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大阪の公園に住むホームレスが行政当局により強制撤去された。ずいぶんと混乱した様子だが、私が腑に落ちないのはホームレスの支援者の存在である。彼らの目的はなんだろうか。そもそも不法に占拠しているわけでしょ。大阪市は何も死んでしまえといっているわけではない。自立支援センターへの入所を求めているのだ。居住を与え、職の相談に乗る。人としての最低限の暮らしを保障する義務が行政にはある。医療が必要な人もいるだろうし、場合によっては生活保護の支給もされるであろう。彼らはそんな行政のシステムに従うことが嫌らしい。が、それは勝手すぎやしないか。先日の大阪地裁は、ホームレスが公園の中で居住することを認めてしまった。住民票も取れるわけだ。大阪市はもちろん認めず、住民票の受理もしていない。当然であろう。これを認めてしまうと、のっぱらや、国立公園内等に居座り、何年かの実績を得れば住めてしまうのだ。住民基本台帳法が出来たがために、こんな妙な判決が出ることとなってしまったのか。人間にはホームレスをする権利がある、と主張する人もいるのかな。私ははっきりいう。ホームレスは行政の怠慢により発生している分には仕方ないが、そもそもホームレスを堂々と行う権利はない。人間には権利と義務が課せられるが、人は基本的な人権が尊重されるとともにまっとうな居住をする義務もあると思う。彼らには福祉の援助が必要であり、それは本人の同意うんぬんと関係なく介入しなければならぬ。例えばゴミ屋敷の中で生活する住民に対しては、衛生的な生活をするように援助する必要がある。話し合うほか方法はないが。「本人がそれでいいんだからいいじゃない。」という考えもあろう。それに1つ1つの個別のケースはみな難しい。それぞれの生活歴があり、ホームレスに到る過程はそれなりの理由がある。しかしながら、援助を拒否する人々も、一方で不安な中で生きている。極楽だと思っている人はごく少数だろう。彼らの中には厭世観がある、もう世の中に期待したくないという気持ち。その気持ちに追い討ちをかけるような支援者の存在には困ったものである。
2006年01月30日
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この事件の映像を見て私が気になったのは、女性たちのファッションセンスである。なんというか、簡単にいうとダサい。冬なのにノースリーブやミニスカートを履いている人もいる。場末のスナック以下だ。今日日、タイのド田舎から入国したてのホステスですら、もうちょっと垢抜けているものだ。スキンヘッドのおっさんは簡単にいうと、インチキな占いで脅して、洗脳したのであろうが、やはり寄ってきた女性はそれなりの女性であった。そのへんはほっとしている。このケースは恐喝が立件されそうなので事件となったが、根本は細木和子の恫喝も同様であると思っている。だからといって占いを全否定をするつもりはないが。誰かの指南を受けたいと思う気持ちはもちろん私にもあるので。洋服のセンスの話に戻るが、特に女性にとってその嗜みは重要である。服装は社会と結びついているので。ファッションを磨くことが、ひいては人生の歩みを正しく導いてくれる。これは何も高価な服を着れということではない。世の中の空気とマッチしていればそれでよい。私は付き合いかけた女性のファッションセンスがどうしても我慢ならなくて、結局、別れてしまったことがあった。これは正しかったと思っている。デート時にディズニーキャラクターづくめの服装で来られては、男はドンビキとなってしまうのは致し方ないだろう。
2006年01月29日
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裸のカセットテープがひょっこりと出てきた。『LOVE SONGS』とラベルが貼ってある。どうやら90年頃に私が持っているCD等より編集したようである。記憶がないのだ。とりあえず再生すると1曲目はXTCのシャレた曲だった。2曲目はスペシャルAKAで不思議なオリエンタルムードの曲。次は高中正義のアコースティックな自身の焼き直しである。4曲目はトッド・ラングレンのアカペラであった。かっちょいいよ。5曲目は真夏の果実(サザン)のカヴァー曲。イージー・ラバーをフィル・コリンズと一緒にやってヒットさせた、あいつである。名前が思い出せぬ。こう書き連ねると、アーティストの傾向がバラバラのように思われるであろうが、なぜか一定のトーンが保たれている。記憶はないが、当時の私はきっと熟慮しながら選曲や曲順を決めていたのではないかと推測できる。ここまでは通な選曲。当時流行ったカフェバーの雰囲気。6曲目はレニー・クラヴィッツの「ママ・セッド」である。ここらでひとつ、盛り上がりたかったのか。おっと途中でテープは切れてB面へ。すると1曲目はおおたか静流ヴァージョンの「花」である。キナ昌吉のあれである。いったいどういう心境の変化か。2曲目はしんみりと井上用水の「帰れない二人」であった。いい曲だなあ。「もう星は帰ろうとしている。帰れない、ふたりを残して。」この曲はR社で深夜残業しているときに同じ年のチーフ(女性)とよく聴いた。なんか妙なムードになってしまうのだが、彼女は用水が好きなのでベスト盤をよくかけていたのを記憶している。彼女は今頃どうしているだろうか。3曲目は、キョンキョンの「あなたに会えてよかった」だった。B面は、オサレというより『LOVES ONGS』としてベタだ。このへんでムードのある曲で攻めていく魂胆であったのか。当時の編集テープの目的は、クルマ内でのムードの高揚である。使えるテープの作成に余念がなかった。4曲目は森高千里の「雨」だ。もうベタベタだ。どうやらB面は邦楽と決めていた様子だ。90年頃は森高が流行りました。オレ、ワーナーパイオニアにファンクラブの問い合わせしようとしていたくらいだもん。会社の自分の机の背中あたりに森高の巨大ポスターを勝手に貼っていた。火星人や金星人のバルーンが上がっている会社なので、これくらいは許された。それに当時のセンスとして、森高はぎりぎりインであった。これが松田聖子だったら完全にアウト。クリエイターとしてNGである。5曲目はなんとプリンセスプリンセス。己がプリプリの音源を持っていたとは。「♪キッス、ラブ、キッス」と歌っている。6曲目はフライング・キッズの「幸せであるように」だ。イカ天だ。このバンド、よかったな。今、どうしているのだろう。今のバンドでいうとウルフルズの東京板といってよいのでは。7曲目はRCサクセションの「わかってもらせるさ」この曲も大好きな曲だ。歌詞の内容はそのまま高校当時の私の気持ちの代弁だった。「この曲のよさが、いつか君にもわかってもらえるさ」これで、締めなんだろうね。と思いきや8曲目があって尾崎亜美の「あ、気持ちが動いてる。たった今、恋をしそう。」この文法無視の言葉がいいなあ。初めて聴いたのが小学6年生の時。私のハートを捉えました。曲名はマイ・フェア・レディだっけ。テープはここでも終わらず、竹内まりあのダンス・ダンス・ダンスである。旦那の達郎全面バックアップの名盤「リクエスト」の1曲目だ。このアルバムは大学4年の頃、さんざん聴いた。スタカンと同じくらいヘビロテだった。ゼミ仲間の赤星君も私と同じで「リクエスト」が好きで、一方でスタイル・カウンシルも好きだった。音楽のセンスが同じだったわけだ。やつもどうしているのかな。ようやくこれですべておしまい。昔のカセットテープを捨てることができない。再生すると当時、何を考えていたのかが思い出されるのだ。あまあまな人生設計。若いって素晴らしいね。でもこの選曲を「好き!」って言ってくれる女のコが周辺にあまりいなかった。その前にクルマ持っていなかったのを思い出す。青春ははかないものだ。
2006年01月29日
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ビジネスホテルの『東横イン』の施工の不正が問題となっている。設計図では身障者用の駐車場がじっさいにはなく、障害者用の部屋も倉庫等に変更されている。記者会見で、社長が「60キロ制限の道路を67~8キロで走って捕まったようなもの」等、完全に開き直った答弁をして、日本車椅子協会が抗議をしている。全国の行政官庁も『東横イン』の施工について早急に調査をせねばならず、波紋が広がっている。ニュースを見れば詳細はおわかりになると思うので、ざっとあらすじを書いた。まず、私が言いたいのは社長の答弁のお粗末さである。彼はホンネで応えたかったのであろう。(年に1度来るかこないかの身障者のために空間を作ることは効率的でない。こちらも商売だ。それに施工図で設計を変更することは、ほとんどの建築物で行っているではないか。我々は運悪く見つかってしまったということ。見つかったからには、仕方ないから、直しますよ。)経営者の気持ちとして十分に理解できることだが、それをTVカメラの前でいっちゃ、おしまいよ。ワンマン社長らしいが、メディアの怖さの認識が甘かった。この事件の背景には平成6年に施行されたハートビル法という法律があるとのこと。バリアフリーの社会を作っていくために、建築物にバリアフリー環境を設けるように定めたのであろう。私はこの法律をもちろん歓迎するが、ただ、都市型ビジネスホテルに必要かという実際上の疑問はある。障害者の正社員としての雇用率はたった1%なのである。車椅子のサラリーマンが地方へ転勤する機会はどれほどあるのだろうかという疑問である。日本においてのバリアフリーはアメリカよりずっと遅れているらしい。私の周辺を見回せば、ノンステップバスが増え、駅には障害者用のエレベータも設置されるようになってきた。デパートや大型小売店においては障害者用トイレはほぼ完備されているし、駐車場もちゃんと専用レーンがある。車椅子使用の母を持ち、また仕事で障害者の職場復帰のケースをあたっての結論。それは日本のバリアフリーはまだまだ介助者がいてのバリアフリーだということだ。バリアフリーという社会資源は点としてなし、線としてはまだ繋がっていない。例えばノンステップバスだが、車椅子では実際は不可。片麻痺で段差を自力で移動できる介護度1の人でどうにかできる人もいるが、もちろん介助者がいる。都営バスは車椅子用の空間があったように記憶しているが、私が住む町では、ノンステップバスに乗ったのはいいが、降車ボタンの手が届かないのだ。行政の考えるバリアフリーではこのような不便が付きまとう。駅にエレベータを作っても、その場所まで行くことができぬ。例えば京葉線東京駅の地下ホームにはエレベータが設置されているが、一度も使用しているところを見たことがない。なにしろそこまで自力で移動することがほとんど不可能だからだ。杖による自力歩行ができればどうにかなる。一度、半身麻痺の企業戦士の職場復帰のために郊外の自宅より、東京駅まで一緒に同行してその人と一緒に歩いた。とにかくバリアフリーかどうかは、障害者が移動してみるしかないのだ。結論からいえば、車椅子での公共機関の利用は非常に難しい。駅員4名体制が必要。これは今後も変わらないだろう。公共の施設では自分のお金で作るわけではないので、ほとんど誰も使わぬエレベータもできる。が、『東横イン』のようなコスト削減で成り立っている事業においてはなかなかにできないことだろう。行政は、もちろんそんなことを考慮はせずに十把一絡げにする。そこに問題がある。私はビジネスホテルがバリアフリーである必要はないと思っている。ただ、条例として定められているのだから、法は遵守しなければならぬ。バリアフリーであるとかユニバーサルデザインであることには、その思想のコンプライアンスが社会にあるのかどうかが重要である。バスの話に戻るが、ヨタヨタした御婆さんが乗ってきた際に乗客がおとなしく待っていられるか、ということなのだ。もちろん運転手は介助してあげねばならない。ハワイのバスではまず問題はなかろう。東京においてはどうかというと美濃部都政時代よりの福祉の効果がきいていて、日中のバスはフリーパスを持った高齢者だらけだ。なんとか大丈夫。ならば大阪や名古屋ではどうか。世界一早く歩く人達に受容できることはできるか。(これ、私の先入観がいっぱい入っている)話をホテル滞在に戻す。障害者用の車両により移動するビジネスマンが出張する際にはどうすればよいのか。ビジネスホテルのバリアフリーはどうする?という命題に行き当たる人がいらっしゃるだろう。答えは簡単。ビジネスホテルではない、ヒルトンホテルとか東急ホテルとかに宿泊すればよい。サービス内容は、ちんまりしたビジネスホテルとは大違いであろう。ならばその宿泊料金の差額は誰が出すのか、ということだが、会社が出せばよし。その人をそこへ出張しなければならない用事があるのだから、仕方ない。この按配こそがハワイのバスに繋がっていく。健常者の社員で不服を言う者がいるのだろうか、現在の日本の社会で。『東横イン』の社長の会見はお行儀として最低であったが、行政のよくあるお体裁主義にスポットを当てることになればいいのではないだろうか。ならないか。耐震偽装の一件にも通じるが、書類完備なら何をやってもお咎めなし!の行政のシステムがそもそも問題あり。もっと社会を肌で感じましょう。駅で車椅子の人を見つけたら、男子諸君は率先して階段移動に手を貸してあげましょう。それで10分遅刻してしまっても上司は許すべし。そんな社会通念が形成されてはじめてノーマライゼーションが確立されるのである。
2006年01月28日
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親父のメビウスモバイルに水をかけてしまった。キーボードがでたらめとなる。そんなわけで、アパートにあったもうひとつのB5ノートを繋げるためにLANアダプタをヤマダ電機に買いに言った。こうして現在、日記を書ける環境にあってありがたいが、メビウスがかわいそうである。修理すれば4~5マンかかるだろう。放置することにした。B5ノート(ソーテク)をネットに繋げて、とりあえず2ちゃんねるを見ていると、いきなりウィルス検知。削除できぬと。かかったウィルスの情報をとりにいくと、トロイの木馬と書いてあった。(翻訳ソフト使用)いつウィルスにかかったのか、見当がつかない。現在、PC全部をスキャン中だ。ノートン先生は、ウィルスを見つけてくれたのはよいが、ファイルの削除もできぬとはいったいどういうことだ。購入以来、インターネットセキュリティを入れているのだ。おかげで、ペンティアム3のXPはいつでももっさりと動く。だからときどきオフにする。もっとも効果的で動作が速いウィルス対策ってなんだろう。いちおうプロバイダのウィルス防止にも入っているのに。OEは使用していないから、ウィルスをばら撒いてはいないと思うのだが。どうだろう。OSを再インストールしないといけないのか。それとも放置していればよいのか。わからん。
2006年01月27日
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春駒さんの「金で買える女」という日記はとても興味深かった。お金で買える女はすべて売春婦であると、彼は断言している。フィリピン女に貢いでいたこの私も痛いところを突かれた気もした。そして私は結婚制度そのものに思いをはせるのだ。夫がせっせと働いて給与をお家に入れて、その代わりに家事やセックスを提供する妻、という夫婦関係はどうだ、と。極端な話だと、わかっちゃいるけどやめられない。パパは会社で骨身を削って働いて、奥さんはテニスをしたりファミレスでお茶をする光景をみると、そんな気がしてしまう。私が東南アジアの女性に入れ込む理由に、ファミリーを大切にする保守的な考えが彼らのベースにあるところがある。彼らなら障害者の母親の面倒を看てくれるのではないか、と要するに私は、やや見下しているわけだ。じっさいマリエルはやってくれませんよ。前回の結婚で姑との同居は懲りたらしい。介護とか家事といった労力について、日本と東南アジアの経済格差を利用しようと目論んでいるのに違いないのだ、私は。母が骨折をして施設入所中である現在においては、もう、そのへんのカラクリを剥き出しにしてでも嫁さんという労働力を獲得したくなっている。一人息子で独身で、これで親父がボケたらもう一家はおしまいだ。今後の行く末を考えるとガクガクブルブルだ。どうしたらいいのだろう。10年前より予想はついていた事だが、嫁さんとなる人を労働力・介護力として考えてはいけないという思いがあって、そんなよこしまな考えをしないように努めてきた。そのしわ寄せが場末のスナックへ足を運ばせる要因となったのである。タイ人の女性は夫の親は自分の親と同様だと考える。その逆もあって、彼らの親は私にとっての親でもある。フィリピンにおいても結構、近い。カトリックはそれこそ映画ゴッドファーザーのような互助会システムが成り立っているのだ。私のソロバン勘定は道義的にけしからんのだろうか。皆さんのご意見を賜りたい。
2006年01月24日
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ほんの15年前、ふつうの会社にパソコンなんて数台しかなかった。R社は就職情報誌を作る会社だったが、原稿はすべて手書きだった。会計とか、ページの枠組みとか、PCを使うことは限られていた。今から思えばおかしな話だが、ワープロではいい文章は書けないと本気で思っていた。湾岸戦争が終わった頃の会社はそんなものだった。世の中が大きく変化したのは、やはりウィンドウズ95が出てからだろう。私は95年の冬に漢字トーク7.5の入ったマックを購入したのだが、当時、ウィンドウズはマックのモノマネだと思っていた。現在の会社においては、ウィンドウズなしにはありえない。この15年間でコンピュータは飛躍的に進化したが、我々の業務はぜんぜん楽になっていない。むしろ厳しくなっていると感じる。これ、おかしくはないか。60年代、高度成長期における日本の会社は、黒電話ですべてやり遂げていた。電話交換手がいたり、ガリ版を用いたり、手でぐるぐる回す計算機を使った。クレイジーキャッツが出てくる映画を観ると、机の上はいたってシンプル。通信手段が限られたビジネスでは、とにかく対面が大切。ルートセールスとか御用聞きとか、とにかく定期的に人がぐるぐる訪問するのが重要な仕事だった。大学を卒業すればホワイトカラーの職に就けた。昔の学生さんは優秀だったのであろう。通信のシステムが飛躍的にアップすると、情報の格差や流通の差がなくなり、均一な世の中になっていく。学歴や世代間の賃金格差がなくなっていくのではないか。いわゆる職人とか、熟練ということで高給を得ることが難しい世の中になっていく。流行を作ったり、新しいビジネスモデルを構築する人はどこから生まれるのだろうか。
2006年01月24日
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株式投資の本を読んだ。『普通のサラリーマンでも15年で2億円作れる』(四谷一著)である。この本は私がお気に入り登録をさせていただいているカンガエルさんに教えてもらった本である。何ヶ月も前に購入しておきながら、装丁のデザインとタイトルに如何わしさを感じて読んでいなかった。読む前に悪い先入観を抱いてしまったのだが、改めて読んでみると、とてもまっとうな解説書であり投資法であった。バリュー投資という方法はとてもリスクが低いことがよくわかった。本の構成もよくできていて、私のような数学オンチの人間にもスイスイと頭に入ってくる。よい本を紹介していただいた。ありがとうございます、カンガエルさん。四谷氏は27歳の時に投資を考え、貯金のためにクルマを売った。懸命である。サラリーマンとしての人生をきちんと送り、結婚もし、マンションも購入し、その上でコツコツと貯金をして種銭を貯めた。私はまずここから始めなければならぬ。彼のいう「ラットレース」にはまり込み、刹那的な人生を歩んできた私はちょっぴり目が覚めた気がした。株式投資という希望を持てば、節約も苦しくないだろうし、今後の生活に夢も持てる。明確な夢を持つことは生きる上で大変重要なことだ。私は今後の5年間で、投資のスタートラインに立てるように、と思った。先行きの見えない現在において5年間というスパンで物事を考えたことが実はなかった。まさにきりぎりす人生であった。5年後の市場がどうなっているかは誰もわからないのだが。サラリーマンとしての人生は一度コースから脱落するとなかなか戻って来られないものなのである。それで、たいていの人は逆転のホームランばかりを夢想してしまう。スイングが大ぶりになって負けが負けを呼ぶ人生となる。私は今後の5年間をしっかりと耐え忍ばなければならない。マイナスからゼロに戻るのは大変だが、ここはしっかりせねばならぬ。今回のライブドア騒動で、信用買いをして全力投資してしまった人たちを私は笑うことができない。私だって、やりそうなことだ。いわゆるギャンブルとしての株をやりたくなるのは人情だ。堀江氏は株という人の煩悩をうまく利用した。天才といってよいだろう。事業内容がはっきりとしていないことはシロートでもわかることなのに、これだけひっぱって来られたのだ。あの錬金術はなかなかに賢いと思う。それにしてもライブドア以外でも同様な手法をとっている会社はなかろうか。サイバーエージェントはどうだろうか。インテリジェンスもどうか。楽天もどうか。IT関連に対する胡散臭さは私の脳内では全開だ。
2006年01月21日
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今日も社会は動いている。よくわからないことには口を挟むべきじゃないのだろうが、ニュースを見るに、ついつい株のしくみにアタマがいってしまう。価格はいかにして決定されるのか?という大問題をぼんやり考える私は大馬鹿者だ。まずは働け!だが、社会復帰までもう少し時間がかかりそうなのだ。それにしても学生時代に私はいったい何を学んできたのか。「完全競争論」とか「不完全競争論」とか「くもの巣の定理」とかチェンバレンとかガルブレイスとか、記憶は遠い彼方にある。専攻は産業組織論であった。ハイエクという人の本を読んで論文を書いたはず(写し書き)だが、難しくてよくわからなかった。理論経済って、結局、現代思想のようなところがあって、社会はどうなっていくのか、またどうあるべきかを考える難解な学問である。そのような難しい学問は一流大学の学生に任せておけばよくて、三流の私は、日本経済新聞の読み方でも勉強すればよかったのだ。当時は馬鹿にしていましたよ、そういうゼミを。「そんなの新聞を読めばいいんであって学問じゃない」と思っていた。日経を読まないのに。経営学について無関心であったのは、数字に弱い自分をごまかすため。また、そんな実学はなにも大学でなくてもできる。理論経済は大学でないと学べないだろうから、とかっこつけていた。馬鹿だ。限界効用など、「効用」という考え方は好きだった。例えばビールがコップに5杯あるとすると、効用は最初の1杯目が一番大きくてだんだんと低減していく。これは納得できる。だから、りんごとみかんがあったら、りんご9個とみかん1個を選ぶより、りんごとみかんを5個づつ選ぶのが一番効用は高い。20万円という月給があったら、それを10万円分スナックで散在するのではなくて、食費、家賃、光熱費、娯楽、となるべく均等にする。娯楽の中の『CD』というカテゴリーを取り上げると、ビートルズのアルバム10枚を買うよりも、ストーンズ、フー、と様々なバンドを買うほうが効用は高い。嗜好という概念を無視するとそうなる。学校で学んだことがぜんぜん実践できていないぞ。完全競争論の場合は、物流や情報といったことを考慮していないから1円でも安い製造業者がいれば、そこに価格がいく。インターネットの世の中になると結構有効な理論になったりして。IT化された社会は結構、理論経済の条件に接近するな。株価も妙な上がり方はしづらいだろう。バブル期の状況と現在とではまったく違う。(それにしても両親に苦労をかけて学校に行きながら、経済のことはこのくらいしか語れないとはお恥ずかしい。)理論のとおりになると、すべての人が必要最低限の暮らしをする社会になってしまう。需要曲線と供給曲線が交わるあの点で価格が決まると、そして企業がみな同質で、運賃も一緒で情報も一緒で商品に趣味嗜好がないと、決定される価格は企業が生きる上での必要最小限の低さで決まる。これ、とんでもないデフレじゃん。ミクロ経済学って夢がない。ロビンソンだかヒックスだか知らないが、資本主義の行く末の夢のなさを思い知ったぞ。価格は受給の交差する点で決定されているわけじゃないんだよ、ヒックスさん。それより高いところで決定されるよ。だって設備投資とか広告とか社会保険とか企業はいろいろお金がかかることを考えて値札を付けるでしょ。高くても売れることもあるし、原価割れしても売れないこともある。価格の決定というとんでもない問題について論じる俺たち(価格決定論の人)はお馬鹿さんだ。嗜好とかイメージとか流行とかムードといったよくわからない要素を前提よりはずした価格決定論の意味とは何だ。ダメだ。机上の空論をえんえんと考えていたらアタマが痛くなってきた。バファリン、バファリン。『バファリンの半分は優しさで出来ている。』ってコピーの価値は、チェンバレンにはわかるまい。このところ、グダグダの日記が続くぞ、なんとかしろ自分。
2006年01月19日
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実家のAVモード周りが大幅リニューアルされた。テレビ、ビデオデッキ、古いオーディオが廃棄されて私の小さな物に入れ替わったのだが、親父に一言いいそびてしまったことがあった。デジカメで後ろを撮っとけ!機械オンチの私はこんな配慮なら思いつく。実際には(日通じゃない)零細運送親父がエイヤ!と父に考える余裕を持たせずにはずしてしまった。残骸となった何本もの配線コードが山となって残っていた。親父は私と違って細かいことをやるのが好きだが、さすがに高齢で目もよくみえず、私も手伝うことにした。が、いつも業者まかせの私には入力と出力の意味すらわからないのである。テレビとケーブルチューナーを接続することは出来たがなぜか、DVDデッキをうまくセットできなかった。昨日の夕にケーブルTVへ電話をしておいたら、今朝九時にいきなり電話がかかってきた。出張するとお金がかかるので電話でやりましょう。と係の男がいった。私は大人しく従い、彼の問いかけを忠実に守りながら線を抜いたり刺す行為が10分以上続いたのである。私は彼にとって忠実なアシスタントのはずだったが、うまくいかない。彼のイライラを電話口より感じると申し訳なく思う。電話はコードレスではないので、電話機を転がしたりAVボードに体をぶつけながらコントのようであった。結局、60代のおっさんが出張してくれた。無料だった。はじめの話では5250円の出張料金がかかると言われていたが。私は勝手に、私が彼のアシスタントとして忠実に任務を遂行したので料金は請求されなかったのではないかと思っている。出張のおっさんは何がいけなかったのか説明をしたが、早口で何をいっているのかよくわからない。違反駐車が気になっていて心ここにあらずなのだ。とにかくおっさんを気持ちよく送り出すように努めた。
2006年01月19日
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引越し業者は予定の時刻より早くやってくる。早く終えたいからだ。これまで単身パックや中小の運送業者等、何回か引越しをしてきたが、今回は業界大手の日通である。株式投資家のみなさんへ。日通はすごいでっせ。日通のマークが入った2トントラックに3人乗ってやってきた。まずトラックに頼んだ業者のマーク、これ重要。かつて黒猫マークの単身パックの際には丸投げを象徴するかのように関係ないトラックと関係なさそうなスタッフがやってきた。そして仕事がえらく早かった。「どこに置きますか?」とせっつかれるとアタフタするものである。今回の責任者の男はまだ20代前半のラモーンズみたいな長身男である。50代の男と60代の男がアシスタントでいて、ここにも不景気の風を感じた。茫洋とした責任者は部屋にある物品をゆっくりと確認し、トランクルームに入れる分と実家に入れる分を確認した。先日の営業マンが丁寧につけていったチェックシートがすっかりアタマに入っている。また、昨日の家政婦が梱包していったダンボールはサイズにより用途が決まっており、ダンボールを見ると衣類が何箱とか書籍が何箱とか目で実感できるわけだ。すでに大まかなカテゴリー分けがなされていた。若い責任者は言葉すくなに簡潔に他のおっさん二人に指示を出す。彼はわりと簡単な梱包を50代のおっさんにやり方を教えながら、一方、カッターでボールガミやプチプチを切って難しい書棚や照明、デスクトップPC等の梱包を手品のように包んでいった。エクセレントな仕事ぶり!なにしろ、我が家具が引越しの際に梱包されたのは初めてだったのだ。引越し業者という人たちは手荒に勢いでエイヤ!とやっつけるものだと思っていた。梱包も一種の瞬間アートだ。私と父ととにかく邪魔にならないようにしながら彼等の仕事ぶりを眺めていた。40分ほどして若い責任者は「一服してもいいですか。」とややぶっきらぼうにいった。感情を抑える所作振る舞いはまさしくプロフェッショナル。親父と二人で『どうぞ!どうぞ!』ふと、喉の渇きを覚え、自販機に行こうと思い、次の瞬間『あ、この人たちにも。』と気づく。親父が『いいんでしょ?』と尋ねると責任者は「なんでもいいですよ。」とやや、ぶっきらぼうにいった。肯定でも否定でもない物言いはやはりプロだった。親父が皆さんに何にする?みたいなことをつぶやいたので、『こういう時の休憩は缶コーヒーと相場は決まっている。』と私がいうと、60代の親父がにっこりと笑った。現場で仕事をする人は缶コーヒーを休憩時によく飲んでいるもの。営業のMさんのところにいるんですか?と「ええ。」と言葉すくな。午後もあるんですか?と聞くと「…いや、まだわかりません。」営業のMさんが決め手で(日通に)決めたんですよ。というと、不敵な笑みを浮かべた。60代のおっさんは「営業もコレ(ラモーン)も両方当たりだね」と茶化すようにいった。ラモーン氏は日通の社員だと私は勝手に思っているが違うのかな。仕事ぶりは丁寧で教育がよく行き届いていますよ。椅子を使って照明を外すのにいきなり足を乗せず、ダンボールを置くのだ。ニトリで購入した安家具がこんなに丁重に扱われるとは(泣)実家に置く物を配置し、いよいよトランクルームである。240センチの高さがある3畳の部屋だ。ここに「日通」マークのダンボールや巨大ソファを入れるのだが、彼はしばらく部屋を見て長考した。要は3Dのパズルなのである。彼の指示でおっさんどもが物を持ってくる。きっちりと入りました。これ以上ないほどに効率のよい配置だ。実はトランクルームの広さを4畳半にするか3畳にするかで迷い、狭い方を選択した。営業M氏も「うーん」と熟考した。プロも唸るほどにギリギリだったわけだ。ラモーン君はここでもやっつけ仕事ではなく、何を手前に配置したいか尋ねてくれた。答えは『CDを手前へ』である。私がスーパーでもらったデコボコのダンボールではなく業者ののダンボールだからこのような高等のパズルも可能であった。引越し王日通に感謝。※(注)念のために追記しますがラモーンって、レイザーラモーンHGじゃないですよ(笑)NYパンクのラモーンズのボーカルのごとくポワンとした風情の長身だという意味です。
2006年01月18日
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ライブドアの粉飾決算は私に直接はなんの影響もないのであるが。間接にはあるのかもしれない。今朝の会見のこと。強制捜査から一夜明けたホリエモンの記者会見を見た。その表情がすっきりしているように伺えたのである。この期に及んでスッキリとした顔を5分間の短い会見とはいえ、報道を前にみせることができるのは凄いヤツだ。何連勝も続けていた将棋の名人が投了し、ペコリとお辞儀をしてから扇子で顔を仰いでこれまでの要所について振り返るような。そんな表情だった。彼は稀有のゲーマーである。人生の大博打をし、周囲をもどんどん取り込んでいった。ホリエモンの信者は、株式の理論がどうのこうのというよりも堀江氏のキャラクターを信じ込んだ。それはマルチ商法にはまり込んで活き活きとした人たちと近いものがある。ライブドアの株を買った人たちすべてをバカだというのではない。賢いデイトレーダーはライブドア株をそういうものと見切りながら短く短く売り切っていたのであろう。現在、空を仰いでいるのは信用買いで買った人たちだ。大変なことになってしまいましたね、と同情するしか周囲の者には方策がないが、とにかく命だけは大切にしてほしい。多重債務者となってしまった方には、専門の弁護士に御願いして自己破産することをお薦めする。千マサオを見よ、何百億も借金を抱えながら歌っているぞ。なぜ私自身に間接的に影響があるかといえば、私自身はこれまで身を粉にして働いてきた。介護保険という新しいシステムに同調して頑張ったあげく、生活は不安定になり、将来もおぼつかなくなった。努力は報われるということを信じていたが、人生はそうままならぬものでないことを知った。生活への上昇志向や向上心があったがために失敗することがあることを知った。要するに、私は6年前、ケアワーカーさんとして高齢者の介護現場にそのままいたほうが、仕事も楽な上に生活も安定していたのだ。福祉の制度は企業の競争原理とは別のところにあって、お役所が報酬を決定する。その額が事前に言われていたよりずっと少なかった。己の努力とはまったく関係のないところで運命が分かれるところに合点がいかないところがあった。株式市場はその点、真っ正直なシステムである。株価の高低については神のみぞ知るところだが、レギュレーションはみな同じはずである。なのに、ライブドアは粉飾決算というインチキをした。罰せられて当然なのである。要するにせいせいした気持ちがした。間接的影響とは、このせいせい感だ。汗をかく人が報われない世の中が嫌なのである。ここでいう汗とは肉体労働することだけではなくて、例えばPCの前に8時間も向かいキャドで製図を書く設計士さんの汗をも指し、お得意さんから値引きを強要されてビクビクしながら社で上司と検討する営業マンをも指す。税理士さんの報酬も大変な割りに安いらしい。もちろん汗をかかずに素晴らしいアイデアで大きな報酬を得る人もいるし、エンターテイメントで成功すれば突然大きな報酬を得て当然だ。金融をやるのがいけないのではなくて、世の中にうまい儲け話があり実際に儲けてしまっている人物がいてそれがもてはやされる社会だ。機会均等の世の中であれ。敗者が復活できる世の中であれ。それはホリエモンにしても同じであり、また彼ならこれで終わりとはしないであろう。会社は存続するだろう。彼はそれをよくわかっているから徹夜明けでもスッキリした表情でいられたのであろう。いかに汗をかかないようにしてお金を得るのかに汗をかく人もいて、話が複雑になってしまうがそんな人が世の中にいてもよい。国策捜査であろうが、私は地検の徹底した捜査を望むが、ホリエモンはホリエモンでその調子でやればよい。彼に聖人となれとは誰も望まないだろう。付和雷同してしまった人はこれを機に頭を冷やすがよかろう。ライブドアの粉飾を指摘していた凄い人がいた
2006年01月18日
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私にはどうでもいいことだが。ホリエモンおよびライブドアはどうなって行くのだろうか。押収されたPCは、例えデータを消去していても警視庁のハイテク課により復帰されるのだそうだ。電源を立ち上げずに専用の機械を使ってHDDを読み取るらしい。PCという物はそもそも完全なるデータの消去はできぬモノだとのこと。トンカチでHDDを粉砕するしか安全な方法はないらしく、IT業界のライブドア社においてもイザという時のトンカチを装備しているようには思えないので、メールの内容は当局によって暴かれるであろう。役所が紙にこだわることが理解できるようになった。紙はシュレッダーにかければ消去できる。その逆も真なりで、大切なデータは紙で保存することが現在の社会にあって最も信頼できるのだ。ライブドア社にはいわゆる稟議書を回すというシステムはなくて、意思決定はすべて役員間のメールによるものであった。地検のあのスピードであえば紙であってもシュレッダーにかける時間はなかったが、例えあったとしてもIT化された社においては証拠の隠滅は難しいことであったはずだ。ホリエモン、まさかウィニーはやってないよね。ホリエモンの自宅PCよりエロ画像が発見されて、それが公表されたら、もうテレビには出られないぞ。怖い世の中ですね。この私はウィニーはやっていない。「仁義なきキンタマ」というウィルスに罹ったら大変らしいから。MXもやってない。P2Pは唯一Cabosというソフトを利用している。音楽に強いグヌーテラの一種だ。Ituneとつながるので便利。それはともかく。私が懸念するのは、国策捜査とか、別件逮捕とかで、とりあえず強制捜査でPCを晒し、ポルノ画像等を見つけ出して公表したり、ワイセツで逮捕出来てしまう捜査のしくみである。男性であればポルノサイトにアクセスしたことのない人物を探す方が困難であるからだ。今回の地検の内偵はかなり前から進められてきたのであろう。衆議院選挙に立候補するホリエモンを横目で見つつ、「今に見ておれ、ペテン師よ」と捜査員は密かに思っていただろう。もしも選挙に当選していたら今回の件は見送りとなっていたかもしれない。
2006年01月18日
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引越し前日である。今日は梱包のために日通のおばさんが2名やってきた。激鬱である。ピンポン!とチャイムが鳴ってドアを開けると60歳くらいの有馬稲子似のおばさんがにっこりと微笑んでいた。「ホント、散らかっているんです。ごめんなさい。」とまずお詫びをしてしまう。2万4000円も払ってはいるが、恥ずかしいものだ。こちらは手を出すことはなく、時折指示をすればいい。所在無くテレビをつけると、宮崎勤の部屋が映っていた。きっちりと並べられた大量のVHSのテープを見て、自分よりも整理整頓の面においては彼が優れた人間であることを知る。ほどなくオジャマモンの証人喚問が始まった。苦悩するオジャマモン。肝心な質問にはいっさい拒絶し、周囲より怒号をあびる。何度か中断もした。『お客様、これはどうされますか?』と時折訊かれる物品は、現在の私にはどうでもいいものばかりだ。ポンプ式の石鹸とか、カセットテープとか、古いケータイの充電器とか。その度に「捨てちゃってください。」とか「これは、一応持っていきます。」とか返答せねばならぬ。捨てる判断を他人に任せるわけにもいかないか。でも正面から向き合いたくない気持ちがあって、しばし口ごもる。テレビでは質問者が“伊藤コウスケ議員に何を頼んだのですか?”と厳しい追及。口ごもるオジャマモンをじっと見つめながら、アクエリアスを頻繁に飲み、ヘルパーの質問にひとつひとつ答えていった。思考が停止ぎみの意識で遣り残したことを思い出す。彼らが来る前、ゴミ箱のゴミは所定の袋に入れ、使用期限の切れたコンドームの箱もゴミ袋に入れておいたが、なぜかアダルトDVD「全裸水泳2」だけは証拠隠滅を図らなかった。ライブビデオと一緒に書棚に飾られたままだ。40代のヘルパーが『お客様、CDをたくさんお持ちですね。』といいながら書棚のモノをダンボールに入れ出した。私は国会中継を見るのみである。パッケージを無くした裸のCDも7~8枚あって、そんなヤツらの処理の仕方も気がかりであったが、特に訊かれなかった。どのように梱包されたのであろうか。エイヤ!とやっつけ仕事ちゅうに神経衰弱をする暇はないのである。このあたりのスルーの程度がプロである。「全裸水泳2」についてはどうするべきか訊かれなかった。40代ヘルパーの一瞬のとまどいを想像しながらそれを楽しむ余裕まではなかったが、とにかくスルー。「じつはうつ病になってしまって。私も福祉の仕事をしているのでときどきテレビに出るようなゴミ屋敷にも遭遇するんですよ。」と話題を差し向けると、有馬稲子は反応した。同志を見つけたような感じで、ここでどのくらい酷い部屋に入ったことがあるか合戦となった。適度に会話が弾むと、少々ほっとする。彼らがいうには、私はいっけんしてうつ病のようには見えないという。そこがつらいところでもあるのだ。どれだけエネルギーを振り絞って立ち会っているのか。傍目にはリクライニングチェアに腰掛けて、余裕の表情で国会中継を見ているように見えるのかもしれない。実は、数珠をなでながら返答を拒否するオジャマモンの苦悩の表情に心模様は近いのである。明日が本番。なのに梱包の立会いですっかり疲れ果ててしまった。
2006年01月17日
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誰かこの心理を共感してくれる人はいないかな。引越しが怖いのである。どのくらい怖いかと言うと布団から出られないくらい。引越しを考えると比喩ではなくて本当に体がガクガクブルブルとなるのだ。昨日もおとといも寝たきりだ。引越しは来週の水曜日だ。実家の家具や本を処分するために業者を呼んだり、ブックオフに電話した。それだけのことなのに非常にパワーがいる。親父が一緒でないとできない。「片付けられない症候群」の本領発揮だ。それにしてもモノを捨てるのにこんなにコストがかかるとは。家具も電化製品も大変な金額ですよ。リサイクル法の前にやるべきだった。皆さん、どうしているのだろうか。TBSブリタニカ百科事典は予想どおり、引取りすら拒否された。まっさらな事典が書棚を占領する家庭が何万世帯もあるのだろうな。インターネットは、事典売りセールスマンを失業に追い込んだ。ステレオにしてもスピーカーはもったいない気がする。壊れるものじゃないもの、リサイクルされるのだろうか。テレビもDVDデッキももちろん使えるが、こちらが金を払う。先日、クルマについて書いたが、所有するもののほとんどには価格はつかないと考える習慣を身に付ける必要があるな。昨年、多重債務者のケースを扱ったが、必死にローンを払おうとする一戸建ての家だって、上モノにはほとんど価格はつかない。土地だけだ。それでも家を守りたいとねじれた考えを持つ心理には共感できる。消費って何だろうな。バブル期に青春期を過ごした私にとって、あの時の消費は何だったのか。スナック通いは何だったのか。消費しない生活っていうのも寂しいものだし。CDライブラリは思い出深いモノも多いが、ブックオフに出しても金にはならない。金にはならぬが、なくてはならぬ。引越しごとに持っていく。iPodに落すことすら面倒でしたくない。パッケージが大切なのだ。所有する心は複雑怪奇だ。身寄りのないお年寄りがなくなった後はとても面倒なことだと思う。結局、福祉事務所がやるのだろうが、あれだけ介入を嫌がる職員は、どうやって解決するのだろうか。大家さん任せか。孤立する人々は死ぬことすらままならぬものだ。
2006年01月14日
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クルマという煩悩に自ら入り込み、シトロエン地獄を味わいながらも次のクルマは何かを考える。何を選ぼうが、次のクルマは現在のクルマほどの満足は得られまい。エグザンティアでの経験をもう一度体感することはできない。というか人生においてこれは一度でいい。インターネットで様々な知識を得た結論。それは次ぎのクルマはカローラだということだ。世界一のクルマを世界の最安値で購入できる日本人は幸せだ。9年落ちを20万円で購入すれば、それから10年10万キロくらい普通に走る。ATではなくMT。コレ最強。今年の4月で我が愛車は10年になる。走行距離は85000キロくらい。これまでの故障は3万キロくらいでキーレスエントリーが故障、6万キロくらいでエアコン故障、そしてパワーウィンドウの故障が3回。現在、メーターのライトが1つ切れているが交換の工賃が何十万もかかるのでそのままにしている。故障はこれくらい。リアの塗装が弱く、すっかり剥げるという欠陥もあった。というものの個体としてはアタリといっていいのではないか。エンジンは絶好調だし。ハイドロシステムの重要な部品となるスフィアが適度にヤレてその都度交換するので、サスペンションは交換するごとに新車と同じになる。この味わいはシトロエンならではであろう。2年に一度5万円くらいでパーツ交換するだけ。ディーラーで手がかけられているので状態はよい。惜しむらくは昨年の交差点での事故だ。100キロを超えるとハンドルに小刻みな振るえが来る。シャーシの軋みだ。120キロくらいの巡航なら平気だが140キロ以上はやめたほうがよいであろう。要するに、クルマの劣化は己の自己管理の悪さから来るもので、丁寧なユーザーが所有していたらこのクルマは極上車となったであろう。たぶん、大きな故障がなければ(50万円以上の故障)まだまだ10年くらい乗りたいものである。ときどきシトロエンBXやCXをみるにカッコイイ!と思うのだ。結局、クルマという道具は中古車を買うか、新車を15年くらい乗りつぶすかのいずれかが経済的。貧乏人は20年20万キロを目指す。10年後に10年落ちのレクサスISを購入するのもいいかも。いやいややはりカローラが最強。今回の日記はこのサイトを参考にいたしました。
2006年01月13日
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接触不良ですぐに電源が落ちてしまう。今も恐る恐る書いていある。ということで更新がしばらく滞ることになりそうだが、生きておりますので心配しないでくださいませ。鬱の調子は最悪ですが。
2006年01月11日
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書籍はほとんどアマゾンで購入する私であるが、たまには本屋さんに立ち寄ることもある。本屋の陳列を見ることも今の匂いをかぐには重要だ。それで『人はみた目が9割』なんて本を暇つぶしに買ってみる。内容は、特に斬新でもなく、漫画における人物の表現法であるとか舞台における演出における人物表現だとか、ボディランゲージ物の他書物の引用である。要するにタイトルの「人はみた目が9割」の一語でほぼ言い終えているわけだ。新書は編集者の腕次第なのだ。『バカの壁』もタイトルで売れた。内容はまあまあだと思うが、テープにしゃべったものを文章に起こすという手法で、唯脳論への入り口としてはよい書物だと思う。『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』も売れた。これは案外、ひねりがあるタイトル。会計の実際を一般人にわかりやすく説いてあって、まあひまつぶしになる。私はざっと立ち読みしただけだが。『下流社会』は流行語になった。これぞタイトル本ではないだろうか。本屋でざっと目を通し、アマゾンのカスタマーレビューを読めばどんな本だかだいたいわかる。広告代理店のマーケティングの人が「これからは~の時代だ!」と一席ぶつ手法。企画書の類。この手の話にはいつの時代でも大衆は扇動されてしまいがちだ。やっている方は面白いだろう。昔は「安・近・短」のレジャーですとか、最近では2007年問題(団塊の世代がリタイアして大消費時代が訪れると堺屋太一先生が本をお書きになられております)とか。堺屋先生の予想はまず外れるだろう。年金収入で生活する皆さんの財布の紐はきついよ。仕事において肌で感じているもの。ほんのごく一部だそんな安穏とした人は。つうことで、ベストセラーの書もデタラメなのが結構あって2~3年したら持っているのも恥ずかしい本も多い。今年は個人投資家向けの「株式モノ」が売れるであろう。庶民のささやかな夢だ。きちんとリターンを挙げている人は資料の収集に余念がないし、熱くならないし、リスクをよくわかっている。人の意見にばかり振り回されないで、自分で考えることが大切。おっさんは多目的商業施設の本屋へ足を運ぶ心理と言うものは、漠然と一抹の不安を感じている状況だ。そんな心理において、スっとおいしい話のキャッチがついた本や雑誌があるとつい手が伸びてしまうもの。この手の本は基本的に読書中の2~3時間の間ささやかな夢が見られればそれでいいのだ。新潮新書の企画力はたいしたものだと思います。以上。
2006年01月07日
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人生とは整理整頓である。という言葉は私の言葉だと思っていたが、ドイツのことわざであることを最近知った。悔しいぞ、ドイツ人。本日はアパート撤退のための打ち合わせを日通の担当者とアパートにて行った。取り込んだ洗濯物がそのまま放置されていたり、イカ墨スパゲッティを食べた後、食器をシンクに置いたままで真っ黒になって残っていたりと、悲惨な光景である。お袋が大腿部頚部骨折で入院した11月19日以来、ほとんど放置されてきたわけだ。とても知人には見せられない状況であったが、30歳の営業マンはなかなかの好青年で、ちっとも恥ずかしくなかった。鬱で休職しているのだと、前回打ち明けているし、さまざまなお宅を覗いているでプロだから慣れているだろうと思って。引越しは人生を語るものである。初めての一人暮らしとなる引越しはワクワクするものだろうし、新婚さんの所帯や新築マンション購入による引越しは、幸せいっぱいであろう。荷造りにも力が入ることだろうな。その逆もあって、会社の倒産や自宅を手放す、時には夜逃げをするというワケありな引越しもある。引越しはその人の人生を物語っているものなのである。ウチの場合はちょっと複雑で、実家のマンションのレイアウトを変更し、できるだけ家具類を処分し、そこに私の家財の一部を入れる。私の主要な家財道具と実家の家財の一部をトランクルームに入れるというもの。あの家具は捨ててこの家具はトランクルームに、と複雑怪奇でしゃべっている自分がよく把握できない。日通の営業君はニコニコしながら、ひとつひとつの物品をチェックシートに記入していく。私の脳内においてはパンクする様々な物品は、彼のチェックシートにはきちんとおさまっている。要するに彼等にとっては別に複雑じゃないということ。スカパーのアンテナ、カーテンレールのついた照明の撤去はその専門家が引越しのときにやってきて外してくれる。家具処分の業者も彼が紹介してくれた。梱包作業は、引越し前日に女性を二人派遣してやってもらうことにした。うつ病の私にとってはチョモランマへの登頂よりも困難な行動なのだ、片付けは。恥ずかしいが仕方がない。エロDVD『全裸水泳2』を処分しないと。エロ本は持ってないな。コンドームも持ってないな。実際、引越しの梱包をする仕事においてはよくあるのだろう、「あのー、コレはどうしたらいいでしょうか?」とダッチワイフとか。あるだろうな。寒い空気を発生させないようにしないと。営業君は梱包スタッフを2名見積もったがそれに異を唱えることはしなかった。一人暮らしの男の部屋に女性1名では怖いだろうから。決まりごとだ。奥さんがいれば24000円という梱包料を削減することができた。でも、お金で解決するならそれがいいか。母が屋内において車椅子で移動しやすいようになるべく家具を処分するのだが、父はいざとなると、なかなか捨てる決断ができない。「この書棚、35万もした」なんていう。気持ちはわかるが現在ではお金を払って処分していただくやっかいモノなだけなのだ。中のブリタニカ百科事典も捨てる。ほとんど飾るだけの存在だった百科事典。「おまえの子供のためにも」なんて父はいっていたが、当時、インターネットを予見する者は誰もいなかった。ステレオも捨てる。レコードプレーヤー、CDデッキ、カセットデッキが故障しなんのために置いてあるのかよくわからない状態であるのだ。アンプとスピーカーは動くので映画や音楽DVDの再生時くらいだ、使用する機会は。20年前に流行ったのだ、黒のラックにAVを並べるのが。LPレコードが捨てられないのでトランクルーム行き。カセットテープも捨てずにおくか。青春だしな。今でもテープはクルマで使うことあるし。それにしてもトランクルームの利用ってなんとなくモラトリアムだ。私にしても今後、結婚して所帯を持ち、再度の別居がないこともないのだし。学生時代より出ては戻ることを何回か繰り返した。一人息子の重圧だ。なにか家族に事件が起こるのだ、別居していると。通常であれば嫁さんや兄弟と話し合いをして役割分担をするのだろうが、一人っ子で独身じゃ選択の余地がない。そこで東南アジア人女性へと興味が向かったのだな。打算的に。でも、そうそううまく行くものでもない。家族は生きるための経済的な効率のためにある。それがために所帯を持ちたいと望む私には甘い恋心もなにもないぞ。そろばんのはじき合いみたいなもの。もしくは、条約を取り交わすようなものだ。まさしく契約。2006年に契約できたらいいな。ウィンウィンの契約が。
2006年01月07日
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トヨタのヴィッツっていいな。後ろから見るとお尻がキュっとしまって上にあがっている。とかくボリュームアップするとボテっとした印象になりがちだが、どうにか抑えてある。スタイリッシュだ。CM曲の『サンデーモーニング』がまたいい。しゃがれ声とレスポールのディストーションが軽妙でオサレ。CDを買ってしまった。ほんと、現在の私にはヴィッツが分相応。いや申し分ない。あえてVWポロを購入する理由が私には見つからない。クルマを語る資格は現在の私にはないのだが、人生は過去から現在、そして未来へと渡っていくわけなので、クルマについても語らせてほしい。要するに煩悩について語らせてほしい。私自身の健康を考えれば電車やバスの方がいいに決まっているのはわかっている。クルマが富の象徴であることもわかる。その人のキャラクターを示す記号でもある。恋愛における小道具である場合もある。病院に搬送する目的もあろうし、通勤の足ともなる。男にとってクルマという道具は、冷蔵庫やPC等の製品とは異なる、特別な物欲の意味合いがある。96年、31歳のときに、私はシトロエンエグザンティアというガイシャを購入したのであった。それは年収とそう違わない価格であった。なぜ、そんな高いモノを買ったのか。欲しかったからである。当時の私は怖いもの知らずであった。『30代はこれでいく。』と勝手にキャチフレーズを付けた。それは本当にそうで、初めて購入した新車はもうじき10年になる。96年という年は、振り返れば怖い物知らずの消費行動始まりの年であった。95年頃よりスナックにはまり込み、新車を買い、貯金は瞬く間に消えて、借金財政の始まりであった。それまでは預金残高は自然と増えていたのに。読みたい本を読み、効きたいCDを購入するくらいの消費では、たいしたことなかった。クルマは35万円の中古のカローラで、それで結構満足していた。このあたりでいい女性とめぐり合えば、すんなりと平凡な家庭を築いていたかもしれない。がだ。当時の私は母の介護という家庭環境や福祉職という低賃金より結婚は諦めていた。私と結婚する人は苦労をするに違いないだろうから、どうしても労働力としての機能を期待することになるであろうから、なるべく女性とは緊密な関係にならないように努めているところがあった。その歪が東南アジア人ホステスのいるスナックへと足を向かわせることになったのだと思う。この認知は間違いがあって、ふたりに若さと愛情があれば経済的困難や介護という困難に立ち向かえたと思う。ネガティブだったな。シトロエンを買ってしまった要因に、ここでひとつ本当にほしいクルマに乗り、自己満足し、それにて発奮し、これまでの自分を一皮剥けさせようという夢想があった。クルマに負けない自分になれということ。結果はクルマがだんだんくたびれることによって、自分とクルマの距離は近づいていくこととなった。先に述べたようにクルマはその人を表す記号としての機能があり「シトロエンのおぎーのさん」というイメージがすっかり定着した私は、妙な買い替えはやりづらい。イメージって結構大事だもの。ミニヴァンとかマークツーとか、イメージと合わないんだな。こっちも乗りたいとはまったく思いませんが。本日の日記はクルマに関心のない人にはまったく面白い話なので最後に、今、心にひっかかる車種を挙げて終わりにしよう。◎ホンダアコード(ホンダらしからぬ謙虚で基本性能はしっかりしているイメージがある。エグザンティアとキャラがかぶるところがある。発展形ですね。)◎トヨタプリウス(金字塔だ。世界のどのメーカーもぜんぜん追いついて来れない。シトロエンのハイドロサスペンションを超えるアバンギャルドだ。クルマに対するファントゥドライブという煩悩より解脱するのによいクルマ。)◎プジョー407(最も美しいセダンだと思っている)◎シトロエンC3、C4、C5(やはりシトロエンはいつでも注目している。哲学なんだな。)◎マツダロースター(1代目の古い中古を下駄代わりに乗ってみたい。スポーツカーに乗ることは、夢だ)話は戻るが、ヴィッツはいいなあ。
2006年01月06日
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「うつ病になってよかった。」などと書き記す人がいるが、本当だろうか。現在でもうつ病まっさかりでにっちもさっちもいかない私は思うのだ。そんなわけないだろう。苦しい記憶は消えやすいから。どんな病気でもそうだが、病気のつらさはなった人にしかわからない。例えばガンや白血病であれば即「死」が連想されて、傷みもなんとなく想像がいき、かわいそうだと同情できる。しかし心の病は、どうも想像がつかない。私だって統合失調症の人の症状はまったくわからないし、パニック発作がどんなものかもわからない。脳梗塞の母は麻痺した腕がピリピリ痛いというが、そのピリピリもなんとなくあの痛みかなと想像はできるが、当たっているかどうかはわからない。他人の痛みを真に理解することは無理だ。じゃあ、人はどうするかというと同情する。傾聴する。「そうですか、それはたいへんなことですね」と相槌を打って微笑んであげる。これしかない。一緒にいてあげたり、手をつないだり、いろいろする場合もある。そんなコミュニケーションが病気に効いたりする。先日、友人と手術前の心理についてちょっと語ったが、オペ前の人間の心理は弱く不安定だと再認識した。痛みが情緒を不安にさせる。私は昨年、扁桃腺炎の際、不用意な医師に向かって罵倒してしまったが、これも痛みからくる不安によるものである。現在の我が家がまさにそうなのだが、家族の誰かが病気になり入院することで、これまで燻り続けながら隠蔽されてきた家族間の軋轢が浮上することもよくある。お正月に『家内安全』と祈願する気持ちがようやくわかった。子供の頃はこの語の意味がわからなかった。お正月の慣習が簡略化されている昨今であるが、家内安全のためには、きちんとやることが望ましいだろう。箸はきちんと正月用ので、「家長」「家内」「長男」と筆で書いてあるものを使う。おせちを食べる。餅も食べる。一家で初詣に行く。親族へ挨拶参りをする。子供にお年玉を渡す。そんな日常が行われている一家は、不測の事態が起きてもどうにか助け合ってやっていける。うまくいかない家族は、そんなベタなお正月を遂行することができない。ウチの場合は親の兄弟が集合しなくなったあたりからか。子供が育ち、本人は老化するのだから当然なのだが。次世代である私が家庭を築いていれば、おじいちゃんの家へ行く行為が発生し、孫である私の子はお年玉をもらうことができる。今年の正月は母が施設に入所という一家が揃わない最初の正月となった。もう糸が切れそうなかんじなのだ。人の痛みはわからないという話と家内安全についての話をどう結合させるのかを考えてみたが、面倒になったので、このままとする。読み手にとってはなぜお正月の風習にジャンプしたのか不可解であろう。日記なのでかんべんしてください。
2006年01月05日
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自衛隊を田んぼにしろと爆笑問題の大田がテレビで声をあげていた。大田が総理役で国会議員やらタレントやらが議論をして採決するというバラエティ番組の議題の1つである。大田の主張では、憲法9条はアメリカでも自国ではとうていできることのない理想的な考えであり、国家間の争いは軍事でなく政治家が話し合いで決めろというもの。宍戸錠が、「家族が外国によりレイプされたとして、それを黙って見ているわけにはいかない」というと、大田も、「そんときは憲法なんてやぶってしまえ」と。大田は自衛隊をすぐに解散すべしと口角を飛ばして訴えていた。結果、番組内では否決されたが、面白い角度だと思った。もし、明日、『自衛隊は解散することになりました。』ということになれば国際社会はどう反応するのかというタラレバ論である。核兵器の照準を日本に合わせる中国や北朝鮮、また韓国はどうするだろうか。もちろん、ロシア、台湾、そしてアメリカを巻き込んだ一大事である。北朝鮮はやってくるのか、中国は。日本をめぐって東アジア各国がやってきて20世紀始めの中国のようなことになるか。ブータン王国のごとくにまったく何も起こらない可能性もゼロではない。ゼロではないが、日本以外の各国もめちゃ不安になることは間違いないだろう。オセロゲームがまた始まってしまう不安だ。(実際は、米軍がめんどくさそうにやってくるしかないのだろうな。)沖縄をめぐって、中国とアメリカがドンパチやったり、対馬に韓国がやってきたり、北朝鮮のミサイルが首都圏めざしてやってくるのだろうか。日本がバルカン半島のような東アジアにおける火薬庫となる可能性もある。評論家の森永氏は、「もしも外国が攻めてきたらそのまま滅びればいんです。平和を理想に掲げた民族があったと語り継がれればいい。」なんていっているが、そうなる可能性は大だ。護憲の人は当然、自衛隊の廃止を主張しているのですよね。でないとおかしい。昔、社会党が自衛隊を違憲合法なんて妙なことをいってたが、そんなことはない。違憲なら違法だ。憲法改正についての議論が今後深まっていくと思われるが、護憲の人にはぜひ今後の自衛隊のあり方をきちんと主張してほしい。私の意見では現在の自衛隊は存在そのものが違憲だから、現憲法にあっては自衛隊を廃止すべし、という考え。ただ、護憲でなおかつ自衛隊については目をつぶってこれまでやってきたようにあいまいなままずっと行くべし!という考えがあってもそれはそれでひとつの考え。自衛隊ほっかむり論、これもまたよし。
2006年01月03日
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新年早々、なんですが。1月2日の皇居における一般参賀について、雅子妃は体調を考慮して一部のみの出席なると報道された。2ちゃんねるのニュース速報+でもスレが立ち、様々な意見がある。もう2年以上になる。書き込みをざっとみると、例えばスキーをしたり、ご自身のお好きな件なら出席できるのに、公務をドタキャンするのはいかがなものかという意見がある。週刊新潮に離婚か!などと書かれている記事を読みながら、私の母のいうことは手厳しい。皇室がどういうところなのか、自分の役目が何かは十分承知の上で結婚したのだろうと。雅子様はとびきり優秀なキャリアウーマンであり、最後の上がりとして、皇太子妃という頂点のポジションを手にしたく、それを手にした。それなのに公務は休んで、自分の好きな行事だけは行うのは勝手だ、という。私はメンヘラーとして異論がある。その前に。東宮(皇太子一家とその仲間たち)と天皇ご家族(とその仲間たち)の間の確執も取りざたされている。両陛下と、皇太子様と雅子様のお食事(だったかな?)を予定時刻直前に東宮サイドがドタキャンをしてまずい空気となったこともあるという。また、東宮の医師団が雅子妃の適応障害について、皇室という環境に原因があるという内容の文書を発表した。「それをいっちゃ、まずいだろ」という雰囲気が宮内庁に漂っていることも推測できる。皇太子ご夫妻に対する風当たりが強くなったということだ。どうすればよいのだろうか。私の勝手な考えでは、雅子様が適応障害になったのは症状としてある日突然であろうが、10年くらいの皇室環境での生活において少しずつストレスが重なり発症したのではないだろうかと思う。だから治るにも10年かかると考えても大げさでない。元々雅子様はスーパーキャリアウーマンであり精神的に強い人物であった。そんな人が心を病むと治るのに時間がかかるんじゃないかと憶測する。認知療法をされているそうだが、心の病は社会的な病気であり、投薬やカウンセリングも重要だが、周囲の人たちの病気に対する理解も大変重要な要素である。私自身が同様の病でいるので、こんな発言ができる。うつ病は、傍目に見て元気そうにみえることもある。回復期でどんどんよくなっている場合ももちろんあるが、薬の力を借りて非常に頑張ってしまっていることもある。私も人と会うときはそうだ。不愉快な気持ちを相手に与えないようにしようと頑張って空回りをすることが多い。皇室という国民に鑑賞される環境というのは、この手の病には大変なプレッシャーとなるだろう。だから、じっくりと療養していただきたいと思うのだ。(突然の公務欠席の背景には、めまいであるとか、ひどい倦怠感といった自律神経の失調症状が推測される。突然、ドーンとそれが起きれば横になるほかない)手厳しい母はこういう。「皇太子妃としての役目は男の子を産むことであることは、当たり前だし十分承知の上。嫌なら結婚しなきゃよかった。」と。子供を授かると言う努力だけではいかんともしがたい目標を設定される側の気持ちを考えてみないのかと、私はいう。母は意に返さないが。宮内庁は絶対に認めないだろうが、雅子様ご自身が心の病宣言をされるというのはどうだろうか。『私は、現在、適応障害という心の病気に罹っております。もう2年になり、症状が軽快となるところもありますが、まだまだ全快というところではありません。この病気は治るのに時間がかかるようです。また天皇皇后両陛下を始め、秋篠宮など宮家の皆様にもご迷惑をおかけしていることをお詫びします。もちろん国民の皆様の前になかなか出られないこともごめんなさい。今回、こうして自身の病気について発言をするのは、全国の心の病を患う人たちとの連帯を求めるからです。年間の自殺者は3万人を超えて、こうしている間にも1人2人と亡くなっています。その原因はうつ病によるものが多いということです。私がこうして心の病の代表となることで、社会においての心の病への偏見がなくなり、周囲の人たちの理解が深まって、患者らのプラスになればと思います。』絶対無理だろうな。
2006年01月01日
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