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日枝山王神社の茅の輪くぐりに行ってきた。大晦日の恒例行事になってもう何年になるだろう。去年は退院したばっかりだったので行けなかったし、おととしは雪だったので、3年ぶりだ。神社の方も年々盛んになって、今年は白装束の神官が30名近く、巫女さんが10名ほども列席して、3時過ぎ、厳かに儀式が始まる。大祓詞(おおはらえのことば)のプリントが配られて宮司に合わせてみんなも唱える。それが終わると、小さく刻んだ和紙を体の前後にふり、形代(かたしろ。和紙を人形に切ったもの)で払う。こういうことも最初に行った10年前にはなかったことだ。火鎮めの儀式が終わって、いよいよ茅の輪をくぐる。最初はくぐると左に回る。二度目はくぐって右に回り、三度目はもう一度左に回って終わり。その後、本殿に並んで宮司の説話を聞く。宮司さんも大分お年を召して、話がくどくなった。とっても寒い日だが、ここでこの寒さを味わわないとお味噌火の感じがしない。いつもはおわると、隣のキャピタル東急ホテルでお茶するのだが、先月やめてしまったので、お茶にする場所がない。六本木にしようか、表参道ヒルズにしようか、渋谷にしようか、あれこれ迷ったが、結局いつもの阿佐ヶ谷に。すっかり暗くなってから帰宅。はや紅白の時間になっていた。かくして今年も終わる。いやいや、これから年賀状を書くという大仕事が残っている。
2006.12.31
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昨日、やっと「武士の一分」を見てきた。水曜日のレディス・デイなので混んでいるかと心配したが、そんなことはなかった。ぎゃくにガラガラなので驚いたくらいだ。昼間のせいかもしれないが。相当期待したのだが、残念ながらいい評価を与えられない。なんとも窮屈な映画だった。画面が、みんな似たり寄ったりのサイズで、遠景がまったくないのだ。これはキャメラマンのせいだと思うが、望遠レンズを多用しすぎて、距離感がまったくない。スケール感もない。部屋の中も、全景がないのでどれくらいのへやなのか分からない。端っこの方に人間を集めているだけだ。毒見役の5人が並んでいるのも、窮屈そうに肩が触れ合わんばかりに座っていて、しかも畳のヘリを平気で踏んでいる。とても快適とはいえない映像の連続だった。そして、物語。妻を犯した上司にあだ討ちする、という筋を運ぶことのみを目指しているだけで、味わいがない。目が見えなくなった人間の苦労が、一応の形だけはあるが、全然せまってこない。通り一遍なのだ。作者は、目の見えなくなった人間の気持ちに本当になったことがあるのだろうか、と思った。もっともっと違う描写があってしかるべきだろう。ストーリーがあってもドラマがない。帰ってきて、この映画のことを考えていたら、無性にむなしくなった。これが、いまの日本映画の最高峰だとしたら、あまりにも寂しい。
2006.12.28
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今日は、ちょっと違うお話を。一昨日、思いがけないことを聞いた。とある女性が、横浜にある松島病院の歌を知っているというのだ。「ええっ、どうして?」「職場の男たちが、みんな同じ病で悩んでいて、松島病院に入院したら、玄関に病院歌が張ってあったんですって」その病院というのが、実は「痔」の専門病院で、ぼくも20年以上前にそこで手術をした。そのとき一緒の病室になった人たちと大いに意気投合して、みんなで歌を作ったのだった。年長のKさんがもぞもぞやっているのを見つけて、「何書いてるんですか」「いや、ちょっと、歌を…」入院した思い出を歌にしているという。「いいねえ、みんなでつくろうよ」といったら賛成してくれた。その日は、なれない鉛筆やらボールペンを手にいっせいに思案投げ首。最後にぼくが整理役をおおせつかって纏めたら、17番まである大長編歌になった。題して「松島悲歌(エレジー)」。「痔」はどうしようもない痛さと辛さで耐え難いのだが、手術をするとその痛みはおさまって、2週間もするとみんなニコニコと退院する。生死に関係しないから、みんな明るい。特にぼくのいた病室(6人部屋)は明るかった。明るくしたのはお前さんのせいだといわれたのだが…。で、その体験を、オートバイに乗ったという本(「風の中、心はいつもアウトバーン」)の一節に書いたのだが、彼女はそれを知っていたのだった。すっかり忘れていたのだけど、その本を引っ張り出してみた。 ♪ 幾歳(いくとせ)こらえたあの痛さ 厳しく女房に諭されて ここは横浜戸部本町 松島病院の戸をたたくメロディは、「ネリカン・ブルース」だ。今は知っている人も少ないだろうな。 ♪ 初診のベッドに横たわり 一方通行のトンネルに 逆から入る鉄の棒 痛さと怖さであぶらあせ 入院しましたその夜は コーヒー煙草を禁じられ ヒマシ油のまされ絶食で 不安におののく夜があけるこの病院はその世界では有名らしく、いろんな国から手術の見学に来る。ぼくのときも東南アジアからきた数人が見学していた。全身麻酔だから、気がついたらもう病室に戻っていた。手術の苦労は知らずにすんだのだが、その後がひどかった。肛門にはすべての神経が集中しているそうで、その夜の苦しさはいいようもないものだった。輾転反側、眠られぬ夜を過ごすと、いよいよ最初の排便だ。 ♪ はじめて出しますその時は 脱いだ寝巻をドアに掛け 壁の鉄棒にしがみつき 痛さと辛さで男泣き痔は、しかし、男だけのものではない。女性にも多い。特にお産の時になるらしい。だから、病棟は若い女性もいて賑やかだった。こういうところで恥ずかしがってなんかいられない。すぐ親しくなって会話が弾んだ。 ♪ 夕闇せまる松島は 回診終わって七時すぎ 見舞の品々出しあって 始まる宴の華やかさ宴には、もちろん女性も参加した。内臓の病気ではないので、お酒以外なら何を食べても飲んでもOKだった。今じゃ信じられないが、煙草も病室で吸ってよかったのだ。かくして2週間すぎると、みんな次々に退院していく。 ♪ 明日は退院本ぎまり はずむ心の片隅に 共に暮らした同室の 厚い情けが忘られぬみんなで歌ったテープと歌詞を病院に寄贈した。毎晩大声で合唱しているので看護婦さんたちは眉を顰めていたそうだが、事情を知って喜んでくれた。退院一ヶ月後、「同窓会」を開いた。中華街で満腹した後、夜風に誘われて山下公園に出かけ、みんなで「松島悲歌」を合唱したのだった。それから四半世紀年、あの歌のその後を聞くことになろうとは思ってもいなかった。歌は不滅、そして、痔の病も不滅、ということだろうか…。
2006.12.18
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必要あって、久しぶりに「青春残酷物語」(監督・大島渚)を見た。もちろんDVDで。1960年の松竹作品。もう45年も前の映画だ。当時は、フランスのヌーベルヴァーグをもじって「松竹ヌーベルバーグ」といわれて、若者たちのオピニオン・リーダーのような映画だった。女子高生が中年男を誘って家まで車で送らせるというささやかな遊びでかじまる。中学生の「エンコー」が当たり前の今では、あまりにもささやかな不良行為に過ぎないが、当時はそれが十分反抗的若者の象徴でありえたのだ。なぜ「松竹ヌーベルバーグ」だったかというと、ドラマの作り方、人間の描き方、映画的文法等々が、とうじの小津安二郎を頂点とする旧体制へのアンチテーゼだったからである。主人公たちのやっていることは幼いが、しかし、映画としては古びていないと思った。確かな作家がいる、と感じさせるものであった。一つの発見は、評論家たちが「松竹ヌーベルバーグ」といいだしたのだと聞いていたが、実はこの映画の予告編で、「日本のヌーベルバーグ」と謡っているのだ。当時は、予告編というのは助監督が作った。だから、助監督たちの間ですでにそういう認識があったというのは面白い。DVDのおかげで特典映像に予告編がついていて、こういう発見が出来たというわけなのだが、これはなかなかいいことである。
2006.12.13
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去年のBSに続いて2度目の放映だ。前に第一話を見たときは、最初の部分が何を言っているのかわからなったが、今度はよく理解できた。最終回のダイジェストというか、チェオクと兄の悲劇的な再会を最初に象徴的に見せていたのだった。改めてじっくり見ると、いかにも映像に凝っているのがよく分かる。話の面白さでは「チャングム」に負けるが、映像は勝っている。音楽も心弾むし、だんだんすきになった。チェオクは、どことなく松たか子と木村佳乃と松島菜々子を合わせて割ったような容貌で、魅力的だ。声が小川範子というのもいい。かつてはアイドル歌手だったのだが、今ではすっかり女優になっている。以前、「土曜ワイド」で盲目の少女を演じてもらった因縁があるので、それも「チェオク」に親近感を持たせてくれる。またまた毎週土曜日が楽しみになった。
2006.12.02
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