全13件 (13件中 1-13件目)
1
嫁の小雪さん、爛漫とさくら咲き誇る東京で社会人一年生になる。(春の嵐の雨に煙る吉野千本桜・人生にはこんな日もある)3月20日にわが家族の一員となった小雪さん、そして、今日4月2日は、社会人として、働く女の一人として歩き始める日。おめでとう。(厳しい冬を大地に根を張り、葉を広げ、今花を咲かせたタンポポ・桜と共演・皇居のお濠端)雪国に生まれ育った小雪さん、あの長い雪の厳しい冬をじっと耐えて春を待つ蕾のような小雪さん、飾らぬ粘り強さ、それでいて、あっけらかんとした楽天的な雪国の女の地にへばりついた図太さを守り育てて今日を迎えた。それを育てた母を父を、その大地を忘れずに心にとめよ。 今日からは社会の中で自立した働く女として、深く学び、自らを鍛えよ。その自らの人間性を磨き成長させていくことが夫婦の愛を実りある豊かなものにしていくのだ。(川面にさくらの花びら舞い散る皇居のお濠端)さぁ、今日から始まる新しい道、困難で迷う日があるかも知れない、涙で見えぬ日があるかも知れない、でも、一人ではない、あなたを見守り、援助できる先輩の女達がいる、同じように歩んでいる女たちがいる。
2007.04.02
コメント(1)
少子化と日本の医療の現実について。 日本は現在、産婦人科の医師の減少、地方の公立、私立病院の産婦人科の消滅、ないしは激減という状態が社会問題化している。地方ではお産をすることすら困難を極めている。 私達が生まれる頃は、まだ村に1~2人いるお産婆さんが、村の赤ちゃんの出産をすべて取り仕切り、自宅でほぼ全ての赤ちゃんが生まれていた。勿論、この婆さんもそうであるし、私の弟もそうであった。 赤ちゃんが生まれてくる日には、家中が、右往左往のおおわらわ、あわただしく皆が駈けずり回っている。そんな騒動のなかで、「おぎゃー、おぎゃー」と大声で赤ちゃんが泣き始める。(この時代は、専業主婦などというものはなかった。ほとんどの女が厳しい農作業の担い手だ。働く女たちだ。鍛えられた体と精神があった)この赤ちゃんの産声に驚き、幼いながらじーっと遠くからその光景を眺めていたのを、今も忘れていない。赤ちゃんが生まれ事は、ごく自然な日常の風景だったのである。人の生と死は絶えず子どもの生活の日常のなかにあった。しかし、現在は自宅で産婆に取り上げてもらう赤ちゃんなど皆無といっていい。 5月末日に我が娘(ことねのママ)が、第2子を出産する予定である。これはこの少子化の世の中にあって、めでたい事、喜ばしい事であるのだが、働く1児のママあるある娘は2月半ばより、切迫早産の可能性を指摘されドクターストプがかかり、仕事を休み、自宅で安静療養となった。しかし更に先週からは、強制入院となり、残されたコトネとそのパパは、生活の劇変にまいっているところである。特に、3歳に成ろうとしているコトネにとっては、人生初めての試練、かなりの精神的な打撃を受けており、健気に耐えている。ここで、この婆さんも出番となり、今まで無責任に育児支援などと言いつつ手助けしていた子守が、にわかに責任重大となり、毎日仕事で遅いパパに代わって、育児を担当するはめになっている。こんなあんなで、この婆さんもこのところ幼い子育てにかかわり、色々考えること多いのである。(後日、落ち着いたら、これらについても記事にしていきたい。) 今日は、コトネのママが入院中にもかかわらず、自分のブログに携帯から投稿して書いている記事を転載して、産婦人科の医療の一端を紹介してみたい。(若い人たちは、携帯からPCに繋げて日常的にネットの中で生活している。この婆さんには信じられないこと)この医療の現状は、現代のお産に高額の医療費が必用であり、その事が、少子化に拍車をかけている原因の一つではないかと思わずにはおれない。(市場原理主義の導入により、医療保険も自由化されそうであるが、そうなったらもっと深刻な実態になる。)いずれにしても、人としてこの世に生まれでて、いのちを育てていくことがどんなに大変なことか、そのいのち大切にしない現代の風潮は、次の世代に何をもたらすか、男ももっと深刻に考えるべきだ。社会の根本の仕組みのところで、抜本的な変革をしないと大変なことになるのではないか。深刻に考えざるを得ない今日この頃なのである。 以下の記事は、コトネのママのブログ:Petory Melody より転載(原文のまま) 2007.03.20 Tuesday author : Aya 医療費 いつ退院できるか看護師さんに聞いてみたら「お腹もはってないし、赤ちゃんが育ってこれば帰れると思うよ。まあ前も赤ちゃん小さいし、中毒症とかもないから、大きくならないお腹なんだわ。あとは先生がなんていうかだけどね」と。毎日NSTして心拍も測り、1週間に一度の診察。1ヵ月ここにいると私達が払う分だけで20万円を超えるらしいです。実際の医療費なんてすごいですよね。ここまで医療費をかける必要が本当にあるのかどうか、削れることはないのか??職業柄、ついついそんなことを真剣に考えちゃいます。なにかあることは許されないから、医療者側は考えられること全ての手をうつ。それで救われる人もいるけど、ほぼ大部分の人にとっては過剰医療となる。必要のないストレスをかけることになる。でも患者も、確実に安心できるような医療を求めるから、結局医療費は高騰し、社会全体にのしかかる。しょうがないのかしら?日々少しでも医療費削減しようと奮闘している私達だけど、根本的なこういう部分が変わっていかないかぎり、日本の医療費なんて減らないのではないかと感じます。ここの病院はハイリスクの妊婦さんが多いので、圧倒的に帝王切開が多いです。でも自然分娩の人も、ある期間までは、はりどめの薬を飲み早産を予防し、ある期間がくると今度は、がんがん誘発させて産ませます。まさに管理されたお産で、本来の人の産む力ってどこにいっちゃったんだろうと寂しくなりますね。母子別室で決められた時間しか会えないので、母乳のみを軌道にのせることはなかなか困難で、最初からミルク併用。今まではお産って、人間って動物なんだなってリアルに感じるほど、理屈とか理論じゃない自然なものだと、体験として感じたので、ここで見て聞くことは、ちょっとショックです。でもリスクのある妊婦さんが最低限の医療を受けながら、より自然に近い形でお産できるようにするのは、まさに看護職が力を発揮できる(すべき)分野だと思います。こういうところが看護の創造性で無限の可能性があって、おもしろい部分でもありますね。現実は困難が多いのだろうけど・・・。ここにいると、患者側から看護職側からといろいろ感じることがあります。こういう経験も必要かもしれません。| 仕事(保健師) | 15:19 |
2007.03.23
コメント(3)
結婚おめでとう今日は春分の日。(東京近郊の青い空に伸びて咲くこぶし)東京のまだ浅き春色の空にコブシの白がまぶしく輝く朝にコブシは一億年前の白亜紀から今日にいのちを紡ぎつづけて東京の真っ青な天空に向かってのびやかにその白い花びらを開く。あなた達の出会いから今日までの歳月はまだわずか六年。狂気のように働き混沌と狂乱が沸き立つ東京で虚栄や欲望が渦巻く街若者たちの心をひきつけて離さぬ膨大なエネルギーの満ちる街、東京で、若い二人が歩み始める忘れてはいけない、この街は狂気の街だという事を。忘れてはいけない、東京の空にも乳白色に輝くコブシが咲きぬける青空が灰色に淀んだ空気を突きぬけると在ることを(一億年のいのちをバトンタッチしてきたコブシの花)仕事に狂奔するだけのすりきれた心になるな。自分たちの置かれている位置を時には一億年の時間の流れに置いて見よ。これからが人として真に試される時いのちを育み続けることがどんなに偉大か、どんなに難事業であるかを知るはずだ。自らの命の尊厳を守り生きよ。東京の街はいのちを紡ぎ育て次に続けることの最も困難な都市。その街に生活しようとする若い2人よ、コブシの花咲く今日、東京で結婚した。ここにたどり着けた感激を生きていく力に変えよ。その力を強靭なものに二人の協働の作業で紡ぎ続けよ。さぁ、始まる君達の新しい門出が。東京のまだ浅き早春の空にコブシの花が陽光に煌いている。
2007.03.21
コメント(5)
これは、わが家の息子が、未来の伴侶として選ぼうとしているお嬢さんのご両親に、私たち夫婦が書いた手紙である。 全く異なる家庭環境、生育暦の二人が出会い、新しい関係を作り出して、家族という単位で長く社会生活していくことは、人生の一大事業である。多くの困難、壁を乗り越えなければ、出来ないことである。 このような困難に出遭った時、今の若者の多くが、その前でたじろぎ、あるいは面倒に思い、避けて生きていこうとしている。お互いが協働の作業を通して、二人の前に立ちはだかるもろもろの困難を乗り越えたとき、人生のより素晴らしいパートナーとして、相手を認め、愛情を高めていけるはずだ。現代の若者の多くが、その達成感、その生きる充実を体験することなく、結婚に背を向けて歳を重ねている。面倒をさけ、気楽に楽しく(?)生きようとしている。 わが家の息子の未来の伴侶となるであろうお嬢さんは、現在、就職活動中である。昨年の12月、アメリカの大学を卒業し、帰国。その後、就職活動をしているが、中々思うようには進展していない。悪戦苦闘中である。 この悪戦苦闘は、日本の女子学生が一様に体験していることである。女性が働きつつ家庭を築いていく困難さは、並大抵のものではない。色々な社会支援が現在ではなされるようになっているが、実際の困難さ、厳しさは、私たちの時代と変っていない。女性が、子育てしながら、働きやすい社会。その実現への道程は、まだ遠く、厳しい。では、なぜそれまでして、女性が働き続けるのか。なぜ、働きつつ子育てしようとするのか。私自身も、この問いに対して、苦悶しながら、今日の齢を重ねてきた。若い人々は、この私たちの世代を、更に超えて生きていける社会的な変化、環境が整ってきている。その利点をいかして、さらに素晴らしい人間関係、愛情を育んだ夫婦や家族のあり方をぜひ追究して欲しい。 以下の手紙は、そんな私たちの思いをこめて、私たち夫婦が、議論を重ねて、到達した考えをまとめたものである。息子のお相手のご両親の心配に、少しでも応えることが出来ればと思い書いたものである。そして、それは私たち個人的な家庭の問題としてだけでなく、世の親たちが考え、悩んでいることでもあると思いあえて、公開することにした。 『私たち夫婦からの手紙』(以下の文面で、プライバシーに関る部分は削除、訂正した)ご夫妻さま 先日は、お休みのところ、ご足労頂き有難うございました。私どもは、ご夫妻にお会いでき、短い時間でしたが有意義な一時を過ごすことが出来ました。 ご夫妻が、お嬢さんを愛情をもって大切に養育されている様子が窺え、そして、娘を思う親心の深さ故に、色々心配、憂慮されている事も、娘を持つ同じ親として、同感の至りです。 ご夫妻のご心配を解消できないとは思いますが、私ども夫婦の考えの一端をお伝えできれば幸いと思い筆を取りました。 若い二人での人生をスタートするに際して、今、二人は色々な困難に直面していますが、私ども夫婦は、これらの困難を、若い二人が自分たちの力で乗り越え、生活を切り拓いて行くことを大切にしたいと思っております。 自立した社会人としての人格の確立、これを、今、あの二人は力を合わせてやっている所です。その子供たちの伸びようとしている力に依拠して、見守ることも親の務めであると、私ども夫婦は考えています。今しばらくは、彼らにそのための時間を与えて、親はあえて我慢して待つことも必要ではないかと思っています。 お嬢さんも、必ずその困難のなかで、悩みながらも考え、行動し、自分の身の丈にあった新しい生き方を見つけ出せるものと確信しています。息子もそのように主体的に物を考え、生活することのできる女性を望んでいるはずです。就職もその一環として起きていると思います。単に経済的利益や体面を保つためだけに、就職先の選別を厳しくしているのではないと思います。 息子は、お嬢さんが、将来、人間として、女性として、大きく成長していける場としての職業を考えて、勢い短兵急に厳しくなっていますが、これは若さ故の未熟さから来ているものと理解しています。その意味で、息子自身も、大人としてもう一回り成長して、お嬢さんに接することが必要ですが、今少し、時間が必要と考えます。親としましても、この点については、息子に成長を促す助言をし続けていくつもりです。 これからの女性が生きていく上で、子どもをどのように育てるかは、その母親がどのように生きているか、どのような家族関係を築けているかが、とても大切なことです。あの子たちが生きていくであろう社会は、今と大きく変っていくはずです。その社会で、充実した有意義な家族を造り上げていくという大きな目標に向かって、二人は歩み始めたばかりです。 お嬢さんの素直で飾らぬ人間性は、とても希少で優れた資質です。そのお嬢さんの良さを更に伸ばし、女性として自立した人格を完成させつつ家庭を築ければ、とてもやさしい心豊かな家庭が出来ると思います。お嬢さんは、まだ若く、色々な試行錯誤は当然であり、困難でもその壁を乗り越えて行くエネルギーがあります。お嬢さんは、まだ歩き始めたばかりです。その意味からも、おおいに悩み、苦しむことが、彼女の素敵な人生を切り拓く力に必ずなります。現実の社会で生き抜く力となります。これはとても素晴らしいことです。このような困難に出会わず、成り行きに任せて、楽にやっていくような家庭は、未来がなく、二人が望むものではないと思います。 息子は、私どもの夫婦のあり方をモデルにしているところがあるでしょう。お嬢さんは、自分の育った家庭をモデルにしているでしょう。その二人が出会い、一緒にやっていくことは大変な事業です。長い年月をかけて造り上げるものです。今、スタートにあたって出遭っている壁や困難は、その長い道のりを乗り切るための助走です。ここで問題点を曖昧にせず、直視して乗り切ることができたら、若い二人のこれからは、大丈夫。どんなことがあっても力を合わせてやっていけるでしょう。 その意味でも、今しばらく、じっと我慢の子となって見守っていこうというのが、私どもの当面の考えです。遠くから見守り、援助すべき時には、私たちの出来る限りの手を差し伸べていくつもりでいますのでご安心ください。 私たちの思いを十分お伝えできたかどうか心もとない限りですが、私たち夫婦はこのような思いで、二人を見守っている所です。以下略。
2006.10.27
コメント(1)
写真:鎌倉・東慶寺の蝋梅(ろうばい) by Danjose咲き満ちし蝋梅を透く朝日かな (小森 黎) 「息子はへの年賀状」2006年明けましておめでとう。この5年ばかり毎年、アメリカの大学にいた息子にメールで年頭の書簡を送り続けてきた私だが、今年は帰国し、東京で就職したので、改めて年頭の書簡を送る必要がなくなった。これは息子が、親からほぼ独立し、自分の道を自分の足で歩み始めた記念すべき、喜ばしい新年の年であるのだが、親としては一抹の寂しさもある。日本の経済の最先端で、その渦中で、日々厳しく、激しく戦っている息子の成長は、確かにうれしいことではある。さらに大きく成長していける展望を切り拓く道すじを展望して生きようとしている姿は頼もしい。しかし、まだ学びの修行の道半ばにいる。青年期後期の修行の時期にさしかかったところだ。ここでさらに力を蓄える学びをひき続きやって欲しい。青年期後期の学びは労働という社会的実践と深く関った生きた学習だ。今までの学びの蓄積が目に見えぬところで生きているはずだ。その学びを土台に枝をはらせる時期だ。ここでしかりと実践と結びつけて学び、実力を蓄積することは後の壮年期の大きな飛躍になる。青年期は激しく学び、激しく働くことのできる、体力やエネルギーが溢れている。この時期にしか出来ぬ学びがある。この時期を逃してはできぬ仕事の仕方がある。青年の若々しい感覚や知性には、私たち老い行く者には無いものだ。その新しい感性を豊かな実践と知識で、新しい時代にふさわしい能力に創造していける時期に青年はいる。それは青年の特権だ。この青年期の特権を十分に生かしきり、さらなる飛躍できる2006年になることを願いたい。健康な身体管理も忘れずに。健康な身体は、学力や、仕事力の最も重要な要素だ。健康管理を自分の力で出来て、始めて一人前の大人であること肝に銘じて生活して欲しい。2006年、ここまで成長してくれた息子にありがとうと感謝したい。私たち、父、母も老いに向かって、どう生きていくべきか、どう生きることが老いにふさわしいのか、模索の日々が続いている。父も母も新しい老いかたを創造していけるような日々を、若者たちと競いたい。
2006.01.03
コメント(0)
選挙中の私のブログは、今のアメリカに批判的な事ばかりを記事にしてきたが、私はアメリカの光の部分もとても評価している。私の息子がアメリカとの出会いで、青年期前半に自らを鍛え、自立への学びとすることが出来たのもアメリカであり、アメリカの懐の深さに親として感謝している。日本の大学では絶対にできない、青春の葛藤を大きな、広い心で見守って、励まし、成長させてくれたのはアメリカであった。広い視野で人生を、世界を見ることを可能にしてくれたアメリカがある。その息子もこの7月から社会人となり、日本の企業で見習い期間をしており、素晴らしい人々の出会いを体験して、さらなる研鑽をしている。更に大きな、広い世界をみるチャンスを与えられ、日々学び鍛えられている。このような基盤を作ってくれたのもアメリカである。その息子、3ヶ月の見習い期間をまもなく終えようとしている。以下は其の息子が自分のブログに書いた記事の一部である。息子がどのように社会人として、感じ成長しようとしているかを記録しておきたい。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2005.08.21 Sunday 12:46「ゆとり」ってなんだ?気がつくと、もう1週間もブログを更新していない。忙しい日々が理由の一つかもしれないが、それ以上に誰かに伝えたいような言葉が湧き上がってこない。世の出来事に無関心になった訳でも、思考を止めているわけでも訳でもないが、気が付くと仕事のことばかりが頭の中を占拠している。アメリカ在学中も今と同じくらい忙しかったが、いつも何かに感動したり、悩んだり、心のアンテナに素直でいられたように思う。アメリカ人は矢もすると自己の幸福のみを極端に追求する、マイペースなハッピー馬鹿集団だと批判されがちだ。しかし、彼らは『個』として人生の楽しみ方を最も分かっている国民なのかもしれない。一方で、社会の規律を重んじ、恥の文化によって秩序を保っている日本において、マイペースという言葉は、ネガティブな意味で用いられることが多い。皆と同じ振る舞い、同じ歩調で歩けないものは徹底的に排除されてしまう。『社会人として~』とか『社会の一員として~』などに体言されるように、社会と調和しながら粛々と自分の人生を全うすることがこの国では美徳として根付いている。『ゆとり教育』なんて言葉が一斉を風靡した時代があったが、あの『ゆとり』が指していた意味は一体何だったのだろう?戦後豊かになった日本社会が個を尊重し、それぞれの人生を社会が受けいれて行くことではなかったのか?結局その答えを出せぬまま改革は頓挫してしまったが、僕らR25世代*1は、見せ掛けだけを輸入してきたきたアメリカの個人主義が引き起こした、文化摩擦、世代間の思想、価値観の隔たり中で自己矛盾を抱えて生きている。学校に行けずに苦しかった高校時代、なぜあんなに憂鬱だったのか渡米後に、その理由が少し分かった。仕事は楽しい。渡米前より東京の生活にも慣れてきた。それでも、疲労顔のサラリーマンと通勤電車に揺られているとふと思う。『ゆとり』ってなんだろう?世界第2位の経済大国にすら手にいれられない『ゆとり』ってなんだろう?*1 R25…リクルート発刊の25歳の男性をターゲットにしたフリーペーパー(無料雑誌)。この世代の文化(ファミコン<くそゲー特集など>、ビックリマンシールから最近の流行まで)特定世代を象徴する情報を前面に押し出し一大ブームとなった。(関東圏のみで配布)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー日本では、今も子供たちが悩み、苦しみ、頓挫している。閉塞した日本で私たち親子も苦しみ、悩んで、ここまで来た。このように成長させてくれたアメリカって何だろう。何故日本の学校は、このような息子に学ぶ機会を与えてくれなかったのだろう。私も教育に関る一人として、この問いは重い。
2005.09.17
コメント(0)
7/28の日記 脇明子著「読む力は生きる力」本の紹介7/29の日記 我が家の場合(1)娘の場合-読み聞かせの効用は?7/2の日記 我が家の場合(2)孫娘、ことねのブックスタート7/5の日記 我が家の場合(3)息子の読書遍歴 読むこと苦手な息子の読書遍歴ー読み聞かせの効用は? 今日は、「我が家の場合」の第3回目、我が息子の登場である。 この日記にもすでに何回も登場した息子(社会人)、幼い時から運動能力抜群、赤ちゃんの時から活発に動き回る子であった。じっと静かに本を読むなどということは最も嫌いで、不得意とするところであった。小学生の時は少年野球ではスター的華やかな活躍ぶり。父親などプロ野球の選手にするのが夢であった。中学、高校とは水泳の競泳選手であり、勉学は落ち着いてはほとんどやっていない。むろん読書など遠い世界のことであった。読む力、書く力は同年代のレベルに達せず、国語など最悪の成績の中学、高校時代でる。マンガは読みに読み、今では多分かなり玄人好みのマンガ論を書けるほどのマンガ通では。我が家には、昨今はやりのマンガ喫茶を開業できるほどのマンガ本が多量にある。ゲームはプロ中のプロ。あらゆるゲーム機、初期のものからすべて買ったのでは。ゲームソフトもかなりの量(現在は大部分破棄)。少年期から青年期の息子はこんな状態で、今時の社会の風潮にどっぷり浸り、良いにつけ悪いにつけ現代の最先端の電子メディア、映像文化の影響を強く受けて育った子どもである。高校卒業時の書く力など、今時の日本の大部分の高校生の例にもれず、稚拙で大学入試に耐え得る代物ではなかった。その当時、彼には青年らしい深い、論理的な思考する力など全く無いかにみえた。少なくとも表面的には。 ではこの息子にどんな読書遍歴があるのか。 このような思春期青年期を過ごした彼が、現在、生きる力としての読書を最も必要と感じて、これまた、かなりヘビーに本と付き合う日々となっている。最も親に近い読書をする大人になっているではないか。このように変貌を遂げえたのはどうしてなのか。この根拠を、今ここで分析し述べることは難しい。まだ進行中のことであり、今後、彼にとって本はどのようなものになって行くのか未知の部分でもある。しかし、ひとつだけ確かなことは、読書は、彼の人生を大きく転換し、切り拓く力となったということである。深く思考する力、現実を深く洞察する力、さらには本のなかで自らの生きるエネルギーを得たのは確かなことである。 彼の赤ちゃん時から小学5年生までの本の読み聞かせは、質量ともかなり膨大で母親自身もかなり楽しみ学ぶもの多かった。自分で読まない読めない分、この就寝まえの読み聞かせの時間は、彼にとっても唯一落ち着いて、本の世界に遊んだ知的な時間だったのかも。その頃、岩波少年文庫の超長編の物語など何ヶ月もかかって読み終えた。ロフティグ作のドリトル先生の冒険シリーズなど、全部で12巻翻訳されているが、すべて読んだ。一見ありそうにないお話が次々展開されるのに、ただ単なる空想ではなく、おそろしく科学的なところがあり、とてもわくわく楽しかった。母の方が感動したのを思い出す。斉藤惇夫作のガンバの冒険シリーズもとても重厚で長編なのだが、彼の大好きな本であった。すなわち「ガンバとカワウソの冒険」「冒険者たち」「グリックの冒険」などなど。ミヒャエル・エンデの「ジム・ボタンの機関車大旅行」や「ジム・ボタンと13人の海賊」など楽しかったなぁ。その他、J・ベルヌ作、「海底2万海里」などなど。数え上げればきりが無いほどの冊数になる。しかも、読み書きの苦手な小学生の息子にとっては、とても自分の力では読解できない本格的な長編ばかりだ。彼が自力で読書らしいものに取りくむようになる大学生以前に、彼が読んだ(?)本らしき本は、この少年期の読み聞かせの本たちなのである。それのみである。しかしその本の内容はかなり膨大な本格的な読み物ばかりであった。読み聞かせた量も膨大であった。脇明子氏が「読む力は生きる力」のなかで、展開されている「想像力」、言葉のかたまりから「イメージ」する力を息子はこの時期にかなり本格的にトレーニングしていたのかもしれない。長じて大人になったとき、このときのトレーニングがあったからこそ本の世界から、自らの生きる力となるような読書力を獲得することが出来たのかもしれない。この息子が、本が身近にあり、そこから生きる力を得ていける大人になるとは、あの読み聞かせている幼年時には考えられないことであった。さらに、その時の読み聞かせがこのような成長に関ってくるとは、とても信じられない。とても長い時間がかかった。時間が掛かりすぎている。この読む力がなかったら、彼は少年期に、少しばかりスポーツで栄光の座にいたというプライドを捨てきれず、社会からドロップして、すねて生きる今流のニートになっていたかもしれない。この息子についてはまだ分析しきれない発展の途上にあり、今後どのようなスペシャリストに成長していけるか、前途はけわしいのである。
2005.07.05
コメント(0)
これは昨日の日記、脇明子著「読む力は生きる力」の続き、我が家版である。第1回目は娘(一児の働くママ)の幼い時からの本との出合いと成長である。第2回目は息子(この7月からやっと社会人、体育系の読書嫌い)の読書遍歴について。第3回目は孫の詩音(ことね)1歳、のブックスタートについてと3回に分けて書いてみたい。我が家の場合―読み聞かせの効果は? 我が家の子供たち(娘と息子)が小さかった頃、子供たちには本好きの母親、私の影響でかなりヘビーな読み聞かせをしていた。とりわけ娘はその影響をかなり強くうけ、本好き、書くことが好きな少女に成長した。彼女は、幼い時から文章を書くことにおいて、同年齢の子供たちに比べ格段上のレベルに達していた。小学校の時など担任に「○○ちゃんの文は小学校の評価基準では評価できないレベル」といわれながらも冴えない普通の点数をいただいていた。(なぜ?小中は個性のない普通の文が評価対象なのか?)さてこの娘、高校ぐらいから若者らしい知性の光る文が書けなくなった。本も余り読まなくなった。もっぱら新しい高校生活の友人たちとのミーハー的なな世界にどっぷり浸り、高校生活を楽しんでいるように見えた。大学生活も似たり寄ったりの生活だったと思う。さらに世界が広がった分、友人たちとの関係を築き楽しむのに多忙であった。高校以後、親の考える、予想していた世界から大きくずれ、親の手の届かぬ別の価値観の世界へと行ってしまったように私たちには思えた。この娘の子育てはどうもうまく行っていない、親の考えるイメージと大きくかけ離れていると私たち親は思う時期があった。しかし、今から思えばこれは思春期から青年期への移行を順調に行っていたというべきか。親から自立しようとしていたというべきか。人としてのコミュニケーション能力を年齢にふさわしく育てていたということか。親が世俗にまみれた人付き合いが苦手で、お宅っぽいコミュニケーション能力未熟なのに反発して、たくましい生きる力を身につけていたというべきか。そして、現在は一児のママであり、保健師として地域のかなり厳しい現実問題を解決する事を、日常的に要求されるハードな仕事で日々に鍛えられ、働く女としてかなり成長してきた。とりわけ一児のママとして働くようになってからは、かなり人として目覚め、子育てに仕事に以前とは質的に異なる新しい発展を遂げようとしているようにも見える。母親の私が時代の制約を受けながら困難な中で色々できなかった事を、娘は若い新しい感覚で乗り越えようとしているかに見える。さて、「本を読む」という点に話をもどそう。この娘の場合、小学校までは親の整えた読書環境にどっぷり浸かって生活していた。幼年期にはテレビやマンガなどほとんど見ていない、ゲームはまだなかった時代なのでゲーム漬けということはなかった。俗世界からかなりかけ離れた幼児期というべきか。絵本や本の世界で遊んでいた穏やかスローな日々であった。確かにこの幼年期に獲得された力は彼女の現在の土台になっており、今もその力が大きな役割を果たしているのは実感できる。まさに、脇明子氏がいっておられる「想像力」、イメージして全体を見通す力、文字を通して情感をイメージして、その世界を理解する力の基本をこの時代に獲得していたのかも入れない。しかし、中学時代の読書は全く親の手の届かぬところとなった。安っぽいオトメチックな少女小説(何百冊と読んだ)やトレンディとかと世間が騒ぐテレビドラマにどっぷり浸かっていた。高校時代はほとんど読書などしていなかった。別に受験勉強で忙しく本を読まなかったわけではない。友人との交友の嵐のなかにいた。大学も高校時代に続き、友人との交友関係の嵐のなかにいたはずだ。看護大学であったので、勉強はかなりハードにやっており、その関係の本はそれなりに読んだかもしれないが、他の本はほとんど読んでいないのである。即ち、本格的な読書とは程遠い大学時代ではなかったかと思う。要するに彼女は、大江健三郎氏や脇明子氏が提唱されている、本格的な古典を読み続ける読書生活へと移行することなく現在に至っている。なぜこのようになっているか。彼女は職業柄、ひろく世界に社会に目を向け、広い視野で人間を見ることを要求されているはずだ。高い専門性が求められているはずだ。そのためには、経験だけに頼るようになってはだめだ。彼女の人生はまだまだ長い、先がある。その途上で、いつか読書によって新たな自分を築き展望の糸口をみつけなければ成らない日があるかもしれない。壁にぶつかる日があるかもしれない。その時に彼女は、再び本の世界に立ち止まり戻っていけるだろうか。幼い日に築いた読書への入り口が、更に本格的な読書へと発展するような人生を、実践的に歩んで行くことができるだろうか。一人の人間の成長や歩みは、かくも長い気が遠くなるような時間なのかもしれないと親としては自らに言い聞かせている今日この頃である。
2005.06.29
コメント(2)
今日は息子の大学の卒業式(Commencement)親子ともども、とても苦しい長い道のりであった気もするが、親としてはこれで一区切り。息子が自らの力で、社会人としての道を切り開いていく基盤を、親は子につける義務は果たし終えたのでは。感無量。学位授与式をアメリカの大学では、Commencementという。息子の大学はその行事が3日間続くということだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー卒業おめでとう。Commencement!君は今日、カリフォルニアの青い空の下で学位授与式に臨んでいるか。どこまでも青い輝く海と、どこまでも明るいぬける空、濃いブルーの陽光のきらめくキャンバスで、今日から、君は独りで立つ旅立ちを始めるのだ。Commencement ! なんて素敵な言葉 Commencement ! 卒業式。Commencementは 開始。まさに今日は、自らの足で自らの頭脳で独り立ち、生きる旅立ちの始まり。世界の若者たちが出会う十字路で、沢山の若者たちと感動的な出会いがあり沢山の友人との語らいがあり、学びあいがあった。多くの素晴らしい師との出会いは君を学ぶことに目覚めさせた。水泳の競技選手としても、アメリカは君の心と体を鍛えてくれた。競技者としての栄光や挫折は青春の輝く一ページだ。そして、アメリカは君に、日本人としての繊細さや賢さを目覚めさせ、これからの人生の行く手を照らす灯台となった。日本での高校時代の挫折や失意から社会からドロップしそうであったあの時を君が、逆風に頭をあげて、前を見つめて歩むことの出来る高みにまでアメリカでの幾多の出会いや体験が引き上げてくれた。君のその粘り強い意思力と青年としての溢れるエネルギーが道を切り拓く源となった。父も母も、君を支え励まし、ここまで来た。でも、もう私たちは無用になった。君は自らの足で歩める青年に成長した。ありがとう。父も、母も今日のこの日がこんなに素敵な形となって、やってきてくれた事に感謝する。さぁ、君はもう私たちから旅立っていく時だ。新しい世界が君を待っている。新しい出会いが君を待っている。新しい世界に大きく羽ばたいていけよ。Commencement!卒業、おめでとう。
2005.06.12
コメント(3)
今時の若者は現代のテレビ、ゲーム、漫画、インターネット、等々私たちの世代にとっては馴染みにくい、理解不能のところのある文化に浸って育ってきた。その若者たちのの感性がいかなる物に育っているかは興味あることである。 我が息子はこの意味で全く現代っ子のひとりである。現代の文明に良くも悪くも洗礼を受けすぎている。健康的な部分も、退廃的な部分もすべて清濁あわせもっている、我々の世代には、わけの分からぬ若者の一人である。この御仁、米国でのかなりハードな武者修行を余儀なくされ、かなり自立した大人に成長した。効率の悪い、無駄ばかりに見える青年前期を歩んできた。遊びの天才、スポーツの天才であった子供時代を経て、今はかなり勉学に目覚めてきた。その子供時代や青年期の無駄に見えた体験が、今、肥やしとなって一つの形をとろうとしている。親世代ではかなり理解不能であるが、なるほど今の文化はこういう感性を育てるのかと妙に納得できる部分もある。以下は、息子のブログからの現代芸能(?)論もどきのエッセイである。この5年間ほとんど日本には不在なのに、どうしてこんなに日本の現代に詳しいの(?)。お金がかかっていますねぇと、親としては愚痴りたいところですが。それが青春というものなのでしょう。膨大な無駄な時間と出費、それが人間を成長させている。〈息子のブログより〉感性は大事 その(2)2005.05.31 Tuesday以前に書いたが、僕にとって松本人志は人並みはずれた感性を持ち合わせた天才である。実は、もう一人天才だと思っている人物がいる。それは脚本家の宮藤官九朗である。「池袋ウエストゲートパーク」、「木更津キャッツアイ」「GO」「ピンポン」「マンハッタン・ラブストーリー」などの脚本で有名な彼は、最近『タイガー&ドラゴン』というドラマの中で、IWGPと木更津キャッツの主演男優「長瀬」「岡田」のジャニーズコラボのキャスティングによって『古典落語』という全くジャニキャラには全く相容れないテーマを描き話題を呼んでいる。彼の作品に共通していることを書く(1)キャスティングする役者は、みな個性派俳優であるが、これを彼の手腕によってさらにアクを出している。にもかかわらず全体として脚本家の独特な世界観の中で絶妙に調和しており、個性が決してぶつかっていない。『タイガー&ドラゴン』においても、ジャニーズが古典落語を語って全く嫌味ではなく、むしろ新鮮さを持って若い世代が受け止められる辺りが彼の凄みだと思う。(2)世の常識や大衆の価値観を斜めから切り込み新たな視点を与えていること。「世の中が誰もが価値を置いていない物」「アウトローな人々」の中に現代社会が持てはやしているものと共通する部分を見い出し、本質的なところで人の求めるものは、(大衆が批判しているものと)なんら変わりないことを痛烈な批判を込めて訴えている。『IWGP,キャッツアイ』でも池袋、木更津、商店街、銭湯、果物屋、床屋(≠美容院)などの設定ですら、官九朗ワールドではとてもお洒落で、若者にも受け入れられる活力のある文化に替わってしまうから不思議である。(3)(1)と(2)は彼の天才的な感性に裏づけされており、おもろいものを嗅ぎ分ける嗅覚は半端ではない。『氣志團』、『酒井若菜』、『古田新太』『森下愛子』『中村獅童』『岡田義徳』などの発掘した感性にはただただ感動。このおもろい物を嗅ぎ分けるセンス・感性というものは、お笑いで言えば『つっこみ』のに通じる才能なのだ。「つっこみ」とはボケに対してどこが笑いどころか、どうして面白いのかという笑いの視点を観客に伝える役目だからである。「つっこみ」が持っている(1)世界観の広さ(2)ボケに対する切り口の鋭さ(3)独特の視点によって『おもしろさ』の可能性は無限大に広がる。松本人志がフリやボケの天才なら,官九朗は突っ込みの天才なのかも知れない。二人の持っている世界観があまりにも独特なために噛み合うことがないかもしれないが、個人的に二人が何らかの形で作品に関わるところを見てみたい。そんなことを考えながら官九朗を見るのが最高の贅沢かもしれない。ちなみに、タイガー&ドラゴンの第3話に出てくる。古典落語の『茶の湯』。風流をテーマにした落語であるが、古典の「風流」と官九朗ワールドの「やべぇもの」(風流)のコレボレーションがたまらない。ここまで完成度高く作り込んだもの最近見てないなぁ。。。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー これは、母にはちぃと異次元の世界過ぎますな。これで若者たちには通じるものあるのでしょうかね。 でもまあこういう新しい感性で、これからの新しい日本を形成する若者の一人に成長してくれることは頼もしいことでもある。 7月からは社会人になる息子。 新しい世界で、また新しい幾多の出会いが待っている。 多くのことをその感性でいっぱい吸収して、さらなる大きな人となりに成長してくれる事を期待したい。 母から更に遠いところに羽ばたけよ。
2005.06.02
コメント(0)
以下に掲載した「母を訪ねて3千里」は、アメリカの大学で学ぶ息子のHPから転載したものである。 この息子は、今時の日本の若者と同様に高校卒業時は文章を書く力、全くお粗末、幼い文章、貧弱な語彙、とても大学受験の小論文など書ける輩ではなかった。体育系でもあり、本来、読書や作文などは苦手としていた。 日本の現在の学校教育の中ではほとんど書く力を養うカリキュラムはなく、学校にお任せしているとお粗末な国語力しか育たないのだとその当時、親として愕然としたのを覚えている。 この息子が最近やっと母親の目からみてもかなり文章力が付いてきた。ヒトサマにお読み頂いても耐え得る文章力を備えてきた。 この書く力は、アメリカの大学がここまで育ててくれた。アメリカの大学では膨大に読む事、書く事を絶えず要求され、単位をとること至上命令の息子にとつてこれはかなり厳しい日々の修業であった。とりわけ、英語でやらねばならぬ事は、英語の不得意な、出来の悪かった息子にとっては並みの困難ではなかったはずだ。英語の文章力は多分まだそんなに優秀ではないと思うが、副産物として日本語力がかなり向上した。アメリカの大学で日本語力が鍛えられたとは皮肉な事である。さらに私の年代が真似できない、インターネツト世代の文体を身につけている事も私としては学ぶべきものがある。以下がその息子の文章である。原文はもっと視覚的に構成されており、強調したい部分の文字を大きくしたり、写真が添付されたりしておりますが、私のPC能力ではちょっと無理。興味のあるお方は本人のHPに、私のリンク(Ucityサンタバーバラ)から、どうぞ。『母を訪ねて3千里』フジTVの世界名作劇場の一つ。むかし再放送で見たのを覚えている。あの頃は幼すぎて、実際どんな話なのかよくわからず見ていた。だいたい3千里てどれぐらいの距離なんだ?疑問が沸くと、調べ無ければ気がすまないのが性分なわし。。。さっそくググってみることに。結果以下のことが分りましたその(1):(主人公)マルコ少年はイタリアのジェノヴァを出発しアルゼンチンのトルクマン州までの3200里を旅した。その(2):そもそもなぜ母親がアルゼンチンに居たかというと、当時借金まみれだったマルコ家の家計を支えるためアルゼンチンへ出稼ぎに行っていたのである。しかし、ある日を境に母からの連絡がぱったりと途絶える。心配したマルコ少年は母を捜しにアルゼンチンに行く決心をしたらしい。その(3):現在では途上国であるアルゼンチン。物語の設定当時(1880年ごろ)は、小麦やトウモロコシの耕作、牛肉の冷凍技術の発達により急速な経済発展下にあり、GNPベースでアメリカと肩を並べており、世界でもトップ5に入る経済大国だった。当然マルコの母のようにイタリアから移民してくる人々はたくさんいたらしい。その(4):さまざまな苦難を乗り越え、マルコはついに母を探し出す。そして連絡が途絶えていた理由は、母が過酷な労働のため病気を患っていたからだと知る。相談した結果、マルコ達は療養のため、イタリアに戻る決断をする。その(5):イタリアの帰ってきたマルコと母親。マルコが出発してから実に2年の歳月がたっていたそうな。。。********* ********** *********** ********** ********** *********** ちなみに、3200里は1万2566キロになります。結構な距離ですね。ところで、金融業に従事する私としては一つ気になることが。。。 マルコ親子は、ちゃんと債務を返済したか?? についてである。2年間も収入なしの上、利子もたまりにたまっているはず。帰国後も手術やら何やらで何かとお金が要ったはずだ。アニメはいつも感動的な場面で終わる。しかし現実はその後何十年も続くのである。このマルコ親子の悲惨な第二幕のストーリはだれも知らないままだ。
2005.04.26
コメント(0)
一昨日まで硬かった桜のつぼみが、この2日間の暖かさと雨で一気に開花した。 寒さに耐え内に秘めていた生命力を溢れんばかりに放って、競い合って咲くさくら、さくら。今日の朝の散歩はそんな花、花のエネルギーが満ち溢れた雨上がりの散歩であった。 今日は遅咲きの力強い生命に満ちた桜の花のように、エネルギーに満ち溢れた元気な我が家の息子の就職活動について書こう。 昨年の夏から冬にかけては我が家は息子の就職活動にはらはら、どきどき心配の尽きない時期であった。 息子は日本の大学で一度も学んだことがなく、アメリカの大学を卒業するための単位を取ることは至上命令であり、何はさておき単位を落とすことは出来ない。そんな息子が就職活動と勉強の二足わらじで乗り切らねばならなかった就職活動はとても厳しいものであった。 日本の某企業などは、書類選考から最終選考に行くまでに4ヶ月余りの期間を要し、しかも最終選考は、平日の水、木曜日にニューヨークで行うから来い。というものであった。西海岸の大学に在籍する息子がニューヨークのそれに参加するためには一週間はかかる。しかもその週は幾つかペーパーテストを抱えており、その最終面接に参加したらその試験を棒にふる事になる。これでは到底息子が最終選考に参加できる日程ではない。無理である。 また、日本企業は留学生の受け入れを余り歓迎していない。就職に対しても留学生の受け入れ態勢は曖昧ではっきりしない企業が多い。 さらに、現在就職戦線そのものが厳しく、若者たちは企業の厳しい選別にあっている。 こんな、あんなで息子の就職活動も極めて厳しいものであっった。しかし、就職活動をとおして色々学び、自立への一歩を踏み出すことができた。以下に掲げた記事は息子が自分のHPに自分の就職について書いたものである。 この中で、息子が就職活動を通して成長する姿を見ることができ親としてはとてもうれしい。又、この記事に登場する日本企業の指導者の中に、若者にこのように声を掛けてくださるお方がおられることにとても感謝したい。そのような指導者の活躍される企業の末席で働くことを決断した息子に「頑張って」とエールを送りたい。 『息子のHPからの転載記事』 昨年の12月の暮れ、就職活動中だった私は東京で某企業の取締役員と面談の機会を頂いた。 その時の執行役がおっしゃったことが私の人生を大きく変えた。 第一志望だった某外資投資銀行から内定を頂いていた私を前にして執行役はこんなことをおっしゃった。「(株式会社である以上、最大の目的は利潤を出すことであるのは当然と前置きした後で)仕事とは自分のためだけにするものでも、一部の利権者のためにするものでもあってはいけない、それがビジネスの中枢にある金融機関ならなおさらだ。社会的責任を全うし、そのことが自分の人生をより豊かにするものでなければ、お金儲けをしてもむなしいだけだ。私はこの仕事に誇りを持っている。今日私がここで君と話している理由はこのことをどうしても伝えたかったからだ。例え、敵対関係にある会社に行ったとしてもこのことを胸に秘めて、日本のため社会のためにがんばってほしいと思う。」 がつんと殴られた気がした。 外資の初任給で何を買おうなどと、くだらない皮算用していた自分が情けなくてたまらなかった。 もちろん、厳しい国際競争の中、こんな浪花節がいつまでも通用するほど甘い時代でいことは重々承知である。それでも、自分がなぜこの国に生まれ今まで必死に勉強してきたかを考えると、決断を下すために時間は必要ではなかった。 以上が息子の記事である。 このように就職先を選択する時、大人たちの意見に耳を傾け見識ある選択の出来る若者に息子が成長したことはとても親としては心強い。日本の企業の初任給の何倍もの高額の給料を、若者に与えるアメリカの銀行を振り切って、確かな判断をしたことはわが子ながらあっぱれである。 君はそれほどのお金を手にして暮らす身分ではない。身の程というものをわきまえるべきだ。まだ君は自立の第一歩を踏み出したばかりである。 米国でのこの5年間が青年期第一期目の武者修行とするなら、 就職は、青年期第二期目の新たなる修業時代の始まりだと言うことを心に命じて社会に巣立つ準備をして欲しい。これからも、自分の専門性を高める学びを怠るな。豊かな人間性を磨くこと忘れるな。たゆみなく歩めよ。
2005.04.08
コメント(0)
今日は息子のHP(UCITY留学情報満載、このブログもリンクしています)から、彼が掲示板に書き込んだ一文を転載してみました。 大学の授業でJapanese Cinemaのクラスをとっておりその時の感想です。 3月5日のNHKの朝の番組土曜インタビューに是枝監督と柳楽優弥クンが登場しました。その時の私の感想も新たに書き加えました。 誰も知らない「誰も知らない」を見ました。生活の一部を切り取り、これだけ多くのことを伝えられる映画ってすばらしい。みなさんも是非見てください。谷川俊太郎氏が映画に寄せた詩がとても良かったのでちょいと載せておきますおきます。生まれてきて限りない青空にみつめられたからきみたちは生きる生まれてきて手をつなぐことを覚えたからきみたちは寄り添う生まれてきて失うことを知ったからそれでも明日はあることを知ったからきみたちは誰も知らない自分を生きる NHK土曜インタビューに3月5日に「誰も知らない」の是枝監督が登場した。 その中で印象的な言葉 「自分の映画が目指しているものは、‘種,みたいなもの、映画を見終わって、自分のの中で、水をやりそれを育ててくださればとてもうれしい」 是枝監督の生きる真摯さ、子どもを見る目のあたたかさが氏の一言一言ににじみでていた。子供をたんに被写体としてみていない。 映画の現場のなかで、大人たちが集まって仕事をしている姿から、子供たちはいろいろ感じ取り学びとっているはずとも言われていた。 その製作過程は子供たちとの4年間の長きにわたり、宝物のような貴重な時間だったとも言われている。このような大人に出会った子供は幸せである。 このような大人が今は減っている。
2005.02.21
コメント(0)
全13件 (13件中 1-13件目)
1