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2018年05月01日
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 ーよくわかる 自動車歴史館 第49話ー
 日本グランプリの中止で生まれたスポーツカーレース
 に自らの体験、感想を交えて加筆。
 グラチャンの記録を残したい。
 1962年、日本初のコース全面舗装と観客席を備えた
国際水準のレーシングコース、鈴鹿サーキットが三重
県、鈴鹿市に完成。

     ​

 1963年5月、本格的なカーレース、第1回 日本グラ
ンプリ開催。
 決勝日は20万人を超える多数の観客を集めた。
 ヨーロッパのスポーツカーも参加したが、多くは
ほとんどタイヤも含めノーマルのままの市販車の参
だった。
 レース後、3つのクラスで優勝したトヨタがそれを
販売促進に活用。
 他メーカーもレースの結果が新車販売にもたらす影
の大きさに気づいた。

     ​

 1964年5月、第2回には前年と様変わり。
 各社がドライバーを揃えワークス体制で参戦。
 生沢 徹のドライブするプリンス・スカイラインGT
と式場壮吉のポルシェ904の闘いが演じられた。
 1964年10月、主催者の日本自動車連盟(JAF)は
1965年5月の日本グランプリの開催中止を発表。

     ​

 1966年、第3回は富士スピードウェイで開催。
 プロトタイプレーシングカーの闘いになった。
 プリンス/日産、トヨタ、ポルシェなどが大排気量
のマシンで参戦し、日本のレースシーンは大きな盛り
上がりを見せた。

     ​

 1970年、日産が排ガス問題に専念するとの理由で
参加を表明し、トヨタも追随。
 JAFはグランプリの開催を断念した。

 メーカーが車の売れ行きを大きく左右するレース
人気に恐れをなしたとも語られた。


 興業が成り立たないと判断したJAFによる日本グラ
ンプリの開催中止の決定こそがプライベーターの祭典
「グラン チャ
ンピオン レース」誕生の契機となった。





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最終更新日  2018年10月09日 19時33分54秒
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