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涼しげな白色の花たちが咲き乱れる私の散歩道。春の華やかなピンク色や黄色の花々の季節が過ぎると、新緑の鮮やかな緑にしろ色がまぶしい花たちが咲き始める山法師のをしろ。なんじゃもんじゃの白ノイバラの白それぞれの白が微妙に変化して、鮮やかな新緑の中にハーモニーしている。今日は母の日。こんな白の世界に突然に飛び込んで来た鮮やかな贈り物。息子の連れ合いからのプレゼント。豪華なアジサイ。ありがとう😊人工的に極限まで改良したアジサイ野山の花々の対極にある美いかにも今を象徴している。このアジサイを絵に描いてみようと思っているが、さて、どんな絵になるやら、、
2021.05.09
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コロナのため、私の陶芸教室や絵画教室は、3月初めより4月15日までお休みとなり、もっぱら自宅での引きこもりである、 幼子の習作。モデルは我が娘と息子の幼いときである。 老若男女の人物像のデッサンと 油絵の練習、絵具の使い方に慣れること、使いこなせるようにする事が、当面の課題である。 少女と少年の習作。孫たちがモデル。現在は高齢者の人物像を習作中。 人間を描き分けることは、とても面白い。人への深い思いが深化する。 コロナウイルスが日本でも、この数日は新たな段階での広がり 見せて、日本中が自粛ムード強められた。 大量消費することが好景気の指標。 虚飾の繁栄を謳歌している現代、 その脆弱性を露呈した。 この災害は、私たち自らが招いたもの。 でも自粛ムードの都市の静けさ、 これこそが、人間らしい街の姿では? ここで私たちは立ち止まり 静かに思いをめぐらすとき、 人間のあるべき未来のかたちを。 断じて、 この災難の果てには V字の景気回復を強力に 押し進めると 早々と大声で宣言している 安部首相の経済政策ではない。 お金をどんどん放出しジャブジャブ お金で世界は支配しようとするのか。 利益のために効率優先のグローバルリズムの脆さと危うさ。 金儲けのための異常な観光客の呼び込み。 これが好景気と謳歌したアベノミクス。 その脆弱性をあらわにした コロナウイルス それでも、また v字回復の経済とは。
2020.03.29
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久々、何年ぶりかしら? まもなく77歳になってしまいます。 毎日、コロナ、コロナと暗い重い空気が漂うこの頃ですが、 ずっと続けておる朝の私の散歩道。今朝は雨模様ですが、スケッチしてみました。 落花したツバキ雨に濡れていました 夜来の雨あがり 甘い花の香りますますつよく 早朝の森しっとりとぬれて さくらも咲き始めた。 コロナ、コロナ、 終日、 世界中がコロナのウイルスに おののき、 世界は暗雲がたれこめる。 でも、 森は しんとして 萌えようとしている 草木や花々の 生まれ出ようとす 生気のエネルギー 満ち 森は呼吸している。 この雨上がりの 森のいぶき 現代が喪失しまったもの。 自然との共生
2020.03.28
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私の朝の散歩道のひとつ森林公園は今、初夏の粧い。新緑の森は、大樹に這い登り、生い茂るティカカズラの花が満開。爽やかな緑の風渡り、ティカカズラの甘い香り満ち満ちて森林公園は今快適な朝の散歩みち明日6月2日は、この森林公園で [70回全国植樹祭]が天皇皇后両陛下のご臨席の下に行われる。天皇に即位されて最初の地方への御公務とあって、当地域は大変な熱狂である。生い茂っていた竹藪は、綺麗に整備清掃され、式典会場への門が作られた。式典会場予定の植物園内の大広場にあった丘の凹凸は平地となり、ヒノキの式典舞台や式典招待客が座る木の長いすが見渡す限り設置され準備万端。接待客へのおもてなし広場には、何十ものテントが張られ、ところ狭しと並べられたプランタンにはポットの花を入れ、飾る準備中。この材木はこの日の為、整備伐採され材木になった木々たちか。1昨年あたりから公園周辺の道路の茂っていた樹木は、見るも無残に伐採され、見通しの良い明るい道路に変身した。これらはその材木で作られたものなのだろうか?公園正門前の今は森林公園正門は工事現場を覆い隠す時に使用しているフェンスで、一般の人が入園出来ないようにされている。この柵は今日中に取払われ明日の式典が行われるのだろうか?いずれにしろ平常の緑あふれる公園のなかで普通の市民が穏やかに祝える植樹祭であることを切に願うばかりである。
2019.06.01
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犬と人形今年も昨年に続き陶芸教室の1年間の総まとめの作品展を4月初めにおこなった。私がこの7年間、追窮してきた犬依然飼っていたユメちゃん再度挑戦。老婆12月に93歳で亡くなった叔母がモデル。幼いときから一緒に生きてきた身内が次々に逝き、思いは深く喪失感は大きい。 少女と犬4年生の孫がモデル。横顔をアップすると、抱っこしている犬はちーちゃんが飼っているチワワのなぎちゃん窯で焼成する前土で作ったときの後ろ姿横顔釉薬をかけて焼くとイメージする色がなかなでない。粘土のままのほうが趣があるように思うが、、生活に使う器として湯呑、茶碗なども作り毎日使っている。その中の一つ絵筆立て釉薬に鉄釉を使っているとても使い勝手良い。次は油絵具のパレット作ってみようかと思っている。陶器だと油絵具に最適ではと思うが。次の作品は中学2年の孫が学校の美術の時間に製作した陶芸作品シューズとても力強く若々しいエネルギーが溢れていて素晴らしい。おばばの私には出来ない作品。さすが陶器の街、学校の授業の一環としてこのような製作活動が出来る。
2019.04.26
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陶芸教室の恒例行事である、作品展を今年は3月30日~4月1日に瀬戸蔵で行った。私は今回が6回目となる。この6年間続けて追究してきた犬と人形の作品今年はヨークシャーテリアのふーちゃん1昨年に天国に逝ってしまったふーちゃん。飼い主さんの依頼で製作。サマーカットのヨークシャテリアなのですが、ふーちゃんの特徴がとらえにくくかなり苦戦した。この形に到達するのに、3回ほど試作し、4回目に何とかここにたどり着いた。しかし本当に飼い主さんの心を捉えることが出来るか出来上がっても自信がなかったが飼い主さんが、作品展を見に来てくださって、「久しぶりにふーちゃんに逢えた。」と言って下さり、ほっと胸をなでおろした。(土:信楽と瀬戸貫入土を5対5 釉薬:伊羅保 )もう一匹のわんちゃんパピヨンのぱークン ぱークンも1昨年、天国に逝ってしまったワンちゃん。これも飼い主さんの依頼で製作。この子も試作すること3回。この3匹はすべて飼い主さんと話し合いながら(特に顔)試作したもの。やっとたどり着いたのが4回目の完成品です。この写真の3匹は素焼きもしてなく、このまま壊して水に浸して再び粘土に返し、別の陶器作品を作る予定ですが、3匹をこのように並べるとなかなか面白く、壊しがたく一応、写真に収めてみた。(土は、ヨークシャのふーちゃんのものと同じ。釉薬:白化粧に黒の呉須製作技法:ひも作り)昨年度作った犬はこの2頭であるが、今年も更なる向上を目指して犬の製作は続けたい。。作品展での2匹:ぱーくん&ふーちゃん泥遊びによって、形が生まれ、1200℃の高温に耐えて、このように堅牢で、泥とは全く質的に異なる物が出現する不思議、ここに陶芸の面白さ楽しさがあるのだなぁと実感。生活の器も昨年は少し挑戦急須&湯呑(湯呑:貫入土、黄瀬戸&織部 急須:信楽、鉄赤技法:手びねり)作品展の展示 左:私の作品 右:たたらの花瓶(友人の作品)軽くて使い勝手の良いものが出来たのではと自分では思っている。その後、毎日使っているが、茶の出方もスムーズで販売されてるものより使いやすい。持ち手をもう少し長くすべき。今年は、もっと色々な技法で器が作れるよう技術の習得に励みたい。そのほか人形も製作したが、あまり満足のいくものでなかったが一応記録にとどめておこうモデルはすべて孫たち。運動会でソーラン節を踊る児姉妹と愛犬めりー作品展の展示
2018.04.09
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2018年明けましておめでとうございます年末の忙しい中、空き時間の合間を縫うようにして製作した、「犬と幼子」平和な年になりますようにと願いをこめて。(まだ、泥のまま、乾ききっていないけれど、素焼き、絵付け、本焼きの工程を経てどう変化していくか楽しみ。)75回目のお正月を迎えて我ながら長い時間が経過したことに驚く。時代は大きく激しく変化した。若いとき想像だにしていなかった速さで激動している。歴史が大きく転換している。そのダイナミックさを目の当たりして生きている。これってすごいことではないだろうか。私は65歳から、自分が楽しめる趣味というものを持とうと思い立ちまず、陶芸を始めた。それまでに仕事としてやってきたことも面白くはあったが、1から始めたこの土いじりは今まで体験したことのない喜びがあり、その数年後には、デッサンや絵を描くことにまで発展し、益々深みにはまっている。思春期の少女身体は年齢相応に衰えて行く。頑張ってあれこれ努力し体力維持をはかっているが、劣化、老化はあがらえないものがある。しかし、新しいことに挑戦し、深めることには年齢に関係なく面白く興味つきない。語学などは一応私の専門であるが、この年になって、英語など学ぶこと面白くなり楽しくなってきた。若いときに見えなかったことが、見えてきて感動する。趣味を含めて学ぶことが楽しい。高齢になって、このように自分のやりたいことを思い存分にやれるのは、若いときからずっと平和な社会があったかからこそ。2017年は、なにやらきな臭い方向へと突き進もうとする動きが急であった。我が母や父が大きな価値観の転換を迫られ歴史に翻弄されて生きた時代が再び来ないような社会でありたい。朝の散歩道今朝も霜で寒い朝この穏やかな朝が変わらぬ日常である2018年でありますように。今年もどうぞ宜しくお願い致します。
2018.01.02
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老いていく日々との闘いのなかで高齢者が集う我がサークル「アートの集い」の作品展を今年も12月17日・18日の2日市の文化センターで行った。このグループ展は今年で12回目、このサークルは20年余り続いており、発足当初からのメンバーの最高齢は95歳のご婦人。80歳代70歳代が主なるメンバーである。このサークルを20年間の長きにわたって指導して下さっているのは講師の端山操先生。その先生の作品はエネルギーに満ち満ちて力強い。「心は悩む」先生も御年84歳、とても若々しいエネルギーに満ちた大作を描き続けられています。二科の会友でもあります。サークルメンバーの絵心を引き出し、その個性を伸ばす指導がお上手で、どんな初心者も楽しくのびのびと絵を描くことが出来ます。「どうしよう」でも、先生の絵はちょっと難しすぎて。私たちには真似しようにも真似できません。次はサークルメンバーの最高齢95歳のご婦人の作品「三つの道」何気ない日常の風景、自分の住んでいる近所の風景を絵にするのがとてもお上手です。画題はどこにでもあることを気づかせて下さいます。「ちいちゃん」ひ孫のちーちゃん無邪気でかわいらしいひ孫さんのポートレート。ひおばあちゃんに描いてもらうなんて素敵ですね。「サイクリング」この絵は東南アジアの日常の一コマです。この絵の作者は東南アジアでボランティア活動をされており、時々東南アジアに出かけられます。その時の風景です。力強く鮮やかに描かれています。(絵具はアクリル)次の絵はパステルを使った作品「正ハリスト教会」パステルでこのように深い色がでるとは。高齢者にとっては、パステルはとても手軽。どこにでも携帯し、どんな場所でも描けることは年寄りにはとても合っている絵具。次の2点は油絵ですが、このご婦人は、このところ認知症を発症され、少しづつ進行しています、が、その絵は、以前のものよりさらに素敵な独特のものになってきました。「小判草」背景の濃い青と小判草の白、花瓶の陰影、油絵具でしか描けない深い色合いが素晴らしい。次の作品も絵の構図がユニークで個性があふれて素晴らしい。「一杯飲みましょう!」陶器産業の盛んであった我が町の風景「えんごろ小屋」今は衰退気味の陶磁器・瀬戸物の街街のあちこちに傾き廃墟になりつつある工場の風景「初夏の御嶽山」上の2点は油絵です。この夏、自宅で看病されていた91歳のご主人を亡くされました。それでもなおサークルに集い絵を描き、前に向かっておられます。次の作品は紙粘土と寄木細工の猫たちです。 この猫たちの製作者はお母さまをこの数年、自宅で介護されていた男性の作品です。とりわけこの1年間は、病状が思わしくなくサークルもお休みになっていましたが自宅では製作して作品展に出されました。「アートの集い」は、文字どおりアートなら何でもござれ。油絵、アクリル、パステル、自由な画材で自由奔放にやっています。これらの作品はそれぞれが個性豊かで、明るさに満ちていると思いますがどうでしょう。私は、このメンバーの中では初心者、参加している年月も四年と浅く、先輩たちにいろいろ学びながらやっています。私は、まだ水彩画しかやっっていませんが、来年は油絵に挑戦出来たらいいなと思っています。私の作品「晩秋の森林公園」この作品は、毎朝散歩しているコースの一つ森林公園の風景です。12月の始め、霜の降りた寒い朝、燃えんばかりの紅葉が池に映え、朝の陽光を浴びて輝くさまはとても絵に描けぬ美しさでした。「ソーラン節を踊るこどもたち」これは孫の運動会。4年生の孫たち、学年全員で、力強く踊り、ナルコの音が運動場に響き渡りました。そのエネルギーの爆発を描きたかったのですが。さて、どうでしょう。これは25号の大きな作品です。「早春の窓辺」静物画とりわけ花を描くことは私の好きな画材のひとつです。これはクリスマスローズ、とりわけ白のクリスマスローズを描きたかったので描きました。わがサークル「アートの集い」はどのメンバーも高齢者にありがちな様々な日常を抱えながら踏ん張って集っています。講師の先生を先頭に、衰えていく肉体に向き合いながらも新しいことに挑戦しようとしています。さて、来年はどんな作品展になることでしょう。60歳代の人たちが新しく参加してくれるとなお活気が出るのですけれど。参加お待ちしています。
2017.12.22
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最近の絵手紙から秋は実の熟する季節紫、オレンジ、紅などなど微妙な色合いで木の実たちが朝露にぬれて輝くガマズミの実 (その1)何十年来の付き合いの知人や親族がことごとく高齢者となり皆が加齢に伴う病気と闘っている日々である。そんな日々10日に一度ぐらいの間隔で絵手紙を出しているふたりの高齢者に。(ガマズミの実・その2)そのひとり認知症が進行形ですすんでおり、その病と闘う日々である。その彼女がご主人の運転で知多の海にやって来た。久しぶりの再会である。海の幸アワビやハマグリや新鮮なお魚をご馳走になってたくさんの事おしゃべりした。楽しいひとときだった。そのときのことを後で絵手紙にした。彼女の記憶の中に刻まれますように。秋の野の草:赤まんま(イヌタデ)昨年1年間に叔母は自分の夫、ともに暮らしていた長男を亡くし、その数年前には長男の嫁も他界。老後をともに力併せて暮らして行こうといていた人々を次々に亡くして、90歳を迎え、体調をくずした私の叔母。昔からの思いを共有できる人がいなくなり、まさに孤独と闘っている叔母。そんな叔母に私は絵手紙で励まそうと思っているのだが。住んでいる距離がかなり離れていてこれしかできない。(携帯も電話も嫌い)クヌギの実どんぐりの実もアカマンマと同様に幼いころ、おままごとの材料だった。筵(むしろ)をしいて、その上で、葉っぱが食器、アカマンマはお赤飯、どんぐりやくりも色々な食材に変身して毎日、毎日遊んだもの。こんな懐かしい思い出が蘇ったらいいなという思いで描いている。叔母は私が幼いころよく遊んでくれた人だから。紫式部の実もあざやかな青深い紫紫いろがこぼれてる朝の散歩道秋はいよいよ深し。芸術の秋にちょっとうれしいニュース。水彩画をはじめて4年。今年、70回目の市の美術展に40号の水彩画(こんな大きいのを初めて描いたが)を出展したら、一応、入選というご褒美をいただいた。これを励みとして、さらに豊かなアートの世界に遊べるように日々努力していきたい。
2017.10.22
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春に谷川俊太郎この気もちはなんだろう(私の朝の散歩道、森林公園。今藤の花が爛漫と咲く。私が生まれた日にも盛りと咲いていた花。)目に見えないエネルギーの流れが大地からあしのうらに伝わってぼくの腹へ胸へそしてのどへ声にならないさけびとなってこみあげるこの気もちはなんだろう(むせかえる新緑のエネルギー、公園の新緑の鮮やかさ。)枝の先のふくらんだ新芽が心をつつくよろこびだ しかしかなしみでもあるいらだちだ しかもやすらぎがあるあこがれだ そしたいかりがかくれている(何万年前から生き延びてきたこの地域に自生するシデコブシの花、繊細な花びらが天候不順のため、ちちこまってしまっている、絶滅危惧種)心のダムにせきとめられよどみ渦まきせめぎあいいまあふれようとするこの気もちはなんだろうあの空のあの青に手をひたしたいまだ会ったことのないすべての人と会ってみたい話してみたいあしたとあさってが一度にくるといいぼくはもどかしい(マメナシ:この木も何万年物いのちをこの地でつないできた)地平線のかなたへと歩きつづけたい大声でだれかをさけびたいそのくせひとりで黙っていたいこの気持ちはなんだろう4月28日は私の74歳の誕生日であった。谷川俊太郎のこの詩は74年を生きてきた私の心にびんびんと響く。春は生きようとするものたちのエネルギーが満ちあふれる。いのちの華やぎいのちの混沌老いていこうとしている身にはまぶしすぎる。若いときには感じる事のできなかったこの気持ち。そしてもどかしさ、はてしなく広がる世界。青春をともにした友、幼いころ遊びほうけたいとこ父や母や叔父や叔母や地平線のかなたへと歩み去っていったひとたちみなそれぞれの思いを抱いて。大声で誰かを呼んでみたい。そのくせ一人で黙っていたい。この気持ちは何だろう。残されたいのち弱っていくからだ好奇心に満ち満ちたこころ深い強い探求心そのくせ草の上でじっとしていたいこの気持ちはなんだろう74年間生きて初めて深く共感した気持ちである。谷川俊太郎のこの詩「春に」は、理論社1983年刊「どきん」という詩集に掲載されているものである。谷川俊太郎が50歳前半の詩である。85歳の今なお旺盛な活動をしておられる。中学三年の国語教科書(光村出版)の冒頭を飾っている詩でもある。連分けがなく、初めから終わりまでを一連で構成されている詩であるが、私が自分の気持ちに沿って、自分勝手に連分け、行変えを行ったことをお断りしておく。(一連で一気に読むことがこの詩のリズムだし、心に突き刺さってくると思うが、あえて解釈してみたかったので。)中学の国語の先生には、この詩の授業を行うとき、中学生のこころにひきよせて、広く深く宇宙に生かされた自分を意識して鑑賞できるような授業にしてほしいとお願いしたい。多くの中学生が、テストのために、言葉の意味や表現技法を暗記している。その暗記を苦痛に感じている。これからの人生のどこかでこの詩が彼らの心に響くこと願うばかりである。
2017.04.29
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ソメイヨシノの花がやっと咲き競い華やいできた。そのさくらと競演して咲いているマメナシの花マメナシは氷河期から延々と命つないできた植物であるとは驚きである。現在、山地に自生しているわずかな木の中の一本雨模様の暗い空に枝をいっぱい広げ、懸命に咲ききっている。さくらの花とはまた趣異にしてとてもすがすがしい。さくらと競演して咲くマメナシの花今日は天候が悪く、あいにくだが、抜けるような青空を背に淡いピンクと白が競い合うさまを見ることできるならその美しいまた格別であろうに。この近辺のさくらは大木が多く、その見事な枝ぶりに、咲き誇るさくらが雨に煙っています。今日は、公民館の私の属する絵のサークルからさくらのスケッチに遠出する予定でしたが雨のため、公民館の近くを散策し雨の桜を満喫しました。
2017.04.08
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中学入学おめでとう!今春はこの地方の桜の開花が遅く昨日の森林公園の桜は、つぼみが膨らんで、やっと咲き始めたばかりだ。この分だと、ソメイヨシノもヤマザクラもほぼ同じころに満開になりそう。今日は孫の中学の入学式だが、生憎の雨、春の嵐となり荒れ気味の空模様。 (絵手紙:金沢の金華糖。金沢からやってきた春のたより。お雛祭りを祝う砂糖菓子。すべてお砂糖で作れれています。甘いものがなかった戦後の幼い日々に、祖母から、数粒こっそりもらって食べた金平糖の素朴で柔らかな甘さが口いっぱいに広がる懐かしい甘さのお菓子です。嫁の実家から頂きました。)孫の中学時代と、このお婆の中学時代とは半世紀を優に超える時間の隔たりがあり、その変化の激しさは、今までの歴史の中でも最も大きなものであると思う。そして、孫たちの生きるこれからの半世紀も今以上の激動激変が予想される。人生の働き方、その生活の仕方は、おそらく今、私たちが、想像している以上の変化を遂げているだろう。 (かっては我が隣人である知人、今ではお互いに高齢者となった。その仲良しの友が認知症になってしまった。どうして?なぜ?と驚きと衝撃の私である。その友に私は、時々絵手紙を送っている。これもその1枚。介護者となって日夜奮闘されるご主人を励まし、彼女との会話のねたとなるような一枚となること期待して。)中学生になることねには21世紀の激動にも耐えうる学力の基礎、確かな生きる力をの根っこを中学生活の中で身に着けてくれることを期待したい。生きる意欲、生きるエネルギーになるような学びをしてくれることをお婆は切に願っている。(この絵手紙も、今認知症と闘う友に出した一枚。)桃栗3年、柿8年。ユズの大馬鹿16年。この諺は、種子を蒔いてから実が結実するまでの年月を表すものである。ユズの木は実が成るまでに長い年月がかかり、現代の新しい家の庭には植えられなくなってしまった。私の子どものころは、農家の庭にはどこにでもあった。その実は冬の行事の折々に大活躍した。中学1年生になることねよ中学や高校時代に身に着けたことが花開き、実を結ぶためには、このユズの木のように風雪に耐えた長い時間が必要である。目先のことばかりにとらわれず、広い世界を知ることのできるような学びをぜひやって欲しい。現代の子どもたちを取り巻く環境は恵まれているようにみえるが、芯のあるスケールの大きな大人になっていくには、かなり厳しい。その取り巻く環境に負けない人間に育ってほしいと願うばかりである。先ずは、ことねよ中学入学おめでとう!元気な好奇心満ちた一年生であれ。
2017.04.07
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陶芸を始めて6年目、今年は今は亡きパピヨンのユメを作陶した。パピヨンのユメは私たちのところで12年ほどともに暮らした愛犬である。 ゆめは物静かでとても控えめ主人にはあくまで忠実かしこい犬であった。私たち夫婦の喪失の悲しみも深かった。かくして、思い入れ深くなかなか作陶できないままであったが、何とか今年度は形にすることが出来た。素焼きをする前のユメ土:信楽 作陶法:紐素焼き、本焼き後に完成したユメ釉薬:伊羅保品位があり賢そうなユメが出来たのではないかと思う。現在の私の技術ではまあまの出来栄えと自己満足しているが、更なる、ユメちゃんらしさを追求した作品が作れるよう精進したい。素焼き前の粘土のときのユメの後ろ姿穏やかな表情のユメちゃん。今年、孫たちの家族が新しく飼い始めたミクスのシーズーでメリーまだ若い犬です土:信楽 釉薬:灰釉実物はこんなに可愛い。これはまだ数か月の幼い犬ですが、 この可愛らしさは中々表現出来ない。これからの犬の作陶のモデルになりそうです。 素焼き前の粘土のメリーちゃんメリーの後方にいる人形は小学3年生の孫娘をモデルにした少女です。その完成作品がこの少女像(1)陶人形も陶芸を始めた頃より追求してきたテーマですが今年になって初めて、人形らしくなってきました。特に表情が表現できるようになってきたと思いますがまだまだこれからです。素焼き以前の粘土の作品少女像(2)孫娘がモデルの立像。しっかりと立っています。人形を立たせるのは、かなり難しい。現在、人体デッサンを学びながら、平行して陶芸をやっていますが、最近になって、デッサンの勉強が人形の作陶にかなり役立ってきました。この立像はその成果だと思います。素焼き以前の粘土像写真を撮る角度を色々変えてみました。人形の表情に少女のかわいらしさと同時に少し陰のあるところを出したかったのですが。28年度は陶芸にあまり時間を取ることが出来なかったので、作品の数が少ないのですが今年度は陶芸に割く時間をもっと増やし、犬と人形以外にも挑戦したい。日常の器に挑戦したい。ろくろを引くための熟練をめざしたい。愛犬ユメの死についての記事を書いています。どうぞご一読を。2010/01/22 「ユメちゃんの静かな最期」
2017.04.04
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孫娘がこの春から中学生お婆は中学生向けの電子辞書を贈ることにした。「電子辞書か紙の辞書か」デベートのお題としてよく見かけるが、日本の学校などは紙の辞書派が多く、電子辞書を学校で使うことを禁止さえしているところもある。しかし、今の子どもたちは、多くの子がほとんど辞書を引いていない、引く習慣がない子供が多い。英語の教科書の後ろのページに載せている教科書の中の単語だけを調べてそれで事足りている。国語もしかり、国語の補助教材には、ご丁寧に言葉の訳注がついている。効率よく勉強するために、調べる手間を省くためすべてプリントされたものを利用し覚える。子供たちの多くは益々自ら調べる辞書からは遠くなる。(一部の子どもだけは辞書に非常に慣れ親しんでいるが)その結果かどうかは定かでないが恐ろしいほど日本語のボキャブラリーが貧困なのが今の子どもたちである。この現状から孫娘が辞書に親しみ、辞書を引くことを苦にしない大人に成長して欲しいという願いから電子辞書なら現代っ子には、入りやすいのではと思い贈ることにした。私が選んだ辞書はシャープカラー電子辞書Brain中学生モデルPW-SJ2-W選んだ第一の理由、中学生でも使いやすいということである。喜んで使うといことがまずは必要と思いこれを選びました。電子辞書は現在、カシオとシャープの2社が主流でカシオの方が購買者が多いと聞くが、カシオのは中学生には使いにくく、使いこなせないという評判がある上に、両社の中学生向けの電子辞書のコンテンツを比べて見ると、カシオは英語の辞書の数が多く、オックスフォードやケンブリッジの英英辞典まで入れてる。英検準2級までぐらいの英語力なら、これらは無くても十分。更に上級の英語力のためには、高校レベルの機種に買い替えることの方が適切と思い、先ずは、子供がスイスイと使いこなすことが出来ることを優先した。更にこのPW-SJ2-wの型はこの春のモデルではなく、2つ前の機種なので大幅に値引きされおり、お買い得です。しかも最新の機種にはブリタニカ大百科事典が削除されており、この型の方が良いと思いました。中の辞書の版も最新の型のものと変わりません。中学生が使うにはこれで十分。孫娘が中学生になるまでに、この辞書になじめるように、孫娘にはすでに2月に手渡してありますが、さすが現代っ子、あらゆるコンテンツを次々に開き、すごい、すごいと感心しています。お婆が予測していなかった機能まで、すでに使いこなしています。中学生のおもちゃ感覚で使っています。(おもちゃ感覚で使えるというのが良い)英語も分らない単語、発音できない単語に出会うと、電子辞書を引き始めています。お婆が最もやって欲しいのはこれですから。ついでに、申し添えれば、この富士子婆も最近、電子辞書を買い替えました。20年近く使ってきたセイコーインスツルメンツの電子辞書は、ボロボロになり、使えなくなったので。新たに購入したのは、同じセイコーインスツルメンツの英語上級者向けのものです。20年前とは比べ物にならぬほど使いやすくなっています。この会社は、最近、電子辞書の製造を中止したということを知り残念です。しかも上級者向けは5万円程して、私には高価すぎるので、中古で買いました。何と1万円で買ったのですが、ビジネスマン向けらしく、経済分野に強い辞書で、ちょっと私の要求とは異なりましたが、日常使うには、これで十分。サクサク、スイスイ、快適です。歳を取ると、紙の辞書は文字が小さすぎ読めない上に、持ち運ぶのが重すぎる。電子辞書は高齢者にはピッタリです。孫に送った、シャープ電子辞書Brain中学生モデルPW-SJ2‐Wのコンテンツは以下のようです。<国語系>スーパー大辞林 3.0 2014年1月改訂 三省堂 / 明鏡国語辞典 第二版 大修館書店 / 旺文社 標準国語辞典 第七版 / 漢字源 改訂第五版 学研 / 漢検ポケットでる順2級~3級 旺文社 / 書いて覚える漢検ドリルDX 新審査基準対応版 / 旺文社 全訳古語辞典 第四版 旺文社 <英語系>ジーニアス英和辞典 第4版(ジーニアス用例プラス版)大修館書店 / ジーニアス和英辞典 第3版 / レインボー英和辞典 改訂第3版 学研 / レインボー和英辞典 改訂第3版 / 中学英単語ターゲット1800 改訂版 旺文社 / 中学英熟語ターゲット380 改訂版 旺文社 / キクタン【Entry】2000 アルク / 改訂版 キクタン【Basic】4000 アルク / キクタン【中学英単語】 高校入試レベル アルク / リトル・チャロ volume 1~3 制作協力:NHKエデュケーショナル / NHKラジオ講座 基礎英語1~3 for Brain NHKエデュケーショナル <学習>一問一答 5科 中1~中学3・高校入試 学研 / 旺文社 日本史事典 三訂版 旺文社 / 旺文社 世界史事典 三訂版 旺文社 / 旺文社 世界史事典 三訂版 旺文社 / 旺文社 物理事典 旺文社 / 旺文社 生物事典 五訂版 旺文社 / 中学数学公式集 旺文社 <教養>ブリタニカ国際大百科事典 小項目電子辞書版 2014年4月改訂版 ブリタニカ・ジャパン / ニューワイド学習百科事典 学研
2017.03.12
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小6の孫娘への今年のクリスマスプレゼントに贈ることにした本Poupell of Chimney Townえんとつ町のプペル この絵本の絵が、イラストレーターたちの協働の作業でパソコンで描かれているということに、高齢者の私としてはとても驚きである。パソコンでここまで精密にしかも豊かな深い情感を込めることができるとは。この絵本の絵から受けた私の第一印象は、シリア、アレッポの戦場の荒廃した風景である。テレビで放映される煙たちのぼり、立ち込めるあの戦場そのものが、これらの絵のなかにある。都会の喧騒、混濁、廃墟、これは物質的繁栄のなれの果てか、その最も究極が戦場の景色である。この絵本のテーマはきわめて現代っ子ぽい。絵本の冒頭がハロウインのお祭り騒ぎから始まる。これは、いかにも現代っ子の発想で、お婆の私にはやや違和感あるが、孫なら、きっとすんなりとストリーの中に入っていけるでしょう。そして、現代の子どもたちが、進行形で今も苦しんでいるすぐにいじめへと繋がっていく人間関係の中で泣き、あがき、孤立している彼らの心に、ずしりと落ちるものがある。多感で繊細な子供たちが共感し、勇気づけられるものがこの絵本のなかにいっぱいだ。さらに、より壮大な世界があるよと子どもたちに考えさせる。世界の闇と光を社会の仮面と素顔を子供たちに垣間見せる。(英語文と日本語文が同時に書かれているのもいい)私は毎年クリスマスに孫たちに本を贈ることにしてきたが、どんな本を選ぶか苦労する。この本は、その製作過程が、現代の最先端をめざしており、未来に生きる若い子供にはふさわしいのではないかと思い選んだ。すなわち、この本の絵、文、監督は にしのあきひろアートディレクター、イラストレーター30数名による協働作業により完成した。しかも、私にとって一番の驚きはPCによって描かれたということである。PCでもこんな絵が描けるのだと、感心した。しかも、製作の現場を担当したのは「MUGENUP」という集団で、世界のDisneyを超えようという壮大な夢を持って日夜奮闘してるという。そのような若者がいるということも素晴らしい。
2016.12.22
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明るくエネルギーあふれる作品の数々私の属する絵画サークルは年に1回市民センターのギャラリーで作品展を開催し、日頃の成果を披露している。今年は11回目を迎えた。講師の 端山 操先生の作品ボルネオエネルギーにあふれた先生の作風、お歳は81歳ですが、若々しく元気いっぱい。サークルの最年長93歳のご婦人の作品翔ご高齢とは思えない力強さ、サークルで一番多作。その生きざまは、みんなの目標です。絨毯織る女(ひと)81歳のご婦人の作品。油絵。ノコギリ屋根わが瀬戸物の街の町工場の風景ノコギリ状の屋根は工場内に光を取り入れるためのもの。この景色は消滅しつつあります。画材はパステル。陶の匠邸幸兵衛窯の邸80歳代の男性の作品です。画材はアクリルひがんばな彼岸花の版画です。6版刷り。70歳代の男性の作品です。次の作品も同じ男性の作品です。ホウズキ手前の真っ赤なホウズキは木彫によるものです。何と生き生きとしていることでしょう。とても木によるものとは思えない。次から作品の画材は水彩絵です。松島80歳後半のご婦人の作品です。水彩絵の具の特性を思う存分発揮した柔らかで優しい色使いが素晴らしい作品です。大地の人定光寺の秋これは定光寺の展望茶屋の紅葉を描いた、私、富士子婆の作品。これらの作品はその一部を紹介したものですが、高齢者ばかりの集まりと思えないほどに明るくエネルギーに満ちていると思いますがどうでしょうか。講師の端山先生のお人柄が反映した絵の数々です。画材を、油絵、水彩、パステル、アクリルと何を使って描いても自由。画風も、それぞれの個性を発揮してまちまちバラバラ。先生のご指導により、一人一人の個性を伸び伸びと発揮している作品ばかり。私はこのサークル参加して、4年を経過したばかりの初心者ですが、私の奥深くに眠っていた絵心を巧みに引き出して下さった先生のおかげで、絵を描く楽しみを知りつつあります。私がこの作品展に出した作品は、上の「定光寺の秋」と次の2点です。秋桜静物子育てや仕事でてんてこまいで、趣味などとは程遠く過ごしていた私が、70歳代にこのような技術を獲得し、絵が描けるようになるとは驚き。歳を重ねるとともに、意外性多く、楽しみも多くなるとしみじみと思うこのごろである。
2016.12.01
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老いることの楽しさは若い時には想像だにしていなかったものが自分のなかにあるという発見である。私にとって、その一つが陶芸である。始めて5年が経過した。これほどまでのものが作れるようになるとは我ながら驚き。犬(1)今は天国に遊ぶご近所の愛犬まるこちゃん。(土:信楽、釉薬:灰マット、青呉須、黒絵の具)まるこちゃんの横顔重さは3.4キログラム、ほぼ実寸の大きさ。まるこちゃんの後姿釉薬が流れて色の出方がイマイチで納得できないところもあるが、今回の制作で得たものを更に次に活かしたい。犬(2)この作品は、私の陶芸指導者、三上先生の手取り足取りの指導により出来上がったもの。先生の「土の特徴をそのまま」表現する荒々しいタッチ、その素材を生かした釉薬のかけ方、私の今の力量では届かないものがいっぱいあります。私の目指したいものがこの中にはいっぱいあります。土:信楽 釉薬:イラボ、絵の具の黒この犬(2)の習作の後で、犬(1)を制作。私自身の作風みたいなものを創り上げていけるよう更なる勉強をして作陶したい。犬と少女人形も追求してきたものだが、中々思い通りのものがまだできていない。孫をモデルにしているが、幼子の可愛らしさを表現しようとしているのだが、納得できるものが出来上がる前にモデルのほうは、どんどん成長し少女から思春期の女の子になりつつある。今回の少女像は、焼物の良さを思いきり表現することを目指した。グレーのおワンピースの模様は、窯のなかで焼く過程で偶然できた模様である。2度と表現できないものである。日用の食器木の葉の小皿土:信楽 釉薬:黄瀬戸、織部、灰マット、鉄赤タタラ染付の小皿土:信楽 呉須絵の具、透明釉、オフケたたら茶碗信楽、鉄赤。ろくろ仕上げ日用使いの食器類はその使い良さ、収納のし易さなどを考えるとすべてまだまだ、これからです。落第です。自分の家庭で使える素敵な食器が作れるよう今年度は勉強しよう。こんなあんなの状態で昨年度は過ぎ、陶芸教室の新年度を迎えました。土遊びを楽しみたい方ぜひ私たちの教室にきてください。瀬戸物の街なので陶芸を学ぶ環境最高ですよ。
2016.04.06
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今年も春めぐり来て私の朝の散歩道瀬戸川さくら満開。(赤い花ももの花とさくらの花が競演する瀬戸川)今年の冬は異常な気温変化続き花々もその異変に耐えてめぐりきて、その花を咲かせている。花ももの赤いヤマザクラも枝垂れざくらも一斉に咲きはじめた。いままでの日本の春は微妙に時期をずらして次々に順序を違えずに咲いてきた花々たち繊細な日本の四季を表現してきたのに(ケヤキの大木も新緑に燃え、満開のさくらと競演)今年2016年の春花々はばらばらと、たよりなげに早咲き、遅咲きの花が、いちどきに咲いている。どっと咲ききって、さっと散りゆくあでやかさ、いさぎよさを失てしまったさくら。厳しい寒さに耐えて咲ききるエネルギーの爆発を失くしたさくらたち。ちょっと、さびしいさくら花見である。このまま、だらだらと散り、初夏の若葉へと移行しそうである。クスノキも早や、新芽は赤み帯び淡い黄緑に燃え輝く。水鳥も遊ぶきらきらとゆるむ水辺の土手も、すっかり初夏の色、若緑。新緑の燃えるクスノキを背に瀬戸川に架かる橋瀬戸川に架かる橋には瀬戸物の街らしい陶器のオブジェや陶板があしらわれとても趣ある。今村橋に細工されている染付の陶板陶器業の盛んなころの工場の街並み。今村橋の陶板陶土の採掘場のある風景この橋には大きな染付の陶板が幾つもあり、いつも通行するとき鑑賞し、絵付けの勉強している。今村橋の欄干、練り込みで制作されたオブジェこれはすごい作品。このような練り込みの技能はなかなか習得できない。一番新しい橋。やすらぎ会館、保健センター前の歩道橋。さくらの陶板。赤ちゃんやお年寄りが安心して通行可能なった橋。(それまでは、車も人も同じ橋を混ざって通行)その橋の前のさくら咲く河川敷では、お年寄りが、早朝のゴルフをはじめようとしていました。朝の散歩道、瀬戸川春爛漫世相は増々雲行きあやしく心配であるが、この穏やかさ、しずかさ、とわにあらんことを。
2016.04.02
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明けましておめでとうございます齢70を超すと1年が過ぎ去るのが矢のごとく振り返れば1年が過ぎていた。厳しい寒さもない昨年の12月、とてもお正月が来たとは思えないまま新しい年が来た。(水彩画 2015.11月。信州のりんご農家のひとが売りに来る美味しいりんご。そのりんごの荒々しさたくましさみたいなものを描いてみました。リンゴ農家も高齢者。遠路はるばるトラックに積んで私たちに届きます。)昨年は夏には夫が、転倒し、骨折、手術、入院と高齢者になると多くの人々が遭遇している体調老化に見舞われ、体力に自信があり、自信過剰であった連れ合いも老いるとは何かを痛感し、これからの残りの人生をどう立ち向かうべきか否応なしに直面した。懸命にリハビリに励むなか2015年はあっという間に過ぎていった。2015年4月。水彩画:春の瀬戸川私の朝の散歩コースの一つ。桜が満開の河岸は美しすぎて絵に描けない。お互いに最期まで心身ともに健康に生き切る大変さ、重さを実感している。100歳の高齢者が長生きの秘訣はとインタビューされ、何もしていない、自然体で生きてきただけ、などと答えておられるのを時々見聞きするにつけ、私にはとてもそんな心境にはなれない。老いていった祖母や母たちの苦しみや孤独や困難やそれに打ち勝つ強い意志などにいかに自分は無頓着で、思いやりがなかったか、自分が老境にきて初めて理解しはじめた。まだまだ人としての修養が足りないなぁ。2015年4月 森林公園の春私の散歩コースのひとつ森林公園。冬枯れの空が明るく広い空間から若葉が芽吹き命が一気にざわめく森。私のこの一年は、相も変わらず、中学生や高校生の学びのお手伝いをしてきた。子どもたちが直面している困難をどう超える援助ができるのか、四苦八苦してきた。今年もこれはまだまだ続きそうである。今年も若者たちから、エネルギーをもらってともに頑張ろう。2015年9月水彩画 瀬戸の大滝グループで岩屋堂にスケッチに行った。巨岩の谷に落ちる水しぶき感動したので、思わず描いてみた。さらに、老後の趣味生活、これが中々時間がなくすすまない。水彩画は今年は少し進歩し、絵を描く苦しさや楽しさが少し分かってきた。もう一つの趣味、陶芸のは、昨年の夏以降、全くのお休み状態。一度休業状態になると、創作する気分に気持ちを高揚させていくのにかなりの時間がいる。陶芸も更なる挑戦を続けるべくこころにゆとりを作らなくては。2015年11月水彩画 山柿柿は幼いころから慣れ親しんだ風景。秋には、柿を食べないでは体調が悪くなるほど柿が好き。戦後の甘いものがない時代の唯一甘いおやつだった。体力の維持管理、頭脳の柔軟さの維持と発達これらは、健康な老人生活には必須なもの。私にはかなりの努力なしには、増々得られにくいものになってきている。2016年も老化していく体力、知力と戦って、政治に怒り、子供たちの成長に喜び、家族の健康に感謝して萎えそうになる自分とまっすぐに向き合い生活できる自分でありたい。2015年11月水彩画 柘榴&花瓶秋のグループ展で好評を得た作品。この作品を欲しいという方が現れ、その方に差し上げました。昨年はほとんどアップしてきませんでしたが、とにもかくにも元気に暮らしています。アップをしていなかったにも関わらず、思いのほかたくさんの方々が私の拙い記事に関心を寄せてくださいましてありがとうございます。体力的なこともあり、なかなか記事を書く余力がありませんが、これからも、この老いと立ち向かって、立ち止まり、考えながら、書く姿勢を保ちたいと思っております。今年もどうぞよろしくお願いします。
2016.01.01
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陶芸を初めて5年目を終えた。毎年、クラブと教室の一年間の成果を発表する作品展がこの時期に開催される。今年も、4月3日~5日と3日間、瀬戸蔵で開催した。(天国のアンナちゃん&タイソン君・2014ねん制作)そもそも陶芸をはじめた動機は、ペットの犬二匹、相次いで亡くなり、心の痛手を癒すため彼らを形にしたいという強い思いであった。この数年間、犬たちを制作し続け、今年、やっと少しだけ納得いくものが作れたように思う。パグのタイソン君このタイソン君は、今は天国に逝ってしまったご近所のワンちゃん。我が家のシズーのアンナの作品を見て、作ってほしいと依頼を受けて制作したもの。初めて注文を受けて制作。と、言っても手習いの域を出ない私にとっては、四苦八苦、かなり研究と試行錯誤の果てに出来上がった。(土:信楽 3.2キログラム使用。釉薬:灰マット。ガス窯)こらが我が家のアンナちゃん。この2匹の製作が、陶芸手習い5年目の到達点。6年目は更なる向上をめざして作陶に励みたい。少年と犬このワンちゃんパピヨンのユメちゃん今年は、今は亡き、このパピヨンのユメを納得できる焼きものにしたい。大きな物を作るのは中々難しく、ユメちゃんには思い入れ深く、思うようなものが未だ制作できずにいる。今年度の制作目標にしたい。土の素朴な美しさそのたおやかさその激しさ土でしか表現できないものを作陶することを目標に頑張りたい。日用使いの食器皿3枚大中小の皿呉須染付で描くものも、私のテーマにしているもの。これは、たたらで作ったもの。土は貫入土。中々使い勝手はは良いが絵と焼き上がりはイマイチ。直径13センチほどのほんの少し深みを持たせた日用使いの皿二枚たたら、土:貫入。「焼き」があまり良くないが、使い勝手はとてもよく、毎日、よく使います。陶芸5年目の最後にロクロの腕が急に上達。ロクロは、やってもやっても思うようにやれない時期が続いていたがなんだか急に土が、少しだけ私の気持ちで動いているのが感じられるようになった。その時の作品抹茶碗薄手で軽やかに出来上がったのには我ながら驚き。釉薬は鉄赤。白萩。土は信楽。ガス窯。鉄赤を濃く垂れ流したところと水はけで薄く流したところの濃淡が焼くことにより微妙な色合いとなり、土で作る思いがけぬ美しさに出会った。先生曰く「何年もやっていると、こういうものに出会う。これから越えなければならぬお手本になる作品」と講評頂いたが、これはあくまで偶然で出来上がった作品。計算して作ったものではないので、これから試行錯誤してロクロ作りの器にも挑戦してみたい。抹茶碗の内側。釉の白萩が底に垂れ溜まっている。ルリナマコのブルーがアクセントになった。陶板:こいのぼり爽やかな5月の風をはらんで泳ぐ鯉吹き抜ける風が感じられる作品にしたかったが、、、 久々にブログ更新しました。世間の情勢の雲行き怪しくあり得ない方向にどんどん進もうとしている昨今の日本の状況にすこしあせりつつ、老いと格闘しながらに生活しています。もう10日もすると72歳になります。何と長く生きた事でしょう!
2015.04.05
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天国のアンナちゃん2010年に陶芸を初めて、今年で4年目。その間、ほとんど作陶しない年もあったが、細々ながら続けてきた。シーズーのアンナちゃん、我が家の老嬢アンナは、その陶芸を始めた頃に天国に逝った。そのこころの痛手から立ち直ろうと、アンナの作陶を何度も試みてきたが、中々納得できるものできず、月日は流れた。今年4月からは、久々に陶芸教室で彫像の造詣に深い三上先生の指導を受けられることになり、先生の薫陶よろしく、かなり満足のできる素晴らしいアンナが完成した。わが夫や孫たちにも好評である。「アンナにそっくり、可愛らしい。目がもう少し大きいともっとよかったのに。」と言いつつも、みな満足気である。(後姿のアンナ)三上先生からは、「窯から出てきたら、富士子さんの能力をはるかに超えた良い作品になって出てきた。」というお言葉を頂戴したが、1200度の高温に耐え、生まれ出てきたアンナ、色々と問題続出で難産であったが、土がこのように生まれ変われるとは、素晴らしい。その不思議は汲めども尽きない陶芸の魅力である。ななめ上からアップしかし、このように完成度の高い作品が出来たのは、三上先生の指導のたまもの。更なる、作陶の向上をめざしてがんばろう。有難うございました。真上から見るとかくのごとき。このアンナ像は、ほぼ等身大の大きさで信楽土を使用。紐作り。釉薬は白マット。 このところ、半年以上もブログを更新していませんが、私、忙しく元気に日々暮らしています。1年前から始めた水彩画もだいぶんさまになってきました。楽しく?やっています。下の水彩画は8月に描いた孔雀サボテン齢70歳代に突入し、健康のこと、体力の事、残りの人生の事、生活全般において、質的に今までの人生とは異なる問題や予測に遭遇しており、心身ともに多忙です。世の中も雲行き険しく孫たちの世代が社会に出るころどうなっているのだろう。とても心痛むこのごろです。
2014.09.29
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寒中お見舞い申し上げます昨年3月に私の母が90歳でその生涯を閉じました。その為、親しい友人、実家の幼馴染、親戚などには、年賀の挨拶を控えました。その代わりに、寒中見舞いを出しました。( さざんか咲く道: 水彩画 。by fujiko)母は昨年の12月に介護付き住宅から、肋骨が折れたという理由で病院に入院。3か月間、無意味な治療?を受け続け3月25日に亡くなりました。せめてこの3か月間は、慣れ親しんだ自宅で静かに満ち足りて最期を過ごさせてあげたかった。それが今も心残りです。病院に入院した日、外は厳しい冬空の青に山茶花が満々と咲き切っていました。そのときの気持ちをこめて、描いた山茶花。 わが足で独り起つ道 霜降りてはらはらと散り 紅の山茶花人は最期は独り逝く。この孤独に耐え、毅然と最期を全うする。この歌は、母の気持ちになって私が詠みました。母の最期の孤独や悔しさ、今なお私の心に疼きます。余りにも長すぎる人生、ハイスピードの社会の進み方、その間に価値観は大きく変わり、母は自分の価値観をすべて否定されたまま半ば諦め、無念のなかで、逝ったのではないか。これは、高齢化した社会の高齢者たちが、共通して抱える気持ちでもあるのではないか。私の中にはそんな母の気持ちを想う私がおり、私は、今なお苦しいのである。その思いは、私が残された人生のなかで、私自身がどう生きるかによって、答えをだしていくべき宿題でもあると、最近は思い直して、厳しく自己と闘い生きることを肝に銘じている。押し寄せる老いに立ち向かうことは、想像していた以上に厳しい。ともすると、老いるに任せて、怠けて安易に生きたがる自分がいる。例年になく厳しい寒さの日々が続いております。どうぞ、お身体をご自愛下さい。 関連記事:私の母の日(2013.5.13)
2014.01.14
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2014年明けましておめでとうございます2013年には古稀を迎えた私。身体の老化は一段と厳しく老化防止のためにたゆみなく身体や頭を働かせる必要を痛感した昨年でした。(昨年は水彩画に挑戦。これは年末に描いた「駆ける馬」そして、昨年、3月には母が90年の生涯を閉じ、親しい従弟の連れ合いが63歳で逝き、親しい同級生が3人も亡くなり、小学校の大好きだった恩師が逝き、、、私の人生のそれぞれの場面で、それぞれの色合いで影響しあった人々の死は死というものが一段と現実味を帯びて私に突き刺さってきました。人の最期を看取るという体験も母の死で初めて当事者として向き合うこととなりました。まだ、母の最期の有り様や死から立ち直れていませんが、これから私がどう生きていくかで解答を出していこうと決意新たにしています。この1年のなかで、私が学んだこと数多く、残された私のこれからの人生に深い影響を与えることでしょう。すなわち最期まで、生き切るとはどういうことか。残された命を大切に燃焼しきって最期を迎えるとはどうあるべきか。このような課題を突き付けられた昨年2013年でした。(絵の先生が、フィンランドに旅行された時、購入されたお人形を写生した絵。「ムーミン谷」70代を70代でしか発揮できない賢明さでいきいきと生き切る。今までの人生でできなかったことに挑戦しつづける。社会とは、仕事を通して繋がり続ける。70代はまだまだ出来ることがある。私の場合は、若いこどもたちと勉強を通して私自身も成長を続けること。この社会の窓はとても波乱に満ち、エネルギー溢れている。70代だからこそ子どもたちと向き合える向き合い方がある。子どもが人らしく成長することの困難は以前に増して多くなっているこれは、高齢者が人らしく老いて、人生を全うしていくことにも通じる困難でもある。アベノミクスとやら、世の中は、から景気に浮かれ気味、から騒ぎしている間に不吉な黒雲が垂れ込め始めている昨年の秘密保護法を初めとして一連の右傾化は、過去の歴史から何も学ばない愚かしいこと。孫たちの生きる社会が人間が、真に人として豊かに開花できる社会でありたい。そんな未来を実現するためにも老体に鞭打って、厳しく現実の社会も見つめ続け意志表示したい。年の初めにあたり、70代を気力、体力ともにいきいきと過ごせるように休むことなく、頭と身体を活動させ続けるための自己との闘いを厳しくすることを決意したい。これも、フィンランドのクリスマスの人形たち。今年も細々とブログを続けることが出来ること願って。今年もどうぞよろしく。
2014.01.03
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天高く澄んだ秋の空でも浮かぶ雲はむくむくとまだ夏のもの強い陽ざしが校庭に満ち満ちてことちゃんの小学校の運動会が9月28日(土曜日)にありました。(走るの大得意、走るの速いことちゃんは運動会大好き、綱引きでも顔しかめ、歯くいしばり、懸命に綱曳いています。(左から3番目)ことちゃん、3年生になりました。3年生の綱引き、ことちゃん、踏ん張っています。凄い迫力で紅組引っ張っています。校庭の土埃が舞い上がり、子どもたちの力強い声援が響き渡っています。ことちゃんは、小学校の生活にも慣れ、運動に勉強に伸び伸びと元気いっぱい大きく成長しています。 その翌週の土曜日、妹のちーちゃんの保育園の運動会。 この細い道を登れば、ちーちゃんの保育園。ちーちゃんたちのお散歩道でもある裏山年長組となり、保育園最後の運動会 年長組のリズム体操ソーラン節のびのびと楽しそう。でも年長者としての、規律もしっかり保って、陣形を次々に変形して見事な集団技も披露しました。 ちーちゃんも一生懸命踊っています。 今までは、集団からはみ出して、参観席をきょろきょろ見回して落ち着きないちーちゃんが、さすが、年長さんみんなと歩調を合わせて楽しんでいます。この園は0歳児から年長児まで60人ほどの小規模園で運動会といっても特別なことをするのではなく、日頃の子どもの姿を保護者に見せることに主眼をおいており、赤ちゃんから年長へとどう成長しているかを見ることが出来とても温かくほほえましい。年齢に見合った身体能力の発達を日常の保育の中で実践している園。年長さんは運動会で、それを一人一人披露します。ちーちゃんは跳び箱4段跳び鉄棒の逆上がりに挑戦。 ほらこんなに出来るようになりました。 ボールをつきながら走って行き(この年齢の子たちには難易度高い)、10メートル先のパパやママにそのボールを投げる ちーちゃん、見事にボールをパパにパス。(このピンボケの写真、リレーのものではありませんが、ちーちゃん走っています(左)。とてもしっかりとした体のバランスをとって走れるようになりました。昨年では考えられない成長です。) 年長組の最大のプログラム、全員での紅白リレー、凄い迫力でみんな頑張ります。参観者たちも「年長さんになると、こんなに走れるのだ」と感嘆の声があちらこちら聞こえてきます。ほぼ全員が、しっかりと競争して走れます。この競技を通して、一人一人が大きく成長しています。 最後の整理体操。1歳6か月から5年間通った保育園。大きく元気に成長したちーちゃん。みんなありがとう!最後の運動会園庭にはコスモスがやさしく揺れています。増々忙しいママのお仕事、そのママ、パパに代わって、育児支援の重責を担っている爺さん、ちーちゃんの成長ぶりにしきりに感激している。「これでやっとみんなと並べた。追いついた。小学校に行っても大丈夫」と何回も言う。爺さん、ちーちゃんの体つくりにかなり熱心、スイミングに週2回も連れて行き(親たちの意志ではない)、体幹をしっかり作らなくては、とか、集団の中で仲間と動ける子にしなくては、とかという自分の方針のもとで色々やっているので、ちーちゃんは成長していると自画自賛してござる爺さん。保育園の保母さんたちのご苦労もお忘れなく。園舎はボロボロだけれど、このような良い園が、2年後には廃園となり、大規模なスマートな新しい園となるという。乳幼児期は人として育つ土台のそのまた土台をつくっている時期。高い専門性とゆったりと保育できる環境や保育士さんが安心して保育に専念できる身分保障などを、第一に確保してこそ親たちは安心して仕事に励めるし、親もその保育を通して成長する。現在の保育行政はこのような状態と逆行しているように見える。子どもを金儲けの対象にしているだけのただの託児所。このような保育所が増えても幼い子どもたちの育ちの場とはならない。
2013.10.07
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連日30℃を超えるのは普通であった今年の夏、35℃前後の日々が続いた8月。9月に入ってからは、朝夕はめっきり涼しい。俄かに秋の気配の私の散歩道。このところ朝夕は28度前後となり、とてもしのぎやすく気持ちいい。朝靄のなかに霞むハギ爽やかな朝の風に揺らめく花秋の七草、はぎ、クズの花咲くたくましく、塀を這い上り、大樹にからまり、天空にまで伸びるよ葛のツルは。夏の名残りのどこまでも青い空朝陽に染まり輝く空その天空に向かって茂るクズそのたくましさ猛暑を耐え抜いて今、涼やかな朝に花満開。秋の実はもうすでに秋ムラサキシキブの実はもう、こんなにも色づいてガマズミの実ももうこんなに紅色朝靄のなかに光る宝石のよう。あっというまに、猛暑から秋へと実は変身中。赤い実のウメモドキ淡い薄紫のヌスビトハギの花その木々に巻きついて伸びるノアズキの真っ黄色の花秋が一時にどっとやってきた。(ノアズキの鮮やかな黄色の花とヌスビトハギの淡いピンクの花)ノアズキは9月になると一斉に木々や草に巻き付いて花を咲かせる。今年も秋には忘れずやってきた。猛暑にもめげず生き延びている。ヌスビトハギはこんなに可憐で清々しい花、でもその旺盛な繁殖力でその花はすぐ豆となり、人や犬の衣服や毛にくっついて、ひとたび、くっついたら離れない。取り去るのは至難のわざ。取るのが大変。ヌスビトハギの花アップ。ヌスビトハギの名の通り、厄介な野の草、でもその花は秋の野で可愛らしく、やさしい。ヌスビトハギやノアズキに交じって、数ミリの小さい薄紫の花をさかせるツルマメ花のちいささに比べてツルの力強いこと、どこまでも伸びて絡まりつく。畑の大豆の原種だともいうツルマメも、今年も忘れずに私の散歩道にやってきた。ツユクサも9月になってから、朝夕の涼しさに勢い増して、その青をいよいよ青にして朝露に濡れている。 久々にアップしました。夏休みをしていました。余りの暑さにじっとしていました。でも、老いていく肉体とは怠りなく闘い、メンテナンスする努力はしていました。10月には私の属する絵のグループ展があるので、水彩画の制作にかなり時間を割きました。作品がなかなか思うように出来上がらず苦しんでいます。その他、若い子たちとの勉強も夏休みなので、頑張ってやっていました。涼しくなってきたので、ブログもそろそろ始動。
2013.09.12
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安倍、橋下らの主張する教育政策は、20年後、子どもたちが社会に出るときには、無用で役立たずの「人材」を育てるだけの教育である。真にグローバルな人間を育てる教育とは何か。 参議院選も終盤へと突入しようとしている。自民党と公明党は、この参議院選を衆院とのねじれをなくすため、と位置付けて、国民を煽動している。「ねじれ」がなくなるとどんな日本が待っているか?その先にあるものは何か?よくよく考えてみる必要がある。国民の未来を根底から変えてしまう、重大な争点を隠して、ただひたすらに「ねじれ」の解消を叫んでいる。国会の「ねじれ」が解消したら、その先待っているもののひとつに「教育再生」がある。自民党は教育政策の公約に「世界で勝てる人材の育成」を掲げ、そのための「世界トップレベルの学力と規範意識」を子供たちに持たせる教育を宣言している。具体的には「英会話やIT能力に優れ、海外でも技術革新を生み出せる」人材育成を目標にあげている。この自民党の政策は、教育の目標をその時の政権が必要とする「人材」の育成に貶めている。そのこと事体が問題である。教育を受けるのは、これから先20年後30年後の社会で活躍する子供たちである。アベノミクスに役立つような「人材」は、おそらく子供たちが社会に出るころには、無用なモノ、古びた使い捨てられたモノになって、使いものにはならない「人材」となっているだろう。それは、今、社会に出ている若者たちの姿を見れば実証済みのこと、彼らは子供の頃、高度経済成長を担う優秀な子供として、物言わぬ勤勉な子ども、与えられたものを黙って、お利口にこなす子ども、このような子供像が優秀と評価され育ってきた。マル、バツ式の与えられた選択肢の中から、答えを出す訓練に明け暮れ、偏差値の名のもとに、激しく競争をさせられてきた。絶えず受け身で、お利口さんな子供たち。この子供たちが、社会に出た時(現在の社会)、そのような人材はもう必要なくなっていた。偏差値の高い大学を出た若者たちの多くが、今どのようになっているかは、自分の周囲を見渡せば一目瞭然である。(社会の変わるスピードに、模範生たちは柔軟に対応するエネルギーがない。)教育の目標は、「その時の政権が求める人材養成」では断じてない。教育の目標は、日本国国民として、将来にわたってどのような人格を備え持った市民を育てるかにある。その時々の社会の困難を打破し、社会を前に進める人間としての力量をどう高めるかにある。一人一人が社会の構成員として、毅然と生きる人格は、日本国憲法の精神を体現することでもある。美しい日本や社会の規範を守り育てられないのは、日本国憲法を嫌い、改悪したい側にあるのに、憲法が日本人をダメにしている、彼らは言っている。「日本国憲法」はこの点でも世界的に優れている。その中に盛り込まれている、平和主義、人権主義は、人類の長い歴史のなかで、人類が勝ち取ってきたものだ。先人たちの、血や涙、苦しみのなかで、紡いできた「人が人として」生きて行くための叫びであり、人類の叡智でもあるのだ。未来のあるべき人類の姿を示している。少なくとも、今の子供たちが社会に出るころになったら、増々輝きを増すそれは理念だ。人々が人として豊かに生きてゆく土台になっていくはずだ。この理念を教育の場で、子供たちに、自らの血肉として身につけさせること。社会の成員として、自分の持ち場で、自分たちの力で社会を創り上げていく能力は、子供たちに身につけさせなくてはならないものであり、これこそが教育の恒久的な「目標」だ。その中身は「日本国憲法」のなかに深く沈静している。「日本国憲法」は、日本固有の伝統や歴史を決して否定などしていない。憲法の理念が社会で実現したなら、日本固有の歴史や伝統は益々充実し尊重される。自民党や橋下の維新が言っている教育は、、自分たちの権力に媚びる従順な「人材」育成をめざしている。「真に民主的な感性の自立した市民」は邪魔になるのだ。このような偏狭なセクト的な教育観はグローバルに活躍できる「人材」とは相いれない。維新の代表・橋下の人格をみれば明らかな事。「英会話」や「トーフル」を学校教育に持ち込めば、グローバルな「人材」が育つと、彼らは主張しているが、余りにも「皮相」な教育である。日本国憲法よりも、アメリカとの安全保障条約を優先し、日本の最高法規を守らない自民党。(安全保障条約こそ、アメリカの言いなりの条約)アメリカ軍に自国の主権が侵されようとも、国民には事実を隠ぺいし、アメリカに言いなりの自民党政権。教育の内容も、先の大戦を「大東亜共栄圏建設のための正義の戦い」であると、子供たちに教えよと強要している以外は、すべて、アメリカの二番煎じ、模倣にすぎない。(未来を築く創造的なものは何もない)今回の参院選で、自民・公明が過半数を獲得し、衆参の「ねじれ」が解消したら、安倍・自民党や橋下が主張している「独善的で独裁的な」政策が次々に実行されるであろう。とりわけ、彼らの主張する「教育再生」は彼らの最もやりたいことであり、実行を急ぐであろう。増々「世界の孤児」「世界の笑いもの」を大量生産するだけの教育から決別するためにも、参院選では「教育」の政策でこの安倍・自民党や維新・橋下の「教育政策」と対峙している政党が躍進し、参院が大きく「ねじれ」て、参議院としての良識、叡智が発揮できる国会となるようにしよう。
2013.07.16
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梅雨空のこのごろ(アベノミクスのめざすグローバル化とは)昨日は35℃の猛暑となった台風の接近で湿度も高く早朝からムシムシ、ジメジメ私の朝の散歩道の草花や木々もこの目まぐるしい気候変化にやや生気ないとりわけ今年のアジサイは雨量が少ないせいか小ぶりで元気ない これは私の朝の散歩道のひとつ森林公園のアジサイであるが例年なら今頃明るく大きな花を群生させ、雨のなかでしっとりと咲きほこっているのだが、今年は木そのものが痩せて育ち切っていない。栗の花早朝の空の雲も夏のにおい今、この地方の丘陵地の雑木林は栗の花がまっさかり、濃い緑の山肌にむくむくと盛り上がる白い花の塊巨木の栗の木が入道雲のよう。(群がって咲く栗の花。秋にはきっとたわわにクリの実。栗の豊作となるだろう。)今年は、梅の花の咲くころから次々に咲く花の数が異常に多い。まさに花盛り。、私が毎年購入している養蜂業のおじさんも言っていた。今年ほど蜂が蜜を集めて、集めて、溢れるほどに蜜が採れることは今までになかった。ひとつの花ごとに締め切って蜜を採集するのが大変とのこと。それほどに次々に花が咲きみだれるということでもある。つんつんと空に向かって萩のような可憐なピンクの花を咲かせているのは駒繋ぎ(コマツナギ)。ノイバラのような白い花を咲かせているのはホソバノトキワサンザシ秋には紅い実を鈴なりにつけることでしょう。梅雨のころは目立たぬ小さい白系統のいろの花が次々に咲く雑木林。華やかさはないけれど、香りが独特のもの多く、香りでムシたちを呼び寄せている。定家蔓の花芳しい香りにつられて、見上げればテイカカズラの花新緑の大木に這い上って咲く。朝靄に霞む椎の木の若葉オゾン満ち溢れる朝の森林公園環境な急激な破壊にもめげず、木々や花々は今年も確かな季節の歩みを私たちに見せている。 (最近の株価の急降下の意味は。。。)この頃の日本の社会情勢も梅雨模様アベノミクスなどと騒ぎ立て、急激な株価上昇で日本の経済に明るい兆しが出てきたとマスメディアあげてのから騒ぎ。しかし、しかし、この数週間であっという間に株価は急下落。株価を操っているのは誰か?グローバル企業の利潤のみを追求している、外国の投資ファンド、彼らは短期に利益を獲得することを目的にしている。日本の国に要求していることは、短期に利益の上がる産業構造を早急に作れということだ。株価の急落はそのことを安倍政権に突き付けている。グローバル企業の要求していることとは、労働者を低賃金のまま働くことに文句を言わず、企業の思いのままに解雇出来て、何ら雇用の責任を負う必要のない社会。法人税を最も低く、国民には高い税金を、インフラ整備は国税で。このような産業構造を徹底せよと、株価の急低落は安倍政権に突き付けている。それが不徹底と突き付けている。このような「グローバル化」とはすべての基準を後進国の労働条件にに合わせ、企業が短期に出来るだけ多くの利潤を生みだせる産業構造にすることである。地球上すべてを大量生産、大量消費する仕組みにして破壊しつくす。その果てにあるものは何か。彼らは、グローバル化の名のもとに最低の「世界基準」を要求し、偏狭なナショナリズムで国民を煽り立て、危機感を駆り立てて我慢を要求している、世界一「強い国」を国民に強要している、安倍政権の本質は真の「美しい日本」の再興とは無縁である。グローバル企業が利益をたんまりとため込むことはあっても、安倍政権の言っているように「国民には、おこぼれが回ってきて、豊かになる」などということは、アメリカの社会を見ても、小泉政権その後の日本の社会を見ても明らかなことである。
2013.06.14
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萌黄色の4月の山々があっという間に若緑や濃緑の燃える山肌に移ろう5月ちーちゃんの住む町は今、新緑の燃える緑にヤマボウシの白が映える初夏の装い。 そんな5月に末、5月26日に孫のちさは満6歳のお誕生日を迎えました (育児支援でおじいちゃんが週に4日はこの山の中の道を通り抜け、ちーちゃんの家に通っています。その山道は今、燃える新緑でオゾンいっぱい。)ちーちゃん、6歳のお誕生日おめでとう おばあちゃんが、ちーちゃんの誕生日プレゼントに描いた6歳のちーちゃんです。今年の1月から始めた水彩画、この4月で70歳の冨士子婆、未だに、地域の子供たちや若者たちに勉強を教えていますし、その傍ら、陶芸やデッサンや水彩画の教室に通い、更に更に、働くちーちゃんのママの助っ人として、週に3回ばかりは孫たちの夕食をつくり、更に、この春からは姉のことちゃんの勉強係りもやっています。まず、健康維持第一に、身体のメンテナンス怠りなく続けることを目標に頑張っています。しかし、思うに任せず、とにかく多忙で疲れ果て、時々、ダウンして休み休みながら頑張っています。老いには勝てません。そんななかで、ちーちゃんの絵も、仕上げに時間がかかり半月遅れてやっと完成。これが実物のちーちゃん、可愛らしいちーちゃん、その愛らしさを描きたいのですがなかなか難しい。この4月から保育園の年長組となり、園ではお姉さん、赤ちゃん組の子たちを優しくお世話して、遊んであげているとのことです。家では、何をやっても「すごい」と皆から褒められる才気煥発で活発な姉のことちゃんの影のなかにおり、いろんな面でお姉ちゃんにはかなわない、尊敬しながらも、悔しい思いも多々あり。負けず嫌いな ちーちゃんは圧迫を感じ、少しいじけたりもします。でも、豪放磊落、マイペース。(数枚書いた習作の一枚。やっと、ちーちゃんの雰囲気が描けるようになってきた一枚。)ピアノも姉が習っているので、そのおこぼれで、ちーちゃんも習っていますが、練習はほとんどやっていません。ママが忙しく、家で練習を見てあげる者がいないこともありますが。レッスンに連れて行っているお爺ちゃん、いつも、ちーちゃんのレッスン態度にハラハラ、「これでは小学校に行ったら、落ちこぼれる」と心配しています。でも、ピアノ発表会ではぶっけ本番、ものおじせず堂々と弾きました。 これが、ちーちゃんのすごいところ。スイミングにもお姉ちゃんに続いて通っていますが、コーチの指示に従わず、天真爛漫、水に潜ってやりたい放題。遊んでいます。泳力進級テストの日など、他の子は緊張して、神妙な顔で並んで自分の番を待っているのに、ちーちゃんはプールに潜って遊んでおり、自分の番になったら、急に別人となり、一生懸命泳ぎ、テストに合格しました。まだ、幼いからとはいえ「これでいいの?」という感じです。とにかく、元気いっぱい、無邪気な、わんぱくな女の子に成長しています。今の日本の学校では、このような子は苦労する、大変だ。その内に秘めている能力を引出し伸ばして、個性豊かに成長していくことはなかなか難しい。でもちーちゃんはもろもろの困難押しのけて進めるエネルギーも持っているので、これからもまっすぐ伸び伸びと大きく育つこと願っている。
2013.06.09
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軍隊とは何か橋下徹大阪市長の最近の一連の発言はあれこれ詭弁を弄して、言い逃れ、選挙民の機嫌を窺がいながら発言の軸足を日々軌道修正している。選挙目当てでないと自己弁護しながら、何とかマスコミに乗っかって国民をたぶらかして勢力挽回しようとあがいている。とりわけ「慰安婦」問題に対する発言はどんなに巧みに詭弁を弄しても隠し切れない橋下徹なる人物の人間性を露呈している。彼の慰安婦に関する論点は「慰安婦」が日本軍の中に制度として、歴史的に存在したことは事実である。しかし、欧米や中国、韓国が慰安婦制度を「性奴隷」(sex slave)と言い、強制的に女を連れ込みセックスの相手をさせたと断定しているのは、日本を侮辱するもの、日本を貶めている。慰安婦制度をセックス・スレーブと言っているのは、明らかに間違いなので、外に向かって、抗議の発信、意義申し立てをすべきである。この点で、河野談話はまちがっている。当時、戦時下でお国のため砲弾のなかで命がけて戦った兵士がセックスのはけ口として、楽のしみとしてそのような「婦人」が必要であった。必要な制度であった。他国も同じようなことをやっていたのに、日本だけが不当に「セックス奴隷制」と非難されるのはおかしい。彼の論旨はだいたい以上のようなものである。この彼の展開している内容は図らずも「軍隊」の本質が何かを露呈している。セックスのはけ口を必要とする戦争の異常さ、「お国のため」には「他国の人」を人とも思わない軍隊の特質。何よりも、女性は男のセックスの餌食でよい。それが「お国ため」という思想。この「お国」とは、大東亜共栄圏を築きアジアを解放するなどという大義を掲げてその実は、「ほんの一握りの強権を維持し富を持っている者たち」のためのものでしかない。(国民の大部分は貧困と悲惨のなかにいた)「大義」が兵士自身の大義、理想と結びついていないから、兵士をコントロールできない「軍隊システム」その欲求不満を発散させるための「慰安婦」制度。日本は「慰安婦」を「comfort women]と公式文書で英訳しているという。欧米は「sex slave」と英訳している。だいたい comfort womenなどという英語あるのか?comfortと英訳していること自体も、女を男の慰みものであることの表現である。橋本徹なる人物は盛んにセックススレーブという言葉は、事実を伝えていない、日本を不当に侮辱しているとわめいているが、comfortだろうがsex slaveだろうが「慰安婦」のその本質は変わらない。慰安婦のひとり金学順さんは、17歳のとき、無理やり軍人に姉とともにトラックにのせて連れ去られ、空き家で服を引き裂かれ、侵された。殴られ、蹴られ、殺すと脅されながら、。それから毎日軍人の相手をさせられた。これが戦争というものだ。これが軍隊というものだ。他国に侵入し戦うとはこういうことだ。私たちは、このような多くの犠牲の上に、現在の憲法を勝ち取ったのだ。今、その憲法はけしからん、アメリカが作ったものだ。国防軍と名を変えて世界で戦えるようにせよ、という声が日増しに高くなっている。その勢力の一人が「橋下徹」なる人物でもある。男と女が豊かな人間関係を築くなかで性も豊かになる。軍隊や戦争をする国ではそれは不可能なこと。アメリカの沖縄基地にまで行って、アメリカ軍の兵士のセックスのはけ口に風俗業を活用しなさいとご親切にも進言している大阪市長。セックス・スレーブという認識は、日本を侮辱している、世界に向かって反撃しなくてはいけない、と現大阪市長はのたまっているが、アメリカにまで、女を性的奴隷として活用せよとは、なんという自己撞着。世界にむかって、日本の政治家の低俗ぶりを発信している。これこそが自虐的史観。これがグローバル人材の育成を教育の目標にして、教育界に強権をふりかざしている政治家なのだから恐れ入る。(日本で最もグローバル感覚の欠如している人物)大阪市長がこのようなことで、登院もせず、1日中ツイッターでつぶやいているとは、大阪市長は暇なのだ。大阪市民の7割もの支持を獲得しているこの市長の人間性はおぞましい。このような人たちが押し進めようとしている憲法改正は、9条の精神の破棄にある。高らかに人権を掲げる憲法はダメだと言っている。私たちの息子や孫たちが、「慰安婦」に慰められる兵士になって、戦下で苦しみ死ぬことが本当に「お国」のためか。今こそ若い人たちが軍隊を自分の問題として考えるべきこと。軍隊に参加するのは貴方たちやあなたの子供たちなのだから。戦争をしない国を掲げて歩む道こそが、私たちの祖先の無念を晴らすことができる唯一の道。それこそが多くの戦争犠牲者への鎮魂であると、私は考えている。断じて、英霊として祭り上げ、参拝することではない。
2013.05.16
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白い花園5月12日は母の日でもありましたが、3月25日に亡くなったわが母の49日、忌明けの日でもありました。49日の法要があったで実家に行った。驚いたことに、母が急に体力失くし、弱り始めた2年前から大好きだった野菜作りや花栽培が出来なくなりそのまま放置されて誰も手入れする者なく、荒れ放題の畑がなんと一面、真っ白なお花畑になっているではないか。他の野の草を追いやって一面に咲き競うマーガレット白の花園のなかにかすかな母の名残り芍薬の花母が丹精こめて豪華に咲かせ続けていたシャクヤクの花が花園の片隅で、息絶え絶えにひっそりと咲いていた。そして、白いマーガレットの花園に淡い淡い紅紫のヒメジオンが群生してやさしいやわらかな色合いを添えている おかあさん!この花園はきっとおかあさんのプレゼントですね。晩年の2年間は母にとっては不本意な不遇なものだった。母の生き方そのものが全面否定されたその孤独その哀れ悔いを残してあの世へと旅立ったのではないかと未だにこころに引っ掛かり突き刺さるものある娘のわたし。後味悪く母の死から私は立ち直れていない。そんな私にこの思いがけない白い花園の出現は少しこころ和ませてくれる。畑のわずかなスペースに残っていたマーガレットすさまじい生命力で畑一面に広がって母の忌明けに咲き乱れているとは。 きっと母は苦しみの果てに悟りひらいて朗らかにあの世へと旅立っていったにちがいない。その白い花園はそのことを私に教えてくれている。3月25日に母が亡くなってから49日がたった。寺の坊守ととして、寺を守ることだけを必死に貫いて生きた母私はこの母の生きざまが嫌いである、激しく抵抗して生きてきた。絶対に妥協したくない。私はその受け身的な女の一生を嫌悪している。母と反対の生き方をしてきた。しかし、寺を守り、家をまもり、自分の親や夫を介護し看取り、最後に残った母。最後の2年間は、母の生きざまを理解する者なく孤独であった。最も不幸なことは、あれほど必死に守ってきた家の中で晩年2年間を過ごせなかったことである。その悔しさを最期まで抱えて死んでいった。なんという不条理、子どもとしては、そんな母が哀れである。母逝くで母の死について書いています。母の晩年の介護生活から学んだことは最後まで生きるとはどうあるべきかということである。昨今、大規模で高額なあらゆる種類の介護住宅や施設が出来ている。その内容の一部もよく観察できた。大病院の実態もつぶさに知る機会を得た。ここから得た教訓は高齢者だからといって、受け身で生きていては命は全うできない。この世界をどう受け入れ、最期まで自立してどう生きるかを絶えず模索し自分の肉体や精神と戦い続ける必要があるということだ。命尽きるまで、人は闘って死んでいくということが少しわかった。夫の父、母、私の祖父母、私の父など今まで出会ってきた死のなかで、母の死は現代の高齢者がかえる様々な問題を集中的に孕んでいた。良きも悪くも私の死はその問題の先にある。この意味からも、母の最期からさまざまなことが学べた。
2013.05.13
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ことちゃん満9歳のお誕生日おめでとう!2013年4月19日、9歳になりました。生まれて満9年がたつとこんなに大きくなるのですね。ことちゃんの誕生日にプレゼントするために冨士子婆が描いた水彩画。賢く繊細な少女を描きたかったがなかなか難しい。このブログに「小さい命・ことね」というカテゴリーがあり、ことちゃんが満1歳のときからその小さな命に感動し延々とお婆は記録し続けてきました。その小さな命は赤ちゃんから幼児期を経て少女へと変貌を遂げています。一人の人として次第に対等に付き合えるようになってきました。ことちゃんのママはことちゃんの1歳3か月より仕事に復帰しており、増々仕事に没入していますが、ことちゃんは頼もしいママの助っ人にもなりつつあります。爺さん婆さんの育児支援の機会は更に増え、かなり負担になっていますが幼い子らの成長に元気を貰っています。爺さんがパパやママよりも力をいれ、熱心にかかわっているのがスイミング。スポーツを通して子供は育つがモットーの爺さん。この1年間は、タイムトライアルに挑戦してきたことちゃん。苦しい単調な練習、成果が出ないままただひたすら泳ぐ時もあれこれとお爺ちゃんが指南して、何とか続けてきたこの1年。最近になって、やっと目覚ましいタイムの向上もできたね。ピアノもこの1年間には少女らしい新たな発展を獲得できたね。年1回の発表会では「人形の家とめざめ」を弾きました。ことちゃんのピアノは、幼いながらも聴衆を惹きつけるものがあり、とても感動する。小2の昨年はピティナピアノコンクールにも出場、中京地区本選にまで行くことが出来た。幼い時からこのような体験ができることも貴重なこと。(ママが忙しいため、家で練習をみるものがいないので、練習時間が少なすぎる。成長して、自分の意志で進んで練習できるようになると、もっと良いものになるのではと期待しているが)(秋のグレード試験で優秀賞になり、表彰を受けていることちゃん)「ひまわりと小人」というお話を絵にして秋の作品展に優秀賞になった作品「はじめてのれた!ひまわりの上!」この絵の題名の付け方にお婆は感心。小2ながら倒置文にしている。絵ものびのびとしていてとてもいい。ことちゃんの性格をよく表している。スポーツや芸術面に多彩な活動をしていることちゃん、元気いっぱいでどちらかと言うと落ち着きがない。じっとしておれない。でも、少しづつ賢くなっています。幼い時、色々な体験を思いっきりして、心と体をしっかり育ててね。スケール大きく、豊かな大人に育つといいな。(富士子婆の時代は貧しすぎて出来なかったこと)その土台を今作っていることママやパパは肝に銘じて大切に育てて欲しい。芸は身を助けることちゃんの育っている環境は、共働きの核家族で、上に述べたような格好良い部分も多少はあるが、その舞台裏はてんやわんやのシッチャカメッチャカで日々混乱を極めています。現在の日本の社会の家族問題点がすべて凝集されているといってもよい、どこにでもある共働きの家庭です。女性が仕事を持ち、子供を育て、生きることをごく普通のこととして育ってきたことちゃんのママ。頑張っていますが、とても大変です。ことちゃんもこのお婆やママの姿をみて育っています。お婆やママを乗り越えて、高い専門性をもって働く女性に成長してくれること期待しています。ことちゃん9歳の2013年、世界はグローバル化の名のもとに、低賃金で良い製品が大量に製造でき、大量消費する地域をもとめて、世界中の企業は大移動している。国内は、空洞化し、職のない若者や不安で孤独な高齢者たちあふれています。富はごく一部に巨大に集中し偏在しています。富裕層と貧困の二極化がますます進行。国家はもっぱら一部の富裕層のために施策を次々に実施中。そんな末期的な混乱状態の日本、この国を「強い国」にする。「世界で一番商売のしやすい国にする」などと叫んで、今、日本はアベノミクス効果とかでから騒ぎの最中。国民は見果てぬ夢をみています。その中で、安上がりな労働力として女を駆り出すために「母親が3年の育休を取れるようにする」(何で母親?父親が取るべきでは。)はたまた「内閣府」の「少子危機突破タスクフォース」とかいうわけのわからぬ名称の作業部会なるものが、「生命と女性の手帳」なるものを作り、若い女性に配布するという。晩婚、晩産化に歯止めをかけるためという。これはひどい。見当違いもはなはだしい。産めよ増やせよと国民にはっぱをかけた太平洋戦時下の大政翼賛会下の婦人会のおばさんそっくりになってきた。女性が人としての尊厳を貫いて生きることのできる社会とは何か?この根底での社会のあり方を正すことなしに、「産めよ、増やせよ」と国民に命令している。その尊大さ、支配層は自分を何様と思っているのか。こっちゃんが9歳になった春、日本の社会にはこんなことが起きていた。こっちゃんが社会人になったとき、社会は今より大きく変化しているはず。女性が社会の中で働き子を育てていくことがごく当たり前の時代にきっとなっている。今は、その過渡期である。その未来に力発揮できる女性になるためにもしっかりとした実のある能力を身に着けるように、今は学びの時である。関連記事:ことね満1歳の誕生日に書いた記事2005/04/19 ことねに贈る言葉
2013.05.09
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田舎者の東京見物4月27日から3日間、ゴールデンウイークの人波をかき分けて孫のことねとのふたり旅、東京見物に出かけた。豊かな自然に恵まれ、穏やかで美しい山並みに囲まれて育っていることちゃんに大都会を体験させて、視野を広げるための東京見物である。27日は澄み渡る初夏の大空、新幹線・のぞみから見た富士山雄大に聳える富士、緩やかな曲線を裾野へと伸ばす。そのやさしさ、その美しさ。富士山が世界遺産に登録されるというニュースがちょうど報じられたその日の富士山。まさに、世界に誇る秀麗な山。車窓から眺める富士にことちゃんも感動。ことちゃんが見物したのはまず浅草。浅草の浅草寺はすごい人出。ほとんどが外国人の観光客。スペイン語やポルトガル語や中国語やアラブ語などが飛び交っている。衣裳もさまざま。日本人よりも外国人でごった返している、浅草の仲見世通り。(最近の円安で外国人観光客がこんなにも多いのかな?)ことちゃん「のどが渇いた。アイスクリーム食べたい」というので、「トルコのアイスクリーム」という宣伝文句につられて、興味深々のことちゃん、トルコのアイスクリーム買ってみた。しかも、お店をやっていたのは「トルコ人」。ことちゃん、しきりに「外国人ばかりやねぇ」と感心している。仲見世通りに並ぶ『観光客』目当てのひしめくお土産店ことちゃんには興味深々、買いたいものいっぱい。あれこれ見るのに時間がかかる。(子供騙し、外国人騙しのもの多いなぁ。本物の日本を売っているところは客が入っていない)スカイツリー(夜のスカイツリー。文京区役所のビル・シビックタワーの展望台から見下ろす夜景)ことちゃん「スカイツリー」をどうしても見たいというので、浅草からスカイツリーのスカイタウン街まで歩いて行った。歩きながら街並み見学喧騒の大通りを一歩裏道に入れば、40年ばかり前の地方でもあった小さな個人商店が昔のままでひしめく下町のたたずまい。わが地方では、個人商店は、どんどん店を閉め、荒れ果てたシャッター通り、郊外に大規模なショッピングセンターや娯楽街がニョキニョキ出現。車の運転できる人だけが利用できる町のありよう。東京の下町も、今のままならこれから30年後にはこの下町風情は消えるのだろうか?その寂れそうな下町に忽然と聳えるタワータワーの周辺のわずかなスペースだけが今風の洒落たショッピングセンターに変身している。俄か造りのスカイタウンが、若者や地方からの観光客を呼び込んでいる。日本の建築の粋を結集して造られたスカイツリー真下から眺めればさすがその迫力はすごい。浮かぶ白雲につられて揺らぐタワーどこまでも伸びる。威圧感のない伸びやかな曲線が美しい。宿泊先は息子夫婦のマンション。朝の散歩に東大構内に行く。ことちゃん、大学というものがイメージできない。その広い校内の建物群にびっくり。図書館だけが独立してあることが理解できない。大きくなったら、こんな大学で勉強できるといいな。そんな希望を抱いて散策。帰りは、赤門から本郷町の住宅街を横切って家に帰る。本郷6丁目、5丁目、4丁目など、昔ながらの古い家並みがひしめく路地、火事になったら消防自動車も入れないような狭い道。総じて、住んでいる家はウサギ小屋のよう。お店も私の幼い時に私の町にあったままのたたずまい。こんなところが今でも残されているのだ。庶民の暮らしは昔とどこも変わらないように見える。いづれ、高齢化して、地方と同じ道をたどるのでは。その古い家並みの所々に現れるマンション棟。地方から来た人々が住んでいるのかな。余りの劣悪な住環境。息子曰く「お母さんはそういうけれど、そのひどい家でも、1億はするのだから、普通の家だったら3億とかする。本郷の隣、西片などは、高級住宅の街だよ。まあ、それだとてたいしたものじゃない。やっと普通。日本の大都会はいかに貧しいかということだ。」そりゃそうだ、息子たちの住む賃貸マンションの家賃は月24万円。それでいてそんなにたいしたものじゃあない。ただ、通勤するのに便利という利点のみ。多くのサラリーマンが2時間もかけて職場に通う現実。これで、まともな人間らしい暮らしと言えるか。真に豊かといえるか。しかも、自己責任とかで競争に勝たなければ生活もなりたたない、(これでは東京で暮らす若者が、結婚して家族をつくり、普通に暮らすの難しい。ここにこそ、政治が今、緊急に施策を施こすべきではないか。)(大都会の最先端のビジネスの事務所やホテルのひしめく・ミッドタウンタワー。その一角のガーデンで開催されている「デザインあ展」で遊んだ。連休ですごい入場者。このようなところに人が押し寄せるとは、とにかく疲れた。)きらめく、モダンな都市のたたずまいの裏の顔それは貧困、アベノミクスの行き着く先はこの更なる増長にすぎない。その利益のおこぼれは大多数の若者には回ってこない。競争に勝っている若者も非人間的な状態の中で働いている。これでいいのか。憲法まで、時の政権の都合によって変えようとしている。やりたいほうだいに自己の階級の利益を守ろうとする。国民のためという連呼で行われているすべての施策は国民のためではなく、一部の既得権をもっている人たちのためである。「デザインあ」展「デザインあ展」の会場の映像で遊ぶコーナー。後ろに東京の街並みが目まぐるしく変わる。東京の街を体験するという小3のことちゃんの2泊3日の旅なるべく人波を割けて、場所を選んだのですが、(これら以外にも、後楽園とかキャラクターグッツ街とか、皇居外苑とか行きました。)さすが連休とあって人出は多く、ことちゃんの住む町のJR駅についたときの第一声「人がすくないねぇ」やっぱり東京は住みにくい。息子は「東京は仕事が面白い。」と言っていますが。年寄りの住むところではない。でもことちゃんは東京見物に大満足。知識にもすこし厚み増したかな。
2013.05.02
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アベノリスクに生きる日々 私が参加していた鉛筆画のサークルはこの3月末をもって解散とあいなった。このサークルは町内の老人会に登録されており、その傘下で活動していたが、その老人会が高齢者(平均年齢80代後半)ばかり、高齢過ぎて、会としての活動が不能になったからである。 サークルで書いた鉛筆画はこの「竹」が最後の絵となりそうである。地域の元気な高齢者が、このようなサークル活動を通して、人生の最期まで元気に過ごすことが出来ていたのに残念。私は1年半ばかりしか、皆さんと共にやっていませんが、地域の高齢者たちからさまざまな生きざまを見ることが出来とても励まされた。私は、この鉛筆画を入り口に、別の公民館活動のサークルである人体画のデッサン、更にこの1月からは水彩画へと絵を描くことを深めることが出来ている。2月のクラブの日に描いた帽子の女若い裸婦最も最近のもの4月に描いた人体画デッサン。人体画を始めて1年余りが経過したが描くことがとても楽しくなってきた。新しいことに挑戦することは、年齢に関係なく誰にでもいつでも出来るのだと体験したことはとてもよかったさらに、人物を水彩画で初めて描いてみた。背景に色をぬるということは初めてでどのような背景をすべきか分からないままとにかく絵の具を流してみた。窓辺のお人形この人形もクラブの時間に描いたもの。厳しい寒さの冬、何時までも続く冬待ち遠しい春。そんな気持ちで窓辺の春を描いてみた。お稽古の日に、絵の先生がエジプトに旅行されたお土産にチョコレートを頂いた。その包装箱がとてもユニークだったので描いたもの。エジプトのお土産アンナとユメ今は天国にいる愛犬のアンナとユメ、陶芸でも犬を作陶することテーマにしているが絵でも追求してみたい。この絵も背景をどうすべきか、さんざん悩んだがうまくいっていない。先生にも背景について、今後の課題のアドバイスを頂いた。さらなる精進、精進、、、70の手習いは今まで自分でも気づいていない自分が発見できとても楽しい。子供の頃より思っても見なかった才能の発見である。今、世間はアベノミクスとかで、はかない夢に浮かれ気味。富国強兵を声高に叫ぶ安倍政権のもと、進行している経済の成長戦略なるものの結末はすでに歴史が証明済みのこと。今日など安倍総理曰く、「経済成長戦略の中核に女性の社会進出置く」などと女性に色目を使っている。育休を3年間とるように経済界に要求したなどと得意げにしゃべっている。「経済成長戦略」に「子育てや女性の社会進出」が利用されるとは。なんとひどいこと。そのような視点から「女性を尊重」する社会を許してはならない。得意げに声高に「強い日本」を自慢している。 アベノミクスが更に悲惨な未来を約束している。この現実に負けない年寄りになるためにも、健康第一、いきいきと生きる老年を日々創り出していかねば。
2013.04.13
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私の属している陶芸クラブの年1回開催される作品展14回目を迎えました。今回の作品展は、私の経験したなかでは(まだ4回しか参加していないが)最も意欲的でエネルギーに溢れたもの多く、とても励まされた。クラブ員の年齢は70代が最も多く、80代もかなりいるという。それぞれが長い人生を切り拓いて今ある方々ばかり、そして、今、陶芸の世界に自らの創造的なエネルギーを注ぎ、没頭されておられる。私の作品は次の6点孫のことね、2歳のときをモデルにしたもの童可愛らしく出来ました。3年間1体づつ作って来ましたが、今回が今までの失敗から色々学んだ成果を最もよく作品にいかせたと思います。更なる向上を目指して人形を作っていきたい。作品展には出していませんが、我が家の愛犬ユメとアンナもこの3年間作陶のテーマでした。今年も作ったのですが、犬の研究がまだまだ不足、進歩の跡がありません。今年は犬の作陶に力を入れたい。掻き落し蟹絵皿黒泥土の上に白化粧土を塗り、化粧土を削って、地の黒を浮き出させて蟹絵を描いたもの。さらに蟹シリーズでコーヒーカップと受け皿カップの底にも蟹さんコーヒー飲み終えたら蟹さんに出会えるカップ受け皿にも蟹ちょっとやりすぎかも。遊びごころも度を超すのはよくない。ロクロで器を作ることが出来るようになることがこの1年の目標であったので電動ロクロをひたすら練習してきた。コーヒーカップと下の鉢はその成果である。染付柘榴絵鉢これは大きめの鉢で煮物などを入れるのにいいのでは。鉢の内側にもこのようにザクロ今年は、ロクロで大きな皿や鉢を作ることにも挑戦したい。我が家はコーヒー好きが多いので、家族が飲みやすく素敵なカップと思うようなものが出来るまで、コーヒーカップは引き続き作陶しよう。お友だちの贈り物に出来るほどの完成度が達成できるまでコーヒーカップは精進したい。60代から十数年も陶芸をやり続けている先輩たちの作品抹茶碗釉薬の使い方といい、絵付けといい素晴らしい。精巧な造り、職人技の若大将後ろの織部の器もなかなかの出来栄えバルセロナのガウディーの公園の置物のような遊び心あふれたワニさん生活の器はもちろんのことこのような楽しい土との戯れに満ち満ちた陶芸作品いっぱいの作品展でした。
2013.04.09
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母が3月25日に亡くなり、何かと慌ただしく、常ならぬ心持の日々のなか、はっと頭上げれば、すでに桜の花爛漫と咲き、散り始めるものもいる。私の早朝の散歩道のひとつ森林公園朝靄のなかに、淡い紅のソメイヨシノや濃い紅の枝垂れ桜純白の花びら若緑の葉っぱに映えて朝の陽光に輝くオオシマザクラ近づけばこんなに清楚な色合いオオシマサクラそして例年ならソメイヨシノの後に萌黄色の山肌のアクセントとなって彩るヤマザクラまでもが他のさくらと競演してすでに満開うっすらと紅帯びた花弁ベージュ色した若葉萌える4月の雑木林の微妙な色合いを代表するかのように優美に咲く。さらに見上げればヤブツバキの大樹には紅色の洪水足下は赤の絨毯ヤブツバキの遥か向こうに広がるさくら並木は朝靄の中にピンクに煙るいのち溢れ厳寒から解き放たれて華やぐ花、花、枯葉に覆われた柔らかな大地から可憐なスミレの花点々と咲き、ウグイスもあちこちの雑木林から整った美しい声で鳴き、ものみな4月の朝を謳歌しているオゾンいっぱいの早朝の空気を胸いっぱいに吸い込めば、心の虚ろ、心の疼き、何かしら和らぐ。自然の力の大きさよ。母は帰って逝った。白骨となってこの大きな大地に。 5時半にはもう外は明るい。今週やっと朝の散歩を再開。今年は気が付けばもう春半ば。初夏へと季節は移ろうとしている。
2013.04.05
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春の雪舞い降りたかのようにユキヤナギの花一面に咲き乱れる3月に(芽吹き始めた雑木林。いのちのざわめきが聞こえる朝の雑木林。さくらと雪柳の競演見事)我が母冬子さん静かに眠る(母と私が生まれ育った寺。母の葬送の日、境内から今盛りと咲く雪柳いっぱい採ってきて、庫裏の床の間をユキヤナギの生け花でいっぱいにした私。花栽培好きだった母。ユキヤナギノ真白な狂乱の中、母は静かにわが家を去っていきました。)寺に生まれ、そこで育ち、坊守として一生を終えた我が母92歳の生涯を静かに閉じました。頑固に寺を守る縁の下の礎になることを貫いた生涯。92年の歳月は長い、余りにも長い。社会は激しく変動し、価値観も何度も大きく転換した。しかし、母は何も変わることなかった。ただ一点母は坊守の勤めを頑固に貫いて去って行った。、頑迷に保守した生きざま、その偏狭さその世界の狭さ(繊細かつ華やかなシデコブシも満開)その母の生きざまは私の反面教師であり続けた。(いのち凝縮しているシデコブシの花。花蕊にはムシさんもやってきた。おいしい蜜を吸っている)葛藤しながら別の方向を観ながら歩んだ母と娘その確執が深いものであるがゆえにますます、母の喪失感は深い。101歳の医師、日野原重明先生は「今日の言葉」で(フェイスブックで毎日配信)「死が何であるかを子どもに伝えるのは、おとなの役目です。」☆いのちを教えるということ☆看取りという経験は、子どもにいのちの尊厳や、いのちが消える不思議さ、寂しさを実感させ、人として大きく成長を遂げるきっかえを与えるはずです。この日野原先生の言葉は、「いのち」の終わりを身近に深く体験することの大切さを教えてくれている。70歳になって、やっと私にはこの「言葉」の意味を少し理解した気がする。母の最期の看取り、母が最期まで貫いた坊守としての生涯を慈しみ敬う葬送。浄土真宗の「葬儀」の深さ、親鸞の教えとは何か身を以て教えてくれた「葬儀」私の残されたこれからの生きざまにもこの出来事は深い影響を与えるであろう。(厳しかった今年の冬。その厳寒を耐えてやっと咲いたヤブツバキ。母の大好きな花。さくらもやっと咲き始めた。椿の花と桜の蕾の競演)2013年3月25日 母は4か月あまりの入院末、肺炎で静かに92年の生涯を終えました。色々あり、ここではまだとても書く気力出てきませんが、最後まで頑固さを貫いて生き切ったのはあっぱれ。3年前我が父が亡くなっています。その時父は自分の葬儀の仕方を真宗の教義典礼に基づいてかくすべしというものを書き残していました。今ではほとんどやらなくなっている葬儀の式です。母の葬儀もその父と同じやり方で行われました。とても感動しました。父の葬送の様子を次の記事で書いています。2009/04/05 あっぱれな死への旅立ち
2013.03.29
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ジイジの出番昨夜、ちーちゃんから電話。「ちーちゃん、水ぼうそうになったので、パパもママも明日はお仕事休めないので、おばぁちゃんの家に行くからね。」「あら、大変!また病気?」(水ぼうそうの病気になる1日前のちーちゃん。この時も食欲なかった。あごの所に、何かしこりがあった。きっと水ぼうそうすでに潜伏していたのだね。)保育園児(5歳児)のちーちゃんは、今年になってから、インフルエンザA型とB型と2回も流感に罹り、1週間自宅待機となり、そのつど私たち、じじばばが、病児保育をした。2回目のインフレエンザなど、さすが1日目は熱があったものの、他の日は元気、元気。預かる我が家の大変さといったら。。。。かくして1月、2月、3月と毎月、病気のちーちゃんに付き合うことと相成りました。今日も水ぼうそうということで、そんなに重くはなく、元気いっぱいでやってきました。育児支援の中心メンバー・責任者の爺さん、スポーツ得意で運動大好きな爺さん、孫育てのなかでも、スポーツを通して幼子を成長させることにひどく熱心です。ママやパパよりも熱意をもってやっています。ちーちゃんが今回、水ぼうそうになって、一番がっかりしているのは爺さん、ちーちゃんの通っているスイミングの進級テストが毎月第四週にあるが、今回もその第4週のテスト週にお休みしなくてはならなくなった。これで、1月から3回も進級テストはお休み。毎月第4週に感染性の病気になっていることになる。(椿もやっと咲き満ちて、厳しかった冬から解き放たれた。大きなクスノキも間もなく新緑の若緑に燃えるだろう。)爺さんはちーちゃんが元気ありすぎ、興味関心が多方面に及び、集団行動のとき、ふらふら自分のやりたいことをやっており、5歳児として、コーチの指示を聞き、それに従って行動できないことをとても気にしている。「これでは、学校に行ったときダメだ。今はカワイイと周りから思われ、許されているが、それで良いということとは違う」と爺さんは、のたまって、ちーちゃんに事あるごとに、ある時は面白く、ある時は怒ったりと、手を変え品を変えとても濃密に付き合って、とりあえずスイミングを続けさせてきた。進級テストもしかるべき時には「合格」して、級を上げなくてはいかん。そのことで子供は自信を持って、更に頑張れる、というご立派な持論のもと日々努力して「孫育てに」参加している爺さんなのである。そんな爺さんにとって3回も進級テストを受けずに過ぎ行くことは、残念至極。ちーちゃんに「ちーちゃんの行いが悪いから、いつもテストのとき病気になる」などとのたまっている。このようなやり方で、ちーちゃんの姉のことちゃんは、いくつかのハードルを比較的簡単に乗り越え、どんどん進んで、今はタイムに挑戦している。小学2年生としてはかなりハードな練習にも耐えうる体力を現在つけているし、本人も「水泳大好き」になってきた。目標に向かって「頑張る」ことの意味や楽しさを体験を通して知ることが出来ている。しかし、「ちーちゃんは、ことちゃんのようにはいかんなぁ。どうしたらいいかわからんなぁ。」としきりに首をかしげている。猛烈に追い立てて、人を動かし、業績を上げる企業のようには、人は育ちませんよ。(高度経済成長期の働く男たちが、このように育児にも参加して、人間を鍛えていたら、日本の今の社会もっと違っていたのでは。)人は自分の意のままには成長しないその現実をしみじみ実感せざるを得ない爺さまなのである。(夜来の雨、サンシュウの花びらに宿り、春の嵐が春を呼ぶ)ちーちゃんのママ(私の娘ですが)は、30歳半ばも過ぎて、猛烈に仕事に突進しています。乗りに乗っています。やりがいを感じていきいき仕事に励んでいます。ママが仕事に邁進するほどに、私たち老夫婦に育児支援の負担が重くなっています。私は週に最低2回は孫たちの夕食を作っています。爺さんは、育児支援の責任者です。自分の子どもが幼い時どんなであったかも定かでない猛烈な企業戦士が、孫育てを通して、新たなる現実を発見している。楽しんでやっています。
2013.03.22
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2月は休みがちであったわがブログ、「春のブログマラソン」という企画に参加して再開することにした。やっと春めいてきた。やっとモクレンの花があちこちの庭にその白をいっそう白くして春の天空に光り輝く冬の寒さから初夏の暑さへと目まぐるしく変わる2013年3月ハクモクレンやユキヤナギノも咲くべきときを間違えたかと初夏ののような熱気帯びた空気にとまどっているかのよう。(モクレンの大樹、朝の陽光を浴びて鮮やかなやわらかな白の海)2月からずっとパソコンの前に座ることも少なく、考えることも多く、寒さに心も縮こまること多かったが、暖かさに誘われて私のブログも目を覚ました。私の朝の森林公園の散歩道は今、芽吹きをじっと待つ雑木林に馬酔木の白い花が常緑の緑の木々に舞い降りた春の雪のよう。(今、枯れた雑木林のなかを華やかにしているのは、釣鐘の形した真白な馬酔木(アセビ)の花)各地から桜の開花宣言が聞こえてくるが、わが散歩道はやっとカンヒサクラ(寒緋桜)が咲き始めた。ソメイヨシノの蕾はまだ硬い。(3月21日現在の森林公園のソメイヨシノの蕾、やっと暖かくなった春の光に戯れている)日野原重明医師の「今日の言葉」から。101歳でなお現役医師として活躍しておられる日野原重明先生は、フェイスブックで毎朝「今日の言葉」を配信されている。その「今日の言葉」のなかで感銘を受け共感したものに次のようなものがある。「家族とは 寄せ集めのメンバーでなく育みそだてていくものです。」☆家族のぬくもり☆人間は家族の愛情のぬくもりに包まれることによって、生きる活力や人生に対する意欲を引き出されていくものです。心と心の触れ合いを通して深く理解しあえる家族関係を育みましょう。 この日野原先生の言葉は、人生の大先輩として、自らが実践してきた家族のありようから出てきた重さがある。私自身の家族の歩みをふりかえっても、この言葉の重さがわかる。そして、現在も、わが娘の家族や息子夫婦の家族と高齢者となった親である私たちとの共に成長し続ける進行形の家族ありたいと日々願って生活している。 更に、次の「今日の言葉」は101歳になっても、尚、社会に対して前向きに進み続ける日野原先生の生きる原動力のような言葉である。「子どもは親が育て 成人は社会が育てる そして老人になると自分が自分を育てる。」☆敬愛される年寄りになりましょう☆子どもは親の価値観を受け継ぎます。若い人は年長者の姿を通して自分がどう年を重ねていくかを考えるものです。ですから、年長者は未来を担う若者を失望させないためにも「若者に敬愛される年寄りになる」ことを目指さなければなりません。「老人になると自分が自分で育てる」この言葉は、私の心を強くとらえている。まさに私たち高齢者が、今もっとも実践すべきことであり、とても深い意味を持つ。実現していくのに多くの勇気や気力の持続が必要である。そして、更に加えて言うなら、子どもも成人も老人も社会のなかで人と人のかかわりの中でしか育たないということではないか。(3月21日の森林公園の辛夷。コブシの花はまだちらほら。例年ならお彼岸の今頃は満開のとき。農作業の標準木としての役割を担ってきたコブシがこのようなありさまとは。今年の冬の異常な寒さ、異常気候の連続を物語っている。) 春のブログマラソンの(ともに成長する家族!子供と親の成長日記」)に参加することにしたが、4月17日までに7回アップすることが条件と言う。さて、それほどの回数かけるかどうかわからないがとりあえず参加してみる。育児支援者の我が家のジイジと孫との関わりとその中で孫とジイジはどう成長しているかを中心に書いてみようと思う。私は、今も地域の子供たちと勉強を通して関わっているが、孫とジジババの関係はとても重要だと感じる場面にしばしば出会う。周りの年寄りが子どもをスポイルしていることが、とても多くある。人生のの年配者としてどんなかかわりが孫たちの生きていくときの力となるのかそのようなことも考えていきたい。今までにもこのような記事を次のような記事で書いてきた。興味のある方はご一読を。関連記事カテゴリー:小さな命(ことね):我が家のこどもたち
2013.03.18
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水ゆるむ昨日から、にわかに気温上昇し、今日は「春一番」がなま暖かな気流に、春の雨をもたらした。ほら、コブシの蕾が夜来の雨でやわらかに膨らみ始め、裸の枝々はかぎ針で編まれたレース糸のように絡み合い、天空に伸びる今年の冬は、とりわけ寒さ厳しく、老いを進行形で実感している身にとっては、春の訪れは心弾む。枯れ色の雑木林に清楚な白い花を群れなして咲かせる馬酔木まだまだ蕾だけれどこの数日の暖かさに誘われてうごめき始めた。凍てついた今年の1月、2月の散歩道(近年、この池はほとんど凍ることはなかったが、今年の冬は、ほぼ毎日のように氷が張った。1月に撮影したもの。)早朝の散歩コースの池は氷が張る日が多かった今年の冬凍てつく池の枯れ色の土手に僅かに残された赤い実ピラカンサの実小鳥さんたちの最後の冬の餌3月の声とともにこの赤い実もすかり食べつくされ水辺にも新しい命がうごめいている。真白な霜の道サクサク踏みしめて散歩した冬。久々に霜を踏みしめて、忘れていた幼い日の冬の感触がよみがえる。この裸木の枝々も新しいいのち芽吹いてやがて鬱蒼と茂るコナラの大樹となる。そのいのちのざわめきがかすかに聞こえる3月の朝。枯れた林に真っ先に若緑色の明るい花芽をつけて、春をまつアオモジ、春の嵐よぶ空にざわめいている。もうすぐ、真っ黄色の花、華やかに咲かせて若葉の森を明るく染める。そして、春を告げに一番乗り、マンサクの花枯葉を身にまとったまま厳しかった冬を耐え、通り抜け、暖かなオレンジの色を春の光のなかに溶かし込んで、裸木の林でただひとり咲く今年のマンサクの花は、例年になく小ぶり。でもその繊細な花びらに、ぎゅっとエネルギー秘めて冷たい風にふるえている。光りは春
2013.03.01
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題名に「陶作の日々」と書いてみたがこれはあくまで願望、I wish I were...の世界のことなのである。この婆さん、日常の些事に追われてなかなか自分のやりたい趣味に没頭できないのが悩みなのである。童人形陶芸を始めて、3年が経過しているが、腰を落ち着けて作陶出来ないでいる。週1回あるサークルもお休みが多い。細々と続けている。2月末日に素焼き、3月に本焼きの窯の予定があり、4月初めには作品展があるので、そのための作品を作らねばいけないとのことで、このところ大慌てで作陶を試みている。毎年、人形と犬を作ることにしているので、今年もそれに取組始めた。陶土を練って、粘土遊びよろしく作り上げた陶人形。孫のことちゃん、2歳のときをモデルにしている。幼い子供のあどけなさ、素朴さを目指して作ってみたがさて、、、この1年間は、人体画のデッサンを勉強してきたが、その成果がこの人形には生かされた気がする。幼い子の骨格がスムーズにイメージ出来て、今までの中では、もっとも速やかにうまく出来上がった。しかし、これからが大変、素焼き、絵付け、本焼きという工程があり、その間に、この女の子が無事この世に帰還できるかは、なんとも保証しがたい。ある意味で、火まかせ。高温が土を鍛え、味わい深い冴えた色を出させてくれる。今年の作陶目標は、更にもう一つ、コーヒーカップ。ロクロで挑戦中。ここに掲載した女の子無事誕生できるかどうか、楽しみでもあり、心配でもある。
2013.01.30
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70の手習い3年前に絵手紙から始めた絵を描くこと、益々面白さや興味感じて今年からは水彩画を始めようと目標を立てた。その挑戦の第1号、静物画中学の時以来水彩画は一度も描いたことはなく、このように画用紙に絵を描いたのは優に半世紀ぶり、絵を描くことがこのように楽しいことであるとは人生で今初めて気づいた。(中学の時は美術にはあまり興味がなかったと思う。高校では書道をしていて、一度も絵を描いた記憶はない。)とりあえず家にある物を並べて描いてみた。とりわけ手前のBethanyの名入りの白いカップは息子がBethanyという大学に在学していた時、水泳部に属していた。その大学を去る時、息子の名入りで記念にもらったもの。息子が悶々として出口なき青春の只中にいたとき、初めて学ぶことの意義に目覚め、猛烈に勉強した日々。必死にあがいていた時に水泳の能力は彼の人生を切り拓く大きな力となった。大学も彼に多大なサポートをしてくださった。親子ともども暗闇の中で希望を見いだせないでいた時に、光りを見出すことを可能にし、その後の人生の道筋を照らし出してくれた。このBethany大学時代のことをこれからの人生の中で、息子が忘れないようにすること願って描いてみた。私も残りの人生で老いと真正面から対峙して、挑戦し続けていく気概を見失ったとき、彼のBethany時代のことを思い出そう。この時代は親にとっても、子育ての核心となるべき多くのことを学んだ時期であったから。人生の宝物である。初めての水彩画1号に記念すべきカップ。老いてなお目標を持ち続け挑戦し続けるスタートとしたい絵である。
2013.01.28
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「脱成長」経済の典型コッツウォルズの豊かな田舎暮らし。「イギリスの秋」をアップして6回目。5回連載してきた記事はすべて「経済成長」は停滞したままのイギリスだけれどゆっくりした時間が流れる田舎の風景が現代に生きる人々の心豊かにしている。中世の面影をそのままにとどめて、現代に生きるコッツウォルズはその典型。コッツウォルズの最南端に位置していて、イギリスで最も古い家並みを残している村カッスル・クーム(Castle Combe)コッツウォルズではお馴染みの蜂蜜色した石の家が続く町並み。17世紀には羊毛の集散地として栄え、イギリスの羊毛産業を支配した時代もあったが、羊毛産業の衰退とともに、産業革命の「経済成長」から疎外され、中世のまま封印されて、時が止まってしまった村。往時の繁栄をそのままとどめて、ゆたりと静かに時間が流れている。ウイリアム・モリス(William Morris)(1834-1896)(ウィリアム・モリスの看板を掲げた民宿のようなレストラン。中に入れば、モリス風のインテリアになっているのだろうか?)ウイリアム・モリスの生きた19世紀後半は、世界の先陣をきって、産業革命が遂行され、その成果を享受していたイギリス。工場で大量生産された商品が溢れていた時代にウイリアム・モリスはモリス商会を設立して、中世の職人技を範とした織物を自らで制作しようとした。織物を昔の方法で染色し、手織りのできる職人に織らせようとした。キャベツとブドウのタペストリー1879年の夏、コッツウォルズのケルムスコット(モリスが住んだ村)の家でモリスが初めて制作したタペストリー。モリスのデザインした壁紙やプリント織物は「パターン・デザイニング」と呼ばれ、モダンデザインの父と呼ばれているという。彼のデザインのモチーフは、コッツウオルズの豊かな自然、美しい風景の中から生まれた。イチゴを啄ばむ小鳥(Strawberry Thief 1883年・Indigo-discharged and block-printed cotton)当時、イギリスのプリント織物は「安物」の大量生産とフランスの流行を模倣した「高級品」に二極分解していた。このような時代にモリスの中世の職人技を駆使した織物は時代錯誤と揶揄されていた。(現代ではウイリアムモリスのテキストタイルは、家具、壁紙、カーテンや絨毯などのデザインとして、現代の人々の人気を得ている)カッスル・クームの秋を彩っていたたわわに実る紅い実。来たるべき厳しい冬が急ぎやって来る前に秋色に光る実は小鳥さんたちのご馳走になっていることでしょう。その紅の鮮やかさ、葉っぱのグリーンの深さモリスのテキストタイル(textile)にそのままでもなりそうな秋の色チューリップとヤナギ(Indigo-discharge wood-block printed fabric)無駄のないとても洗練された線で描かれた都会的なデザイン。このようなデザインで布張りされた家具は素敵ですね。モリスはこのようにデザインを自ら生み出し、染めや織も自分で創り出した。モリスは資本主義、機械工業が生み出した大量生産、大量消費に「アーツ・アンド・クラフツ(芸術と手仕事・工芸)」の運動を通して異議を唱えた。更にモリスは産業革命が社会にもたらしている非人間的な現実にも激しく抗議して、当時勢いを増し始めていた社会主義運動に傾倒し、社会主義連盟に加入し活動した。このように芸術家であり社会主義思想家でもあるモリスの著作や活動は、日本にも大きな影響を与えている。芥川龍之介の東京帝国大学の卒業論文は「ウイリアムモリス研究」であったし、宮沢賢治が岩手国民高等学校で講義した「農民芸術概要綱要」はモリスの影響を強く受けている。又、自然が無作為に破壊されていくことに警鐘を鳴らし、その思想は、後にナショナルトラストの運動へと繋がっていった。コッツウォルズの鄙びた田舎とは全く異なる優雅で洗練された都会的な南コッツウォルズの街バース(Bath)(ローマ人が築いた浴場跡)バースは「温泉」の町その歴史はローマ帝国の支配下にあった2千年前にさかのぼる。ローマ人がこの地の「鉱泉」に目をつけ、温泉を開いたのが始まりである。「風呂」の語源・bathはこの町の名前に由来するという。18世紀になって、当時の貴族たちは、この地を一大社交場にした。イギリスの上流階級の人々が集う場所として、贅を尽くした建物が次々に建てられた。その往時そのままに、ロンドンに劣らぬ華麗な街並みが今もそのままにあるバースその歴史ある街角に集う人々奏でている調べは?街角の馬車も川に行き交うナローボートも今も変わらぬ景色エイヴォン川に架かる美しい橋橋の向こう広がる秋色の街並と丘その町の郊外に建つロイヤル・クレセント 三日月型の優雅な曲線を描く建物、王宮のような建築物。何とこれはテラスハウス様式の集合住宅だという。1767年~1774年にかけて建てられた住宅現在もこの建物には人が住み生活しているというから驚き。もちろん庶民には縁のない高級住宅ではあるが。一部ほホテルになっている。コッツウォルズの村々の家々も、都会的なバースの建造物も100年~200年の歳月を経てもなお人々がそこで生活している。現役の建造物として活躍している。(博物館ではない)このモノに対する態度考え方は日本人としては考えさせられる。現在、日本では、経済成長のためのインフレターゲット、2パーセントを掲げて夢よもう一度借金をどんどんして、国がグローバル経済の競争に勝つべき旗振りの先頭に立とうとしている。(経済成長しないと日本国の将来は絶望的とさえ言っている)大量消費をすることが経済成長であると消費をあおる社会が文化を壊し、人の心を荒廃させる。グローバル経済とは、その最たるもの。イギリスの田舎の豊かさは、経済の脱成長、脱グローバル化にある。そして、古いものを受け継ぎ、現代に再生させる技の巧みさモノそのものが「使い捨て」を目的に作られていない。そのようなモノだけが時空を超えて生き続けている。ヨーロッパは全体的に政治家は「経済成長」を目指しているが、市民たちはそれとは次元を異にしたところで文化を作り、低成長の社会でも、健全に心豊かに生きようとしているのではないだろうか。世界で最も早く資本主義経済に突入した欧州、その意味で来るべき社会はどうあるべきかのもっとも先頭を走っている。社会の底流では「経済成長」には幸せを感じない人々が着実に増え、着実に心豊かに生活を築こうとしているように見える。(イギリス寸描は今回で最終回)
2013.01.18
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2013年明けましておめでとうございますこのブログの主催者たちも70歳代となり、スピーディーに行動できず、ブログアップも遅々として思うに任せませんが、今年も細々と発信していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。最近描いた鉛筆画でもって新年のご挨拶にしたいと思います。白梅春を呼ぶ梅の花寒風に耐えて凛と咲く茶の花茶の花はうつむきかげんに咲く。寒風を避けるかのようにうつむいて咲く。何百という雄蕊の葯は弱々しい冬の陽光に黄金に揺らめく。若いふたりこの絵は私の息子とその彼女の大学時代のふたりである。アメリカのカリフォルニア時代のふたりである。これは嫁の小雪さんの誕生日に贈った鉛筆画である。現在はふたりとも30歳代である。人生の方向がやっと見えてきて、仕事が面白く楽しくなってきた最近の息子。お正月には、我が家に帰ってきた二人。久々に若者から、色々な刺激受け、考えること多かった。親としては、このふたりにこのあたりで、家族の単位を一回り大きくして、更なる人間としての成長を望みたいのだが。子どもを産み育てることは、大変だがとても深い意味がある。 最近の人体画デッサン人体画デッサンを初めて、ちょうど1年が経過した。裸婦をモデルに描くことは緊張感があり、とても楽しい。 モデルさんもプロ意識の高い年配のモデルさんのほうが、(若い娘さんより)私にはよい作品に仕上がる気がする。これらの2枚は同じモデルさんを描いたもの。ポーズのなかにその人格がにじみ出てくる。このデッサンがを指導して下さっている先生がまたすごい。画家でもあるのですが、ご高齢(80歳代)にもかかわらず、元気はつらつ。今なお外国へもスケッチにしばしば出かけられ、現役で活躍しておられる。しかも左手は義手なのである。今年はこの先生の絵のグループに入り、水彩画に挑戦しようと思う。私自身もこの先生に励まされ、更なる飛躍を遂げたいと思う。更に、私の所に勉強に来ている子供たちとも色々な困難一つ一つ解決して、子どもたちが前に向かって進める勉強を一緒にしよう。生涯現役。この生き方を最期まで続けられたら私にとって、この上ない上等な人生だ。これが私の年頭にあたっての決意である。
2013.01.06
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コッツウォルズ(Cotswolds)地域は、ロンドンの西200キロメーターの所にある丘陵地帯。遥か向こうに点在する町や家、その周辺に広がる丘、晩秋の牧草地は冷たい風が吹き抜ける枯れ野。 コッツウォルズのコッツ(Cots)は羊小屋、ウォルズ(wolds)は丘を意味する。「羊が丘」というところか。14世紀から15世紀にかけて、羊毛産業の絶頂期を迎えたイギリス。コッツウォルズは世界最高級の羊毛生産地として繁栄し、その財で羊毛商人たちは豪華な家々を建てた。(ボートン・オン・ザ・ウォター、Bourton-on-the-water : 美しい小川と石橋。小川にはカモや白鳥が泳ぐ。橋を渡れば、ライムストーンの人家が立ち並ぶ。)コッツウォルズの風景の典型、ライムストーンの家並み蜂蜜色した壁の家々一(ボートン・オン・ザ・ウォターのライムストーンの家並み。200年の時空を超えて今もある)蜂蜜色の柔らかな黄と黄葉の黄が見事にハーモーニーして秋色のコッツウォルズ(ボートン・オン・ザ・ウォターのホテルの紅葉。あざやかなオレンジが鄙びた風景に色を添える)この地域は石灰岩の地層が横たわっており、少し掘り起こせば、ライムストーンが簡単に手に入る。この地方の家々の壁が蜂蜜色なのは、この石のせいである。(バイべリー:Bibury ライムストーンの鄙びた家並みと秋の庭。村全体が公園のよう。) 300年におよぶ長い時間を呼吸して、ライムストーンの壁は微妙な色あいに移ろって現代の田園風景にしっとりと溶け込んでいる。コッツウォルズ地方の中央に位置するバイベリー:画家でもあり、詩人でもあり、社会思想家でもあるウイリアム・モリスをして、「イングランドで最も美しい村」と言わしめたバイべリー。紅葉した蔦のからまるホテルのライムストーンの壁も秋色(バイベリーの墓地)繁栄したころの村の羊毛商人たちのお墓だろうか?300年余りの風雪に耐えて、苔むす墓石。静かな村のなかに黙して佇む墓群。私たちに時の重さを伝えている。あり余る富に任せて、当時としては豪華な家並みが村ごとに作られた。その往時の姿を今にとどめて、中世にタイムスプリットできる田園風景。コッツウォルズ地方の北端にあるストラットフォード・アポン・エイヴォンは(Stratford-upon-Avon)古くから農作物の集散地、職人も多く集まり町は活気に溢れ、ギルドを母体とする自治組織によって運営される、豊かで自由な雰囲気の街であった。 白壁と木組みの家並みが美しいストラットフォード・アポン・エイヴォンの街のストリートこの町は文豪シェークスピアが生まれ育った町でもある。 (シェークスピアの生家)シェークスピアは1564年4月(ガリレオを同年)にこの街に皮革製品を扱う職人・商人を父とする裕福な家に8人の兄弟の長男として生まれた。彼の幼い時、父親は町長にもなり、町一番の名士であったが、少年期には経済的に行き詰まり、没落した。(ストラットフォード・アポン・エイヴォンの街を走るバス。シェークスピアの像が描かれている) 豊かな富、自由な雰囲気や、美しい豊かな自然溢れる町と彼の生い立ちの紆余曲折が、後に不朽の名作を創造する源泉となった。時代や人種を超えて、今なお人々の心に鮮烈に生き続けているシェークスピアが創造した人物たち。シェークスピアの名前を知らない人でもハムレットやロミオやジュリェットやシャイロックなど、現代の多くの人が一度は耳にした人物たち。(シェークスピアの妻・アン・ハサウェイの家。彼は18歳のとき26歳のアン・ハサウェイと結婚。5か月後に長女誕生。20歳の時には双子が誕生。20歳でもう3児の父親。しかし、彼は人間について、さまざまな事を学んだトラットフォードをやがて一人で出てロンドンへ。)シェークスピアはルネッサンス期の人である。中世がキリスト教神学に支配され、神が世界の中心、すべてが神を頂点とする世界に組み込まれ、人々もキリスト教の倫理観に従属して生きていた。ルネッサンスはこの中世の神学から解き放たれ、ギリシャ・ローマの古典の大らかな人間性にあこがれ、人間を謳歌しようとする文芸・芸術の人間再生運動である。(シェークスピアの妻・アン・ハサウェイの家。立派な茅葺の家。夫シェークスピアは20歳から20数年間ロンドンで劇団作家として活動。ロンドンに出てから5年ほどで頭角を現し、それから20数年で30数編の戯曲を書いた。)シェークスピアが創作した劇中人物たちは、ギリシャ・ローマ時代に手本を求めながらもギリシャ劇を止揚して、人間の深い内面を暴き出して、それを生きた劇中人物として形象化した。それまでの演劇が言葉に縛られ教条的になっていた人物に生きたリアリティを与えて、劇中で躍動する人物をシェークスピアは創りだした。人間の価値観を認め、「自我」を発見した人物像、まさに、シェークピアは中世の人間像とは対極にある「近代」の人間像を形象化した。シェークスピア劇が、21世紀においても、さまざまな解釈で演じられているのは、このシェークスピアが創造した人物の革新性にある。シェークスピアの作品は汲めども尽きない近代の人間の本質をその深いところで形象化している。18世紀になると、イギリス産業革命を推進した羊毛産業は、綿織物やシルクにその座を奪われ、コッツウォルズは衰退した。産業革命の原動力となった石炭産地と工業地帯を結ぶ鉄道網から外れたコッツウォルズは、時代の波から取り残され、美しい自然と古い町並みがそのまま残された。シェークスピアの演劇にはイギリスガーデンを四季おりおりに彩るバラやハーブが劇中の小道具として巧みに配置されている。シェークスピアの植物にたいする深い造詣、これは、もちろん、この豊かで美しいコッツウォルズの自然の中で育まれたものである。そして、300年後の今なお、シェークスピアの生きた同じ自然がコッツウォルズの田園風景のなかに息づいているのを知るのである。
2012.12.20
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衆院選挙で大量の議席を獲得した自民・公明の各党の支持基盤はどうなっている?民主党党首の野田総理が自己の保身のためか何か知らないが、訳もなく、この暮れの慌ただしい時に急に解散をしてあっという間に総選挙となり、12月16日投開票が行われた。予想通り、与党民主党は前回の衆院選で獲得した308議席を一挙に54議席に減らした。それに比べ前回119議席に激減して野党に下った自民党は選挙のマジック・小選挙区制に助けられ一挙に294議席獲得した。自民党が大きな議席を獲得したのは、比較第一党が議席を独占できる小選挙区制によってである。自民党は小選挙区でも前回の衆院選に比べて166万票減らし、得票率は43パーセントなのに、議席占有率は79パーセントにもなる。得票率に比べ2倍の議席を獲得している。比例代表においても、自民は219万票減らしており、議席獲得数は前回とほぼ同じ57議席を獲得した(前回55)。自民党とともに与党になる、公明党も比例で94万票減らしている。小選挙区では、例のごとく姑息な手段、自民と維新に候補者を調整してもらい、公明党を支援することで、小選挙区の議席9を獲得した。このように見るならば、自民・公明の票田はジリジリと崩壊の危機を孕んで、現在進行中ということは明らかである。私の生まれ育った地域は、半世紀以上にわたり自民党の強固な地盤である。保守王国である。豊かな穀倉地帯濃尾平野の中にある。まさに、戦後の高度成長の歴史と共に、農地をつぶし(百姓はにわか成金の兼業農家ばかり)、軽工業から重工業へとモノつくりが変遷していく中で大中小の工業がひしめいて、安い労働力を提供して栄えてきた。近年では、海外(ブラジルや東南アジア)からの移民が、村や町に日常的に生活している。ブラジル人たちがブラジルの子弟のため小学校さえ作っている。農地を切り売りして、自らは安い労働力となり、農業と工場の労働者の二足ワラジで、この高度経済を支えて、自らもにわか金持ちになり、豪勢な屋敷をかまえて豪邸にくらした百姓たちは今、高齢者となって、大きな家のなかにひそっりとり残されている者あり、様々な病に侵され、近隣につぎつぎに建てられる介護施設に入居して暮らすなど、心豊かな最期を迎えようとしていない。何よりも家族の崩壊は避けようもなく老いたる者は悲惨な状態である。彼らは、お金はたんまり持っている。しかし、その周辺の病院や介護住宅に詰め込まれている老人たちは寂しく、まさに地獄絵のなかにいる。私が幼い時からあった精神病院など、今、行き場のない認知症の高齢者が収容しきれないほどに大勢入院している。100名を超える認知症ばかりの老人が、牢獄のように鉄格子、ドアーは施錠の部屋で、すさまじい生活を余儀なくしている。さらに、この病院は、今、介護付きの大きなビルを建築中。介護付きの住宅も、次々に建築中。これらの建物の入居者は、ほとんどが、お金を持っているが老後を介護する人がない。自分の家は、都会では考えられないような広い敷地に大きな豪邸を持っている。それを閉めて空き家にして、介護施設に入るのである。半世紀以上にわたって、自民党が創り上げてきた経済基盤のなかでその繁栄のおこぼれを十分味わってきた人々の人生の最期はかくのごときである。必ずしも幸福な最期とはいえない。この人々は、誰に言われなくとも、自民党の地方議員の誰彼に組み込まれており、国政選挙では、自動的に自民党に投票している。(候補者の地盤は祖父母の代から代々受け継がれたもので、半世紀以上同じ姓の候補者に入れている。)自治会、婦人会、老人会、農協など村のどこかの組織に組み込まれており、その組織が一体となって自民党を支持している。生活の一部として自民党への投票はあたりまえ。とりわけ今回の「民主党」の失政は、「やっぱり民主党ではだめだ。誰がやっても政治は同じだ」が彼らの投票行動に大きく影響している。彼らは自分たちが歴史に翻弄されているのに、そのようには見ていない。戦争に行けと言われれば、お国のためと戦争に行き、農地解放され、農地が手に入れば懸命に百姓をし、高度経済成長の過程で、農地が高値で売れれば、豪勢な邸宅を立て、外国旅行としゃれこんで、朝から喫茶店に出向いてコーヒーとパン食べて(百姓がありえないこと)、昼食には、国道沿いのフランチャイズ店のラーメンを食べ、晩年は、病で暗澹たる苦しみの中にあってもこれは人間の「業」などと訳の分らぬこといい、高額な医療費をどんどん使い、介護保険もどんどん使い、「自民党」のおかげでよき人生であったと、最期を終えようとしている。これが、少ない票数でも1議席獲得できる田舎の現実だ。しかし、この票田も深刻な崩壊の危機にあるが中々しぶとくそう簡単には消滅へとは向かわない。でも、選挙の票数から見てもじりじりと崩壊へと向かってはいる。彼らは、「お上」の土木工事の恩恵を受けなければ生きてこれなかった。原発建設などその最たるモノ。「強靭な国家」を作るなどと言い、莫大な国費を投入しよとしている安倍政権。この愚かしさの結論は、田舎の高齢者たちの最期ですでに証明ずみ。ニュース番組の街角インタビューなどで、都会に住む若者が安倍政権の経済政策によって自分にも明るい未来があるように語っているのには驚く。ただあるのは増々不安定な雇用と低賃金競争だ。これがグローバリズムの行き着く先だ。おこぼれが最も届かない若者が自民党の経済政策に期待するとは情けない。この半世紀以上続いた自民党票田の崩壊が一気に社会の変革に向かうには更なる粘り強い変革への意志やエネルギーが必要だ。何よりも一人一人が市民としての高い自覚、社会形成者としての高い知識や能力を磨かなければ選挙だけでは到底この現実を変えることはできない。その意味でも教育は重要だ。安倍自民党や維新の言っている教育システムではせいぜい祖父母たちのように「お上」に利用され使い捨てられる人材になるだけだ。「日本国憲法」に書いてあるような人格、国民としてどうあるべきか、これほどすぐれた教科書はない。日本国に住みながら、日本国憲法の精神を守り発展させなくてもよいなどという政治を許してはならない。ぜひ、みなさんも「日本国憲法」を自らの知性で深く読んでみてほしい。そこに未来の子供たちが育つべき人間像がある。
2012.12.18
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21世紀を生きる子供たちが必要としている学力とは?自民党総裁、安倍晋三は、遊説先々で「教育を取り戻す」をキヤッチフレーズにして、「民主党は日本の教育をゆがめてきた日教によって支配されている」と批判し、「政権を奪還し、すべての子供たちに高い水準の学力、道徳心、規範意識を身に着ける機会を保証する」と叫んでいる。安倍晋三や橋下徹の言っている「高い学力」とは何か。「道徳心、規範意識」とは何か?我が子や孫たちが今、学校で受けている教育はいかなるものか。子供たちが、成人した時、社会の中で人生を切り開く能力を育んでいるか、よくよく目を見開いて熟慮する必要がある。「お上」まかせであっては、子供は育たない。現在、東京都、大阪などが先頭になってやろうとしている教育改革は、アメリカから20年遅れの、アメリカの教育政策のコピーである。アメリカは移民の国である。資本主義の高度な発展を達成し、その巨大な富で世界を制覇してきた国である。その発展の原動力、活力は、次々に流入する安い労働力として利用できる移民たちであった。しかし、その発展は、しだいに影を見せ始めている。1960年代にはこの国のあり方が次第に危機的な矛盾、問題を露呈し始めた。即ち余りの富の偏重による貧困問題。人種間の経済格差を、放置しておいては、合衆国の国そのものを揺るがしかねない社会問題になってきた。そこで、出番となったのが初等中等教育法を制定し、連邦政府が州にたいして、財政的援助をすることで初等中等教育を改善しようとした。更に1980年代にはブッシュ大統領が1865年の上記の法律をさらに改訂し、特定の階層(貧困層)、グループへの援助政策、改革にとどまらず教育システム全体の改革へと突き進んだ。アメリカ国民の子供や青年たちの学力の顕著な劣化を「危機に立つ国家」と宣して、教育改革が行われた。これがアメリカの教育の大きな転換点であった。すなわち到達すべき統一したスタンダードを定め、「統一学力テスト」を実施、「テスト」の成果や結果を厳しく求め、成果の出ない学校は、統廃合や校長、教員の免職など連邦政府の権限を介入させて、「学力向上」なるものを図ろうとした。さらにオバマ大統領になってからは「頂点への競争」政策で、競争的連邦補助金の導入を通して高い質のスタンダードやアセスメントの採用が求められている。各州の自由な裁量に任せられていた教育がこのように連邦政府の権限強化へと変遷した教育改革によって、アメリカの子供たちの学力は向上したか?人としての知恵を身に着けることに成功したか?「No」である。このような政策実行から10年経過した2009年の世界学力調査(PISA)のアメリカの学力は世界の平均値の前後に位置し、中位のグループに属している。それ以前とほとんど変わっていない。「改革」でめざした世界のトップの学力は達成していない。すべての子供が「高いレベルの学力」に達するよう公正で平等な教育機会を保証することを全州に求めたこの教育改革はさらなる公教育の解体、巨大資本がいまだ手を付けていない分野として、公教育の分野は新自由主義的経済の市場として、利潤の餌食にされている。さらに、教師の脱専門性により低コストで教師を雇える。、教育するものとしての専門性はいらないのである。知識の切り売り、パターン化した問題を与えられたやり方で教えればよいのである。今、日本にもアメリカより、遅れること20年、子供たちの学力の低下、生きる力の劣化など深刻な「学力」問題が起きている。この問題を、自民党・安倍部晋三や維新・橋本徹らはアメリカのこの教育システムを真似ることで解決しよとしている。「全国学力テスト」の導入、その得点結果を公表し、点取り競争を学校にさせて国民に学校を選ばせる(学区の選択制)などで「教育再生」を図ろうとしている。更に恐ろしいことに、子供たちが荒れているのは、日教組の教育のせいにして、自分たちのインチキな「史観」を「道徳」として吹き込もうとしている。子供たちが、人として豊かな人間性を獲得できないでいるのは、まさに、点数のあげるために、競争させて、高得点をとることを良しとするその教育そのもにある。深い知性、深い人間性は自ら学ぼうとする真摯をこどもに育てることから始まる。このように育てられた知識は、困難を突破する創造力を生み出す源になる。市民としての自立した個人の確立。社会の一員となって、協同する力で、困難を突破していく知力、体力。未来を築くエネルギーを蓄えた青年。そのような人間性は、「学力テスト」政策では生まれない。21世紀の困難を切り開く人間を作る教育とは対極にあるのが自民党・安倍晋三や維新・橋本徹の唱えている教育改革である。彼らの唱えている教育再生とは教育をアメリカと同様「競争」と「淘汰」に基づく市場化・民営化によって、「人を選抜し、育成する」から「選抜し、使い捨てる」へと「教育再生」することである。国民はしるべきである。すでに8年前に以下のような提言がなされているのである。1995年5月日本経営者団体連盟の新・日本的経営システム等研究プロジェクトによる「新時代の日本的経営ー挑戦すべき方向とその具体策ー」によれば、人件費の抑制をめざした「日本的経営」見直しのガイドラインを示し、その方針のもとで、労働者を「長期蓄積能力活用型グループ」(正規のエリート社員)「高度専門能力活用型グループ」(契約社員)「雇用柔軟型グループ」(パートタイマーや派遣労働者)となる3グループに分け、正規社員以外はすべて「有期雇用契約」、「昇給なし」、「退職金、企業年金なし」とすることを提言した。すなわち有能な人間を正規雇用として採用し、その他はいつでも「使い捨て」「切り捨て」できるよう再配分するということである。自民党、維新などの掲げている「教育再生」とは、まさにこの提言の教育での具体化である。「使い捨て」の人間を育てるには、「学力テスト」なるもので競争させ、中身の空っぽな学歴を身につけさせるだけで十分。安上がりの教育投資である。市民にもわかりやすい。8年前のこの提言どおりに現実の社会は今、進行している。そして、後に残されたのは、このような理不尽な現実に抵抗もせず、理不尽とも思わない、若者たちを教育の力で作ることである。維新・橋本徹が盛んに市長の権限を強化して教育を支配しようとしているのは、このような理由からである。今、大阪などは、その実現化に猛突進。大阪市民も熱狂的に支持している。これでいいのか?特に高齢者たちに注意を喚起したい。子どもたちの現状が「道徳心」がないのは、日教組の教育(そんなものはないが)のせいではなく、自民党が半世紀以上にわたって、作ってきた資本主義的な経済のありようから生まれた「知の退廃」「知性の未熟」にあることを知るべきだ。大量生産大量消費、人はモノの奴隷。儲けのためには、人など、どうなろうとかまわない、この現状が今日の社会を創り出してきた。そのような自民党に、再び政権を与えては、増々、人を人として育たない社会になっていくこと必死である。「決断」をしない方が良い時代がある。ぐずぐず「決定」を先延ばし、新しい力が台頭するのを待つのが必要なときもある。このような情勢の時、ゆめゆめ「自民党」を政権の座につかせないよう、投票行動をためらっている人は自民党に「NO」の投票をしよう。特に若いママたち、わが子がどんな教育をうけるか、どんな未来の社会に生きるかよくよく考えて、ぜひ、投票行動をおこそう。今、社会は大きな重大な転換点にいる。
2012.12.10
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衆議院選の選挙権を必ず行使し、未来の子供たちに確かな社会を送り届けよう!アメリカとの原発同盟を破棄できるかどうかが「原発ゼロ」を実現できるどうかの試金石である。民主党の野田政権は「2030年代原発ゼロ」を目指す新しいエネルギー政策を大幅に後退させ、閣議決定できなかった。なぜ、大きく後退したか?なぜ、民意を無視して、質的な転換をせざるを得なかったか?それは、アメリカのホワイトハウス、国務省、エネルギー省などの強い「no」の圧力のためである。アメリカ側の「具体的な道筋が不明確だ」という圧力である。では、アメリカの言う具体的な道筋とは「核不拡散への日本の協力の先行き」「使用済み燃料からプルトニウムを取り出す再処理事業をどうするか」「人材育成への影響」などについての見通しである。米政権に強い影響力をもつ新米国安全保障センターのクローニン上級顧問は、「閣議決定をして政策を縛ばれば見直せなくなる」とまで言っている。まさに内政干渉、このような圧力が、野田政権の「2030年原発ゼロ」宣言の閣議決定を見送らせた背景である。日本は、これまでアメリカの核不拡散体制の重要な一員であったし、今もそうである。日本は核兵器を持たない国として、世界で唯一、核燃料の再処理やウラン濃縮を行うことを米国に許可されている。そして、日本はそのアメリカの信頼に応えるべく、原発に出入りする核物質の収支を正確に把握・確認する措置を実施してきたのである。(これらは直ちに核兵器に結びつく技術。韓国も核燃料の再処理を求めているが許可されていない)もし、ここで日本が原発ゼロになれば、今後、原発における中国の台頭が必死の情勢のなか、アメリカは、自国の核政策の見直しを迫られるからである。さらに、オバマ大統領は世界各国の核物質がテロ組織に渡る事態を防ぐ体制つくりをめざし、14年までに各国にある核物質の防護体制を確立しようとしている。このような時期に忠実なアメリカの同盟国を自認するする日本に逃げられては、アメリカの国益に重大な損失なのである。日本の原発建設の技術力はアメリカの原発建設にも重大な影響を及ぼし、日本の原発建設衰退は絶対に許すことは出来ない。自民党、維新などの原発推進者の「現実的」な政策とは、まさにこのアメリカの意向、アメリカの核支配、核独占の維持をするための都合なのである。人間の命よりも大切な「現実」とは、まさにこのアメリカの核独占による世界支配の一翼を担うことを維持したいからである。この死守こそが彼らの主張している国益であり、強い国作りなのである。日本の国土が核汚染され、その影響は未来に甚大な影響を及ぼすことよりも、アメリカの核の傘のなかにいたいのである。脱原発の「見通しがあいまい」とか「ない」と彼らがいっているのは、自然エネルギーへ転換していく道筋のことを言っているのでなく、アメリカとの「核同盟」をどうするかの「見通しが立たない」という意味である。このように見るならば、「原発ゼロ」をめざすということは、日本の社会をどの方向に変革していくかという日本の存立の根幹に関わる重大事である。自民党、維新の各党はなるべく原発問題を国民の目から反らそうとしている。あれこれと、如何にももっともらしく屁理屈をいって国民に真実を隠くそうとしている。原発ゼロにすると「電気代が値上がる」とか「電気の供給が不安定になる」とかいうのはあくまで国民への脅しである。新エネルギー政策を実現するためには、このような現状を保守し、維持しようとする、巨大な権力と厳しく対決することなしには実現できない。私たち国民にも覚悟が必要だ。本気になって社会を変えたいのか。国の在り様を変えたいのか。このことが厳しく問われている。このように山河荒れ果て、破壊されても、人のこころ傷つけられても出口のない原発を稼働させる必要があるか。未来の子供たちに私たちはどんな社会を残すべきか?いまこそ厳しく問われている時はない。もし、自民党が過半数をとったら、日本の国はどうなるか、さらなる混乱矛盾。暗澹たる国。人間にとって、真に豊かな科学とはなにか。深く問いかけて、投票すべき時である。フクシマの原発事故から何も学ばず、目先の経済成長やらを追い求める自民党と維新徹底した自由競争で金儲けに狂奔しようとしている。序盤の選挙予想では自民党が過半数を超える勢いという。自民党が過半数を占めたら、日本はどうなるか?よくよく考えるべきである。
2012.12.07
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ウェッジウッド(Wedgwood)はジョサイア・ウェッジウッドによって1759年に設立された。200年余りの長きにわたり製造を続けて世に製品を出してきた世界においても最大級の陶磁器メーカーである。その陶磁器メーカーのビジターセンターと博物館にも秋 200年余りの製陶のサンプルや作品を保存し、2011 年には「英国ユネスコ世界の記憶遺産」に選定されている英国の製陶の歴史を見ることのできるミュジアム。1774年、創業者が製陶作品の型を保存するために作られたミュジアムは、2008年には、歴史的な作品の保存、展示と販売促進のビジターセンターを併設した総合的なミュジアムとして開館した。 (Josiah Wedgewood (1730-95) ウェッジウッド社の創業者。製陶業の家に生まれる。1754年からは、陶芸家トマス・ウィールドの工房で働き、その独創的な(セッキ)の技法を習得。59年に独立。65年には、王室の保護を受け、クリームウェアの改良に成功。「queensware」と呼ばれるセッキを創製。このクィーンズウェアの成功が更なる会社の発展へと繋がった。更に、産業革命による蒸気動力をいち早く採用したり、高温時計を発明するなど、製陶業の近代化の基礎を築いた)更に古代ローマ、ギリシャ陶器を模倣したバザルトウェア(basaltware)、カメオ細工(cameo)のような精セッキ・ジャスパーウェァ(jasperware)ジョサイアの開発したこれらの陶器は、それまでの陶器とは、質、量ともに一段と進化し、ほぼ現代の陶器と繋がっている。ジョサイアの追及した陶製技術の革新性は、産業革命期の技術革新と結びつき規模の大きな工場での生産へと発展。 カメオ・グラスとは、濃いコバルトブルーのガラスに乳白色のガラスを被せ、それを削って文様を浮き彫りにする技法。古代ローマ時代のガラス製品の装飾技法を模して陶器の製作技法のなかで実現しよとしたjasperware。ジョサイア・ウェッジウッドは、この技法の完成に膨大な時間と労力をかけている。そしてこのジャスパー製品はウェッジウッド社の最も代表的な製品となった。ウェッジウッドの「ポートランドの壺」(原作は古代ローマ皇帝の所有とされているカメオ細工のガラスの壺。最後の所有者が英国のポートランド公爵であったことによりこの名前がある。)ウェッジウッドの「ポートランドの壺」はジャスパー陶芸技法の最高峰。ジョサイア・ウェッジウッドの長きにわたる研究、試作の繰り返しによって完成したものである。この原作の壺は日本でいえば弥生文化期にエジプト・アレキサンドリアのガラス職人が作ったもの。ローマ皇帝が命じて作らせたものという。ジョサイアはこのガラスの壺を陶器で複製した。(この壺はウェッジウッド社の商標にもなっている。)当時、上流階級では、中国から輸入されていた白い磁器が大人気。高い需要があり、高価なものであった。ウェッジウッドはその中国の磁器に模した練り土を作るのに成功。「Kutani Crane」このような図柄は日本や中国の陶磁器の影響を受けている。ウェッジウッド社は1812年、独自のbone chinaを創り上げた。ボンチャイナは中国の薄く堅牢な白の磁器を模してウェッジウッドが独自に創り出したもの。このように近代陶芸史に大きな足跡を残してきたウェッジウッド社は、今、どのような姿になっているか。1986年には、クリスタルガラスメーカーのWaterford Glass Groupに合併され、2009年には経営破綻。同年、アメリカのKPS Capital Partnersに買収され、現在はこの投資会社が親会社となり経営再建している。厳しい経営の合理化で、1500部門の仕事はカットされ、英国の800人余りの労働者が首切られた。採算部門だけが残され、経営効率化、コストダウンのため、多くの仕事がアジア(インドネシア)へ移転した。投資会社KPS Capital Partersの経営方針のなかで展開されているビジターセンター&ミュージアムを覗いてみるとショールームデザイナーズブランドによるお皿デザイナー・Jasper Conranの白い磁器(Bone china)の皿 ビジターセンターの喫茶、ウェッジウッド社、オリジナルのティーカップと皿でのティータイムアウトレットもある。50パーセントから70パーセントも値引きする製品とは?(それほどの値引きする商品をつくっているとは)ノベルティもあるねぇ このレディーは€100もする。高いねぇいかにコストダウンしてモノを作るかが商品にも現れていて、人の心をつかむ器がないねぇ。。ジョサイア・ウェッジウッドが次々に世に出した革新的な陶器、その当時のこころはどこに?私は1300年余の歴史をもつ陶磁器産地に住んでいる。わが町にもこれとほぼ同じ「ビジターセンターや博物館」がある。その運営の仕方は全く同じといっていい。しかし、かって繁栄していた中小の陶磁器工場は、現在、はぼすべてが破綻している。なぜ、破綻したか?セト・ノベルティ(レースはすべて陶製)(マドモアゼル 1988 テーケー名古屋人形製陶株式会社)このような陶器の置物を輸出用につくり、円安時代には、輸出品として隆盛きわめ、この地域独自のものを創り出す職人を多数輩出した。現在は壊滅。)コスト効率や採算だけを重視した社会は大切なものを失くしている。字数オーバーのため、この続きは次回に。
2012.11.17
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ウエストンバート国立森林公園は(Westonbirt Arboretum)温帯気候の樹木園として世界最大級の森林公園の一つで3000種以上の木々や灌木が植えられている。 ヴィクトリア朝の最盛期、19世紀半ばに富裕な地主:ロバート・スティナー・ホルフォードにより創立され、1956年には森林委員会に引き継がれ現在に至っている。600エーカーの敷地に3000種1万8000本余りの樹木灌木が植えられている。そのうち何種類かは原産地では絶滅が危惧されている貴重な植物があるという。200年近い歳月をかけて、創り上げられてきた樹木園。その歳月の重さを感じる公園内の樹木たち。イロハモミジ燃える公園(モミジの葉っぱの図案がある標識。)その中の樹木の一つに、とりわけ秋にはひときわ美しい日本原産のカエデのコレクションがある。(Japanese Maple Oultivar Collection)日本のイロハモミジ燃える園内鮮やかな赤イギリスの秋は黄色や茶褐色の黄葉が多いなか、とりわけこの澄んだ赤は美しく魅力的。 日本のモミジの紅より更に深く更にあでやか。世界的にも紅葉で有名なこの樹木園。創設者親子の初めての植樹の時からそれを受け継いで現在に至るまでイギリスの気候に合わせた種の改良や質の向上を重ねるなど、長い年月をかけて、創り上げられてきた樹木の歴史があると言う。心のこもった手入れがなされた長い歳月があるからこそ異国のこの地でカエデはこんなにも見事に紅葉している。10月末日の園内はすでに落葉の季節赤と黄の織りなす大地このピンクの花は何かしら?このような枝ぶりで晩秋にピンクの花咲かせているのかと思いきや、よくよく見るとこれはマユミの実果実は4つに割れて、赤い種子をだしている。マユミ(檀)はニシキギの仲間の落葉小高木日本の雑木林や山地に普通に見かける。(私の散歩道にもあります)裸木になった雑木林に紅い実がブラブラぶら下がりとても目立つ。マユミの名は昔この木で弓を作ったことに由来する。この黄葉している樹木は?しなやかな枝、繊細な葉っぱ日本ならカツラの黄葉と言いたいところだが。。。さて、ウエストンバード森林公園のくろぐろとした森に冷気一層冷たく夜のとばり降りようとしている。冷たい暗い夕暮れ。200年近い歳月をこの地でいのち繋いできた樹木たち。その木々の姿のなかに自然を愛し、共生して生き続けようとするイギリス人の心意気がある。今年の日本の紅葉イギリスのこの森林公園と比べのは憚れるが、私の朝の散歩コースの一つに愛知森林公園がある。この公園にも植物園があり、尾張東部丘陵地帯に生えている樹木を観察できる森がある。(宅地開発で、今では身近に見られなくなっている木々)今、その森は秋たけなわ今年の紅葉は酷暑の夏、いつまでも続いた高温(10月初めまで30℃前後)10月末より、急激な低温、初冬となり、木々もその急激な変化に対応できないのか、同じ樹木でも個体差大きく、紅葉時期がまちまちで、一気に燃える華やかさがない。これは、モミジの紅葉。緑の葉あり、紅い葉あり、落葉した葉あり、手前のサクラの葉っぱは、すでに枯れて落下。朝もやの森林公園シイの大樹の向こうに色づき始めた木々例年なら、これからが紅葉の見ごろとなるのだが、冷たい木枯らしに見舞われること度々の樹木たち紅葉せぬまま散り急いでいる。朝陽に燃える銀杏。黄色の葉っぱは例年のごとく鮮やかなもの多いが、サクラなど黄色から赤へと変身していく葉っぱたちは、ほとんどが赤くなる前に枯れて赤茶けて落下している。最も日本の秋らしさの特徴である黄から赤へのグラデーションが今年はほぼない。燃える赤が少ない。(巨木モミジバフウの見事な紅葉)今年の日本は日本の秋が、ほぼないまま冬に突入しようとしている。樹木たちも面喰い大急ぎで冬支度に取り掛かっている。愛知森林公園全体の敷地面積468ha(4.6平方キロメートル)、1906年宮内省所管の御料地を買受け、砂礫土壌の荒廃した土地を森に造り上げてきた。その後、その一部を紆余曲折の歴史を重ねて、現在の森林公園となり、市民の憩う総合公園となった。イギリスのウエストンバード国立樹木園は世界中から観光客が訪れるが、我の散歩コースの森林公園は、人口に膾炙しておらず、比べるのもおこがましいが、都市化して、崩れ行く森の砦になっている点では似ているのでは。人間が愛情込めて手入れして守っている森であるという共通点がる。(森林公園の紅葉の写真は11月12日に撮影。By fujiko)
2012.11.08
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ポントカサルテ水道橋と運河(Pontcysysllte Aqueduct and Canal)(渓谷を一跨ぎ、ポントカサルテ水道橋を遠望)世界で最も早く産業革命期を迎え、近現代の資本主義経済の確立発展に先駆的役割を果たしたイギリス。このポントカサルテ水道橋と運河はそんなイギリスの産業革命期に建造された。全長307メートル、幅3.7メートル、深さ1.6メートル、高さ38メートルの巨大な橋、イングランドとウェールズにまたがる渓谷をひとまたぎで通行可能にした、運河である。この巨大な橋の上を水が通り、荷役船が通行したというから驚きである。橋を建造した技術の高さや資材などその膨大なこと。(手前の水が橋に通水されている水。眼下にディ川が流れる)人類がかって経験したことのない科学技術の革新と人間の万能感を謳歌する時代の到来を予感するに十分な建造物である。秋色のディ渓谷を眼下に見下ろし、遥か彼方の丘の町へとつながる水道橋。(水道橋からウェールズ側を見晴らす景色)このポントカサルテの水道橋と運河は1805年に完成され、イギリスでもっとも高く、最も長い水道橋である。イギリスには3500kmにも及ぶ内陸水路のネットワークがあり、産業革命時代には荷の主要な運搬手段であった。橋の上はこのような水路となっており、その側面に船引き道が張り出して設けられている。水道の脇には歩道があり、歩行者は船引き道の外側の端で欄干によって保護されている。(橋の運河をを航行するナロウボート)産業革命時代には、この水路をナロウボート(narrow boat)という荷役船が通行した。 狭い運河を航行するために幅が狭くひょろ長い型をしている船。しかも、無動力で、初期は人が先導する馬が船を曳いたという。先導したのは多くは子供であったという。(ナロウボート:イングランドとウェールズの狭い運河に合わせた、幅の狭い船。18世紀から20世紀に作られた荷役船は陸路交通の発達により1945年から65年ごろにほぼ途絶えた。現代のナロウボートは、伝統的なボートを基本としながらも住宅・レジャー用という現代人の目的に合わせて作られている。)カントリーサイドと古いもの大好きなイギリス人たち、スローライフのスタイルで生活することを願っている人にはにぴったり。現代の喧騒から離れてのんびりゆったりと旅する人たたちにお気に入りの道具として、ナローボートは再興された。時速6キロあまり、のんびりとゆっくりと景色を見ながら、小川をゆく人たち。自分で閘門を開閉して進むボート。現代のナローボートは、イギリスの産業革命時代の過酷な労働とは無縁の生活に潤いや楽しみを与えるものになって甦っている。(ナロウボートの船尾。舵は後部にある)この細長い船内には、日常生活をすることのできる、キッチン、風呂、トイレ、寝室などがあり、テレビをみたり、パソコンを使う設備まで整い、船上で生活しながら何日も運河めぐりの休暇を楽しむことが出来る。(ナロウボートのキッチン)このような旅の楽しみ方、暮らしぶりはいかにもイギリス。イギリスらしい。イギリスは世界で最も早く資本主義経済が成熟し、その矛盾や問題を最も早く経験し、現在に至っている国である。低成長の経済がもう何十年も続いている国である。でも、人々の暮らしはゆったりと心豊かと言えないだろうか。
2012.11.06
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