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みなさんお久しぶりです。久しぶりのネットカフェでこれを書いています。いやあ、前回の日記はひどいな。なんで、あんな下ネタを書いちゃったんだろう。やっぱり躁状態だったんだろうか。Tシャツ製作の件。5月18日頃にわが手作りTシャツはあがりました。が、出来にがっかり。現物を見て「これは売れない」と意気消沈。しかも納品はオーダーを違う色も入ったりしてショック!そら苦情だ!と思いつつも、元気はどんどんなくなって、要するにうつになり、電話すらできない状態。楽天オークションに出展するにも、アソートの内容もわからず、また、寸法も書面がないのでわからない。電話とメールで業者のキミヅカさんに問い合わせなければいけないのだが。(この日記をアップしたらやろう。)フリーマーケットのための机も買って意味なし。120センチ×80センチというビッグサイズの机をどうしよう。キャンプ用なのだが、部屋で使うべきか。部屋の模様替えで、PC用のスペースにするべきか。(ここまで書いていて、文章の下手さに我ながらうんざり。作文はもう少しうまかったはずだ。)かるい躁病だったんだよな。名刺まで作ったもんね。パソコン教室や、フリマなどで出会った人に配るつもりでいた。あのときは交流の輪が広がっていくような気がしていた。Tシャツをきっかけに知人が増えるんじゃないかって思っていた。淡い夢であったな。ブログを用意したり、ツイッターを利用しようと思ったり。そのうえ、私は転職情報のサイトまで立ち上げるつもりでいた。社会福祉法人に特化した情報サイトを運営したいって思っていた。趣味でね。自分ではそういうサイトがないからって思っていたが、あるんだな。ケアマネドットコムとか。ケア人材バンクやカイゴジョブといったサイトには私の考えている内容のことはすでにできる。最初じゃないんだな。いまはうつ状態をどうやってうっちゃるかを必死に考えています。無理かな。
2011年05月29日
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※今日はセクースについて書きますので、不愉快な気持ちになりそうな方は飛ばしてくださいね。※後輩S-かつて、この日記にしばしば登場したオンナ友達。現在36才で、幼稚園児を子育て中。おぎーのがジンセイからセクースについてまで何でも胸襟をひらける相手で、彼女の存在でかなり救われたことがある。私の妹分のつもりでいたのだが、いまではお母さん的存在になっているという説がある。◎昨日、午前、後輩Sから電話があった。いつになく、恥ずかしそうなそぶりで相談したいことがあるという。いったいなんだい?と訊ねるに、夫についての相談であった。『ダンナがイかなくなりました。メンタルクリニックへ受診しパニック障害と診断されて薬を飲んでいるのですが…。おぎーのさんも「シャセイできん!」といっていたので相談しようと思って。』ざっくりいえばこんなところである。何を飲んでいるのか聞けばパキシルとリーゼとのこと。私はいずれも飲んだことがあるし、薬の効能や副作用については知っている。射セイ困難の原因はパキシルであろう。あれを飲んでイけなくなった野郎どもの書き込みは2ちゃんねるメンタルヘルス板にいけば嫌というほど目にするものだ。パキちゃんは効果もあって、薬のおかげで仕事を遂行できているところもあろうから、やめろとはいえない。いや、十分に投薬して、「もうぜんぜんいらないよ!」とぼやく様になるまでは飲み続けたほうがいいだろう。しかし、射セイできないという問題は残る。◎『TENGAを使うしかないか。』と後輩Sはケンドーコバヤシ御用達のオナホールについて話題を振ってきた。私はオナホの使用感についてSに事細かに説明をした。「Sよ。オレは個室ビデオ屋にいってオ●ニーする時には、無料でついてくるオナホを使用するぞ。1個200円のスポンジ製なので、シリコン製のTENNGAのような高性能ではないが、コンドームをつけて差し込むと実に気持ちよく、すぐにイってしまうぞ。正直いって、薬の副作用でイかなくなったら、セクースでインサートしてもだめだ。煙が出るほどピストン運動をしても徒労感と相手に対してすまないという罪悪感が生じる。というわけでオナホでフィニッシュするというのは妙案なのだ。そこで後輩Sの内助の功が試されるのだ!」笑いを隠せないS。◎「オレが言いたいのはこういうことだ。なにもヴァギナにシャセイするだけがセクースではあるまい。オナホールというオモチャを積極的に用いてプレイをすればよいということだ。いいか、よく聞け!オナホを手にするのはSだぞ!ここがポイント。『シャセイできずに絶倫状態だ!』などと自分だけ楽しんでいるんじゃねえぞ。優しくあてがってやって目と目で見つめあっていれば、非常に照れくさい。でも、やってみさない。相当な重度のうつ症状でないかぎりシャセイできるはずだ。◎エネマグラを使うという手もある。『エネマグラって何ですか?』と後輩S。電話を片手にPCでググったらしく、『なんですか?このカタチ。どうやって使うの?』「いや、オレもじつをいえば使ったことがない。要は前立腺刺激をしてみたらどうかってことだ。強いオルガ●ムスを覚えて、女のようにイキっぱなしになるらしいぞ。」『えっ!ホントですか?』話はエネマグラへと飛んだが、前立腺の刺激がいかに素晴らしいことかについてまでは、電話では話すことができなかった。◎電話を終えると、私自身、少し活気が出てきた。目が覚めたと言おうか。人の役に少しでも立てるということは、うれしいことなのだ。(Sよ、日記に書いてしまったことを許せ。このログをYUKIEちゃんも目にするかもしれないが、決してこの話題には触れるなよ。)
2011年05月10日
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◎『福島原発を守れ』というTシャツを作るにはつくったのだが。これ、着てくれる人いるのだろうか。「脱原発!」とか、「反原発!」とかの市民団体の人、どうでしょう?賛同してくれるかなあ。『SAVE FUKUSHIMA』のタイポと『SAVE FUKUSHIMA DAIICHI』の字はOKだろうか。 ◎15日日曜日の船橋競馬場でのフリーマーケット出店をすでに決めてしまったのだ。もう、あとには引けないぞ。商品はまだ、出来ていないのに。フリマ用に3980円出して落札した机(キャンプ用)はどうも配送が15日以降になってしまうようなのだが、そうなるとなんのためのテーブル購入か。まあ、6月5日の秋葉原UDXが本番であって船橋競馬場はその前哨戦であるから、テーブルなしでもいいか。地べたに並べるか。 ◎しかし、フリマ出店っていっても商品が1銘柄って、こんなのありかな。それも、Tシャツ1枚を3000円で売って、買うやついるかなあ。ネット店舗ならわかるのだけれど、100円単位での買い物を楽しみにする船橋の家族連れが、新品とはいえ3000円の、しかもブランド物でもない、シロート特製のものを買うか(買うわけがない)。わがTシャツ製作プロジェクトは頭の中で空想している分には楽しいものだが、いざ、現実味を帯びてくると、酔いがさめるというか、躁病がさめるというか、一抹の不安がある。 ◎やはり3000円のTシャツは無謀か。でも、原価がずいぶんかかっているのだ。正直、利益なんて出ないな。「1枚売れるごとに500円を福島県に直接寄付する」という決めごとは絶対に守ることに決めたので、いくらで売ろうが、1枚売ったら500円は募金なのだ。そこが数年前に流行って、結局破たんした『ホワイトバンド運動』とは違うのだ。あれはいったいなんだったのか。 ◎当初、このTシャツの販売はネット中心で行こうと思っていた。そのほうが、値引きをせずに済むだろうから。定価で売れるなら売れるし、残るなら残る。このブログのほかに、ライブドアのアカウントを使って『SAVE FUKUSHIMA』の専用ページも用意した。ネット販売による決済の仕方も考えないといけないし、文章も書かないといけないし、ブログに誘導するための地道な作業もしないとならん。ツイッターの#SAVE FUKUSHIMAといったところをよく追って、フォローをどんどんしないといけないし。MIXIも利用しないとな。と、やることはいっぱいだ。そうすると、手で売れるものなら売ってしまったほうがよいと思うこともある。しかし、どんな輩が関心を寄せるのかな。◎フリマのよいところは、直接消費者の意見を聞くことができるところだ。原発についての意見を聞けるし、Tシャツについての評価もじかに聞ける。対面販売にはネットでは得られない情報を得ることができる。だから、ネットだけでなくて、手売りも大切なのだ。それにしても、30枚というTシャツ1つ売るのに、要する手間とか、考えなきゃならないことって、商売の基本のすべてなのだ。Tシャツ製作を始めてから、考え方が消費者から生産者へ一気に変わってしまった。お店へ行って、品物を見ても、すべて市場調査の視点でみるようになった。これは、勉強になった。結構な投資をして、その回収はなかなかに難しいが、金で買えないものを得ている気はする。
2011年05月08日
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◎本日現在、「チャリT製作プロジェクト」はいよいよ商品の完成というところの一歩手前までやってきた。前回、オリジナルTシャツ業者さんへネットによる見積もりと、店舗へ足を運んでの対面による打ち合わせについて書いた。私のオリエンテーションが済み、むこうさんのプレゼンがくるまでは、わくわく感と少々の心配がないまぜになって、ともかく、このプロセスを楽しんでいた。いつ、「こんなのどうですかメール」がやってくるかと。◎3日後だったと思う。スマホにメールが着信し、外出中の私は、メールに添付されたファイルを覗き込んだ。これが3つの案をスライドショーになって4秒ずつ画像が表示されるようになっている。まず、A案がでて「うわっ!」と声を上げそうになった。メルヘンチックなイラストでとても大人が着るにたえないものであったからだ。B案も似たようなもんだった。「オレのコンセプトをわかってないじゃん」と客である私は憤慨しそうになった。C案も小さなサムネイル画像のせいか、似たようなかんじだった。私は家に帰ってから改めて、PCに向かい、添付されたファイルを開いてみた。それでわかったのは、C案は私の発注を80パーセントくらい忠実に守ったものであったことだ。残りの2割はデザイナーの遊び心で、もともと私は作り手のフリーハンドに期待するタイプなのだ。かつて、広告の作り手であった私は、デザイナーさんがリキを入れて考えたのはC案で、あとの2つはやっつけで、C案をよりよく見せる演出として最後に持ってきたんだということに気がついた。もう、びっくりするから、最初から1つの案を提案してくれればよかったのに。私が目移りするとでも思ったのかしら。◎今回の作成は牛のイラストのタッチとキャッチコピーのタイポグラフィー処理がデザインのキモであった。プレゼンをみての私の反省点は要素をちょいと多くいいすぎたということだった。牛なら牛の絵をドン!と前面にだして欲しかったのだが、(それはうまくいくと文字はいらず、絵だけですべてを表現できることになりえた)文字も大きく処理されているので、アイキャッチが分散されるんじゃないという印象を持った。2枚のTシャツを1枚にまとめたようなデザインだったのだ。牛は3頭描かれていた。衣類のデザインになれぬ私はこれも面食らった。何度も案を見て、プリントされた完成図を思い描き、これでいいのかと考えた。結論は少々の修正というか、直しを求めるものだった。牛は1頭に。文字も追加の文句は入った。SAVE FUKUSHIMAのタイポグラフィーに追加し、やや小さな文字で「SAVE FUKUSHIMA DAIICHI」を入れることにした。この文字を入れるかどうかでだいぶ迷った。しかしながら私のチャリティーは震災ではなくて、原発事故なのだということを訴えたくて入れることにした。「SAVE OUR LIFE」というのも候補に挙げてはいたのだが。(つづく)
2011年05月04日
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◎私が訪ねたTシャツ製作屋さんは自宅から高速道路を利用して1時間ほどかかるところにあった。まあ、田舎の街にある。ネットによる製作注文だけではなく、実際に店舗を持っていた。店内に入ると、まず女性用のバッグや小物がディスプレーされた部屋があり、隣にTシャツの部屋があった。私はわき目も振らずにレジにいる青年に声をかけた。「あの、軽い気持ちで相談してもいいんですよね。」◎青年は店の店員として立っているだけの様子で、奥から20代後半と思われる女性、(まあ、お面はいいほうだ)が出てきた。私は、メールで見積もりを頼んだ「おぎーの」であることを名乗った。そして、来る前にネットカフェにこもって作った、Tシャツ図案が書かれた紙(A4)を手渡した。私は、キャッチフレーズとビジュアル、またそのおおまかなイメージが落書きされたもの、タイポグラフィーのネタ元となるTシャツをみせて、作りたいデザインをKさんという女性に見せた。◎サムネイルにはこう書かれてあった。『Save Fukushima』。ビジュアルはネットで拾った牛の絵。私は東日本大震災についてのチャリティーは企業や個人がたくさんやっている。だが、福島第一原発の事故についてのチャリティーはない。私は赤十字や共同募金などビッグネームによる、市町村の分配経路はもどかしく、現在、避難勧告を受けている市町村へダイレクトへ献金をしたい。また、みなさんにもしてみたいことを、Kおねえさんへ言った。ついでだが、私はいわゆる反原発ではないことも語り、「とにかく原発事故をとても心配する市民」というようなことを言った。私の広告業界のときに身に着けた発注法はうまくいったようで、Kさんは「ここまで、具体的に決まっていると作りやすい」といってくれた。◎店のレジ前で立ったままの発注は続いた。Tシャツを作る際に決めないと困るエレメントはいろいろある。無地Tシャツの品番、色、サイズだ。素材は2種類とした。ひとつのブランドは覚えている。プリントスターというメーカーで、Tシャツつくりの王道ブランドらしい。(おっさん世代の私からみたヘインズみたいなもの)もうひとつ、名前は覚えていないが、現在流行中の型を採用した。(ふちが細いやつ)。色はピンク系とブルー系の2色とした。サイズは米製のS,M,Lを選ぶ。このお店は、デザインしてプリントする種類は1パターンしかできないが、無地素材やサイズについては1枚単位で自由に注文できた。私の場合は2×2×3で12通りのパターンとなる。30枚のプリント枚数をどう配分するかはまったくの自由。ここで間違えると在庫の山となるので、Kさんにまかせることにした。ようはL寸はほとんどなしってこと。色もでるものと残る色とにわかれる(どうやらブルーのほうがでそうだ)。そのへんの按配はKさん主導でいく。注文は40分くらい続いた。が、これがたいへん充実し、またアタマを使う時間だった。(脳みそフル回転)帰りのクルマの中で私は満足感とわくわく感に包まれていた。(この項つづく)
2011年05月01日
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◎振り返れば今から十日くらい前であろうか。だしぬけに私は自らTシャツを製作して、皆様にお分けしたいと思い立ったのである。オレがこの世に存在しているしるしを残したくなった。しかしなぜ、そんな気持ちになったのだろうか。◎今回の東日本大震災で、ニッポンの皆様はそれぞれに被災地に思いを寄せて、ある者は東北へ足を運んでボランティアを買って出たり、また、ある者は、コンビニの募金箱につり銭を入れている。孫さんは100億円を寄付した。この私だって何かできないものかと考えるようになった。抗精神薬のジプレキサを服用するようになり、漠然たる意欲がむくむくと湧いてきた。それで「チャリT」の製作を思い立った。金?働かぬ私は父君にTシャツチャリティプランについて洗脳するがごとくにアピールをした。私の言い分は、(私はようやく快方に向かいつつある。まったく何もする気になれなかった自分が、非常に意欲的にTシャツを作りたいと思い、ノートにサムネイルやキャッチフレーズなどを書き込んでいる。オリジナルTシャツについて考えているだけで、私の心は充実しわくわくしてきた。ちょっと考えてほしい。つい最近まで、精神病院への再入院を考えていた私がこんなにわくわくしているのだ。じっさい、仮に入院をすれば一ヶ月で8万円くらいはかかってしまう。社会から遮断された世界でその日をやり過ごす一ヶ月より、Tシャツ製作プロジェクトに精を出す一ヶ月のほうがどれだけマシか)と。◎父は、今後、私がTシャツ販売で生計を立てようともくろんでいるとおもったようだ。いや、そこまでは考えていない。自分が作ったTシャツを見知らぬ誰かが着ているという状況を夢想しただけで広がっていく夢気分。こいつを味わいたいのだ。確かに抑うつ状態だった人がいきなりTシャツを販売したいなどと思うのは、躁転の可能性があった。気をつけているのだがついなってしまう瞬間的躁転。躁と鬱は合わせ鏡。はじめのうち、私はなんとアパレル業者とコラボレートして、メジャーの販路に乗せたいとまで考えていた。学生時代の友人にアパレル経営をしている者がいて、10年ぶりくらいに彼に連絡をして、Tシャツの販売のプロセスを教えてもらい、できれば一口噛んでくれというつもりでいた。広島の自宅に電話をしたが、見知らぬケータイ番号のせいか、相手が電話にでることはなかった。それで、私は結果として恥を掻かずに済んだ。やっぱり躁状態であったのだろうか。ああ、そうだ、恥を掻く行動はもうひとつあった。私はブログで知り合ったグラフィックデザイナーの女性にイラストを発注していた。メールの返信がいつまでたっても来ないので、私は相手の心を凍らせていることに気づいた。気づいてすぐにごめんなさいメールを送ったが、相変わらずレスはやってこない。まあ、しかたがない。自分を戒めたが、Tシャツ製作をやめるという気持ちにはなれなかった。◎私はヤフー知恵袋に製作の道筋について相談してみた。回答は1件あって、かいつまんでいうと『チャリティーのTシャツをつくることはよいことだ。町のTシャツ屋さんに見積もりを取ってもらって相談しなさい。友人、家族からはじめて、広げていたらよかろう。』ということだった。回答はやさしく、丁寧で、そして一般人が業者のようにTシャツを売ることが大変難しいことを諭していた。瞬間躁病の私は少々不満もあったが、一方でそれが現実だなとも感じていた。さっそく、ネットで手作りTシャツ販売の業者を探して、比較した。結果、回答者が教えてくれた業者に見積もりをとってもらうこにした。このときの私は冷静で、Tシャツの製作枚数は50枚であった。2色刷でプリントが2箇所の私の要望に対して、8万5000円かかるということだった。うーむ、そんなにかかるのか。(この項つづく)
2011年05月01日
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