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一昨日、日韓TVドラマ作家セミナーがあった。韓国からは15名の作家が来日。日本側は34人の作家が出席した。パネラーは、韓国側が、キム・ヘリン(金恵隣)、ノ・ヒギョン(慮煕京)、日本側が冨川元文、山田太一。司会はナム・エリ(南愛梨)。3時間に及ぶ熱い討論のあとは、中華料理を囲んでの晩餐会。韓国の作家は女性が多かった。出席者紹介の冊子には作品名が書かれている。「男ばかり4人」「ウナの庭」「華麗な時代」「世界で一番美しい離別」「流行歌になりたい」「女はなんで生きるのか」日曜日は堪えてください」「お前の夢を広げなさい」など.残念ながら見たことはないものばかりだったが、とても魅力的な題名だ。ドラマを作る意欲がそそられる。最近の日本のドラマの題名に比べて内容がありそうではないか。日本と韓国の一番の違いは、ドラマの最中にCMが入らないことだ。韓国は視聴者が強い。途中でCMなんか入れたら非難轟々だという。日本のTV局も考えてほしいものだ。第2は、シリーズものは20回や50回が普通で、日本のようなワンクール12~3回というのは、ミニシリーズだといわれてしまった。キムさんの報告は、韓国は家族中心、日本は個人中心。韓国は涙を強要するが、日本は節制している、韓国はメロドラマが優勢だが、日本は非メロドラマ(学園もの、推理もの)、等々面白い分析だった。晩餐会は、両国の作家が混在してテーブルに着き、通訳が同席した。隣に座った若いキム・イヨンさんが、いきなり「目上の人の前でタバコをすってもいいですか?」きかれた。韓国では年長者の前では許可なく喫煙してはいけないそうだ。さすがは儒教の国である。ただし、作家集団は例外で、断りなく吸ってもいいという。そのせいか女性の喫煙者が多かった。彼女は、「ホジュン」の脚本のアシスタントをしていたというので、話が弾んだ。だが、韓流シネマはあまり見ていないようで、ぼくの方が詳しいといわれてしまった。面白かったのは通訳の女性で、彼女は日本文化専攻の大学院生で、なんと「狂言」を研究しているという。その話のほうが面白かったのは、ちょっと皮肉であった。これからは、「チャングム」だけでなく現代もの見ようかなという気になった。
2006.10.20
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評判がいいので、期待して見に行った。が、残念ながら、いまいちだった。常磐炭鉱がつぶれそうになった昭和四十年、起死回生の妙案として「常磐ハワイアン・センター」を作ることになり炭鉱の若い女性をダンサーとして鍛えることになる。東京のSKDのダンサーを先生にやとう。そして、いろいろ会って、ハワイアンセンターは大成功裡にオープンする。と、まあ、ハッピーエンドが約束された物語である。だが、ハワイアンがメインのくせに、なんともテンポの悪いものだった。特に前半は、かったるい。予定調和の典型で、もう少し何とかならないものかと思った。先生の松雪泰子が好きだったから見られたが、脚本も演出も、とてもきちんと訓練された人の作品とは思えない。(監督・李相日)例えば、イギリス映画の「フル・モンティ」とか「ブラス!」とか、炭鉱の起死回生のドラマの優れた見本があるのに、そういう研究はうかがわれなかった。あるいは、「カルメン故郷に帰る」とか「米」とか、参考にしてほしい日本映画だってあるのに。昭和四十年という設定だが、時代考証がいい加減だ。まるで20年代のような古さ。いくら常磐とはいえ、古くすればいいというものではない。その一方で、貧乏なくせに豊悦はホープを吸っている。そんな贅沢な。吸うならハイライトだろう。あるいは、今はハイライトはてに入らないのだろうか?ひとつだけいいとこがあったのは、フラダンスというとウクレレの甘いメロディにのって踊るとおもいきや、太鼓のリズムだけで踊り狂う。それは、下手な情緒にもたれないでパワーがある。さすが、ポリネシアン・ダンスだ。だが、そういうことにちゃんと気づかせることはしていない。なぜ、ハワイアンかも描かれていない。若い女性陣が頑張っているだけに、とても惜しい作品だった。
2006.10.12
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昨日は母の一周忌の法要。命日よりは一週間早く行なった。きょうだいと孫たちだけのこじんまりした集まりだったが、母のヒマゴが四人もいて、総勢16人の楽しい会になった。母は、短歌が好きで、横浜時代には生方たつゑの「浅紅会」に入っていて、東京に越してからはNHK学園の「岡井隆教室」に通い、短歌のためにかな文字書道も習っていた。夫が逝って身軽になった60半ばから始めたのだが、その20数年間は、少女時代を彷彿とさせる風で、とても充実していたようだった。一周忌に「短歌抄」を編もうと思いたって読み残した歌を整理し、それに妻が聞き書きした思い出話と年譜をつけたら、なかなかの冊子になった。自分のことを「モダンガール」だったといっていたが、わずかに残されたそのころの写真を見ると、実際、とってもハイカラで、父との新婚旅行の写真などは、まるで映画のワンシーンのようである。彼女はいつも洋装だった。大正から昭和の初期(12,3年頃)は、実に自由な空気だったのだと感心した。暗く変な時代になったのはほんのちょっとの期間だったのだ。神田の貧しい俵職人の息子と結婚したモダンガールの一生はドラマチックであったと、つくづく思ったのだった。その代表作を一首。平成13年NHK学園全国短歌大会の入選作。87歳のときの作品である。 8キロもやつれて退院せし此の身命いとしみ口紅をさす
2006.10.09
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