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内なる宇宙を感じて… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2013.04.20
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カテゴリ: カテゴリ未分類
物事を考える時の方法として、大きく二種類の方法があります。

一つは「部分」について調べたり考えたりして、その「部分」を合成する形で「全体」を考えるという方法です。

そのため、「部分」をどこまでも小さな「部分」へと細分化し、分析しようとします。

科学はこの方法を使っています。
そして、一般的に欧米の人たちはこのような方法で考えます。

このような、物事を細分化して考えようとする方法は、科学を進歩させ、様々な機械を生み出しました。機械は部品を作って組み立てて作るものですから、この考え方がそのまま使えるのです。

欧米の言葉もまたそのような構造になっています。


それに対して、「部分」というものは、「全体」とつながってその役割を果たしている時にのみ、その「意味」が表れるため、「部分」を全体から切り離して調べても意味がない、という考え方があります。

そのように考える人たちは、常に「つながり」の中で物事を見ようとします。そして部分を分離し、分析しません。

これは主に東洋において支持された考え方です。

このような考え方は、「機械」ではなく「生命」を扱うことに優れています。

機械は部品(部分)を組み立てて製品(全体)を作りますが、生命は最初にまず「未分化の全体」があり、その「全体」が、「全体」とのつながりの中で必要に応じて「部分」を生み出していきます。

「全体」から「部分」が、その「全体」の「一部」として分化するのです。

海で泳いでいた頃の生命には「脚」は必要がありませんでした。でも、陸に上がるようになると、「脚」が必要になりました。そのため、生命の働きが「脚」というものを生み出したのです。

そのようにして考えるからこそ「脚の意味」が分かるのです。
部分としての「脚」を研究すれば「脚の機能」については分かります。でも、「全体」とのつながりの中で考えないと、「脚の意味」は見えてきません。


それと、欧米のように、「まず部分が作られ、それらが統合されて全体が作られた」と考えると、「生命」も「この世界」も、それを作った存在が必要になります。

「誰かが人を作り、草木を作り、大地を作り、それらを組み合わせてこの世界を作った」と考えないと、なぜこの世界に「人」や「草木」や「大地」が存在しているのかの説明が付かないからです。

それで、「創造主としての神様」という存在が想定されたのでしょう。欧米の考え方では、神様が「機械を作る手順」と同じ手順でこの世界を作ったことになっています。

それに対して東洋では、この世界は、「宇宙の法則」(道-タオ)の働きによって、「無」の状態から必要に応じて生まれてきた事になっています。

ですから、「創造主としての神様」は必要がありません。

誰かが「手」を作って、人間にくっつけたのではなく、「手」という働きが必要になったので「手」が生まれてきたのです。

この考え方では、この世界にあるものには全て何らかの「意味」があるということになります。「悪」にも「病気」にも「死」にも意味があることになります。

でも、「神様が作った世界」ではそれらは「罰」として与えられたことになっています。そうでないと、そういうものが存在している理由が見つからないからです。



世界には大きく分けてこの二つの考え方があるのですが、皮肉なことに科学の発達は、東洋的な考え方の方を支持するような方向に進んできています。

それは、「生命も、この世界も、誰かが作ったものではなく、何らかの働きによって全体の中から生み出されてきたものだ」という考え方です。

「地球」は誰かが作ったのではなく、宇宙の中に生まれてきたのです。

だから今、世界中で「神様」の力が衰え始めているのですが、科学的な考え方に慣れてしまった現代人は、「全体」という視点を持つことが出来ないため、バラバラになってしまった世界を再統合することが出来ません。

ちなみに私は、東洋的な発想で「気質」について考えています。

気質には「多血質」「胆汁質」「憂鬱質」「粘液質」の四つがあるとされています。そして、この四つはギリシャ時代にこの世界を構成していると言われていた「風・火・土・水」の四大要素に対応していると考えられています。

ウィキペディアではこの「四大要素」の現代的解釈として

「空気」は気体、「水」は液体、「土」は固体と対応づけられる。(これらは現代の用語では「物質の三態」に相当する。) 「火」は、何らかの化学変化を起こしている状態と言える。

と説明されています。

私はギリシャ人達はそんなに馬鹿ではなかったと思っていますから、この解釈には賛成しませんが、ウィキペディアにはそのように説明されています。

でも、この考えではこの四つの要素の「全体の中での関係性」が分かりません。

また、これだけでこの宇宙が成り立っているとも思えません。生命や宇宙といったものが存在するためには、これらの要素をつなげ、調和させ、バランスを取っている働きが必要だからです。


実は東洋にも「四大要素」と似たような考えがありました。ただし、「四大要素」に「空」を加えた「五大要素」です。

ウィキペディアでは以下のように説明しています。

 地 - 大地・地球を意味し、固い物、動きや変化に対して抵抗する性質。
 水 - 流体、無定形の物、流動的な性質、変化に対して適応する性質。
 火 - 力強さ、情熱、何かをするための動機づけ、欲求などを表す。
 風 - 成長、拡大、自由を表す。
 空 - サンスクリット語: आकाश, Ākāśa(アーカーシャ)の訳。虚空とも訳される。仏教の思想のサンスクリット語: शून्य, śūnya(シューニャ 訳語は空)とは異なる。



西洋の考え方では、四大要素のそれぞれの要素は「存在を構成するもの」として理解されていましたが、東洋の考え方では、それぞれの要素は「働き」として理解されています。

「目に見える存在」は、「目に見えない働き」の結果として生み出されるので、「目に見えるもの」を「世界を構成する要素」にはしないのです。

ここから先は、私の個人的な考え方が入ってくるのですが、ここで重要になるのが「空」の働きです。

この「空」があるからこそ、四つの働きがお互いに支え合い、補い合ってこの世界を支えているのです。

そして、「空」には「地・水・火・風」の四つの要素を自在に変換する力があります。

「空」は生命の働きそのものであり、ここから全てが生まれてきたのですから。

そして、私の「気質」の考え方も、「地・水・火・風・空」の五大要素を基にしています。

その点が、西洋の「気質」の考え方とは違っていると思います。

「空」が加わることで、「なぜ気質が存在しているのか」ということや、「気質の意味や大切さ」が理解出来るのです。





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Last updated  2013.04.20 08:43:15
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