PR
カレンダー
キーワードサーチ
サイド自由欄
カテゴリ
コメント新着






補陀持六角堂
・・・。
三十番札所の御本尊如意輪観世音菩薩は、坐像の木彫り走りで恵心僧都(942~1017年)の作といわれている。それを安置する六角堂は、奥州三十三番札所の再興に尽力した八世智膏和尚が宝暦12年(1762年)に現行の札所を復活させたという大願成就を記念して発願し、弟子遼天(当寺九世)の代に完成したと伝えられている。六角の建築は八角に比べて辺と辺の交叉部や軒を支える組み物が難しく、屋根組みの構築には特に技巧を要するため全国でも非常に稀な建築物とされている(県指定文化財)。
御堂の内外とも朱塗りで、一辺の長さ2.7mの六角形、高さは宝珠上端まで8.2m、屋根は六角錐体で赤瓦葺き。堂内天井には墨絵の龍が描かれ、唐様の須弥壇に家形厨子をのせて御本尊を安置している。御開帳は33年に1度。
・・・。



白華山 補陀寺
曹洞宗 金仙山圓光寶鏡寺末寺
中興開山:宝鏡寺六世 周庵文懊和尚
本尊:釈迦三尊
JR大船渡線気仙沼駅と線路を隔てて北側わずか200mに三十番札所の補陀寺がある。道路から七段の石段を上ると山門、さらに石段十八段を上ると本堂の前庭に出る。その左手に六角形の観音堂があり、右側は池を配した庭園になっている。裏山の竹林を背にした本堂は八間(14.4m)四面、 正面向拝の彫刻の精緻さにいわゆる気仙大工の技の神髄を見せられたような思いがする。手入れの行き届いた境内の庭園は心やすらぐ静寂の中にあり、人々の往来の激しい駅のすぐ近くとは思えないほどである。
寺伝によると補陀寺の開山は寛平2年(890年)。補陀落寺という天台寺院で同市赤坂の小沢田にあったと伝えられている。その辺り一帯はかつて入り海だったため時化で海が荒れると境内が波に洗われることも多く、次第に寺も廃れてしまった。葛西家臣で細浦館主の熊谷直元がその衰退を嘆き文亀元年(1501年)に 正法寺 九世の虚窓良巴禅師を招き、細浦の地に曹洞宗補陀寺を開創、天文7年(1538年)に宝鏡寺六世の周庵文懊和尚が現在の地に移して中興開山したと伝えられている。以後、寺運安定して今に至っている。
山号は、当時本堂の前庭に柏の大木があったことから柏華山と号したが、後にこれを白華山に改めたという。
・・・。
補陀寺歴代の住職の中には後世に名を残した名僧も少なくない。前述の通り八世梁有智膏和尚は、奥州三十三観音の再興のために有志の僧とともに巡礼をして札所復活の大願を果たした。その再興巡礼にあたり作ったという「奥州れい仏順礼三十三番札所融通歌記」と札所創設者「名取の神子旭絵像」の木版は寺宝として今に伝えられている。
九世日東遼天和尚は六角堂の完成後、北野天満宮の勧請や市内新町・三日町・八日町を結んだお日市を創設し、商売の活性化に貢献した。また、自ら木食遼天を名乗って諸国を遍歴し、独自の作風で仏像を彫り各地の信者に分け与えた。散在する仏像は発見されているものだけでも60体。美術家や歴史家の注目を集めている。





三十二番札所:北上山 正覚院 大河の一滴… 2026年04月05日
三十一番札所:江峰山 聖福寺 白坂観音堂… 2026年03月01日
三番札所:桑島山 金剛寺 観音堂(川上観… 2026年03月01日