね?もちろん、いいわけないけど、ま、仕方ない。厳し目の口調でメールを書くのが精いっぱいの私にできることです。明日本当に学生に会えるのでしょうか?どんなレベルなのでしょうか?友人のBさんは、このモンゴル国立大学に入学し、途中で日本の大学に移り、日本で卒業しました。だから、少しはこちらの学生のレベルはわかるかなと思って聞いてみました。「大学院生ってことは、一応経営とか経済は4年間やったんだよね?」なんて私自身が大学時代、全く勉強のべの字もやらなかったことを棚に上げて聞きました。「いきなりケーススタディはどうかな?大丈夫だと思う?」「こちらの学生はPPMとか5つの力とかはもうわかってるって前提でやっていいのかな?」もちろん、そんな用語解説なんてやる気はないのですが、一応聞くと「うーん、あまり期待しない方がいいですよ。聞いたことある、ってレベルならいい方じゃないですか?」だそうです。こんなことも含めて、明日はお互いを知り合う日(私の英語レベルと学生の知識レベル)で終わりそうな気がしてます。でも、未知との出会いはワクワクします。このために来たんですからね、モンゴルまで。
2008.10.08
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