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2024年07月12日
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弘前市内を車で走っていると、道路に鳥居が掛かっています。この道路をまっすぐ進むと弘前八幡宮に着くんですが、今回の神社はその道路わきにあります。県内では類を見ない創建が紀元前と伝わる古社中の古社で、かなりの異彩を放っています。青森県最古の神社をかたる神社は数あれど、ここまでの古さは中々です。788年に弘前に移り、現在の社殿が建てられたのは1613年と言います。当に時代の移り変わりを見てきた神社といえるでしょう。

2024.6.22
熊野奥照神社


社号の石碑です。うっすらと縣社と見えます。



まずは境内の石碑から。
これは神主の詠んだ歌を記した石碑です。



説明書きです。



歌碑
当神社52代神主:長利仲聰が当神社祭神:伊邪奈岐命・伊邪奈美命二柱の御神威を讃え

二柱 修り固めし神代より 世の本動かぬ 大八嶋国

と詠んだものである。

次は筆塚です。



説明書きです。



この筆塚は我々が日常の仕事でデザインや絵や文字を書くことを業としていることからこれまでに酷使され捨てられた、数々の筆の供養と書道の上達の為、併せて無病息災、商売繁盛、作業安全を祈願し、この地に筆塚を建立致しました。
高さは1.6m、台座の幅は2.2mで重量は約2tの岩木山産出の安山岩です。書道に関心のある方は、熊野奥照神社のご加護により、いつでもご自由にお参りして使用できなくなった筆を供養して下さいますようお願い致します。

そして御由緒です。看板とパンフレットの御由緒を併せて載せます。



本神社は崇神天皇13年(85BC年)の創建といわれ、阿倍比羅夫が秋田・能代の蝦夷を討ち、津軽に郡領を奉ったのが最初です(説明書きでは中泊町小泊地区付近に創建)。
その後、高岡と呼ばれていた弘前に遷座(788年)。延暦21年(802年)に新たに神殿を造営して「高岡神社」と称し、同24年(805年)「陸奥国高岡熊野神社」に。やがて当地方を統一した藩祖為信公が天正16年(1588年)に社殿を修復しました。
明治13年(1880年)に蝦夷征伐の功績を讃えて阿部比羅夫・坂上田村麻呂の二神霊を合祀して「熊野奥照神社」に改称し、多くの人々の尊崇の中心となっています。
現在のご本殿は、二代津軽藩主信枚公の再建によるもので、棟札で確認できる弘前最古の建造物です。
その特徴は、三間社流造で、屋根はこけら葺。木部に彩色がなく、端正簡素な手法ながら、蟇股や舟肘木などの意匠が見事で、内外陣の造りは、室町~鎌倉時代の古式の手法を伝える貴重な遺構として著名です(昭和29年9月、棟札5枚と共に重要文化財指定)。
また、田村麻呂将軍の埋伏と伝える「蕨手刀」は、県重宝。市指定文化財では文献資料とも符合し、建武3年(1336年)と県内最古の金剛界五仏の板碑や、本殿前の石造狛犬は、寛文4年(1664年)の年号と奉納者銘を刻み、神社の由緒や歴史を語っています。

祭神十座
伊邪那岐命・伊邪那美命・事解之男神・速玉之男命・櫛御気野命・国作大己貴命(大国主)・事代主神・天穂日神・阿部比羅夫命・坂上田村麻呂命

合祀社:卜問石(うらどいし)神社
祭神:高皇産霊神、神皇産霊神
由緒
ご神体は、藩祖為信公が津軽郡内での合戦の際に勝敗を占ったという神石で、二代藩主信枚公の正室である満天姫(徳川家康公のご養女)が祠を造営し、その後、11代藩主順承公が再建しました。

熊野奥照神社の蕨手刀はここからご覧になれます。
・青森県庁ウェブサイト / 蕨手刀


2024.8.21
こちらからも由来を確認できます。

・新編弘前市史 / 通史編3(近世2) 466ページ / 熊野宮

ここでは津軽為信以外にも源頼義・藤原秀衡・源義経など名だたる武将たちが寄進・再建を行ったことになっています。真相は如何に

以下全文です。
熊野宮

 熊野宮(現熊野奥照神社)は、「陸奥国高岡熊野神社鎮座伝記」(資料近世2No.四一八)によれば、崇神天皇の六十七年(紀元前三一)に熊野三所大権現の祭神伊弉諾(いざなぎ)、伊弉冊(いざなみ)(冉)、事解男命(ことさかおのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)を祀ったのを始まりとする。阿倍比羅夫が小山田・東山・小田泊の峰に社殿を建て、その後、奥尾崎、斧杭、扇野庄に移ったという。また坂上田村麻呂・重明親王・源頼義・藤原秀衡・源義経・平時頼・源頼家・安陪師季・源行定・藤原家貞が寄進・再建を行ったという。

 天正十六年(一五八八)、為信が修復、慶長十五年(一六一〇)、信枚が再建し、社領一三石九斗余を寄進したとするが、正徳元年(一七一一)の「寺社領分限帳」(弘図津)には信義が三〇石を寄進したとみえる。

 毎年六月十五日の神事には寺社奉行が出座して神楽を奏するほか、五穀成就・国家安穏の祈祷を行った(「国日記」)。正徳三年(一七一三)の再建の際は太々神楽(だいだいかぐら)を奏し、領内一人八銭の奉加を行った。神主長利氏は、八幡宮別当最勝院の支配のもと、八幡宮神主小野氏とともに社家頭を務めた。熊野宮下社家五軒は禰宜町に置かれたが、天保十二年(一八四一)に家計の困難を救うため富籤(とみくじ)発行を願い出た(同前)。


手水です。​これでもかと蛙が浮かべてあります。



そして境内摂社2社の内一つ目、運輸区神社です。流通業に関係してそうですね。



二つ目、稲荷神社です。



参道中の鳥居は朱塗りでピカピカでした。



そしてこれが交通安全かえる社です。大人数十人でやっと抱えられそうな巨大蛙像が納められています。なぜ蛙なのか・・・は分かりませんが、七つの福を招く蛙として祀られています。



説明書きです。



交通安全祈願の碑
古くから蟇蛙はその姿に似ず縁起の良いものと言われ「生き返る」「お金がかえる」「旅から無事帰る」等とかえるに掛けた縁起が喜ばれております。
このかえるの像は交通安全と金運の霊力を持つと言われ、高さ約63糎(cm)、幅93糎(cm)、長さ130糎(cm)、信楽焼で日本一の大きさを誇るものです。当神社創建1201年、平成元年、弘前市市制100周年の意義ある年に交通安全を末長く願う有志が熊野奥照神社の御加護と、かえるの像の縁起にあやかってここに建立したものである。

七福蛙
1. 交通安全(無事かえる)
2. 家内安全(親子でかえる)
3. 商売繁盛(お宝かえる)
4. 願望成就(ねがいがかえる)
5. 不老長寿(若がえる)
6. 幸運(幸福がかえる)
7. 夫婦円満(愛がかえる)

金剛界五仏が掛かれている板碑です。表面にうっすらと模様?文字?が見えます



弘前市指定有形文化財 熊野奥照神社板碑一基

この板碑は建武元年(1334年)この地方に蜂起した武家方の武将であった工藤六郎入道道光の没後57日忌にあたって基の菩提を金剛界五仏に託した供養塔婆である。
建立は建武3年(1336年)3月19日と記されている。

やっと拝殿です・・・。小さくて見えにくいですが、屋根の上部に津軽藩の家紋杏葉牡丹が付されています。あとは垂れ幕も家紋付きですね。木材の色合いが暗めで、厳かな雰囲気を漂わせていますね古式ゆかしいとは当にこのことです!



説明書きです。



本殿概要
本殿は慶長18年(1613年)第二代藩主津軽信枚公の再建になるものであるが、これ以前については当神社所蔵の「陸奥の国高岡熊野神社鎮座記」中に多くの人によって新築・再建・修補・再興等として十数度に亘る記録があるが、その規模・構造等は不詳である。
構造は桁行三間・梁間二間、向拝桁行三間・梁間一間、三間社流造。屋根こけら葺、素木造り、西面して建つ。本社殿は手挾、蟇股、桁隠し。舟肘木の面取り等の曲線はよく慶長年間の特色を十分現し、且つ柱上は舟肘木等全体に亘り端正簡素な手法よりなる建物として全国的にも貴重な構造である。

扁額です。ピンボケ



斜めから。
紀元前創建という驚くような由緒から、阿部比羅夫という古代の将軍に所縁をもつなど、何から何まで規格外の神社でした。何度も補修や増改築されているところを見ると、本当に多くの人から篤く信仰されていたことが分かります。
あと、ここの神社には古代文字の”アビルクサ文字”が刻まれた判があります。御朱印の神社印の部分に押されています。古代文字は漢字流入以前に日本で生まれ使用されたとされる文字らしいです。神代文字とも呼ばれ、日本語の五十音に対応しているものもあるとか。真偽抜きにして疑問なのが、なぜこちらは衰退したのかということです。先進的な中国文化を取り込むうえで漢字が必要不可欠なのは納得できるんですが、日常生活においては五十音に適応した古代文字を使った方が読み書きしやすそうじゃないですか?神社の護符などに使われており、日常の使用が見られないのも謎ですね。古代の人に直に理由を聞いてみたいです。

ちなみに7/14午後6時半からが前夜祭(宵宮)、7/15午前11時からが例大祭です。スケジュールが開いている方は、是非行ってみたください!(僕は仕事です・・・悲しい



ここの御朱印は初めて貰う場合熊野山宝印も一緒に貰わなくてはいけません。
熊野山宝印とは・・・
西暦805年、当社に奉納された御神印。坂上田村麻呂代将軍に与えられた桓武天皇直筆による神代霊符である。
厄除けの護符として、津軽一円に普及したが、明治時代初頭に廃止、平成29年、150年を経て御神印として復刻。
​熊野山宝印の由来 より抜粋
とあります。中央には津軽藩の旗印”マンジ”があしらわれてます。

また、この神社では最勝院横の八坂神社の御朱印も頂けます。



以前貰った御朱印です。
中央の古代文字は”オホカミノミスルス”と読めるようです。
後半が津軽弁の発音みたいで面白いです



今回貰った御朱印です。



以上です。






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最終更新日  2026年03月13日 19時13分12秒
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