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去年までは30代以上の人たちとばかりつきあいがあり、20代の人たちと接する機会があまり無かった。以前からの知り合いもみんな年をくってしまい、いきのいい若者だったのが、だんだんおっっさんやおばはんになりつつある。 しかし、今年に入って、20代の人たちと接することが多くなってきた。おっさんくさい言い方になってしまうが、そういう人たちと接すると、新鮮みがあってよい。 わたしと接点ができるくらいだから、当然精神世界に関心を持っている人たちが多い。そこで聞くのは、精神的なことに関心を持っている人たちが増えてきているが、周りにそういった話しができる人が少ないということである。 現在w大の現役の学生であり、今は臨床心理を学んでいるが、一年後大学を卒業したら、別の大学の医学部に入り直し、医学と臨床心理を融合させて活動したいという崇高な理想を掲げている、真面目な男性と話す機会があったが、やはり周りの人と話が合わず、学校では一人でいることが多いと言っていた。また、学校の友人は上辺だけのつきあいで、学校以外でであう年上の人たちとのつきあいの方が、自分にとって重要であるという話もしていた。 こちらでも、ソーシャルネットワークでもお世話になっている、天音2004さんのところへおじゃましたのだが、そこで20代後半で、非常に元気な、来月からインドへ行って本格的に精神の修養に取り組みたいという人ともかなりつっこんだ話しをしたが、やはり周りにそういった話しをできる人がなかなかいないようである。 巷では相も変わらず外側のものに意識を向けさせるようなものばかりはびこっているが、それがどこか違うのではないかと感じる若者が増えてきている。しかし、まだまだ少数派であるから、周りにそういった話しができるひとがなかなかいなかったりする。これはとても残念なことである。 ネットでは色々な人間関係を構築していくことができる。もちろん直接あって話しをする方が良いわけだが、現実の世界での出会いも限界がある。しかし、バーチャルの世界では、無限とも言える可能性が広がっている。そこにはまりこみすぎてはいけないが、現実の世界に失望してきたら、そちらに逃げ込んでしまう人もやはりでてくるであろう。 もっと、内側の世界に目を向ける人たちが、気軽に話しができる世の中になればいいと思う。わたしも学生時代は本質的な話しができるひとが周りに少なくて苦しんでいた。今も似たような経験をしている人は案外いるのではないかと思う。わたしと同じような悲しみや孤独感を感じる人が多くいるとしたら残念なことである。ブログやソーシャルネットワークで、少しでも本質的な話しに関心を持っている人たちの輪ができていければと思う。
2005.01.31
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ここ数日非常に忙しい。今までのんべんだらりとしてきたのが、一気に変わってきた。まあ人間暇だと時間を無駄にしてしまうことが多いので、忙しいくらいでわたしは丁度いいように思う。体は壊さないように気をつけないといけないが、まあなんとかなるであろうと楽天的に考えている。
2005.01.30
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わたしはヤフーメールを愛用しているが、最近のウエブメールでは、迷惑メールフォルダーというものがあり、迷惑メールと判断されると、そちらに振り分けられるようになっている。そこにはよくわけのわからないメールが届いたりする。りえです。この前、メールありがとう♪ちょっと忙しくって遅くなってごめん!食事おごるからね。なにがいいのかな? まあこんな感じのメールが届くことがある。この前メールありがとうとあるが、りえという人にメールを出した記憶など無い。食事をおごってくれるらしいが、銀座にある高級寿司でもおごってくれ、と頼んでもおごってくれるのだろうか? 大概の人はこういったメールも無視して、速攻で削除だろうが、中には返事をしてしまう人もいるのだろう。わたしも馬鹿だからはじめてこのようなメールが来た時に、返事をしてしまったことがある。別に下心があったわけではなく、好きな作家は筒井康隆とあったので、それに反応してしまったのである。学生時代は筒井康隆にかなりはまっており、その当時でていた彼の作品はほとんど読んでいたのである。 そんなわけで返信をしてしまったのだが、当然のごとく返事は帰ってこなかった。以前やっていたブログのURLも貼り付けていたのだが、以前も精神世界がどうだこうだとよく書いていたので、もし訪れたら仰天していただろう。 まあこれくらいならありがちだが、中にはもっと訳のわからないものも来ることがある。原文はあまりにもとんでもないのと、少々下品なので載せないが、その人は子供ができなくて悩んでいるそうである。そこで精子がほしいというのである。お金まで払ってくれるとあった。本当にこのようなことを考えて行っている人がいるのだろうか? 普通はそんなものに返信する人はいないだろうが、中には下心があったり、好奇心が強い人がいて、返信する人がいるかもしれない。そうすると返事が来るのだろうか?その場合、メールを出した人と返事をした人が会ったりするのだろうか?その場合いきなり怖いお兄さんでも出てくるのだろうか? 迷惑メールでは本当に迷惑している人も多いだろう。そういったものも取り締まりの対象となるという話もあるみたいだが、これだけネットが発達してくると、なかなかきちんと取り締まるのも難しいだろう。ネットは多くの可能性を秘めているが、妙な使い方をされることも多い。インターネットは便所の落書きというタイトルの本もあったが、落書きではなく、有益な情報がはびこるようになってもらいたいものである。
2005.01.29
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二日ぶりの日記となる。二日間空けたことは今までなかったと思う。色々とばたばたして書いている時間がなかった。珍しいことだが、こういう時もある。 以前からの知り合い何人かとあって、かなり長く話しをしたが、仏教やヨガと科学や心理学などの理論を、統合していけないかという話しになった。そういうことを試みている人たちはいるが、表現が難しくなってしまっている場合が多い。それをわかりやすく行っていけないかと思った。 今まではそれぞれのテリトリーがあり、学問も細分化され、仏教やヨガの中でも色々と分かれていた。今まではそれでもよかったかもしれないが、これからは統合されていく必要があるように思った。 何年か前、サイコセラピーを習っていたことがあるが、そこで言われたことが、表層意識と無意識の統合ということだった。表層意識と無意識が分離していることによって、様々な心の問題が生ずる。表層意識ではこのようにしたいと思っていても、無意識ではそれをやりたくないと感じている。その場合葛藤が生じ苦しんだり、場合によっては身体症状となってあらわれる。まずは無意識の状態を知り、そして表層意識と無意識の統合をはかることで、問題が解決していく。 これからは心においても、いろいろな理念においても統合されていく必要があると思う。時代は細分化から統合へと移り変わっていくように感じている。 話しをした人たちもそれぞれ忙しいからどこまで作業ができるかわからないが、少しずつでも進めていきたいと思う。フリーページ 「一人の壮年が大きな現象をもたらす」更新しました。
2005.01.28
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本日発行のメルマガ全ての本質を求めてでは、タイムウエーブゼロ理論をとりあげました。アメリカ人テレス・マッケンナ(TerenceMckenna1946~2000)という研究者が、“タイムウエーブ・ゼロ理論”というものを唱えています。マッケンナによると「時代」が新しくなるにつれ、人間の「時間」というものが、どんどん速くなっているといいます。例えば、新しい文化が登場するテンポや新技術、など、どんどん間隔が縮まっているような気がしますが、マッケンナによると実際にまさにそうなっているというのです。このような事象を、彼は“タイムウエーブ・ゼロ理論”と名づけました。「ホワイトホール・イン・タイム」という本の著者、ピーター・ラッセルもテレス・マッケンナとまったく同じ論を唱えています。さて、タイムウエーブ・ゼロ理論”によると、生き物が発生してからたどった進化の道のりのスピードは、螺旋(らせん)のパターンに従っているらしいのです。私たちの感覚では、時間は一直線に進んでいるような気がしますが、タイムウエーブ・ゼロ理論そうではないとするのですね。地球の歴史的時間の始まりはまさに悠久の時を重ねながら進行してきましたが、特に産業革命以後の近年においてはスピードを上げ続け、産業革命が2世紀前なのに対して、情報革命はいま始まったばかりであるのに“光の速度で進化し続けている”と評される程の驚異的スピードで進行しています。このメルマガでも、時間が早く流れていること言ってきましたが、それを科学的に証明しようとする動きがでてきています。さらにテレス・マッケンナは彼なりの究極の結論として、進化そのものが螺旋(らせん)状であるなら「定まった終わり」がやがてやって来る、と指摘しています。テレス・マッケンナが指摘する終わりがやってくるとは、果たして一体それはどういうことなのでしょう?彼の研究によると「時間」というものはどんどん加速していって、渦巻き状にフラクタル構造を作っているというのです。しかも、相似のパターンがたくさん集まって時間の渦ができていて、それがある年のある時間に収束しているということがコンピュータ解析で判明したというのです。実は、宇宙全体も時間と同じ構造、つまり渦巻状のフラクタル構造となっています。宇宙というものの概念を簡単な表現で説明するならば、のが宇宙であり宇宙空間そのものなのです。当然のことながら、宇宙全体には太陽系と同じような構造を持つ星系がいくつも存在します。これらがすべて、渦を巻きながら周回しています。宇宙は螺旋構造を描いているが、それが1つの時空 ―時間と空間― を現しています。螺旋はまさに無限の象徴なのです。また、無数の渦は計り知れないほどの強烈なエネルギーを生じていますが、このエネルギーによって時空連続体的な軌道が生まれているのだとされています。 そして、マッケンナがコンピュータ・シュミレーションによって時間が止まると割り出した日、つまり2012年12月23日には、そのとき銀河系の軸と太陽系の軸が一致するらしいのです。つまりマッケンナの研究から分かったことは、これから約10年後の2012年12月23日に、宇宙の渦巻きと時間の渦巻きがぶつかり合い、融合するということだと理解すれば分かりやすいのではないでしょうか?メルマガではさらにアセンションやそれを連想させる仏典の記述について述べています。登録はこちらからどうぞ。フリーページ 「超臨界」更新しました。
2005.01.25
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「7つの習慣―成功には原則があった!」スティーブン・R・コヴィー、キングベアー出版、p82(ビクター・)フランクルは、心理学者であると同時にユダヤ人だった。第二次世界大戦が勃発したとき、彼はナチスドイツの強制収容所に送られ、人間の尊厳を害するような、筆舌に尽くし難い体験をした。両親、兄弟、妻は収容所で病死したり、あるいは毒ガス室に送られたりして、妹以外の家族全員が亡くなった。フランクル自身も拷問され、数知れぬ屈辱を受けた。自分の道はガス室に至るのか、それとも救われてその運命にあった人々の死体を運び、彼らの灰をスコップで掃除する役割に回るのか、それこそ自分の運命がどうなるか分からない毎日だった。ある日、フランクルは裸にされ、小さな独房に拘禁されてしまった。そこで彼はナチスの兵士たちが決して奪うことのできない自由――人間の最後の大いなる自由と彼は呼んでいる――を発見したのである。看守たちは、確かに彼のおかれた環境のすべてをコントロールすることができたし、彼の身体を思うがままにすることができた。しかし、ビクター・フランクル自身は、自分の状況を客観的に観察することができる「自覚」のある人間であった。彼の基礎的なアイデンティティーそのものは健全で、損なわれてはいなかった。だからフランクルはその状況下で自分はどう影響されるかを自分で選択することができた。彼に起きた出来事あるいは受けた刺激と、それに対する彼の反応との間には、彼の自由、すなわち反応を選択する能力(ちから)が存在していたのだ。収容所にいる間、フランクルはほかの状況を頭の中に描いた。例えば、収容所から解放され、大学で講義している場面を想像した。その教室の中にいる自分の姿を想像し、拷問を受けている最中に学んだ教訓を生徒たちに説明している状況を思い描いた。そうして自分の知性、精神、道徳観を研ぎすますことにより(主に記憶と想像力を活かして)、彼は自分の小さな自由の芽を伸ばし、それを次第に大きく育て、やがてナチスの看守たちよりも大きな自由――選択できる内的な能力(ちから)――を持つに至った。彼は看守を含めた周りの人たちの大きな模範となり、生き甲斐を与える存在となった。その模範のおかげで、周囲の人たちは苦しみの中にも生きる意味を、そして収容所生活の中にも人間としての威厳を保つことができたのであった。想像を絶するほど下劣で人間の尊厳を汚す状況の中にあって、フランクルは「自覚」という人間の独特の性質を活かし、人間の本質にかかわる基礎的な原則を発見した。 他人を外部からコントロールすることができるが、その人の内面までは本来何人たりとも侵すことはできない。そのことがフランクルの体験からよくわかる。他人を自分の思い通りにしようとしても、本質的には不可能なことである。 そして、周りに影響を与えるにも、まずは自分が変わっていく必要がある。他人が自分の思い通りにならないからと苦痛を感じたりするが、自分の思い通りにはなるものではない。まずは他人をどうこういうより、自分自身が変わっていくことにより、周りに影響が及ぼされていくのである。 フランクルの収容所体験が書かれた名著「夜と霧」だが、わたしはまだ読んでいない。近いうちに読んでみたいと思っている。フリーページ 「ヴィヴェーカーナンダの言葉」更新しました。
2005.01.24
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知る人ぞ知る船井幸雄氏。色々な評価があるようだが、以下に紹介する内容はその通りだと思う。「百匹目の猿 ― 『思い』が世界を変える」 船井幸雄、サンマーク文庫、p66ガン細胞というのは、見方によりますと実にバカな生き物です。自分の思うさま繁殖することが、自分の宿主である人体を滅ぼしてしまうことを知らないからです。宿主を滅ぼせば寄生している自分も死んでしまいます。自殺行為をしていることに気づいていないのです。子どもが親を殺すようなもので、愚としかいいようがありません。いま、人間と地球との関係は、ガン細胞と宿主との関係にたとえられるように思います。地球は疲弊していますが、その原因をつくっているのは、そこに寄生していながら主人づらしている人間です。知恵ある存在であるはずの人類が地球環境を次々にこわしています。その意味では、私たち自身がガン細胞のような存在であり、環境破壊によって自身も気づかぬうちに緩慢な自殺を推進しているのに等しいといえるでしょう。 私たちがガン細胞のようなものとは、聞いていてあまり心地よいものではないが、人類の行ってきていること、そしてその結果を見ると、それはその通りだと感じざるを得ない。 地球が母胎だとすると、そこで活動している生命体が細胞のようなものである。他の細胞はきちんと共存しているのに、人類だけが好き勝手に振る舞い、他の細胞をそして母胎自体をどんどん侵し始めている。その結果はやがて自分自身をも滅ぼすことになる。 現実を見ていくとこういう結論を出さざるを得ないが、気づきはじめている人も増えてきているが、まだ認識していない人も多いと思う。 ガンも早期発見され、すぐに手を打っておけば完治するが、蔓延してしまうと手の施しようがない。手遅れとなってしまう前に何とかしていかないと、人類は己をなしてきたことを悔いたとしても、どうにもならないことになってしまうだろう。フリーページ 「八つのプロセス」更新しました。
2005.01.23
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わたしは最近流行っている歌をほとんど知らない。マツケンサンバも、一曲通して聞いたことがないし、松平健が踊っている姿も見たことがない。余談だが、彼の場合離婚して吹っ切れてしまったのか、離婚が良い方向に向かっているようである。今後どうなるかはわからないけれども。 これは以前からそうかもしれないが、流行っている歌の歌詞が、愛だの恋だのそういった内容に偏りすぎているように思う。町などを歩いていると歌が聞こえてくることがあるが、歌詞は誰それと恋してどうの、愛する人はあなただけみたいなものばかりに感じてしまう。これも偏見かもしれないが、そういった内容が非常に多いのは事実だろう。 最近は音楽を聴くことはほとんどないが、学生時代は洋楽ばかり聴いていた。60年代や70年代の洋楽が好きで、ビートルズなどよく聴いた。リアルタイムのアーティストではプリンスが一番好きであった。初来日の時、横浜スタジアムでライブを行ったが、友人と一緒に行き、ものすごく興奮した。その余韻が三日ほど続いたのを覚えている。 他にも好きなアーティストは色々いたが、最近ふとスティングのことを思い出した。彼はポリスで一世を風靡し、ソロになってからも、大活躍をしている。 彼のソロアルバムの第一弾、ブルータートルの夢からのファーストシングル、If you love somebody set them freeという曲がある。これは曲自体もいいのだが、歌詞が非常によいと思う。スティング自体もお気に入りのようである。 もし誰かを愛するならその人を自由にしてあげなさい、という意味のタイトルであるが、これはよくある恋愛ソングではまず聞くことのないものであろう。恋愛とは束縛の要素が強い。相手のことよりも、自分のことを考えていることが多い。それは本当の愛とは違うだろう。本当の愛とは、相手をはぐくんでいくものではないか。 スティングはポリス時代、Every breath you take という名曲を生み出した。これは世界中で大ヒットした。ポリスのシングルで最も売れたものであろう。わたしもこの曲は大好きで、スティングもライブでこの曲を演奏すると、自然と涙が出てくるとインタビューで答えていた。 しかし、歌詞はもろに相手を束縛する内容である。スティングはインタビューで、Every breath you takeの歌詞は束縛であり、これでは駄目だと思い、If you love somebody set them freeの歌詞を作った。といったことをインタビューで答えていた記憶がある。誰でも人を束縛したいものだが、それでは息が詰まってしまうだろう。難しいかもしれないが、愛する人こそ自由にしてあげることが本当は大切であると思う。 洋楽の歌詞は今はどうか知らないが、かなり深いものが多かったように思う。日本の歌でも恋愛ものの歌詞ばかりでなく、深い内容のものがもう少しあってもいいのではないかと思う。フリーページ ヨガの項目更新しました。
2005.01.21
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本日発行のメルマガメルマガ全ての本質を求めてでは再び時間についてとりあげました。未曾有の被害を引き起こしたスマトラ沖地震。いまだ記憶に新しいことと思います。亡くなられた方々のご冥福を心より祈りたいと思います。地震と津波は多くの被害を引き起こしましたが、もたらしたものはそれだけではありませんでした。この影響で地球の自転が早まったようです。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050111-00000045-kyodo-soci 私たちの認識している時間、1秒、1分、1時間、1日、1ヶ月1年は地球の自転と公転を基準にしていますね。そして地球の自転が早まったということは、時間の進み方も早まったということになります。自転が早くなったと言っても、それが大きな影響を与えるわけではないと発表されています。確かにすぐに目に見える形で影響があるわけではないでしょう。しかし、一般的な「ニュートン時間」が地球の自転と公転をもとにしている以上、時間の流れ方が早くなったことは明らかな事実です。数年前なら十年一昔と言われましたが、今は三年でも昔だという人もいます。一年前でも昔と感じる人もいるかもしれませんね。以前だったら考えられないようなことが、ここ一年の間に立て続けに起こるようになってきています。これは時間の流れ方が早まっているからと言えないでしょうか?そして、私たちの感じている時間は、絶対的なものではないのです。今後も地球の自転に変動を及ぼすような事態が起こるかもしれません。それは絵空事とは言えなくなりました。そのとき明確な変化が起こるのかもしれません。また今回のメルマガでは、時間とは五感の経験の積み重ねである、ことについて述べています。気が散っている時は、多くの感覚を使い、時間の流れが遅く感じられます。逆に集中している時は、多くの感覚を使いません。ここから、五感を使えば使うほど、時間の流れ方が遅く感じられ、五感の経験が少なければ少ないほど、時間の流れ方が早く感じられるようです。次回はタイムマシン、タイムトラベル、エネルギースポットならぬタイムスポット、タイムウエーブゼロ理論、等について取り上げていきたいと思います。
2005.01.20
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明日発行予定のメルマガ全ての本質を求めてでは、今のところ、天外伺朗氏の著作をもとに書き進めている。 彼の著作、宇宙の根っこにつながる生き方を読み進めているが、そこに、エゴの追求で成り立っている現代社会、という項目があった。 仏教は本来煩悩こそが苦しみの原因である、としている。そして現代社会は、煩悩に立脚したものであると言えよう。地球環境よりも、利益を第一にするようなことをしてきているのだから、煩悩を優先させていることは間違いない。しかし、これは仏教の考え方からすると、苦しみをどんどん増大させることになってしまう。 実際のところ日本は煩悩に立脚した社会を確立し、世界でも例がないほど物質的豊かさを得てきた。しかし、それで人々が幸福になったと言えるだろうか?そのことに疑問を持つ人も最近は増えてきているだろう。 では単純に煩悩を完全に否定するような社会を確立していけばいいのかと言えば、そう簡単なものではない。その様な試みはことごとく失敗してきた。あまりにも純粋にそういったことを追求していくと、どこかでひずみが生じてくる。煩悩をまだ多く抱えている人たちがエゴを否定した社会を確立しようとしても、それには無理がある。 ただ現在のような、煩悩やエゴに立脚した社会では、完全に行き詰まってしまうだろう。煩悩や欲望こそ社会を確立していく原動力である。だから否定することはできないという人たちもいる。確かに今まではそうであった。しかし、これからは今までのシステムを考え直さないと、駄目な時期に来ているように思う。 もともとインターネットは、60年代から70年代にかけて展開された、ヒッピー達の「カウンターカルチャー運動」の精神に沿って発展してきたそうである。「愛・調和」を大切にという精神が根本にあったという。しかし現在では、やはり欲望や煩悩追求の論理に支配されるようになってしまった。高尚な理念を実現していくのは、やはり難しいようである。 天外伺朗氏は、これからは新しい社会理念や企業理念が必要であると主張する。21世紀は煩悩を追求するのではなく、感動をもとにしていくことを提唱している。 ここでいう感動とは、どこかの国の首相が「感動したー!」などと言ったこととはまるで別のことであろう。魂のそこからわき起こってくる感動のことであろうと思う。わたしの感覚では、一般的な感動したときというのは、心が大きく動いているものだが、天外氏が主張しているものは、心は静かなのだが、魂のそこから感動がわきでてくるといったものではないかと思っている。 仏教では私たちの本質は仏性であり、汚されることのないものとする。ユングは集合無意識ということを主張し、人類は根底でみな繋がっているとする。人間の本質は本来純粋なものである。しかし、エゴや煩悩を追求していくことをずっと行い続けてきた。これには本来無理がある。人間とは本来どのような存在であるか、今一度しっかりと確認することが大切ではないか。 オーストラリアの先住民であるアポリジニの社会は、エゴに立脚したものではなく、自然と一体になった非常に精神性の高いものであったそうである。彼らは砂漠を旅する時も食料を持っていかず、わずかな水だけを持って旅する。食料が必要になった時、祈りを捧げると、食料が得られるという。祈りが生活の中に渾然一体となっている。 またアポリジニは文明人が失ってしまった能力をいっぱい持っている。彼らの視力は七・〇だというし、テレパシーで意思の疎通を図っている。声は歌うためや祈るためのものだという。 文明人はその土地の先住民達の文明を劣った野蛮なものであるとして、ことごとく滅ぼしてきた。しかしそれによって失ってきたものは、あまりにも大きいようである。単純に以前と同じような状態に戻ればいいものではないが、先住民達の智慧から色々と学び取ることが必要ではないか。 21世紀は高度な物質文明を保ちつつ、高度な精神文明も確立していくことが大切であると思う。
2005.01.19
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風邪がなおった後は心身がすっきりとして、瞑想にもよい影響がある。瞑想していて、久々に異次元の体験をした。瞑想体験を吹聴するのは、あまりいいとは言えないが、参考程度としてただければと思います。 いつものように瞑想をしていたが、今回は微細な風(生体エネルギー)がどんどん強くなり、全身が心地よくしびれてきた。そして呼吸が非常に浅くなり、呼吸をしているかしていないかわからないほどになっていった。 ここまではよかったのだが、それから意識が異次元に入っていき、まず周りでどすんどすん、という音が聞こえた。それから犬や猫といった動物たちの鳴き声が聞こえてきた。これはまずいなと思っていると、猫の姿がみえてきそうになった。結局それははっきりとしないままで終わった。 ほっとしていると、ドラえもんの映像が非常に鮮明に見えてきた。目の前にスクリーンがあり、映画でも見ているようだった。場面はパッパッと移り変わり、やがて消えていった。 この間ずっと体はしびれており、風はずっと強い状態のままだった。やがて風が静まっていき、意識もこちらの世界に戻ってきた。 チベットの死者の書では、死んだ後意識が中有と言われる状態に入り、そこで様々な経験をするとある。普通は死んだ後に中有の経験をするのだが、瞑想に慣れてくると、生きている間に瞑想でその様な経験をするようになる。そして、死んだ後中有で迷うことがないように、生きている間に中有の経験をしていることが奨励される。 今回のわたしの経験は、動物の鳴き声が聞こえてきたことからも、動物の世界の経験をしたと言えるだろう。これはわたしの中にそういう要素があるからであり、気をつけなければと思った。 中有においては、心を乱したり、見えてきたり聞こえてくるものに対して心を動かしてしまうと、経験している世界に巻き込まれていき、そこに転生してしまうと言われる。わたしはこういった経験を何度かしているので、心が乱れることもなく、経験した世界に巻き込まれることもなかった。その場合は、転生に失敗しないと経典ではある。 逆にそこで巻き込まれてしまうと、転生に失敗してしまうとされる。また、中有では生体エネルギーの流れが非常に強く、早くなっているから、慣れていないと、エネルギーの流れや強さに耐えられず、気絶してしまうとされる。だから生前瞑想に慣れておいて、死んだ後気絶しないように訓練をしておくことが大切とされるのである。 こういったことを他人に押しつけることはしないが、自分の経験や、経典の内容からも、こういったことは実際にあるのだと、わたし自身は確信している。中有の存在はともかく、生きているうちも心を動かさないようにする訓練は、大切なことであろう。フリーページ「華氏911」更新しました。
2005.01.18
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夕べは少し食べ過ぎてしまい、寝る前に体調がどうなっているか心配だったが、案外すっきりと目が覚め、風邪の症状も無くなってきており、お腹の具合も大丈夫そうである。肉体がかなり浄化された感じである。 人体は自己治癒力があると言われるが、自分の体を痛めつけるようなことをしないでいれば、自己治癒力は自然と働くと思う。働かないとするならば、どこか不自然な生活を送っているのだろう。 暴飲暴食は自己治癒力を働かせなくなると思う。夕べは少し食べ過ぎてしまったが、普段は一食か二食で、菜食である。乳製品や卵もとらないことが多い。また酒も全然飲まない。瞑想などをしていると、ストレスが昇華されてしまい、酒を飲む必要が無くなってしまうのである。 また過度の性行為も自己治癒力を弱めてしまうと思う。性エネルギーは生命エネルギーでもある。いわゆる氣は性エネルギーを消耗すると、同じく消耗されてしまう。ヨガや気功をやっていた人が、結婚する前は非常に若々しかったのが、結婚後急に老けてしまった例をいくつか知っているが、これは性行為によって、氣を消耗してしまったことが大きいと思う。性エネルギーを消耗させずに蓄えることの大切さが、もっと知られても言いように思う。 わたしは以前はどちらかと言えば老けてみられることが多かったが、最近は逆になってきている。これは氣を蓄えていることと無関係ではないだろう。そして氣を蓄えることによって、自己治癒力も働き出すと思う。 また、夕べは寝る前にパソコンを使わなかったのが良かったと思う。寝る前にネットサーフィンをすることが多いのだが、それをしないですぐに寝た。そうすると目覚めが良かった。 パソコンから出る波動はあまりいいものではない。またネットからも多くの想念を受ける。パソコンを長い時間使用したり、ネットサーフィンを長く行っていると、間違いなく心身に悪い影響があるように思う。これは気をつける必要があると思う。
2005.01.17
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楽天日記をはじめて二ヶ月がたった。毎日書いていたわけではないが、ほとんどの日に書くことができた。そうなると日記もかなりの量となる。塵も積もれば山となる、ことがよくわかる。 継続は力なりというが、これは真実だと思う。二ヶ月続けていくと、色々なことに気づいたり、学ぶことも多い。また色々な方と知り合うことができ、これはわたしにとって大きな財産である。これもこつこつとした積み重ねがあればこそである。 仏教でもいろいろな考え方があるが、努力を放棄する段階があると説くところもある。これは確かにそういう段階があるが、はじめから努力もしないでぐうたらしていては駄目である。努力を放棄する前の段階では、それ相応の努力が必要である。 釈迦牟尼も怠惰であることなく、道を進みなさい、というような意味のことを言われている。釈迦牟尼は中道を説いたが、何事もほどほどがよいと言われることもあり、それは確かにそうではあるが、極端な苦行などを戒めたのであって、釈迦牟尼自身は熱心に瞑想にふけるなどのことをしてきたのである。 これからも毎日のコツコツとした積み重ねを大切にしていきたいと思う。 そして皆様のおかげでここまで続けてくることができました。感謝致します。-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- 風邪はなおってきたが、今度はお腹の具合が悪くなった。ひどくはないが、少し下ってしまっている。風邪を引いた後や、お腹をこわした後はすっきりとしていいのだが、やはりその最中は少々きつい。まあ悪い要素がたまってしまうよりいいとは思う。
2005.01.16
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どうも疲れがたまっており、軽い風邪をひいてしまった。鼻がぐずぐずで、若干痰も出る。頭がぼーっとしてしまう。ただ熱があるかと思ってはかっても、平熱であった。 本来ならヨガの行や気功や瞑想などを行って治したいところだったが、そこまでの気力もなかった。休む時はひたすら休み、寝る時はぐうぐう寝てしまった。まあ、まだ完全に回復していないが、十分な休息によって、ある程度は回復したようである。 子供の頃は良く風邪を引いていたが、最近は周りの人が風邪を引いていても、自分だけは大丈夫ということが多かったのだが、今回は疲労がたまっていたからだろう。やられてしまった。体が弱った状態だと、抵抗力が弱まってしまうようである。 ただ、風邪をひくのが悪いことばかりかと言えば、そうとも言い切れない。野口整体では、風邪を引いたり熱を出したりすることは体の大事な調整作用であるとしている。風邪を上手に経過させることができれば体の調子は以前にも増して良くなる。逆に風邪もひけない人は、体を調整できないので、疲れのぬけない「重くだるい体」をいつまでも引きずっていかなければならず、大病にもかかりやすいとしている。 確かに風邪の最中はいやなものだが、その後はすっきりとしていい感じがする。今日は瞑想をして、とても心身がすがすがしい状態だった。風邪によって体内の毒素が出て行き、浄化されたような感じもする。逆に風邪も引かないと、毒素を中にため込んでしまい、一気に悪い症状が出るということも言えるだろう。 風邪を単に悪いものとしてとらえず。有効に活用する姿勢も大切であるかもしれない。
2005.01.14
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楽天日記をはじめて二ヶ月ほどになりますが、ちょっと変わったことをしてみようと思いました。Neo というわけで、oneさんよろしくお願いします。One よろしくお願いします。ところでNeoさん、何とも 安直なネーミングですね。Neo その辺は勘弁して下さいよ。同じ文字を持つもの 通し、仲良くやりましょう。今回からはじまる 対話形式、題して「oneかく語りき」どういうお 話が聞けるか楽しみですよ。One タイトルも安直ですねえ。わたしは別に神は死ん だとは思ってませんよNeo タイトルにあまり深い意味はないですから、つっ こまないで下さいよ。で、今日はどういったお話 しを。One 今日はわたしが精神の世界に入っていくきっかけ となったことについてお話しをしましょう。Neo それは楽しみですね。よろしくお願いします。One あれはわたしが確か高1の時の話しです。80年 代の前半ですね。Neo もう20年ほど前の話しですね。One ある日、墓参りに行ったんです。母のお姉さん。 わたしにとっておばさんとなる方ですね。わたし が生まれた時には、その方は既に亡くなっていた んですけどね。Neo 何人でお墓参りに行かれたんですか?One 5人ですね。わたしとわたしの母と、おばの息子 さんと娘さん、おばの娘さんの娘、の5人でした。Neo 結構大勢ですね。One その5人で墓地に行って、お墓参りをしたんです が、そのときびっくりするようなことがあったん ですよ。Neo ほー。一体何があったんですか?One おばの息子さん、いとこに当たるわけですが、こ こではFさんとしておきますが、Fさんがびっく りするようなことをはじめたんですよ。Neo 何なんですかそれは。教えて下さいよ。One Fさんは鞄から長方形のものを取り出しました。 それは経典だったんですね。あと数珠も取り出し ました。Neo はい。One そして、数珠を手にし、色々と印を結び、読経をは じめたんですね。Neo 普通はお墓参りでは、お供え物をあげて、お水をか けたりして、あとはせいぜい合掌して、お祈りする くらいですよねえ。One いきなり読経がはじまったから、面食らっちゃいま したよ。Neo そりゃ驚きますね。One しかもそれが1時間くらいはかかりましたよ。Neo ええー!1時間もFさんは、読経してたんですか?One その横でわたしたちはじーっと待ってたんですよ。Neo そりゃ苦行ですね。One わけがわかんない言葉がごちゃごちゃ出てくるし、 一体いつまで続くんだと思いましたよ。Neo 異様な光景であるのが目に浮かぶようですねえ。One 頭の薄いおじさんが、印を結びながらお墓の前で えんえんと読経してるんですよ。端から見たら、 ほんとに怪しいですよ。Neo 周りに人はいなかったんですか?One 運良く人気が全然無かったですね。人がいたら 恥ずかしくてしょうがないですよ。Neo それはよかったですねえ。One そんな一風変わった墓参りがすんで、それから 吉祥寺に食事に行ったんですよ。Neo ええ。One そこで、衝撃の事実が発覚したのです。Neo それは一体全体何だったんです?One Fさんは、ある新興宗教に所属していたんです。Neo だから、そういう変わった墓参りをしたんです かねえ。One 別にその団体では、そういった墓参りをするよう に決まっていたわけじゃないんですけどね。F さんが自分で決めてやったことなんですけどね。Neo ああ、そうなんですか。One そして、その団体の話しを色々と聞いたわけ です。Neo あら、勧誘されちゃったんですね。One いや、勧誘されたんじゃないんですよ。単に説明 を聞いただけなんです。Neo 勧誘されたわけじゃないんですか。それはよかっ たですね。 じゃあそこに入ったわけじゃないんですね。One いや、それから少しして入りました。Neo ええーーーっ!勧誘されたんじゃないんですよね。One そうなんですけどね。ああ、こんな世界もあるん だなあ、とちょっとした関心をもって、入っちゃ いました。Neo ずいぶん向こう見ずですねえ。One まあ、若気の至りというやつですかね。Neo そこに入ったのが、精神の世界に目を向けたきっ かけだったんですか。One そうですね。それから色々と本を読んで、そうい った分野の知識が入っていきました。Neo その団体にはずっと所属していたんですか?One いや2~3年でやめちゃいました。Neo あっさりしてますね。それはどうしてですか?One 最初のうちは熱心にやってたんですけどね。途中か らなんか雰囲気が自分にあわないような感じがして きたんですよ。Neo それでやめちゃったんですね。One まあ、こういう世界に目を向けさせてくれたわけで すから、Fさんにも、その団体にも感謝しています けどね。Neo ああそうですか。One それでそこに入った日にとんでもないことがあった んですよ。Neo そんなのばっかりですね。何があったんですか?One 夜に寝ていたら、いきなり親からたたき起こされた んですよ。Neo 安眠妨害ですね。One ぶつぶついいながら起きたんですが、親が言った言 葉を聞いて、いっぺんに目が覚めましたね。Neo なんだったんです。One 火事ですよ。火事Neo ええーー!それは大変だ。One わたしたちは5階建てのビルの最上階にすんでいた んですが、そこの2階がお好み焼き屋だったんです。 そこから出火したんです。 Neo そうなんですか。大丈夫だったんですか?One 避難した方が良いだろう、ということになって下に 降りることになったんですけどね。Neo ええ。One 玄関のドアを開けたらびっくり仰天。Neo どうしたんですか?One 視界が真っ白なんですよ。一歩先も見えないよう な状態だったんです。Neo ふーむ、それは煙がまわったんですか?One そうです。火事の時の煙は怖いですね。火事の時 は煙に巻き込まれて死んでしまうことが多いんで すよね。Neo そうらしいですね。One わたしはそれを見て気が動転しちゃいましてね。 親が出てくるのを待たずに、先に玄関から外に出 ちゃったんですよ。Neo それでどうしていたんですか?One 煙の中でじっと親を待っていることになっちゃっ たんです。Neo そんなことして大丈夫だったんですか?One 息は苦しくなるし、もはやこれまでかと思いまし たよ。Neo 死ななくてよかったですねえ。One 死んでたらこうしてお話しできませんよ。Neo 結局どうなったんです?One 幸いぼやで大事には至らなかったんですけどね。Neo 不幸中の幸いですねえ。One まあ、えらい目に遭いましたよ。Neo それが、団体に入った日の夜の出来事だったん ですね?One ええ、そうなんですよ。Neo どういうことだったんでしょうねえ?One 今から思えば、わたしがそこにいることが天の 意思ではなかったと思うんですね。Neo そういうことなんですかね。One やめちゃったわけですしね。やめたらすっきりし ましたから。Neo それにしても、まれな経験をされてきたんですね え。どうもありがとうございました。One いえいえどういたしまして。それにしても長くなっ ちゃいましたねえ。これみなさん最後まで読んでい ただけるんでしょうかね。Neo Oneさんがそんなこと言ったら、身も蓋もないじゃな いですか。みなさん読んで下さいますよ。One ええ、そうですね。Neo 次回はどういったお話しを。One 次回もあるんですか?これ仕上げるのに、1時間くら いかかってるんですよ。Neo なんか意味不明のこと言われてますね。One いや、気にしないで下さい。まあ考えておきますよ。Neo Oneかく語りき、いかがだったでしょうか?皆さんの ご意見お待ちしております。それではOneさんまた次 回お願いします。One ええ。よろしくお願いします。Neo それでは皆さん、ごきげんよう。One 今後もよろしくお願いします。
2005.01.13
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本日発行のメルマガ全ての本質を求めてでは、時間について取り上げました。「宇宙の根っこにつながる生き方」天外伺朗より ボームは「あの世」と「この世」が表裏一体であるということを、次のような言葉で表現しています。宇宙は二重構造になっており、われわれがよく知っている物質的な宇宙(明在系)の背後に、もう一つの目に見えない宇宙(暗在系)が存在します。暗在系(「あの世」)には明在系(「この世」)のすべての物質、精神、時間、空間などが全体としてたたみ込まれており、分離不可能です。これは簡単に言えば、「この世」ではわたしもあなたも、別人であり、物質は全て別個の存在です。それが「あの世」ではわたしはあなたであり、石や木であり、ビルや飛行機であったり、いやそれどころか宇宙と一体であり、溶け込んでいるというのです。時間も、空間も、精神までもがたたみ込まれているのが、「あの世」なのです。例えば、時間がたたみ込まれているとするならば、それは過去も、未来も、一体となっていることになります。そもそも、時間という概念が存在しなくなってしまうのではないでしょうか。時間の流れは絶対的であると、わたしたちは信じ込んでいます。でもこういう体験をみなさんはしたことがあるでしょう。好きな物を食べている時や、大好きな人と一緒にいた時のことを思い出して下さい。時間があっという間に経ってしまったでしょう。逆に大嫌いな科目を勉強しなければならなかった時や、そういう授業を受けた時どうだったでしょうか?「まだこんな時間かあ」とうんざりしたでしょう。明らかに時間の流れ方が違った感じがありますね。スマトラ沖地震における津波の影響で、地球の自転が少し早まったそうです。私たちが認識している時間は、地球の公転と自転を元にされています。地球の自転が早まったことが、時間に影響を与えてくるかもしれません。メルマガでは次回は精神と物質についてとありますが、もう少し時間について述べていくことになると思います。
2005.01.12
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メルマガを書き終えた。明日に発送される予定である。登録して下さった方、お待たせ致しました。 このような日記は日によっても違うが、比較的簡単に書き進められるが、メルマガの場合は色々と考えたり、あちこちの資料を集めたり、レイアウトまで考慮したりと大変であった。ブログなら頻繁な更新もできるが、メルマガはやはりそういうわけにはいかない。 メルマガを発行したり、年末年始は色々な人とネット上の交流や、実際にお会いしたりして疲労がたまったようである。少し前まではあまり寝なくてもすんでいたのだが、ここ数日かなり寝てしまっている。人は休息も必要だが、あまり寝過ぎてもよくない。極端に睡眠が短い人と長い人が、寿命が短いというデータがあるそうである。やはり極端にすぎるのはよくない。 春眠暁を覚えずというが、今のわたしは冬眠状態である。ずっと冬眠していてもらちがあかないので、そろそろ目覚める必要があると思う。ここでいう目覚めるというのは、肉体的なものだけではなく、精神的なものも含んでいる。
2005.01.11
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「中村天風 君だって、ここまでやれる!」池田 光、知的生きかた文庫、p213ノミのサーカスの話をご存知だろうか。ピョコピョコと小さく跳ぶノミを見せものにしたものだ。ノミは本来、2、30センチほど跳躍することができる。それだけの能力を持っているのだ。しかし見せもののノミは、3センチ程度しか跳ばない。ワイングラスのようなものをかぶせて、ノミを調教したのである。初めのうちは跳躍するたびに、グラスが天井となってぶつかる。そのうちに、グラスの範囲内でしかノミは跳躍しなくなる。グラスを取り払っても、調教されたノミは、小さな跳躍しかしない。「おまえの本来の跳躍能力は、30センチあるのだ。だから跳んでみよ」とけしかけても、跳ぶことはない。グラス以上には飛べないという自己概念を形成してしまっている。人間も同じで、自分にグラスをかぶせてしまったかのように、能力を過小評価してしまうことがある。長年の間に、自分の能力はこれくらいだという自己概念を形成している。これが自分の殻である。 似たような話で、象の話しがある。見せ物にされる象は捕らえられると、まずは杭につながれる。そして決して逃げられないようにきつく結びつけられる。はじめのうち象は必死に逃げようとするが、逃げることができないと思うと、そこであきらめてしまう。そうなると杭につないでいなくても、逃げ出すことをしなくなってしまうそうである。 はじめから自分ははこうであるとか、自分はどうせ駄目だ、と決めつけてしまうと、そこで終わってしまう。人間には多くの可能性が秘められている。大脳は生まれてから死ぬまで、数%しか使われないというし、最近知られてきたことだが、遺伝子も三%から五%しか使われていないそうである。 これは言い方を変えれば、まだまだ人には使われていない多くの能力が眠っていることを示す。しかし、それをはじめから殻を作ってしまい、その中にいるだけでは決して持っているものが使われることはない。 まずは自分で殻を作り出すことをやめ、それから殻を壊していくことが必要だと思う。
2005.01.10
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ハリウッドのセレブ達が行っていることで、ヨガが世界中で流行っているようである。日本でも習いたいことの上位にランクされているらしい。それは結構なことだが、ヨガの本来の目的から離れたところでのブームであることが少々残念である。 ヨガの根本経典、「ヨーガスートラ」ではヨーガの定義として、ヨーガとは心のはたらきを止滅することである。とある。心は様々な働きをして、波だったり動いたりしている。それを静めていき、止滅していくのが本来のヨガの姿である。 そしてそれを達成するために色々なヨガの種類がある。1 ラージァ・ヨーガ サーンキャ・ヨーガつまり古典ヨーガの系統をひくもので、心理的な操作を中心とする。心のコントロール、解析などが中心的な問題となる。 2 ハタ・ヨーガ これは肉体的、生理的な鍛錬を通して、解脱へいたろうとする。日本でのヨガのイメージは、このハタ・ヨーガの技法が中心となる。 3 バクティ・ヨーガ インドの聖典「バガヴァッド・ギーター」の流れをくむ主情的な流派で、人格神への献身的な信仰を中心にする。 4 ギヤーナ・ヨーガ ヴェーダンダ哲学をその理論背景とする哲学的思索を中心とした流派である。 5 カルマ・ヨーガ 社会の中での活動を通じて解脱を得ようとする行動的、意志的な流派である。 6 マントラ・ヨーガ マントラすなわち呪文、真言を唱えることを軸とする。 7 クンダリーニ・ヨーガ 尾てい骨のあたりに眠っているクンダリーニを覚醒させ、そのエネルギーを活用していく流派である。 ヨガと言ってもこれらのように様々な種類があり、日本ではその一部が知られているにすぎない。ヨガは数千年もまえから伝えられてきた人類の叡智であり、それをもってすれば美容や健康が得られて当然でもある。言い方を変えれば、美容と健康だけにヨガが使われるとするならば、非常にもったいないことであると言える。 まずは美容と健康が入り口であっていいと思うが、そこでとどまらず、本来のヨガの姿を多くの人が知り、実践してもらいたいものである。
2005.01.09
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聖者や聖典の言葉は私たちの心を打つ。しかし時として名も無き人の言葉が大きく私たちの心を動かすことがある。「愛をこめて生きる―"今"との出逢いをたいせつに」渡辺和子、PHP文庫、p88「マザー・テレサへの旅路―祈りと愛に触れた日々」神渡良平、サンマーク文庫、p213ニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁に書き残されていたある患者の詩 大きなことを成し遂げるために 力を与えてほしいと神に求めたのに 謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった 偉大なことができるように 健康を求めたのに よりよきことをするようにと 病気を賜った 幸せになろうとして 富を求めたのに 賢明であるようにと 貧困を授かった 世の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに 得意にならないようにと 失敗を授かった 求めたものは一つとして与えられなかったが 願いは すべて聞きとどけられた 神の意に添わぬ者であるにもかかわらず 心の中の言い表わせない祈りは すべて叶えられた 私は もっとも豊かに祝福されたのだ 普通は力や健康や富や成功を人は求める。それがかなわぬ時、周りに恨み言を言ったり、神に対して呪いの言葉を吐いたりする人もいるだろう。しかし、受け取り方によっては弱さ、病、貧困、失敗も大いなる祝福となる。ようはその人の心の働きで一切が決まることになる。 この患者は一般的な見方からすれば不幸かもしれない。しかし、本人はとても幸福だったのではないか。何が良くて何が悪いかとは、簡単に決められるものではないのである。フリーページ 「太陽のごとく」更新しました。
2005.01.08
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わたしは元々体があまり強くないので、激しいトレーニングなどはきつい。しかし、瞑想ばかりしていると体も弱ってくるし、適度に体を動かすことは必要であると感じている。 そこでわたしはよく歩く。最近はウォーキングが注目を浴びているようだが、歩くことは体にも、そして心にもいいようである。 足は心臓、横隔膜に続く人体の第三のポンプである。歩き足を刺激することによって、全身に血液が循環するようになる。これは当然体によい。また老化は足腰から来るから、歩いて足を鍛えておくことは老化を防ぐ。 そして、足を刺激するのは頭にも良いようである。実際歩いていると色々なことに気づいたりする。哲学者も歩きながら思索したり、気づきが得られたという話を聞いたことがある。歩くことは体にも頭にも良い影響を与える。 更に歩くことで瞑想にもなる。釈迦牟尼は弟子達を歩かせたようである。これは肉体を弱らせないためと、瞑想の効果もねらってのことであろう。わたしも歩きながら瞑想状態に入ることはよくある。そのときは普段と違う思考状態になり、多くの気づきを得ることもあった。 ヴィパサナの道場では歩く時の体の動きを観察することをさせるようだが、わたしはそのやり方はとらない。背中をまっすぐにし、死線もできるだけ一点に定め、速く歩く。さらに呼吸法も取り入れる。鼻からゆっくり吸って、少し息を止め、鼻からあるいは口からゆっくりと息を吐く。だいたい毎日行っているが、心身にとても良い影響がある。 わたしはできるだけエレベーターを使わず、階段を使うようにしている。またエスカレーターでも、歩くことが多い。とても便利な世の中になり、歩く必要も少なくなってきたが、便利さにおぼれてしまうと肉体も心も退化していくように思う。少しでも歩く機会があったら、歩くようにした方が良いと思う。更に究極の歩法として、ルン・ゴム・パというものがある。「私は先ず第一に、十四才以上十八才以下の青道心を撰び採(と)ります。それはルン・ゴム・パ〔深い恍愡状態に入ったまま長距離を高速で走行する術〕の力は長い試補過程を経てやっと獲得されるものだからです。呼吸を注意深く矯正し、心身を完全に統制し、肉体は完全に不動のものとしなければならない。又深い三昧に入る能力がなければならない。それによって種々の内なる力を活用し、かくして極性〔陰極・陽極〕を自在に反対に換えうるようになるのです。」「ヨガを学んで知ったことなんですが、或る呼吸法によって空中の自由なエネルギーを肉体に押し入れて肉体を軽くし、その結果肉体を自在に、思いのままの中程度或は遅い速度でどんな方向にでも移動させ得るのですね。」「その通り。空飛ぶ僧侶、吾々のいわゆるルン・ゴム・パは人間としては驚くべき存在です。彼が三昧に入ると一般の人々は彼の肉体に他の霊が入ったと信じ込んでいるがそうではありません。長期間にわたって修練を積むと、空気は元来が軽いため全身に浸透して肉体は軽くなり極が反対になる。その為に引力が克服されるようになります。この方法によってルン・ゴム・パは山々を越え、谷々を越えて、長途にわたり何らの疲労も覚えずに大速力で走って行きます。元々、疲労というものは、肉体が地面に引きつけられているため肉体を動かすのに努力をしなければならないという事になって、そのために引力の力によって出てくるのです。ルン・ゴム・パは目的地に対し一直線に向い、そのスピードは山々を登り、谷々を越える時でも変わりません。山でも、平野を行く時と同じ速さで上がり、一日に百哩以上でも行けます。わたしの知っているルン・ゴム・パなどはもっと遠距離まで行けます。「処がそれの出来る人が非常に少ないという事実は、この術の完成に長期を要することを裏付けるものです。試みるものは多いが成功する人は少ない。それというのもあらゆる密教科学の中でも恐らくは一番難しいからです。」 解 脱 の 真 理 ~ヒマラヤ大師の教え~ 哲学博士・神学博士M・マクドナルド・ベイン著/ 仲里誠吉訳 より これは絵空事でなく、本当にできる人がいるようである。わたしも夢の中ではできたことが何度かある。夢ではついにできた!と感激するのだが、目覚めてみるとできないことがわかりがっかりする。瞑想を深めて実際にできるようになれるといいなと考えたりしている。
2005.01.07
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まぐまぐにメルマガ発行申請をしていたのですが、審査に通ったので、近日中にメルマガを発行します。よろしかったら購読してみて下さい。 タイトルは全ての本質を求めて。 この世の中は目に見えるものだけが全てではありません。物事の背景にある本質を、色々な角度から見ていきたいと思います。精神世界の内容が中心になると思いますが、それ以外のことにも触れていきたいと思います。 登録はこちらからお願いします。フリーページにサンプルがありますので、そちらもご覧になって下さい。創刊号未発行にかかわらず、すでに数人の方に登録していただきました。ありがとうございます。発行は1週間後になると思いますが、楽しみにしていて下さい。
2005.01.06
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平井和正作の「幻魔大戦」という小説がある。これははじめのうちは宇宙を支配しようとする幻魔と、それに対抗する超能力者達のサイキックバトルを描いていたが、それは最初だけで、すぐに宗教的な内容になり、団体内の確執と崩壊に至っていく過程を描いていき、主人公が物語の途中で失踪してしまうという、なんともとんでもない作品である。しかも、そういった内容であるにかかわらず、多くの読者を獲得したのが更にとんでも度に拍車をかけている。 主人公の東丈はとてつもない超能力を獲得し、まずはそれで宇宙を支配しようとする幻魔に対抗しようとし、人類を救おうと考えていたが、超能力では人類を救えないと悟る。その代わりに多くの人が目覚め、本当の愛を持ち繋がっていくことが人類を救う道であると考え、その考えを伝えていくようになった。それを「光のネットワーク」と表現していた。 「幻魔大戦」はとんでもない方向に向かってしまい、多くの読者が離れてしまったが、それでもやはり大勢の読者を魅了したのは、この「光のネットワーク」という考えに反応する人も多かったのではないかと思う。 一個人が大きな力を持っていたとしても、それはたかがしれている。これからの時代、大勢の人が心を一つにし、つながりを持っていくことによって、大きな現象が起きていくのではないだろうか? それが確立していく最初の段階では、まず一人の人でもいいから、大きな信念を持つことだろう。それが多くの人とつながりを持ち、人々の心を動かし、現象を動かしていく。 あなたの夢はなんですか?――私の夢は大人になるまで生きることです」池間哲郎、致知出版社、第三章 スラム街に学校をつくる【カンボジア】、p735月の学校完成を見届けて、私は沖縄に戻りました。そして、その年の12月に再びカンボジアを訪れました。約半年の間にいろんなことが起きていました。その変化にはちょっとおどろかされました。実のところ、われわれの団体にはお金があまりありません。そのため校舎は一つだけしかつくれませんでした。校舎の中には五つの教室がありますが、朝の8時から10時までは一年生と二年生、10時から12時が三年生と四年生、暑い国だから3時まで休み時間をとって、3時から5時までは五年生と六年生が勉強するように時間割を決めました。日が暮れたら強盗がいっぱいだから、子どもを外には出せません。だから早めに終わるようにしたわけです(実際に半年間で5回も拳銃強盗に校長室が襲われました)。そういうふうに一つの校舎を工夫して使っていたのです。こんな危険な場所に最も早く校舎を完成させたのが、沖縄の人々だったのです。その後、他の団体が新たに校舎を建て始めました。まず私たちのつくった校舎の横に、別の日本の団体が校舎を建てました。そしてその横には外国の団体が建てました。イタリアの団体が建てて、その横にはインドの団体が建てたのです。この前見に行ったときには、また別の団体がその横に校舎を建てていました。そういうふうに校舎が次々に建てられて、なんと、この学校は三千名の子どもたちが通う、プノンペンで一番大きな小学校になったのです。たった一人の思いで始めたことが、だんだんとふくらんでいって大きな力になる。そういうことが現実に起きたのです。今は立派な学校です。おそらく、この学校から将来のカンボジアを背負う子どもたちがいっぱい出てくるでしょう。私はそう確信しています。 光のネットワークのわたし個人的なイメージだが、瞑想などしていると、内側に光を感じるようになる。これは人が崇高な意識になる時は、光を発しているのではないかと思う。そういった人々の光が、どんどん伝わっていくように思う。光を発する人、それを感じる人、こういう人が増えていって、ネットワークが形成されていくように思う。フリーページ「ガイアシンフォニー第5番」更新しました。
2005.01.04
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紅白が史上最低の視聴率だったようである。わたしは中学の頃から紅白を見ていなかった。少々ひねくれていたからでもあるが、紅白に魅力を感じなかったからである。それから時代は流れて、ついに視聴率が40%を切るという事態にまでなってしまった。 紅白の賀状を脅かしたのが、K-1とプライドという格闘技中継である。数年前なら格闘技中継が紅白の牙城を脅かすなど、誰も予想しなかっただろう。世界的に見ても、格闘技を見ながら年を越す民族などないのではないか。 わたしはテレビを見ないので、結果はネットで知った。一番関心があったのは、ヒョードルとノゲイラのプライド最強決定戦(人類最強決定戦とされているが、あくまでもプライド最強決定戦である)だった。期待に違わぬ熱戦だったようである。ノゲイラの方が人気があるようだが、わたしはヒョードルを応援していた。 ヒョードルは「俺が最強だ」とか「絶対に勝つ」といったことは絶対に言わない。また相手のことも尊重している。よくえらそうなことばかり言うファイターもいるが、実力もともなっていないのに口ばかり達者なのは、所詮二流である。ヒョードルは本当の一流であろう。 ヒョードルのすごさは体力や技術ばかりではない。心・技・体というが、心の要素も非常に優れている。昨年のプライドグランプリで、ケビン・ランデルマンにバックドロップ気味の投げをくらった。非常に危険な角度で落とされ、ヒョードルもこれまでかと思わせたが、驚くことに落とされた後すぐに対応し、あっという間にランデルマンの腕を極め、タップを奪ってしまった。これにはみんな驚いたが、当の本人は至って冷静で、投げられている最中にも体をひねって、落とされた時の衝撃を少しでも小さくしようとしていたそうである。 普通ならパニックでそんなことを考えたり、実行することはできないだろう。それをいともたやすく行ってしまうのは、やはりただものではない。抜群の技術と恵まれた体を有していても、心が伴わなければ、最強への道は開かれない。何事も最終的には心が全てを決める。 破れたとはいえ、ノゲイラもやはり一流である。普通の選手なら、ヒョードルにぶん殴られたら、そこで終わってしまうだろう。判定まで持ち込んだのは、やはり彼の心の強さであると思う。 試合後のインタビューでノゲイラは、「お互い本当に、真の武士だったと思う」と言っている。昨今の日本人は、西洋にかなり染まってしまっているが、心ある西洋人は、日本の古来の文化に注目している。日本人のお偉方が武道など見向きもしないが、取引先の西洋人が日本の武道に深い敬意を払っているのを知って、あわてて武道を習おうとするといった話もあるらしい。武士道は日本人から、西洋人の手に渡ってしまうことになるかもしれない。 K-1で非常に人気のあったアンディ・フグは日本で亡くなったが、日本人が武士道の精神を忘れてしまっていると批判的だったようである。ちゃらちゃらしている日本人より、アンディ・フグのほうが、よほど日本古来の精神を理解していたように思う。 日本人がなかなかプライドやK-1で結果を残せないが、技術や体の問題だけではなく、心の問題も大きいのではないだろうか?体では西洋人に勝てないのは明白だが、心でも劣っているならば、結果が出るはずがない。
2005.01.03
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正月は完全に寝正月だった。年末はかなり疲れがたまっていたようである。久々にぐーぐー寝てしまった。寝る子は育つというが、この年になってぐーすか寝ていても育ちようがない。しかし、体が休息を要求していたようである。 長々と寝ると夢を色々と見る。実際には人は必ず夢を見るそうであり、それを覚えているかいないかの違いだけである。短い睡眠の時は夢を見ていても忘れてしまうが、長い時は良く覚えている。 いくつか夢を覚えているが、最初に見た夢の話し。わたしは山手線に乗って目的地を目指していた。しばらく乗って新宿をすぎたところで、反対側の電車に乗っていることに気づいた。東京近郊の方はご存じだろうが、山手線は環状線で、ぐるぐる回っている。反対側に乗ると、悲惨なことになる。 わたしはあわてて反対側の電車に乗った。時間に遅れ気味なので焦っていた。やがて乗り換える駅に着いた。そこは千駄ヶ谷だった。実際の山手線は千駄ヶ谷駅はない。夢の中では千駄ヶ谷駅で降りた。そして次の電車に乗ろうとするが、体が重くてなかなか早く動けない。夢の中で時々あるのだが、焦れば焦るほど体が重く、移動がスムースにできないことがある。 実際の千駄ヶ谷駅は大きなターミナル駅ではないのだが、夢では色々な電車が止まるようになっていた。横浜行きの電車もあった。わたしは遅れそうなので必死で目的とする電車を目指した。ようやく目的とする電車の近くまでいけた。ぎりぎりだが何とか間に合いそうだ、と思って安心したところで目が覚めた。 わたしは夢の中で焦ったり、怖い夢を見た時に、それが解決しほっとしたところで目が覚めることが多い。心の緊張が解け、肉体に意識が戻るようである。 目が覚めてから夢の意味を考えてみたが、今年は大きな目標を立てたが、それが最初はうまくいかないことも多く、障害もあるが、少しずつ達成していけるのではないかと都合の良い解釈をした。夢判断などできる方がいたら、していただきたいです。 夢は人の潜在意識を表現してなかなか面白い。夢の世界だけに浸っているのも良くないが、現実の世界だけに目を向けるのではなく、自分の深い意識がどうなっているのか、夢を元に探っていくのもいいと思う。 それ以外にもいくつか夢を見たが、その話しも追加。 わたしは都営大江戸線に乗っていた。大江戸線も変則的だが環状線である。山手線の次は大江戸線とは、環状線づいている。 やはり目的地を目指すのだが、なかなかつかなかった。途中で降りて、地上をいくことになった。しばらくいって小さな書店について目が覚めた。この夢はあまり意味がわからない。 それ以外にはわたしが非常に世話になっている人が出てきて、色々とためになることをいってくれた。威厳があり、身が引き締まる思いだった。わたしが今やるべきことをしっかりやるように言われた。わたしの変わりにできる人もそういないのだから、という意味のことも言われた。 目が覚めてから、わたしは色々なことに手を出したがっていたが、欲張りすぎずに一つ一つ確実にこなすことが大切だと思った。そう考えると気が楽になった。夢からは時々有意義な情報を得ることがあるが、今回もまたそういった体験をした。
2005.01.02
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新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。 新しい年を迎えても、ここ数年はいつもそうだが、とりたてて深い感慨などはない。いつもと同じように時間が過ぎていくばかりである。しかし、新たな目的意識を持って年を迎えた方が、無目的に過ごすよりも有意義であると思う。 わたしは新年を迎えるにあたって、自分なりの決意を表明したいと思う。2005年は多くの方と縁を持ち、少しでも物事の本質を見極めようとする人たちのネットワークが形成されればと思う。昨年から漠然とそういった考えはあったが、今年はそのことをより具体化させていきたい。宮沢賢治の『農民芸術概論綱要』より。世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化するこの方向は古い聖者の踏みまた教えた道ではないか新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである この言葉は非常に深い意味合いがあるように思う。人は自分が幸福になりたいと思っているが、全体が幸福にならないと、個の幸福もあり得ない。なぜならば一切は繋がっているからである。個人主義がはびこっているが、それでは限界がある。もう個人のことばかり考えるのではなく、より全体的なことを人類は考えていく必要があるだろう。 宮沢賢治は仏教的思想の持ち主であったが、物事の本質を見極める力を持っていたように思う。彼が生きていた当時、このような考え方をしていた人はまれであろう。彼のこの言葉を肝に銘じていきたい。
2005.01.01
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