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瞑想していると、光が見えてきたりするが、これにとらわれてはいけないが、重要なポイントであると思う。チベット密教では光明のヨーガという修行法もあり、これは可視光線ではないという意見もあるが、瞑想になれた人たちの話しを聞いていると、実際に光が見える人が多い。またチベットの死者の書でも、光の描写が色々出てくる。結局体験しないとわからない世界である。 以前は目の前に見えることが多かったが、最近は内側から光が発せられているようなことが多いような気がする。細胞か遺伝子だったか忘れたが、光を発しているそうだから、内側から光を発しているのも決して荒唐無稽ではないと思う。 以前は非常に強い光を経験したが、最近はまだ弱い。しかし少しずつそのときの状態に戻りつつあると思う。
2005.03.26
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しばらく人と接するのも最小限にし、パソコンともあまり向き合わず、体を動かしたり、瞑想をすることに時間を多く費やしているが、体調や精神状態も回復してきた。それまでが少々疲弊しすぎていたようである。その状態にどっぷりつかっていると、己の状態もよく把握できないもので、回復してくるといかにその前が大変な状態だったかがわかってくる。 知り合いに、数日前は顔色も悪く、やつれたおっさんのような顔をしていたが、だいぶよくなってきたね、といった趣旨のことを言われた。なるほどそうだったのかと妙に納得してしまった。今は顔つきもまともになってきたのだろう。ということは、数日前はどんなものだったのだろうか? 多くの人と接して指導をしたり、ネットでもいろいろな方とやり取りをすることも大事だが、瞑想に没頭し、内側を充実させる作業もやはり大事であることを、近頃改めて痛感している。しばらくこういった状態が続くだろうが、今はこのような生活スタイルをとることが自分にとって必要なことであると感じる。
2005.03.19
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数日前の日記にも書きましたが、体が想像以上に弱っており、それにともなって精神状態も決して良い状態とは言えない日が続きました。今は一時期より良くなりましたが、休養が必要な時期であると思い始めました。 ネットでのやりとりは、多くの人と知り合うことができて、わたしにとってとても有意義なものですが、エネルギーもかなり使ってしまっていました。敏感な方ならおわかりでしょうが、ネットでもかなりエネルギーの消耗や交換が起こります。ネットで呪詛をかける人もいるそうです。 今まで日記もあけることは長くても五日間程度でしたが、しばらくは頻繁な更新はできなくなると思います。コメントやメールの返事もすぐにできないかもしれませんが、ご了承下さい。 いつになるかわかりませんが、いずれはまた頻繁に更新するようにしたいと思います。しばらく充電期間をおいてリフレッシュいたします。
2005.03.09
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メルマガ、全ての本質を求めて今回は、カルマについてです。カルマとはサンスクリット語で、行動、行い、を意味します。また想念という意味も含まれます。一般にカルマというと悪いイメージを持たれることが多いですが、本来はカルマに善悪はありません。わたしたちは日常色々な思いをし、言葉を発し、行動をとっています。これらはいずれ必ず自分に返ってくる。これがカルマの法則です。因果応報と同じですね。カルマの法則が正しいとすると、他人から受けることは、他人のせいではなく、自分に因があることになります。電車の中で見ず知らずの他人に足を踏まれたとしたら、それは偶然ではなく、自分の過去の行為や想念がもたらした、必然の結果ということになります。そして、自分に返ってくる時には、直接その相手から返ってくるとは限らず、まったく別の人から返ってくることが多いのです。そして、足を踏んだ人はまた別の人から足を踏まれる結果となり、そういった因果応報の複雑なネットワークを形成しているのがこの世であるとされます。普通私たちは、身の回りで起こることは、多くが偶然に起こっていると考えます。しかし、心の底でどこか偶然ではなく、必然であると考える人も、案外多いかもしれません。カルマの法則を信じる人も少なくないのは、そのあらわれでしょう。前号で想念の実現化や、表層意識と深層意識の食い違いについて述べてきました。カルマの法則も、そこから説明できるのではないでしょうか。深層心理では、表層意識で忘れたと思っていることも、全て記憶しているといわれます。そして良い思いも悪い思いも、心の奥底に蓄えられています。その思いが、いずれ何らかの形で現実化していくのです。そして、これが繰り返されていくのが、カルマの法則ではないかと思っています。 また、インドに古来から伝わるヴェーダでは、わたしたちの一つの行為、言葉、想いはそれがどんなに些細なものであっても、波動となって宇宙全体に広がり、そうして様々な星に“当たって”正確に相手に、あるいは自分に返ってくると表現しています。こういったことは現代科学的に、完璧な証明ができるわけではありません。しかし、瞑想などを実践し、深い洞察力と、鋭敏な感性をやしなっていけば、誰でも感じ取れてくるものです。カルマは自分がなしたことが、常に全く同じ形で返ってくるわけではなく、またすぐに返るとも限りません。ですからカルマの法則を実感しにくいわけですが、瞑想などで、心を透明にしていくと、カルマがはっきりと理解できるようになってきます。ではカルマの法則が存在すると仮定して、わたしたちはそこから逃れることはできないのでしょうか?カルマは原因、条件、結果によって成り立っています。このうちのどれか一つでも欠けると、カルマの法則は成り立ちません。また、原因、条件、結果は時間の経過があって成り立つものですが、時間のない世界では因果律が成り立たないのです。いわゆるこの世では時間の経過があるので、カルマの法則が成立しますが、あの世では時間がないので、カルマの法則も成立しないことになります。瞑想に熟達した聖者は、もはやカルマの影響を受けない、という経典の記述もありますが、これは瞑想で三昧にいたり、この世を超え時間の存在しない世界へ到達してしまうからではないでしょうか?登録はこちらからお願いします。
2005.03.09
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日中外を歩いていると、暖かさを感じた。これなら春らしいなと感じた。3月になっても雪が降るなど春らしさを感じなかったが、ここにきてようやく春の訪れがやってきたように思う。 今は季節の変わり目だが、このときは体調に注意する必要がある。わたしは季節の変わり目に体調を崩すことも多かった。体が寒い状態になれていたのが急に暖かくなると、体に変調を来しやすい。またわたしは汗っかきなのだが、厚着をしていて暖かい状態だと、汗を多くかき体が冷えて体調が崩れてしまうことがある。この季節は着替えもうまく行う必要がある。 最近は日が長くなってきたが、わたしは日が短いよりは長い方が良い。日光が長く当たっていた方が、氣をふんだんに取り入れられるように思う。もっとも最近は紫外線の影響がもろにくるので、あまり長く日光に当たっているのもよくないとされるが、日照時間が短いとうつ状態になりやすいように思う。そのような報告もあったはずである。 春と言えば花粉症の季節だが、わたしはアレルギー体質にもかかわらず、花粉症とは無縁であった。しかし、今年は例年の30倍から40倍の花粉という話があるから、どうなるかわからない。発症してほしくないけれども。
2005.03.08
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リンクさせて頂いている、ついてるファシリテーターさんからスリーインワンのセッションを受けた。 スリーインワンとは、大脳生理学や、構造神経学など色々なものを応用して、体、心、魂を統合していくものである。まずは筋反射テストを使って、体にどのようにすればよいかを聞いていき、セッションを進めていく。 筋反射テスト・キネシオロジーは、知らない人が見たり聞いたりしても、本当にそのようなことがあるのかと感じてしまうだろう。しかし、心と体が密接な関係があることがわかってきているが、その観点からすると、心の作用が肉体や筋肉に顕れても不思議ではないように思う。 キネシオロジーで色々と見てもらったが、やはり肉体が弱っているようであった。ここしばらくあまり肉体を顧みてこなかったので、もともと強くなかった肉体が、さらに弱くなってしまったのだろう。 問題点を決めて、それについていろいろと探っていくのだが、思いもかけないことが浮上してきたりする。わたしは、母親の胎内にいる時、それも受胎して一ヶ月ほどに母親の影響を受け、それを自分のものとして受け取ってしまったと出た。一般的な観念からすると、そういったことは考えられないだろう。しかしわたしは腑に落ちるものがあった。自分の中にある怒りや敵意が、そのときに形成され、しかもそれを表に出さないようにしてきたが、胎児の時に親の感じていた怒りや敵意などを自分のもののように受け止め、しかも胎児は能動的に表現することはできないから、内側にため込んでしまったように思う。 そして、わたしは周りから受ける影響を悪いものだと思いこんでしまっていたが、それは自分の糧となるように変容できるのだと気付いた。周りからの影響を悪いものだととらえてしまうことは、かなり根深いものであり、簡単に解決しないかもしれないが、自分の糧として変容できるという気づきを、意識の深い部分でおこなうことができたので、少しずつ改善していけるように思う。 セッションが終わってからもいろいろと興味深い話しを聞くことができた。セッションはそのときだけでなく、始まる前や終わってからも重要であると思う。 ヨガや気功など東洋の伝統的なものを中心に学んだり実践してきたが、このようなセラピーも有効であると思う。スリーインワンも学んで、今後の自分自身のことや、他の人に役立てていきたいと思った。 スリーインワンのトレーニングコースは色々と段階があり、多くの人が学んでいるが、スリーインワンを身につけて、実際にプロのセラピストやファシリテーターとして活動していくのは、ほんの一握りだそうである。多くの人は自分のために学んでいるらしい。それはそれでいいのかもしれない。実際セラピストやファシリテーター、ヨガなどの指導をしていくのも大変である。通常の人間関係と違い、深い領域でのコミュニケーションをとることになるが、これはかなり訓練をしないと難しいし、間違った方向にリードしてしまったら大変である。 ついてるファシリテーターさんは安心してみてもらえます。関心のある方は実際に受けてみると良いでしょう。
2005.03.08
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本日は日曜であり休みの日であるが、おもいきり寝てしまった。日曜日ならぬ寝て曜日であった。 わたしは寝ない時はあまり寝ないが、寝る時はとても長く寝てしまう。疲れがたまってくると、半日ほど寝てしまう。睡眠が短かったり逆に長かったりするのは、あまり良いことでも無いと思うが、こういった状態が長く続いている。 睡眠は短くてすむにこしたことは無いと思っている。人によっては3時間や4時間の睡眠で十分である。しかし、長く睡眠をとらないと駄目という人もいる。ナポレオンやエジソン、レオナルド・ダ・ヴィンチは短眠で有名だが、アインシュタインは長く寝ないと駄目だったそうである。体質によって、その人にあった睡眠時間があるのだろう。 世の中には不眠症というものがあるが、これはわたしにとって無縁である。わたしも元々心配性であり、いろいろ悩んだりすることもあったが、それで眠れないことはなかった。かえってそういう時は寝るに限るとぐうぐう寝てしまっていた。だから心配のあまり夜も眠れず、といったことは全くない。鬱などは眠れなくなると深刻であるそうだが、そういう意味では、わたしの悩みや苦しみはたいしたことはないのだろう。 ゆうべはちょっとお腹を下し、ねたら半日寝てしまったが、これも体の浄化作用だろう。すこし体も楽になったような気がする。気分も新たにすっきりとしていきたいと思う。
2005.03.06
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ここ数日ネットで知り合った方々とお会いすることが多い。とても多くの方と接してきたので、いちいちどなたとお会いしたか書けないのが残念というかそれくらい書けばいいかもしれないが、結構大変な作業になるので、省略させて頂きます。 3月2日はわたしの誕生日だったが、ネットで知り合った方と3時間あまり話しをし、その後場所を変えてヒーラーの人たちなどと色々話しをした。自分にとって、とても意義のある誕生日となった。 翌日のひな祭りでは、ネットで知り合った方々のライブに顔を出した。通常の音楽ではなく、倍音や波動が中心のものであると感じた。深い意識に入っていく感覚があったり、エネルギーが動いていく感覚があった。演奏しているお二人の様子を見ていると、トランス状態、軽い瞑想状態に入って演奏していると感じた。音楽を聞くのも演奏するのも瞑想であることが、よりはっきりとわかった。わたしもそういった音楽をやってみたくなった。楽器は全然できないけれども。 本日は非常に濃いメンバーが集まって、7時間近く話しをしていた。普通なら7時間も話しをしていたら、間が持たなかったりするものだが、全くそういうことはなかった。話の内容も色々とありすぎて思い出しきれないくらいである。実に色々な方がいるものであると思う。人と人とのつながりは面白いものである。こういった関係を大切にしていきたい。 わたしも人間関係が特定の分野の人たちに偏っていたが、色々な分野や考えの人と接することによって、見聞が広まってくる。これは自分の大きな財産となる気がする。 ネットにおける人間関係はそれだけで終わってしまうと希薄なものになるようにも思うが、きちんと活用すると無限の可能性があるとも思う。
2005.03.05
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僕はマスコミがいろんな攻撃をしてくるのを見ていました。見ていました、というのは、まるで何か自分ではないもののイメージに向かって、みんなが槍を射掛けたり、鉄砲を撃ったりしている感じがしたからです。しかし、その時僕は思いました。あ、先生が、世の中のよくない人たちの喜ぶ言葉を言ってはいけない、と言っていたのはこれなんだ、ということがよくわかりました。ですから僕はされるがままにしておこうと思いました。つまり自分のイメージなんていうものを僕の実体だと勘違いして、それに向かって槍を射たり鉄砲を撃ったりしている人たちがいても、なされるがままにしなければいけない、というのが先生の教えだと思いました。つまりこれが消えるまで放置しなければいけないし、そしてそれが消えたとき初めて僕がながいこと自分の心の中にかかっていた薄いベールから解き放たれるんだと思います。 古代ギリシャでは、真理の女神に会うときに「ベールを裂く」という言い方をされていますが、そういう状態が訪れるだろう。そのとき初めて自分は、頭で理解しているようなゾクチェンから解放されるだろう。そのためには社会的にも死ななければならないし、いろんな意味で自分の周りに作り上げたものから死を体験しなければいけないと思いました。人間の死もそうです。自分は自分の身体をもって生きていると思っています。そしてこの肉体が機能停止することをまるであたかもこの世界から自分が完全になくなってしまうかのように考えていますが、そんなことはありません。これはイメージと全く同じ作り上げられかたをしています。この肉体はいつかは機能を停止していきますが、私たちのセムニー(心の根源・霊性の根源)はこの肉体のイリュージョンが解体しても死ぬことはありません。普通世の中で言われている、不死とか遺伝子操作によって次の自分が残っていく、なんてこととは全く関係がないことです。が、同じです。つまり自分の社会的な姿をばらばらに引き裂いてしまって、なすがままに殺してしまわなけない。そしてこれが死んでいったときに、ようやく自分は肉体だけになって、肉体といっしょにあるこの魂と生きられるようになりますし、そうするとこの肉体というもう一つの、もっと根源的なイリュージョンが消え去っていくことさえ見届けることができるだろう。そういう状態にまでたどり着かなければいけないだろう。ああ、ラマの教えというのはすごいな、と僕は本当に思いました。これを確実に予言していました。そして、そうしなければいけないと先生は言っていましたから、1995年から2‐3年の間はとてもひどい目にあって、日本の精神・宗教の世界は混乱した状況を体験しましたが、僕には予言の成就としか思えませんでした。そしてこの予言はだれのものかというと、先生の予言であるし、グル・パドマサンバヴァの予言であると思いました。中沢新一氏ゾクチェン入門より 偉大な人物が、迫害を受けたり亡命を余儀なくされることはよく聞く話である。真実を追究していくとは、本当に大変なことでもある。社会的にも死ななければならないこともあるのだろう。自分というものを捨てていかなければならないこともあるかもしれない。 わたしも真実を追求していく上で色々大変なこともあったが、偉大な先達の方々に比べたら、何ということもない。自分にそういったものが耐えられるかどうかはわからないが、少しでも道は歩んでいきたいと思う。
2005.03.04
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朝起きて外を見ると、かなり雪が降っていた。3月にもなって雪が降るとは珍しいかと思うが、わたしが生まれた年は3月に大雪だったそうである。わたしは一昨日が誕生日だが、わたしが生まれて退院する時には雪がすごかったそうである。もちろんわたしは三島由紀夫とは違って、生まれてすぐのことなど記憶にはない。 雪が降ると電車のダイアは乱れるし、歩いていて履いているものが汚れたり、とても寒かったりと雪が降ることで喜ぶ大人はあまりいないだろう。しかし、今の子供は知らないが、わたしが子供の頃は雪が降るとみんな喜んだものである。東京では雪だるまが作れるほど雪が積もることはあまりなかったが、作った年もあった記憶がある。また雪合戦はよくやった。東京の雪は水気が多く、固まりにしてぶつけると結構いたい。パウダースノーだと当たってもさらさらとしてあまり痛くないが、水気が多い雪だと、少々きつい。 子供は雪を好み、大人はあまり好まない。またスキーを好む人にとって雪は大切なものであるが、そうでないひとにとっては雪が降っても降らなくても関係はない。同じ雪でもその人によってとらえかたがまるで違ってくる。これはなかなか面白いことである。 わたしたちは何事も色々とレッテルを貼りたがる。ある人にとって雪は遊ぶために必要不可欠な好ましいものであり、ある人にとっては寒くなるし、色々と弊害が起こるし、雪は好ましくないものとする。しかし、自分の貼ったレッテルは雪の本質を示していない。自分の貼ったレッテルをはがして、本質を見極めることは容易ではないが、大切なことだと思う。 東京では予報では雪はもう降らないようである。少しつもった雪もすぐに溶けてしまうだろう。儚いものであり、無常を感じずにいられない。
2005.03.04
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ネットで知り合った方々とお会いし、色々と話しをした。そこにはヒーラーの方もいらっしゃり、ヒーリングをしているところを見せてもらったりもした。 様々な話題が出たが、そこでサイババの話しもあった。わたしはサイババの信奉者でも崇拝者でもない。ただ、少なくとも偽物ではないだろうと思っている。そうでなければ非常に多くの人が彼の元を訪れたり、ボランティアに励むことはないだろう。 有意義な時間を過ごし、帰りの電車の中で、サイババについて書いてある本を読んでいた。すると自分自身が本質的なものに導かれていく感覚があった。これは何度か経験しているが、そう簡単に経験できることではない。ここで思ったのは、真理や本質へ至るには様々な道があり、一つではないことであった。サイババに関する文章を読んでいて、その様な経験をしていたわけだが、先ほども書いたようにわたしはサイババの信奉者でも崇拝者でもないし、この体験をしたから、信奉者になると決意したわけでもない。しかし、彼を通じて本質的なものに導かれていくような感じがしたのは事実である。以前のわたしだったら、崇拝もしていないひとから真理や本質に導かれることはないと考えていただろう。しかし、誰を信じると言うことが大切なのではなく、また道のりは色々あるのだということを、改めて感じ取った。 その体験は、時間がたつと弱くなってしまったが、わたしにとって貴重なものであった。このことを大切にしていきたいと思う。
2005.03.03
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本日はわたしの誕生日である。幼い頃は誕生日が来るのを楽しみにしていた時期もあったが、今はとりたててどうというものはない。月日のたつのははやくなったなあ、と感じるくらいである。 わたしは年男で、ということは24才になった、、ではなくて36となった。自分としては30代後半にさしかかったという事実が、どうもぴんとこない。いまだに20代のような感覚である。結婚をしていないからそう感じるのかもしれない。 かつてわたしは実際の年齢より上にみられることが多かった。学生時代学生と言ってびっくりされたことがある。てっきり勤め人かと思った、とそのとき言われた。それ以外にも年齢の割に落ち着いていて、もっと上かと思った、と言われたりもした。 しかし、若い頃に老けてみられた人は、年齢を経ると若く見られる場合も案外あるように思う。最近わたしは、以前とは逆に実際より下に見られることのほうがおおい。人によっては20代と言っても通用するという人もいる。ネットでの文章と実際にあうと印象が違うもので、わたしの書いた文章から40代か50代と思っていた人もいて、あってみて驚いたということもある。人の印象も面白いものである。 年をとるとはそれだけ死に近づいたことになるが、輪廻があるとするならば、次の生誕に一歩近づいたことになる。このような考え方からすると、若いとか年をとっているという感覚が、普通と違ったものになってくる。また生死の概念も違ったものになってくる。 とにかく今は年齢を重ねた事実をありのままに受け止め、年をとろうがとるまいが、一瞬一瞬を全力で生きるのみである。
2005.03.02
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先日知り合いのセラピストの方から、アロマとボディーワークと、エネルギーワークを組み合わせたセッションを受けた。セッションルームに行って早々、とてもやつれていると言われた。ここ数日ストレスがたまっていたので、外にもでているのだろうなあ、と思った。 ベッドに横になり、セッションが始まった。セラピストのご夫妻が行ってくれていたのだが、二人でそれぞれ役割を分担して行っていた。ボディーワークは痛みはほとんど無く、自然に体がゆるんでいく感じだった。わたしの関節は柔らかく、可動範囲も広いのだが、筋肉の部位によっては、非常に固くなかなかほぐれないようだった。これは単純に筋肉が固いというのではなく、長年にわたって色々な人を瞑想指導などしてきて、そこで受け取ったエネルギーや、邪気などがブロックとなってたまっていたものである。地層のように何層にもなっていたそうである。 わたしのエネルギー状態を見てもらったが、エネルギー体は非常に充実しているのだが、肉体がまったくエネルギーが不足した状態で、エネルギー体が肉体からもエネルギーを吸い取っているような状態ではないかと言われた。わたしは肉体よりもエネルギー体に注意を向けてしまい、肉体をなおざりにしてしまう傾向もあるので、そうかもしれないなと感じた。またこのままでは、肉体から意識が離れてしまうことを選択してしまうのではないかといわれた。わたしにはそういう傾向も確かにある。このままではどうやら本当にやばかったようだ。寿命が早く尽きてしまうことになっていたかもしれない。 わたしは胸のあたりに鉄板が入っているようなブロックがあり、また肝臓や腎臓のあたりにも詰まりがあった。そこに色々と蓄積されているのだろう。どろどろとしたエネルギーの固まりがあったようである。ある程度抜いてもらったが、完全には抜けきらなかった。 そして、わたしの上半身と下半身のエネルギー差は非常に大きかったようである。上半身は充実しているのだが、下半身はほとんどエネルギーが不足しており、かすかすだったようである。また足にも大きなブロックがあり、普通に日常生活をしている人で、こんなに足にブロックがある人ははじめてといわれた。普段から上半身に意識が向き、下半身をないがしろにしてきたから、そうなったのだろう。これはバランスをとる必要があると思った。 アロマを体に塗り込んでもらったが、体にどんどんオイルが浸透していったそうである。普通はもうすこしはじいてしまうものだが、どんどんしみこんでいき、体が必要としているのだろうということであった。そこまでなっていたかと驚いてしまった。 終わってすぐはぼーっとした感じであったが、少しずつ意識がはっきりしてくると、肉体にもエネルギーが充実しているのがわかった。顔色も良くなったと言われた。最近は肉体的にも精神的にもあまりいい状態ではないことを感じていたが、肉体は限界まで来ていたのだろう。意識が肉体から離れることを選択せざるをえないような状態とはよっぽどのことである。そこまでほっておいたのも、わたし自身に問題があったなと反省した。それにしても丁度いい時にセッションを受けることができたと思う。もう少し遅かったら、本当にどうなっていたかわからない。巡り合わせの不思議さを感じる。 回復してきた感じがあるので、もっと肉体も大事にし、肉体とエネルギー体のバランスをとるようにしていこうと思う。わたしにセッションをして下さったセラピスト夫妻のHPはこちらです。http://homepage2.nifty.com/love_and_peach/index.html
2005.03.01
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