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マカオで最も古い教会・聖アントニオ教会と最も古い公園・カモンエス公園の間にある広場カモンエス広場 16世紀のポルトガルの国民的詩人・ルイス・デ・カモンエスの名前を冠したこの公園には19世紀前半に据えられたカモンエスの胸像がある。 (公園内の丘にある3個の岩からできたトンネル状のほこらの中にカモンエスの胸像がある。台座には詩の一節が刻まれている。) カモンエスは16世紀初頭の数年間をマカオで過ごした。「ここに地果て、海始まる」の一節で有名な代表作「ウル・ルジアダス」を、この地で執筆した。 公園の噴水の周囲にはその「ウル・ルジアダス」をテーマにした10枚のモザイク絵がある。 これは そのモザイク絵の一部である。この公園でもモザイク絵がカルサーダスというポルトガル独特の技法による敷石となっている。 カモンエス公園は中国系の人々がよく集まる広場老人が昼寝をしたり、将棋に興じたりとマカオ市民の憩いの広場として市民の生活のなかに深く入りこんだのんびりとした雰囲気の公園である。 マカオ世界文化遺産の最も北に位置するのがカモンエス広場であるとするなら、最も南の方角ペニャの丘にあるのが、 リラウ広場 (リラウとは、ポルトガル語で「山泉」という意味。この広場にもカルサーダスの石畳) 初期にマカオを訪れたポルトガル人たちはペニャの丘から湧き出る水の豊かなこの地を定住地に選んだ。 マカオを訪れたポルトガル人にとって第二の故郷となったリラウ広場 リラウの水飲みし者 この地を離れがたし されば、この地を故郷とするや または、必ずマカオの戻らんこんな詩が残っているという。 リラウ広場界隈には 17世紀のマカオの風情が色濃く残っている。 マカオ世界文化遺産の最南端に位置するマカオ最古の中国寺院・媽閣廟(マァコッミュウ) 正門、中国式鳥居と4つのお堂から成り、1つのお寺に異なる神々を祀っている。 阿媽と道教の神、一番上の観音閣には仏教の観音が祀られている。 女神「阿媽(アマ)」とは、中国南部や台湾などで、広く信仰されている航海の女神である。 これは、観音さまを祀っている観音閣どこか日本の観音さまのお寺の雰囲気漂う懐かしさ 1つのお寺に複数の神や仏を祀るというこの共生の姿。多様性。西洋のキリスト教文化とも共存して生きるマカオこのごちゃ混ぜさこそマカオの今の繁栄のエネルギーなのだろうか。日本では信じられないあり方である。 「媽閣廟」は中国語で発音すると「マァコッミュウ」と言い、マカオの地名の起源とされていると言われている、という。 ポルトガル本国のカルサーダスカモンエス公園のモザイク絵は、このような本国の技法と同じ敷石ですね。 マカオの数々の広場には、今まで見てきたように、中国返還時敷設されたポルトガルのカルサーダスという敷石がいたるところで見られた。これらは、ポルトガル400年余りの統治を現代にとどめているだけでなく、様々な宗教が共生し生活する歴史がここには刻まれているのではないだろうか。宗教や人種の対立や争いが悲惨な暴力的な争いに発展し、その暴力を断ち切ることが出来ない現在の世界に対して、マカオの世界文化遺産の数々は共生して平和に生きてきたお手本ではないか。 文化をこのように継承してきたマカオには現代が学ぶべきもの多いと思いました。このマカオ今昔シリーズは、8回にもなってしまいましたが、私は、このシリーズを書く中で、日本とマカオの歴史的な関りにとても興味を持ちました。その中で出合った本司馬遼太郎著:「南蛮への道」この本についてもいずれ紹介したいと思っています。
2010.04.20
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マカオの「アクロポリス」聖ポール天守堂跡の小高い丘 恋愛巷という洒落た名前をもつこの路地の奥まった所に聖ポール天守堂のファサードが垣間見える そして、その路地は美しい石畳この石畳の通りの終わりは聖ポール天守堂前の広場 大三巴街 天守堂に通じる街奥に見える天守堂の巨大なファサード天守堂に登る階段前はカルサーダスの広場 小高い丘の上にある聖ポール天守堂跡1602年から1640年にかけて聖母教会として建築されたゴシック様式の巨大な教会建造にあたっては、中国人は勿論のこと島原の乱で祖国を追われた日本のキリシタンもかかわったという。 この小高い丘には1609年、東洋初のキリスト教大学となった学院があり、後には日本人キリシタンのための専用修道院が開講されていた。(日本のキリシタンたちの歴史がこのマカオと一体になって発展していたとはとても感銘をうけた。日本の百姓たちが、狭い村世界のなかに益々閉じ込められていたとき、このように世界に窓を開いて生きていた日本人たちがいたとは素晴らしい。)さらに、天守堂の右手にはモンテの砦がある。 モンテの砦1617年~1626年にかけて、イエスズ会との協力で築かれたマカオ最強の防御施設砦には、大砲、軍部宿舎、井戸、2年間の攻撃に耐えうるよう兵器工場の貯蔵庫がある。 (大砲のレプリカ) この丘の 聖母教会、聖ポール大学、モンテの砦など 全て「イエスズ会」の建造物であり、 当時にあっては、この丘はまさに マカオの「アクロポリス」であった。 聖ポール天守堂と並んで建つ小さな中国式寺院ナーチャ廟 ナーチャとは母親のお腹に3年半もおり、その間に道教の僧から特別の力を与えられた神童。西遊記にも登場するやんちゃな男の子の神さま。1888年、この地域に疫病が蔓延したため、その厄払いにこの廟が建てられた。 (キリスト教とは全く異質なこのような信仰が同時に存在して共栄するというマカオの特異性、雑草のようなたくましさとでも言うべきか。) ナーチャ廟&旧城壁1569年、ポルトガル人の居住が始まった頃に造られた古い城壁。(ポルトガル人は自分たちの生活圏を守るために周囲に城壁を築く習慣があった。) この城壁の様式は西洋風、材料と手法は東洋風。この城壁にも西洋と東洋の文化が融合し、共存している。即ち土砂、わら、カキの貝がらを混ぜ木製の枠に流し込んで押し固める。時間の経過とともに壁は強固になる。このような城壁は、西洋の石造りのように大砲の弾をはじき返すのではなく、呑み込むようにとどめる。西洋の石造りより防御に適しているという。 その城壁の前の広場ポルトガル独特のカルサーダスの石畳がここにも見られる。観光客に混じって、犬を散歩させている人がいる広場。3匹も犬がおり、ほほえましい。 94%が中国人であるというマカオ世界遺産に指定されている歴史市街地区はほとんどがキリスト教文化の建造物や広場であるしかも、そこでは日常生活も営まれている。ということは、ほとんどの中国人はこのキリスト教の文化と深くかかわり受け入れて生活しているのだろうか。ナーチャ廟にみられるような道教の寺院も所々にあり街に溶け込んでいるという。 この共存の仕方が私には理解できないものがあるが。 ポルトガルの長い統治が残したものは観光資源としての歴史的な市街地区だけではなく精神的な文化として、中国人のなかに同化してしまっているのだろうか。私はこの点をもっと知りたい気がした。 ポルトガル本国のカルサーダス ナーチャ廟&旧城壁前の広場の石畳はこの下の写真・ポルトガル本国のカルサーダスと全く同じですね。 次回、マカオ世界遺産(その4)はカモンエス広場を予定しています。このシリーズ7回目となりました。次回で完の予定。
2010.04.17
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セナド広場から聖ポール天守堂跡へ マカオの街は西洋の古代ギリシャから連綿と続く街の造り人が集う広場が街の中心にある様式がそのまま今も残している しかもポルトガル統治時代の名残をしっかりととどめるポルトガル独特の石畳カルサーダスがマカオを独特の景観にしている セナド広場 (カルサーダスの石畳の広場は春節祭の準備で華やぐ。正面に見える白い格調高い建物、行政府でもある民政総署) 華やかに春を迎える春節祭の準備中の セナド広場 古くから街の中心の広場セナド広場数々の祝典やイベントが華やぐ広場 (広場の正面には白い建物・民政総署が見える。両サイドにはネオクラシック様式の歴史的建造物が見える。華やかな南欧の雰囲気漂う) 波打つ美しい石畳の広場この広場を取り巻く数々の建造物パステルカラーのネオクラシック様式の歴史的建造物に囲まれた華やかな広場 民政総署 セナド広場に面して建つ政府機関民政総署白を基調とした南欧風のネオクラシック様式のこの建物は16世紀末からずーとポルトガる統治の行政の府であった。そして中国返還後の今も、市民生活に直結した行政事務を行なう役所があり議事堂があり重厚な図書館まであり、その全てが市民が利用している生活の場でもあるという。 仁慈堂 セナド広場に面して建つ純白の美しい建物仁慈堂1569年アジア初の慈善福祉施設として設立されたもの。西洋医療を取り入れた病院、孤児院、養老院などを備えていたという。(この建物を設立したカルネイロ司教は、日本とも関係深く、日本への布教のため 来日したという) 現在は1階は公証役場 2階は仁慈堂博物館になっている このネオクラシック様式の建造物や文化財に取り囲まれた南欧風の華やかな雰囲気漂うセナド広場から聖ポール天守堂跡まではカルサーダスの石畳の続く歩行者天国となっている。 聖ポール天守堂跡へ行く途上にある聖ドミニコ教会 (高温多湿の気候のため、大きく開け放つことの出来る濃いグリーンのよろい戸が鮮やか。南国の教会らしい) メキシコから来たドミニコ会修道士3人によって1587年に建てられた、木造の簡素な礼拝所がその始まりという聖ドミニコ教会 現在のは、1828年に再建されたもの。コロニアル風バロック様式のファサードは純白の漆喰で繊細に装飾されマカオのファサードの中で最も美しいといわれている。聖ドミニコ広場 カルサーダスを敷き詰めた聖ドミニカ広場ヤシの木の植栽と波打つ文様の石畳ドミニカ教会の大きく開くグリーのよろい戸南国の雰囲気漂う聖ドミノカ広場も市民の生活の場であり、観光客で賑わう場でもある。 カルサーダス前回にも書きましたが、マカオの街に独特の雰囲気を作り出している敷石は、ポルトガル特有の石畳です。中国へ返還される際、ポルトガルはマカオで稼いだお金は一切持ち出さないという協定により、稼いだお金を使い切るために本国から大量の石材と石職人をよんで、現在あるような石畳を敷設して、その450年に及ぶ領有の記憶をマカオにしかりと刻み込みました。次の写真は、そのポルトガル本国のカルサーダスです。 マカオのカルサーダスもこれらポルトガルのそれと遜色ない立派なものだとわかりますね。 次回はマカオ世界文化遺産(3)聖ポール天守堂とその周辺をアップします。マカオシリーズは今回で6回となってしまいました。後2回ほどで完結できそうです。「マカオ今昔物語」としてカテゴリーを独立させましたので、関心のおありの方は1回目からどうぞ。
2010.04.12
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西洋と東洋を繋いできた交易の町マカオ 1513年年、ポルトガル人が中国にたどり着き、定住してポルトガルがキリスト教布教と交易の拠点としての栄枯盛衰を歴史をもつマカオ。ポルトガル文化が花ひらき、中国文化と融合し息長く共存してきたマカオの歴史は、現代が学ぶべきもの多い街でもある 総面積29.2平方キロメートル東京・世田谷区の約半分ほどの広さに人口52万余の都市の22の歴史的建造物と8カ所の広場が2002年にユネスコ世界文化遺産として登録された。街全体が歴史の香り色濃く漂い、現代に溶け込んで、観光の都市として、今、繁栄している。 ポルトガル人がマカオに上陸したとき、その地勢が祖国のリスボンに似て「7つの丘」があり、坂道も広場もある、ということが定住の始まりだという。 オーガスティン広場世界遺産の聖オーガスティン教会、ドン・ペドロ5世劇場、聖ヨセフ修道院&聖堂、ロバート・ホー・トン図書館が立ち並ぶ中心にある広場。 (ドン・ペドロ5世劇場とロバート・ホー・トン図書館に囲まれた広場) この広場には ポルトガル独特の技法による石畳・カルサーダスが敷き詰められている。幾何学文様がくっきりと鮮やかで美しい。 (ドン・ペドロ5世劇場前の石畳) 明るいお日さまが影を映してゆらゆらと揺らめく広場に明るい南欧のひかりが揺らぐそんな雰囲気をかもし出す石畳 (ドン・ペドロ5世劇場の正面) ドン・ペドロ5世劇場は1860年、マカオ在住のポルトガル人による東洋初の男性専用社交クラブが開設した娯楽施設。中国初のヨーロッパ式オペラハウス ネオクラッシク様式の建物で、正面のイオニア式の円柱が見事、美しい。 現在も、1993年に修復され、公共の催事や祝賀行事に利用されている。 ドン・ペドロ5世劇場の裏手にある図書館ロバート・ホー・トン図書館 ポルトガル人の私邸を香港の大富豪ロバート・ホー・トン卿が1918年別荘として購入。1955年彼の死後、建物と彼が収集した明・清時代の書物をマカオ政府に寄贈。1958年より図書館となり、市民に利用されている。 広場の名前でもある聖オーガスティン教会 (1586年、フィリッピンからやってきたスペインの聖オーガスティン修道会が質素な木造の修道院を建てたのが始まり。その後ポルトガル人に引き渡され現在の丘に移動、1591年に付属教会が建てられた。現在の建物は1874年に再建されたもの。) この教会にある受難のキリスト像を、男性信者がかついでセナド広場にあるカテドラル(大堂)まで移動する、マカオで最も有名な宗教行事「バッソス聖体行列」が行なわれる。教会から大堂まで、夜通し信者たちが練り歩くこの行事はマカオに春を告げる風物詩。 聖ヨセフ修道院&聖堂 イエズス会アジア布教の宣教師養成所として建てられたのが始まりの聖ヨセフ修道院。1758年に聖堂が併設される。 ユネスコ・2001年発行の「バロック建築世界地図」にも掲載される中国バロック建築の代表例 この修道院内部には、弾圧から逃れて、この地に来た日本人キリシタン画家の作品などが収蔵されていたが、現在は、聖ポール天主堂内の天主教芸術博物館に移動。 椰子の木茂る 聖ローレンス教会 1569年にイエズス会によって建立。当時は木造であったが、1846年、石造りの威厳ある現在の規模に再建。 ネオクラッシクの様式にバロックの名残もとどめている。 教会内部はマカオで最もお洒落な教会といわれカトリック信者に人気の結婚式場にもなっている。 マカオ世界文化遺産(1)アップした写真は、オーガスティン広場を中心にその周囲にある建造物で世界遺産に登録されたものである。(Danjoseからのコメント) 40年まえ、マカオを訪ねたときには、現在あるような石畳の舗装はなかったように思ったので、ガイドさんに尋ねたところ「中国への返還時の協定でマカオで稼いだお金を一切持ち出さないと決まったので、それならば、全部使ってしまえ、という事になり、大量の石材をポルトガルから持ち込み、ポルトガル職人を呼び寄せ、新たに敷いたもの」ということだそうです。このポルトガル独特の石畳はポルトガル語で「カルサーダス」と言います。 又、40年前、マカオを訪ねた時は、聖ポール天守堂だけが有名で、その他は、ポルトガル400年の記憶をわずかにとどめる、薄汚れた建物にすぎなかった。しかし、これらの建造物を修復し、観光資源として現在このように蘇って私たちの目の前にあることは、驚きです。中国返還後の豊かな財政がこのような形で街を蘇らせ繁栄に導いています。冨士子婆のコメント面積の小さな都市が、自からの街をこのように治めて、市民の生活を豊かにさせ、現在に至っているのに、とても感銘を受けた。特に歴史的な建造物や広場は、確かに観光資源ではあるが、そのなかで市民が生活している。まさに生活の舞台そのもの。歴史的な博物館は、くらしの中にあるという現実には、マカオの真の豊かさがあるように思える。 ポルトガル統治の名残をとどめる石畳の広場を中心にしてあと2回ほど「マカオ世界遺産」を掲載する予定です。 2/15 マカオに咲く亜熱帯の花々を2/21 2/23 2/24 3回にわたりマカオ今昔をアップ済み。興味のある方はどうぞご一読を。
2010.03.16
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マカオ昔(1960年代)1960年代の日本は、戦後の混乱から、朝鮮特需によって、本格的な復興をとげ、高度経済成長を遂げようとした時代である。戦前の価値観とは全く異なる、大量消費文化に突入。農村の労働力が集団就職して都会へと大量に流れこみ、農村の崩壊が急加速した時代である。所得倍増のかけ声に、アメリカ流の豊かな消費生活に憧れ懸命に仕事した時代である。1960年代の中国は、共産主義建設の路線をめぐって文化革命の嵐が吹き荒れていた。マカオはポルトガルの統治下にあり、政治的にはその革命の嵐の外にあったといえ、経済的には、沈滞していたといえるのではないか。マカオを象徴する世界文化遺産1960年代の サンパウロ天守堂 1602年~1640年にかけて建造された聖母教会。「ローマ以東で最も傑出した教会」と言われた壮麗な教会。施工には、中国人のほかに長崎から幕府の弾圧を逃れて渡った日本人のキリスト教徒たちも多く加わった。東洋におけるキリスト教布教の拠点として、大きな役割を果たしてきた。日本のキリスト教史にも重要な教会である。現在は1835年火事で焼失して聖堂の正面ファサードのみである。 2010年の聖パウロ天守堂は天守堂へと続く階段やその脇の道は、植栽され、美しい公園となっている。 春節の飾りも、更に華やかさを添えている サンパウロ天守堂から見下ろした坂道1960年代の坂 人影もまばらで寂しい坂道。 バックの街並みも家屋は廃屋のよう、空も広く開けている 今のサンパウロ天主堂から眺めた坂道 人、人、人観光客で混雑し賑わっている麓の街も高層ビルが林立1960年代サンパウロ天守堂に続く道 観光客というよりも、マカオに住む人々の生活の日常の光景 同じアングルからの今 人の賑わいや道路脇の建物も豊かさや活気が溢れているエネルギシュな街 1960年代のモンテの砦(サンパウロ天守堂の右手の位置する防御施設。1617年から1626年にかけてイエスズ会との協力で築かれた。中世のヨーロッパの城砦の文化を持ち込んだものといえる) 火炎樹が立ち、子どもたちが坂で遊んでいます。 この斜面は、現在は公園として整備されガジュマルの大木に覆われサンパウロ天守堂からモンテの砦は今では眺望できなくなっています。 1960年代 モンテの砦からのサンパウロ天守堂の眺望はこんなに開け、対岸の朱海市も見渡せた 同じポイントから撮影したサンパウロ天守堂 高層ビルが林立し対岸を見渡せないだけでなく手前も公園の樹木によって天守堂の階段や坂は見えなくなっています この写真は1960年代ペニャ教会が立つ「西望洋山」という更に南に位置する丘からモンテの砦を撮影したもの 2010年 ペニャ教会の立つ丘より麓の高級住宅街を撮影したもの木陰から垣間見える左端の茶色の建物は現在のポルトガル領事公邸 同じアングルから撮影した 1960年代の景色 中央の建物が現ポルトガル領事公邸40年前は旧ベラ・ビスタ・ホテル マカオは16世紀から、西洋と東洋を結ぶ貿易の中継地として盛衰を繰り返してきた。西洋列強の外交官や商人たちの社交場リゾート地としての特色を持ち、カジノも其れと共に発展した。1960年代のカジノ 2010年不夜城のごとく夜も休むことない街カジノ 美しく整備修復された街並み 40年前のマカオの町並み 人影もまばら 西洋と東洋を結ぶ、ある時は、海のシルクロードとしてまたある時は、東洋へのキリスト教布教の拠点として西洋と中国を融合し共生した400年余りの歴史を生きて来た マカオは今、その歴史の文化遺産を観光資源として、中国本土から膨大な人々を招き寄せる観光の街として、驚くべき発展をとげ活況を呈している日本にもカジノをつくり、街を再生せよという政治家がいる。猿真似の付け刃で、カジノを導入して街や村が真に再生は出来ないのでは。マカオの歴史はその事を物語っている。即ちマカオの観光、カジノの街としての繁栄は長い歴史の継承としてあり、突然に今出現したものでないということである。この意味で、マカオの今の盛況はその歴史的必然なのである。1)マカオに咲く亜熱帯の花々 2)マカオ今昔物語(その1)(その2)に続き、次回は マカオの世界文化遺産(1)を紹介します。
2010.02.24
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マカオ昔(1960年代)2・24日の(その2)の追加記事1960年代の中国本土は『文化革命』の嵐が吹き荒れていました。香港やマカオはイギリスやポルトガルの統治下にあったため、直接的に革命下あったわけではありませんが、朱江を命がけで泳いで渡り、香港やマカオに逃げようとした人々が途中で命を落とした幾多の痛ましい事件がありました。 その犠牲者たちの霊を鎮魂するための「南無阿弥陀仏」という文字が彫られた石碑の写真は文化革命の嵐がマカオにも無縁ではなかったことを示しています。 「西望洋山」から西湾湖方面を撮影したもの1960年代は、高層の建物なく遠く湾まで眺望できた朱江にも通ずる湾である 2月24のマカオ今昔(その2)は制限字数(1万)を越え、記事内に挿入できないため、別付けで追加しました。1960年代は私たちの年代にとっては、まさに嵐のような日々、青年期の迷いや悩みの日々であると同時に、生きるエネルギーにも溢れていたように思います。 マカオの記事を書くことで、わが青春の日々が蘇ってきました。今の若者たちの閉塞感を思うとき、胸中複雑、感慨深いものあります。 大きく世界に目をむけ、21世紀の壮大な人類の歴史の発展に想いを巡らすならば、私たちの青年期よりもより大きな可能性が、又一方で開けているのが現代という時代ではないかという想いに駆られています。
2010.02.23
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マカオの今(1) マカオは西洋の大航海時代、ポルトガル人のジョルジュ・アルバレスが香港とマカオの間の小島に到着した1513年から、西洋文化の入り口として、栄枯盛衰を経てきた。日本にとっても、信長の時代から、西洋への最も近い入り口であった。 マカオは1999年、ポルトガルから中国に返還されて、特別行政区となって、11年が経過した。即ち、中国は返還後50年間は、行政に口を出さず、マカオ人の自治を認めるというものでる。 街の財政を潤すカジノ マカオは今、カジノと観光で賑わい活気に満ち満ちている。 マカオはポルトガル統治の時代から、西欧列強の外交官や商人の社交場として、リゾート地としてしての様相を呈していた。賭博が収益基盤として、合法化されたのは1880年代。カジノの街としては、100数十年の古い歴史がある。 2002年、カジノの営業ライセンスの自由化により、ラスベガスの業者を含む7社に認可されて以来(其れまで地元企業の一社)、現在のようなカジノ景気による繁栄の街にマカオは変貌した。 (まさに不夜城。豪華なカジノホテル) 2008年にはカジノの売り上げはラスベガスを抜いて世界一。カジノからの収入は1日37億円にも上るという。(政府収入の70%を占めている)マカオが中国本土の一部となったことにより、中国本土から、賭博目当ての観光客がどっと押し寄せるようになったことが、売り上げ激増の背景にあるという。ガイドさんの話によれば、「日本人は冷静だが、中国人は生まれつき賭博好きだから、当分客足が絶える事はないでしょう」とのこと。 マカオの街の人口はわずか50万人強。この人口でこの財政の豊かさ。その富、他の国が羨む福祉都市を実現しつつある。 (春節祭の飾りつけで、賑わいを見せるマカオの街の中心にあるセナド広場) 例えば、豊かな財源は次のようなことに使われている。 1) 個人所得税がない 2) 3歳の幼児教育から高等学校まで、無償義務教育 3) 老人手当ても手厚い。「ケーキ手当て」と称して65歳以上の老人に8万円支給 4) ポルトガル領時代の22の歴史建造物が2005年に世界文化遺産に登録れ、古い建物が綺麗に修復され、観光資源として価値をあげている等である。 セナド広場&民政総署:春節の飾りつけの背景にあるのは、南欧風の洒落れた建築・民政総署、市民サービスを行なう行政府でもある。 ポルトガルの長い統治の歴史を留めて、マカオを象徴するサンパウロ天守堂跡と春節の飾りつけ、西洋と東洋の文化が現代に生きている。 世界文化遺産の数々が観光の街としての賑わいをかもしだすマカオ 春を迎える飾り付けと、桃の花が満開の街に観光客が溢れている そのサンパウロ天守堂のすぐ下で見かけた「恋愛巷」通り粋な名前の路地「恋愛巷」恋人たちの小道、囁きの小道といったところか。 美しい路地に修復されている (恋愛巷通り。西洋と中国が溶け合って美しい) 街角には、こんな張り紙もみられた。豚インフレエンザの予防接種の場所を示すポスター 豊かな財政を反映して、新インフレエンザ(猪流感)の予防接種は無料である。(因みに、日本は1回3000円の自己負担である) (正面玄関の中国語「醒目仔」は「Smart Kids」:下の横文字はポルトガル語。explicacoes「個人授業」という意味もあり、マカオの子どもたちの日常を少し垣間見ることができますね。) ある学校の近くには補習塾らしきものが軒を並べていた。 その学校の掲示板には「硬筆習字コンテスト」の優秀作品の掲示が。 マカオの子供たちは、簡略字化された漢字の元字体:「繁体字」を今も習っているとはすごい。今も、かわらず昔の漢字を学習している。これは、中国がマカオの特別行政区としての自治を保障し、その文化を尊重している証でもある。 その学校から、ジャージ姿の生徒たちが、先生に引率されて、列をなして出てきた。 マカオは土地が狭く(人口密度世界第3位)、学校に運動場がない。 体育は公営の運動場や体育館を借りて行なうという。この生徒達は 今、まさに近くのそんな施設に向かおうとしているところ。 マカオの今は、カジノ景気と観光で、めざましい発展をとげ活気に溢れていました。しかも、古い文化遺産が大切に保存修復され、現代に継承されている。子供たちの漢字習得のありようからも、マカオの今の活況が、伝統的な文化を大切にし、継承し発展させていることが窺えて興味深い。この生きざまは日本人の私たちも学ぶところ大である マカオの昔:1960年代Danjoseは、40数年ぶりにマカオを訪れ、その変貌ぶりに驚き、数々の写真に今のマカオを収めました。40数年前に訪ねたときに、撮影した貴重な写真が保存されていましたので、次回は、「マカオ今昔(2)」を今のマカオとくらべつつ、1960年代のマカオの街並みを紹介します。 次の記事も併せてお楽しみを。 1回目(2/15)マカオに咲く亜熱帯の花々
2010.02.21
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Mr.Danjoseのマカオ・香港旅行 亜熱帯の花々咲くマカオ 高い丘に聳える聖ポール天主堂跡ポルトガルの統治下に長い間あったことを留めるマカオの象徴とも言うべき石造りのファサードその教会の前面だけが残る壮大な聖堂跡 ガジュマルの気根が空中にぶら下がり生い茂るその旺盛な生命力の背景に巨大な聖堂跡。マカオの街の栄枯盛衰とともにたたずんできた聖堂が生い茂るガジュマルの大木のむこうに霞んでいる このすごい気根、亜熱帯に繁茂する生命力が溢れている 真夏には、涼しい木陰となって市民や観光客の憩いの場となる大きな木、ガジュマル (リラウ広場:ガジュマルの木が茂り涼しい木陰をつくる広場、地面には、ポルトガル独特の美しい石の舗道・カルサーダス敷かれ、その歴史のなごりを留めている。) 街のあちこちに咲く赤い花頷き姫芙蓉 蕾のときは、上を向いているけれど、だんだん下を向いて咲くからうなづきの姫芙蓉というという 花びらはこれ以上開かない英名はSleeping Hibiscusアオイ科のヒメブッソウゲ属;冬の間が花期 可愛らしい数々の名前をもつ花沖縄の子供たちは、この花の甘い蜜を吸って遊ぶことからCigaretto Hibiscusという呼び名もあるという マカオの街角や公園に茂り赤い花をさかせている そして明るい黄色の花が街のあちこちに茂り咲き競っていたモクセンナ (学名:Cassia surattensis マメ科カワラケツメ属。熱帯アジア原産の小高木) ガジュマルの大木の下で競っているかのように生い茂るモクセンナ モクセンナは薬効もあり、痛風や糖尿病に樹皮や葉を煎じて服用するという。 街路樹に公園に日本の桜の木のようにマカオの街に咲く花バウヒニア(洋紫荊) バウヒニアは香港を象徴する花香港の旗のデザインにもなっている花熱帯から亜熱帯に分布するマメ科の植物さくらが日本を代表するように香港のシンボルマークでもある花バウヒニアアップするとこんなにあでやか花バウヒニア マカオの冬は、いかにも亜熱帯の地域らしく鮮やかな色の花々が街に咲き濃い滴る緑の葉っぱ茂り、賑わいと繁栄のエネルギーに満ちていました。 ダンホセ夫妻は1月26~30日40余年ぶりにマカオを18年ぶりに香港を訪れました。最近のマカオ・香港の変貌ぶりに驚きつつも楽しい旅となりました。 その驚きや感動の数々の写真を次のような3回に分けて紹介します。1)マカオの花 2)マカオの昨今(Danjoseが40年前に撮影した貴重な写真で町並みを紹介します。3)マカオ世界遺産
2010.02.15
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