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2019年12月07日
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カテゴリ: 自動車
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​【マスタングの誕生】​
 後にクライスラーの社長となった、リー・アイアコッカ副社長(当時)の指揮のもと、第二次世界大戦以降に出生した「ベビーブーマー」向けの中型車として開発がスタート。
 1964年4月17日、ニューヨーク万国博覧会の初日に初代マスタングが発表された。
 豪華セダンに比較して、低価格、スポーティーな外観、充分な性能、フルチョイスシステムと呼ばれる多彩なオプション群と巧みな広告戦略により、ターゲットだったベビーブーマー以外の心も掴み、1960年代中盤の好景気と相まって、マスタングはフォード・モデルT以来といわれる大ヒット作となった。
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 マスタングはフォードのみならずアメリカを代表するスポーティーカーとして新たなジャンルとなる「ポニーカー」を切り開いた。
 「ポニーカー」は、スポーティーまたはパフォーマンス志向のイメージを持ち、手頃な価格のコンパクトなスタイルのクーペまたはコンバーチブル。
 後輪駆動、ロングノーズ・ショートデッキ・スタイルで、幅広いオプションをそなえた量産車。
 フォード・マスタングの好調な売行きを反映し、GMはシボレー・カマロ、ポンティアック・ファイアーバード・トランザム、クライスラーはダッジ・チャレンジャーなど米国位の各社がラインナップした。
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 ポニーカーは大馬力のモデルが多く、「マッスルカー」とも呼ばれだした。
 マッスルカーの特徴は、2ドア、幅、全長の大きな車体、大トルク・大馬力のV型8気筒エンジン搭載、後輪駆動であること。
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​【マスタング マッハ1】​
 1969年と1970年モデルのマスタング・マッハ1は、428 cu.in.Cobre Jet、1971年モデルは429 cu.in.Cobre Jetエンジンを搭載。
 排気量は7Lに達した。
 オプションのSuper Cobre Jetラムエア・インテークを装備すると、その凶暴さに磨きがかかった。
 マッハ1は、映画では1971年モデルが『007 ダイヤモンドは永遠に』のボンドカーに採用、1973年モデルが『バニシングin60″』で主役のエレノア(エレナー、ELEANOR)に採用され、約40分間の市街地でのド派手なカーチェイスシーンを演じた。
 1973年モデルは栃木県警にパトロールカー・高速取締用車両として導入され、東北自動車道を警備した。
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 1973年、第一次オイルショック発生。
 巨大な車体と大排気量による燃費の悪い車は、ガスガズラー(gas-guzzler)と呼ばれ米国で忌避された。
 米国車の巨大化が止まり、燃費を重視する方向に転換。
 1974年モデルはフルモデルチェンジ。
 「マスタングII」が正式名称となり、マッハ1はなくなった。
 スポーツモデルは1976年にコブラII、1978年にキングコブラが追加された。
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最終更新日  2019年12月07日 16時00分07秒
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